Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

7/29(土)東京二期会『ばらの騎士』グラインドボーン音楽祭との提携による美しいヴィジュアルとクオリティの高い歌手陣による夢舞台

2017年07月29日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
東京二期会/グラインドボーン音楽祭との提携公演
リヒャルト・シュトラウス作曲『ばらの騎士』(全3幕/字幕付き原語[ドイツ語]上演)
平成29年度 劇場・音楽堂等活性化事業(共同制作支援事業)


2017年7月29日(土)14:00〜 東京文化会館・大ホール A席 2階 R1列 16番 13,000円(会員割引)
指 揮:セバスティアン・ヴァイグレ
管弦楽:読売日本交響楽団
コンサートマスター:荻原尚子
合 唱:二期会合唱団
演 出:リチャード・ジョーンズ
装 置:ポール・スタインバーグ
衣 装:ニッキー・ギリブランド
演出補・振付:サラ・フェイ
照 明:ミミ・ジョーダン・シェリン
音楽アシスタント:森内 剛
合唱指揮:大島義彰
舞台監督:幸泉浩司
【出演】
元帥夫人:林 正子(ソプラノ)
オックス男爵:妻屋秀和(バス)
オクタヴィアン:小林由佳(メゾ・ソプラノ)
ファーニナル:加賀清孝(バリトン)
ゾフィー:幸田浩子(ソプラノ)
マリアンネ:栄 千賀(ソプラノ)
ヴァルツァッキ:大野光彦(テノール)
アンニーナ:石井 藍(アルト)
警 部:斉木健詞(パス)
元帥夫人家執事:吉田 進(テノール)
ファーニナル家執事:大川信之(テノール)
公証人:畠山 茂(バス・バリトン)
料理屋の主人:竹内公一(テノール)
テノール歌手:菅野 敦(テノール)
3人の孤児:大綱かおり(ソプラノ)
      松本真代(ソプラノ)
      和田朝姫(メゾ・ソプラノ)
帽子屋:藤井玲南(ソプラノ)
動物売り:芹澤佳通(テノール)
モハメッド:ランディ・ジャクソン(黙役/文学座)
レオポルト:光山恭平(黙役/文学座)

 東京二期会の7月の公演は、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』が新制作で登場。今回は、英国のグラインドボーン音楽祭との提携公演で、リチャード・ジョーンズさん演出のプロダクションをそっくり持ってくる形で上演された。指揮はセバスティアン・ヴァイグレさん、管弦楽は読売日本交響楽団がピットに入った。ヴァイグレさんは、日本ではあまり知られていないような気がするが、2008年からフランクフルト歌劇場の音楽総監督を務めている他、ドレスデンやMETなどの歌劇場への客演や、バイロイトでも指揮している。とくにワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの評価が高い。昨年2016年の8月に読響に客演していて、今回は2度目の顔合わせとなる。ドイツ系を得意とするオペラ指揮者の名匠ということで、演目が『ばらの騎士』なら期待できそうだ。

 東京二期会の『ばらの騎士』は、前回はびわ湖ホールと神奈川県民ホールとの共同制作で、ベルリン・コーミッシェ・オーパーのプロダクションを持ってきた。アンドレアス・ホモキさんの先鋭的な演出で、2008年のことだった。今回のプロダクションは、その時と比べればかなり「普通」な感じに見える。演出全体を貫く作品自体への解釈にも特段変わったところは見られず、ホフマンスタールの台本とシュトラウスの音楽に沿ったまま、うまく表現できるようにオーソドックスにまとめている。
 舞台装置などによる場面(3つの幕)の作り方は、美術的には美しく仕上げているが、物語の内容をリアルに造形したものではなく、現代の演劇らしい観念的な情景を作り上げている。
 たとえば、第1幕の冒頭などは、普通は元帥夫人とオクタヴィアンがベッドで夜明けを迎えるシーンで始まるが、今回は何と元帥夫人がシャワーを浴びている(ちょっとドッキリ)。元帥夫人の居間に、オックス男爵をはじめ、3人の孤児や帽子屋、動物売り、テノール歌手などが押し掛けてくるが、その空間は狭く、人がいっぱいになる。
 第2幕の冒頭は、ファーニナルの屋敷の大広間ではなく、その控え室から始まる。豪華絢爛な音楽とはいささか合わないような・・・・。ただし演劇的な演出としては面白い。
 第3幕は料理屋(怪しげな居酒屋)の場面だが、電動で壁からベッドが出て来たりして笑わせる。皆がお化けに扮してオックス男爵を驚かすシーンは何だかよく分からなかった。第1幕と第3幕の最終場面に出てくるモハメッド(元帥夫人の召使いのアラブ系の少年)は子供ではなく青年で、元帥夫人の脱ぎ捨てた下着を見て興奮したり・・・・。
 オペラの演出は、現代においては万人を満足させることは不可能なようで、今回の演出は、『ばらの騎士』の作品の持つ世界観を概ね表現しながら、現代風の観念的な舞台空間との調和を図ったといったところだ。これなら、初めて『ばらの騎士』を観たひとでもある程度はその世界観を理解できるだろうし、このオペラを何度も観ている人にもある程度は新鮮さを届けることができたと思われる。さすがにグラインドボーン音楽祭のプロダクションだけあって、演出も、舞台装置も、衣装も、そのクオリティは高い。なかなか素敵なステージであった。

 オーケストラの演奏の方は、読響が頑張っていた。ヴァイグレさんの指揮は、全体的には速めのテンポ感で、「会話オペラ」と呼ばれるこの作品がダラダラしないように快調に走らせる。メリハリもあるが、ダイナミックスよりもスムーズな流れを意識しているようだ。従って、読響の持つ馬力を発揮させることはなく、むしろ抑制的な中から、柔らかくしなやかで、とても澄んだサウンドを引き出していた。『ばらの騎士』が持つ、ウィーン風の空気感が出ていたかどうかは何ともいえないところだが、演奏自体は美しいサウンドに彩られていて、もちろん及第点である。

