Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

1/27(日)クァルテット・レストロ・アルモニコ/気分は深刻/ヤナーチェク「クロイツェル・ソナタ」とシューベルト「死と乙女」

2019年01月27日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
クァルテット・レストロ・アルモニコ
第3回定期公演「スパイラル&シークエンス」


2019年1月27日(日)15:00〜 東京コンサーツ・ラボ 自由席 1列 中央 3,000円
クァルテット・レストロ・アルモニコ
 ヴァイオリン:伊藤亜美
 ヴァイオリン:須山暢大
 ヴィオラ:安達真理
 チェロ:山澤 慧
【曲目】
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調「クロイツェル・ソナタ」
シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D810「死と乙女」
《アンコール》
 シューベルト:弦楽四重奏曲第13番 イ短調 「ロザムンデ」D804より 第2楽章

 私にとってはすっかりお馴染みになった「クァルテット・レストロ・アルモニコ」。早稲田にある東京コンサーツ・ラボでのコンサートもまたお馴染みとなった。
 今日のコンサートは「スパイラル&シークエンス」と名付けられた定期公演の3回目という位置付けになる。クァルテットのコンサートトしては、昨年の2019年の10月に浦安音楽ホールで開催された無料の公演があり、その時のメイン曲がシューベルトの「死と乙女」への初挑戦ということだった。主催公演の本番としては、本日のコンサートで再び「死と乙女」が正式に披露されるという位置づけになる。

 本日のプログラムは、全体的に負のイメージで描かれている短調の曲だけで構成されている。
 モーツァルトの「弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421」は、モーツァルトとしては数少ない短調の曲であり、暗い色調には違いないが、この時代の音楽は感情をリアルに表現するという程でもないので、あくまで純音楽として短調を選んだということだと思うが、心の中に屈託を抱えていたのであろう。

 ヤナーチェクの「弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調」には「クロイツェル・ソナタ」という名前が付けられているが、これはベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ 第9番」の「クロイツェル・ソナタ」に関連しているのではなく、トルストイの小説『クロイツェル・ソナタ』に触発されて書かれた曲だからである。これは4楽章の弦楽四重奏曲という形式ではあるが、そこに描かれている世界観は純音楽ではなく、もはや標題音楽というべきで、小説の物語を音楽で表現するという手法で書かれている。妻の不倫に苦悩する主人公が、嫉妬と狂気にかられて妻を殺害してしまうという物語。強烈な不協和音と激しく暴力的な曲想がかなりリアルな物語の描写に使われていて、聴く者にも狂気の世界を体感させる。まあ、聴いていて決して気持ちのよい曲ではない。
 演奏の方も、物語の世界観をはっきりと意識していたようで、とくに感情的な表現に力点を置いていたように思う。アンサンブルをキチンと整え、純音楽的に弦楽四重奏のカタチを創り上げるというようなアプローチではなく、物語の登場人物の心情の動きや狂気に向かって破壊的になっていく心の表情を、流れの任せて、あるいは他の奏者とのやり取りの中から、内側にだけではなく半分は外側にも向けられていたような、押し出しの強い表現になっている。だから聴く側にも、何か負の情感が伝わってきて、筋肉が硬直してくるような緊張感を感じた。ある意味で、強烈な演奏だったといえる。

 シューベルトの「死と乙女」については前にも書いたので今回は簡略に。一言でいうなら、回数を重ねることによって求心力が強まり、完成度が高くなっていたということだろう。



 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

当ブログの人気ページをご紹介します。
↓コチラのバナーをクリックしてください。↓







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1/26(土)『ドン・ジョヴァンニ』全国共同制作プロジェクト/森山開次の演出と振付のダンス付き/日本語上演には違和感を感じる

2019年01月26日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
全国共同制作プロジェクト
モーツァルト歌劇『ドン・ジョヴァンニ』


