パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

県議選立候補予定者による「公開政策討論会」を見て

2023年03月31日 09時17分16秒 | あれこれ考えること

市会議員の仕事はだいたい分かる
国会議員の仕事もなんとなくイメージできる
だが、県会議員の仕事はわからない、、
というのが自分の認識だ(似たような人が多いと思われる)

この地区(新城・設楽地区)の愛知県県会議員は無投票で決まりそうだったが
急に二人の立候補者が立候補し、選挙が行われることになった

そこで昨晩、新城商工会議所で立候補予定者3人
(峰野氏、打桐氏、浅尾氏)による「公開政策討論会」
が行われることになった

何をしているかわからないので、さほど関心はなかったが
選挙となれば無責任に選ぶわけにもいかず
とりあえず肌感覚として立候補者の印象を把握するために
会場に出かけた

政策討論会の進め方は今回も「新城方式」で行われた
それは司会者が質問を用意して
順番に候補者に聞いていく一般的な進め方ではなくて
各人が一通りの自己紹介、方針を述べたあとで
立候補者が20分の持ち時間の中で他の候補者に対して
いろいろ質問したり時にはツッコミを入れるという形式だ

この方法は相手の弱点をつくところもあるので
その対応に少しばかり感情的になることがあって
素の人間性が見られる(実際に昨日もそのシーンが有った)

「新城方式」の政策討論会は前々回の市長選で初めて行われたが
これは玄人受けしたようで、取材をしていたメディアの人たちも
面白い!との声が上がったので、前回の市長選も
この方式で行われることになった

これで3回続いたわけだが、きっと今後も「政策討論会」が
あるとすれば続けて行われると思われる

制約の多い選挙に関することなので
ここでどのように紹介することができるかわからない
だから詳しく紹介はやめることとして、感じたことを述べるにとどめる

やらないよりやったほうが良いのは「選挙」と「公開政策討論会」
かもしれないが、それらの関心は4年に一度で良いのだろうか?
がずっと抱いている疑問だ

印象からすれば、昨日会場に集った人々は自分のような
「さてどんな人柄か?政策か?」と確かめに来たのではなく
予め支援する人が決まっている、所謂後援会の人たちの様に思われた

この傾向は前々回の市長選の時も感じられたことで
結局は、聴衆は討論会を見聞きして判断するのではなくて
相手側がどんな良いことを提案しようが
自分の支持する候補者は変えない姿勢のままだった(様に思われた)

県会議員の仕事がイマイチわからないので
立候補者がああしたい!こうしたい!
と言われても、制度的に議員の立場でそれが可能かどうかわからない

それを含めて本当に必要なのは、実は候補者の質だけでなく
候補者の言い分なり行動を客観的に評価・批判できる人々の存在ではないか
つまりはシティズンシップをもっている人々が多く存在することが
何よりも大事なのではないのか!との思いをまたもや強くした

要は、あの会場でいちばん大事なのは候補者ではなくて
見聞きしている人々のレベルアップこそが大事なのではないか
と思った次第だ

選挙ははっきりと勝ち負けが出るので、勝負事の好きな人は
気合が入る人が少なくない
また利益とか損得にも関わるので、夢中にならざるを得ない人々もいる

つまりは完全にニュートラルの状態で人を選ぶということは
難しいというより、現実にはできていないと思われる

それでもそこで諦めてしまったら良い方には進まないので
身の回りに存在する問題を我がことのように考え
少しでも良かれと思うことを口にし実行できる人々を
増やすことが、厄介だが必要なことと思われる

つまりはシティズンシップ教育が大事だと思われる
ただし、多くの人が関心を持つのは確率的に不可能と思われるので
とりあえず、イノベーター理論における左側の2区分の数字(17.5%?だったかな)
くらいの人が関心を持つようになったら良いなと思う

昨日の公開政策討論会はYoutubeでも配信されたが、現時点での再生回数は328回
この数は多いのか、少ないのか、、現実はこんなものなのか?