 『ばらの騎士』の主役は誰なのか、常に議論になる課題だが、作品の解釈によって、あるいは配役によって、変わってくる。重要な登場人物は、元帥夫人、オクタヴィアン、オックス男爵、ゾフィーの4人。元帥夫人は非常に重要な役割を果たしているが、第1幕は出ずっぱりでも後は第3幕の終盤に出てくるだけ。オクタヴィアンはタイトル役だから主役には違いないし、全幕に登場するのに存在感がイマイチ。オックス男爵は第1幕の中盤、第2幕も中盤以降、第3幕は中盤に出てくるものの、クライマックスを前にして退場してしまう。ゾフィーは第2幕からの登場で第3幕は終盤以降。物語のヒロインとしては存在感がイマイチなのである。こんな具合だから、結局誰が主役なのか・・・・。いずれにしても、この4人の配役が上演の出来不出来を決めることは間違いない。

 さて歌手陣についてであるが、前回の公演からは9年も経っているので、歌手陣もかなり入れ替わっている。4人(ダブルキャストなので実際は8名)のうち、前回も出ていたのは幸田浩子さんただ1人。やはり世代交代ということだろうか。

 元帥夫人役の林 正子さんは、最近、東京二期会のシュトラウス作品ですべて主役を張っている。『サロメ』、『ダナエの愛』、『ナクソス島のアリアドネ』を経て『ばらの騎士』の元帥夫人へと続く。ドイツ系のドラマティック・ソプラノともいうべき、芯の強い、張りのある声質で、声量もタップリ。立ち姿も美しく、存在感も抜群である。第1幕の主役たる元帥夫人自身の存在感とリンクしてくる。第1幕では冒頭からは若いオクタヴィアン相手に華やいだ明るい声質で歌い、オックス男爵登場以降は翳りが見えてくる。1人になってからのモノローグは憂鬱な心情と葛藤を、しっとりとした情感を込めて歌うが、声はよく通って来る。
 オクタヴィアン役の小林由佳さんは、無難に役柄をこなしていたことは確かだが、全体的に存在感がやや薄く感じられた。もっともそれは、今回の演出がオクタヴィアンを地味な役柄に、つまり常に脇役のような扱いにしていたからかもしれない。第1幕の後半から第2幕にかけての青年貴族の颯爽としたイメージが、終わった後に記憶に残っていないのである。別に小林さんの出来が悪いということではなく、メゾ・ソプラノとしてはよく声が通っていたし、第3幕の後半からクライマックスの三重唱にかけて、素晴らしい歌唱を披露していたと思う。
 オックス男爵役の妻屋秀和さんは、歌唱も演技も存在感抜群。世界の第一線で活躍してきた人だけに、その「場」の作り方が上手く、登場シーンでは常に聴衆の視線を集めてしまう。古い時代を代表する下品で粗野な田舎貴族のオックス男爵は、本作では「悪役=憎まれ役」にあたるわけだが、そのキャラクタにどこか憎めないところがある。シュトラウスもオックス男爵に一番美しい「ワルツ」をライトモチーフとして与えており、まさに主役級の扱いになっているのだ。妻屋さんが演じるオックス男爵は、とぼけた味わいがあり、声量もたっぷりのバスで軽妙に歌っている。ただ、演出面で彼の行動が今ひとつ分かりにくかったのが残念だった。
 ゾフィー役は幸田浩子さん。キレイな高音域は健在だ。今回の演出では、新興ブルジョワジー階級の箱入り娘にしては、ちょっと勝ち気で我が儘、自己主張が強く、庶民感覚の振る舞いをするキャラクタに描かれているようで、美しい旋律のロマンティックな音楽との間に若干のギャップが感じられた。
 その他の登場人物も平均的には優れていると思ったが、ファーニナル役の加賀清孝さんは第2幕冒頭の登場シーンではもう少し輝かしい歌い方が欲しかったし、第1幕のテノール歌手役の菅野 敦さんはもっと朗々とやり過ぎるくらいの歌い方が欲しかった。ヴァルツァッキ役の大野光彦さんはあまり声が聞こえてこなかった。・・・・まあ、言い出したらキリがないのだが、脇役陣の歌唱や演技のレベルが高いほど、上演のクオリティがたがることは確かだ。

 最後にクライマックスの三重唱について。音楽史上最も美しいといわれる三重唱は、『ばらの騎士』最大の聴かせ所であり、元帥夫人とオクタヴィアンとゾフィーのそれぞれの思いが同時に歌われて、三人三様の心の葛藤がカタルシスを迎えて、音楽が光り輝くのである。三重唱が始まると、各人の歌唱がよく通るようにオーケストラがかなり控え目に抑えられ、転調を繰り返して3人の感情が高まっていき、オーケストラも徐々に盛り上がっていく。それが頂点に達すると(ティンパニの連打が入るところ)声とオーケストラの音の奔流が、光り輝くように聞こえて来る。オペラの醍醐味がそこにはある。『ぱらの騎士』は、休憩も含めるとこの劇的なクライマックスまで3時間40分もかかる。それを長く感じるか、短く感じられるかが、上演の出来不出来だということになる。3時間40分も待って、クライマックスが盛り上がらなかったら・・・・。

 『ばらの騎士』は私が最も好きなオペラであって、上演があるときは必ず観に行く。もちろん、いつもが名演とは限らない。今回の、東京二期会の公演は、グラインドボーン音楽祭との提携公演ということもあって、客も大入りであったから、公演自体は大成功といったところだろう。私自身の感想はといえば、まあ、好きなオペラや好きな曲はどうしても採点が厳しくなってしまう傾向があるので、その点を踏まえた上で、75点〜80点といったところだ。普段オペラや音楽に対して採点などはしないが、今日は、とても素晴らしい公演であったとは思うが、ちょっとモヤモヤしたところが残っていて、それを表すためにあえて点数にしてみたのである。出演者達の歌唱と演技、指揮者の解釈とオーケストラの演奏、演出、舞台美術や衣装、そしてその日の出来具合など、総合芸術たるオペラは多くの変数によって成り立っている。だから満点になることなんて、絶対と言ってよいくらいない、のである。今回の東京二期会の『ばらの騎士』の評価は、良い方だと思う。