2019年1月26日(土)14:00〜 東京芸術劇場コンサートホール S席 1階 I列 21番 10,000円(ピットを造るので実際は2列目)
総監督・指揮:井上道義
演出・振付:森山開次
管弦楽:読売日本交響楽団
合 唱:東響コーラス
【出演】
ドン・ジョヴァンニ:ヴィタリ・ユシュマノフ
レポレッロ:三戸大久
ドンナ・アンナ:髙橋絵理
騎士長:デニス・ビシュニャ
ドンナ・エルヴィーラ:鷲尾麻衣
ドン・オッターヴィオ:金山京介
ツェルリーナ:小林沙羅
マゼット:近藤 圭
ダンサー:浅沼圭 碓井菜央 梶田留以 庄野早冴子 中村里彩 引間文佳 水谷彩乃 南帆乃佳 山本晴美 脇坂優海香

 「全国共同制作プロジェクト」というのは文化庁の助成で2009年〜スタートしたオペラを新演出で上演するというプロジェクト。過去には、2015年のモーツァルトの『フィガロの結婚』や2017年のプッチーニの『トスカ』などの実績がある。今回はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が採り上げられ、1月20日に富山、26日・27日が東京、2月3日に熊本で公演が組まれた。
 プロジェクトの総監督と指揮は井上道義さん。新演出は、現代ダンスの創作で知られる森山開次さん。演奏は、東京での公演は読売日本交響楽団が受け持った。合唱は東響コーラスが参加。

 会場となった東京芸術劇場コンサートホールでは、1階客席A〜G列を取り払い、オーケストラ・ピットを配置した。私はI(アイ)列の席だったので実際には2列目。ピットが沈んでいない分、オーケストラの音が大き過ぎてしまったのには困ったが、歌手の皆さんの声は良く聞こえた。もちろん視覚的には最良のポジションである。

 ステージには質感の高い舞台装置が設えられ、また衣装デザインもセンスが良く、見ていても楽しい。オペラとしての舞台演出はとくに変わったこともなく、出演者の皆さんに過度な演技を要求するものではなくて歌唱にも影響はなさそうだったのでホットした。演出の最大の特徴は、登場人物とは別に10名ほどのダンサーが様々な衣装で随時登場し、主に登場人物の心情をダンスで表現する。コンテンポラリー・ダンスではあるが、印象としてはオペラとバレエが融合したようなイメージだと思えば良い。その部分はなかなか良くできていて、視覚的な分かりやすさもあるし、歌手の演技的な負担も減るのでうまく機能していたようである。

 そして今回ももう一つの特徴は、日本語による上演だという点だ。モーツァルトであるから、歌唱もレチタティーヴォも翻訳された日本語である。そして逆にステージ後方上部には日本語と英語の字幕が映写されていた。この日本語上演というのがクセモノで、考え方としてはオペラを普及させ一般化させるための方法論のひとつであることは間違いないが、私としては違和感の方が強く感じられてストレスが強かったように思う。
 ドン・ジョヴァンニを演じたヴィタリ・ユシュマノフさんは、ロシア出身だが日本語には堪能で、日本を中心に活動している人なので、とくに問題はなかった。他の日本人歌手の皆さんも普通に歌っていた。つまり、違和感も元になっているのは、台本の方なのである。

