Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

9/28(月)ロンドン交響楽団/ペライアの「絶品」モーツァルトP協24番/ハイティンクの「完熟」マーラー4番

2015年09月28日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
ロンドン交響楽団 日本公演 2015
London Symphony Orchestra Japan Tour 2015


2015年9月28日(月)19:00~ サントリーホール S席 1階 3列 23番 32,000円
指 揮: ベルナルト・ハイティンク
ピアノ: マレイ・ペライア*
ソプラノ: アンナ・ルチア・リヒター**
管弦楽: ロンドン交響楽団
【曲目】
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491*
マーラー: 交響曲 第4番 ト長調**

 今年2015年のKAJIMOTO主催の「ワールド・オーケストラ・シリーズ」は、6月のハンブルク北ドイツ放送交響楽団、9月のロンドン交響楽団、11月にベルリン・ドイツ交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という4つのオーケストラの来日公演である。4回の公演をS席で聴くと合計で100,000円というとんでもない金額になる。中でももっとも高額に設定されているのが、本日の公演、ロンドン交響楽団のコンサートだ。もっともこれには指揮者やソリストのギャラも含まれているとは思われる。それにしても1回のコンサートで32,000円というのは、なかなか銀行の残高に影響を及ぼす金額だ。したがって、その価値に見合った演奏会であることを切に願う次第である。

 今回のロンドン交響楽団の日本公演ツアーは、今日の東京/サントリーホールでの公演を皮切りに、9月30日・川凬、10月1日・東京/NHK音楽祭、10月3日・京都、10月5日・東京/都民劇場とスケジュールが組まれ、これらのコンサートを指揮するのは巨匠ベルナルト・ハイティンクさんである。彼については今さら何も語るべきことはないだろう。今回のツアーでは指揮者を務めているが、彼はロンドン響とは長い共演関係にあるものの、公式の地位に就いたことはない。持ってきた主なプログラムは、マーラーの交響曲第4番、ブルックナーの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第1番。年齢を感じさせない重量級のプログラムだ。そしてこれらのすべての公演で、ソリストとして参加しているマレイ・ペライアさんがピアノ協奏曲を弾く。用意されているのは、モーツァルトの第24番と、ベートーヴェンの第4番である。結構な金額なだけに、豪華なプログラムであることはたしかだ。ツアーでは他にも9月27日・大阪、10月4日・横浜で、「Final Symphony II -music from FINAL FANTASY V, VIII, IX, and XIII」という企画コンサートが行われる。

 さて今日のプログラムは上記の2曲のみ。前半はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番である。全体のテンポは遅めの設定で、序奏の重苦しい雰囲気はコレがモーツァルト? というくらいの重厚な滑り出し。主部に入りペライアさんのピアノが入って来る。その音色がまた何とも言いようのない、滋味に溢れた柔らかく優しい音色で、音楽的な奥行き感も素敵だ。本来は機能的で硬質な音のスタインウェイからは信じられないほどの温かみある音を引き出している。モーツァルトの時代にはなかったビアノで、実にモーツァルトっぽい音を聴かせてくれる。昔はこういうピアニストが多かったように思うが、最近の「現代的」にモーツァルト像とは一線を画するものがある。
 やや遅めのテンポであればこそ、ひとつひとつの音がしっかりとした意味を持って構築されていて、アクの強くない演奏ではあるが、聴く者の多くに共感をもたらすような自然な佇まい。極めつけの「純音楽」である。カデンツァも技巧的な部分など微塵も感じさせずに、人間味溢れる表現力を見せていた。
 第2楽章は緩徐楽章。マライアさんのピアノが訥々とした雰囲気で、抒情的な主題を歌い上げるとオーケストラも比較的淡々とした感じだ。余計な感情移入はせずに、あくまで純音楽としての、美の追求である。ロンドン響も木管群の優しい音色がピアノと絡み合い、美しいアンサンブルを創り出していく。
 第3楽章は奏曲形式。ピアノが提示する主題がオーケストラによって変奏されていく。ハ短調という調性で、幾分力感を増し、ほの暗く燃えるようなイメージが描き出されていく。しかし、強奏になっても、あるいは悲劇的な主題を弾く際でも、ペライアさんのピアノはギリギリのところで抑制的であり、ピアノを十分かつ適切な音量で成らしているのに、極めて自然で柔らかな音色を保っている。協奏曲は3列目のセンターピアノの正面で聴いているのに、ピアノの音が大きすぎず、小さくなることもなく、まるでCDでも聴いているような、絶妙のバランス感覚。正直な感想は「ペライアさんって、上手いもんだなァ」。見事な演奏であった。

