「結構です。」という慣用句は紛らわしい言葉です。今日、インターホーン越しに、セールスの人が丁寧に商品の紹介をしたいというので、私は調子を合わせて、断りのつもりで「いえ、結構です。」といいました。ところがなんだか弾んだ声で「門を開けていただけますか」というのです。直ぐ気づいて「いえ、購入するつもりはありませんので」と言い直しました。
考えてみると、結構は本来は成り立ちからも、拒絶の意味は持っていない言葉でした。
念のため辞書(日本語大辞典)に当たってみても、組み立てて作りあげること。よく出来上がっているさま。手厚いさまといった名詞や形容動詞が解説されています。副詞で使うときも、十分満足というほどではないが、一応よいといえるさま。といった説明が出ていて、直接の断りを意味する説明はどこにも見当たりません。
「日光を見ずして結構というなかれ」は日光東照宮の建築の美を見た事のない者に建築の美を語る資格はないと、その美しさを絶賛したものですし、お茶席での「結構なお点前で」は、社交辞令のときでも褒め言葉でしょう。が、これらの結構とちがって、プラスとマイナスの中間に慣用句としてよく耳にする「この料理、結構いけるよ」の褒め言葉らしき副詞の「結構」もあります。ではその結構の程度はとなると、これは曰くいいがたいものです。少なくとも、“非常に”とか、“とても”といった意味ではありません。強いて言うなら、まあまあ、かなり。といったところでしょうか。この“かなり”も数量的には曖昧です。が、この曖昧でも、日本人ならお互いに何となく内蔵しているカンピュ―ターが働いて理解します。
中国語では「大半」は9割を意味し、「多半」が7割ぐらい、「一半」は5割ぐらいと決まっていると聞きました。国会のやり取りを聞いていても、「大半」は自分達の都合によっては半数以下の時にも、又9割のときにも使っていて、本家とは大違いです。
ところで、「コーヒー、もう一杯いかがですか」「結構です」の会話で、あなたはコーヒーを注ぎますか。それとも持ち上げたポットを置きますか。実際の会話の場では間違うことはまずないと思いますが、書かれた言葉となると微妙です。「結構です」が断りで使われるときは、十分に満足しているので、これ以上は必要ではありませんという婉曲な拒絶。つまり「ノー」を丁寧にいうことになります。同時に「結構ですね」といった時には、その誘いを、遠慮なく頂戴しますと歓迎することになるわけで、つまり「イエス」ということになるわけです。
こうしたファージィな表現が日本語の、ひいては日本人の思考の特徴でもあるわけですが、私は婉曲な表現が”結構”好きなのですが、最近ではひどく評判が悪く、場合によっては通じなくなっているのは、日本語にとっていいことなのか悪いことなのかよく判りません。
ただ、拒絶は、明確な表現でなくては「振り込め詐欺」の標的にされ、巧妙なセールスに乗せられることになるので、注意するようにとお小言があり、納得したことでした。
折りしも今日の新聞に、新しく追加される常用漢字191字が発表されていました。これで、熊本も福岡も、奈良、茨城、大阪、などもやっと常用漢字となりました。めでたしめでたしです。
黄金千両
考えてみると、結構は本来は成り立ちからも、拒絶の意味は持っていない言葉でした。
念のため辞書(日本語大辞典)に当たってみても、組み立てて作りあげること。よく出来上がっているさま。手厚いさまといった名詞や形容動詞が解説されています。副詞で使うときも、十分満足というほどではないが、一応よいといえるさま。といった説明が出ていて、直接の断りを意味する説明はどこにも見当たりません。
「日光を見ずして結構というなかれ」は日光東照宮の建築の美を見た事のない者に建築の美を語る資格はないと、その美しさを絶賛したものですし、お茶席での「結構なお点前で」は、社交辞令のときでも褒め言葉でしょう。が、これらの結構とちがって、プラスとマイナスの中間に慣用句としてよく耳にする「この料理、結構いけるよ」の褒め言葉らしき副詞の「結構」もあります。ではその結構の程度はとなると、これは曰くいいがたいものです。少なくとも、“非常に”とか、“とても”といった意味ではありません。強いて言うなら、まあまあ、かなり。といったところでしょうか。この“かなり”も数量的には曖昧です。が、この曖昧でも、日本人ならお互いに何となく内蔵しているカンピュ―ターが働いて理解します。
