2012年の1年間で、数えてみたら141回のオペラ&コンサート(+「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」で14公演)を聴きに行った。今年は海外の歌劇場の来日公演が少なかったせいもあり、例年よりはオペラに行く回数が少なかったようである。その分、コンサートが多くなった。国内の6つのオーケストラの定期会員になっているし(全部行けるわけではないが)、海外からの来日公演も加わり、オペラ歌手やヴァイオリニスト、ピアニストのリサイタルなどが主たる分野である。室内楽や古楽、宗教曲、合唱曲等は少ない。
あくまで自分にとってではあるが、これらのオペラ&コンサートの中でも、素晴らしい演奏会も、そうでないものもあった。個人的な嗜好でプロの(あるいはアマチュアであっても)音楽家の芸術表現に対して良し悪しの評価をするのはおこがましいことでもあり、基本的には避けたいと思っている。それでも素晴らしく感じた演奏会はたくさんあったし、また演奏会ではなく、演奏された曲もあった。ここでは、今年、2012年の1年間に聴いたオペラ&コンサートの中の曲で、最も強く印象に残ったものを、【Best 3】というカタチで書き留めておこうと思う。
【1】ラフマニノフ: 交響曲 第2番 ホ短調 作品27
《日本フィルハーモニー交響楽団 第638回 東京定期演奏会》
2012年3月16日(金)19:00~
サントリホール・大ホール
指 揮: アレクサンドル・ラザレフ
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
この日の演奏はまさに衝撃的。それまでに感じていた日本フィルの評価が一変、在京オーケストラのトップに躍り出たといっても過言ではない(あくまで個人的な感想です)。少なくとも、今年聴いた世界の一流といわれる指揮者やオーケストラの演奏と比較しても、魂を震えさせるような感動をもたらしてくれた度合いは、この日の日本フィルのラフマニノフの方が上であったと思う。以下、当日のコンサートのプログ記事から、この曲の部分を抜粋してみよう。
* * *
「 後半はラフマニノフの交響曲第2番。前日に日本フィルから来たメルマガにリハーサルの様子が紹介されていたのだが、それによると「ラザレフのリハーサルで驚かされるのは、短時間でオケの音が変わること。これは誇張ではなくホントの話。「ニェット」(英語のNoの意味)の積み重ねから、これだけポジティブな響を生み出す…」とのこと。本当かなァと半信半疑であったが、曲が始まった途端、ビックリ。確かにこれまで聴いた日本フィルとは音の質が全然違ったのである。(中略)
第1楽章が始まると、確かにオーケストラの音が全然違う。ラフマニノフの哀愁が、感傷が、切なく胸に迫ってくる…。あァ、これがロシアの音楽なんだ、ラフマニノフなんだ、と聴いている方も感傷的になるような音楽、そして演奏。まず第一にアンサンブルが緻密で、構造がガッチリしている。各パートの音色も見違えるように良い。トランペットやホルンがしっかりと抑制されていてオーケストラに溶け込んでいる。木管の爽やかさもロマンティックな旋律をうまく表現している。弦楽のアンサンブルは厚いというか深いというか、音量も豊かで、わずかに濁り気味の音がかえってロシア的なイメージを増幅していた。本当に素晴らしい演奏だ。
第2楽章はスケルツォで、リズム感良く始まり、中間部の感傷的な旋律は,弦楽が美しいアンサンブルを聴かせた。
そして第3楽章。クラシック音楽の長い歴史の中でこれほど甘美で感傷的な音楽があるだろうか。そしてそれを、ラザレフさんが日本フィルから、力強さと繊細さを併せ持つ演奏を引き出してくる。弦楽の厚いアンサンブルと豊かな音量に、1フレーズ毎に見事な抑揚を付けて歌わせ、その上に乗る木管楽器の音色はロシアの春の大地を吹きわたるそよ風のような優しさと温もり。そのあまりに美しい演奏に、会場全体が息を飲むような、痺れるような緊張感に包まれていた。