 後半はマーラーの交響曲第4番。私はマーラーの音楽については苦手意識が強いのだがその最大の理由は曲が長いことだ。この第4番はマーラーの交響曲の中では比較的短い方なので何とかついていける・・・。今日の演奏では、ハイティンクさんの指揮がやや遅めのテンポ設定に終始したため、演奏時間は60分を超えていた。
 第1楽章シャンシャンシャンという序奏に続いてヴァイオリンが第1主題をスッキリとした美しさで提示。第2主題はチェロがロマンティックに歌う。息の長い主題は歌謡的であり、この曲がもともと交響的歌曲(管弦楽版の歌曲)をから発展するカタチで4楽章の交響曲になったことにも由来するのだろう。フルートやオーボエも牧歌的で伸びやかである。ロンドン響の演奏は極めて完成度の高いソツのないもので、各パートの演奏能力が高い。英国のオーケストラらしく、各楽器本来の音色が美しく、クセのないアンサンブルである。比較的クライマックスの少ないこの曲の中で、第1楽章には山場が2回。そこでの瞬発力はなかなかのものだが、ハイティンクさんは比較的抑制的に音楽を作っていた。
 第2楽章はスケルツォに相当するが、諧謔的であっても穏やかな楽章である。コンサートマスターが調弦を変えたヴァイオリンに度々持ち替えて、調子がはずれたようなソロを弾く。このふざけた感じと皮肉っぽさが面白い。ホルンが質感の高いソロを聴かせ、そこにそのヴァイオリンが絡む。
 第3楽章は緩徐楽章。有名な第5番のアダージェットにも通じるような、穏やかで、心に染み入るような美しい旋律が、ヴァイオリンによって歌われる。この主題も息が長く、歌謡的であることはいうまでもない。変奏曲形式なので、変奏が繰り返されるうちに何回かのクライマックスが訪れる。しかしそこでも抑制的な姿勢は保たれていて、盛り上げ方もほどほどであったが、最後のクライマックスは、最弱音から一気に立ち上がり、一瞬のドラマティックな面を見せた。
 第4楽章にはソプラノ独唱が加わる。「少年の不思議な角笛」から歌詞が採られている。ソリストはアンナ・ルチア・リヒターさん。スラリとした華奢な体型の小顔美人である。指揮者の上手側の位置で歌ったので、ちょうど目の前であった。リヒターさんの歌唱はまさに天使のような透き通った美声で、この曲の歌唱にはピッタリであった。美しい旋律と美しい歌唱。ロンドン響の演奏も極めて繊細で、天井の音楽のように清冽な響きであった。私のようにマーラーが苦手とは言っても、美しいものは美しい。とても素敵な演奏であった。
 専門家からみれば、この第4楽章のために3つの楽章が有機的に機能しているというのだが・・・・私にはどうしてもこの第4楽章だけが独立した歌曲に聞こえてしまうのである。もっとマーラーを勉強しなければならないのであろう。

 アンコールもなく、たった2曲のコンサートであったが、カーテンコールも長く続いたし、2曲ともテンポが遅めであったことも手伝ってか、終わってみれば21時半近かった。
 巨匠ハイティンクさんといっても音楽は謙虚で、押し出しも強くはない。楽曲の持つ「真実」を素直に追求して表現した、というイメージの演奏であった。純音楽の「美」を純粋に追求した音楽。ロンドン響のクセのない見事な演奏とともに、「美」を心ゆくまで堪能することができた一夜である。

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9/27(日)東響「名曲全集」イブラギモヴァ「流麗」モーツァルトVn協3番/ピツァラ「疾走」ベートーヴェン7番

2015年09月27日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
東京交響楽団 名曲全集 第110回

2015年9月27日(日)14:00~ ミューザ川崎シンフォニーホール S席 1階 C5列 6番 5,400円(会員割引)
指 揮: パトリチア・ピツァラ
ヴァイオリン: アリーナ・イブラギモヴァ*
管弦楽: 東京交響楽団
【曲目】
メンデルスゾーン: 序曲「フィンガルの洞窟」作品26
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216*
《アンコール》
 J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ短調 BWV.1006より「ガヴォット・アン・ロンドー」*
ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 作品92
《アンコール》
 ベートーヴェン: 交響曲第7番 イ長調 作品92 第4楽章よりコーダ

 久しぶりに東京交響楽団の「名曲全集」を聴く。昨年2014年6月の第98回以来となる。今日のお目当ては、何といってもアリーナ・イブラギモヴァさんによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番だが、指揮者のパトリチア・ピツァラさんも初来日の若手女性指揮者ということで注目の的になっている。ふたりとも本日だけの登場だけに、かなり期待を集めていたとみえて、気がついてみれば会場には友人知人など知った顔が多く集まっていた。

 1曲目はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。登場したピツァラさんはポーランドの出身。1983年の生まれで32歳という若さだ。スラリと背が高く、美しい金髪を頭の上で丸めていた。颯爽と歩いてきて、指揮台にピョンと飛び乗り、元気いっぱいである。
 演奏の方は、なかなかシャープで歯切れが良い。ストレートなリズム感とメリハリの効いた表現だが、剛直にならずにしなやかさを併せ持っているところは、女性的な美点だろう。また、繊細な弦楽のアンサンブルとクセのない美しい木管群の響きは東響ならではのものだ。ただ、このミューザ川凬のホールは、1階で聴いていると低音やティンパニなどの打楽器がこもるように聞こえてしまいスッキリしないところがある。しかも今日は弦楽が対向配置で、第1ヴァイオリンの奥にチェロとコントラバスがいる。私の席は左側のブロックだったので、低弦とティンパニが第1ヴァイオリンの後ろ側から壁伝いに回ってくるような感じで強く聞こえすぎてしまい、メリハリを効かせ、アクセントを付けるのがかえって煩わしくなってしまったのが惜しい。これは聴く位置の問題だと思われるので、演奏家のせいではない。この序曲の段階では、ピツァラさんの印象はなかなか良いではないか、というレベルだった。