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チームになっていない感じ(ウルグアイ・コロンビア戦)

2023年03月30日 09時28分59秒 | サッカー

テレビは相変わらず野球の報道が多い
なんでもWBCに関連付けて取り上げている
それで視聴率が上がるとしたら、民放の宿命でこれは仕方ない
最近はスカパーやネット配信で専門チャンネルが活躍しているが
まだまだ圧倒的に地上波見る人が圧倒的に多いようだ

サッカーはJリーグの試合中継をDAZNに委託するようになって
少しだけ地上波でも流すようになっている
このために、熱心なファンしかJリーグの試合を見ていない
観客はそれなりにいるようだが、以前のような持ち上がりには欠けるようだ

先日の国際親善試合キリンカップの二戦目、対コロンビア戦は所用のため
録画で見ることになった
1−2の逆転負けの結果を知っているゲームを見るのはどこか物足りない
だが次のワールドカップに備えて新しいチームづくりのこの時期は
結果も大事だが内容も気になる

そういう視点で見てみると、チームになっていないな、、という印象
2失点のシーンも崩されたというより、どこ気の抜けたところで
あっさり入れられてしまったという感じ
これは自身の経験からすると確固たるキャプテンがいない時に
見られるパターンだ

攻撃面の新しい試みとしてサイドバックが内側に入って三苫とか伊東
堂安をより活かすシステムにトライしているようだが
全体的に安全なバックパスが多く、ボールを前に運べていない

ボールを前に運ぶのにパスの依存が高いのが日本
スペインなどは結構ドリブルで持ち上がるシーンの印象が強い
そこの違いをスペインのチームに所属する久保は感じ取って
自分の役割はボールを前に運ぶことと感じているようだ
(ボールを前に運べた選手は過去に中田英、本田がいる)

三苫もボールを前に運べるが、ドルブルするコースがタッチラインに近い
伊東もタッチライン沿いに縦に抜けるプレイが得意だ
久保もサイドに張れば縦に行くが、左右の真ん中でボールに触るほうが
自分の特徴を活かせると自覚しているようだ

ドリブルはそれぞれ個性がある
三苫はネイマールのそれに似ているし
久保はどちらかといえばメッシに似ている
日本の選手に出てきてほしいのがイニエスタのドリブルができる選手で
人が多くても真ん中をスルスルと抜けていく、そういう技術をもった人

野球の華々しい結果と比べて、三苫の活躍以外に褒めるところがないサッカー
だが日本のFIFAランキングは20位で
対戦したコロンビアもウルグアイもそれより格上だ
だからそんなにうまくいくはずがない
(だが見てる方はそれで良しとはしない)

それは仕方ないとして、やっぱり問題は前々から言ってるが
点取り屋がいないことだ
前目にいてもそれはプレッシャーをかける役割で
点をとる役割でなかったのがこの前のワールドカップ(前田の役割)
結果としてそれがうまく行ったのは認めるが
そのままの戦術では弱者のそれで、いかにも情けない

野球よりもコミュニケーションが必要なサッカーというゲーム
海外から帰ってきて二三日の練習で直ぐに本番というのは
どのチームもそうだが難しいのはわかる

それもあるが、森保さんの監督ぶりにも若干飽きがきた
それは悪い方の予想があたってしまうということで
選手の選択、配置などに新鮮味がない
にもかかわらず先日の試合では森保メモを試合中の選手が
回し読みして若干の混乱をしていたようだ

話は変わるが、日本は媒体が大騒ぎして
一人の選手を称賛するスターシステムがあるが
これなどは、選手のためにも全体のためにも
もう少し考えないといかんのではないか、、と思ったりする

録画を見ていて、やはり試合には勝たないとつまらない!
というのが、正直なところ!








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あれこれ考えてしまった昨日のこと

2023年03月29日 09時57分40秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨晩、新城市文化会館の301号室で
問題になっている給食の共同調理場の説明会が
教育長、学校教育課のメンバー出席で行われた

市議会では、行政は共同調理場の決定過程とか、様々なトラブル
心配される物事の説明を丁寧に市民に対して行うように!
とする議案が可決されていたが、今まで行われていなかったので
しびれを切らした市民の一部が説明会の開催を計画したのだった

100名が入る会議室だったが、来場者はキャパの半分くらいで
よく見かける顔が揃った
告知は知り合いがチラシを手渡す形で行われたので広がりはなかった
多く知ってもらうには新聞折込が現実的だが費用の面
折込可能かどうかなどの問題でそれは実現されなかった

確かに今回の共同調理場にいたる経過には問題が多かった
共同調理場の予定地が市の所有している場所と思いこんでいたが
実は一部県の所有する土地が含まれていて、計画が頓挫したのだった
(なぜそんなバカバカしい失敗が起きてしまったのか?)

