パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

岡目八目は本当か

2020年07月30日 15時40分46秒 | あれこれ考えること

有名だが、本当かな、、と思える諺がある
「岡目八目」がそれだ

これは囲碁の用語で、岡目(傍目)で見ている人のほうが
当事者よりも客観的になれるので8目得(あるいは8手先)
の手を思いつくことができるというものだ

これはNHKの囲碁番組でも、プロの棋士によって
そうではなさそうな意見が交わされている
「対局者はもっと読んでいるかもしれません」

つまりは戦いの当事者は
フルに頭を活動させて自分にとって有利な選択をしているが
解説者はそこまでの責任感はないので
思いついたレベルのことをしか言わないということで
実際に「流石ですね、、そちらのほう(対局者のほう)が良い手ですね」
との解説もしばしば出てくる

当事者と岡目(傍目)のどちらが本質をつくような考えができるか
と考えると、自分はおそらく当事者の方だと思う
(いつもそうだとは限らないうとしても)
これは囲碁に限らず討論でも同じことで、当事者同士は責任のない人よりは
必死さも集中力も論理組立てもぜんぜん違うと思われる

だから、良い意見を出したいのだったら、当事者になるのが良い、、
とも思ったりする

話は飛ぶが、秒読みになった棋士について
同業の解説者はこんなことも言っている
「こういうときは、最初に浮かんだ手を打つのが正しい」
直感に従うことを薦めているのだが
これはプロと素人の違いの調査によって明らかにされている

読む手の数は、プロも高度な素人もそんなに変わらない(らしい)
ところが、最初に思いつく手が最善の手である確率は
プロの方が圧倒的に高い、、というのだ
結局のところ、必死になった絶対数がプロとアマでは違うせいなのではないか

ぼーっと生きてることの多い生活だが
時々、キリキリと頭をフル回転させなければならない状況にも憧れてしまう

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納豆と卵かけご飯のおいしい食べ方

2020年07月29日 08時42分04秒 | 徒然なるままに

先日、同居人がウトウトしながら見てるテレビ番組を、ちょいと覗き見した
そこではメーカの人が出演して、納豆のおいしいを紹介していた
その方が言うには、納豆は食感や風味を味わうためには、
10回位かき回せば充分とのこと
今までは、なるべくたくさんかき回して空気を含んだ状態にすることが
美味しい食べ方と信じ切っていたので、少し驚いた

ホントかな、、と思いつつ、朝食で試してみた
いつもは100回はかき回すが、その3分の1くらいで終えて
ご飯にかけて口の中に、、
なるほど、これもありかな、、それが実感

そこで連想したのが卵かけご飯の食べ方
これもいろいろあって、黄身と白身を分けて白身の方を徹底的に泡立てて
それをご飯にかけてその上に黄身と醤油をかけるという食べ方
イメージ的には何をしようとしているかはわかる
これもやってみたが、ふーん、という感じ

卵かけご飯は、ご飯にまず醤油をかけてかき混ぜて、
その上から、あまり良くかきませない卵をかけるのが良い
との説もあるようだ
これは、直感的にありかも、、、とも思う

ということで、単純な食べ物にもいろいろ食べ方はあるものだ
そういえばイギリスのミルクティーも、紅茶にミルクを入れるか
ミルクに紅茶を注ぐかが、論争になることもあるとか、、
このような話は、ホント平和で良い

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処罰感(あるいは復讐感)を求める気持ちについて

2020年07月28日 08時30分23秒 | あれこれ考えること

人の感情はコントロールが難しい
特に怒りの感情は、その時収まったように見えても
いつまでも種火のように残っている場合がある

現在人気のドラマ「半沢直樹」も復讐という観点から
見る事ができるかもしれない
「倍返し」も理不尽ないじめとか仕打ちに対する反抗で
これは昔のプロレスの力道山が反則で攻められていたのを
ついに耐えきれなくなって「正義の鉄槌」を下すといった
ストーリーに似ていて、それはテレビを見ていた人の「処罰感」
を満足させるもので、それでスッキリした気分になれたと思われる

人は自らが受けた屈辱のようなものに対して
その相手に対して復讐したい、あるいは処罰を与えたい、、と思ってしまう
これは良い悪いを超えたところで、人間の持っている性質のようなもので
現実的には社会生活を回していくには、その復讐とか処罰の程度を
何らかの方法で決めるしかないような気もする