 と言っても、台本が良くないとか、翻訳が下手だとか、そういうことを言いたいのではない。要するに、実際の歌唱やレチタティーヴォを聴いていて、日本語がうまく聴き取れないのである(そのことも織り込み済みだったようで、日本語の字幕が付いていたのだろう)。これはディクション(舞台用の発声)の問題ではない。私の場合は『ドン・ジョヴァンニ』はよく知っているので、歌唱もレチタティーヴォも原語であるイタリア語の方が馴染みが深い。どの場面でどの登場人物がどんな内容のことを歌っているか、大体覚えている。日本語の字幕があればなお良しということになる。
 あえて日本語歌唱の台本を採用したのであるから、「言葉」の不自由さから聴衆を解放したかったはずである。それなのに、聴いていて日本語が伝わって来ないのは何故なんだろう。
 考えられるのは、「言葉」と「音楽」が一致していないことではないだろうか。モーツァルトはダ・ポンテによるイタリアの台本に対して、イタリア語の抑揚やリズム感に合わせた曲を付けている。だから言葉の意味は分からなくても、聴いていると言葉と音楽が馴染んでいるのが分かる。つまり聴いていてもそこに違和感がない。
 私たちが、日本語のPOPSや演歌などを聴いた時に、言葉がすんなりとアタマに入って来るのは、ネイティブだからだけではない。日本語の抑揚やリズム感と音楽が一致しているからだ。クラシック分野でも同じことが言える。例えば、北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「からたちの花」。出だしの「からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。」を音読してみると、言葉のもつ自然な抑揚とメロディが見事に一致しているのが分かる。
 つまり、歌唱付きの音楽の中には、言葉の持つ抑揚やリズム感がネイティブに埋め込まれているわけで、翻訳台本でそこが一致しないと、音楽に乗せて歌った時に、耳で聞くと日本語にはならないのである。歌うように語るレチタティーヴォもまた同様である(オペレッタなどのように歌唱以外が台詞になる場合は日本語だと大変聞き取りやすく分かりやすくなる)。
 さらに、オペラの台本は内容が複雑だ。ストーリーを説明したり、状況を描写したり、心情を吐露したり・・・・「からたちの花」のようにシンプルではない。だから、翻訳台本はかなり高度な技術の要る仕事だ。
 観る人・聴く人に分かりやすくするために日本語上演を試みているはずなのに、かえって日本語字幕を追いかけなければならないくらいなら、原語上演の方が良かったのでないだろうか。つまりはオペラの魅力を正しく伝えることが出来たのかどうかという問題提起なのであるが・・・・。

 「音楽」と「原語」の関連については、もっと深く勉強しようと考えているテーマなのであるが、言葉のない音楽、すなわち管弦楽曲や器楽曲においても、メロディやリズムに内包されているその国のネイティブな言語、ドイツ語であったり、イタリア語、フランス語、ロシア語、等々の語感を知らなければ、あるいは感じ取れなければ、音楽の理解にとって重要な部分が欠落してしまうように思うのである。
 今回は日本語で上演された『ドン・ジョヴァンニ』を聴いて、「音楽」と「原語」の乖離を感じてしまった。もちろん、色々な人たちが色々な考えでやっていることなので、外野が短絡的に批判したりすることの是非もあるわけで、何が正しいとか間違っているとか言っているのではない。まあ、問題提起だと思っていただければ幸いである。

 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

当ブログの人気ページをご紹介します。
↓コチラのバナーをクリックしてください。↓







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1/25(金)辻 彩奈/バッハ無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏/端正かつ流麗で際立つ「綺麗」な音/正統派の純音楽を描ききった天上の響き

2019年01月25日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
辻 彩奈 J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会

2019年1月25日(金)18:00〜 紀尾井ホール 指定席 1階 1列 10番 4,000円
ヴァイオリン:辻 彩奈
【曲目】
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番 ト短調 BWV1001
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調 BWV1002
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調 BWV1003
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調 BWV1004

 ヴァイオリンの辻彩奈さんが、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」の全曲演奏に挑んだリサイタルが紀尾井ホールで開催された。全曲ということで、ソナタ第1番〜第3番とパルティータの第1番〜第3番となる。番号順に演奏するのか思ったら、ソナタ、パルティータの順に、第1番、第3番、第2番という演奏順になっていた。これは、最も華麗で最も長い「シャコンヌ」を最後のクライマックスに持ってくるという配慮だろう。その方が盛り上がることは確かだ。

 本来なら2回に分けても成り立つくらいのボリュームになる「無伴奏全曲」であるため、今日のリサイタルは平日にも関わらず18時開演であった。働いている現役組としては少々辛いところがあり、何とか理由を付けて職場を抜け出して予定時刻に間に合わせた次第である。

 辻さんは現在21歳。2016年の「モントリオール国際音楽コンクール」で優勝と5つの特別賞を受賞するという快挙を成し遂げ、一躍トップ・アーティストのひとりに上った。コンクールでの演奏がCDになった発売されたが、ワーナークラシックスと契約したということでも、世界クラスの注目アーティストだということは間違いない。現在、東京音楽大学に特待奨学生として在学しているが、今年2019年の秋からパリに留学する予定だという。このところ忙しく演奏活動をこなしているので、一度海外に出て、充電の時間を持った方が良いかもしれない。

