ロンドン交響楽団 日本公演 2015
London Symphony Orchestra Japan Tour 2015
2015年9月28日(月)19:00~ サントリーホール S席 1階 3列 23番 32,000円
指 揮: ベルナルト・ハイティンク
ピアノ: マレイ・ペライア*
ソプラノ: アンナ・ルチア・リヒター**
管弦楽: ロンドン交響楽団
【曲目】
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491*
マーラー: 交響曲 第4番 ト長調**
今年2015年のKAJIMOTO主催の「ワールド・オーケストラ・シリーズ」は、6月のハンブルク北ドイツ放送交響楽団、9月のロンドン交響楽団、11月にベルリン・ドイツ交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という4つのオーケストラの来日公演である。4回の公演をS席で聴くと合計で100,000円というとんでもない金額になる。中でももっとも高額に設定されているのが、本日の公演、ロンドン交響楽団のコンサートだ。もっともこれには指揮者やソリストのギャラも含まれているとは思われる。それにしても1回のコンサートで32,000円というのは、なかなか銀行の残高に影響を及ぼす金額だ。したがって、その価値に見合った演奏会であることを切に願う次第である。
今回のロンドン交響楽団の日本公演ツアーは、今日の東京/サントリーホールでの公演を皮切りに、9月30日・川凬、10月1日・東京/NHK音楽祭、10月3日・京都、10月5日・東京/都民劇場とスケジュールが組まれ、これらのコンサートを指揮するのは巨匠ベルナルト・ハイティンクさんである。彼については今さら何も語るべきことはないだろう。今回のツアーでは指揮者を務めているが、彼はロンドン響とは長い共演関係にあるものの、公式の地位に就いたことはない。持ってきた主なプログラムは、マーラーの交響曲第4番、ブルックナーの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第1番。年齢を感じさせない重量級のプログラムだ。そしてこれらのすべての公演で、ソリストとして参加しているマレイ・ペライアさんがピアノ協奏曲を弾く。用意されているのは、モーツァルトの第24番と、ベートーヴェンの第4番である。結構な金額なだけに、豪華なプログラムであることはたしかだ。ツアーでは他にも9月27日・大阪、10月4日・横浜で、「Final Symphony II -music from FINAL FANTASY V, VIII, IX, and XIII」という企画コンサートが行われる。
さて今日のプログラムは上記の2曲のみ。前半はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番である。全体のテンポは遅めの設定で、序奏の重苦しい雰囲気はコレがモーツァルト? というくらいの重厚な滑り出し。主部に入りペライアさんのピアノが入って来る。その音色がまた何とも言いようのない、滋味に溢れた柔らかく優しい音色で、音楽的な奥行き感も素敵だ。本来は機能的で硬質な音のスタインウェイからは信じられないほどの温かみある音を引き出している。モーツァルトの時代にはなかったビアノで、実にモーツァルトっぽい音を聴かせてくれる。昔はこういうピアニストが多かったように思うが、最近の「現代的」にモーツァルト像とは一線を画するものがある。
やや遅めのテンポであればこそ、ひとつひとつの音がしっかりとした意味を持って構築されていて、アクの強くない演奏ではあるが、聴く者の多くに共感をもたらすような自然な佇まい。極めつけの「純音楽」である。カデンツァも技巧的な部分など微塵も感じさせずに、人間味溢れる表現力を見せていた。
第2楽章は緩徐楽章。マライアさんのピアノが訥々とした雰囲気で、抒情的な主題を歌い上げるとオーケストラも比較的淡々とした感じだ。余計な感情移入はせずに、あくまで純音楽としての、美の追求である。ロンドン響も木管群の優しい音色がピアノと絡み合い、美しいアンサンブルを創り出していく。