江戸時代、殺人罪を逃れてしまった人に対して、仇討という形で許可を得て
親族が仕返し・復讐・処罰を与えることが許されていた
たが仇討ちをされた親族も、されたことで恨みを持ってしまい仇討を
するようになると延々と仇討ちが続くことないなるので
仇討の仇討は許可されなかったようだ

要は人は処罰感を求める気分を消し去ることは難しい
と思われるし、それは自分でも実感する

最近、我が市(市議会)で起きているゴタゴタも
あまり単純化するのも良くないとは思うが
突き詰めると、この個人同士の処罰感を求めてのものだと思える
ただそれをストレートにいってしまうのは憚れるので、
いろいろもっともらしい理由をつけているように思える

会議(討論)を行っても最終的には感情の行き違いがあるので
片方からは「説明」であっても、片方からは「言い訳」にしか聞こえない
そして最終的には処罰感を達成しないかぎり満足は得られない
ただその処罰を達成するには、なんらかの法的な根拠が必要となるが
なかなかそんな根拠は見つけ出すことが出来ない
だから余計にいらいらが募ることになる

選ばれた人による、高度な討論によって物事が決められていく
と思っていたいろんなこと(国も市も)が、実は人間的な弱さ
とか欠点を持ちすぎている人たちによって決められている、、
という実態を、最近嫌になるほど実感する

小さなとき今の自分の年齢の人を見て、
おじいさんとかおじさんは悩みもなく、いろんなことに間違いのない
判断ができる大人なんだろう、、と思っていたが
いざ、その立場になってみると、、、全然そうではないことに驚く
相変わらず小さなことに落ち込んだり、悩んだり、判断に迷ったり
瞬間的に怒りを覚えたり、、、

でもしょうがないな、、
人は同じ人でも、すごくいい人の時と、悪い人の時がある
そういうものだから、、、
願わくば、いい人の場面が多くなるようになれば良いのだが
自分は特に、、そして他の人も、、、

抽象的なお話

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「ケインズの美人投票」から連想したこと

2020年07月26日 08時55分22秒 | あれこれ考えること

「ケインズの美人投票」という言葉をある時知った
それがとても興味深く、今もザワザワと心の中に刻まれていて
いつか騒ぎそうな気がしている

一般的な美人投票は「各個人が美人だと思った人」に投票する
一方、ケインズのそれは
「最も投票の多かった人に投票した人に商品を与える」
との条件をつけて美人投票を行うというものだ
すると、人は商品欲しさに美人の評価だけでなく
投票する人の顔色を探ることになる
それが知り合いであったなら普段の好みとか性格から
誰々に投票しそうだ、、とか予想をする
その結果、必ずしも審美眼的に美人が選ばれるのではなくて
人が勝手に想像した「確率」の世界が答えとして出てくる

これは株などの投資に言えることで、企業の実態や成績よりも
株を買う人の願望とか空気に左右されることを表していると解説される

選挙とか多数決は、この「ケインズの美人投票」に近い状態になっていないか
と思うことがある
「誰々が自分の判断では最適と思うから投票する」というよりは
どうも誰々が当選しそうだ、、との噂を聞いたひとは
自分の投票が死に票にならないために、そして自分が大勢の中から
離れた変人でないことを自ら証明し、安心するために投票をしてしまう
可能性を思い浮かべることができる

また採決の時点においても、結果が割れてしまいそうな場合には
自分の立ち位置が多数の方にいるか否か、、その損得はどうか、、
を考えてしまうのではないか、、と思われるような場面を
否応なしに見ることになっている(最近ある議会で)

いずれも本質的な対象への判断ではなく、選挙とか多数決をする人への
他人による判断で、物事が決まっていく

人は同調圧力に弱いことが心理学的にも明らかにされている
ソロモン・アッシュの同調実験がそれで、個人が正しい選択をしたと実感していても
予め実験にサクラを入れておいて、
それは違う、こちらが正しいと数多くのサクラが言い続けると
知らず知らず自分が間違っていたと考えを変えるというのだ
(本当は最初の判断が正しかったが)

