B→C バッハからコンテンポラリーへ 131回/河村尚子
2011年4月26日(火)19:00~ 東京オペラシティ リサイタルホール 全席自由 2列 9番 3,000円
ピアノ: 河村尚子
【曲目】
K.デフォールト: デディカツィオ VI(2006)
J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」ヘ長調 BWV880
M.トロヤーン:《ピアノのためのプレリュード》(2006~08)から「ノクチュルヌ ─ 春の薄明ははや」「引き裂かれた山」
C.フランク: プレリュード、コラールとフーガ
J.S.バッハ/F.ブゾーニ編: シャコンヌ
G.コネソン: イニシャル・ダンス(2001)
F.ショパン: アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
《アンコール》
グルダ:《プレリュードとフーガ》よりプレリュード
今一番お気に入りのピアニスト、河村尚子さんが東京オペラシティの「B→C」シリーズに登場する。今年に入ってから彼女の演奏をすでに4回聴いている。1/7読売日本交響楽団サントリー名曲シリーズでグリーグのピアノ協奏曲、1/19JTアートホール室内楽シリーズ・河村尚子の室内楽、1/22越谷でリサイタル、4/7「東京・春・音楽祭」でのリサイタルである。2回聴いたリサイタルはリスト・イヤーにちなんで、リストの曲と彼の編曲した名曲を集めたものだった。今日は、東京オペラシティの「B→C」シリーズということなので趣が異なり、現代曲が多くプログラムに載っている。企画のお約束として入っているJ.S.バッハの「プレリュードとフーガ第11番」と、J.S.バッハ/F.ブゾーニ編の「シャコンヌ」(これは前回も聴いた)、そして最後のショパン以外は聴いたことがない。フランクはともかくとして、他の曲はすべて21世紀の作だ。どんな曲が飛び出してくるのか、また河村さんのキラキラと煌めくような音色とどう絡み合っていくのか、始まる前から興味津々であった。
自由席ということなので、早めに会場入り。実は知人に早く行って並んでいただいて、見事センター2列目を取っていただいた(東京オペラシティのリサイタルホールは座席番号が付いていないので、上記の9番というのは左側から9番目という意味です)。いつもの「B→C」シリーズであれば、1時間前の18:00頃にいけば、2~3列目の良い席を取れると思っていたのだが、今日は18:05くらいに付いたらもう40~50人並んでいたので驚かされた。やはり、河村さんは人気の方もたいしたものである。
今日のお衣装は、黒の上下、パンツ・スタイルであった。ヘア・スタイルのごく普通に後ろでまとめただけ。街を歩いていれば、どこにでもいそうなお嬢さん…。しかしこの人が紡ぎ出す音楽は、私たちを惹き付ける魅力でいっぱいだ。
1曲目、クリス・デフォールト(1959~)の「デディカツィオ VI」。作曲家も知らないし、もちろん聴くのも初めてだ。2006年の作ということで、予想していたとおりの、いわゆる「現代音楽」。ジャズ・ピアニストでもあったデフォールトの作品は、即興性に富み、無調、変拍子でピアノの音が拡散と集合を繰り返す、といったイメージか。特に何かを表現した曲というようでもなく、純音楽なのであろう。音楽に対してわき上がる様々な感情を、即興的に音に置き換えた、といった印象だった。河村さんの演奏は、いつものようにキラキラと音が輝くようで、変拍子で目まぐるしく変わるテンポとリズムを、むしろ自然体で表現していたように思う。音が澄んでいると、不協和音も耳障りではなくなる。聴きやすく感じたのは、演奏が明快だったからだろうか。
2曲目はJ.S.バッハ(1685~1750)の《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」。バロックが苦手な私でも知っている曲だ。静かに粛々と始まる対位法の曲が、中盤から後半にかけて、瑞々しく彩られてきて、女性らしい繊細で豊かな抒情性を感じた。ロマン派の音楽のような艶やかで豊潤な音色だった。こういう演奏を聴かされると、バッハも意外といいなァと思えてくる、なんて言ったら、多くのバロック音楽好きの人に怒られるかもしれない。