第4楽章は、長調に転じて壮麗でドラマティックになる。各楽章の主題(動機)が変奏されて登場し、抒情的な部分はより切なく美しく、劇的な部分は雄壮で音量も豊かに、緊張感の高い演奏が続く。ここまでくると、弦楽アンサンブルから濁りがなくなり、極めて透明度の高い音色が、より強く哀愁をそそる。このような感傷と雄壮さの対比がラフマニノフの魅力だ。悩める作曲家の心情が伝わってくる。
ラザレフさんがその辺りを見事に描き出して、日本フィルから最高の音と豊かな演奏を引き出していた。フィニッシュに向けての盛り上がり方の見事で、全合奏の爆発的な音量の中でもしっりとバランスが保たれており、聴く側の感情をあおり立てて行く。曲が終わった瞬間にBravo!!の声とともに、会場全体が沸き立った。これはもう、文句なしの素晴らしい演奏!! Braaaavo!!! 」
* * *
この日の演奏は録音されていて、10月にCDとなって発売された。日本フィルの10月の定期演奏会の会場で先行発売されていたので迷わず購入した。あらためて聴いてみると、やはりこれ以上の演奏はありえないと思えるほど素晴らしい。あの日の感動がよみがえって来る。というわけで、ラフマニノフの交響曲第2番のベスト盤として、このCDは絶対にお勧めである。
【2】チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
《日本フィルハーモニー交響楽団 第644回 東京定期演奏会》
2012年10月19日(金)19:00~
サントリホール・大ホール
指 揮: アレクサンドル・ラザレフ
ヴァイオリン: 川久保賜紀
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
“Best 3”の2曲目もラザレフさんと日本フィルの演奏。そうなったのは偶然というわけでもなさそうだ。とにかく最近の日本フィルの好調ぶりは、多くの音楽好きの方々の一致した意見であり、とくにラザレフさんが指揮する時に一層の煌めきを見せる。ここでは個人的に大好きな川久保賜紀さんのソロであったことが、かなり恣意的な評価になっていることは十分に自覚しているが、それでも良いものは良い! …と確信している。以下は、その日の記事(抜粋)である。
* * *
「 川久保さんがチャイコフスキー国際コンクールで最高位に輝いてからもう10年になる。その時のライブ録音のCDは現在でも入手できるので聴いてみればよく分かるが、現在の演奏とは比べるべくもない。世界の最高権威のコンクールを取ったことはプロフィルに常に書かれるためではなく、音楽家としての通過点に過ぎない。以降の研鑽と努力、そして経験の積み重ねという時を経て、この上もなく豊穣な演奏へと熟成している。そして完璧とも思えるその演奏であるのに、未だに完成品に至っていないという雰囲気を残している。永遠に完成しないものを目指す姿勢があればこそ、完璧に近いものが生まれてくるのだ。今日はそんな演奏を聴くことができて、これほど嬉しいことはなかった。(中略)
胸元に薔薇の刺繍をあしらったエンジ色のドレスで、いつものようににこやかに登場した川久保さん。曲が始まるとこの日の音楽を吸収するように身を委ねる。ラザレフさんはやや遅めのテンポで大河の流れのごとく、堂々たる趣きだ。そして、ソロ・ヴァイオリンが入ってくる。第1主題の提示は、遅めのテンポに乗って、ひとつひとつの音が色濃く鳴り、いつものようにレガートが美しく独特の流麗な響きだ。音量はそれほど大きくないのに、響きの良い音質で遠くまで届く音、といったイメージである(もっとも2列目の真正面で聴いていたので、遠い席でどのように聞こえたかは不明だが…)。基本的には遅めのテンポで、要所でテンポを上げて緊張感を高めるのは、ラザレフさんの音楽作りだろう。川久保さんはその流れに乗りつつも、ひとつひとつのフレーズにも豊かな表情と細やかなニュアンスがあり、すべての音に神経が行き届いていて、適当に流すようなところが微塵もない。速いパッセージの中の1音に付けられる一瞬のヴィブラートが、パッセージ自体を色濃くしていく。流れるようなレガートと、濃厚な色彩感で、非常に豊かなチャイコフスキーが描かれていた。