給食は各校でそれぞれ作る自校式が、子どものためにも良いと考える人が
少なからずいて、給食室の老朽化、アレルギー対策、調理人の人手不足、
食材の調達の不安等の解決のため共同調理場建設を選択した市の方針には
不満をもっていたし、その決定が知らないところで行われていたようなところも
気に入らなかった

最初の30分間は決定過程などと、予め市側に手渡された質問に
答える形で説明がなされた

会場にはいろんな人が来ていたが、その人達の現状把握はかなり差がある
それぞれが自分が理解している範囲内での良し悪しを語る
それらは、少しばかり正確でないことも少なくない
(食材の調達方法とか献立は市が行うということ
 運搬車は委託業者が自前で揃えるということなどを知らない人が多かった)

共同調理場の建設は大まかに言えば、現状の自校式が今後継続できなくなる
との想定で解決策を講じたものだ
それは現場を一番良く知っている校長という人々が
校長会という会議を経て市に要望したらしい
この校長会の希望(共同調理場)をすんなり受け入れるか
やるべきことをしていないで安易に進めている
と考える人が出てくるのは仕方ないことだ
ただ自分としては現場の声として、それがでてきたのはわからないではない
(近くの小学校の教頭先生も、、もう無理かな、との声を聞いたからだ)

こうして市の説明のあと疑問点の質問となったのだが
やはりというか仕方ないとも思うが
手を上げて質問に登場した人の多くは質問なのか
それとも思いの丈(あるいは怒り)を述べているのかが
わからないようなものになった
(給食の話から違う方面に話が飛んで、話が長くなって
   話のポイントが何だったのかがわからなくなった)

こういう話の進め方は難しい
話が逸れないようにするために事前説明を過度に行うと
人はその範囲内での思考しかできなくなるので
説明に沿った意見にとどまりがちだ

つくづく会議の進め方とか会議の機能というものは
慣れていない人には難しいと感じるのだった

会場では「民主主義」という言葉が何回となく出てきた
ただここで出てきた民主主義は「直接民主主義」の色合いが濃いもので
市民の声を反映するのが正しい民主主義と思い込んでいるようだ
だから共同調理場の可否も市民が直接選択する機会が欲しいような
ニュアンスが感じられるものだった
だが日本は間接民主主義の国で、決める人を選挙で選ぶシステムになっている
それは現実的に時間とか手間の省略になり
一歩間違うと暴走する大衆の選択を防ぐことにもなっている
選挙で決める人を選ぶことは、相反する意見の人同士の戦いにもなって
一方的な意見の反映にはならないで済む

つまりは選挙で首長を選ぶということは、
その人物に財布の中身の使い方を一旦任せるということだ
選挙で選んだ人の選択(お金の使い方)を、市民がそれは違う!
と言って押し戻すことはどうなのか?と考えることもある

だが話を現実に戻すと、決める人の選択も実は自分を応援してくれる
人(後援会)の意見に左右されるということだ
間接民主主義はこうしてある矛盾を含んでいる
だからそれを補正するためにいろんなシステムが考えられる
住民投票もその一つだろうと思う
(新城市は8年前、住民投票を行ったが、この時は選択肢がひどかったが
   住民投票が行われたことは良いことだったと思う)

現在あるシステム、制度の中で、できるだけうまくいくようにすることは
(それぞれ持ち場の人にある程度任せるというシステムは)
なかなか難しいものだと感じた次第

昨晩は(心配した)荒れる会議にならなくて良かった
だが市は「安心してください!」
という実感を来場者に与えるまで与えるまでは
行っていなかったと思う

次もあるとの話だが、、さて

※相変わらずまとまらない話






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マザーツリーを読んで

2023年03月28日 09時26分51秒 | 

今年読んだ本の中で印象に残ったのは「植物は知性をもっている」
(ステファノ・マングーゾ著)
動かず声も出さない植物が、実は巧みな方法でコミュニケーションをとり
また親族か否かも識別でき、自分たちが生き延びるのに的確な判断が
できていることを紹介した本だ
たまたま同時期に見たNHKスペシャルの超進化論でも
植物の知られざる能力が紹介され、驚きをもって見続けることになった