 さて本日の演奏についてだが、これがまた驚くべきほどの完成度に仕上がっていたと思う。もちろん全曲を暗譜で演奏した。実は今日のリサイタルに先立って、名古屋の宗次ホールと大学内で2度にわたり全曲演奏をおこなっており、今日が3回目ということになるらしい。それだけに見事な仕上がりを見せたともいえそうだ。バッハの無伴奏を弾くということは、孤独との戦い、自分自身との戦いになる。当初はかなり緊張もしたとのことだが、今日の演奏では固くなるという意味での緊張感は見られず、終始肩の力が抜けていて、伸び伸びと演奏できていたようである。

 とにかく1曲目が始まってすぐに感じたのは、「音の綺麗」さ。「美しい」というイメージではなく「綺麗」という表現の方が似合うように感じた。音がどこまでも澄んでいて、紀尾井ホールの空間の中に自然に溶け込むように響いていく。音の均質さという点も見事だ。中・高音域の澄んだ音色に対して、普通はG線による低音部がどうしてもガリガリと硬く強くなりがちだが、辻さんの演奏はG線も柔らかく他の弦との音質的な違和感がない。GDAEの各線が均質で、バッハの多声部を描くのにとても済んだ重音を創り出している。とにかくこの澄んだ音色は特筆物で、天上の音楽というか、何者をも超越した純粋な音楽の「美」を感じさせた。
 逆にいうと、辻さんの演奏は、音楽自体を純粋に見つめ、解釈した結果なのだろう。そこには演奏者の持つ情感や個性は影をひそめ、まさに「純音楽」として捉えたバッハの姿が浮き彫りにされていた。淡々と演奏しているようで、聴いていてもまったく飽きが来ない(私としては滅多にないこと)のは、それだけバッハの音楽に肉薄していたからではないだろうか。
 技巧的にも素晴らしかった。完璧とも言うべき音程の正確さと、音楽的な流れの良さ(リズム感の良さ)である。バッハの無伴奏曲の場合、多声部を描くためにリズム感を崩してしまう人が多い。もちろん低音部と高音部を同時には弾けない以上、ある程度は崩さなければならない訳で、それを如何に自然に聴かせられるかが技量でもありセンスでもある。辻さんは音楽的な流れを崩すことなく、スムーズに、しなやかに演奏していた。かなり高度な技巧と音楽性だと思う。

 バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲には、全部で27の楽章がある。あまり細かく見ていっても仕方ないので、ここでは取り敢えず一番有名な「バルティータ第2番」の終楽章「シャコンヌ」についてレビューしておこう。
 この「シャコンヌ」は単体でリサイタル・ピースになる人気曲であると同時に難曲である。単体として演奏するなら、またそれなりの解釈や表現も必要になるはずだが、今日の辻さんは、あくまで全曲演奏の終曲として位置付けていたようで、とくに気負ったところもなく、他の曲や楽章と同様にもやや速めのテンポで音楽を自然にスムースに流していく。高度な技巧性のある曲だと感じさせないような、自然体のアプローチで、楽曲の持つ純音楽的な世界観を描き出していた。最後まで失われなかった「綺麗」な音。重音の綺麗さはまさに天上の響きだ。この「シャコンヌ」だけを取り出しても、これまで聴いた中でベスト・スリーに入ると確信する。


《終演後、楽屋に表敬訪問した時の写真》

 さて、見事としか言いようのない「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会」。すべての曲、すべての楽章が、まさに均質に仕上がっていて、1曲ずつのまとまりもキチンと造形されていたし、全6曲を並べたとき分かるバッハの偉大さも十分に感じ取れた。21歳の若さで「無伴奏全曲」に取り組むことの意味が、おぼろげながら分かるような気がしてきた。私は昔からバッハが苦手で、論理的で構造的な音楽に芸術性があまり感じられない・・・・つまり聴いていても楽しくないし感動もしない・・・・のであったが、今日の辻さんの演奏を通して聴いてみて分かったことがある。要するに演奏が良ければ、バッハも好きになれるということだ。まあ、とはいってもこれから積極的にバッハを聴いて行こうとは思えるわけではないが、それでもそれでも聴かず嫌いにはならないように、努力しよう。素晴らしい演奏に巡り会うことができれば、今日のようにバッハにも共感して感動することができるのだと分かった。