また、第1楽章のカデンツァが絶品であった。ソロになれば束縛から解き放たれたような自由さで、思いのままに揺れるテンポ、静寂の間合い、濃厚な音色と流麗なテクニックで、ホール全体に緊張感が漲る感じだった。
一方、ラザレフさんはソロ・ヴァイオリンを自然に浮かび上がらせるようにオーケストラを抑え気味にコントロールしつつ、ロシア風の重厚さも描き出していた。そして日本フィルも濃厚な音色で、音量は控え目でも豊かな演奏を聴かせていた。
第2楽章になると、一転して繊細なロマンティシズムが描き出される。人の息遣いのような温もりを感じさせるフレーズの歌わせ方には、明瞭な意志が感じられる。だから小さめの音量でありながら、存在感の強い演奏となる。川久保さんの演奏に反応して、ラザレフさんもオーケストラをより抑え気味にしていた。
ソロ・ヴァイオリンの豊かで艶やかな低音の序奏から始まる第3楽章は、ピツィカートのアルベッジョの最後の音をピンと大きく弾くなど、ところどころに川久保流のアレンジが聴き取れた。軽快なロンド主題をテンポを上げて走らせていくが、高速のパッセージでもひとつひとつの音が明瞭で、それでいて流れるようなレガートの美しさも川久保流である。中間部での超高音のフラジオレットなども繊細さと優しさに彩られていて、神経質な感じがしないのも、川久保さんならではだ。コーダに入ってからのテンポアップとクライマックスへ向けての盛り上がり、緊張感の高まりはワクワクする瞬間だ。オーケストラがパワーアップしていっても、それほど強く弾いているようにも見えないのに、川久保さんのヴァイオリンの音は最後まで明瞭に聞こえていた。
今日の川久保さんの演奏は、とても「豊か」というイメージであった。音色には濃厚な色彩感があり、ppからffまでの全音域で、優しく、エレガントな演奏である。決して強く自己主張するような演奏できないのに、曲全体を通して聴けば、やっぱりこれは川久保流であり、他の演奏家には絶対に出せない個性を感じ取ることができる。とくに今日の演奏は、ラザレフさんの濃厚にロマンティシズムと共鳴して、良い意味での大人の色気たっぷりの演奏であった。ラザレフさんとの相性もピッタリで、間違いなくBraaaava!!である。 」
* * *
この日の演奏会では、終演後に「ホワイエ交流会」があって、ラザレフさんと川久保さんが楽曲に対する思いを語ってくれた。川久保さんは、16歳の時にザハール・ブロン先生に習って以来、何度も演奏しているけど、毎回違ったアプローチで取り組んでいるとのこと。今後ももっと新しいチャイコフスキーを目指していきたいと、語っておられたのが印象に残っている。演奏家の方たちも終わりなき戦いを続けているのである。
【3】ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
《アリス=紗良・オット ピアノ・リサイタル》
2012年11月5日(月)19:00~
東京オペラシティ・コンサートホール
ピアノ: アリス=紗良・オット
3曲目は、アリス=紗良・オットさんがリサイタルで弾いた「展覧会の絵」。今年の7月にサンクトペテルブルグでのライブ録音が新譜CDとしてリリースされたのが10月。直後の来日公演ではメイン曲として演奏された。あらかじめ聴いていたCDとは大いに異なる印象に驚かされた。「自分の録音は、過去の出来事であるのであまり聴かない。毎回演奏へのアプローチは違うから」と語っていたアリスさんだったが、確かにその通り。最初から爆音を轟かせたパワー全開の演奏が耳に残っている。演奏が終わった直後は、肩で息をいているくらいの消耗ぶりだったのもかかわらず、満足げににっこり笑った表情が印象的だった。以下は、その日の記事(抜粋)である。
* * *