3曲目はマンフレッド・トロヤーン(1949~)の「ピアノのためのプレリュード」から2曲。「ノクチュルヌ-春の薄明ははや」は、遅いテンポで不協和音ばかりの伴奏がゆったりと進む中、クロスハンドの左手で短音の主旋律が淡々と展開する。聴いた後でプログラムの標題を見て、なるほど、トワイライトのイメージなのか、と納得。全体に清冽にイメージでありながら靄のかかったような曖昧さを感じされる不思議な曲想。河村さんのピアノの透明な音色が奏でる不協和音の「美しさ」が印象に残った。不協和音こそは、キレイな音で弾いていただかないと聴いていてもツライものがあるが、彼女のピアノは文句なしである。この曲、最後まで不協和音しか出てこなかった。「引き裂かれた山」は一転して激しく叩き付けるような不協和音と、変則的なリズム。標題の通り、破壊的なイメージの曲だ。あごを引いて鍵盤をキッと見据える河村さんの表情が、曲と格闘しているようだった。この2曲は、2006年のミュンヘン国際コンクールの課題曲として委嘱された曲だという。河村さんはこの曲を弾いて2位に入賞したのだが、ご本人いわく「メロディーも、曲に対するイメージも記憶にない…」そうだ。それにしては…、演奏を聴いて感じられたイメージと、その後で曲名を読んだ上でのイメージは見事に一致していたと思うし、なかなかに説得力のある演奏だったと思う。
4曲目はセザール・フランク(1822~1890)の「プレリュード、コラールとフーガ」。「バッハからコンテンポラリーへ」というテーマに加えてもうひとつのキーワード「プレリュードとフーガ」を象徴的に表している選曲だ。まさにバッハと現代の間に位置する、ロマン派後期の作品だ。プレリードとコラールは和音や分散和音をつないで旋律を形成していく、美しく雄大な曲だ。ひとつひとつの和音が、豊かなニュアンスによって旋律をくっきりと浮かび上がらせ、歌い出す。フーガはバロック的構造感を浪漫的な叙情で表現していく。繰り返されるフレーズがひとつひとつ異なる色彩感を感じさせ、とても美しい演奏であった。
後半の1曲目はJ.S.バッハ/フェッルッチョ・ブゾーニ(1866~1924)編の「シャコンヌ」。4/7の「東京・春・音楽祭」に続けて聴くことになった。前回と比べると、やや落ち着いた感じで、曲に対して純粋に素直に取り組んでいるという印象を持った。ピアノの名手ブゾーニが編曲したこの曲もバッハから現代を結ぶ間を象徴する曲だといえる。高度な技巧と集中力、幅広い表現力が求められる大曲に、河村さんの多彩な音色と豊かな描写力が素晴らしく、曲全体の構成も見事、ダイナミックで劇的な表現は、「バッハからロマン派へ」といった趣だった。
2曲目は、ギョーム・コネソン(1971~)の「イニシャル・ダンス」。急-緩-急の三部構成となっていて、第1部は土俗的・原始的なリズムが激しく刻まれる打楽器的な曲想だ。中間部はゆったりしたテンポの美しい曲想、第3部はまた激しくなり、5拍子(?)のような変則的なリズムが強烈に迫ってくる。即興的な自由奔放さは現代ジャズのよう。しかし、通して聴くと決して即興ではなく、構成がしっかりと計算されていることに気づく。この曲もコンクール用の委嘱作品ということだが、完成された作品としては、2003年のオーヴェル・シュル・オワーズ音楽祭で、河村さんによって初演されたのだという。河村さんの演奏は、強烈なリズム感と飛び跳ねるようなキレの良い打鍵で、リズムだけで旋律がないような曲に彩りを与えている。曲ではなく、音そのものに色があるような印象だった。
最後は、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」。河村さんのCD『夜想~ショパンの世界』にも収録されている。全体にやや速めのテンポで、自由な弾き方をしていたように思う。もちろん、しっかりとした構造を構築しているのだが、その中で、自由な感情表現を楽しんでいるようだった。何より、演奏している時の表情が生き生きしていて、見ていても楽しくなってくる。キラキラ音の粒が煌めくようであったり、流れるようなレガート、ニュアンスを大切にしたさりげないルバートなどが、実に自然で、技巧をオモテに出さずに抒情性で彩られている。それでいて,ダイナミックで劇的であるところも、CDとは違ったライブならではの生々しいノリがあって、素晴らしかった。
アンコールはフリードリヒ・グルダ(1930~2000)作曲の『プレリュードとフーガ』より「プレリュード」。今日のテーマに沿って、現代のプレリュードだ。うねるような分散和音が美しかった。
河村尚子さんは、いま一番輝いているピアニストだ(と私は思う)。幼少の頃からドイツで育ったためか、他の日本人ピアニストとは一線を画した、実にヨーロッパ的な音色を持っている。普段から聴いている「音」が違うのだろう。そして明るく明快な感性が、幸せな音楽を聴かせてくれる。評論などでは「将来がさらに期待される」などと言われているが、むしろ「今」が輝いていると言った方が適切ではないかと思う。前回聴いた「東京・春・音楽祭」の時は、震災後の混乱が続いていた時でもあり、おそらくは河村さんご本人も、私たち聴衆も、かなりテンションがハイになっていたような気がする。あの時の演奏会は、ものすごいエネルギーに満ちていて、皆興奮状態だったと思う。あれから約3週間経った今日のリサイタルは、むしろ日常を取り戻した落ち着いたものになっていた。プログラムの半分は現代曲という企画ものコンサートではあるが、日常に立ち戻った冷静さの中で、純粋に音楽に取り組み、見事な演奏を聴かせてくれた河村さんにBrava!を送りたい。私たちも、やっと音楽的な日常を取り戻したような気がする。
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2011年4月26日(火)19:00~ 東京オペラシティ リサイタルホール 全席自由 2列 9番 3,000円
ピアノ: 河村尚子
【曲目】
K.デフォールト: デディカツィオ VI(2006)
J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」ヘ長調 BWV880
M.トロヤーン:《ピアノのためのプレリュード》(2006~08)から「ノクチュルヌ ─ 春の薄明ははや」「引き裂かれた山」
C.フランク: プレリュード、コラールとフーガ
J.S.バッハ/F.ブゾーニ編: シャコンヌ
G.コネソン: イニシャル・ダンス(2001)
F.ショパン: アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
《アンコール》
グルダ:《プレリュードとフーガ》よりプレリュード
今一番お気に入りのピアニスト、河村尚子さんが東京オペラシティの「B→C」シリーズに登場する。今年に入ってから彼女の演奏をすでに4回聴いている。1/7読売日本交響楽団サントリー名曲シリーズでグリーグのピアノ協奏曲、1/19JTアートホール室内楽シリーズ・河村尚子の室内楽、1/22越谷でリサイタル、4/7「東京・春・音楽祭」でのリサイタルである。2回聴いたリサイタルはリスト・イヤーにちなんで、リストの曲と彼の編曲した名曲を集めたものだった。今日は、東京オペラシティの「B→C」シリーズということなので趣が異なり、現代曲が多くプログラムに載っている。企画のお約束として入っているJ.S.バッハの「プレリュードとフーガ第11番」と、J.S.バッハ/F.ブゾーニ編の「シャコンヌ」(これは前回も聴いた)、そして最後のショパン以外は聴いたことがない。フランクはともかくとして、他の曲はすべて21世紀の作だ。どんな曲が飛び出してくるのか、また河村さんのキラキラと煌めくような音色とどう絡み合っていくのか、始まる前から興味津々であった。
自由席ということなので、早めに会場入り。実は知人に早く行って並んでいただいて、見事センター2列目を取っていただいた(東京オペラシティのリサイタルホールは座席番号が付いていないので、上記の9番というのは左側から9番目という意味です)。いつもの「B→C」シリーズであれば、1時間前の18:00頃にいけば、2~3列目の良い席を取れると思っていたのだが、今日は18:05くらいに付いたらもう40~50人並んでいたので驚かされた。やはり、河村さんは人気の方もたいしたものである。
今日のお衣装は、黒の上下、パンツ・スタイルであった。ヘア・スタイルのごく普通に後ろでまとめただけ。街を歩いていれば、どこにでもいそうなお嬢さん…。しかしこの人が紡ぎ出す音楽は、私たちを惹き付ける魅力でいっぱいだ。
1曲目、クリス・デフォールト(1959~)の「デディカツィオ VI」。作曲家も知らないし、もちろん聴くのも初めてだ。2006年の作ということで、予想していたとおりの、いわゆる「現代音楽」。ジャズ・ピアニストでもあったデフォールトの作品は、即興性に富み、無調、変拍子でピアノの音が拡散と集合を繰り返す、といったイメージか。特に何かを表現した曲というようでもなく、純音楽なのであろう。音楽に対してわき上がる様々な感情を、即興的に音に置き換えた、といった印象だった。河村さんの演奏は、いつものようにキラキラと音が輝くようで、変拍子で目まぐるしく変わるテンポとリズムを、むしろ自然体で表現していたように思う。音が澄んでいると、不協和音も耳障りではなくなる。聴きやすく感じたのは、演奏が明快だったからだろうか。
2曲目はJ.S.バッハ(1685~1750)の《平均律クラヴィーア曲集第2巻》から「プレリュードとフーガ第11番」。バロックが苦手な私でも知っている曲だ。静かに粛々と始まる対位法の曲が、中盤から後半にかけて、瑞々しく彩られてきて、女性らしい繊細で豊かな抒情性を感じた。ロマン派の音楽のような艶やかで豊潤な音色だった。こういう演奏を聴かされると、バッハも意外といいなァと思えてくる、なんて言ったら、多くのバロック音楽好きの人に怒られるかもしれない。
3曲目はマンフレッド・トロヤーン(1949~)の「ピアノのためのプレリュード」から2曲。「ノクチュルヌ-春の薄明ははや」は、遅いテンポで不協和音ばかりの伴奏がゆったりと進む中、クロスハンドの左手で短音の主旋律が淡々と展開する。聴いた後でプログラムの標題を見て、なるほど、トワイライトのイメージなのか、と納得。全体に清冽にイメージでありながら靄のかかったような曖昧さを感じされる不思議な曲想。河村さんのピアノの透明な音色が奏でる不協和音の「美しさ」が印象に残った。不協和音こそは、キレイな音で弾いていただかないと聴いていてもツライものがあるが、彼女のピアノは文句なしである。この曲、最後まで不協和音しか出てこなかった。「引き裂かれた山」は一転して激しく叩き付けるような不協和音と、変則的なリズム。標題の通り、破壊的なイメージの曲だ。あごを引いて鍵盤をキッと見据える河村さんの表情が、曲と格闘しているようだった。この2曲は、2006年のミュンヘン国際コンクールの課題曲として委嘱された曲だという。河村さんはこの曲を弾いて2位に入賞したのだが、ご本人いわく「メロディーも、曲に対するイメージも記憶にない…」そうだ。それにしては…、演奏を聴いて感じられたイメージと、その後で曲名を読んだ上でのイメージは見事に一致していたと思うし、なかなかに説得力のある演奏だったと思う。
4曲目はセザール・フランク(1822~1890)の「プレリュード、コラールとフーガ」。「バッハからコンテンポラリーへ」というテーマに加えてもうひとつのキーワード「プレリュードとフーガ」を象徴的に表している選曲だ。まさにバッハと現代の間に位置する、ロマン派後期の作品だ。プレリードとコラールは和音や分散和音をつないで旋律を形成していく、美しく雄大な曲だ。ひとつひとつの和音が、豊かなニュアンスによって旋律をくっきりと浮かび上がらせ、歌い出す。フーガはバロック的構造感を浪漫的な叙情で表現していく。繰り返されるフレーズがひとつひとつ異なる色彩感を感じさせ、とても美しい演奏であった。
後半の1曲目はJ.S.バッハ/フェッルッチョ・ブゾーニ(1866~1924)編の「シャコンヌ」。4/7の「東京・春・音楽祭」に続けて聴くことになった。前回と比べると、やや落ち着いた感じで、曲に対して純粋に素直に取り組んでいるという印象を持った。ピアノの名手ブゾーニが編曲したこの曲もバッハから現代を結ぶ間を象徴する曲だといえる。高度な技巧と集中力、幅広い表現力が求められる大曲に、河村さんの多彩な音色と豊かな描写力が素晴らしく、曲全体の構成も見事、ダイナミックで劇的な表現は、「バッハからロマン派へ」といった趣だった。
2曲目は、ギョーム・コネソン(1971~)の「イニシャル・ダンス」。急-緩-急の三部構成となっていて、第1部は土俗的・原始的なリズムが激しく刻まれる打楽器的な曲想だ。中間部はゆったりしたテンポの美しい曲想、第3部はまた激しくなり、5拍子(?)のような変則的なリズムが強烈に迫ってくる。即興的な自由奔放さは現代ジャズのよう。しかし、通して聴くと決して即興ではなく、構成がしっかりと計算されていることに気づく。この曲もコンクール用の委嘱作品ということだが、完成された作品としては、2003年のオーヴェル・シュル・オワーズ音楽祭で、河村さんによって初演されたのだという。河村さんの演奏は、強烈なリズム感と飛び跳ねるようなキレの良い打鍵で、リズムだけで旋律がないような曲に彩りを与えている。曲ではなく、音そのものに色があるような印象だった。
最後は、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ」。河村さんのCD『夜想~ショパンの世界』にも収録されている。全体にやや速めのテンポで、自由な弾き方をしていたように思う。もちろん、しっかりとした構造を構築しているのだが、その中で、自由な感情表現を楽しんでいるようだった。何より、演奏している時の表情が生き生きしていて、見ていても楽しくなってくる。キラキラ音の粒が煌めくようであったり、流れるようなレガート、ニュアンスを大切にしたさりげないルバートなどが、実に自然で、技巧をオモテに出さずに抒情性で彩られている。それでいて,ダイナミックで劇的であるところも、CDとは違ったライブならではの生々しいノリがあって、素晴らしかった。
アンコールはフリードリヒ・グルダ(1930~2000)作曲の『プレリュードとフーガ』より「プレリュード」。今日のテーマに沿って、現代のプレリュードだ。うねるような分散和音が美しかった。
河村尚子さんは、いま一番輝いているピアニストだ(と私は思う)。幼少の頃からドイツで育ったためか、他の日本人ピアニストとは一線を画した、実にヨーロッパ的な音色を持っている。普段から聴いている「音」が違うのだろう。そして明るく明快な感性が、幸せな音楽を聴かせてくれる。評論などでは「将来がさらに期待される」などと言われているが、むしろ「今」が輝いていると言った方が適切ではないかと思う。前回聴いた「東京・春・音楽祭」の時は、震災後の混乱が続いていた時でもあり、おそらくは河村さんご本人も、私たち聴衆も、かなりテンションがハイになっていたような気がする。あの時の演奏会は、ものすごいエネルギーに満ちていて、皆興奮状態だったと思う。あれから約3週間経った今日のリサイタルは、むしろ日常を取り戻した落ち着いたものになっていた。プログラムの半分は現代曲という企画ものコンサートではあるが、日常に立ち戻った冷静さの中で、純粋に音楽に取り組み、見事な演奏を聴かせてくれた河村さんにBrava!を送りたい。私たちも、やっと音楽的な日常を取り戻したような気がする。
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