Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

2/26(火)「B→C 河村尚子ピアノ・リサイタル」現代曲でも瑞々しい感性で魅せる演奏

2011年04月28日 02時51分13秒 | クラシックコンサート
B→C バッハからコンテンポラリーへ 131回/河村尚子

2011年4月26日(火)19:00~ 東京オペラシティ リサイタルホール 全席自由 2列 9番 3,000円
ピアノ: 河村尚子
【曲目】
K.デフォールト: デディカツィオ VI(2006)
J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」ヘ長調 BWV880
M.トロヤーン:《ピアノのためのプレリュード》(2006~08)から「ノクチュルヌ ─ 春の薄明ははや」「引き裂かれた山」
C.フランク: プレリュード、コラールとフーガ
J.S.バッハ/F.ブゾーニ編: シャコンヌ
G.コネソン: イニシャル・ダンス(2001)
F.ショパン: アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
《アンコール》
グルダ:《プレリュードとフーガ》よりプレリュード

 今一番お気に入りのピアニスト、河村尚子さんが東京オペラシティの「B→C」シリーズに登場する。今年に入ってから彼女の演奏をすでに4回聴いている。1/7読売日本交響楽団サントリー名曲シリーズでグリーグのピアノ協奏曲1/19JTアートホール室内楽シリーズ・河村尚子の室内楽1/22越谷でリサイタル4/7「東京・春・音楽祭」でのリサイタルである。2回聴いたリサイタルはリスト・イヤーにちなんで、リストの曲と彼の編曲した名曲を集めたものだった。今日は、東京オペラシティの「B→C」シリーズということなので趣が異なり、現代曲が多くプログラムに載っている。企画のお約束として入っているJ.S.バッハの「プレリュードとフーガ第11番」と、J.S.バッハ/F.ブゾーニ編の「シャコンヌ」(これは前回も聴いた)、そして最後のショパン以外は聴いたことがない。フランクはともかくとして、他の曲はすべて21世紀の作だ。どんな曲が飛び出してくるのか、また河村さんのキラキラと煌めくような音色とどう絡み合っていくのか、始まる前から興味津々であった。
 自由席ということなので、早めに会場入り。実は知人に早く行って並んでいただいて、見事センター2列目を取っていただいた(東京オペラシティのリサイタルホールは座席番号が付いていないので、上記の9番というのは左側から9番目という意味です)。いつもの「B→C」シリーズであれば、1時間前の18:00頃にいけば、2~3列目の良い席を取れると思っていたのだが、今日は18:05くらいに付いたらもう40~50人並んでいたので驚かされた。やはり、河村さんは人気の方もたいしたものである。

 今日のお衣装は、黒の上下、パンツ・スタイルであった。ヘア・スタイルのごく普通に後ろでまとめただけ。街を歩いていれば、どこにでもいそうなお嬢さん…。しかしこの人が紡ぎ出す音楽は、私たちを惹き付ける魅力でいっぱいだ。
 1曲目、クリス・デフォールト(1959~)の「デディカツィオ VI」。作曲家も知らないし、もちろん聴くのも初めてだ。2006年の作ということで、予想していたとおりの、いわゆる「現代音楽」。ジャズ・ピアニストでもあったデフォールトの作品は、即興性に富み、無調、変拍子でピアノの音が拡散と集合を繰り返す、といったイメージか。特に何かを表現した曲というようでもなく、純音楽なのであろう。音楽に対してわき上がる様々な感情を、即興的に音に置き換えた、といった印象だった。河村さんの演奏は、いつものようにキラキラと音が輝くようで、変拍子で目まぐるしく変わるテンポとリズムを、むしろ自然体で表現していたように思う。音が澄んでいると、不協和音も耳障りではなくなる。聴きやすく感じたのは、演奏が明快だったからだろうか。
 2曲目はJ.S.バッハ(1685~1750)の《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」。バロックが苦手な私でも知っている曲だ。静かに粛々と始まる対位法の曲が、中盤から後半にかけて、瑞々しく彩られてきて、女性らしい繊細で豊かな抒情性を感じた。ロマン派の音楽のような艶やかで豊潤な音色だった。こういう演奏を聴かされると、バッハも意外といいなァと思えてくる、なんて言ったら、多くのバロック音楽好きの人に怒られるかもしれない。
 3曲目はマンフレッド・トロヤーン(1949~)の「ピアノのためのプレリュード」から2曲。「ノクチュルヌ-春の薄明ははや」は、遅いテンポで不協和音ばかりの伴奏がゆったりと進む中、クロスハンドの左手で短音の主旋律が淡々と展開する。聴いた後でプログラムの標題を見て、なるほど、トワイライトのイメージなのか、と納得。全体に清冽にイメージでありながら靄のかかったような曖昧さを感じされる不思議な曲想。河村さんのピアノの透明な音色が奏でる不協和音の「美しさ」が印象に残った。不協和音こそは、キレイな音で弾いていただかないと聴いていてもツライものがあるが、彼女のピアノは文句なしである。この曲、最後まで不協和音しか出てこなかった。「引き裂かれた山」は一転して激しく叩き付けるような不協和音と、変則的なリズム。標題の通り、破壊的なイメージの曲だ。あごを引いて鍵盤をキッと見据える河村さんの表情が、曲と格闘しているようだった。この2曲は、2006年のミュンヘン国際コンクールの課題曲として委嘱された曲だという。河村さんはこの曲を弾いて2位に入賞したのだが、ご本人いわく「メロディーも、曲に対するイメージも記憶にない…」そうだ。それにしては…、演奏を聴いて感じられたイメージと、その後で曲名を読んだ上でのイメージは見事に一致していたと思うし、なかなかに説得力のある演奏だったと思う。
 4曲目はセザール・フランク(1822~1890)の「プレリュード、コラールとフーガ」。「バッハからコンテンポラリーへ」というテーマに加えてもうひとつのキーワード「プレリュードとフーガ」を象徴的に表している選曲だ。まさにバッハと現代の間に位置する、ロマン派後期の作品だ。プレリードとコラールは和音や分散和音をつないで旋律を形成していく、美しく雄大な曲だ。ひとつひとつの和音が、豊かなニュアンスによって旋律をくっきりと浮かび上がらせ、歌い出す。フーガはバロック的構造感を浪漫的な叙情で表現していく。繰り返されるフレーズがひとつひとつ異なる色彩感を感じさせ、とても美しい演奏であった。