「 後半はムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』。アリスさんはステージに登場し椅子に腰掛けるなり、ためらいもなくプロムナードを弾き出す。鍵盤に対して指を垂直にぶつけるような強い打鍵で、強烈なフォルテ。最前列・最短距離で聴くと、のけぞるような音圧を感じた。ダイナミックレンジは、シューベルトの倍もあろうか。凄まじいばかりの演奏が続く。これはCDで聴いていたライブ録音とはまったく違うアプローチだといえる。とにかく、今までに聴いたことのあるどの『展覧会の絵』よりも鮮烈なイメージを描き出していた。徹底的な標題音楽であるこの曲へのアプローチとしては、はたしてこの解釈はおかしいのではないか、という考えも一瞬脳裏を掠めたが、ここまで自信たっぷりにガンガン弾かれると、完全に寄り切られてしまった。アリスさんの勝ちである。思うに、あまり標題音楽に拘らず、むしろ純音楽的に楽譜を読み込んでいった上での挑戦であったのではないだろうか。純音楽として捉えれば、ピアノという楽器の機能とスタインウェイの性能を最大限に発揮させて、楽曲の表現の幅を最大限に広げて、思いっきり弾いてみた、という感じがである。
各曲毎に変化する多彩な音質と表現の幅も広く、とくに「キエフ大門」になだれこんでいく部分の緊張感と期待感の描き方は素晴らしい!! もちろん「キエフの大門」は途方もない音量がホールを揺るがすような大迫力。とにかくスゴイ演奏なのである。解釈云々などと野暮なことはいわずに、今日はアリスさんのピアノをすべて受け入れて、Braaaava!!(中略)
また、東京オペラシティ・コンサートホールの音響の素晴らしさも再認識させられた。豪快な叩き付けるような重低音から、高音域の小さな音まで、楔形に尖った天井がとても自然な美しい響きをもたらした。左右の幅がないホールだけに音が拡散せずに、空間を緊密に音が満たしていくといったイメージ。最高の音響である。(中略)目の前で聴いているのに、どんな強奏でも音そのものはあくまで豊かで澄んでいた。
曲が終わった瞬間に会場が沸騰した。Bravo!の声が飛び交う。演奏を終えたアリスさんは肩で息をしているような状態。お疲れ様でした。 」
* * *
もともと、スケール感のある伸びやかな演奏が魅力で、超絶技巧の持ち主でありながら、多少のミスタッチなと気にもせずに伸び伸びと演奏するといったイメージのアリスさんであったが、この日の演奏は意図的な強い打鍵で、「こういう弾き方もありでしょ?」と挑戦的に迫ってきた。聴く人によって評価は異なるかもしれないが、この日のアリスさんの新しい可能性を目指した挑戦的なアプローチを、私は高く評価したいと思うのである。
以上、3つの曲と演奏を【Best 3】としてみたが、どう見てもあまり客観性のある評価ではなさそうである……。
もちろん、この他にも素晴らしい演奏は数え切れないほどあった。というよりは、ほとんどのオペラ&コンサートは素晴らしいものであり、マイナス評価をしたくなるような演奏は数少なかったといっても良い。日本のオーケストラの定期公演や日本人アーティストの演奏会が中心になるとはいえ、海外からの一流といわれるオーケストラやオペラの引っ越し公演にも数多く足を運んだ。日本人の演奏がヨーロッパのそれに比べてもけっして引けを取らないものであることは、沢山の演奏を聴き、冷静に客観的に聴いていれば、分かると思う。音楽家の皆さんの、その時の最良の演奏であるならば、それは必ず聴く者に響くものが伝わってくる。懐疑的・批判的精神で音楽を聴いていても、そこからは何も生まれてこないような気がする。演奏家の皆さんに精一杯の演奏をしていただき、私たちは心を開いてそれを楽しませいいただくことで、無限の感動が生まれてくるのだ。上記の【Best 3】は、2012年に演奏家の皆さんからいただいたたくさんの感動の中から、とくに印象に残った演奏を選んだものである。すべての演奏家の皆さんにBravo!!を送ろう。
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あくまで自分にとってではあるが、これらのオペラ&コンサートの中でも、素晴らしい演奏会も、そうでないものもあった。個人的な嗜好でプロの(あるいはアマチュアであっても)音楽家の芸術表現に対して良し悪しの評価をするのはおこがましいことでもあり、基本的には避けたいと思っている。それでも素晴らしく感じた演奏会はたくさんあったし、また演奏会ではなく、演奏された曲もあった。ここでは、今年、2012年の1年間に聴いたオペラ&コンサートの中の曲で、最も強く印象に残ったものを、【Best 3】というカタチで書き留めておこうと思う。
【1】ラフマニノフ: 交響曲 第2番 ホ短調 作品27
《日本フィルハーモニー交響楽団 第638回 東京定期演奏会》
2012年3月16日(金)19:00~
サントリホール・大ホール
指 揮: アレクサンドル・ラザレフ
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
この日の演奏はまさに衝撃的。それまでに感じていた日本フィルの評価が一変、在京オーケストラのトップに躍り出たといっても過言ではない(あくまで個人的な感想です)。少なくとも、今年聴いた世界の一流といわれる指揮者やオーケストラの演奏と比較しても、魂を震えさせるような感動をもたらしてくれた度合いは、この日の日本フィルのラフマニノフの方が上であったと思う。以下、当日のコンサートのプログ記事から、この曲の部分を抜粋してみよう。
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「 後半はラフマニノフの交響曲第2番。前日に日本フィルから来たメルマガにリハーサルの様子が紹介されていたのだが、それによると「ラザレフのリハーサルで驚かされるのは、短時間でオケの音が変わること。これは誇張ではなくホントの話。「ニェット」(英語のNoの意味)の積み重ねから、これだけポジティブな響を生み出す…」とのこと。本当かなァと半信半疑であったが、曲が始まった途端、ビックリ。確かにこれまで聴いた日本フィルとは音の質が全然違ったのである。(中略)
第1楽章が始まると、確かにオーケストラの音が全然違う。ラフマニノフの哀愁が、感傷が、切なく胸に迫ってくる…。あァ、これがロシアの音楽なんだ、ラフマニノフなんだ、と聴いている方も感傷的になるような音楽、そして演奏。まず第一にアンサンブルが緻密で、構造がガッチリしている。各パートの音色も見違えるように良い。トランペットやホルンがしっかりと抑制されていてオーケストラに溶け込んでいる。木管の爽やかさもロマンティックな旋律をうまく表現している。弦楽のアンサンブルは厚いというか深いというか、音量も豊かで、わずかに濁り気味の音がかえってロシア的なイメージを増幅していた。本当に素晴らしい演奏だ。
第2楽章はスケルツォで、リズム感良く始まり、中間部の感傷的な旋律は,弦楽が美しいアンサンブルを聴かせた。
そして第3楽章。クラシック音楽の長い歴史の中でこれほど甘美で感傷的な音楽があるだろうか。そしてそれを、ラザレフさんが日本フィルから、力強さと繊細さを併せ持つ演奏を引き出してくる。弦楽の厚いアンサンブルと豊かな音量に、1フレーズ毎に見事な抑揚を付けて歌わせ、その上に乗る木管楽器の音色はロシアの春の大地を吹きわたるそよ風のような優しさと温もり。そのあまりに美しい演奏に、会場全体が息を飲むような、痺れるような緊張感に包まれていた。
第4楽章は、長調に転じて壮麗でドラマティックになる。各楽章の主題(動機)が変奏されて登場し、抒情的な部分はより切なく美しく、劇的な部分は雄壮で音量も豊かに、緊張感の高い演奏が続く。ここまでくると、弦楽アンサンブルから濁りがなくなり、極めて透明度の高い音色が、より強く哀愁をそそる。このような感傷と雄壮さの対比がラフマニノフの魅力だ。悩める作曲家の心情が伝わってくる。