このように一般的に技術的には正当性のある選挙とか多数決による採決も
人間様のすることの不確定差ゆえに、完璧なものとは宣言できない

だが、システムにそれだけの不完全性を持っていながらも、人は
「みんなで選んだものは、大きな間違いはしないだろう」
と信じているようだ

みんなで選んだものは間違いがない、、、
その根拠は、一体どこにあるのか、、と突き詰めていくと
結果的に、世の中は案外いい加減なところで出来ている、、
と落ち着きそうな気もしてくる

というわけで、日曜の朝にはふさわしくない話

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防災無線(新型コロナウィルス感染症に関する情報)

2020年07月25日 08時33分46秒 | Weblog

昨日の午後5時近く、急に防災無線がなった
最近の防災無線といえば、家を出たままわからなくなっている人の
情報提供を求めるものや空き巣狙い、オレオレ詐欺等の注意喚起が多い

ところが昨日は新型コロナウィルス感染者が市内在住の人に見つかった
との市長からのメッセージだった
新城市はこれで二人目
一時期、4人陽性が出たとの報告があったが、これは単なる検査ミスで
すぐに訂正がなされた

ところが今度は日本国中再び感染の勢いが増しているだけに
聞いただけで、新城もか!と緊張感を感じるものとなった
メッセージによると感染経路はおおよそ把握されているらしい
それで即安心、、とまではいかないにしても、ホッとしたものだった

最近は名古屋に行く気にもなれない
宗次ホールも気になるが、名古屋駅とか栄の混雑を思うと
もう少し落ち着いてから、、と思う
同様に京都へも足が遠のいている
FBで昔この時期に何々をしていました、、、とおせっかいな
お知らせが来るが、龍安寺とか上加茂神社とかいってたのはこの時期だった

新城市では保健所も何やら忙しくなっているらしい
どうやら疑わしい、、というだけではPCR検査まではいかないようだ

このPCR検査については、できるだけ多くやったほうが良いとするものと
無闇にすると医療崩壊が起きるので絞って行うべきとの論争があって
世界の潮流は多くすべし、、日本では後者の方を選択しているような印象がある

意見の相違があるのなら、それについて意見の交換をし合えば良いと思うのだが
どうも両陣営が一同に会してそれを行うことはなく、
それぞれが言いっぱなしに終始している印象を持ってしまう

医学的、経済的、結果責任としてどちらが正しいかわからないが
こうしたところにも、日本には討論という文化が育っていないような気がする
それは「論破」という言葉で代表されるような勝ち負けを目指し
一瞬たりとも相手側の言い分を認めたりはしない、、頑なな態度が
首尾一貫しているとか雄弁であるとの理解されているのではないか

話は戻って、陽性者の氏名とか身元は、明らかにされていない
判明するとその人は被害者であるのもかかわらず
犯罪者のような目で見られるのを防ぐためらしい
だが人はどうしてもその先を探りたくなってしまう傾向がある
そして知ると誰かに言いたくなる、、
本当に怖いのはコロナより人間、、というのも少しわかる



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宅施餓鬼

2020年07月24日 12時08分35秒 | 徒然なるままに

「今日はエアコンなしで良いよね」
我が家の偉い人(始末やさん)がつぶやく
例年なら暑くてたまらない時期だが、
今年は梅雨が長く窓を開けていれば耐えられないことはない

今日は宅施餓鬼だった
よくわからないが毎年のことで、いつものように和尚さんを迎える
特にそれに抵抗感はない
少しづつ、同じことがいつまでできるか気になってきている

昨年と違ったことはあった
和尚さんが念仏を唱えているとき、かしこまって座るのができなくなっている
ずっと前から右足の膝から、ポキン、ポキンと音がするようになっていた
音がするだけで影響はないのでほっておいたが、昨年末頃
右足の太ももの裏あたりが筋肉通とか筋違いのような状態になり
それ以後、深く曲げると膝が痛くなって曲げられなくなっている

短い時間なので我慢と思うが、お尻に当てる補助具を使っても
少し高さが足りない
少しばかり腰を浮かして、みっともない格好でお経を聞く
和尚さんからは見えないから、いいか、、
ご先祖様はきっと笑ってるだろうと思う(そういう人たちだった)