だから続けて「植物は未来を知っている」(ステファノ・マングーゾ著)
そして今回のマザーツリー(スザンヌ・シマード著)と
バトンリレーをして読んだのは自分にとって内的な必然性のあることだ



この本も驚きの事実が紹介されている
森の存在は建築資源の供給と考えると、人は効率の良い回収法を考える
伐採して植樹して早く成長させて、そしてまた伐採する
今まではいろんな植物が混在した森を、下草は木の栄養分を横取りするもの
混在する木々は日照時間を奪うものとして扱い、雑草剤を撒いたり
余分な木々を伐採する方法が国としても奨励される

ところが、それで良いのだろうか?
実感として、そうではないと考える著者は、自分の仮定した説を
明らかにするために独自の実験(検証)を行う
それは放射性炭素を用いた方法で、その炭素の移動が
どのように行われるかをわかるようにしたものだ
すると思いもよらぬ結果が出てくる
今まで邪魔者だと思われていた下草や他の木々が邪魔なのではなくて
建築材として成長してほしい木々は、光合成で作り出した糖分を
これらの植物に施しをしているというのだ
一方的に与えるだけというのは考えられないので、何らかの利益が
与える側にもあるはず!といろいろ思索し実験を行う
これらの思考の過程と検証の部分はとても面白い

ただこの本は科学のみの内容ではなかった
作者の生き方とか考え方とか生活のことが同じくらいの分量で書かれている
(弟のこと、夫のこと、子どもたちのこと、乳がんのことなど)
正直なところ、自分にとっては余分な部分に思えてしまった
それらを除いてシンプルに書かれていたほうがわかりやすいと思えた
だが、作者の思いは科学的な説の紹介とかだけではなかったようだ

つまりは森の生き物、植物、動物、菌類の生き様の教えるものが
彼女の生き方にも影響を与えていて
人間もそのように生きるべきではいのか!との考えを持つようになる

進化論はともすると生存競争の一言で断言される
ところが作者の見続ける森の世界は弱肉強食の世界ではない
それはまるでゲームの理論の「囚人のジレンマ」の答えのように
それぞれが同じように利益を得る選択こそが最適解となっている
と気付かされる
生き延びるには自分だけが勝ち残るのではなく、共にいる生き物も
やはり生き延びられるようにするほうが、全体的にはうまくいく

この植物の共生に基づく考え方は、最近の研究でも徐々に
素晴らしいものだと明らかになって、広まりつつもあるようで
昨日たまたま話す機会があった女性も、この考え方を当たり前のように口にした

何年か前「複雑系」という言葉が流行った
物事を細分化し、分析して積み上げたものが全体ではなく
多数のパラメーターによって成り立つのが全体で
それらの複雑さを無視してはならないといった考え方と
勝手に理解したが、今回の作者の主張もそこにあるような気がした

世界は共存したほうが、生き延びる可能性は高くなっていく
それは存在するかしないかわからない動植物や菌の意志の
なせる技ではなく、単に確率論的なもの(突然変異)からも
導きだされる事実なのだろう

人は植物から全体最適の生き方を学ぶとか
何かを感じるというのが、今は本当に必要だと思う






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パスポートのオンライン更新

2023年03月27日 16時52分28秒 | 徒然なるままに

パスポートの更新が今日からオンラインからできると知った
自分のはもうじき切れる
特に外国に行く予定はないが、それでも何かあるかもしれないので
暇つぶしにネットで検索してゴチャゴチャやってみた

スマホで行うにはマイナポータルというアプリが必要なようだ
そのアプリオが入る機種になっていたのでダウンロードしてみる

さて立ち上げてログインして、、と進むのだが
全体像としての進み方がわからないのでもたもたする
途中でマイナポータルにログインしなきゃいけないのだが
この機種ではQRコードを読み取って進めて欲しいとある