ラザレフさんがその辺りを見事に描き出して、日本フィルから最高の音と豊かな演奏を引き出していた。フィニッシュに向けての盛り上がり方の見事で、全合奏の爆発的な音量の中でもしっりとバランスが保たれており、聴く側の感情をあおり立てて行く。曲が終わった瞬間にBravo!!の声とともに、会場全体が沸き立った。これはもう、文句なしの素晴らしい演奏!! Braaaavo!!! 」
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この日の演奏は録音されていて、10月にCDとなって発売された。日本フィルの10月の定期演奏会の会場で先行発売されていたので迷わず購入した。あらためて聴いてみると、やはりこれ以上の演奏はありえないと思えるほど素晴らしい。あの日の感動がよみがえって来る。というわけで、ラフマニノフの交響曲第2番のベスト盤として、このCDは絶対にお勧めである。
【2】チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
《日本フィルハーモニー交響楽団 第644回 東京定期演奏会》
2012年10月19日(金)19:00~
サントリホール・大ホール
指 揮: アレクサンドル・ラザレフ
ヴァイオリン: 川久保賜紀
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
“Best 3”の2曲目もラザレフさんと日本フィルの演奏。そうなったのは偶然というわけでもなさそうだ。とにかく最近の日本フィルの好調ぶりは、多くの音楽好きの方々の一致した意見であり、とくにラザレフさんが指揮する時に一層の煌めきを見せる。ここでは個人的に大好きな川久保賜紀さんのソロであったことが、かなり恣意的な評価になっていることは十分に自覚しているが、それでも良いものは良い! …と確信している。以下は、その日の記事(抜粋)である。
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「 川久保さんがチャイコフスキー国際コンクールで最高位に輝いてからもう10年になる。その時のライブ録音のCDは現在でも入手できるので聴いてみればよく分かるが、現在の演奏とは比べるべくもない。世界の最高権威のコンクールを取ったことはプロフィルに常に書かれるためではなく、音楽家としての通過点に過ぎない。以降の研鑽と努力、そして経験の積み重ねという時を経て、この上もなく豊穣な演奏へと熟成している。そして完璧とも思えるその演奏であるのに、未だに完成品に至っていないという雰囲気を残している。永遠に完成しないものを目指す姿勢があればこそ、完璧に近いものが生まれてくるのだ。今日はそんな演奏を聴くことができて、これほど嬉しいことはなかった。(中略)
胸元に薔薇の刺繍をあしらったエンジ色のドレスで、いつものようににこやかに登場した川久保さん。曲が始まるとこの日の音楽を吸収するように身を委ねる。ラザレフさんはやや遅めのテンポで大河の流れのごとく、堂々たる趣きだ。そして、ソロ・ヴァイオリンが入ってくる。第1主題の提示は、遅めのテンポに乗って、ひとつひとつの音が色濃く鳴り、いつものようにレガートが美しく独特の流麗な響きだ。音量はそれほど大きくないのに、響きの良い音質で遠くまで届く音、といったイメージである(もっとも2列目の真正面で聴いていたので、遠い席でどのように聞こえたかは不明だが…)。基本的には遅めのテンポで、要所でテンポを上げて緊張感を高めるのは、ラザレフさんの音楽作りだろう。川久保さんはその流れに乗りつつも、ひとつひとつのフレーズにも豊かな表情と細やかなニュアンスがあり、すべての音に神経が行き届いていて、適当に流すようなところが微塵もない。速いパッセージの中の1音に付けられる一瞬のヴィブラートが、パッセージ自体を色濃くしていく。流れるようなレガートと、濃厚な色彩感で、非常に豊かなチャイコフスキーが描かれていた。
また、第1楽章のカデンツァが絶品であった。ソロになれば束縛から解き放たれたような自由さで、思いのままに揺れるテンポ、静寂の間合い、濃厚な音色と流麗なテクニックで、ホール全体に緊張感が漲る感じだった。
一方、ラザレフさんはソロ・ヴァイオリンを自然に浮かび上がらせるようにオーケストラを抑え気味にコントロールしつつ、ロシア風の重厚さも描き出していた。そして日本フィルも濃厚な音色で、音量は控え目でも豊かな演奏を聴かせていた。
第2楽章になると、一転して繊細なロマンティシズムが描き出される。人の息遣いのような温もりを感じさせるフレーズの歌わせ方には、明瞭な意志が感じられる。だから小さめの音量でありながら、存在感の強い演奏となる。川久保さんの演奏に反応して、ラザレフさんもオーケストラをより抑え気味にしていた。
ソロ・ヴァイオリンの豊かで艶やかな低音の序奏から始まる第3楽章は、ピツィカートのアルベッジョの最後の音をピンと大きく弾くなど、ところどころに川久保流のアレンジが聴き取れた。軽快なロンド主題をテンポを上げて走らせていくが、高速のパッセージでもひとつひとつの音が明瞭で、それでいて流れるようなレガートの美しさも川久保流である。中間部での超高音のフラジオレットなども繊細さと優しさに彩られていて、神経質な感じがしないのも、川久保さんならではだ。コーダに入ってからのテンポアップとクライマックスへ向けての盛り上がり、緊張感の高まりはワクワクする瞬間だ。オーケストラがパワーアップしていっても、それほど強く弾いているようにも見えないのに、川久保さんのヴァイオリンの音は最後まで明瞭に聞こえていた。
今日の川久保さんの演奏は、とても「豊か」というイメージであった。音色には濃厚な色彩感があり、ppからffまでの全音域で、優しく、エレガントな演奏である。決して強く自己主張するような演奏できないのに、曲全体を通して聴けば、やっぱりこれは川久保流であり、他の演奏家には絶対に出せない個性を感じ取ることができる。とくに今日の演奏は、ラザレフさんの濃厚にロマンティシズムと共鳴して、良い意味での大人の色気たっぷりの演奏であった。ラザレフさんとの相性もピッタリで、間違いなくBraaaava!!である。 」
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この日の演奏会では、終演後に「ホワイエ交流会」があって、ラザレフさんと川久保さんが楽曲に対する思いを語ってくれた。川久保さんは、16歳の時にザハール・ブロン先生に習って以来、何度も演奏しているけど、毎回違ったアプローチで取り組んでいるとのこと。今後ももっと新しいチャイコフスキーを目指していきたいと、語っておられたのが印象に残っている。演奏家の方たちも終わりなき戦いを続けているのである。
【3】ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
《アリス=紗良・オット ピアノ・リサイタル》
2012年11月5日(月)19:00~
東京オペラシティ・コンサートホール
ピアノ: アリス=紗良・オット
3曲目は、アリス=紗良・オットさんがリサイタルで弾いた「展覧会の絵」。今年の7月にサンクトペテルブルグでのライブ録音が新譜CDとしてリリースされたのが10月。直後の来日公演ではメイン曲として演奏された。あらかじめ聴いていたCDとは大いに異なる印象に驚かされた。「自分の録音は、過去の出来事であるのであまり聴かない。毎回演奏へのアプローチは違うから」と語っていたアリスさんだったが、確かにその通り。最初から爆音を轟かせたパワー全開の演奏が耳に残っている。演奏が終わった直後は、肩で息をいているくらいの消耗ぶりだったのもかかわらず、満足げににっこり笑った表情が印象的だった。以下は、その日の記事(抜粋)である。