 後半の1曲目はJ.S.バッハ/フェッルッチョ・ブゾーニ(1866~1924)編の「シャコンヌ」。4/7の「東京・春・音楽祭」に続けて聴くことになった。前回と比べると、やや落ち着いた感じで、曲に対して純粋に素直に取り組んでいるという印象を持った。ピアノの名手ブゾーニが編曲したこの曲もバッハから現代を結ぶ間を象徴する曲だといえる。高度な技巧と集中力、幅広い表現力が求められる大曲に、河村さんの多彩な音色と豊かな描写力が素晴らしく、曲全体の構成も見事、ダイナミックで劇的な表現は、「バッハからロマン派へ」といった趣だった。
 2曲目は、ギョーム・コネソン(1971~)の「イニシャル・ダンス」。急-緩-急の三部構成となっていて、第1部は土俗的・原始的なリズムが激しく刻まれる打楽器的な曲想だ。中間部はゆったりしたテンポの美しい曲想、第3部はまた激しくなり、5拍子(?)のような変則的なリズムが強烈に迫ってくる。即興的な自由奔放さは現代ジャズのよう。しかし、通して聴くと決して即興ではなく、構成がしっかりと計算されていることに気づく。この曲もコンクール用の委嘱作品ということだが、完成された作品としては、2003年のオーヴェル・シュル・オワーズ音楽祭で、河村さんによって初演されたのだという。河村さんの演奏は、強烈なリズム感と飛び跳ねるようなキレの良い打鍵で、リズムだけで旋律がないような曲に彩りを与えている。曲ではなく、音そのものに色があるような印象だった。
 最後は、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」。河村さんのCD『夜想~ショパンの世界』にも収録されている。全体にやや速めのテンポで、自由な弾き方をしていたように思う。もちろん、しっかりとした構造を構築しているのだが、その中で、自由な感情表現を楽しんでいるようだった。何より、演奏している時の表情が生き生きしていて、見ていても楽しくなってくる。キラキラ音の粒が煌めくようであったり、流れるようなレガート、ニュアンスを大切にしたさりげないルバートなどが、実に自然で、技巧をオモテに出さずに抒情性で彩られている。それでいて,ダイナミックで劇的であるところも、CDとは違ったライブならではの生々しいノリがあって、素晴らしかった。
 アンコールはフリードリヒ・グルダ(1930~2000)作曲の『プレリュードとフーガ』より「プレリュード」。今日のテーマに沿って、現代のプレリュードだ。うねるような分散和音が美しかった。

 河村尚子さんは、いま一番輝いているピアニストだ(と私は思う)。幼少の頃からドイツで育ったためか、他の日本人ピアニストとは一線を画した、実にヨーロッパ的な音色を持っている。普段から聴いている「音」が違うのだろう。そして明るく明快な感性が、幸せな音楽を聴かせてくれる。評論などでは「将来がさらに期待される」などと言われているが、むしろ「今」が輝いていると言った方が適切ではないかと思う。前回聴いた「東京・春・音楽祭」の時は、震災後の混乱が続いていた時でもあり、おそらくは河村さんご本人も、私たち聴衆も、かなりテンションがハイになっていたような気がする。あの時の演奏会は、ものすごいエネルギーに満ちていて、皆興奮状態だったと思う。あれから約3週間経った今日のリサイタルは、むしろ日常を取り戻した落ち着いたものになっていた。プログラムの半分は現代曲という企画ものコンサートではあるが、日常に立ち戻った冷静さの中で、純粋に音楽に取り組み、見事な演奏を聴かせてくれた河村さんにBrava!を送りたい。私たちも、やっと音楽的な日常を取り戻したような気がする。