 2曲目はモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第3番」。アリーナさんの登場だ。彼女ももう何度も聴いているが、実は協奏曲を聴くのは初めてなのである。正直に言ってしまえば、本当はモーツァルトではなく、もっと大きな協奏曲を聴かせて欲しかったのだが、今回の来日ではこの後、10月1日~3日の3日連続でモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が王子ホールで予定されている。だから徹底してモーツァルトということになる。王子ホールにも聴きに行くことになっているので、今回はモーツァルトにとことん付き合うことになった。
 第1楽章、オーケストラがソナタ形式の主部で主題を提示していく。東響らしい澄んだアンサンブルだ。主部が繰り返されソロ・ヴァイオリンが入って来る。アリーナさんのヴァイオリンは独特の音色を持っていて、懐かしい思いで聴き入ってしまう。少なめのヴィブラートと滑らかなレガート。音質は澄んでいる。リズム感はストレートで、身体を大きく回転させて独特のリズムの取り方をする。決して音量が大きいわけではないが、弱音も明瞭でよく通るので、ダイナミックレンジが広くなり、結果的にはメリハリの効いた音楽になる。キレの良い演奏をしているのに、本人の性格から来るのだと思うが、どこかおっとりとした柔らかさがあって、聴く者をホッとさせるものがあるのも魅力のひとつだ。
 第2楽章は緩徐楽章。抒情的な主題がソロ・ヴァイオリンによって穏やかに歌われていく。押し出しは決して強くないのに、その独特の音色によってオーケストラからに自然に浮かび上がってくる。そういう意味では、アリーナさんのヴァイオリンはかなり個性的なのである。東響のクセのないアンサンブルとも鮮やかな対比を創り出していた。弱音から始まるカデンツァの繊細な音に、会場全体が耳をそばだてて聴き入るのが分かる。
 第3楽章はロンド。オーケストラに続いてソロ・ヴァイオリンが主題を弾いていく。柔らかく弾むようなリズムはちょっと控え目な躍動感を生み出す。明瞭で陽性な音色も初夏に若葉が芽吹くような清々しい生命力を感じさせる。ロンド主題に挟まる部分では、オーケストラとの掛け合いや短調に転じた時の色彩感など鮮やかな変化を見せる。突出したイメージではないが、さりげなく、それでいて十分に個性的で、不思議な存在感がある素敵な演奏であった。

 アリーナさんのソロ・アンコールは、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番」から有名な「ガヴォット・アン・ロンドー」。無伴奏になると、急に自由度が増して、さらに独特の活き活きとしたリズム感となり、鮮やかで華やかな演奏。こちらも十分に個性的で素晴らしい。

 後半はベートーヴェンの「交響曲第7番」。『のだめカンタービレ』(コミック/テレビドラマ/アニメ)がブームになった時、やたらにコンサートのプログラムに載ったものだが、気がついてみると最近あまり聴いていない。一時のブームのせいで日本では誰でも知っている超有名曲になってしまっているだけに、外国人であるピツァラさんにとっては腕の見せ所になる。
 第1楽章。壮大な序奏は冒頭こそ重々しく始まったが、テンポが上がるとリズム感が引き締まり、ハギレの良い音楽に変わっていった。ソナタ形式の主部に入ると、やや速めのテンポで、グイグイと押し進められていく。ピツァラさんの指揮は、アクセントが拍の手前にあるような感じで、実に活き活きとしている。東響側も良いリズム感で追従していく。リズムを刻むホルンなど必至な感じが良い。提示部をリピートして展開部へ。徐々に盛り上がっていき全合奏のクライマックスを迎えるが、ここはそれほど大袈裟に盛り上げないで、疾走するリズム感で駆け抜けて再現部に突入していく。コーダはなかなか素晴らしい盛り上げ方で疾走するテンポ感は最後まで崩れなかった。
 第2楽章は緩徐楽章だがAllegretto。低弦が主題を重々しく提示する。変奏的に繰り返されてヴァイオリンが乗ってくる辺りからリズムに力強い推進力が生まれてきて、大きく盛り上がっていく。中間部はクラリネットもオーボエもフルートもホルンも質の高い音色で抒情的に聴かせる。主題が帰って来て、弱音から徐々に厚みを増すフガートの弦楽も透明感のある音色で美しい。
 第3楽章はスケルツォ。やや速めのテンポを一定に保ちながら、グイグイと押し進めていく。途中をあまりいじらずに、ストレートな表現は好感が持てる。中間部のぐっとテンポを落とし、こちらは曲想に合わせてテンポを変え、ドラマティックに盛り上げている。2度目のトリオ部のクライマックスは殊の外壮大だった。再度主部に戻ると快走するテンポが戻り、大きなダイナミックレンジとともに劇的な盛り上がりだ。
 第4楽章はかなり速めのテンポ設定で、熱狂する感覚を盛り上げて行く。疾走するテンポ感はティンパニの刻むリズムに現れていて、第1主題の前のめりの感じが実に若々しく迷いがない。とにかく速いテンポでひたすら突っ走る感じが、ピツァラさんが「私は若いのよ!」と主張しているようで、聴いていても気持ちがよい。コーダのクライマックスまで、ひたすら走り続けてのフィニッシュであった。この熱狂は聴衆に見事に伝わり、大喝采となった。いつまでも鳴り止まない拍手に応えて、ピツァラさんも大感激で急遽アンコール。もともとまったく用意していなかったようで、第4楽章のコーダを文字通りアンコール(もう一度)!! 熱狂をもう一度繰り返した。
 若いピツァラさんの初来日は大成功。選曲が良かったこともあるが、満席のミューザ川崎シンフォニーホールに熱狂の渦をもたらしたのは、やはり元気いっぱいの音楽作りだったのだと思う。前に向かって突き進み、後ろは決して振り返らないというようなひたむきな感性が満席の聴衆に共感となって伝わったのである。ピツァラさんの次の来日が楽しみだ。聴き終えて気分の良い、実に素晴らしいコンサートになった。

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9/26(土)女神との出逢い/三浦友理枝/クリスタルの煌めき/ラヴェル・ピアノ作品全曲演奏会《第2夜》