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7/26(水)女神たちの協奏/服部百音のメンデルスゾーン/高木綾子&景山梨乃のモーツァルト/萩原麻未のチャイコフスキー/協奏曲の競演

2017年07月26日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
女神たちの協奏 with 東京交響楽団

2017年7月26日(水)14:00〜 神奈川県立音楽堂 指定 1階 1列 21番 5,850円(東響会員割引)
ヴァイオリン:服部百音*
フルート:高木綾子 **
ハープ:景山梨乃**
ピアノ:萩原麻未***
指 揮:大井剛史
管弦楽:東京交響楽団
【曲目】
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64*
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299**
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調 作品23***

 神奈川芸術協会と東京交響楽団の主催により、実力・人気ともに今を時めく女性演奏家による協奏曲だけの単発の企画コンサート。久し振りの神奈川県立音楽堂である。ソリストと曲目は以下の通りである。
 プログラムの前半は、ヴァイオリンの服部百音さんによるメンデルゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」。続いて、フルートの高木綾子さんとハープの景山梨乃さんによるモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」。後半は萩原麻未さんによるチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」と、誰もが知っている名協奏曲ばかりのコンサートだ。指揮は大井剛史さん、管弦楽はもちろん東京交響楽団である。

 神奈川芸術協会と東京交響楽団の共催なら、本来はミューザ川崎シンフォニーホールあたりで開催すべきところなのだろうが、この時期、ミューザ川崎では恒例の「サマーフェスタミューザKAWASAKI」が連日開催されているので、割り込めなかったのかもしれない。今回の会場は「神奈川県立音楽堂」である。日本最古の公立の音楽専用ホール(1954年開館)で、音響に優れた「木のホール」として古くから知られているが、現在に至っては設計の古さを感じざるを得ない。現在の水準では、音響決して響きが良いとはいえないホールになってしまっている。しかもも1000席規模のサイズは、オーケストラの演奏には小さく(ステージも狭い)、室内楽やリサイタルの演奏にはやや大きすぎる。帯に短し襷に長し、といったところだ。
 今回のコンサートでは、協奏曲のみを3曲演奏ということで、オーケストラの編成もコンパクトになるため、ギリギリといった感が強かった。オーケストラがステージの際までいっぱいに並び、いつものように最前列の指揮者の真後ろの席を取ったら、奏者がかなり近い。ヴァイオリンとフルートとハープは良いが、ピアノはまともに聴ける位置関係ではないので早々に諦めることにした。

 平日の午後に設定されたコンサートではあったが、けっこうよく入っていて、ほぼ満席いう盛況ぶりであった。私も協奏曲好きなので、こういう企画コンサートは大変ありがたく拝聴することにしている。8月には恒例の、読売日本交響楽団による「3大協奏曲」があるが、曲目も本日と2曲は同じ。まあ、肩肘張った難解なコンサートではなく、お祭り気分で気楽に楽しめるから、この手のコンサートは夏休みシーズンにもピッタリである。

 1曲目はメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」。服部百音さんは、このところ教則に売り出し中という印象で、今年は音楽界で急に露出が増えている。私は、昨年2016年11月の紀尾井ホールでのリサイタルを聴いたのが初めてだったが、つい先日(7月18日)には同じ紀尾井ホールで「新日鉄住金音楽賞 受賞記念コンサート」を聴いているし、この後も9月3日には「スーパーソロイスツ」で東京フィルハーモニー交響楽団と共演する予定、11月16日には再び紀尾井ホールでリサイタル、12月28日・29日には東京交響楽団の「第九と四季」に出演が決まっている。もちろん東京以外でもコンサートの予定がある。
 これまでリサイタルを聴いた限りでは、17歳にして超絶技巧を前面に押し出して、ヴィルトゥオーソぶりを発揮しているが、いずれも席が離れていたため、微妙なニュアンスやナマの音色はまだ分からない。その意味では、今日が私にとっては初お目見えに近いのである。
 さて曲が始まればすぐに百音さんのヴァイオリンのナマの音が耳に飛び込んでくる。芯のはっきりとした、引き締まった音。ピーンと張り詰めたような緊張感があり、どちらかといえばソリッドな感じで、聴く者の心に鋭く斬り込んで来るタイプかもしれない。少なくとも癒し系ではない。高い緊張の中で痺れるような感動をもたらしてくれるタイプだ。
 第1楽章。楽曲の解釈はスタンダードで、現代の標準からみれば全体的にはやや遅めのテンポで、旋律をくっきりと明瞭に歌わせて行く。聴きようによっては老練ささえ感じられるほどの存在感もあり、若手に特有のエネルギーに満ちたフレッシュな演奏というのとも、ちょっと違う感じがする。妙に大人っぽいところがあるのだ。カデンツァのテクニカルな部分もピーンと張り詰めた空気感が漂い、会場の誰しもが固唾を呑んで聴き入る感じ。どちらにしても、人を惹き付ける魅力がいっぱいの演奏だと思う。
 第2楽章は緩徐楽章。感傷的な主題を今度はやや速めのテンポで、情感たっぷりに歌わせる。普通、この年代(まだ高校生)の天才達は、先生達に教わった通りにもっと器楽的な演奏をするのが一般的。しかし、百音さんは、人が呼吸しながら歌うような自然なフレーズ感が出来上がっていて、よく歌う。音楽的な豊かさが感じられる演奏だ。
 第3楽章のロンドは、やや速めのテンポで、今度はヴィルトゥオーソぶりをグイグイと押し出して来る。百音さんは基本的にテクニシャンで、この世代だけではなくあらゆる世代の中で見ても、器楽的な演奏技術はかなり高い。もちろん国際水準でもトップクラスといっても構わないくらいだ。主題の際立たせ方、経過句の流れ、メリハリのある音の立て方、リズム感など、いずれも素晴らしい。何より演奏に「華」があるのが良い。もちろん、まだまだ荒削りなところもあるし、主張が強い分だけオーケストラと合わなくなったり、問題がないわけではない。しかし、今の段階で彼女の演奏を批判するのはナンセンスだ。彼女の音楽的なキャリアは始まったばかり。今後のすべてが伸び白なのだ。溢れるばかりの才能と、それを磨くための努力の結晶が今日のとてもエキサイティングな演奏につながったわけだが、次回はまた違った何かを見せてくれるに違いない。

 2曲目はモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」。珍しい独奏楽器の組み合わせではあるが、名曲としてよく知られる曲でもあり、主にレコード・CDなどの録音で若い頃から親しんできた。ところが、コンサートでナマの演奏を聴くのは、意外に機会が少ないと思われる。現実的には、フルートもハープもあまり音量の出る楽器ではないので、大ホールなどでの演奏には適さないのかもしれない。実際に、フルート協奏曲もハープ協奏曲も少ない。この曲が作られた古典派時代では、管弦楽の規模が小さく、独奏楽器との音量のバランスが取れている。この時代のモーツァルトの協奏曲は、オーボエ2、ホルン2と弦楽のみで、打楽器もない。
 というわけで、今日の演奏は、小規模なホールでの演奏に適していたのだと思う。というのは、私は最前列で聴いていたので、フルートもハープもかなりリアルにナマの音を体験することができたが、後方の席でどのように聞こえていたのかは、うまく想像できないのである。
 高木さんのフルートは、第1楽章の出だしこそオーケストラに埋もれてしまって聞こえなかったのだが、すぐに豊かに鳴り出し、柔らか音色を維持しつつ、常に明瞭で鮮やかな演奏となっていた。対して景山さんのハープは、少々力みがあったのか、初めのうちは音にバラツキがあるように感じられた。ハープは10本の指を使って弦を弾くわけだが、力加減を均等にするのはちょっと難しそうだ。楽器の性格上、分散和音を弾くことが多いので、どうしてもそう感じてしまうのかもしれない。ハープを目の前で聴く機会はそう滅多にあるわけではないが、近くで聴くと低弦の振動がやたらに強く伝わって来るのである。
 二人のソリストによるフルートとハープは、結果的にはなかなか素敵な演奏になった。優雅さと華やかさが程良くミックスしてして、天上の音楽といった趣きである。第3楽章最後のカデンツァなどはもう最高。旋律楽器のフルートと和音楽器のハープが技巧的に絡み合い、至高の響きを聴かせてくれた。うまくかみ合いさえすれば、実力者のお二人だけに、もうホールの響きなどは関係なく、豊潤な音楽がホールに満ちていた。
 だがそれに対して、オーケストラがいささか精彩を欠いた印象であった。東京交響楽団は、もともと弦楽のアンサンブルはとても緻密で美しい(ただし音量は小さい)し、管楽器の上手さには定評がある。しかし今日の演奏は、終始各パートがバラバラな感じがして、どうもまとまらない。だから、モーツァルトらしい典雅な響きが全然聞こえてこない。ホールの響きがデッドであることも原因の1つかとは思ったが、先のメンデルスゾーンでは感じられなんったので、やはりこの曲の演奏に問題があったのではないかと思う。

 プログラムの後半は、チャイコフスキーの「ピアノ協奏 曲 第1番」。これはもう、萩原さんの独壇場で、ロシア的というよりは、彼女の特徴でもあるフランス風の色彩感豊かな、鮮やかなピアノが素晴らしかった・・・・と言いたい。多分、それで間違いないと思うのだが・・・・。
 実を言うと、萩原さんにはまったく問題はなく、私の席位置が失敗であったという話なのだ。まあ、いつもの通りの最前列ではあるが、今日の協奏曲3曲に対して、ヴァイオリンを優先したことは確かだった。ホールに来てみてこれはイカンと思ったのは、ステージが狭いためにオーケストラがステージの際ギリギリまで展開していて、しかも最前列の座席がステージに近い。従って後半のピアノ協奏曲では、ピアノが目の前に巨大な船のように浮かんで視界を遮っている状態。ピアノの塗装していない底が丸見えで、オーケストラの内、第2ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、管楽器も打楽器もほとんど見えない。覚悟はしていたが、これでははっきり言って音楽にならないのであった。ピアノの重低音と弦の振動の雑味のある轟音が上から振ってきて、耳をふさぎたいくらい煩いだけ。オーケストラの音がほとんど聞こえない・・・・。最前列でピアノ協奏曲をいつも聴いているが、今日ほど音響バランスがひどかったことはなかった。ホールの大きさと響きも影響しているようだ。・・・・というわけなので、演奏に関するコメントは差し控えたい。演奏終了後、盛んにBravo!が飛び交っていたので、きっと素晴らしい演奏だったのだろう。

 最後が変な形になってしまったが、協奏曲だけの企画コンサートは大歓迎。華やかだし、アクロバティックな妙技を楽しめる。純粋に芸術的というよりは、エンターテインメントの要素が強い。お堅いイメージのクラシック音楽の、ミーハー(失礼)な楽しみ方のひとつだと思う。

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7/23(日)Konzertina Ginza/田原綾子ヴィオラ・リサイタル/ふくよかでしなやかな“アルト”で聴かせるオール・シューマン

2017年07月23日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
銀座18クラシック 第36章
田原綾子 ヴィオラ・リサイタル


2017年7月23日(日)16:00〜 コンチェルティーナGINZA 自由席 1列中央 2,000円
ヴィオラ:田原綾子
ピアノ:原嶋 唯
【曲目】〜オール・シューマン・プログラム〜
シューマン:アダージョとアレグロ 作品70(ヴィオラ版)
シューマン:おとぎの絵本 作品113
シューマン:幻想小曲集 作品73(ヴィオラ版)
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105(ヴィオラ版)
《アンコール》
 シューマン:3つのロマンス 作品94より 第2曲 イ長調(ヴィオラ版)