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「 後半はムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』。アリスさんはステージに登場し椅子に腰掛けるなり、ためらいもなくプロムナードを弾き出す。鍵盤に対して指を垂直にぶつけるような強い打鍵で、強烈なフォルテ。最前列・最短距離で聴くと、のけぞるような音圧を感じた。ダイナミックレンジは、シューベルトの倍もあろうか。凄まじいばかりの演奏が続く。これはCDで聴いていたライブ録音とはまったく違うアプローチだといえる。とにかく、今までに聴いたことのあるどの『展覧会の絵』よりも鮮烈なイメージを描き出していた。徹底的な標題音楽であるこの曲へのアプローチとしては、はたしてこの解釈はおかしいのではないか、という考えも一瞬脳裏を掠めたが、ここまで自信たっぷりにガンガン弾かれると、完全に寄り切られてしまった。アリスさんの勝ちである。思うに、あまり標題音楽に拘らず、むしろ純音楽的に楽譜を読み込んでいった上での挑戦であったのではないだろうか。純音楽として捉えれば、ピアノという楽器の機能とスタインウェイの性能を最大限に発揮させて、楽曲の表現の幅を最大限に広げて、思いっきり弾いてみた、という感じがである。
各曲毎に変化する多彩な音質と表現の幅も広く、とくに「キエフ大門」になだれこんでいく部分の緊張感と期待感の描き方は素晴らしい!! もちろん「キエフの大門」は途方もない音量がホールを揺るがすような大迫力。とにかくスゴイ演奏なのである。解釈云々などと野暮なことはいわずに、今日はアリスさんのピアノをすべて受け入れて、Braaaava!!(中略)
また、東京オペラシティ・コンサートホールの音響の素晴らしさも再認識させられた。豪快な叩き付けるような重低音から、高音域の小さな音まで、楔形に尖った天井がとても自然な美しい響きをもたらした。左右の幅がないホールだけに音が拡散せずに、空間を緊密に音が満たしていくといったイメージ。最高の音響である。(中略)目の前で聴いているのに、どんな強奏でも音そのものはあくまで豊かで澄んでいた。
曲が終わった瞬間に会場が沸騰した。Bravo!の声が飛び交う。演奏を終えたアリスさんは肩で息をしているような状態。お疲れ様でした。 」
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もともと、スケール感のある伸びやかな演奏が魅力で、超絶技巧の持ち主でありながら、多少のミスタッチなと気にもせずに伸び伸びと演奏するといったイメージのアリスさんであったが、この日の演奏は意図的な強い打鍵で、「こういう弾き方もありでしょ?」と挑戦的に迫ってきた。聴く人によって評価は異なるかもしれないが、この日のアリスさんの新しい可能性を目指した挑戦的なアプローチを、私は高く評価したいと思うのである。
以上、3つの曲と演奏を【Best 3】としてみたが、どう見てもあまり客観性のある評価ではなさそうである……。
もちろん、この他にも素晴らしい演奏は数え切れないほどあった。というよりは、ほとんどのオペラ&コンサートは素晴らしいものであり、マイナス評価をしたくなるような演奏は数少なかったといっても良い。日本のオーケストラの定期公演や日本人アーティストの演奏会が中心になるとはいえ、海外からの一流といわれるオーケストラやオペラの引っ越し公演にも数多く足を運んだ。日本人の演奏がヨーロッパのそれに比べてもけっして引けを取らないものであることは、沢山の演奏を聴き、冷静に客観的に聴いていれば、分かると思う。音楽家の皆さんの、その時の最良の演奏であるならば、それは必ず聴く者に響くものが伝わってくる。懐疑的・批判的精神で音楽を聴いていても、そこからは何も生まれてこないような気がする。演奏家の皆さんに精一杯の演奏をしていただき、私たちは心を開いてそれを楽しませいいただくことで、無限の感動が生まれてくるのだ。上記の【Best 3】は、2012年に演奏家の皆さんからいただいたたくさんの感動の中から、とくに印象に残った演奏を選んだものである。すべての演奏家の皆さんにBravo!!を送ろう。
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