2015年09月26日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
土曜ソワレシリーズ/女神たちとの出逢い
三浦友理枝/ラヴェル・ピアノ作品全曲演奏《第2夜》


2015年9月26日(土)17:00~ フィリアホール S席 1階 1列 10番 7,500円(シリーズセット券)
ピアノ: 三浦友理枝
【曲目】
ラヴェル: 前奏曲
ラヴェル: 古風なメヌエット
ラヴェル: 組曲「鏡」
     1.蛾 2.哀しい鳥たち 3.海原の小舟 4.道化師の朝の歌 5.鐘の谷
ラヴェル: 亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル: グロテスクなセレナード
ラヴェル: ハイドンの名によるメヌエット
ラヴェル: ポロディン風に・・・
ラヴェル: シャブリエ風に・・・
ラヴェル: 組曲「クープランの墓」
     1.前奏曲 2.フーガ 3.フォルラーヌ 4.リゴドン 5.メヌエット 6.トッカータ
《アンコール》
 ラヴェル: ハバネラ形式による小品

 横浜市青葉区のフィリアホールで開催されている「土曜ソワレシリーズ/女神たちとの出逢い」。今年度前期シリーズの第5回は、前回(2015年7月4日)に引き続き三浦友理枝さんのピアノ・リサイタルで、「ラヴェル・ピアノ作品全曲演奏」の第2夜である。


 1曲目は「前奏曲」。コンサートの幕開けはプレリュードである。短く単純な旋律に奥深い和声が絡む。見失せサンのピアノは淡々とした佇まいだが、音の透明感には独特のものがある。
 2曲目は「古風なメヌエット」。形式的には古典的な三部形式の舞曲だが、不協和音を含む和声の組み立てやヒラメキに満ちた音の飛び方などはまったく古風ではない。演奏はやや抑制的で、「古風」なイメージを重視しているようであったが、ヒラメキの感性は色鮮やかで、近代的な雰囲気と融合させている。
 前半のメインは、組曲「鏡」。第1曲の「蛾」から、キラキラと煌めくような音の粒立ちと転がるように流れが極めて美しい。夜の灯りに蛾が群がり、鱗粉を散らして飛び回る・・・・。明瞭な旋律を描き出さずに、分散された厚い和音の流れが太い旋律線を描き出しているような演奏だ。「哀しい鳥たち」は低音部の淡々とした穏やかな流れと高音部の鋭いタッチの煌めきが鮮やかな対照を描き出している。「海原の小舟」は波しぶきに陽光が煌めく海面のような、光彩に満ちた印象派風の演奏がお見事。情景描写的でありながら、ドラマティックに物語が展開していくような、映像が目に浮かぶような音の流れである。「道化師の朝の歌」は独特のリズムが軽快に刻まれ、絡みつく主題が大胆に跳ね回る。中間部は内省的な雰囲気が漂う。再び現れる、何かに追い立てられるようなリズムやグリッサンドが神経質な音楽を創り出していく。最後の「鐘の谷」は沢山の鐘が次々と呼応して鳴り響く様子が、複雑な和声で異なる鐘の音を描き出していく。心の鏡に映し出された心象風景であればこそ、三浦さんのピアノには描写的というだけでなく、鐘の音を聞く人の心情が描かれているようであった。

 後半の1曲目は「亡き王女のためのパヴァーヌ」。この曲は三浦さんの演奏で何度も聴いているが、いつも感じるのは、こういう有名な曲に限って、むしろ突き放したように淡々と描いていることだ。もっとねっとりと抒情的に演奏することもできるはずなのに、意外にクールである。
 2曲目は「グロテスクなセレナード」。17,8歳の時の曲だと言うが・・・。セレナードという曲種にしてはあまりにもグロテスク。三浦さんの演奏は、和声の厚みに加えて強い打鍵によるアクセントが加えられて、グロテスクさを強調している。
 3曲目は「ハイドンの名によるメヌエット」。HAYDNを音名に置き換えたシラレレソを主題として、古典的なメヌエットにする辺りがラヴェルのエスプリか。美しい旋律が透明な音色で弾かれていく。
 4曲目は「ポロディン風に・・・」。ラヴェルがボロディン風の様式を模して作った曲。
 5曲目は「シャブリエ風に・・・」。グノーの「ファウスト」から主題を取ってパラフレーズをシャブリエが作ったらこんな風になる・・・・という曲。ラヴェルはアタマの良い作曲家で、こういう洒落たことをする。三浦さんの演奏もシャブリエ風に・・・・。
 プログラムの最後は後半のメイン曲で、組曲「クープランの墓」。「前奏曲」は明確な旋律線が見えない細かい音の集まりのようだが、流れの中で大きく太い旋律が見えてくる。目まぐるしい音の奔流だが、三浦さんのピアノは細部まで神経が行き届いていて、鮮やかに煌めくようであると同時に、大らかな旋律が浮かび上がっていた。「フーガ」は大変複雑な構成の3声で、アタマの良いラヴェルならではの音楽である。極めて論理的な構造を持ちながら、それをまったく感じさせない小粋な音楽。三浦さんはシンプルな響きを重ねていき印象主義的な光が乱反射して絡み合うような心象を描き出していく。「フォルラーヌ」はゆらゆらと揺れるようなリズムと不協和音が効果的に使われていて、現代的で先進的な響きを持つ。複雑な和声をクリスタルの輝きのように聴かせる三浦さんの演奏手法もお見事。高音域がとくに美しかった。「リゴドン」は、立ち上がりの明瞭なクッキリとした音作りで、弾むようなリズムも高揚感がある。中間部に入ると色彩が変わるような鮮やかな変化を見せる。「メヌエット」は古典的な舞曲のリズムに美しく抒情的な旋律を乗せていく。透明度の高い音色だ。中間部は複雑な和声の中から不思議な印象の旋律を浮かび上がらせている。「トッカータ」は終始連続する16分音符の連打が特徴的なトッカータのリズムを叩き出し、その上に煌めくように、あるいは流れるような旋律がかぶせられていく。技巧的にも難度が高いが、三浦さんのピアノは力強いリズム感と透明な音色で壮大なクライマックスを創り出した。
 アンコールは「ハバネラ形式による小品」。エキゾチックなスペインの熱い空気感が伝わってくるようだ。