人気ブログランキングへ ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/24(日)読響みなとみらい名曲シリーズ/カンブルラン指揮の「チェコ名曲の旅」の音の色彩

2011年04月25日 02時49分29秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団/第47回みなとみらいホリデー名曲シリーズ

2011年4月24日(日)14:00~ 横浜みなとみらいホール S席 1階 C2列 14番 4,050円(会員割引)
指 揮:シルヴァン・カンブルラン
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
モーツァルト: 交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
ヤナーチェク: 狂詩曲「タラス・ブーリバ」
スメタナ: 連作交響詩『わが祖国』から交響詩「モルダウ」
ヤナーチェク: 「シンフォニエッタ」

 読売日本交響楽団の2011/2012シーズンも4月から始まっている。今期はサントリーホール名曲シリーズとみなとみらいホリデー名曲シリーズの会員になっているのだが、明日4/25のサントリー名曲は初日にもかかわらず所用があって行くことができなくなった(代わりに音楽好きな人に行っていただくことになった)。幸い今日のみなとみらいホールでの公演もまったく同じ曲目なので、こちらの方を楽しませていただくことにした。先日の東京フィルと同じで、会員になると、S席7,000円が4,050円とたいへんお得で(チケットには7,000円と印刷されている)、もちろん固定席。私の場合、ちょっと遠いのが難点だが、出演者や演目が良いので、休日の午後ゆっくりと音楽を楽しみたい。

 昨シーズン(2010/2011)から常任指揮者を務めるシルヴァン・カンブルランさんが指揮するときの読響は、不思議なくらい音色が変わる。あたかもフランスのオーケストラのように色彩感が豊かになり、豊穣な音楽が鳴り出すのだ。指揮者によって、これほど変わるものかと感心してしまう。今日の演奏会のテーマは「チェコ名曲の旅」。ドヴォルザークはなく、ヤナーチェクとスメタナだ。チェコの音楽というと特有の土の香りがある。その辺りと、カンブルランさんの色彩とが、どのような音楽を創り出すのか、興味深いところだ。
 テーマからすると序曲的な位置づけになるべきところに、モーツァルトの交響曲「プラハ」。いきなりカンブルラン節全開ではじまる。小編成の弦5部と、2管編成。ピリリと引き締まった演奏だ。ウィーン風のモーツァルトではなく、かといってチェコ風な訳もなく、やっぱりフランス風なのだろうか。優雅さよりも、明るい音色と躍動的なリズム感が素晴らしい。
 2曲目はヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」。コンサートで聴ける機会がそれほどある曲ではない。狂詩曲ということだが、交響詩的な標題音楽3曲の組曲という構成になっている。タラス・ブーリバという実在の人物の死にまつわる物語を音楽で表現したものだ。交響曲のような純音楽と違って物語の情景や人物の心情が描かれていくため、音楽的な構造よりは物語的な構成が中心となり、異なる楽想の主題が次々と現れる。演奏上にはパイプオルガンまで加わっている。カンブルランさんは、この曲で描かれている「死」のイメージを、それでも明快な音色で、決して、ドローンとした暗さに陥ることなく、鮮やかに描きだしていた。

 後半の1曲目はスメタナの「モルダウ」。哀愁を帯びた有名な主題が…。ここでのカンブルランさんは、終始速めのテンポ設定で、モルダウの流れを加速気味に突っ走る。最初は「速すぎるんじゃないの?」と思ったのだが(モルダウ川の流れは悠々としている…はず?)、最後まで速いテンポで押しまくられ、しかも飛びきり美しいハーモニーを聴かされたりすると、これはこれでありかな、という気がしてくる。音色が泥臭いと暴れ川みたいになってしまうが、キレイな音だと、美しい風景の映像を早回しで見ているような、そんな印象もあった。とにかくキラキラしていて眩しい演奏だった。
 最後の曲はヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。村上春樹さんの『1Q84』以来、急に有名になって名曲の仲間入り(?)した曲だ。「シンフォニエッタ」というのは小交響曲というような意味だが、この曲も標題音楽的な、いわば小交響詩の組曲と見ることもできる。全体は5楽章(5曲)で構成される。何と言っても圧巻なのは、第1楽章冒頭のトランペットによるファンファーレだ。トランペット12本+バス・トランペット2による荘厳なファンファーレが、見事なアンサンブルで響き渡った。読響のメンバー表にはトランペットは4名しか載っていないから、応援をたくさん呼んだのですね。この曲は、他にも楽器の編成が多く、もともとが派手で劇的な曲であるため、今日のカンブルランサンの演奏スタイルとはよく合っている。色彩感豊かな、明快で鮮やかな音色で、オーケストラの各パートが音の競演をしているよう。それでいて全体のバランスも見事にまとめ、かつダイナミックレンジも十分で、劇的な仕上がり。フィナーレの盛り上げ方などは職人芸的な素晴らしさで、感動を誘う。この曲をよく知っている人も、初めて聴く人も、皆が納得させられるような明快な演奏だった。

