開館5周年記念事業 FOCUSこがねい
演劇的組歌曲「悲歌集」
2018年3月31日(土)15:00〜 小金井 宮地楽器ホール・大ホール S席 1階 1列 13番 4,500円
メゾ・ソプラノ:林美智子
テノール:望月哲也
フルート:佐久間由美子
ギター:福田進一
【曲目】
ポンセ:「我が心君へ」「エストレリータ」(福田)
シューベルト:歌曲集『冬の旅』より「菩提樹」「春の夢」(望月/福田)
ピアソラ:「オブリヴィオン」「チェ・タンゴ・チェ」(林/福田)
野平多美編:『3つの日本の歌』より「荒城の月」(佐久間/福田)
野平一郎編:『3つの日本の歌』より「城ヶ島の雨」「ふるさと」(佐久間/福田)
武満 徹:「エア フルートのための」(佐久間)
野平一郎作曲/林望作詩:演劇的組歌曲『悲歌集』(林/望月/佐久間/福田)
第1曲 男「悲しいぞ」
第2曲 女「得失」
第3曲 二重唱「豪雨と雷鳴」
第4曲 男「八年の痛み」
第5曲 二重唱「海風」
第6曲 女「想うことはいつも」
第7曲 二重唱「永劫の・・・」
今日は年度末の3月31日。月半ばより例年になく暖かい日が続き、東京の桜もすでに満開を過ぎて散り始めている。ちょうど3年前の2015年3月31日に、JR総武線の千駄ヶ谷駅前にあったクラシック音楽専用ホールの「津田ホール」が諸般の事情により閉館となった。本日はその津田ホールゆかりの作品の演奏会である。
12年前の2006年2月14日、津田ホール初の委嘱作品として、野平一郎作曲、林 望作詞による演劇的組歌曲『悲歌集』が初演された。作品はギターの福田進一さんの演奏を中心に据え、メゾ・ソプラノの林 美智子さんとテノールの望月哲也さんの歌唱、それに佐久間由美子さんのフルートが加わるという編成で、7曲の歌曲からなる。
林 望さんの歌詞は、男女間の悲しい恋愛事情を物語性のある生々しい言葉で綴ったもので、野平さんの音楽はもちろん現代的な鋭さと不条理性で、複雑な情感を詩情豊かに描き出している。当時は若手で売り出し中であった林 美智子さんと望月哲也さんが現代曲の難しい歌曲を瑞々しく歌い上げていた。
こうして『悲歌集』は作品としても、演奏としても高い評価を得たのである。そして、翌2007年5月30日、津田ホールで再演された。私はその演奏会を聴きに行った。難解な音楽だとは感じたものの、その研ぎ澄まされたような音楽世界に強い感銘を受けたことも確かだった。その日の再演のコンサートの模様がNHK-FMで後日放送されたので、私はそれを録音して、CDに編集して長らく保管していたはずであった。今回、小金井に場所を変えて『悲歌集』の演奏会が行われることを知り、いつもの通りに最前列のチケットを取った。自作した『非歌集』のCDは、他のCDの山の中に埋もれてしまっていて見つからなかったが、パソコンの中に録音の音源が残っていたため、最新のオーディオ・ソフトで編集し直して、再度CDに焼き、パッケージも古いデータを再構築して自作した。つまりデジタル・リマスター盤というわけである(?)。従って、今回は曲をよく知った上での鑑賞ということになった。
会場となった「小金井 宮地楽器ホール」には初めて訪れた。開館5周年というから、あまり知られていないのかもしれない。東京都小金井市のいわゆる公的な「市民交流センター」であるが、ネーミング・ライツ導入により「小金井 宮地楽器ホール」の名称となっている。JR中央線の武蔵小金井駅の南口の駅前にあり、ガラス張りの現代的な建物の中に、音楽用の大ホール、小ホール、美術展示用の市民ギャラリー、練習室、茶道・華道などに使える和室、講演会なども行えるマルチパーパススペースなどを備えた多目的の文化施設である。