第3楽章は奏曲形式。ピアノが提示する主題がオーケストラによって変奏されていく。ハ短調という調性で、幾分力感を増し、ほの暗く燃えるようなイメージが描き出されていく。しかし、強奏になっても、あるいは悲劇的な主題を弾く際でも、ペライアさんのピアノはギリギリのところで抑制的であり、ピアノを十分かつ適切な音量で成らしているのに、極めて自然で柔らかな音色を保っている。協奏曲は3列目のセンターピアノの正面で聴いているのに、ピアノの音が大きすぎず、小さくなることもなく、まるでCDでも聴いているような、絶妙のバランス感覚。正直な感想は「ペライアさんって、上手いもんだなァ」。見事な演奏であった。
後半はマーラーの交響曲第4番。私はマーラーの音楽については苦手意識が強いのだがその最大の理由は曲が長いことだ。この第4番はマーラーの交響曲の中では比較的短い方なので何とかついていける・・・。今日の演奏では、ハイティンクさんの指揮がやや遅めのテンポ設定に終始したため、演奏時間は60分を超えていた。
第1楽章シャンシャンシャンという序奏に続いてヴァイオリンが第1主題をスッキリとした美しさで提示。第2主題はチェロがロマンティックに歌う。息の長い主題は歌謡的であり、この曲がもともと交響的歌曲(管弦楽版の歌曲)をから発展するカタチで4楽章の交響曲になったことにも由来するのだろう。フルートやオーボエも牧歌的で伸びやかである。ロンドン響の演奏は極めて完成度の高いソツのないもので、各パートの演奏能力が高い。英国のオーケストラらしく、各楽器本来の音色が美しく、クセのないアンサンブルである。比較的クライマックスの少ないこの曲の中で、第1楽章には山場が2回。そこでの瞬発力はなかなかのものだが、ハイティンクさんは比較的抑制的に音楽を作っていた。
第2楽章はスケルツォに相当するが、諧謔的であっても穏やかな楽章である。コンサートマスターが調弦を変えたヴァイオリンに度々持ち替えて、調子がはずれたようなソロを弾く。このふざけた感じと皮肉っぽさが面白い。ホルンが質感の高いソロを聴かせ、そこにそのヴァイオリンが絡む。
第3楽章は緩徐楽章。有名な第5番のアダージェットにも通じるような、穏やかで、心に染み入るような美しい旋律が、ヴァイオリンによって歌われる。この主題も息が長く、歌謡的であることはいうまでもない。変奏曲形式なので、変奏が繰り返されるうちに何回かのクライマックスが訪れる。しかしそこでも抑制的な姿勢は保たれていて、盛り上げ方もほどほどであったが、最後のクライマックスは、最弱音から一気に立ち上がり、一瞬のドラマティックな面を見せた。
第4楽章にはソプラノ独唱が加わる。「少年の不思議な角笛」から歌詞が採られている。ソリストはアンナ・ルチア・リヒターさん。スラリとした華奢な体型の小顔美人である。指揮者の上手側の位置で歌ったので、ちょうど目の前であった。リヒターさんの歌唱はまさに天使のような透き通った美声で、この曲の歌唱にはピッタリであった。美しい旋律と美しい歌唱。ロンドン響の演奏も極めて繊細で、天井の音楽のように清冽な響きであった。私のようにマーラーが苦手とは言っても、美しいものは美しい。とても素敵な演奏であった。
専門家からみれば、この第4楽章のために3つの楽章が有機的に機能しているというのだが・・・・私にはどうしてもこの第4楽章だけが独立した歌曲に聞こえてしまうのである。もっとマーラーを勉強しなければならないのであろう。
アンコールもなく、たった2曲のコンサートであったが、カーテンコールも長く続いたし、2曲ともテンポが遅めであったことも手伝ってか、終わってみれば21時半近かった。
巨匠ハイティンクさんといっても音楽は謙虚で、押し出しも強くはない。楽曲の持つ「真実」を素直に追求して表現した、というイメージの演奏であった。純音楽の「美」を純粋に追求した音楽。ロンドン響のクセのない見事な演奏とともに、「美」を心ゆくまで堪能することができた一夜である。