 カンブルランさんは、踊るように全身でリズムを表す指揮ぶりで、読響から極めて躍動的なリズムを引き出している。明快で、締まりが良く、洒脱な感じのするリズム。2拍目がちょっと長いような舞踏的なリズム感が、オーケストラのノリを良くしているのだろう。リズム感がはっきりしているから、アンサンブルも美しくまとまる。弦楽のハーモニーも濁りがまったくない、澄んだ音色。管楽器も音色に潤いがあり、気持ちよさそうに響いてくる。その独特なリズム感に、流れるようなレガートの旋律がうまく乗っかる。そこから何とも言えない独特の色彩感が生まれてくるのだと思う。今日演奏されたヤナーチェクやスメタナの曲は、そこから土の香りを抜き取ったキレイな音楽になった。洗練されていて粋でありながら、躍動的で生き生きとした生命感に溢れている。実に素晴らしい演奏だったと思う。

人気ブログランキングへ ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/21(木)東京フィル・オペラシティ定期/ダン・エッティンがーの「指揮」で川久保賜紀の「四季」に喝采

2011年04月23日 04時32分44秒 | クラシックコンサート
東京フィルハーモニー交響楽団/第61回東京オペラシティ定期シリーズ

2011年4月21日(木)19:00~ 東京オペラシティ・コンサートホール A席 1階 4列 14番 3,780円(会員割引/実質2列目)
指揮・チェンバロ: ダン・エッティンガー
ヴァイオリン: 川久保 賜紀
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ヴィヴァルディ: ヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』作品8より「四季」(全曲)
モーツァルト: 交響曲 第40番 ト短調 K.550

 東京フィルハーモニー交響楽団の今シーズン(2011/2012)の東京オペラシティシリーズの定期会員になった。今日は、第1回の4月の公演だ。今シーズンの東京フィルのプログラムには魅力的なものが多く、とくに聴きたい演奏会がいくつかあったので、1回券ではなかなか良い席が取れないということもあって、一般発売の前に問い合わせてみたところ、A席で1回の4列14番という席が空いていたので、思い切って定期会員券(年間シート)を買うことにした。東京フィルのオペラシティ定期は、ステージを拡張しているため、第4列は実際は2列目となる。東京オペラシティ・コンサートホールの1階のセンターブロック席は列毎に交互に位置がずれているので、2列目なら前の人が邪魔にならなくて見通せる。14番はコンサートマスターの正面、協奏曲の場合のソリストの位置の真正面でもあり、協奏曲好きの私にとっては、最高のポジションの席が取れてしまったのだ(しかも年間会員だと1回単価はとてもお安くてお得。A席の1回券は定価6,000円のところ、年間だと1回あたり3,780円)。
 東京フィルは、大好きなオペラの公演では随分お世話になっている。新国立劇場も、東京二期会も、藤原歌劇団も、その多くの公演で東京フィルがピットに入る。オペラの時の卒のない演奏には定評があり、いつも素晴らしい演奏を聴かせてくれるという訳でもないが、他のオーケストラよりはオペラに慣れていることだけは音を聴くだけで解る。ところがコンサートの方はというと、もちろん聴く機会は多いのだが、イベント的な特別の時が多く、定期演奏会はこれまであまり聴かなかった。今シーズンは定期会員になったので、この機会にじっくりと東京フィルを聴いてみたい。…とはいうものの、会員券を買ったタイミングが遅かったため、他のコンサートやオペラと日程が重なっているのが多く、いったい何回行けることやら…。