大ホールは2階構造を持った579席。実質的には小〜中ホールの規模だが、ステージは広く、オーケストラも乗せられるくらいで、可動式の反響板も設置されている。音響もなかなか良い感じであった。本日の演奏会は、最大4名による室内楽であるし、演奏の中心が音量の小さいギターなので、会場としてはちょっと大きすぎるかな、というところだ。
ポンセの「我が心君へ」と「エストレリータ」の2曲を福田さんがギターのソロで演奏された後、マイクを取って簡単な趣旨説明があった。彼が語るには、「本日はアンコールから始めました」と。メイン・プログラムである後半の『悲歌集』は50分間にも及ぶ大曲なので、その後でアンコールは無理、だから前半に小品を集めたというわけだ。前半は4名の演奏家(日本を代表するトップクラスの4名)がそれぞれの持ち味を十分に発揮していた。
福田さんのロマンティックなギターのソロに続いて、望月さんによるシューベルトの歌曲「菩提樹」と「春の夢」。ノーブルで透明感の或ある望月さんのテノールは、ドイツ歌曲の抑制的な表現にもよく合っている。伴奏が福田さんのギターというのも、珍しくもあり、また落ち着いた音楽世界を創り出している(今日はピアノがなく、すべて福田さんのギターが伴奏をする)。そういえば1週間後の4月7日には、Hakuju Hallで望月さんの「美しき水車小屋の娘」の演奏会があるが、その日の伴奏もギターの朴 葵姫さんである。
続いては林さんがピアソラの「オブリヴィオン(忘却)」と「チェ・タンゴ・チェ」を歌った。アルゼンチン・タンゴとクラシック音楽を融合させた傑作である。日常会話に近いメゾ・ソプラノの声域で、人間味が強く、体温を感じさせる歌唱であった。
前半の音楽は世界を駆け巡る。メキシコ(ポンセ)、ドイツ(シューベルト)、アルゼンチン(ピアソラ)、そして日本。野平多美さんの編曲によるフルートとギターのための「荒城の月」は、タンゴ風のリズムが面白い。続いて野平一郎さんの編曲による「城ヶ島の雨」はブルース風、「ふるさと」はお馴染みの旋律が妙な方向に転調していく不思議な作品だ。佐久間さんのフルートは落ち着きがある感じの柔らかな音色が自然でとても美しい。
最後は佐久間さんのフルートのソロで、武満 徹の「エア フルートのための」。武満さんの遺作である。自然の空気感を見事に描き出した作品に、佐久間さんのフルートが優しい風のように聞こえた。
後半はいよいよ『悲歌集』である。「演劇的組歌曲」とあるように、この作品が描くのは物語性のある世界で、朗読劇のような歌詞の歌曲が7曲まとめられている。テノールの独唱曲とメゾ・ソプラノの独唱曲が2曲ずつと、二重唱の曲が3曲。全曲ともギターの伴奏(伴奏と言うにはかなり存在感がある現代音楽調だが)で、フルートが加わる曲もある。組歌曲なのでそれぞれは独立しているが、それどれの間をギターのソロやフルートを交えた間奏曲でつなぐカタチになっていて、全曲が連続して演奏される。
第1曲は望月さんの歌唱で「悲しいぞ」。別れた女への断ち切れない心情を歌う。望月さんの歌唱は、熱い心情が込められて歌われるが、あくまでノーブルで、声質も透明感がある。じっくりと歌う歌曲だけに、オペラの舞台とは違って、その心情表現には細やかなニュアンスが込められている。
フルートとギターによる間奏曲を挟んで第2曲は林さんの歌唱で「得失」。別れた女側の心情が歌われる。そこでは恋は罪だという。林さんの歌唱はこれまで随分たくさん聴いて来たが、本当の意味での現代ものはこの曲くらいかもしれない。無調のようで、音がどこに飛んでいくか予測できないような旋律が無常感・喪失感をうまく表現している。人の会話に近い音域のメゾ・ソプラノの温かみのある声が、かえって嘆きの心情を浮き彫りにしていく。