 7月に続く2回のリサイタルで、ラヴェルのピアノ作品の全曲演奏となった。三浦さんのピアノの最大の特徴は、澄んだ音色であろう。透明な水に光が乱反射するようなイメージもあるが、私にはもっと硬質な、クリスタルのような透明感を感じるのである。これは聴く度に強く感じられたことだし、またCDなどの録音を聴いてもその印象は変わらない。この特性が最も活かされるのがラヴェルなのだと思う。
 今回も使用されたピアノはヤマハのCFX。ホール所蔵のスタインウェイではなく、ラヴェルに適した音を求めて敢えて持ち込んだものだという。ご自身もラヴェルの「音」にはかなりのこだわりを見せているようだ。今回の全曲演奏会は、その意味では三浦さんにしかできない、素晴らしい感性の集大成になったように思う。

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【お勧めCDのご紹介】
 前回に引き続き、三浦友理枝さんの「ピアノ協奏曲 ト長調~ラヴェル ピアノ作品集」をお勧めします。今日のリサイタルで演奏された曲目としては、「亡き王女のためのパヴァーヌ」と「古風なメヌエット」が収録されています。

ピアノ協奏曲 ト長調~ラヴェル ピアノ作品集
三浦友理枝,ラヴェル,シェ(ケン),オーケストラ・アンサンブル金沢
エイベックス・クラシックス

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9/23(水・祝)成田達輝&萩原麻未デュオ/千葉/エスプリに満ちたフランス音楽を洒落っ気たっぷりに

2015年09月23日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
千葉県文化振興財団設立30周年記念
Premium Classic Series Vol.23
成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル


2015年9月23日(水・祝)14:00~ 千葉県文化会館・大ホール S席 1階 2列 25番 3,500円
ヴァイオリン:成田達輝
ピアノ:萩原麻未
【曲目】
ルクレール: 12のヴァイオリン・ソナタ 作品9 より第3番 ニ長調
フランク: ヴァイオリン・ソナタ イ長調
プーランク: ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 三品119
サティ: 右と左に見えるもの(眼鏡なしで)
    1.偽善者のコラール 2.フーガ(手探りで) 3.筋肉的なファンタジー
ミヨー: 屋根の上の牡牛
    (ヴァイオリンとピアノのための《シネマ・ファンタジー》作品58b)
《アンコール》
 サラサーテ: カルメン幻想曲 作品25
 クロール: バンジョーとフィドル

  千葉県文化振興財団主催の「プレミアム・クラシック・シリーズ Vol.23」は、ヴァイオリンの成田達輝さんとピアノの萩原麻未さんによるデュオ・リサイタル。いかにもフレッシュな音楽が聞こえて来そうなおふたりである。
 成田さんは1992年生まれの23歳。2009年の第78回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第2位を獲得し、翌年からフランスに留学、パリ国立高等音楽院に学んだ。2010年のロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第2位とサセム賞、2012年のエリザベート王妃国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第2位とウージェーヌ・イザイ賞などの受賞歴がある。若手男性ヴァイオリニストの筆頭成長株といったところだ。
 萩原さんは1986年生まれの28歳。2005年からフランスに留学し、パリ国立高等音楽院などで研鑽を積んでいる。1位を出さないことが多いことで知られるジュネーブ国際音楽コンクール・ピアノ部門(2010年)で日本人として初めて優勝したことで話題になった。
 おふたりはツアーで共演したこともあり、パリ国立高等音楽院の同窓ということもあって気心は知れているのだろう。コンサートは終始和やかな雰囲気であった。曲目を見れば分かるように、オール・フレンチ・プログラムである。おふたりのフランス留学の成果が楽しみなコンサートであった。
 ただし、会場の千葉県文化会館の大ホールは音響が悪く、ピアノも古くて鳴らないし、聴衆のマナーも良くない(音楽が鳴っているとき以外はずっとおしゃべりしているオバサンたちや、遠慮なく大きな咳やらくしゃみなどすしたり、チラシやプログラムをガサゴソガサゴソしたり)ので、私にはストレスが多いのが難点なのである。

 1曲目はルクレールの「12のヴァイオリン・ソナタ 作品9」より第3番。ジャン=マリ・ルクレール(1697~1764)はフランスの作曲家で、バロック期に当たり、フランスのヴァイオリン・ソナタの様式を確立した人とされる。この曲は、緩-急-緩-急の4楽章の教会ソナタの形式だが、後半のふたつの楽章はフランス風の舞曲になっている。
 演奏が始まって感じたのは、成田さんのヴァイオリンが実に繊細で美しい音色であることだ。若い演奏家らしい明瞭さもあるが、極めて正確な音程で弱音から強音まで十分に楽器を鳴らしている。フランスっぽい色彩的なイメージではなく、楽器本来の音色の美しさを追求する姿勢が感じられた。もっともバロック期の音楽だからそれほど大きなダイナミックレンジはないので、古楽的な優雅な佇まいを守りつつ、技巧的な面もさりげなくこなしている。どういうわけか、第4楽章の終わりの方になると、成田さんは演奏しながらステージから下がっていき、萩原さんも譜めくりのアシスタントに続きを弾かせてステージからさがってしまい、曲はフェードアウト。さて、どういう主旨だったのかはよく分からないが、何やら楽しいコンサートになりそうだ。