 というわけで、シーズン開幕の今日のコンサートは、とくに聴きたかったもののひとつ、大好きな川久保賜紀さんをソリストに迎えてヴィヴァルディの「四季」である。指揮は常任指揮者のダン・エッティンガーさん。チェンバロの弾き振りである。川久保さんの「四季」といえば紀尾井シンフォニエッタ東京とのライブCDが出ているが、2009年4月10日に紀尾井ホールで実際に聴いている。その時以来の「四季」である。
 ステージには、真ん中に鍵盤を客席側に向けてチェンバロ、ヴァイオリンは左右対向配置で、第2の後ろにヴィオラ、第1の後ろにチェロ、その奥にコントラバスという配置。もちろん指揮・チェンバロと第1ヴァイオリンの間にソリストが入る。第1・第2ヴァイオリン各8、ヴィオラ6、チェロ4、コントラバス3という弦5部はかなり重厚な構成だ。
 いつものように、にこやかに、エレガントに川久保さんが登場。なぜかいつもシャツの襟を立てているイケメン指揮者のエッティンガーとの組み合わせも絵になる。タイミングを計って、トゥッティで「春」が始まる。川久保さんも第1ヴァイオリンのパートを合わせて弾く。コンサートマスターの三浦章宏さんともアイコンタクトを取りながら、アンサンブルをまとめ上げていく。ヴァイオリンのソロになると、レガートの美しい川久保さんのいつもの音。今日はやや音量が小さめだ。穏やかな旋律を繊細な音色で歌わせるが、潤いを失うことはない。速いパッセージになると指揮者をキッと見据えて、鋭いアタックを利かせるが艶やかさに曇りはない。一方、エッティンガーさんの曲作りは、急-緩-急の対比をはっきりさせる。早い楽章は速めのテンポで軽快に、襲い楽章はやや遅めのテンポで旋律をゆったりと歌わせ際立たせている。また音量のメリハリも効かせ、ダイナミックで生き生きとした演奏を東京フィルから引き出していた。川久保さんは、指揮者やコンマスと、交互に間合いを測りながら、音楽で対話するように、微笑みを交わしたりしながら、とても楽しそうに演奏していた。指揮者やコンマスとダイナミックなオーケストラと繊細優美なソロ・ヴァイオリンが、時には激しく対立するように、時にはぴったり息を合わせて寄り添うように、曲想に応じてお互いのスタンスが移ろって行く。前半の「春」「夏」あたりは川久保さんのヴァイオリンの音量が小さめでオーケストラ側に飲まれてしまいそうな感じもしたが、「秋」から「「冬」にかけて、アンサンブルのパワーバランスが同等になり、見事に一体化していく一方で、協奏曲的にソロ・ヴァイオリンが浮き上がってくる部分との対比が明瞭になってきた。なるほど、この対比を描き出したかったのか、と納得。プログラムには約37分と記載されていたが、「四季」全曲で37分ということはないだろう。今日の演奏では45分以上かかったのでないだろうか。だがしかし、メリハリの効いた演奏は決して私たちを飽きさせることなく、緊張感が高く保たれた素晴らしい演奏となった。ソロ・ヴァイオリンと弦楽5部のオーケストラの表現力豊かな演奏は、バロックの名曲をまるでロマン派の曲のように瑞々しく色彩的に描いているのが強く印象に残った。そしてやっぱり川久保さんのヴァイオリンは素晴らしい。どんなに強いパッセージを弾いても、音に険がない。力みのない自然体の演奏スタイルから滲み出てくる、流麗でエレガントな音色は、バロックの曲でも、川久保賜紀流の叙情性に満ちていて、Brava!!である。

 15分間の休憩を挟んでの後半は、モーツァルトの交響曲第40番。「哀しみのシンフォニー」なんていうと年がバレるか。この曲では、2管編成と人数が増えた弦楽5部に編成が変わったのもも、モーツァルトに合わせた小編成には違いない。ところが、(2列目で聴いていたせいもあるが)オーケストラの音に厚みと重量感が増し、こちらの曲もロマン派の音楽のような豊潤さに包まれ、短調の曲なのに色彩感に溢れた演奏となった。
 弦楽のアンサンブルはかならずしもピタリと合っているわけではなく、音色にも終始若干の濁りが感じられたが、それを気にさせないほどダイナミックで雄弁であった。これはコンマスの三浦さんの牽引力の賜物のようにうかがえた。一方、木管(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット)も丁寧な演奏をしていて各パートのバランスも良く、うまくまとまっていた。唯一の金管ホルンは、やはり難しい面もあるのだろうが、もうすこし艶っぽさが欲しかったというところか。
 総じて今日の東京フィルは、エッティンガーさんが素晴らしい統率力でコントロールするのと、コンマスの三浦さんが呼吸を合わせて、曲を創り上げていこうという意志が感じられた。常任指揮者2年目のエッティンガーさんとオーケストラの関係も良好らしく、和気藹々とした雰囲気はよく伝わってきた。それは音楽にも明瞭に現れていたと思う。今年創立100年を迎える東京フィルであるが、若い指揮者のフレッシュな感性によって、瑞々しくもあり、同時に大胆さも見せる、素晴らしい演奏だったといえる。今年はオペラの分野でも、新国立劇場の2011年12月公演で、エッティンガーさん指揮による東京フィルがピットに入って、J.シュトラウスの『こうもり』がある。オペラの実績も豊富な彼が、軽妙洒脱な『こうもり』をどのように捌くか、楽しみになってきた。