スマホにQRコードが現れても、そのスマホで読み取ることはできないので
QRコードを写真に保存して、iMacの写真に保存されたQRコードを
スマホで読み取った

それから先いろんな指示がなされる
マイナンバーカードを読み取って本人確認(?)したり
(何故かこれは2回行った)
とにかく言われるがままやったつもりだ

一通りできたと思ったら種類をアップロードしてくださいとある
何のこと?
自分の顔写真とか自筆のサインなどがある書類のことと
検討はついたが、その書類が見当たらない
(書いた覚えもないし)

結局スマホは諦めてPCからにしようとした
こちらのほうがスイスイと行く感じだがどうも全体像が見えないので
何をさせようとしているのかがわからない

結局、ダウンロードした書類は肖像写真と自筆の署名の欄があって
先程のファイル云々は、それをアップロードしてほしいという
ということだと想像した

この種類はスキャンしないとデジタルデータにはならない
スキャンの話なんて出てきていないぞ、、

ということで、結局バタバタしただけ
マイナポータルをダウンロードする時、このアプリの評価が書かれていたが
それを読むと厳しい評価だった
自分が感じたようにまとまっていないというか、
見通しの悪いものと思えてならなかった

今回は本当に時間つぶしで覗いてみただけだが
ワクチン接種確認アプリも接触確認アプリのココアも
どんくさいアプリだった
アプリ批判していた人が言うように
日本の技術力は大丈夫なのか?
とつい思ってしまった

とにかく使い勝手が良いとはとても言えないと思う
(自分がどんくさいだけなのかもしれないが)


※後で見てみると、どうやらオンラインで完結するのではなくて
窓口の手間が2回からから1回になっただけのような感じする
自分には本気の切実感がないので、、しらんけど、、、
と言った感じ

※パスポートの更新は同じ番号ではないので更新というより
 切り替えとの表現の方が適切らしい (そうなのか)

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先日の中日新聞の記事(束ね法案)から

2023年03月26日 09時38分08秒 | あれこれ考えること

同居人と自分では新聞を読むところがだいぶ違う
それは仕方のないことだが、どうやら関心のあるコーナーが
同居人と違うだけでなく、世間の人々とも違っているようだ

ここ大事でしょう!との思いでSNSにアップし紹介した
「束ね法案という便法」の記事
これがさっぱりレスポンスがなかった

普段でもそんなに多いレスポンスではないが
それでもいくらかの反応はある
ところが、これは全く無かった

束ね法案は記事にあるように、いくつかの法案を一つにまとめて
一回の採決で決めてしまうシステムで、市議会では予算案で
個々の予算をまとめて一つの案として該当年度の方針が
是か非かが問われる
(これは時間とか手続きの関係で、ある程度仕方ないと思われることがある)

だが数年前に実際にあったことだが、新城市の予算に新東名高速道路を使った
新城・長久手の高速バス運行が、計画のKPIの数字に達せず
低空飛行を続けているにもかかわらず継続の予算化が行われた

このバスについては実証実験期間の頃から反対意見が多く
実証実験が終わった時点で、一旦中止したらどうかとの意見も多く見られた
市民の間では運行中止の署名を募り、それを予算提案の前に
市長・議長あてにが届けられた

しかし、予算はこの高速バスの運行継続も含めた次年度のすべての予算を
含んだ一つの議決案件として採決が行われることになった

賛成するところもあるが、反対するところもあるといった
束ね法案を防ぐ方法として、この予算委員会では議員提案で
高速バスの予算だけを除いた予算案が考えられた
他の予算はこのままでいいが、高速バスは別に考えて採決しようというものだ

ところがこれを提出した議員さんの作業は相当面倒なものだったらしい
予算の一部を変えると、他のいろんな部分が変わってくる
その変わっている部分を全て間違いなくしなければ
対案としての体をなさない

この時は提案議員の努力も虚しく
これだけ取り出して議決する議員提案は否決された

面倒な議員提案の予算の組み替えだが
我が市では過去には2.3度行われたことがあったらしい
やればできる、、ということだが、今回は残念な結果だった

予算だけでなく、「束ね法案」は新庁舎建設時でもあったようだ
すぐさま必要とされる調査(費用)と、計画全体の方針の是非が
ひとまとめにされて提出されたようだ
前者は仕方ないと思うが、後者は賛成できないという議員は
前者の仕方ないということで、議案に賛成することになった

すると、この仕方なく賛成した議員は後々まで
議案賛成という事実に苦しめられることになった
多額の費用を要する庁舎建設は見直したほうが良いとする考えをもって
次に具体的な住民投票という手段を考えた議員だったが
「一旦、議案に賛成したじゃないか、議決と行動が矛盾している」
と責められたのだ

段取りとしての効率の良い「束ね法案」だが、その使い方によって
危なっかしい結果を導くものにもなりそうだ
(この中日新聞の記事はその部分を紹介している)

関心事は当たり前のこととして人によってだいぶ違う
だが、今回のSNSのレスポンスで分かったことは
この手の面倒くさい法的な段取りとその危険性については
人はあまり関心がない!ということだ

世の中はそんなものだ!と思いつつ、
それでも誰かがこのように記事とか紹介をしていかないと
思いもよらね事態を招くことになってしまいそうだ

相変わらずまとまらない話!


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桜淵公園の桜

2023年03月25日 12時54分49秒 | 新城・地元に関すること

温かいというよりは暑かった昨日
駐車場にお金が必要となる前に、地元の桜の名所桜淵公園にでかけた

桜淵公園につながる新さくら通りは桜がもう満開だ
少し前は南北に走るこの道路の西側が咲いて、東側はまだだったのが
それこそ一気に咲いた感じ
道には桜の花びらの散ったものも見られる

右岸の駐車場の桜はこんな感じ


誰もが撮影する橋と桜は


橋から見る桜は




そして橋を渡って、祭り開催時には屋台が出てくる左岸の広場は


公園は自分以外にも割合多くの人がいた
(アジア系の女性のグループもいた)
ほとんどの人がスマホで撮影をしている
自分もスマホで撮影したが、困ったことに液晶画面が反射して
画面に写っている構図が全く見えない
そこで適当にエイヤッとシャッターを押しただけで写真は運任せだ

この公園、子供の頃は向こう岸までは橋ではなくて渡し船(無料)があった
そしてスピーカーからは高校野球のラジオ中継が流れていた
(つい、昔はのんびりしていたな!と感慨にふける)

しかし、日中のこの温度
肝心な祭りのときには桜は散ってしまっていそうだ
(今日の雨も心配!)




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地元出身の選手は、つい応援してしまう

2023年03月25日 09時12分21秒 | サッカー

ワールドカップ後、サッカー日本代表の最初の試合はウルグアイが相手
大好きなストライカーのスアレスがいないが
南米のチームは現実的な試合をするので、日本も戦いにくいだろうと予想した
(結果は1−1の引き分け)

森保さんはワールドカップでで三苫をスタメンで使わなかったのを
批判されたのを気にしてか、スタメンで使った

スタメンは、キーパーがシュミット・ダニエル
DFは右から菅原、板倉、瀬古、伊藤
ボランチは、遠藤航、盛田
攻撃的MFは左が三苫、右が堂安、真ん中が鎌田
そしてワントップが浅野

吉田も長友も酒井宏樹もいないが、彼らの年齢を考えると
後継者を考えなくてはならないので、当然の選択と思われる

鎌田は日本代表の試合はイマイチフィットしないようだ
2.3度ワンタッチの良いパスをつないだが
インパクトのある活躍をしたわけではなかった

三苫は前半の早い時間に見せ場があった
自陣から敵陣までドリブルで持ち込んでいったが、
残念だったのは浅野が三苫の走るコースと被ってしまったこと
彼が左に行けばパスのコースは空いたと思われるが
このあたりは二人の感覚の違いかコミュニケーション不足かわからない

堂安は前半に一度ヘッドで折り返す場面はあったが
彼もインパクトを与えた感じではない

浅野は前半、菅原からのパスをゴールの枠に飛ばせなかったが
古橋だったらできたのではないか、、、と古橋の不在が残念だった
(古橋はベストメンバーの中盤構成の時に試してほしい
   彼の起用は中盤がお試し起用の時が多かった)

少し安心したこともあった
酒井宏樹が今まで安定感たっぷりに活動していたポジションの菅原が
思いのほか良かった
後で知ったのだが、彼は隣町の豊川出身だそうだ
それだけで、応援したくなるのは人の常
野球県の愛知から代表選手が出てくるのは嬉しい

今回、怪我をした富安の代わりに愛知県出身の藤井も選ばれている
グランパスの選手だがチームが3バックに戦術を変更してから
よく使われるようになって、慣れとともに成長している感じはあった
(愛知県人頑張れ!)

野球の素晴らしい結果と比べて便秘のようなスッキリしないサッカーの試合
だが、サッカーの試合は概ねこういうことになりやすい
代表監督はいつも勝利を要求されるが
レベルアップのために思い切った選手の起用もときには必要
森保さんには若手をもっと起用してほしい
(横浜マリノスの藤田チマも早めに試してほしい)

冬の高校のサッカー選手権では、愛知県代表ののチームは
いつも一回戦で敗退してしまう
このように代表に選ばれるような選手も出始めているので
愛知県の高校はベスト8くらいを目指してほしい

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侍はなぜ人(にんべん)に寺なのだろう

2023年03月24日 08時31分02秒 | 徒然なるままに

お気楽な話

ここ数日、侍ジャパンという文字がよく見られた
不意に、なんで侍という字は人(にんべん)に寺なのだろう?
と頭に浮かんだ

寺の文字が入った漢字に「痔」があるが
これは一旦痔になったら死ぬまで治らない
(寺に世話になるまで治らない)という意味が込められているのだとか

侍は何かが寺に関することで、寺の人となっているのだろうか

武士のことを「もののふ」ともいうが
古代氏族の物部は読み方を少し変えると「もののふ」となる
実際に物部氏は武器を扱う役割を担った一族だったらしい

漢字は沢山ありすぎて困るが、こうしてたどっていくとなかなか面白い

それにしても「かわる」という字の変換はいつも困る
変わる、代わる、替る、換わる、、
いつも面倒になって、ひらがなのまま使うことが多くなっている
同様に困っているのは、読むことはできても漢字が書けなくなっていること
やっぱり書かないと駄目かな


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仕事どころじゃない?

2023年03月23日 09時17分06秒 | 徒然なるままに

サッカーのワールドカップで日本代表が思わぬ健闘で熱狂のうちに終わったあと
キャプテンの吉田が最近下火のサッカー人気を心配して
代表選手に今のうちになるべくメディアに登場するように!
少しでも人気復活に役立つように!と声がけをしたらしい

日本中に高揚感を覚えさせてもらったWBCのMVPの大谷はインタビューで
周りの国の野球人気が上がるようになって欲しい!といったようなことを
口にしたらしい

世界一と言っても参加国はサッカーのワールドカップと比べると
野球は圧倒的に少ない
やっている国の中では商業的に成り立って人気があっても
野球人はサッカーの世界への広がりを羨ましく感じていたのかもしれない

サッカーの主将も野球のMVPも足りないことをあげると
いろいろ気になることはあるようだ
どうやら人間というのもは比べて羨ましく思うのが常で
自分が好きというでけで自己完結はできない生き物のようだ

ところで、昨日のWBCの決勝戦、有給休暇をとってテレビを見た人がいたそうだ
「仕事どころじゃない」といった気分なのだろう
日本社会では仕事優先の雰囲気が蔓延していて「野球どころじゃない!」
の気分のほうが主流だと思われる

そこで思い出したのが、サッカーのワールドカップスペイン大会のエピソード
大会期間中、自国のチームの戦いがある同時刻に、公的な儀式があった(確かコンサート)
儀式に参加者はサッカーのことが気になって気持ちが落ち着かない
そこで主催者の一人は
「皆さんサッカーが気になって仕方ないようですから、(儀式は)早く切り上げます
 家に帰ってテレビでしっかり応援してください」と気の利いた判断をしたらしい
「仕事どころじゃない」を公的に宣言したこの国はすごいな!と感じたのを覚えている

ということで、日本という国も「仕事どころじゃない!」
と言い切れる社会だと良いな!と思ってしまう

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