 ヴィオラの田原綾子さんが銀座でリサイタルを行うと聞いたのは、今年5月のCHANEL Pygmalion Daysでのリサイタルの頃だった。取り敢えずスケジュールは後日にでも調整するとして、その日は田原さんのリサイタルを最優先にすることに決め、すぐにチケットを手配しておいたのである。


 田原さんについてはもう説明の必要はないと思う。桐朋学園大学を卒業して昨年秋からパリのエコール・ノルマル音楽院に留学している。同世代の若手のヴィオリストとしては群を抜く実力と信頼性で、リサイタルに、室内楽に、あるいは協奏曲にも引く手数多。フランスと日本を行ったり来たりしながら、研鑽と演奏活動を続けている。
 一方、今回の共演ピアニストは原嶋 唯さん。田原さんとは桐朋学園で高校の時からの同級生で、現在は大学院に在学中である。

 東京は銀座4丁目、王子ホールの入口の真向かいに、「コンチェルティーナGINZA」というサロンがあることは少し以前から知っていた。今回の田原さんのリサイタルはそのサロンが主催する企画コンサートの一環ということである。そのシリーズ名は「銀座18クラシック」。「18」はイタリア語で「diciotto(ディチョット)」、つまり「銀座でちょっとクラシック」という語呂合わせが洒落ている。約1時間のコンサートを、13:30からと16:00からの1日2回公演で行う。今回は、その第36回ということである。
 会場となるサロンは満席でもわずか20席という小さな部屋に、スタインウェイの短いグランドピアノが蓋を半開にして置いてある。席は3列くらいしか取れないので、どの席からも演奏者までは3〜4メートルしか距離がなく、あたかも練習室で聴くような、濃密な音楽空間を共有することになる。まさにサロン音楽の極みといった感じである。

 さてこうした状況でのヴィオラ・リサイタルである。いつも言っていることだが、ヴァイオリンと違ってヴィオラには独奏用の曲が極端に少なく、しかもその少ない楽曲もヴィオラの名手だった人が作曲しているものが多い。従って、一般的な人気の高い作曲家の作品はほとんどないに近い。そこで、というわけでもないのだろうが、本日の田原さん自らの希望で、オール・シューマン・プログラムという、ちょっと思いつかないようなプログラムを敢えて選び、感情を自由に表現して抒情的で美しく、いかにもドイツ・ロマン派を代表するシューマン(と、私は常々思っている)をヴィオラで演奏するという試みとなった。
 本日演奏される中で、ヴィオラとピアノのために書かれた曲は、「おとぎの絵本 作品113」のみである。その他の曲は、ホルンやクラリネット、あるいはその編曲版としてヴァイオリンやチェロのための楽譜であったり、ヴァイオリンのための曲を原調のままヴィオラで演奏してみるなど、ユニークな試みとなった。ロマンティックなシューマンの名曲をヴィオラで聴くというのも珍しい体験だ。わずか1時間のコンサートとはいえ、内容がギッシリ詰まった充実のプログラムなのである。

 やがて開演時刻の16時になり、田原さんと原嶋さんが入場してくる・・・・ではなくて、開場時刻からピアノの前で待機している。つまり控え室もないようで、サロンの支配人さんもスタッフさんも、お客さんも、ひとつの部屋でコンサートが始まるのを待つのである。もちろん席は自由席なので私は4番目くらいに並び、うまい具合に1列目の真ん中の席を確保。ヴィオラを弾く田原さんからは文字通り手が届きそうな本当に目の前で、譜面が読めそうな距離になった。弓がぶつからないかとヒヤヒヤものである。ちょうど、弦楽器演奏を録音する際に立てるマイクロフォンの位置に、自分自身の耳がある。そして田原さんと譜面台の間からピアノを弾く原嶋さんの指先と鍵盤が見える。何とものすごい臨場感であろう!

 1曲目は「アダージョとアレグロ 作品70」。原曲はホルンとピアノのための室内楽曲で1849年の作である。シューマン自身の手によるヴァイオリン用とチェロ用の楽譜も残されていて、実際の演奏としてはチェロのリサイタルで聴く機会が多いのではないだろうか。私もチェロでは何度となく聴いているが、ヴィオラでは過去に一度しかない(深澤麻里さん/2010年9月/紀尾井ホール)
 演奏の方は、チェロ版とヴァイオリン版の両者からヴィオラの音域に合わせて調整しているようだが、全体の雰囲気はチェロ版に近いイメージのように思えた(ホルン版は聴いたことがないので・・・・)。音にチェロほどの深みがない分だけ逆に軽やかで、穏やかなイメージとなる前半のアダージョ。抒情性豊かに歌うのは歌曲にも傑作を多く残したシューマンならではで、「アルト」らしい体温が感じられる。田原さんのヴィオラは音質が柔らかく伸びやかだ。後半のアレグロに入ると、器楽的な曲想に変わるが、描き出されるロマンティシズムは、田原さんの明るい音色が全体を優しく包み込むようで素敵な演奏だ。流れるような躍動感が溢れ、瑞々しい情感もいっぱい。若手ならではのフレッシュな演奏だった。

 2曲目の「おとぎの絵本 作品113」は、本日演奏される中で唯一のヴィオラとピアノのための作品である。シューマンが書いた唯一のヴィオラのための曲でもある。この曲は、1年前の田原さんと原嶋さんのデュオ・リサイタルでも聴かせていただいた。4つの楽章から成るが、自由な構成を採っているため、ソナタとは違った趣がある。特定のストーリーを標題音楽的に描いたものではないようで、むしろロマン派に相応しく、自由な感情の表出をそのまま描いたロマンティックに作品ということができる。
 第1楽章「速くなく」は、哀愁を帯びた民俗調の旋律が、しみじみとヴィオラによって歌われ、ピアノと対話するように進んでいく。息の長い歌わせ方のヴィオラと煌めくような器楽的なピアノとの対話が、バランスよく、またタイミングよく流れていく。二人の息もピッタリ合っている。
 第2楽章「生き生きと」はスケルツォに相当する。細かく刻まれる主題がヴィオラとピアノが同じ音型・リズムで提示される。ふたつあるトリオ部もリズミカルで器楽的には違いないが「舞曲」らしいリズム感が派ズルような躍動感を見せる。
 第3楽章「速く」もスケルツォ風だが、こちらは短調で、内向的で焦燥感が前面に出てくる。ヴィオラの無窮動的な動きは技巧的だ。
 第4楽章「ゆっくりと、憂鬱な表情を伴って」は緩徐楽章に相当するような、ロマンティックな曲想。ヴィオラが行き真長い主題を切々と歌っていく。さすがにヴィオラ用に書かれた曲だけあって、調性や音域も適正で、主題が無理なくヴィオラがよく歌える音域に収まっている。終始弱音のまま、ちょっと切なげで、それでも憧れを込めた主題はとても美しく、シューマンのロマンティシズムの真骨頂。田原さんのヴィオラも角のない優しい音色で、穏やかに歌っている。