 終演後はサイン会はなかったが、東日本大震災復興義援金募金のために、エッティンガーさん、川久保さん、東京フィルのメンバーさんたちが会場ロビーに集まり、帰りがけのお客さんたちに声をかけてくれた。わたしも自分で決めたとおり、今日も募金に応じた。川久保さんとも少しだけお話しすることができたので、CDにサインをいただいて、ついてに握手まで。CDは川久保さんがチャイコフスキー国際コンクールで最高位を受賞したときのライブのもの。2002年のことだから、もう9年も経つのですね。最近少し痩せられたようにお見受けする。健康面は大丈夫かしら。音楽も体力勝負(!?)ですから。


お疲れのところを私たちを笑顔で応対してくれた川久保さん。あご当ての痕が痛々しい…。


人気ブログランキングへ ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/19(火)新国立劇場『ばらの騎士』/フランツ・ハヴラタの絶妙なオックス男爵にBravo!

2011年04月21日 00時56分29秒 | 劇場でオペラ鑑賞
新国立劇場 2010/2011シーズンオペラ公演『ばらの騎士』R.シュトラウス作曲

2011年4月19日(火)18:00~ 新国立劇場・オペラパレス B席 3階 2列 23番 11,340円(会員割引)
指 揮: マンフレッド・マイヤーホーファー
管弦楽: 新日本フィルハーモニー交響楽団
合 唱: 新国立劇場合唱団
児童合唱: NHK東京児童合唱団
合唱指揮: 冨平恭平
児童合唱指揮: 加藤洋朗・金田 裕
演出: ジョナサン・ミラー
美 術・衣装: イザベラ・バイウォーター
照 明: 磯野 睦
舞台装置: 大澤 裕
【出演】
元帥夫人: アンナ=カタリーナ・ベーンケ(ソプラノ)
オックス男爵: フランツ・ハヴラタ(バス)
オクタヴィアン: 井坂 惠(メゾ・ソプラノ)
ファーニナル: 小林由樹(バリトン)
ゾフィー: 安井陽子(ソプラノ)
マリアンネ: 黒澤明子(ソプラノ)
ヴァルツァッキ: 高橋 淳(テノール)
アンニーナ: 加納悦子(メゾ・ソプラノ)
警部: 長谷川 顯(バス)
元帥夫人の執事: 小貫岩夫(テノール)
ファーニナルの執事: 経種廉彦(テノール)
証人: 晴 雅彦(バリトン)
料理屋の主人: 加茂下 稔(テノール)
テノール歌手: 水口 聡(テノール)
帽子屋: 國光ともこ(ソプラノ)
動物商: 土崎 譲(テノール)
レオポルド: 仲川和哉(黙役)

 久しぶり(といっても2ヶ月ぶりくらいだが)のオペラは、楽しみにしていた『ばらの騎士』。一番好きなオペラだ。ジョナサン・ミラー演出の新国立劇場のプロダクションは、2007年がプルミエで、今回は再演となる。4/4の記事にも書いたが、今回の公演は、東日本大震災を受けて、大幅な出演者の変更があり、波乱含みの公演となった。それでも初日を除いて公演が中止されなかっただけでも、オペラ・ファンとしては嬉しい限りである。当初予定されていた海外組で来てくれたのはオックス男爵役のフランツ・ハヴラタさんだけ。主役クラスは総入れ替えになってしまった。しかも指揮者まで…。新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督のクリスティアン・アルミンクさんが、原発事故の風評を恐れて来なかったのだとすれば、代役を務めたマンフレッド・マイヤーホーファーさんも同じオーストリア人なのに…と、少々ガッカリである。新国立劇場初登場なのに見捨てられたカタチになった新日本フィルの演奏やいかに。最後に『ばらの騎士』を聴いたのは、2008年9月、アルミンク指揮、新日本フィルのセミ・コンサート形式の定期演奏会なのも、何やら因縁めいているからだ。などとブツブツ言っても始まらないので、今日は気持ちを切り替えて、大好きな『ばらの騎士』を久しぶりに楽しもう。

 第一に歌手陣の奮闘を称えたい。元帥夫人のアンナ=カタリーナ・ベーンケさん(カミッラ・ニルンドさんの代役)とオックス男爵のハヴラタさんを中心に、オクタヴィアンの井坂 惠さん、ゾフィーの安井陽子さんらがかなりクオリティの高い歌唱を聴かせてくれた。ベーンケさんはとてもキレイな声の大人のソプラノさんで、落ち着いた佇まいの元帥夫人を好演。第1幕終盤の独白のシーンも堂々とした歌いっぷりで見事だった。立ち姿も凛として、美しかった。ハヴラタさんについては文句の付けようもない。当代一のオックス男爵歌いである。憎めない悪役の、何とも言えない風貌が、まさにオックス男爵という存在感。もちろん超低音もキチンと出ていたし、第2幕後半のワルツはサイズの味わいを聴かせてくれた。井坂さんはよく響くメゾの声が美しく、ズボン役にしては声が女性的すぎるかな、とも思えたが、全体としては大奮闘というべきだろう。安井さんもよく通る声質で、終盤の3重唱でも他の二人に負けないパワーがあり、超高音の音程も素晴らしかった。3重唱に続くオクタヴィアンとゾフィーの二重唱も二人のバランスが良く、とても美しいハーモニーを聴かせてくれた。日本人キャストの方が阿吽の呼吸を掴みやすいのかもしれない。


第1幕。元帥夫人の寝室。左から、マリアンデルに変装したオクタヴィアン(井坂 惠さん)、オックス男爵(フランツ・ハヴラタさん)、元帥夫人(アンナ=カタリーナ・ベーンケさん)

 脇役陣はもともと日本人でキャスティングされていたが役にも慣れたベテラン(国内では主役級)の皆さんが、脇を盛り上げていたといえる。ヴァルツァッキの高橋 淳さんは、この手の役をやらせるととにかく面白い。先日の東京二期会の『サロメ』でのヘロデ王のように、クセのある役が巧いだけでなく、テノールの歌唱も超一流だ。また日本でもトップクラスの水口 聡さんをワンポイント出演のテノール歌手役に、2007年に続いて登場させたのも贅沢。『ばらの騎士』ならではの楽しみの一つだ。他にも、アンニーナの加納悦子さんや料理屋の主人の加茂下 稔さんたちがいつものように芸達者ぶりを見せていた。


第2幕。銀の薔薇の献呈シーン。左がゾフィー(安井陽子さん)、右が青年貴族に戻ったオクタヴィアン。

 一方、オーケストラの方は…。第1幕の前奏曲部分から、ホルンが、弦が…、音色に艶がなく乾いた感じで、響きも悪い。アンサンブルも乱れがちで、音量のバランスも悪い。決して良い演奏とは言えなかった。その傾向は第2幕も同じようで、冒頭の絢爛豪華な音楽が、ただ音を並べたといった印象。かつて聴いたアルミンクさん指揮の時とは全然違う。やはり急場しのぎだったのだろうか。あるいはオペラにあまり慣れていないオーケストラということも手伝ったのかもしれない。第3幕の開始時、指揮者にBravo!の声が飛んだが、「…え? ホントに?」という感じだった。ところが!! 第3幕の後半から急に音が変わった。元帥夫人が登場するあたりから、弦楽の音が澄み渡り、ホルンやトランペットが絶妙な艶やかな音で歌い出す。オーケストラのバランスが急にまとまり、いかにも『ばらの騎士』といった、華麗で豊潤で色っぽい、天才リヒャルト・シュトラウスの音楽が鳴り出したのである。さすがにクライマックス部分は練習が十分だったのか、それともメンバーの気持ちが一つになったのか。歌手陣の歌唱の素晴らしさと、オーケストラの見事に演奏によって、「マリー・テレース~」から後の三重唱、二重唱、エンディングまで、これぞオペラの醍醐味といえる、豊かな音楽的世界を堪能することができた。終わり良ければすべて良し、ということで、久しぶりにBravo!!を叫んでしまった。やっばり、『ばらの騎士』はいいなァ。

 演出についても一言。本プロダクションは再演だが、ジョナサン・ミラーさんの演出は、気品があって素晴らしいとあらためて感じさせられた。豪華さとシンプルさを兼ね備えた舞台装置、18世紀風(かどうかは解らないが)の落ち着いた衣装、人物もさほど派手に動き回ることなく、全体としては落ち着いた雰囲気の中で、上品に、華麗に、物語が展開していく。初めて『ばらの騎士』を観た人にもほぼ完璧に物語の世界を伝えられる演出。それでいて古くささを感じさせないところが良い。雄弁なシュトラウスの音楽に良く似合った、舞台である。

 オペラ『ばらの騎士』は、かなり長い。全3幕で正味3時間20分くらい。25分間の休憩を2階挟むと、上演時間は4時間半くらいになる。いつもより早めの18時スタートにもかかわらず、終わってみれば22時30分。家に帰り着く頃には日付が変わってしまう。しかし『ばらの騎士』は楽しい。途中飽きることもないし、どんなにつかれていても眠くならない。お話しの内容はしょうもない昼ドラのような不倫と恋愛の悲喜劇でしかないのに、なぜこれほど面白いのだろうか。やはり一人一人の登場人物の性格が細やかに人間的に描かれているところが魅力なのだろう。人々の共感や憧れをクスクス笑いとほんのりした悲しみの中に押し込めてしまう。私たちの身近にもありそうで、なさそうなお話し。神話の世界や哲学的な難解さがまったくないから良いのである。震災後、やっと観ることができたオペラが、一番好きな『ばらの騎士』だったことに感謝したい。

人気ブログランキングへ ← 読み終わりました、クリックお願いします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4/15(金)ついに「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」までが開催中止に…