新型コロナウィルス感染のせいで、和尚さんもマスクをしている
お経の最後の方で、ご先祖さまの戒名が唱えられたが、その後で
コロナウィルス云々との言葉も聞こえた
お経も時代に合わせて即興の部分もあるのだろうか

和尚さんも今日は忙しいようで、お茶も飲まずに家を後にした
いつものように同じことを家族で行う
それが、とても貴重なことに思える年齢になったと実感する

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梅酒、養命酒

2020年07月23日 09時08分35秒 | 徒然なるままに

気温によって売れる商品は変化するらしい
暑くなると豆腐、アイスクリーム、スイカ、ビール等が売れるらしいが
飲ん兵衛でない自分でも暑いと缶ビールを買いに出かける

最近は350MLの缶でも持て余し気味になっているので
昨日は缶ビールはやめて梅酒にした
梅酒を食前酒くらい少しだけ飲む
甘くておいしい

梅酒にもいくつも種類がある
有名なチョーヤものもやらANAの機内で使われているものとか
地元の梅で出来てるものとか、ブランデー仕立てのだとか
その気になれば味比べができる

昨日は瓶の格好がいいブランデー仕立てのものを購入した
そういえば、自分は利用していないがインスタグラムは、食品関係の
投稿ばかりが多いようだ
なんで自分の食べたり飲んだりするのをおおっぴらにするのかよくわからない
(でも自分でも時々FBでラーメンとかカレーとかお菓子の画像をアップしてるから
 他人のことは言えないか)

夏の資源回収は圧倒的に缶ビールの缶が増えてくる
それとペットボトルと素麺つゆの瓶
我が家でも増えてくるのは、梅酒の瓶だが
それ以外にもずっとにも続けてる養命酒の瓶も

いける口ですか?の問に
飲んでるのは養命酒です、、、と答えると
笑いが取れるので、これはしばらく愛用している答え

梅酒、養命酒 
分類の上ではお酒の部類だが、飲ん兵衛からすると、
何だそれ!だろうな

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蝉は何故鳴くのだろう

2020年07月22日 09時20分40秒 | 徒然なるままに

ずっと気になっていたが、雨続きで行けなかった豊橋のお墓の草取り
天気予報を信じて昨日から準備しておいて、今朝、早い時間出かけた
夏のこの時期はいつも5時台に出かけるようにしている
お墓は3基並んでいるが、一月に一度出かけているので
いつもそんなに草は伸びていない
やはり定期的な草取りはまとめて行うより楽だと実感する

信号の少ない通称「柿の木街道」を走る
山にはまだ霧がかかっていて、どこか湿気を感じる
朝早いというのに、対向車が多い
豊橋(街)に向かう車が多いのはわかるが、田舎に向かう車が多いのは
何故なんだろう?と思う
同乗者は「柿の実は、もう見えるかな?」と口にする
そのつもりで注目すると、柿の実は葉っぱの色と同じなので
確認しづらいが卵くらいの大きさにはなっている

秋になると、道沿いの無人の販売所で1袋200円で5つくらい入ったものを購入する
これを知ってしまうと、正当な金額を払って柿を買えなくなってしまう
(友人からおすそ分けも多いし)

目的地(お墓)に着く
我が家だけ、、と思ったら、もう一人いた
やはり夏は早朝が勝負!と考える人は多いようだ

しばらく来ていないから伸びているだろうな、、
と予想したが思いの外、少なかった
ところどころ大きく伸びた草が目に入る
このくらい大きいほうがとりが取りやすいし取りがいもある
「きっと、〇〇さんがきてくれたんだ!」
慣れた手付きで草取りをするプロ(?)が言う
そうかもしれない、、少なすぎる感じだ

「しまった、防虫剤ある?」
しゃがんで草取りを始めた自分の周りを小さな黒いものが飛び交う
「持ってきたよ、そこ」
急いで半袖の狙われる腕にかける
だが、虫類もなかなかしつこい 腕は寄ってこないが顔の方に寄ってくる
顔に防虫剤をかける訳にはいかない、、
「今度は蚊取り線香を持ってこないといけないね」

蚊が気にならなくなると、あたり一面に蝉の鳴き声が響き渡っていることに気づく
夏だ!と感じる
でも不意に「何故蝉は鳴くんだろう?あんなに必死に」
きっと生殖に関することが影響しているだろうな、、、と想像した

昔、「蝉と風鈴」と題したメルヘンをつくった
蝉は人間にやかましい、うるさい、、と酷評され
涼しい音と喜ばれた風鈴に嫉妬した
蝉は人間に褒めてもらえるような鳴き声をしようとした
でも、、、

風鈴は風が無いとならない
だが蝉は自分の力で音を出すことができる
大事なのは、自分で何かを行うこと、、、といった内容のものだが
そのテーマが上手く表現できたかどうかは、、わからない
(書いていてテーマがどんどん変わってきてしまったような気がした)

結局草取りは30分弱で終了
次回は蚊取り線香を忘れないようにしなければ

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高速バス(山の湊号〉について、多くの市民が知らないと思われること

2020年07月21日 08時14分56秒 | 市政、市議会に関することなど

少し前の話だが、忘れさられてはいけないと思われること

3年の新たな契約と事業の継続が市議会で議決された新東名バス「山の湊」号
その利用率の悪さから、税金の使い方として適切か、、との疑問が噴出し
三年半の実証実験が終わった時点で、一旦この事業は一区切りすべしとの声が
あちこちから出るようになった

人の思いはいろいろあって、利用率だけで判断はしてはいけないとか
現在利用している人々の既得権を奪うのは問題だとか
交通機関のチャネルを残しておくことは、それだけで意味あることとか
事業継続に賛成の人からも声が出ていた

継続をしたいと望んだのは行政で、それを認めたのは予算案を認めた議会なのだが
この過程のなかで、ほとんどの新城市民が知らないと思われる出来事がある
それは高速バスについて関心をもった人々が具体的に行動を起こしたことだ

事業継続に反対の人々はその意志の表現として「市長」と「議会」に対して
「高速バス運行廃止の請願書」を提出した
特に市長にはこの趣旨に同意の1700名の署名を添えて直接手渡した
そして数分間市長と話す機会を得た
この行為は予め記者クラブに伝えてあったが、記者クラブの方々は、その現場に誰も来なかった
その翌日、新聞には請願書とは全く反対の「事業継続の方針」との記事が掲載された
両論併記が公平中立というものの、反対意見はこれっぽっちも報道されなかった

一方、議会に提出した「請願書」は、その後議会で検討されることになった
そしてそれは総務消防委員会で話し合われることになった
そこで出てきたのが、少しばかり揚げ足とりみたいな理屈だった
「高速バス運行廃止」と要求されているが、総務消防委員会が開かれている時点では
高速バスは予算案が出ているだけで、運行しているわけではない
運行していないものを廃止することはできない、、これは理屈が通らない
気持ちはわかるが、これは請願として採択するわけにはいかない
そこで「趣旨採択」というのが適切ではないか、、とある議員から提案され
多数決で「趣旨採択」となった

「趣旨採択」という言葉は議会人にはわかるだろうが、一般人にはわからない
そこで調べてみると
「願意は妥当であるが、実現性の面で確信が持てない場合に、
 不採択とすることもできないとして採られる決定方法」
とある
これでもなんだかよくわからない
「気持ちはわかるが、、、」といったところらしいが、
なんとなく誤魔化されたような気がしないでもない
この総務消防委員会、傍聴していたのは請願書の市民だけでななかった
高速バス事業を扱う市の部門のスタッフも、気になると見えて数人来ていた

ところで、この請願が「まだ運行されていない事業の廃止」を要求する
書類上不適切な表現のあるもの、、と認識していた機関(事務局?)は
それを訂正するように指導はできなかなったものだろうか、、と思ったりする

最近行った住民監査請求でも「受付」と「受理」は違っていて、受付たあとで
書類の書き方のチェックをして、不備があった場合は訂正するように指導している
そんなことがあるものだから、あの時点で書類の訂正を指導されていたら
どんな結果になっていたのか、、と考えてしまう

1700名の署名をもって市長に高速バス運行停止をお願いした
議会に提出した請願書は「まだ運行していない事業を中止できない」
という理由で、請願は採択されずに「趣旨採択」というどっちつかずのものになった、、