 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

当ブログの人気ページをご紹介します。
↓コチラのバナーをクリックしてください。↓







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1/23(水)東京フィル/サントリー定期/バッティストーニが描く物語音楽の劇的世界「魔法使いの弟子」「白雪姫」「シェエラザード」

2019年01月23日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
東京フィルハーモニー交響楽団 第914回 サンリー定期シリーズ

2019年1月23日(水)19:00〜 サントリーホール A席 1階 1列 21番 5,355円(定期会員)
指揮:アンドレア・バッティストーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:三浦章宏
【曲目】
デュカス:交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』
ザンドナーイ:あるお伽噺の印象『白雪姫』
リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』作品35

 東京フィルハーモニー交響楽団の「第914回 サンリー定期シリーズ」を聴く。今月のマエストロは東京フィル首席指揮者のアンドレア・バッティストーニさん。今回は本日の「サントリー定期」と、1月25日の「東京オペラシティ定期」、そして27日の「オーチャード定期」の3公演を同プログラムで振ることになっている。本日はその初日。

 初日のせいもあってか、演奏が全体的にどこかまとまりに欠けている印象があった。各パートの楽器はよく鳴っているのだが、あまり歌っていない。即物的な感じがして人間味が少ないというか・・・・。各楽器が同じ方向性わ向いていないような、オーケストラ全体がまだひとつになっていないような、そんな印象の演奏だった。

 後半の後半、『シェエラザード』のロマンティックな第3楽章辺りからようやくまとまってきて、終楽章では派手な色彩感を大音量でぶちかますような演奏。それはそれで面白く、会場も盛り上がっていたが、私としては今ひとつな印象で、バッティストーニさんならもっと旋律をしなやかに歌わせ、人の思惑や情感が交差するような物語性を描けるのではないかと思った。東京フィルの方が、まだ温まっていなかったのだろうか。

 ひとつ気になったのは、コンサートマスターの三浦章宏さんのヴァイオリンのソロ。シェエラザードの主題を繰り返しソロで弾くわけだが、音を遠くまで通すためにか、どうもコンチェルトのカデンツァ風にガシガシ弾いていて、男性的すぎる。王様を寝物語で懐柔するシェエラザードの、甘くロマンティックなイメージが聴いていて湧いて来なかったのである。それがいかにも残念。ドラマティックな物語の部分が派手に描かれていただけに、シェエラザードの主題にはもっと色気が欲しかった次第であった。

 いずれにしても、今日の演奏はちょっと残念な印象になってしまった。いつもの東京フィルなら、緻密さと大胆が適度にミックスされ、色彩感豊かな濃厚なサウンドを響かせてくれるはず。今日はまだ仕上がっていないのに本番を迎えてしまったといったところだろうか。

 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

当ブログの人気ページをご紹介します。
↓コチラのバナーをクリックしてください。↓







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1/22(火)大阪フィル東京公演/神尾真由子の鮮烈なブルッフVn協奏曲/尾高忠明の十八番、エルガー交響曲第1番

2019年01月22日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
大阪フィルハーモニー交響楽団 第51回東京定期演奏会

2019年1月22日(火)19:00〜 サントリーホール S席 1階 1列 20番 6,000円
指 揮:尾高忠明
ヴァイオリン:神尾真由子*
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔 文洙
【曲目】
武満徹: トゥイル・バイ・トワイライト 〜モートン・フェルドマンの追憶に〜
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26*
《アンコール》
 パガニーニ:24のカプリース より 第24番*
エルガー: 交響曲 第1番 変イ長調 作品55

 大阪フィルハーモニー交響楽団の「第51回東京定期演奏会」を聴く。大阪フィルは、昔の朝比奈隆さんの時代は知っているが、現在のこのオーケストラはまったく聴いてことがなく、本日初めて聴くといっても良い状態であった。朝比奈さんの後、大植英次さん、井上道義さんと続いて、昨年2018年4月から尾高忠明さんが音楽監督に就任している。本拠地である大阪のフェスティバルホールも行ったこともなく、大阪をはじめとする関西のクラシック音楽界の状況もまったく知らないというのが現状だ。
 そんな中での「東京定期演奏会」に行ってみようと思ったのは、ゲストの神尾真由子さんのブルッフを聴きたかったからというのが正直な理由である。仮に大阪での「定期演奏会」であるなら、良い席は会員さんたちで占められているはずだから、遠征して聴きに行くにしても、いつものように最前列で聴くことなどできっこないはず。逆にオーケストラが東京に来てくれる場合は、発売日に狙えば好きな席が取れる。だから神尾さんを最前列の目の前で聴けるのであれば、良い機会なので大阪フィルを何十年ぶりに聴くことになったという次第だ。

 もちろん、現在の大阪フィルを聴くのは初めてなので、実際問題として、その良し悪しはよく分からない。聴き慣れたサントリーホールのいつもの席で聴く限りは、普通に上手い(失礼)と感じた。コンサートマスターの崔 文洙さんが頑張っていて、弦がシッカリとした造形を持っている。トップサイドには須山暢大さんがいる。彼もまた大阪フィルのコンサートマスターを務めているのだ(私は、クァルテット・レストロ・アルモニコのメンバーとして、室内楽を何度か聴いている)。そうしたところもあってか、弦楽が中々個性的な味わいを見せていた。木管や金管にはあまりピンと来るものはなかったが、これは最前列で聴いている方が悪いので何も発言する資格はないと思う。1回聴いたくらいでは特徴も何も分からないし、まあ、そんな訳なので、普通に上手い、ということなのだ。

 それで、神尾さんのブルッフ「ヴァイオリン協奏曲 第1番」だが、これはもう何と言ったら良いのか、繊細かつ大胆、濃厚なサウンドで、強烈にロマンティシズムを押し出して来る。豊かな音量に加えて、立ち上がりの鋭い音でありながら、ぶ厚くく豊潤なイメージ。全体的なゆったりとしたテンポを採り、旋律を音符のひとつひとつまでシッカリと意味を持たせて歌わせている。だからテンポは遅くてもだらけた感じは全くないし、適度な緊張感を孕みながら、大らかに、大胆に歌わせるのである。それはあたかも魂の叫び声のよう。私は目の前で聴いていたせいもあるだろうが、彼女の持つ圧倒的な存在感は強烈なエネルギーを放っていて、それをモロに浴びている感じ。目の前から押し寄せてくるパワーが風圧のようで、身体が椅子の背もたれに押しつけられるイメージだろうか。抒情的で甘美な旋律がいっぱい詰まったブルッフの曲でこのような感じ方をすることなど、夢にも思えない。やはり、神尾真由子さんという人、タダモノじゃない。
 神尾さんがソロ・アンコールで弾いてくれたパガニーニの「24のカプリース」の第24番は、繰り出される超絶技巧が濃厚なサウンドに彩られている。10年くらい前には鋭さと緊張に張り詰めていた技巧が、今や分厚い鎧を纏ったような重厚感を漂わせていた。

 後半は尾高さんの十八番、エルガーの「交響曲 大1番」。実際にはあまり聴く機会はない曲だが、尾高さんが振るなら、それが即ちスタンダードな解釈ということになるのだと思う。尾高さんの指揮は独特の気品があり、端正に音を組み立て、分かりやすくシッカリとした造形に創り上げる。その枠組みから決してはみ出すことはないが、その枠組みを目一杯使って、オーケストラを十分に鳴らし、堂々たる佇まいを創り上げる。大阪フィルの演奏も中々バランス良く、品の良い演奏になっていたと思う。
 
 ← 読み終わりましたら、クリックお願いします。


★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★・・・・・★

当ブログの人気ページをご紹介します。
↓コチラのバナーをクリックしてください。↓







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする