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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

3/25(土)杉原千畝物語・オペラ「人道の桜」再演/苛烈な時代を生きた人々の慟哭と真実の持つ力が心に響く

2017年03月25日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
杉原千畝 物語 オペラ『人道の桜』(再演/日本語上演)

2017年3月25日(土)14:00〜 新宿文化センター・大ホール SS席 1階 5列 30番 10,000円
演 目:杉原千畝物語 オペラ『人道の桜』
台本・作詞:新南田ゆり
作 曲:安藤由布樹
指 揮:飯坂 純
管弦楽:杉浦千畝メモリアルオーケストラ
ピアノ:安藤由布樹
合 唱:杉浦千畝オペラ合唱団
合唱指揮:中橋太郎左衛門
演 出:鳴海優一
制 作:東京オペラプロデュース
主 催:杉原千畝物語 オペラ「人道の桜」制作委員会
【出演】
杉原千畝:大貫史朗
杉原幸子:新南田ゆり
大橋忠一:角田和弘
二シュリ:織部玲児
バルハフティック:土崎 譲
はる:正岡美津子
サラ:勝倉小百合
ベンジャミン:中村祐哉
アンナ:辰巳真理恵
リンゴ売り娘:みすぎ絹恵

 杉原千畝(すぎはらちうね/1900〜1986)は、早稲田大学に学び、旧満州国在任の外交官となり対ロシア外交に手腕を発揮したが、第二次世界大戦前にソ連に入国を拒否されたためフィンランドに赴任、1939年にリトアニアの在カウナス日本領事館に着任した。当時のカウナスには日本人はまったくいなかったという。ドイツのポーランドに侵攻により第二次世界大戦中が始まり、リトアニアがソ連に併合されていく中で、ロシア事情に詳しい千畝は対ロシアの諜報活動に当たっていた。ところが戦乱の最中、増え続けるユダヤ系難民が、ロシア経由で日本に逃れるための通過ビザの発給を求めて日本領事館に押し寄せることになった。千畝は領事館が閉鎖されるまでの間、日本外務省の命令(その背景には日独伊三国軍事同盟がある)に反し、人道的な立場から難民たちにビザを発給し続け、およそ6000人の難民を救ったのである。難民達の一部はシベリア鉄道でウラジオストクへ、そして日本にまで辿り着いている。やがて、リトアニアはドイツに併合され国内のほとんどのユダヤ人が虐殺された(その数19万5000人とも)。その後再びソ連に併合され、戦後はソ連を構成する共和国の1つとなった。再び独立するのはソ連崩壊に伴う1990年のことである。
 リトアニアの日本領事館が閉鎖された後の千畝は、戦渦の吹き荒れるヨーロッパの各地を転々として諜報活動に当たっていた。1945年に第二次世界大戦中が終結した後、一時はソ連軍に拘束されたが、1947年に帰国することができた。しかし外務省から事実上解任され、名誉を失ったまま在野の人となる。1968年になって、千畝のビザに救われたニシュリ(イスラエルの参事官になっていた)が千畝を探し出して再会を果たし、翌年にはイスラエルの宗教大臣になっていたバルハフティクと再会する。1980年代になってようやく、千畝に対する再評価の機運が徐々に育ち、1985年にはイスラエル政府から表彰された(ヤド・バシェム賞)。日本国政府による公式の名誉回復がなされたのは、千畝の死後、2000年のことである。

 杉原千畝の物語は、1980年代から少しずつ、テレビのドキュメンタリーやドラマ、あるいは演劇やオペラなどで紹介されるようになってきた。2015年の唐沢寿明さんが主演した映画『杉原千畝 スギハラチウネ』は記憶に新しいところだ。

 本日鑑賞したオペラ「杉原千畝 物語 オペラ『人道の桜』」も2015年に初演された新作である。作曲家の安藤由布樹さんの構想に基づき、ソプラノ歌手で多方面の活躍をしている新南田ゆりさんが台本を執筆、子供でもわかるような平易な台本に安藤さんが作曲して全2幕のオペラにした。千畝の研究者や研究団体も協力して、できる限り史実に基づく作品とした。
 世界初演は2015年5月12日、リトアニアの首都ビリニュスの国立ドラマ劇場にて行われた。7月26日には早稲田大学大隈講堂にてピアノ伴奏にて日本初演。12月5日には品川きゅりあん大ホールにてオーケストラ版で舞台初演されている。
 本日は、そのオーケストラ版舞台の再演で、昼夜の2回公演である。本作主催の中心的な人物の一人である新南田さんとは以前からの知り合いなので、当然2015年の初演の時から声をかけていただいたのだが、両日ともスケジュールが合わずに残念な思いをしていた。今回再演が成ることになり、私も今回こそはと他のコンサートもすべてキャンセルして、ようやく観ることができたものである。しかも新南田さんには最前列の指揮者の真後ろの席を用意していただいた。嬉しい限りである。

 「杉原千畝 物語 オペラ『人道の桜』」は全2幕のオペラで、前記の通りの千畝の生涯を時系列的に辿るストーリーになっている。
 第1幕は、千畝が早稲田大学に入学する日から始まり、満州国の書記官に赴任してロシア相手に北満鉄道の買い取り交渉を成功させる。日本に帰ってきて、友人宅で妹の幸子と知り合い結婚する。外交官となってリトアニアに赴任すると、ユダヤ人迫害の問題に直面、二シュリやバルハフティックと会って、悩んだ末に幸子と話し合いってビザの発給を決意、リトアニアを離れるまでビザを書き続ける。
 第2幕は、千畝のビザに助けられたユダヤ難民たちが日本の敦賀に辿り着くところから始まる。難民たちは日本人の親切さに「まるで天国のようだ」と喜ぶ。終戦後、千畝夫妻は日本に帰ってくるが、千畝は外務省から解雇されてしまう。一方、千畝のビザで命を救われた難民たちは世界中に散り散りになっていたが、命の恩人であるSENPO(千畝が発音しにくいので、リトアニアではセンポと名乗っていた)を探し始める。ニシュリはようやく千畝と再会することができ、イスラエルの宗教大臣になっていたバルハフティクは千畝に「ヤド・バシェム賞」を贈り称える。千畝の死後、母校の早稲田大学がリトアニアの首都にモニュメントを立て、250本の桜を植樹した。それが「人道の桜」として今、満開になっている。

 新南田さんによる台本は、千畝の妻幸子(新南田さん自身が演じている)が語り手となって進められる形になっている。ナレーションによる物語の背景の説明や進行と、台詞回しによるドラマ部分があり、その間に音楽があるわけだが、第1幕が15曲、第2幕が14曲に及ぶ。独唱、二重唱から合唱まで、様々な形の楽曲に彩られていた。確かに、台本も非常に分かりやすいし、楽曲も比較的平易な調性音楽で書かれていて、子供にも分かるように、というコンセプトが貫かれている。

 音楽自体はピアノ伴奏版が主体となっていて、それを管弦楽な拡大して編曲したという感じが残っていた。ピアノも重要なパートとして加わっていて、中にはピアノのソロ(乙女の祈り〜バダジェフスカ作曲〜リトアニアに隣接するポーランドの作曲家)まであった。新しい音楽について言葉で説明するのは難しい・・・・というよりは不可能・・・・と思われるので割愛させていただくが、印象に残った楽曲もいくつかあるのであげておこう。
 第1幕で、千畝と幸子の出会いのシーンでの二重唱「初めての出会い」。ロマンティックなワルツの調べが美しく、全編を貫く深刻な物語の中で、希望に満ちた抒情性を鮮やかに描き出していた。第1幕の終盤は緊迫感が迫り、リトアニアを去らなければならなくなりもうビザを書けなくなってしまった千畝のアリア「どうか生きて」は胸に迫るものであった。
 第2幕では幸子のアリア「日本を離れて11年」と千畝のアリア「間違っていたというのか?」は心情の吐露を劇的に歌う。幸子のアリア「歌曲集『幸子』より」は、幸子が実際に作った和歌に曲を付けたもので、切ない心情が切々と歌われている。最後に全員で歌う「人道の桜」は、千畝の功績を称えるもので、感動的な音楽と合唱の持つ力が合わさって、涙なしには聴いていられなかった。

 ピットに入ったオーケストラは、この再演のために編成された「杉浦千畝メモリアルオーケストラ」で、第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1という弦楽5部編成に、フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各1、パーカッション2、そしてピアノが入る。ピアノは今回も安藤さん自身による演奏となっている。
 出演されたオペラ歌手の皆さんは、新南田さんの他には知る人がなく、歌唱がどうであったかについては、あまりコメントする立場ではない。純粋な意味で、オペラ作品としての仕上がりはまあまあといったところだろう。

 しかし本作の場合は、やはり作品の持つ力を評価すべきだと思う。会場に来られていた方々は決してオペラ・ファンでもクラシック音楽マニアでもなく、あくまで「杉原千畝物語」を鑑賞しに来られていた方が多かったようだ。歌手の歌がどうの、オーケストラの演奏がどうの、演出がどうの、といった論評をしてもあまり意味がないように思う。しかしながら会場に充満していた、何ともいえないチカラがあって、そこにいる人たちの心を揺さぶってくる。どこかの国の総理大臣のように「感動した!」などと安っぽい言葉で表現したくはない、もっと次元の高い気持ちの昂ぶりを感じたものである。もちろん、千畝の行為自体が強く訴えかけるチカラを持っているし、物語そのものも感動的だ。しかしそれを表現する方法として、言葉と人が生み出す音楽とがうまく融合したとき、読み物や映画から得られるものとは違った、より高い次元の感動を得ることができたのだと思う。それこそがオペラという表現芸術の持つ力なのだろう。

 会場では様々な関連グッズを販売していた。本作のヴォーカル・スコア(厚さ1cm/200ページに及ぶ立派な印刷物)を売っていたので、記念にもなるし、後の研究材料(?)にもなるので買い求めた。表紙をめくったところに安藤由布樹さんと新南田ゆりさんのサイン入りであった。スコアは全編の歌唱部分とピアノ伴奏譜が載っているもので、オーケストラ版ではなかったのが残念ではあるが、このスコアがあれば、この先何処ででもピアノ伴奏で上演することができるわけで、価値あるものになりそうだ。


 終演後、ロビーが出演者やスタッフの皆さん、関係者の方々でごった返して大変なことになっていた。何とか新南田さんを見つけてご挨拶と記念写真。桜色のお着物は、幸子が着ていた舞台衣装のままである。



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