これらのことは、多分、ほとんどの人が知らない
でも、こうした具体的な行動をおこした事実は、
とても重要なことと思われるので、備忘録として残すのが必要と思われる


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「若者議会について」思うこと

2020年07月20日 10時34分40秒 | 市政、市議会に関することなど

新城市には「若者議会」というシステムがある
16歳から29歳までの若者が公募で集まり、各人がいくつかのグループに分かれ
グループで討論されたことについては予算提案権を持ち予算の使い道を政策立案する
それを市長に答申し、市議会の承認を得て、市の事業として実施される流れとなっている
他の自治体に誇るべきシステムとの評価がある一方、当事者である新城市民の評価は果たしてどうなのか
この会議自体の運営に少なからずの費用がかかっていることもあるので、少しばかり気になってしまう


新城市の若者議会について新城市民が語ることは難しい
それは、これに否定的な意見を述べることは
若者の可能性を否定することになると
無条件に思われてしまいそうになるからだ

だが税金の中から少なくない金額を費やしている以上は
それを緩い見方をすることは、若者に対しても失礼に当たると思う

以前、こんな話を聞いた
若者議会で答申した内容については、若者たち本人が少しばかり自信がなかった
社会経験が足りず、少しばかり思いつきのような案に、果たして市のお金を使って
良いものだろうか、、と不安を持ったというのだ

これに対して、不安になることはない、、
若者たちの答申によるお金の使い方は良識ある社会人の集まりの議会の承認を得て
実行されるので、引け目を感じることはない、、とある人が説明した

ここで少しばかり気になるのは、常識的な市議会議員はこの答申の内容を
詳しく知った上で賛否の意見を表明しているか、、という点で
一般的には議員の議決は「予算執行について可か否か」であって
その内容については、詳しく知らないというのが実態ではないかと思えてならない

現在、こんな小冊子が出回っている(はずだ)

これは若者議会をよく知らない人に向けて、漫画で分かりやすく紹介するものだ
問題は、この冊子の存在をいったいどのくらいの人が知っているかということ
自分はこの冊子の存在を知ってはいたが、どこにあるのかは知らずにいた
たまたま市役所に聞きたいことがあって訪れたとき見つけた

この冊子の質的な出来はどうか、、
若者の思いが本当に実現されているか、、、
この漫画によるPRを答申した若者議会のメンバーは、その内容などのについては
次の年の若者議会のメンバーの任せることになる
自分たちで予算どりしたことを、自分たちが知らない人が実行していくのは
流石に少しばかりよろしくないので
若者議会は一年任期だが、メンターとして数人が残って、その責任を果たすようになっているらしい

この冊子の評価は、見た人がすればいいと思うし、見た人しか評価する資格はないと思う
だが見かけた人はどのくらいいるのかが気になる

若者議会の問題点は、市民モニター・アンケートでも象徴的に明らかにされている
(市民モニター・アンケートは市が独自に行なっているアンケートで
 以前は高速バス「山の湊」号についても3回に渡って行われ、このブログでも紹介したことがある)

この「若者議会についてどのくらいご存知ですか?」とのアンケートに
「名前は知っているが、活動内容は知らない」が一番多くて66%
残念ながら、これは想像した通りだ
そして仮に「活動内容ではなくて、実行された事業をご存知ですか?」
の問があったなら、その回答はどうだっただろう

若者議会については「若者の伸びるきっかけづくりの場」と
「事業としての妥当性」を別個に考えて評価すべきだと思う
伸びるきっかけを邪魔しないために、否定的な意見を言わないようにすることは
本当は彼らのためにはならないのではないか、、
彼らが自信無げに提案した内容を、どこかの段階で社会経験のある人が注意をする
そんなところが必要なのではないか
それは「若者議会の議場」で行われていると言われる人もいるだろう
でも、その場限りの指摘では不十分の気がする

つまりは若者議会についての問題点は、若者にあるのではなくて
それを運営する大人たちのあり方にあるような気がしてならない

ところで、最も大事とされる「若者の伸びるきっかけの場」というのは
他にないものだろうか、、とついつい考えてしまう
(自分の得意技は、空気を読まないという点なので独断してみた)

※以前、若者議会のメンバーと話す機会があったが、
 中には非常に気持の良い真面目な子もいた
 それ故にもう少しなんとかならないか、、と思ってしまう

 

 

 

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