 2曲目はフランクの「ヴァイオリン・ソナタ」。この名曲の美しい主題が成田さんのヴァイオリンの優美な音色で奏でられていくのに、会場はなぜかザワザワと雑音が多くて閉口してしまう。まったく千葉の聴衆ときたら!! それはともかく、成田さんのヴァイオリンが綺麗な音で、抒情性も豊かだが、あまり濃厚ではなく、どこか爽やかで涼やかである。
 第2楽章になると萩原さんのピアノが雄弁に語り出す。鍵盤上を奔放な腕が跳ね回り、見た目通りの自由度の高い演奏だ。フランクの曲は良くできているので、ヴァイオリンとピアノが相殺してしまうようなところがない。いや、これは萩原さんがかなり上手いのだろうか。ピアノが出てくるところではキラキラと星がきらめくような鮮やかさを見せるかと思えば、ヴァイオリンに主題が移るとさりげなく引いていく。成田さんの方を見ながらタイミングを合わせるのにも、萩原さんは本当に音楽を楽しんでいるように目が輝いているのが印象的だった。ダイナミックな第2楽章が終わったところで拍手が入ってしまった。プログラムにもちゃんと4つの楽章が明記されているというのに、千葉の聴衆は!!
 第3楽章は幻想的かつ抒情的な緩徐楽章。ヴァイオリンとピアノのバランスが見事で、ヴァイオリンの主題や経過的なパッセージに対して、ピアノが絶妙のバランスで下を支え、押し上げていく。下からヴァイオリンを少々煽るように、美しいながらも力感のある萩原さんのピアノである。
 第4楽章は、美しいカノン。ヴァイオリンとピアノの追いかけっこが聴き所だが、やはりちょっと煽り気味の萩原さんのピアノが成田さんのヴァイオリンに刺激を与えているようで、スリリングな緊張感があると同時に、おふたりが演奏を楽しんでいるのがよく分かる。どうやら主導権を握っているのは萩原さんの方のようで、テンポを自在に揺らし、感情表現の豊かで、生命の活力に溢れた演奏をする。それに引っ張られるというよりは、背中を押されるようにノリの良い演奏で応える成田さん。阿吽の呼吸、息がピッタリの素晴らしい演奏であった。

 後半はまず、プーランクの「ヴァイオリン・ソナタ」から。近代的な楽想で音楽的には粋な面も見せる一方で、メッセージ性の強い曲でもある。ここで成田さんが実験的な試みを加える。
 第1楽章の過激な第1主題は、ヴァイオリンもピアノも発揮度の高い演奏で、強く押し出して来る。成田さんのヴァイオリンは低音部がやや弱く感じられるが音がキレイなので品があって良い。萩原さんのピアノは自由奔放なイメージで、光彩を放ちながら駆け巡る。
 第2楽章に入る前に、成田さんによる詩の朗読があった。この曲は「ガルシア・ロルカの思い出」と呼ばれ、プーランクの友人でもあり、スペイン内戦で非業の死を遂げたスペインの詩人ガルシア・ロルカに献呈されていて、第2楽章の冒頭にはロルカの詩の一節が引用されている。そのギターを語った詩の朗読であった。
 それに続く第2楽章は、ヴァイオリンの切ないくらいに美しい主題と、ギターによる伴奏を模したピアノによる間奏曲である。甘い感傷と哀しい抒情性が交錯する。このフランスならではの美しさを、ふたりの演奏が情感たっぷりに歌う。
 第3楽章はロルカが銃殺されるシーンを描いたとも言われている、写実的で悲劇的な曲想である。この劇的なエンディングに至る哀しい色調の表現では、成田さんのヴァイオリンも色が暗く変わり、萩原さんのピアノからも笑顔が消えたように明るさがなくなる。曲のもつ意味を知っていれば、今日の演奏の見事さも分かるというものだ。

 続いては、サティの「右と左に見えるもの(眼鏡なしで)」という曲。3つの曲から成っていて、タイトルもヘンテコリンだが、各曲には「偽善者のコラール」「フーガ(手探りで)」「筋肉的なファンタジー」という意味不明なタイトルが付いている。曲自体もふざけたところが満載で、全体がジョークっぽい。つまりはフランス風のエスプリというところなのだろう。演奏の方は・・・・・それなりに技巧的な部分もあるが、まあ選曲の妙、といったところで、楽しい音楽には楽しい演奏の仕方がある、ということで。

 プログラムの最後は、ミヨーの「屋根の上の牡牛(ヴァイオリンとピアノのための《シネマ・ファンタジー》」。こちらもヘンテコリンなタイトルの曲だが、曲自体は全編がラテン系の陽気さを持つ。これはミヨーがブラジルに滞在していたときに現地の音楽に刺激を受けてのこと。サンバのリズムに乗って、陽気な旋律が次々と出てくるが、不協和音や旋律と和声のズレなども効果的に使われていて、その辺りはフランスっぽいセンスに溢れている。
 演奏はひたすら楽しく、ノリノリである。とくに萩原さんのピアノが生命力が溢れんばかりの闊達さで、跳ね回っていた。中間部に突然現れるヴァイオリンのカデンツァでは、成田さんが超絶技巧をこれでもかと見せつける。曲全体はカーニバルのような陽気さとバカ騒ぎみたいなノリの良い音楽だが、これも安定した高度な技巧があってはじめて成り立つ。おふたりの演奏は超絶的な技巧などまったく感じさせない、楽しさいっぱいのものであった。