ギターによる間奏曲を経て、第3曲は二重唱「豪雨と雷鳴」。神経を逆撫でするようなフルートに乗せて、物語の情景を語るト書きの歌詞が歌われる。時系列的に少し遡って、豪雨が降り雷鳴が轟く夜、車を走らせていた2人だったが、女の家に着くと別れの時が来る。男と女がそれぞれの未練の残る心情を歌う。二重唱というよりは、ここではオペラの1場面のようにリアルな音楽表現となっていて、演奏を聴いていると情景が目に浮かぶようであった。
フルート独奏による間奏曲を経て、第4曲は望月さんの歌唱による「八年の痛み」。8年間も続いた男と女の関係、その肉欲の日々を思い出し嘆き苦しむ。望月さんの心情表現には鬼気迫るものがあり、オペラ界の第一人者たる力量を見せる。
フルート独奏による短い序奏に続き、第5曲は二重唱「海風」。この曲にはギターの伴奏がなく、テノールとメゾ・ソプラノとフルートの三重奏のようなカタチになり、「失われた恋」に思いを残す2人の心情が海辺の風景に置き換えられて語られていく。
今度はギター独奏による長めの間奏曲が入り、続く第6曲は林さんの歌唱による「想うことはいつも」。ここでガラリと雰囲気が変わる。林望さんの解説文によれば「この曲は歌謡曲である」とのこと。調性音楽になり、ジャズ風のギターが付く。もちろん野平さんの音楽であるから、歌謡曲といえるほど単純ではないが・・・・。女が遠い空の下にいるであろう別れた男をカラリと歌う。
最後となる第7曲は、二重唱「永劫の・・・」。フルートを交えて4名による演奏である。男と女の忘れられない相手への想いは、無理矢理忘れようとする永劫の嘘に置き換えられていく。最後は言葉を持たないフルートが張り裂けそうな心の叫びを訴えかける。
『悲歌集』は50分近い大曲ではあるが、たった4名で演奏されたとは思えない程の、重さがあった。この曲が「歌劇的」組歌曲であったら、もっと物語的になり、特定のキャラクタを持つ人物の特定のお話になってしまうような気がする。「演劇的」組歌曲であることで、どこにでもいるような「男」と「女」による抽象的・観念的な世界観が生まれ、かえってリアルな悲恋の心情を描くのに成功している。もちろん、林望さんの作詞だけでなく、野平さんの音楽も素晴らしい効果を発揮した。とにかく緊張感の高い音楽であり、決して分かりにくい現代音楽という訳でもない。調性が曖昧で先の展開が読めないことが聴く者を惹き付け、この独特の世界観に呼び込まれてしまう。福田さんのギターも、この長い曲をほぼ一手に引き受け、無常感に包まれた世界を見事な演奏で創り出していた。素晴らしい再演だったと想う。
ただ苦言を一言。この静かな音楽を演奏している最中、大きな咳やクシャミなどがかなり頻繁に聞こえた。目の前で聴いているギターの音よりもかなり大きな咳が後方の席から聞こえて来るのだ。それも後半から終盤に向けて段々多くなってきた。誰かがするから自分も、と段々無遠慮になってくる。聴く方の集中が途切れてしまったように思えた。これでは音楽を聴きに来ているのか、演奏の邪魔をしに来ているのか分からない。花粉症の季節柄、仕方のないことかもしれないが、もう少し「我慢」することはできないものだろうか。
終演後には、出演者の4名に野平さんと林望さんも加わってサイン会が開かれた。私は2007年の録音から作成したCDを林美智子さんと望月さんにプレゼントし、ジャケットのウラ面に6名の方々のサインをいただいた。作詞家、作曲家、演奏者の全員が揃ったものになったので、大変嬉しかった。永久保存版として今度こそキチンと保管しておこう。
最後に皆さんで記念撮影ということになった。左から、望月哲也さん(テノール)、林 望さん(作詞)、福田進一さん(ギター)、野平一郎さん(作曲)、林美智子さん(メゾ・ソプラノ)、佐久間由美子さん(フルート)。一番右は、『悲歌集』の生みの親で、元津田ホールプロデューサーの楠瀬寿賀子さんである。
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演劇的組歌曲「悲歌集」
2018年3月31日(土)15:00〜 小金井 宮地楽器ホール・大ホール S席 1階 1列 13番 4,500円
メゾ・ソプラノ:林美智子
テノール:望月哲也
フルート:佐久間由美子
ギター:福田進一
【曲目】
ポンセ:「我が心君へ」「エストレリータ」(福田)
シューベルト:歌曲集『冬の旅』より「菩提樹」「春の夢」(望月/福田)
ピアソラ:「オブリヴィオン」「チェ・タンゴ・チェ」(林/福田)
野平多美編:『3つの日本の歌』より「荒城の月」(佐久間/福田)
野平一郎編:『3つの日本の歌』より「城ヶ島の雨」「ふるさと」(佐久間/福田)
武満 徹:「エア フルートのための」(佐久間)
野平一郎作曲/林望作詩:演劇的組歌曲『悲歌集』(林/望月/佐久間/福田)
第1曲 男「悲しいぞ」
第2曲 女「得失」
第3曲 二重唱「豪雨と雷鳴」
第4曲 男「八年の痛み」
第5曲 二重唱「海風」
第6曲 女「想うことはいつも」
第7曲 二重唱「永劫の・・・」
今日は年度末の3月31日。月半ばより例年になく暖かい日が続き、東京の桜もすでに満開を過ぎて散り始めている。ちょうど3年前の2015年3月31日に、JR総武線の千駄ヶ谷駅前にあったクラシック音楽専用ホールの「津田ホール」が諸般の事情により閉館となった。本日はその津田ホールゆかりの作品の演奏会である。
12年前の2006年2月14日、津田ホール初の委嘱作品として、野平一郎作曲、林 望作詞による演劇的組歌曲『悲歌集』が初演された。作品はギターの福田進一さんの演奏を中心に据え、メゾ・ソプラノの林 美智子さんとテノールの望月哲也さんの歌唱、それに佐久間由美子さんのフルートが加わるという編成で、7曲の歌曲からなる。
林 望さんの歌詞は、男女間の悲しい恋愛事情を物語性のある生々しい言葉で綴ったもので、野平さんの音楽はもちろん現代的な鋭さと不条理性で、複雑な情感を詩情豊かに描き出している。当時は若手で売り出し中であった林 美智子さんと望月哲也さんが現代曲の難しい歌曲を瑞々しく歌い上げていた。
こうして『悲歌集』は作品としても、演奏としても高い評価を得たのである。そして、翌2007年5月30日、津田ホールで再演された。私はその演奏会を聴きに行った。難解な音楽だとは感じたものの、その研ぎ澄まされたような音楽世界に強い感銘を受けたことも確かだった。その日の再演のコンサートの模様がNHK-FMで後日放送されたので、私はそれを録音して、CDに編集して長らく保管していたはずであった。今回、小金井に場所を変えて『悲歌集』の演奏会が行われることを知り、いつもの通りに最前列のチケットを取った。自作した『非歌集』のCDは、他のCDの山の中に埋もれてしまっていて見つからなかったが、パソコンの中に録音の音源が残っていたため、最新のオーディオ・ソフトで編集し直して、再度CDに焼き、パッケージも古いデータを再構築して自作した。つまりデジタル・リマスター盤というわけである(?)。従って、今回は曲をよく知った上での鑑賞ということになった。
会場となった「小金井 宮地楽器ホール」には初めて訪れた。開館5周年というから、あまり知られていないのかもしれない。東京都小金井市のいわゆる公的な「市民交流センター」であるが、ネーミング・ライツ導入により「小金井 宮地楽器ホール」の名称となっている。JR中央線の武蔵小金井駅の南口の駅前にあり、ガラス張りの現代的な建物の中に、音楽用の大ホール、小ホール、美術展示用の市民ギャラリー、練習室、茶道・華道などに使える和室、講演会なども行えるマルチパーパススペースなどを備えた多目的の文化施設である。
大ホールは2階構造を持った579席。実質的には小〜中ホールの規模だが、ステージは広く、オーケストラも乗せられるくらいで、可動式の反響板も設置されている。音響もなかなか良い感じであった。本日の演奏会は、最大4名による室内楽であるし、演奏の中心が音量の小さいギターなので、会場としてはちょっと大きすぎるかな、というところだ。
ポンセの「我が心君へ」と「エストレリータ」の2曲を福田さんがギターのソロで演奏された後、マイクを取って簡単な趣旨説明があった。彼が語るには、「本日はアンコールから始めました」と。メイン・プログラムである後半の『悲歌集』は50分間にも及ぶ大曲なので、その後でアンコールは無理、だから前半に小品を集めたというわけだ。前半は4名の演奏家(日本を代表するトップクラスの4名)がそれぞれの持ち味を十分に発揮していた。
福田さんのロマンティックなギターのソロに続いて、望月さんによるシューベルトの歌曲「菩提樹」と「春の夢」。ノーブルで透明感の或ある望月さんのテノールは、ドイツ歌曲の抑制的な表現にもよく合っている。伴奏が福田さんのギターというのも、珍しくもあり、また落ち着いた音楽世界を創り出している(今日はピアノがなく、すべて福田さんのギターが伴奏をする)。そういえば1週間後の4月7日には、Hakuju Hallで望月さんの「美しき水車小屋の娘」の演奏会があるが、その日の伴奏もギターの朴 葵姫さんである。
続いては林さんがピアソラの「オブリヴィオン(忘却)」と「チェ・タンゴ・チェ」を歌った。アルゼンチン・タンゴとクラシック音楽を融合させた傑作である。日常会話に近いメゾ・ソプラノの声域で、人間味が強く、体温を感じさせる歌唱であった。
前半の音楽は世界を駆け巡る。メキシコ(ポンセ)、ドイツ(シューベルト)、アルゼンチン(ピアソラ)、そして日本。野平多美さんの編曲によるフルートとギターのための「荒城の月」は、タンゴ風のリズムが面白い。続いて野平一郎さんの編曲による「城ヶ島の雨」はブルース風、「ふるさと」はお馴染みの旋律が妙な方向に転調していく不思議な作品だ。佐久間さんのフルートは落ち着きがある感じの柔らかな音色が自然でとても美しい。
最後は佐久間さんのフルートのソロで、武満 徹の「エア フルートのための」。武満さんの遺作である。自然の空気感を見事に描き出した作品に、佐久間さんのフルートが優しい風のように聞こえた。
後半はいよいよ『悲歌集』である。「演劇的組歌曲」とあるように、この作品が描くのは物語性のある世界で、朗読劇のような歌詞の歌曲が7曲まとめられている。テノールの独唱曲とメゾ・ソプラノの独唱曲が2曲ずつと、二重唱の曲が3曲。全曲ともギターの伴奏(伴奏と言うにはかなり存在感がある現代音楽調だが)で、フルートが加わる曲もある。組歌曲なのでそれぞれは独立しているが、それどれの間をギターのソロやフルートを交えた間奏曲でつなぐカタチになっていて、全曲が連続して演奏される。
第1曲は望月さんの歌唱で「悲しいぞ」。別れた女への断ち切れない心情を歌う。望月さんの歌唱は、熱い心情が込められて歌われるが、あくまでノーブルで、声質も透明感がある。じっくりと歌う歌曲だけに、オペラの舞台とは違って、その心情表現には細やかなニュアンスが込められている。
フルートとギターによる間奏曲を挟んで第2曲は林さんの歌唱で「得失」。別れた女側の心情が歌われる。そこでは恋は罪だという。林さんの歌唱はこれまで随分たくさん聴いて来たが、本当の意味での現代ものはこの曲くらいかもしれない。無調のようで、音がどこに飛んでいくか予測できないような旋律が無常感・喪失感をうまく表現している。人の会話に近い音域のメゾ・ソプラノの温かみのある声が、かえって嘆きの心情を浮き彫りにしていく。
ギターによる間奏曲を経て、第3曲は二重唱「豪雨と雷鳴」。神経を逆撫でするようなフルートに乗せて、物語の情景を語るト書きの歌詞が歌われる。時系列的に少し遡って、豪雨が降り雷鳴が轟く夜、車を走らせていた2人だったが、女の家に着くと別れの時が来る。男と女がそれぞれの未練の残る心情を歌う。二重唱というよりは、ここではオペラの1場面のようにリアルな音楽表現となっていて、演奏を聴いていると情景が目に浮かぶようであった。
フルート独奏による間奏曲を経て、第4曲は望月さんの歌唱による「八年の痛み」。8年間も続いた男と女の関係、その肉欲の日々を思い出し嘆き苦しむ。望月さんの心情表現には鬼気迫るものがあり、オペラ界の第一人者たる力量を見せる。
フルート独奏による短い序奏に続き、第5曲は二重唱「海風」。この曲にはギターの伴奏がなく、テノールとメゾ・ソプラノとフルートの三重奏のようなカタチになり、「失われた恋」に思いを残す2人の心情が海辺の風景に置き換えられて語られていく。
今度はギター独奏による長めの間奏曲が入り、続く第6曲は林さんの歌唱による「想うことはいつも」。ここでガラリと雰囲気が変わる。林望さんの解説文によれば「この曲は歌謡曲である」とのこと。調性音楽になり、ジャズ風のギターが付く。もちろん野平さんの音楽であるから、歌謡曲といえるほど単純ではないが・・・・。女が遠い空の下にいるであろう別れた男をカラリと歌う。
最後となる第7曲は、二重唱「永劫の・・・」。フルートを交えて4名による演奏である。男と女の忘れられない相手への想いは、無理矢理忘れようとする永劫の嘘に置き換えられていく。最後は言葉を持たないフルートが張り裂けそうな心の叫びを訴えかける。
『悲歌集』は50分近い大曲ではあるが、たった4名で演奏されたとは思えない程の、重さがあった。この曲が「歌劇的」組歌曲であったら、もっと物語的になり、特定のキャラクタを持つ人物の特定のお話になってしまうような気がする。「演劇的」組歌曲であることで、どこにでもいるような「男」と「女」による抽象的・観念的な世界観が生まれ、かえってリアルな悲恋の心情を描くのに成功している。もちろん、林望さんの作詞だけでなく、野平さんの音楽も素晴らしい効果を発揮した。とにかく緊張感の高い音楽であり、決して分かりにくい現代音楽という訳でもない。調性が曖昧で先の展開が読めないことが聴く者を惹き付け、この独特の世界観に呼び込まれてしまう。福田さんのギターも、この長い曲をほぼ一手に引き受け、無常感に包まれた世界を見事な演奏で創り出していた。素晴らしい再演だったと想う。
ただ苦言を一言。この静かな音楽を演奏している最中、大きな咳やクシャミなどがかなり頻繁に聞こえた。目の前で聴いているギターの音よりもかなり大きな咳が後方の席から聞こえて来るのだ。それも後半から終盤に向けて段々多くなってきた。誰かがするから自分も、と段々無遠慮になってくる。聴く方の集中が途切れてしまったように思えた。これでは音楽を聴きに来ているのか、演奏の邪魔をしに来ているのか分からない。花粉症の季節柄、仕方のないことかもしれないが、もう少し「我慢」することはできないものだろうか。
終演後には、出演者の4名に野平さんと林望さんも加わってサイン会が開かれた。私は2007年の録音から作成したCDを林美智子さんと望月さんにプレゼントし、ジャケットのウラ面に6名の方々のサインをいただいた。作詞家、作曲家、演奏者の全員が揃ったものになったので、大変嬉しかった。永久保存版として今度こそキチンと保管しておこう。
最後に皆さんで記念撮影ということになった。左から、望月哲也さん(テノール)、林 望さん(作詞)、福田進一さん(ギター)、野平一郎さん(作曲)、林美智子さん(メゾ・ソプラノ)、佐久間由美子さん(フルート)。一番右は、『悲歌集』の生みの親で、元津田ホールプロデューサーの楠瀬寿賀子さんである。
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