 3曲目の「幻想小曲集 作品73」は、元はクラリネットとピアノのために書かれた室内楽曲。3曲からなる小品集である。こちらも1849年の作であり、ヴァイオリン版やチェロ版がある。
 第1曲「静かに、感情を込めて」は、心の内面の様々な葛藤を心情的に表現したような曲。シューマンならではの抑制の効いた煌びやかさのピアノが分散和音などを美しく弾き、そこに伸びやかなヴィオラが乗る。
 第2曲「活発に、軽やかに」は、確かに軽快ではあるが、やや影のある、抑制の効いた軽やかさで、ピアノに乗せてヴィオラも活発な旋律を描き出す。しかし全体的には抑制的で、内省的である。
 第3曲「急速に、燃えるように」は3曲の中で最も活発で、躍動的で、外に向けての発揮時が感じられる前向きの音楽である。
 3曲とも比較的抑揚の幅のない音楽であるため、演奏も抑え気味であった。その振れ幅の少ない演奏の中で、田原さんも原嶋さんも歌って踊るようなニュアンスを見事に描き出していて、細やかな表現力にも一段と磨きがかかってきたように感じられた。

 最後は本日のメイン曲となる「ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ短調 作品105」は、このカテゴリの楽曲の中でも人気の高い曲で1851年の作。3楽章構成だが明確な急-緩-急ではない。テンポとしては急-急-急になっているが、第2楽章がAllegrettoでも穏やかな主題の抒情的な内容で、緩徐楽章に相当する。元々、ヴァイオリンとしての高音域が少なく、むしろ低音域を多用している楽曲であるため、ヴィオラで原調のまま弾くことは可能で、ヴィオラ版を聴くのはもちろん初めてであったが、思っていたほどの違和感はなかった。
 第1楽章はAllegro appassionataでソナタ形式。ほの暗いイメージが流れるような第1主題、第2主題も対比的ではなく似たような曲相に思える。心の奥深くで情熱的な感情がメラメラと燃えているような、内向的なappassionataだ。ヴァイオリンで城間のと比べて、ヴィオラでは音が丸く感じられるため、燃えるような情感が少しオブラートでくるまれるような、柔らかなイメージになる。人肌の体温が感じられるようで、差し込むような感動は薄れるがその分だけ心地よさと共感が得られる感じがする。
 第2楽章はAllegrettoだが落ち着いた曲想。聴いていても身を委ねたくなるような優しさがある。ヴィオラの音色は子守歌のような、聴く者を包み込むような温もりが感じられる。
 第3楽章はAllegro con brioのロンド。主題はヴィオラとピアノがフーガ風に追いかけて提示され、バロック風の和声進行も効果的に現れる。中間部は曲想を変えて現れるが、ロマンティックな雰囲気もすぐにロンド主題に塗り替えられていく。終盤、第1楽章の第1主題が回帰して来て、曲全体の統一感を創り出している。コーダに入るとヴィオラ(ヴァイオリン)パートの音域が高い方に集まるため、そこだけはヴィオラだとちょっと苦しそうになる。楽章全体を細かく刻むような速いパッセージが続くため、ヴァイオリンよりも大きなヴィオラで弾くには大変そうな感じもするが、田原さんの演奏は常に躍動的なリズム感に支配されていて、エネルギーを振りまくような力感もあり、同時に大らかに楽器を鳴らす豊かさもある。
 いずれにしても、シューマンの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」のヴィオラ版は意外に合っているようで、曲もそれほど長くないので、ヴィオラのレパートリーとして定着させても良いかなとも思った。素敵な演奏であった。

 今日は徹底してアンコールもシューマン。ヴァイオリンとピアノのための曲として人気の高い「3つのロマンス 作品94」より 「第2曲 イ長調」が演奏された。これはヴァイオリンではお馴染みの曲。ヴィオラで弾くとまろやかな「アルト」の音色のせいで、少女の「ロマンス」が大人の「ロマンス」になったような気がする。


 終演後は、会場内の椅子を片付けて広間を作り、飲み物が振る舞われて懇親会となる。わずか20名の来客では、ほとんどが何らかの関係者であろう。サロン・コンサートではお馴染みの懇親会風景である。
 田原さんはこの後またすぐパリに戻ってしまうとのこと。頻繁に帰って来ての演奏活動は大変だと思うが、一方で留学に行きっぱなしになってしまうと、国内ではすぐに忘れられてしまいがちになる(というか、毎日たくさんコンサートがあるので、音楽ファンの聴きたいリストから抜け落ちてしまうのだ)。痛し痒しといったところだろう。
 田原さんの今後の予定を簡単に紹介しておく。

●2017年8月16日(水)13:30〜、東京オペラシティコンサートホール。仲道郁代さんのランチタイム・コンサートにゲスト出演。
●2017年9月6日(水)19:00〜、サントリーホール・ブルーローズ。「サマーフェスティバル」の「再発見“戦後日本のアジア主義”〜はやたつ芥川、まろかる松村〜」に出演。
●2017年9月17日(日)14:00〜、サントリーホール・ブルーローズ。「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン2017」に出演。
●2017年9月23日(土)19:00〜、ムジカーザ。田原綾子&原嶋 唯 デュオ・リサイタル。
●2017年10月21日(土)14:00〜、東京芸術劇場コンサートホール。「エディクソン・ルイスと仲間たち 室内楽コンサート」に出演。
●2017年11月2日(木)19:00〜、京都・青山音楽記念館バロックザール。田原綾子ヴィオ・ラリサイタル。
●2017年12月17日(日)19:00〜、東京文化会館・小ホール。田原綾子ヴィオラ・リサイタル。

 留学で研鑽を続けながら、国内でこれだけのコンサートに出演するのは大変なことだと思う。また、リサイタルだけでなく、様々なコンサートの企画に呼ばれるということは、それだけ彼女の実力への評価が高いことの現れでもある。ますます期待が高まっているといえよう。私も11/2の京都以外は聴きに行く予定にしている。

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7/21(金)朴 葵姫ギター・リサイタル/マニアックなギター界の名曲たちを可憐なテクニックと表現で

2017年07月21日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
現代ギター 50周年記念《GGスペシャルコンサート 2017》
朴 葵姫 ギター・リサイタル Kyuhee Park Guitar Recital

2017年7月21日(金)19:00〜 Hakuju Hall 指定席 D列15番 5,000円
ギター:朴 葵姫(パク・キュヒ)
【曲目】
ヴィラ=ロボス:ショーロス 第1番
バークリー:ソナティナ 作品52-1
      1. Allegretto 2. Lento 3. Rondo
アルベニス:「スペイン組曲 作品47」より第5曲「アストゥリアス(伝説)」
アルベニス:「スペイン 作品165」より第5曲「カタルーニャ奇想曲」
アルベニス:「スペインの歌 作品232」より第4曲「コルドバ」
アルベニス:「スペイン組曲 作品47」より第3曲「セビーリャ」
佐藤弘和:エリカの花 〜朴 葵姫に献呈〜(初演)
ディアンス:ヴァルス・アン・スカイ
ディアンス:「リブラ・ソナチネ」より第3楽章「フォーコ」
ブローウェル:旅人のソナタ
      1. アマゾンの風景 2. 大いなるセルトン農園 3. 祭りの踊り 4. 北方のトッカータ
《アンコール》
  菅野よう子/佐藤弘和編:花は咲く

 現代ギター社の50周年記念コンサート・シリーズで、朴 葵姫さんのギター・リサイタルを聴く。葵姫さんは見た目の可愛らしさから一見してアイドル系の音楽家かと思われがちだが、東京音楽大学を経てウィーン国立音楽大学を首席で卒業し、数々の国際ギター・コンクールに優勝ないし上位入賞している、本格派のギタリストである。1985年の生まれだから今年32歳になるというのも意外(失礼)。とにかく 、一度聴いてみればわかることだが、繊細で可憐、優しく気品のある演奏で、当然のことながらものすごく上手い。現在は、日本や韓国を中心に活動しているようだが、国際的にみても若手のトップクラスのギタリストであることは間違いないのである。

 今回のリサイタルは、ご本人も語っていたように、少々マニアックなプログラムである。一般的なクラシック音楽の世界ではギターはまだまだ特殊な楽器と考えられているようで、楽曲も多くは知られていない。オーケストラに客演するときは、ほとんどの場合がロドリーゴの「アランフェス協奏曲」となるし、リサイタルでもタレガの「アルハンブラの想い出」は必須のプログラムとなる。しかし本日は、上記のようにあまり聴き慣れない曲目が並んでいる。これは現代ギター社の50周年記念ということで、あくまでギター音楽の愛好者向けのプログラムということであろう。私はといえば、ギターは好きな方なので・・・・それでもあまりよく知らない曲が多かった。普段からギターのコンサートに数多く通っていればともかく、いわゆるクラシック音楽の世界でオーケストラ、オペラや声楽、器楽のリサイタルや室内楽などを聴いている限りでは、むしろ知らなくて当然の曲ばかりである。そういえば、今日は音楽仲間の知り合いがひとりも来ていなかった・・・・。

 会場のHAKUJU HALLは300席の小ホールだが、音量の小さなギターのリサイタルを行うには、ギリギリ限界のサイズだと思う。私は今回は出遅れてしまい、4列目の右サイドの方しか取れなかったのだが、この位置の席では、もちろんちゃんと聞こえるには違いないが、音量的には限界に近い。天上が高く、音響に優れたHAKUJU HALLであっても、後方席では辛かろうと推察する。

 さて演奏の方であるが、楽曲に関してあまり詳しくはないし、比較する対象もないので良し悪しについては語るべきではないだろう。そこで取り敢えずは聴いた印象を述べておくに留めたい。

 ヴィラ=ロボスの「ショーロス 第1番」は、ブラジルのセレナーデというべき音楽で、ロマンティックかつ情熱的な旋律が美しい。葵姫さんはテンポを変化されて旋律を歌わせる。情熱的といっても品が良く、上流階級の優雅なセレナーデといった趣きであった。

 バークリーの「ソナティナ 作品52-1」は急-緩-急の3楽章形式のソナチネ。バークリー(1903〜1989)はイギリスの作曲家。ラテン系が主流のギター音楽としては、都会的で洗練された感じがする。親しみやすい旋律を含む近代的な曲で、葵姫さんの演奏は右手の弾き方で音色の多彩に変化させ、奥行きの深い表現をしている。

 ここからはアルベニスの曲を4曲続けて。アルベニス(1860〜1909)はスペインを代表する作曲家。近代国民楽派という位置づけで、スペインの民族的な要素が強い。「スペイン組曲 作品47」の第5曲「アストゥリアス(伝説)」はスペイン情緒が溢れる人気の曲で、ギター音楽の定番曲のひとつだが、元はピアノ曲である。葵姫さんはウィーンで学んだがギタリストの常としてスペインにも度々足を運んで研鑽を積んでいる。だから、本格的なスペイン音楽となると、それなりにキレの良さと情熱的な熱さが表れてくる。
 「スペイン 作品165」の第5曲「カタルーニャ奇想曲」は、ゆったりとしたテンポで語られるスペイン風味が地中海風で何とも心地よく、聴き手の共感を呼ぶ音楽。ロマンティックで人肌を感じさせる演奏が素敵だ。
 「スペインの歌 作品232」の第4曲「コルドバ」はアンダルシア地方をイメージした音楽。面白いもので、私たちから見ると遠い国スペインではあるが、なんとはなしに特定のイメージを持っていて、聴けば「スペイン風」であることは誰しも感じ取れる。しかし、スペインといっても広いわけで、それぞれの地方による違いもかなりある。アンダルシアといえばフラメンコだが、アルベニスの音楽はより洗練されていて、暑い夏の夜のイメージだろうか。
 最後は「スペイン組曲 作品47」の第3曲「セビーリャ」。セビーリャもアンダルシアの都市。カスタネットを打ち鳴らして踊るイメージなどが目に浮かぶ。葵姫さんの語り口も熱く、情熱的な雰囲気も伝わって来る。

 プログラムの後半は、まず、佐藤弘和さんの作曲による「エリカの花」という曲。2013年に完成して、葵姫さんに献呈されているが、コンサートで演奏されるのは本日が初演となる。作曲者に聴かせてあげられないのが残念。というのは、佐藤さんは1966年生まれ、左利きのギタリストで作曲家だが、昨年2016年の暮れに惜しくも亡くなられたからである。
 重く寂寥感の漂う序奏に続き、主部はトレモロ奏法でロマンティックな主題が描かれて行く。息の長い歌謡的な主題は、トレモロでなければ描けない、ギターならではの表現方法だ。葵姫さんのトレモロの美しさには定評があるが、このようにしっとりと歌わせるトレモロは本当に素敵だ。均質なトレモロがしなやかな歌っている。序奏の主題が再び現れてコーダとなる。素敵な曲に、素晴らしい演奏であった。でもやはり悲しい色合いに彩られていた。

 続いてはディアンスの曲を2曲。ディアンス(1955〜2016)はフランスのギタリストで作曲家。
 「ヴァルス・アン・スカイ」はタイトルの意味は「ワルツもどき」だが、音楽としてはギターによるワルツである。スペイン風の美しい主題がちょっと洗練されてフランス風になった感じ。ワルツといえばワルツだが、ギターで演奏されれば確かにワルツもどきかもしれない。葵姫さんの演奏はロマンティックな味付けで、女性的な柔らかさに包まれている。
 「リブラ・ソナチネ」の第3楽章「フォーコ」はギターの世界ではよく知られた人気の曲。フォーコは炎という意味。強い熱情をダイナミックに表現する曲で、多声的で技巧的な曲でもある。葵姫さんの演奏は、淀みなく流れるようなリズム感で、多彩な音色を繰り出して来る。やはり上手いなぁと思った。

 最後はブローウェルの「旅人のソナタ」。ブローウェル(1939〜)はキューバのギタリストで作曲家。本作は2008年の作で、ブラジルを旅する人から見たイメージの4つの楽章から成るが切れ目なく続けて演奏される。それぞれの楽章には「アマゾンの風景」「大いなるセルトン農園」「 祭りの踊り」「 北方のトッカータ」と標題が与えられている。曲想はやや現代的であり、標題音楽のような描写で描かれるわけではなく、より観念的な感じ。葵姫さんの演奏は、抽象度が高いこの曲においても、端正な造形を持ち、安定的な高度なテクニックと多彩な音色、穏やかで優しいメリハリの効かせ方。素晴らしい演奏である。

 アンコールは、東日本大震災の復興ソング「花は咲く」。佐藤弘和さんの編曲によるギター版である。この曲はつい一昨日、デトロイト交響楽団もアンコールで演奏した。私たち以上に外国の人たちも震災の復興に心を寄せてくれていると思うと、胸が熱くなる。演奏ももちろんとても素敵で、優しさがいっぱいであった。

 こうして見てみると分かるように、葵姫さんは現代ギター社の50周年コンサートに際し、ブラジル、イギリス、スペイン、日本、フランス、キューバと、世界各国の音楽を敢えて選んでいる。ギターといえば深くスペインに傾倒することもできるし、むしろその方が一般的かもしれないが、敢えてこのような選曲をしたのは、ギターの持つ国際的な楽器としての可能性を広く訴えたかったのであろう。私も実を言うと、スペインの民族楽器としてのギターよりも、クラシック音楽の中に位置付けられるギターが好き。だから、今回のような葵姫さんの試みはとても興味深く感じられた。なかなか素敵なコンサートであった。
 葵姫さんは今後も日本でのコンサートがいくつか予定されているが、来年2018年2月23日には紀尾井ホールでリサイタルがあり、それは最前列のチケットを確保してある。やはりギターこそは最前列で聴きたいものだ。その後も3月17日にはフィリアホールでリサイタルがある。

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【お勧め楽譜のご紹介】
 佐藤弘和さんのギター作品集(楽譜)です。オリジナル曲や古今東西の名曲のギター用編曲がぎっしり詰まっています。朴 葵姫さんに献呈され、本日、初演された「エリカの花」の楽譜も収録されています。
GG591 佐藤弘和作品集~青空の向こうに
現代ギター社
現代ギター社



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7/19(水)デトロイト交響楽団/スラットキン+諏訪内晶子のコルンゴルトVn協奏曲はアメリカン・ビッグ・サウンド

2017年07月19日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
2017年 第5回 国際音楽祭NIPPON
デトロイト交響楽団


2017年7月19日(水)19:00〜 東京オペラシティ コンサートホール 指定 1階4列 10番 15,000円
指揮:レナード・スラットキン
ヴァイオリン: 諏訪内晶子 *
管弦楽:デトロイト交響楽団
【曲目】
武満徹: 遠い叫び声の彼方へ!*
コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35*
チャイコフスキー: 交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
《アンコール》
 菅野よう子:花は咲く
 フェリックス・スラットキン:悪魔の夢


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