 アンコールの2曲。まずはサラサーテの「カルメン幻想曲」。前の曲が超絶技巧の長い曲だったので、その後で「この曲はムリ」みたいなことを言っていた成田さんだが、弾き始めれば、これはなかなかパッションの込められた演奏で、技巧的にも疲れを感じさせなかったし、ねっとりとした濃厚な表現力も見事。満場の喝采を浴びた。
 最後はクロールの「バンジョーとフィドル」。ウィリアム・クロール(1901~1980)はアメリカのヴァイオリニストで作曲家。成田さんが現在使用している1738年製ガルネリ・デル・ジェス(匿名の所有者から貸与されている)は、そのクロール自身が使用していたものなのだという。ヴァイオリンがピツィカートで4弦同時の和音を弾く音がパンジョーのように聞こえるのが面白い。対比で、弓を使って弾く旋律は、まさにフィドル風の調子の良いものもあれば、甘く感傷的な旋律も出て来たりして楽しい曲だ。おふたりのノリの良い演奏は、もはやクラシック音楽の枠組みからは少々逸脱しているようにも思えるが、「音楽を楽しむ=音楽で楽しませる」という、ある意味では音楽の本質的なところなのかもしれない。難しい顔をして、哲学的な解釈などを振りかざして聴くものだけがクラシック音楽ではない、ということだと思う。

 成田さんの演奏を聴いたのはだいぶ久し振りで、全開は彼がフランスに行く前のことだったので、その成長著しいのには驚かされた。超絶技巧も安定しているため、全体的に無理のない大らかな演奏になっている。音色も深く艶っぽい。そして男性ヴァイオリニストにありがちな無理矢理力で押し出すようなところがなく、かといって女性よりはふくよかな音を出す。楽曲の解釈・表現にも気負いすぎたところがなく、自然体で素直だ。だから聴いていてもすんなりと受け入れられるようなところがある。今後が楽しみな逸材である。
 一方の萩原さんは、もう一歩進んだ段階にあるようで、自分の世界観を確立しつつある。屈託がなく伸び伸びとしていて、奔放な表現。実に活き活きとしていて、キラキラと輝いているようだ。技巧的にも申し分ないが、技巧を超えた表現の多彩さ、色彩の豊かさが魅力で、これまでの音楽を変える力を持っているように感じる。フランスものは言うまでもないが、ドイツものやロシアものにも新風を吹き込んでもらいたいものだ。こちらも期待度=大のピアニストである。

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【お勧めCDのご紹介】
 成田達輝さんのデビューCDです。その名もズバリ「成田達輝 デビュー!」。内容は、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」、フォーレの「ヴァイオリン・ソナタ第2番 ホ短調 作品108」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28」、パガニーニの「24のカプリース」から「第1番 ホ長調 作品1-1」などです。ピアノはテオ・フシュヌレさん。

成田達輝 デビュー!
成田達輝,テオ・フシュヌレ,カミーユ・サン=サーンス,セザール・フランク,ガブリエル・フォーレ,ニコロ・パガニーニ
SONARE
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9/21(月・祝)読響みなとみらい名曲/諏訪内晶子の完成度の高いモーツァルトVn協奏曲「トルコ風」

2015年09月21日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団/第82回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2015年9月21日(月・祝)14:00~ 横浜みなとみらいホール S席 1階 C2列 14番 4,312円
指 揮: 尾高忠明
ヴァイオリン: 諏訪内晶子*
管弦楽: 読売日本交響楽団
コンサートマスター: 小森谷 巧
【曲目】
リャードフ: 魔法にかけられた湖 作品62
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219「トルコ風」*
チャイコフスキー: 交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
《アンコール》
 チャイコフスキー: 弦楽のエレジー ~イワン・サマーリンの思い出

  読売日本交響楽団の「第82回みなとみらいホリデー名曲シリーズ」を聴く。同じ内容のプログラムで、昨日の「東京芸術劇場マチネーシリーズ」でも行われている。今日の演目で注目すべきは、何と言っても久し振りに国内のオーケストラの定期に客演する諏訪内晶子さんだろう。フィラデルフィア管弦楽団やパリ管弦楽団など、世界の一流オーケストラの来日公演ツアーに参加することが多く、この後も今年2015年の11月にはフィンランド放送交響楽団の来日公演に客演が予定されている。名実ともに日本を代表するヴァイオリニストであることは間違いない。

 1曲目はリャードフの「魔法にかけられた湖」。リャードフ(1855~1914)の音楽自体が演奏されることが少なく、この曲も聴いたことがなかった(と思う)。ロシア5人組以降の作曲家で、本作の初演は1909年。シンデレラの説話をめぐるオペラ作品に向けてのスケッチが管弦楽作品に起こされたもので、単体の交響詩的な性格の音楽だ。おとぎ話の物語の1場面が自然描写も熱くしく情感も豊かに描かれている。この手の音楽を演奏させると、尾高忠明さんは上手い。角のない柔らかなタッチで、透明感溢れるアンサンブルを読響から引き出す。澄みきった湖にうっすらと靄がかかり、それが陽光に照らされて徐々に消えて行く。そんな情景が目に浮かぶようである。

 2曲目は編成をぐっと小さくして、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。諏訪内さんの登場である。凛とした佇まいを見せながらも、絹を引くような滑らかで艶のある音色、懐が深く大きく豊かな音楽性と卓越した技術から来る完成度の極めて高い演奏である。
 第1楽章は、序奏に続いてソナタ形式の主部に入り、ソロ・ヴァイオリンが入って来ると、単なるモーツァルトから諏訪内ワールドへと変わる。そう感じさせるほど、彼女のヴァイオリンは豊かに歌う。今さら言うのもナンだが、極めて正確な音程とくるくると変わる色彩感によって、何と鮮やかなモーツァルトになることだろうか。古典的な典雅な音楽をはるかに超越して、現代そのものの音楽へと変貌させてしまう。完全な純音楽なのだけれども濃厚なロマンティシズムが溢れている、そう感じさせるだけの豊かさいっぱいの演奏だ。安定した技巧で貫禄すら感じさせるカデンツァも見事なものであった。
 第2楽章は緩徐楽章。尾高さんが優しく優雅に主題を提示していく。ソロ・ヴァイオリンが主題を繰り返してていくと、一見して単調にも思えるモーツァルトの緩徐楽章のオーケストラの中から、一段と鮮やかな色彩が溢れ出してくるようだ。諏訪内さんのヴァイオリンは、ここではオーケストラに対しても対等以上の存在感を持ち、光彩を放つ。目指しているのは究極の美音であろうか。とにかく美しく豊かな音楽なのである。
 第3楽章はメヌエットのテンポでロンド形式のフィナーレ楽章である。ロンド主題は古典的な優雅さで提示されオーケストラが繰り返すが、ふたつ目の主題ではソロ・ヴァイオリンがくるくると円を描くように舞う。この流れるような美しさは特筆もので、まさに諏訪内ワールドである。短調に転じる中間部に入ると色彩感も暗転して、ソロ・ヴァイオリンに刺々しさが現れてくる。トルコ風たる所以であろうか。
 諏訪内さんのヴァイオリンは、古典的なモーツァルトを古典派では終わらせない。かといって特別に変わった解釈をするわけでもなく、また強烈に自己主張するわけでもない。それでも、聴き終えて見れば、その豊かさが持つ豊潤な香りで、ロマン派に音楽のような芸術性の発露が耳に残るのである。魂を揺さぶるような感動を呼ぶというタイプの音楽ではなく、聴く者の心を共鳴させる豊かさの音楽。極めて完成度の高い演奏だといえると思う。

 後半は、チャイコフスキーの交響曲第4番。前半のリャードフとモーツァルトに対して、オーケストラの機能性も重要な要素になる曲でろう。最近好調の読響がどのような演奏を聴かせてくれるのか。尾高さんの得意な世界だけに期待も高まる。
 第1楽章は金管の咆哮から始まるが、読響の金管が分厚く、芯の強い力感のある音色で、素晴らしい押し出しを聴かせる。続く弦楽の鋭さと力強さも、なかなかのバランス感覚だ。アクセントを付けるティンパニも重くならないリズム感が良い。第2主題の木管群とヴァイオリンの透明なアンサンブルも素敵だ。クライマックスに至ると、ダイナミックレンジの広い、馬力のある音量を持つ読響らしさが全開になり、ホールに轟音が響き渡る。横浜みなとみらいホールはちょっと低音がこもる感じに響くので、地響きが伝わって来るような迫力になる。尾高さんの指揮は、ある程度節度を保っていて、端正にまとめ上げる上手さと、爆発的なダイナミズムを程良くバランスさせて見事だ。
 第2楽章は緩徐楽章。オーボエの主題が憂いを秘めて切なげに漂う。主題が弦楽に移されると、読響ならではの分厚く力感のある弦楽のアンサンブルが素敵だ。尾高さんがそこに細やかなニュアンスを盛り込んで、情感を深めていく。
 第3楽章はスケルツォ。弦楽がすべてピツィカートである。弱音から最強音まで、けっこう広いダイナミックレンジで、細やかなニュアンスで軽快に飛ばしていく。読響の一糸乱れぬアンサンブルもお見事。中間部の木管群の質感も高く、金管が優しく後押しする。
 第4楽章は派手に全合奏で始まるロンド。突然の大音量に目が覚めるようだ。やや速めのテンポだろうか、駆け抜けていくような疾走感と推進力に満ちている。ロンド形式なので、間に挟まる副主題は穏やかな音楽で対比を鮮やかにする。ダイナミックレンジの広い読響の演奏は、まさに本領発揮で、ロンド主題の爆発的な演奏が効果を高めている。金管群が思い切りよく吠え、シンバルとティンパニと大太鼓が鳴らされると一瞬風圧を感じるようだ。
 今日の第4番の交響曲は、チャイコフスキーの内面に鋭く迫るというようなタイプの演奏ではなかったかもしれないが、読響の持つ機能性を十分に発揮されていたし、ロマン派音楽の情感の発現もそれなりにあったので、素晴らしい演奏だったと思う。尾高さんの指揮は、端正で品格がある。ロシア音楽の荒削りな魅力は感じられなかったが、ロマンティシズムは抑制的に描かれていて、洗練されたチャイコフスキーになっていたと思う。素晴らしい演奏であった。

 アンコールは同じチャイコフスキーで、「弦楽のエレジー」から「イワン・サマーリンの思い出」。哀愁と悲哀に満ち、諦念にも似たロマンティシズムの弦楽合奏。こういう曲は尾高さんの真骨頂だろうか。交響曲第4番よりも、チャイコフスキーの内面に迫って行くものが感じられた。

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