中国語では「大半」は9割を意味し、「多半」が7割ぐらい、「一半」は5割ぐらいと決まっていると聞きました。国会のやり取りを聞いていても、「大半」は自分達の都合によっては半数以下の時にも、又9割のときにも使っていて、本家とは大違いです。
ところで、「コーヒー、もう一杯いかがですか」「結構です」の会話で、あなたはコーヒーを注ぎますか。それとも持ち上げたポットを置きますか。実際の会話の場では間違うことはまずないと思いますが、書かれた言葉となると微妙です。「結構です」が断りで使われるときは、十分に満足しているので、これ以上は必要ではありませんという婉曲な拒絶。つまり「ノー」を丁寧にいうことになります。同時に「結構ですね」といった時には、その誘いを、遠慮なく頂戴しますと歓迎することになるわけで、つまり「イエス」ということになるわけです。
こうしたファージィな表現が日本語の、ひいては日本人の思考の特徴でもあるわけですが、私は婉曲な表現が”結構”好きなのですが、最近ではひどく評判が悪く、場合によっては通じなくなっているのは、日本語にとっていいことなのか悪いことなのかよく判りません。
ただ、拒絶は、明確な表現でなくては「振り込め詐欺」の標的にされ、巧妙なセールスに乗せられることになるので、注意するようにとお小言があり、納得したことでした。
折りしも今日の新聞に、新しく追加される常用漢字191字が発表されていました。これで、熊本も福岡も、奈良、茨城、大阪、などもやっと常用漢字となりました。めでたしめでたしです。
黄金千両
それも50歳を過ぎての事。
そう、構成とか組み立てとかで代用できる意味でしょうが既に死語となっているのでしょうか?
英単語ならstructure とかassemblyでしょうね。
今日はセンター試験、昔はこんなのなかったので良かった。桃の節句の一本勝負でしたね。
いつも国語のテストには泣かされました。
難しい漢字が多い長文読解、思い出しただけでゾッとしますね。
下記の5ツより正解を選べ!って言われても3ヅでは間違いと分かっても残る2ケは違いがファジーとあいなります。受験生を困らせるヤヤコシイ文章が出題されます。
しあけんど出来る子は、峻別できる能力を持ってますね。
櫻シーズン前に”サクラチル”の電報が・・・。懐かしい時代。
何?頑固な爺ちゃんの繰言は”もう結構”・・、失礼しました。
ところで、今夕のテレビでは受験生の声に”親に迷惑をかけられない・・”が多く、
若い子に希望を託せる気分に。
豊かな色彩に魅かれ、ていねいで、大きさもゆったり。好きな作品です。これは是非、美術館に飾っていただかないと。
別所沼に掛けておきますね。
structureや、assemblyという英語では知りませんが、仰せの如く建築関係でももう使用されない死語でしょうね。日本語の持つ結構の微妙なニュアンスは、とうてい外国語に置き換えは不可能ですよね。ましてや同じ単語の二面性となるとお手上げでしょう。
センター試験の問題は毎年、解答片手に挑戦してみますが、あれは一種反射神経の優劣も大きな判定要素になっているのかと思ってしまいます。
長々しき文章判別で、印を書き込んでゆく方法が、今日の浅薄な、心に錘を失った気風を作り出したのかもしれません。自動車学校の学科試験以来の私の感想です。自動車の運転ならとっさのすばやい判断も必要不可欠でしょうが。・・・・
受験生達の健気さにほろりとしたのは私も同様でした。
どう処理したものかと、写生してみました。
「結構なお点前」同様のほめことばでも、相手が蛙さんなら嬉しいことです。
今に修行三昧の結果を出して、「結構なできばえで」と、ご覧にいれますね。
ところでお遊びに南国の雪持松は些かお恥ずかしい。お義理にも結構とはいいかねました。