Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

4/28(日)川久保賜紀・遠藤真理・三浦友理枝トリオ/浦安音楽ホールでお馴染みの名曲とラヴェルのピアノ三重奏曲を久々に

2019年04月28日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
浦安音楽ホール 2019/2020シーズン オープニング・ガラ・コンサート
ミューズたちが贈る名曲集とピアノ・トリオ


2019年4月28日(日)14:00〜 浦安音楽ホール 指定席 A列 8番 4,000円
ヴァイオリン:川久保賜紀
チェロ:遠藤真理
ピアノ:三浦友理枝
【曲目】
ラヴェル/山田武彦編:亡き王女のためのパヴァーヌ(トリオ)
クライスラー:美しきロスマリン(川久保/三浦)
マスネ:タイスの瞑想曲(川久保/三浦)
ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より「月の光」(三浦)
フォーレ:夢のあとに(遠藤/三浦)
サン=サーンス:白鳥(遠藤/三浦)
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 作品8(トリオ)
ラヴェル:ピアノ三重奏曲 イ短調(トリオ)
《アンコール》
 ショスタコーヴィチ:『2台のヴァイオリンのための5つの小品』より「ワルツ」(トリオ)
 ショスタコーヴィチ:『2台のヴァイオリンのための5つの小品』より「ガヴォット」(トリオ)

 千葉県浦安市にある「浦安音楽ホール」は開館してまる2年ということで、3年目のシーズンのオープニング・ガラとしての位置付けとなるコンサートが開かれた。このホールは席数300の小ホールだが音楽専用であり、またこのサイズのホールとしては座席が階段状で2階席やバルコニー席まである立体的な造りが珍しい。どの席からもステージが見やすく、音響もなかなか良いようだ。JR京葉線の新浦安駅の間近にあるのは良いが、都心からのアクセスを考えると少々来にくい感じもあるが、今後の企画次第では、リサイタルや室内楽の会場として活用の機会が広がっていくと思われる。

 今回のガラ・コンサート、出演はお馴染みのピアノ・トリオだ。ヴァイオリンの川久保賜紀さん、チェロの遠藤真理さん、そしてピアノの三浦友理枝さんのトリオは、2008年に結成されたのでもう10年を過ぎてしまった。公私ともに仲良しの三人が奏でる音楽は、トップ・レベルのソリスト集団ならではの高い音楽性と高度の技巧性を発揮し、緊密なアンサンブルと即興的なヒラメキが適度にブレンドされている。生み出される音楽は創造性に富んでいて、美しくエレガントで、心地よい。

 今日のコンサートでは、トリオが結成した時からメインに取り組んできたラヴェルの「ビアノ三重奏曲」を中心としたトリオの曲と、3人がそれぞれソリストとして演奏する名曲が用意された。
 1曲目はトリオによる演奏で、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。このトリオのために山田武彦さんが編曲したものだ。友理枝さん独特の透明感のあるピアノに、賜紀さんの滑らかなヴァイオリンが乗り、真理さんの陽性の音色のチェロがグンと低音を押し出す。この三人のバランス感覚は絶妙。なんて美しい響きなのだろう。

 続いては、賜紀さんによるヴァイオリンの名曲ということで、クライスラーの「美しきロスマリン」とマスネの「タイスの瞑想曲」が演奏された。「美しきロスマリン」はクライスラーの愛の三部作の中でも賜紀さんのお気に入りらしく、リサイタルなどでしばしば演奏される。本来は男性目線から描かれた美しいウィーン娘ということなのだろうが、賜紀さんが演奏すると、ちょっとはにかんだような娘心が浮かび上がってきて素敵だ。「タイスの瞑想曲」も何度も聴いているが、ヴァイオリニストなら誰でも必ず演奏するこの曲なのに、本当の意味で歌わせるのは意外に難しい。曲自体はオペラの間奏曲なので決して「歌」ではないのだが、器楽的な演奏だと美しい旋律の抒情性が生きて来ない。ひとつひとつの音の間合いに呼吸するような息遣いが感じられないと、旋律が歌わないのだ。賜紀さんの演奏は、ごく自然体で本当に瞑想するような夢見心地のように聞こえてくる。素晴らしい演奏だと思う。

 次は友理枝さんによるピアノのソロ。ドビュッシーの「月の光」だ。私のイメージでは、真冬の夜のキーンと引き締まった空気に差し込む冷たい月の光(関東では冬は晴れが多く空気が乾燥するため澄んでいる)。友理枝さんのピアノは本当に音が澄んでいて極めて綺麗である。微妙な不協和音を含む独特の和声が、透明度の高い空気感を描き出している。

 その次は真理さんの番で、フォーレの「夢のあとに」とサン=サーンスの「白鳥」。どちらもお馴染みの名曲である。真理さんのチェロは、基本的に陽性の音色で、艶やかでしっとりというよりはキラキラと輝いているようなところがある。チェロの音が輝くというのはちょっと変な表現になるかもしれないが、要するにその場を明るく照らすような発揮度があるということだ。この2曲はいずれもゆったりとしたテンポであり、どちらかといえばしっとり系の曲なのだが、真理さんが演奏すると明るく希望に満ちた「夢」のあとであり、白鳥が泳ぐ湖面が陽光を反射しているとでもいおうか。人柄が反映されている素敵な演奏だと思う 。

 前半の最後は再び三人が出揃い、ショスタコーヴィチの「ピアノ三重奏曲 第1番」。16歳の時の作ということで、希望と生命力が感じられる単一楽章の曲である。ハ短調という調性が採用されたことは何やら意味深ではあるが、楽曲自体は、深刻で深い憂鬱と葛藤に包まれている後年の作品に比べれば、希望や憧れを込めた抒情性を残していて、20世紀の前半(1923年)のソ連を考えれば、非常にロマンティックな作品だといえそうだ。演奏の方は、あくまで優美で上品な賜紀さんのヴァイオリンと、明快で自由度の高い真理さんのチェロが表情豊かな掛け合いを繰り返し、友理枝さんのピアノがそれをしっかりと支えている、といったイメージだろうか。


 休憩を挟んで後半は、ラヴェルの「ビアノ三重奏曲」。そもそもトリオ結成時にCD録音のメインとなった曲でもある。10年前にはコンサートで何回も聴く機会があったが、今回は久し振りとなった。曲の構造も難解にできているし、演奏にも高度な技巧性を要求される曲なので、音大生クラスの若手が演奏しているのを聴くと、弾くことに精いっぱいで解釈だとか表現だとかというレベルでないことが多い。しかし今日のトリオは全然違う。やはり10年分の円熟があり、楽曲への理解度の深さと愛着の強さを感じる。三人三様の美しい音色は何者にも替えがたい魅力であり、アンサンブルが溶け合って美しいハーモニーを織り成すかと思えば、一人がすーっと浮き上がってくると他の二人がちょっと控え目になったりする。複雑な構造を辿りながらも、旋律や和声を活かすためにテンポは柔軟に変化させていくし、音量のバランスも一音ずつ変化する。そのような音楽つくりが阿吽の呼吸で出来上がっているのである。久し振りゆえに時折ちょっとした乱れが生じても、一瞬の後に美しさを取り戻す。一流の演奏家同士の信頼と尊敬が生み出す演奏は、聴いていて本当に心地よく、次々と繰り出されてくる音の流れに身を任せているだけで至高の幸福を感じさせてくれた。素敵な演奏だったと思う。

 アンコールは2曲。ショスタコーヴィチの『2台のヴァイオリンのための5つの小品』より「ワルツ」と「ガヴォット」が演奏された。もちろん第2ヴァイオリンのパートはチェロで演奏された。この小品集はとても可愛らしい曲で、ショスタコーヴィチも本来は楽しいことが好きだったのだろうと、その人柄が偲ばれる。

 こうしてコンサートを概観してみると、演奏の方は手堅いものを感じさせるもので、トリオも10年を経過して円熟の域に近づいて来ているのかとも思えた。いずれにしても、聴いていて心地よく、聴く者を共感させる音楽空間を創造していくことのできる素晴らしいトリオであることは間違いない。
 一方で、新しいホールにも若干の不満が残る。音響面のことなのだが、ヴァイオリンとチェロについてはクリアで濁りのない、素直な響き方で良かったが、ピアノの音があたかも霧の中に乱反射しているような漠然とした響き方で、透明度の高い友理枝さんのピアノがボンヤリしたものになってしまっていた。いつものように最前列で聴いていたので、他のホールとはかなり違った響き方であることを実感した次第である。これだと後方席ではどうなるのか。ラヴェルやドビュッシー、そしてショスタコーヴィチなど、不協和音を多く含むピアノの楽曲は要注意かもしれない。

 終演後には恒例のサイン会があった。三人のCDは全部サイン入りで持っているので(しかも複数枚)、今さらサイン会に参加するのも忍びないが、ご挨拶だけはしておこうと列の最後に並び、結局は当日のチラシにサインをいただいた。そしてこれまた恒例の撮影会。美しいミューズたちは本当に絵になる。世間は10連休のゴールデンウィークが始まったところだが、旅行にも行かない私は引きこもっているしかないが、今日のような素晴らしいコンサートを聴くことができれば至高の幸せを感じるのである。


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4/12(金)東京・春・音楽祭/15周年ガラコンサート/一夜限りの豪華スター歌手たちの饗宴/やはりピーター・ザイフェルトが圧倒的な存在感

2019年04月12日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
東京・春・音楽祭 2019
The 15th Anniversary Gala Concert


2019年4月12日(金)18:30〜 東京文化会館・大ホール A席 1階 3列 20番 12,900円
指揮:フィリップ・オーギャン
ソプラノ:ミーガン・ミラー
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・クールマン
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ジョン・ルンドグレン
バス:イェンス=エリック・オースボー
管弦楽:読売日本交響楽団
【曲目】
チャイコフスキー:歌劇『エフゲニー・オネーギン』第3幕より「ポロネーズ」(管弦楽のみ)
チャイコフスキー:歌劇『エフゲニー・オネーギン』第3幕よりグレーミンのアリア「恋は年齢を問わぬもの」(オースボー)
ハイドン:オラトリオ『天地創造』 第2部より第22曲「今や天はこの上なく輝き」(ルンドグレン)
R.シュトラウス:歌劇 『エレクトラ』より 「ひとりだ!なんと悲しいこと」(ミラー)
ワーグナー:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第3日『神々の黄昏』第1幕より「私の言うことをよく聞いてください!」(クールマン)
ヴェルディ:歌劇 『オテロ』第2幕 より オテロとイアーゴの二重唱「神にかけて誓う」(ザイフェルト、ルンドグレン)

ワーグナー:楽劇 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲(管弦楽)
ワーグナー:歌劇 『さまよえるオランダ人』第2幕より ダーラントのアリア「我が子よ、いらっしゃいをお言い」(オースボー)
ワーグナー:歌劇 『タンホイザー』第2幕 より 歌の殿堂のアリア「おごそかなこの広間よ」(ミラー)
ワーグナー:歌劇 『ローエングリン』第3幕 より グラール語り「はるかな国に」(ザイフェルト)
ワーグナー:舞台神聖祝典劇 『パルジファル』第3幕より「その通り!ああ!哀しくもつらいこの身」(ルンドグレン)
ワーグナー:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第1日『ワルキューレ』第2幕より「それならば、永遠の神々はもうお仕舞なのですか」(クールマン)
ワーグナー:舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』第1日『ワルキューレ』第1幕より「寝ているのですか?客人よ」〜「ジークムント、ヴェルゼの子よ!」(ミラー、ザイフェルト)

 「東京・春・音楽祭」は今年2019年の開催で第15回を迎える。本日はそれを記念するガラ・コンサートだ。この音楽祭でメインに採り上げて来たワーグナー・シリーズも10回目を迎え、先週4月5日と7日に初期のオペラ『さまよえるオランダ人』を演奏会形式で上演した。そして本日のガラ・コンサートでは、ワーグナー作品のオペラ・アリアを中心としたプログラムで、世界クラスの一流のオペラ歌手たちが、自慢の歌唱を披露することになった。
 その歌手たちとは、ソプラノがミーガン・ミラーさん、メゾ・ソプラノはエリーザベト・クールマンさん、テノールがペーター・ザイフェルトさん、バリトンはジョン・ルンドグレンさん、バスがイェンス=エリック・オースボーさんという顔ぶれだ。先週の『さまよえるオランダ人』に出演した中からは、ザイフェルトさんとオースボーさんが登場した。
 歌唱の方は、皆さん世界のトップクラスの人たちだけあって、見事な歌唱が次々と続く。最初のチャイコフスキーは意外なプログラムのようにも思えたが、後はヴェルディの『オテロ』を除いてすべてがドイツもので占められ、とくに後半はワーグナー三昧となった。出演者がほぼ均等にアリアを歌うというプログラム構成で、ザイフェルトさんは前半・後半に1曲ずつ二重唱も歌った。
 5名の歌手は皆素晴らしい実力の持ち主で、ドイツ・オペラ、とくにワーグナーを歌うにあたっては、まあとにかくスゴイ。力感、質感とも抜群で、やはり経験の深さと慣れを感じる。日本人歌手にはなかなかこういった地力を感じさせる人は見当たらないような気がした。とくに、ザイフェルトさんの歌唱力は圧倒的で、『さまよえるオランダ人』では主役でなかった分だけ、あるいは3曲だけだったためか、圧倒的な存在感があり、その迫力には痺れるような感動(あるいは快感)に貫かれた思いだ。オペラは何だかんだといっても、主役の歌手次第で最終的にはすべてが決まる。ザイフェルトさんのような逸材がいるだけで、その場の空気感が全然違ってくるのだ。今回の音楽祭で2つのコンサートを聴いて、すっかりファンになってしまった。
 ワーグナー作品は独立したアリアであっても曲が途切れないので、始まりも終わらせ方もちょっと難しい。指揮のフィリップ・オーギャンさんは、そのような切れ切れのワーグナー作品をうまくまとめていた。管弦楽は読売日本交響楽団がステージに上がった。最近はオペラのピットに入る機会も多くなって来ているだけあって、オペラ的な歌唱に会わせる柔軟性を身に付けている。爆音を轟かせる時の読響は非常にノリがよくなるので、ワーグナー作品を中心に中々素晴らしい演奏を展開した。いざという時に馬力を発揮できる読響ならではの、迫力と色彩美に包まれた良い演奏だったと思う。
 全体を通してみれば、それはもう贅沢な、夢のようなガラ・コンサートだつたといえる。これだけのメンバーと楽曲によるコンサートは、本国のドイツでも中々できないのではないだろうか。至福の一夜であった。


今年の「東京・春・音楽祭」では各会場に音楽祭のロゴ入りの酒樽が置かれていた。


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4/5(金)東京・春・音楽祭2019/『さまよえるオランダ人』圧巻!ブリン・ターフェル、ペーター・ザイフェルト、リカルダ・メルベート

2019年04月05日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
東京・春・音楽祭 2019
ワーグナー・シリーズ Vol.10
『さまよえるオランダ人』(演奏会形式/字幕・映像付)


2019年4月5日(金)19:00〜 東京文化会館・大ホール S席 1階 3列 24番 18,000円
指 揮:ダーヴィト・アフカム
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:ライナー・キュッヒル
合 唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
映像:中野一幸
【出演】
オランダ人:ブリン・ターフェル(バス・バリトン)
ダーラント:イェンス=エリック・オースボー(バス)
ゼンタ:リカルダ・メルベート(ソプラノ)
エリック:ペーター・ザイフェルト(テノール)
マリー:アウラ・ ツワロフスカ(メゾ・ソプラノ)
舵手:コスミン・イフリム(テノール)

 「東京・春・音楽祭 2019」におけるメイン・イベントのひとつ、ワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』を聴く。東京文化会館・大ホールで、演奏会形式による公演だ。この音楽祭では、ワーグナー作品を毎年1作ずつ上演してきて、今回で10作目となる。『さまよえるオランダ人』は初期の作品であり、もっとも上演時間が短い作品とされているが、それでも正味2時間10〜15分くらいあり、今日の公演でも19時ジャストに開演したのに30分の休憩をはさみ、終わったのは22時であった。
 クラシック音楽趣味の人の中にはオペラにはまったく興味を示さない人もけっこういるが、私はかなりオペラ好きの方だと思う。独墺系ではモーツァルト、ベートーヴェン(実は『フィデリオ』が大好き)、リヒャルト・シュトラウス。イタリア系ではドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルデイ、プッチーニ・・・・。だがそれらの中にワーグナーは含まれない。そう、私はワーグナーが苦手なのだ。序曲や前奏曲などの管弦楽曲はコンサートでもよく聴いているし、別に嫌いではない。ただしオペラ作品となると、本能的に拒否してしまう。その理由は単純。上演時間が長いからだ。作品自体が3時間を超えるようになると、聴く側も集中力が続かなくなってくる。もちろん演奏している側の人たちは、その間ずっと緊張と集中を強いられるわけで、大変ご苦労なことだとは思うが、私などはただ座って聴いているだけでも疲れるのに、とくに平日のソワレ公演の場合には1日中仕事をしてから会場に来るわけで、始まる前から疲れ切っているわけだ。愚痴をこぼしてもしょうがないが、そういうわけでワーグナーは苦手。これまでまともに聴いたことがあるのは、いずれも短めの『ラインの黄金』と『ワルキューレ』くらいしかないのである。
 つまり、『さまよえるオランダ人』は今回初めて聴いたわけで(日々忙しいので予習も一切なし)、そのような立場でレビューを書くのもいささか恐縮するものではあるが、まあ今回は思いっきり素人の立場で書いてみたい。むしろこれからワーグナーに挑戦、あるいはそろそろオペラに行ってみたい、というような人たちの参考にならなるかもしれない。

 リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883)は、現在上演できる形のオペラ・楽劇として11の作品を残しているが、『さまよえるオランダ人』はそれらの内の第2作に当たり、1843年にザクセン州のドレスデンで初演された。20歳代の終わりという若い時期の作品であるため、尊敬していたウェーバーのオペラの影響を受け、また時代的にもフランスのグランド・オペラやイタリア・オペラの影響も残っているように思える。楽曲は、調性も明瞭だし、美しい和声とロマン的な旋律に彩られている。全曲が休止なく演奏される形式は画期的だったが、主人公たちがたっぷりと時間をかけて歌うアリアや二重唱、三重唱などが独立していて、旧来の番号オペラに近い要素も見られる。内容的には3幕構成を採っているが、ワーグナー自身の希望に従って全幕を連続させて1幕もののオペラとして上演されることが現在では多い。
 本日は演奏会形式であるにもかかわらず、第1幕の後に30分の休憩を挟む形式で演奏された。演奏会形式であるから、オーケストラは通常通りのやや奥まった位置のステージ上に配置され、奧の雛壇には合唱団、ステージ手前にスペースを持たせて歌手陣の歌う場所と出入りの通路を確保している。
 指揮するのはダーヴィト・アフカムさん。ドイツを中心に活躍している新進気鋭の若手といったところか。
 一方、歌手陣には実力派のベテランが招聘されている。主役のオランダ人にはブリン・ターフェルさん。私は直接聞くのは初めてだが、録音や映像ものでは昔から知っていたので、彼の登場は嬉しい。ヒロインのゼンタ役は、ドラマティック・ソプラノのリカルダ・メルベートさん。ダーラント役は、当初はアイン・アンガーさんが予定されていたが、1週間くらい前に体調不良による降板が発表され、代役としてイェンス=エリック・オースボーさんが登場した。そしてエリック役はヘルデン・テノールの名手ペーター・ザイフェルトさんである。これはもう役者が揃った感じのキャスティングで、ウィーンやドレスデン、あるいはバイロイトの常連クラスの人たちなので、東京・春・音楽祭の演奏会形式による2回公演にはもったいないくらいの面々だといえよう。
 管弦楽はNHK交響楽団。コンサートマスターは元ウィーン・フィルのライナー・キュッヒルさんがゲスト参加している。合唱はプロ声楽家集団の東京オペラシンガーズ。
 演奏と歌唱は完全に演奏会形式だが、唯一の演出として、ステージ後方の壁面に大型のスクリーンが用意され、そこにはオペラの進行に従って、いわば舞台装置の代用としてシチュエーションを表す映像が映し出されていた。つまり、嵐の海であるとか、港にダーラントの船が停泊したり、幽霊船が現れたり、ゼンタとオランダ人が出会う部屋であったり、最後は幽霊船が沈没したりと、物語がビジュアル化された。これは非常に良い方法で、演奏会形式だと登場人物は普通のステージ衣装で歌うわけだし、字幕で歌詞を追っているだけでは、知らない人にはストーリーが掴みにくいという問題を補ってくれる。説明的な文字情報を一切入れない映像だけというのも、上演を安っぽくしなくて良かったと思う。

 実際の演奏の方はというと、これは総合的に判断して素晴らしい公演になったといえる。
 何よりも歌手陣が素晴らしかった。とくにオランダ人役のターフェルさんのオランダ人は強烈な印象を残した。瞬発力のあるバリトンは深く艶やかで声量もたっぷり、地獄の底から迸るような力強い押し出しがある。苦悩を歌う際にも過度に感傷的・感情的にはならず、主張を持った強さを見せる。強烈なオーラを放つ、圧倒的な存在感と質感だ。
 ゼンタ役のメルベートさんは、独白的にささやくような弱音から感情を迸らせるような絶唱まで幅広いダイナミックレンジを持ち、張りと艶のある声質に加えて、繊細であったり感情的出会ったりと多様に変化する感情表現が素晴らしい。力のある歌手と言うよりは、表現者としての力量が目立つ存在だった。
 エリック役のザイフェルトさんは、まさにワーグナーのテノールとしての本領を発揮していた。分かりやすく言ってしまえば振られてしまう男の役であるのに、惨めさ、情けなさといった情感をはねつけ、気高く尊厳を保ちつつ苦悩する。そんな役回りを、輝やくような声質で、力感たっぷりの堂々の歌唱だ。昨年(2018年)の春に東京フィルハーモニー交響楽団の定期シリーズの客演して、演奏会形式で『フィデリオ』のフロレスタンを歌った時と比べると、やはりこの人はワーグナー歌いなのだと感じた。
 代役だったオースボーさんは豊かな声量のバスでダーラント役をそつなくこなし、他の出演者も水準以上のレベルを保っていた。出演者の中で脇役の技量が落ちるのを見つけては批判的に言う人をしばしば見かけるが、脇役は脇役であって主役ではないのだから、ドラマトゥルギーから見てもキャスティングとしては間違ってはいないのだと思う。
 さて、歌手陣の素晴らしさ(バイロイト・レベル)に対して、オーケストラ側に難があったというのが個人的な感想である。指揮のアフカムさんは、全体的な傾向としてはインテンポで抑揚の乏しい音楽作りだったようだ。少なくとも第1幕あたりはそうした印象が強かった。終盤に至って盛り上げようと試み、ある程度は成功していたようだが。演奏する側のN響も全体的に抑揚に乏しい。いつも聴いているキレイなN響サウンドではあるが、キュッヒルさんが指揮者と歌手たちを交互に見ながら盛んに煽っていく(彼の音だけがハッキリと聞こえた)のに、オーケストラ側が呼応していかない。オペラ的な柔軟さ、しなやかさ、そして瞬発力がなく、ドラマティックに聞こえなかったので残念である。シンフォニー・オーケストラには『さまよえるオランダ人』を通しで演奏する機会はほとんどないだろうから、これは経験が必要なことなのだろう。同じことは東京オペラシンガーズにもいえた。やはりワーグナー作品は難しいのかもしれない。

 総合的に見て、今回の『さまよえるオランダ人』の公演は素晴らしいものであった。オペラは、舞台形式であろうと演奏会形式であろうと、様々な、数多くの要素から成り立っている。目に見える部分だけでも、指揮、オーケストラ、複数の歌手たち、合唱、演出、衣装、照明などがあるし、見えない部分にもコレペティトゥーアや合唱指揮を初めとして大勢のスタッフがいる。だから上演のたびに色々なことが起こる。毎回毎回完璧に事が運ぶはずがないのだ。だからこそ、オペラの評価は総合的にすべきだと思うのである。・・・・そして、ワーグナーが苦手な私から見ても、今回の『さまよえるオランダ人』の公演はBravo!! であった。

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