2011年04月16日 00時51分29秒 | 音楽に関するエッセイ
 ついに恐れていたことが現実となってしまった。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』音楽祭2011」の事実上、開催中止になっってしまったのだ。
 今日4/15の午前10時30分頃、「熱狂の日」フレンズ・メールマガジンが配信され、発表された。ひとつには震災の余震の影響で、会場ホールの一部の電気系統に不具合が確認されたこと、もうひとつは福島第一原発事故の評価がレベル7になって以来、出演アーティストたちの来日キャンセルが相次ぎ、予定通りのプログラムを実施することができなくなった。その結果、音楽祭の内容を大幅に変更して開催せざるを得なくなったのだという。音楽祭そのものを中止するということではなく、何らかのカタチで開催するということだが、これまで予定されていた5/3~5/5の有料公演はすべて中止、これまでに発売されているチケットもすべて払い戻しするという。

 これまでも、会場の東京国際フォーラムが被災者を一時的に受け入れたことや、電力不足による計画停電の実施などの理由で、開催されるかどうか不安視されていた。そのせいか、今年はチケットの争奪戦も加熱することなく、オークションなどでも値上がりしていなかった。それでも、4月の初め頃だったろうか、予定通り開催をするというメッセージが正式に発せられたので、安心していたのである。
 震災以来1ヶ月異常経過した現在、東京はほぼ平静を取り戻しているし、4月~5月は比較的電力事情も落ち着き計画停電も実施されないことになっているので、原発事故のことを除いては、音楽祭が中止になる要因はもう考えられなかった。ところが、実際問題として震災以降、海外のアーティストたちがほとんど来日を中止しているため、指揮者が来ないオーケストラとか、主役が来ないオペラとか、海外組のリサイタルはほとんど中止とか、音楽会は惨憺たる有様。それでも4月以降は徐々に改善されてきたと思ったら、今度は原発事故がレベル7に。これでは、情報が一方的にしか伝わっていかない欧米では、日本に行きたがらなくなるのもやむを得ないのか。別に東京の音楽祭に1週間くらい来ても何の心配もないのに。それは東京で毎日働いている私たちが一番良く解っているだけに、歯がゆい思いがしてならない。非常に残念である。

 さて、今年の「ラ・フォル・ジュルネ」は、予定されていた有料公演がすべてキャンセルということは、事実上、開催中止に追い込まれたということだろう。5/3~5/5には、東京国際フォーラムの中で会場ホールを限定して、あらたに企画を練り直して、「東日本大震災の復興支援コンサート」を行うという。内容、回数、規模などは現時点ではまったく不明。4/22(金)に、詳細内容とチケット販売が案内されるとのことだ。しかしながら、来日してくれるアーティストの方々と日本人のアーティストの方々を集めてのチャリティ・コンサート…。企画を練り直すといっても、急遽デッチ上げのコンサートにならないことを祈る。音楽会は音楽会として、純粋に音楽芸術を追究して欲しい。

 私は、今回は3日間で合わせて16公演を聴く予定でチケットを確保していた。払い戻しは、4/25~5/25の間に受け付ける。払い戻されるのは、チケット代金のみで、システム利用料/特別販売利用料/配送手数料/発券手数料/決済手数料は戻って来ない。「ラ・フォル・ジュルネ」は1回公演の単価が安いのが魅力で、公演をいくつもハシゴできるから楽しいのだが、実際に手数料のかからない当日券はほとんど残っていない。先行予約などを含めて事前にチケットを取るためには、1,500円~3,000円のチケット1枚あたりに諸々の手数料が210円~605円がかかっている。意外と負担は大きいのだ。私の場合、16公演を2枚ずつ買っているので、手数料だけの負担だけでも軽く10,000円は超えていそうである。怖くなってきたので計算するのは止めにしよう。
 震災以降、オペラやコンサートの中止(あるいは延期)が相次ぎ、3月の公演で10件を超える払い戻しを終えたと思ったら、今度は「ラ・フォル・ジュルネ」である。手間もかかるし費用もかかる。仕方のないことだと解ってはいるのだが、行き場のない憤りを感じてしまう。チケット販売のプレイガイドや窓口のコンビニは事務作業や発券作業、さらには払い戻しの返金作業まで発生するのだから、手数料を取るのも当然のことだ。返せとは言い難いものがある。また、主催者も利益がなくなるどころか大赤字になってしまうだろうから、チケットの額面だけでも返金してくれることで良しとしなければならない。コチラ側としては、手数料の高い先行予約でないとチケットを確保できないし、発売日の10時から必死になってWebからチケット取りをしたりと、それなりに苦労も努力もしている。結果的には、3/11以降、中止公演の払い戻しで失った手数料だけで、20,000円は超えていると思う。いやはや、思わずタメ息が出てしまった。今日の午後はガッカリして、仕事が全然はかどらなかった(-。-;)

人気ブログランキングへ ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする