紀尾井ニューアーティストシリーズ 第20回 深澤麻里(ヴィオラ)
2010年9月29日(水)19:00~ 紀尾井ホール
ヴィオラ: 深澤麻里
メゾ・ソプラノ: 坂上賀奈子
ピアノ: 鈴木慎崇(当初発表されていた草冬香より変更)
【曲目】J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第2番ニ短調BWV1008
シューマン: アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
ヒンデミット: 無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”
ブラームス: アルトのための二つの歌 作品91
武満徹: 鳥が道に降りてきた
ブラームス: ヴィオラ・ソナタ 第1番 作品120-1
《アンコール》アーン:「クロノスに」
ヴィオラという楽器はどうしても地味な印象が強い。オーケストラの中にあっても、あまり目立つ存在ではないし、主たる旋律を演奏する機会が少ないなど、どうしても埋没してしまいがちである。私はしばしば最前列の席でオーケストラのコンサートを聴くことがあり、席が右寄りの時に目の前がヴィオラ・パートになることがある。そのような時だけ、ヴィオラ特有の落ち着いた音色を聴くことができ、じっくり聴くと良いものだなァ、と思っていた。
ヴィオラの音域は人の声に近く安らぎを感じるのである。ヴァイオリンはソプラノ。チェロはバリトン。そしてヴィオラはいわばアルト。無理をしていない自然さがあり、人の感性に同調する音域と音色が、妙な安心感をもたらすのだ。
今日は、新日鐵/紀尾井ホールが提供するニュー・アーティスト・シリーズの第20回で、深澤麻里さんによるヴィオラのリサイタルである。ヴィオラだけをまとめて聴ける機会は滅多にないので、ある意味、興味津々で待ちわびていたのである。深澤さんは、現在東京藝術大学の大学院生で、これまでに第1回東京国際ヴィオラコンクール(2009年)のセミファイナリスト(第1次審査通過の10 名に入る)をはじめ、すでに演奏活動に入っている、将来有望なヴィオリストだという。といっても、もちろん彼女を聴くのも初めてではあるし、ヴァイオリンと違ってソロの曲を聴く機会もなかったので、珍しい体験でもあるし、非常に楽しみであった。
1曲目、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲 第2番ニ短調BWV1008」はいうまでもなくチェロのための曲で、これをヴィオラで演奏するというもの。「前奏曲」「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「メヌエットI・II」そして「ジーグ」という組曲の構成になっている。チェロのように低音に深みがないだけに、聴いていてもやはり「中庸」をいく印象の演奏になる。深澤さんの演奏は非常に丁寧で、すべての音符を正確に、均質な音に変えて行く。とくに重音の美しさが印象に残った。
2曲目、シューマンの「 アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70」はもとはホルンとピアノのための室内楽曲で、チェロ版もあり、今日はそれをヴィオラで演奏するというもの。「アダージョ」は優雅で叙情的な美しい旋律が続く曲で、ロマン主義的な煌びやかさのあるピアノの伴奏に乗る、深澤さんのヴィオラの伸びやかで柔らかな音質がぴったりのロマン溢れる演奏だった。「アレグロ」は快活な曲想になり、やはり明るい音色がぴったり合っている。
3曲目、ヒンデミットの「無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”」。ここで初めてヴィオラのために書かれた曲が登場。ヒンデミット自信がヴィオラ奏者だったこともあり、ヴィオラの特質を生かした現代曲(1920年)だ。曖昧な調性とリズムがもたらす抽象的な音楽世界に、柔らかくのんびりとしたヴィオラの音色との対比が面白い。深澤さんは、とても素直に演奏している印象なので聴きやすい。音程やリズムの正確さなど、技巧的にはまったく問題ない演奏だが、ちょっと優等生的だったかもしれない。
それにしても前半の3曲だけで、バロック、ロマン派、現代と、全く異なる世界を一つの楽器で描き分け、それぞれの特性を十分に発揮していたのはお見事だった。
休憩をはさんで4曲目、ブラームスの「アルトのための二つの歌 作品91」は、とても珍しい組み合わせ、アルト独唱とヴィオラとピアノのための曲。ゲストの坂上賀奈子さん(メゾ・ソプラノ)との共演で2曲を演奏した。アルトの音域はヴィオラと同様に、人間の普通の声域に近く、自然の息遣いと調和する響きを持っている。初めて聴く曲だったので詳しくは分からないが、女声アルトとヴィオラの掛け合いが、ごく自然にマッチしていたのは感動ものだった。
5曲目、武満徹の「鳥が道に降りてきた」はヴィオラとピアノのための曲。具象的な標題が付いているが、現代的な曲想は、やや靄のかかった情景描写のよう。いろいろな鳥が登場してくるのが靄ごしでよく見えないような…。やや混沌とした夢幻的な響きの曲だ。バラバラに分散されたヴィオラの音に、妙に自然な空気感があって、とても面白く聴くことができた。素敵な曲で,素敵な演奏だったと思う。
最後はブラームスの「ヴィオラ・ソナタ 第1番 作品120-1」。この曲はクラリネットまたはヴィオラとピアノのためのソナタというちょっと変わった設定の曲で、ブラームスの最後の器楽曲とのことだ。ヴィオラのソナタとしては有名な曲(らしい)。4つの楽章で構成されたどうどうたるソナタである。情熱的な曲想といいつつも、ブラームス特有の内省的な憂いがたっぷりと含まれており、こひでも中間的なヴィオラの音色がよく似合う。深澤さんのヴィオラは、丁寧かつ正確に演奏されていて、暖かみのある音色もとても美しく瑞々しい。(素人的な印象にすぎないが)やや教科書的だったような気もするが、素晴らしい演奏であったことは間違いない。
こうして聴いてみると、ヴィオラ・リサイタルとしてはかなりスタンダードな選曲らしかった(私が知らないだけ)。全体を通じて感じた深澤さんの印象は、優しくてたおやかな音色だったこと。まろやかでほのぼのとした気持ちにさせてくれる、非常に心地良い演奏であった。ヴァイオリンのように超絶技巧を要求される曲目でもなく、完全に表現力重視型のプログラムの中で、一貫して「体温」を感じさせる暖かみのある音色か耳に残って離れない。とてもキレイな音で、ヴィオラの素晴らしさを感じさせてくれたことにはBrava!!を送りたい。ただ、まだお若くて将来有望なだけに、一言付け加えさせていただくとするならば、もう少し、個性を、深澤さんにしかできない演奏を(それがどのようなものなのかは分からないが)目指して欲しい。同世代のヴァイオリニストには個性的な人がいっぱいいますよ。
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2010年9月29日(水)19:00~ 紀尾井ホール
ヴィオラ: 深澤麻里
メゾ・ソプラノ: 坂上賀奈子
ピアノ: 鈴木慎崇(当初発表されていた草冬香より変更)
【曲目】J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第2番ニ短調BWV1008
シューマン: アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
ヒンデミット: 無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”
ブラームス: アルトのための二つの歌 作品91
武満徹: 鳥が道に降りてきた
ブラームス: ヴィオラ・ソナタ 第1番 作品120-1
《アンコール》アーン:「クロノスに」
ヴィオラという楽器はどうしても地味な印象が強い。オーケストラの中にあっても、あまり目立つ存在ではないし、主たる旋律を演奏する機会が少ないなど、どうしても埋没してしまいがちである。私はしばしば最前列の席でオーケストラのコンサートを聴くことがあり、席が右寄りの時に目の前がヴィオラ・パートになることがある。そのような時だけ、ヴィオラ特有の落ち着いた音色を聴くことができ、じっくり聴くと良いものだなァ、と思っていた。
ヴィオラの音域は人の声に近く安らぎを感じるのである。ヴァイオリンはソプラノ。チェロはバリトン。そしてヴィオラはいわばアルト。無理をしていない自然さがあり、人の感性に同調する音域と音色が、妙な安心感をもたらすのだ。
今日は、新日鐵/紀尾井ホールが提供するニュー・アーティスト・シリーズの第20回で、深澤麻里さんによるヴィオラのリサイタルである。ヴィオラだけをまとめて聴ける機会は滅多にないので、ある意味、興味津々で待ちわびていたのである。深澤さんは、現在東京藝術大学の大学院生で、これまでに第1回東京国際ヴィオラコンクール(2009年)のセミファイナリスト(第1次審査通過の10 名に入る)をはじめ、すでに演奏活動に入っている、将来有望なヴィオリストだという。といっても、もちろん彼女を聴くのも初めてではあるし、ヴァイオリンと違ってソロの曲を聴く機会もなかったので、珍しい体験でもあるし、非常に楽しみであった。
1曲目、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲 第2番ニ短調BWV1008」はいうまでもなくチェロのための曲で、これをヴィオラで演奏するというもの。「前奏曲」「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「メヌエットI・II」そして「ジーグ」という組曲の構成になっている。チェロのように低音に深みがないだけに、聴いていてもやはり「中庸」をいく印象の演奏になる。深澤さんの演奏は非常に丁寧で、すべての音符を正確に、均質な音に変えて行く。とくに重音の美しさが印象に残った。
2曲目、シューマンの「 アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70」はもとはホルンとピアノのための室内楽曲で、チェロ版もあり、今日はそれをヴィオラで演奏するというもの。「アダージョ」は優雅で叙情的な美しい旋律が続く曲で、ロマン主義的な煌びやかさのあるピアノの伴奏に乗る、深澤さんのヴィオラの伸びやかで柔らかな音質がぴったりのロマン溢れる演奏だった。「アレグロ」は快活な曲想になり、やはり明るい音色がぴったり合っている。
3曲目、ヒンデミットの「無伴奏ヴィオラ・ソナタ 作品11-5 より“パッサカリア”」。ここで初めてヴィオラのために書かれた曲が登場。ヒンデミット自信がヴィオラ奏者だったこともあり、ヴィオラの特質を生かした現代曲(1920年)だ。曖昧な調性とリズムがもたらす抽象的な音楽世界に、柔らかくのんびりとしたヴィオラの音色との対比が面白い。深澤さんは、とても素直に演奏している印象なので聴きやすい。音程やリズムの正確さなど、技巧的にはまったく問題ない演奏だが、ちょっと優等生的だったかもしれない。
それにしても前半の3曲だけで、バロック、ロマン派、現代と、全く異なる世界を一つの楽器で描き分け、それぞれの特性を十分に発揮していたのはお見事だった。
休憩をはさんで4曲目、ブラームスの「アルトのための二つの歌 作品91」は、とても珍しい組み合わせ、アルト独唱とヴィオラとピアノのための曲。ゲストの坂上賀奈子さん(メゾ・ソプラノ)との共演で2曲を演奏した。アルトの音域はヴィオラと同様に、人間の普通の声域に近く、自然の息遣いと調和する響きを持っている。初めて聴く曲だったので詳しくは分からないが、女声アルトとヴィオラの掛け合いが、ごく自然にマッチしていたのは感動ものだった。
5曲目、武満徹の「鳥が道に降りてきた」はヴィオラとピアノのための曲。具象的な標題が付いているが、現代的な曲想は、やや靄のかかった情景描写のよう。いろいろな鳥が登場してくるのが靄ごしでよく見えないような…。やや混沌とした夢幻的な響きの曲だ。バラバラに分散されたヴィオラの音に、妙に自然な空気感があって、とても面白く聴くことができた。素敵な曲で,素敵な演奏だったと思う。
最後はブラームスの「ヴィオラ・ソナタ 第1番 作品120-1」。この曲はクラリネットまたはヴィオラとピアノのためのソナタというちょっと変わった設定の曲で、ブラームスの最後の器楽曲とのことだ。ヴィオラのソナタとしては有名な曲(らしい)。4つの楽章で構成されたどうどうたるソナタである。情熱的な曲想といいつつも、ブラームス特有の内省的な憂いがたっぷりと含まれており、こひでも中間的なヴィオラの音色がよく似合う。深澤さんのヴィオラは、丁寧かつ正確に演奏されていて、暖かみのある音色もとても美しく瑞々しい。(素人的な印象にすぎないが)やや教科書的だったような気もするが、素晴らしい演奏であったことは間違いない。
こうして聴いてみると、ヴィオラ・リサイタルとしてはかなりスタンダードな選曲らしかった(私が知らないだけ)。全体を通じて感じた深澤さんの印象は、優しくてたおやかな音色だったこと。まろやかでほのぼのとした気持ちにさせてくれる、非常に心地良い演奏であった。ヴァイオリンのように超絶技巧を要求される曲目でもなく、完全に表現力重視型のプログラムの中で、一貫して「体温」を感じさせる暖かみのある音色か耳に残って離れない。とてもキレイな音で、ヴィオラの素晴らしさを感じさせてくれたことにはBrava!!を送りたい。ただ、まだお若くて将来有望なだけに、一言付け加えさせていただくとするならば、もう少し、個性を、深澤さんにしかできない演奏を(それがどのようなものなのかは分からないが)目指して欲しい。同世代のヴァイオリニストには個性的な人がいっぱいいますよ。
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