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London Symphony Orchestra Japan Tour 2015
2015年9月28日(月)19:00~ サントリーホール S席 1階 3列 23番 32,000円
指 揮: ベルナルト・ハイティンク
ピアノ: マレイ・ペライア*
ソプラノ: アンナ・ルチア・リヒター**
管弦楽: ロンドン交響楽団
【曲目】
モーツァルト: ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491*
マーラー: 交響曲 第4番 ト長調**
今年2015年のKAJIMOTO主催の「ワールド・オーケストラ・シリーズ」は、6月のハンブルク北ドイツ放送交響楽団、9月のロンドン交響楽団、11月にベルリン・ドイツ交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という4つのオーケストラの来日公演である。4回の公演をS席で聴くと合計で100,000円というとんでもない金額になる。中でももっとも高額に設定されているのが、本日の公演、ロンドン交響楽団のコンサートだ。もっともこれには指揮者やソリストのギャラも含まれているとは思われる。それにしても1回のコンサートで32,000円というのは、なかなか銀行の残高に影響を及ぼす金額だ。したがって、その価値に見合った演奏会であることを切に願う次第である。
今回のロンドン交響楽団の日本公演ツアーは、今日の東京/サントリーホールでの公演を皮切りに、9月30日・川凬、10月1日・東京/NHK音楽祭、10月3日・京都、10月5日・東京/都民劇場とスケジュールが組まれ、これらのコンサートを指揮するのは巨匠ベルナルト・ハイティンクさんである。彼については今さら何も語るべきことはないだろう。今回のツアーでは指揮者を務めているが、彼はロンドン響とは長い共演関係にあるものの、公式の地位に就いたことはない。持ってきた主なプログラムは、マーラーの交響曲第4番、ブルックナーの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第1番。年齢を感じさせない重量級のプログラムだ。そしてこれらのすべての公演で、ソリストとして参加しているマレイ・ペライアさんがピアノ協奏曲を弾く。用意されているのは、モーツァルトの第24番と、ベートーヴェンの第4番である。結構な金額なだけに、豪華なプログラムであることはたしかだ。ツアーでは他にも9月27日・大阪、10月4日・横浜で、「Final Symphony II -music from FINAL FANTASY V, VIII, IX, and XIII」という企画コンサートが行われる。
さて今日のプログラムは上記の2曲のみ。前半はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番である。全体のテンポは遅めの設定で、序奏の重苦しい雰囲気はコレがモーツァルト? というくらいの重厚な滑り出し。主部に入りペライアさんのピアノが入って来る。その音色がまた何とも言いようのない、滋味に溢れた柔らかく優しい音色で、音楽的な奥行き感も素敵だ。本来は機能的で硬質な音のスタインウェイからは信じられないほどの温かみある音を引き出している。モーツァルトの時代にはなかったビアノで、実にモーツァルトっぽい音を聴かせてくれる。昔はこういうピアニストが多かったように思うが、最近の「現代的」にモーツァルト像とは一線を画するものがある。
やや遅めのテンポであればこそ、ひとつひとつの音がしっかりとした意味を持って構築されていて、アクの強くない演奏ではあるが、聴く者の多くに共感をもたらすような自然な佇まい。極めつけの「純音楽」である。カデンツァも技巧的な部分など微塵も感じさせずに、人間味溢れる表現力を見せていた。
第2楽章は緩徐楽章。マライアさんのピアノが訥々とした雰囲気で、抒情的な主題を歌い上げるとオーケストラも比較的淡々とした感じだ。余計な感情移入はせずに、あくまで純音楽としての、美の追求である。ロンドン響も木管群の優しい音色がピアノと絡み合い、美しいアンサンブルを創り出していく。
第3楽章は奏曲形式。ピアノが提示する主題がオーケストラによって変奏されていく。ハ短調という調性で、幾分力感を増し、ほの暗く燃えるようなイメージが描き出されていく。しかし、強奏になっても、あるいは悲劇的な主題を弾く際でも、ペライアさんのピアノはギリギリのところで抑制的であり、ピアノを十分かつ適切な音量で成らしているのに、極めて自然で柔らかな音色を保っている。協奏曲は3列目のセンターピアノの正面で聴いているのに、ピアノの音が大きすぎず、小さくなることもなく、まるでCDでも聴いているような、絶妙のバランス感覚。正直な感想は「ペライアさんって、上手いもんだなァ」。見事な演奏であった。
後半はマーラーの交響曲第4番。私はマーラーの音楽については苦手意識が強いのだがその最大の理由は曲が長いことだ。この第4番はマーラーの交響曲の中では比較的短い方なので何とかついていける・・・。今日の演奏では、ハイティンクさんの指揮がやや遅めのテンポ設定に終始したため、演奏時間は60分を超えていた。
第1楽章シャンシャンシャンという序奏に続いてヴァイオリンが第1主題をスッキリとした美しさで提示。第2主題はチェロがロマンティックに歌う。息の長い主題は歌謡的であり、この曲がもともと交響的歌曲(管弦楽版の歌曲)をから発展するカタチで4楽章の交響曲になったことにも由来するのだろう。フルートやオーボエも牧歌的で伸びやかである。ロンドン響の演奏は極めて完成度の高いソツのないもので、各パートの演奏能力が高い。英国のオーケストラらしく、各楽器本来の音色が美しく、クセのないアンサンブルである。比較的クライマックスの少ないこの曲の中で、第1楽章には山場が2回。そこでの瞬発力はなかなかのものだが、ハイティンクさんは比較的抑制的に音楽を作っていた。
第2楽章はスケルツォに相当するが、諧謔的であっても穏やかな楽章である。コンサートマスターが調弦を変えたヴァイオリンに度々持ち替えて、調子がはずれたようなソロを弾く。このふざけた感じと皮肉っぽさが面白い。ホルンが質感の高いソロを聴かせ、そこにそのヴァイオリンが絡む。
第3楽章は緩徐楽章。有名な第5番のアダージェットにも通じるような、穏やかで、心に染み入るような美しい旋律が、ヴァイオリンによって歌われる。この主題も息が長く、歌謡的であることはいうまでもない。変奏曲形式なので、変奏が繰り返されるうちに何回かのクライマックスが訪れる。しかしそこでも抑制的な姿勢は保たれていて、盛り上げ方もほどほどであったが、最後のクライマックスは、最弱音から一気に立ち上がり、一瞬のドラマティックな面を見せた。
第4楽章にはソプラノ独唱が加わる。「少年の不思議な角笛」から歌詞が採られている。ソリストはアンナ・ルチア・リヒターさん。スラリとした華奢な体型の小顔美人である。指揮者の上手側の位置で歌ったので、ちょうど目の前であった。リヒターさんの歌唱はまさに天使のような透き通った美声で、この曲の歌唱にはピッタリであった。美しい旋律と美しい歌唱。ロンドン響の演奏も極めて繊細で、天井の音楽のように清冽な響きであった。私のようにマーラーが苦手とは言っても、美しいものは美しい。とても素敵な演奏であった。
専門家からみれば、この第4楽章のために3つの楽章が有機的に機能しているというのだが・・・・私にはどうしてもこの第4楽章だけが独立した歌曲に聞こえてしまうのである。もっとマーラーを勉強しなければならないのであろう。
アンコールもなく、たった2曲のコンサートであったが、カーテンコールも長く続いたし、2曲ともテンポが遅めであったことも手伝ってか、終わってみれば21時半近かった。
巨匠ハイティンクさんといっても音楽は謙虚で、押し出しも強くはない。楽曲の持つ「真実」を素直に追求して表現した、というイメージの演奏であった。純音楽の「美」を純粋に追求した音楽。ロンドン響のクセのない見事な演奏とともに、「美」を心ゆくまで堪能することができた一夜である。
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