パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自分へのご褒美(レコードの大人買い)

2011年12月31日 20時07分01秒 | 音楽

何かをまとめて買うには、何やら理由付けが必要な時がある
特に大きな金額を要する時、金銭的に余裕があるとかないとかではなしに、
言い訳が見つからないとなかなか小市民は一歩踏み出せない

今日の言い訳は一年間自分へのご褒美
これは自分が思いついた言葉ではなく
たまたま人が口にした言葉で
それをちゃっかり拝借というわけだ

と言っても何もそんなにかしこまる程のことじゃない
レコードを買っただけのこと

名古屋のバナナレコードで3組のセットもの
フルトヴェングラー指揮のウィーンフィルでベートーヴェンのフィデリオと
モーツァルトのドン・ジョヴァンニ(各3枚組)
それとギーゼキングのモーツァルトピアノ曲全集(11枚組)

果たしてこの値段は
昔から考えると信じられないくらい
フルトヴェングラーのものが各1890円
ギーゼキングが3980円

つくづくそこに存在する音の世界の価値と
実際の価格とは比例しないことに驚きを感じると同時に
誰か好きな連中が大事にしないと
もったいないことになってしまうといった危機感も感じないわけではない

家に帰って早速聞いてみた
まずは聴きやすいモーツァルトのピアノ曲から
K1からピアノソナタ3番まで若い順番に

真面目に聞いてみるとモーツァルトは天才であることがよく分かる
10歳にして既に自由なそして美しい変奏曲を書き残している
確かに最初の頃の作品はゴツゴツしていて
バロックのパターン化した音楽に思える時もあるけれど
さすがアマデウス 簡単には収まらない
どこか気が利いていると言うかツボを押さえている

ギーゼキングの音は一つ一つが芯があって固く
それでいて人間性を感じさせるようで結構好きな音色
でもピアノソナタ1番はバレンボイムの浮き浮きした感じのほうが好きかな

次いでベートーヴェンのフィデリオも1幕分聞いてみた
ベートーヴェン唯一の歌劇で序曲やレオノーレ3番は知っていても
その内容も全体の音楽も知らなかったけれど
勢いに任せて買ってしまったレコード
今日が聞くチャンスと決めてじっくり構えて、、、

なかなかいいじゃないか!
ベートーヴェンも気が利いてる
オペラ的な発想もできるしやっぱりすごい人なんだ
内容が音楽がぎっちり詰まってる感じ
これはフルトヴェングラーの力によるものかどうかは
定かではないが楽しんで1幕終りまで聞けたのは事実

でもやっぱり気分の急激な変化とか
全体の効果みたいなものはモーツァルトとかオペラ作曲を
主にしている人のほうが上かな!
と徐々に思えるようになって
ベートーヴェンの特徴はやはり純音楽の方にあるのだと
最確認した次第

それでも明日からの正月は
しばらくこれらで楽しめそう
明日は(つまり新年は)K330のソナタから聴き始めようかな
(それとも今日買ったレコードじゃないけどヴァイオリン協奏曲第5番K219がいいかな)

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感情が見えると、理解しやすいのだが

2011年12月30日 20時30分40秒 | Weblog

前から不思議に思っていたことの解決のヒントが見つかったような気がした

それは、立派なことを話していても、実際に半端じゃない努力をしていても
ここが一番不思議なのだが「尊敬できない人がいる」ということ

単に好き嫌い、相性の問題だけでは無いようで気になっていたのだが
彼の話には、感情が見えないからだ!
と不意に閃いた(そんな大げさなものじゃない?)

確かに素晴らしいことを述べている
聞くに値する、しかし、心を撃たないのは
その人の感情が見えてこないからじゃないのか
役所の文章、契約書の文章、それらがとても読みにくいのは
ほとんど感情とは無関係のリズムで書かれているからで
反対に小説類が読みやすいのは(最近の小説は必ずしも読みやすいわけではないが)
感情移入がしやすいことが大きく関係している気がする

人は理性で多くのことを理解しているようでも
実は感情で最初にフィルターをかけて、その上で
理性という道具を使っているのではないか

話は例のごとく大きく変わって
フルトヴェングラーの演奏が興味深かったり
大きく感動したりするのは、この感情の移り変わりが
見える気がするからではないのか
正確なテンポ、正確なアンサンブル、でも機械的
それだけじゃ人の心は動かない
少しは違っていてもその時の僅かな感情の動きが反映されると
これは面白いものになる

演奏だけでなく作品自体も
ベートーヴェン、モーツァルトなどが馴染むのは
心理的に感情の流れをまだ感じ取りことができるからで
これがシェーンベルクくらいになると
なにか凄いことをやってるらしい!
とは思っても感動はしない自分がいる
(慣れが必要なのかもしれないが)

とにかく、正しいこと、倫理的なこと、精緻なこと、正確なこと
公式に発表されるものはなぜか
心に響かない
それらは反論のしようがない
でも、、、


話は飛んで、年末にはベートーヴェンの第9が
演奏されることが多いが、この曲のコンセプトなんかは
壮大で人はここまで崇高なものなのか!と驚き
そしてこの理想の高さ、曲の深さに感動する

しかし、自分がもっと好きなのは
「恋人か女房があれば、、、」
と歌うパパゲーノの存在やらその音楽

感情移入が第9よりずっとし易い
辛いことは逃げて回って、手柄は自分のものにしてしまおうとする
しかしに憎めないパパゲーノ

人はパンダのドジぶりにホッとして
寅さんの言葉にふと共感を覚える

世の中がもう少しおおらかに失敗を、ドジを
笑って過ごせる世界であればいいのだが
そして感情の発露をもっと自由に出来ればいいのだが
(それがないと突然切れて訳のわからないことを
しでかす事になりそうな気がしてならない)

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ミッション・インポッシブル

2011年12月27日 19時29分36秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)

代休の一日 久しぶりに映画を見た
トム・クルーズの最新作「 ミッション・インポッシブル ゴーストプロトコル」

確かに退屈せず見られた
そして悪役の端役の人がモノのように無残に殺されることもなく
最新鋭の科学技術の凄さもリアリティはないものの興味深かったし
例の高層ビルでのシーンも角度によってはホント怖そうだった

話もテンポよく進み
それなりに謎にも満ちていたし
その謎もこの作品内で解決して
申し分無いように思えるのだが、、

問題はこのテンポの良すぎるところ
エンタメ的にサービスがよすぎるところが
自分にとっては少しばかり不満なのかもしれない

内容的には007シリーズと似たようなもの
しかし、007のほうがもう少し遊び心があるかな
というか余裕がある感じ?

スパイ映画はアクション映画ではなく
フリーマントルのスパイ小説ではないが
「別れを告げに来た男」みたいなのを淡々とやったら
自分好みで面白そう
しかし、これじゃ人は呼べないか!

説明過多のサービス精神いっぱいの映画もいいけど
想像力を刺激する映画も見てみたいな

それにしてもシネコンは商業的大作ばっかりでなくて
マニアックなものの上映して欲しいものだ
そしたらもう少し見に行くかも

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バルサに勝利するのはバルサ

2011年12月25日 20時04分34秒 | サッカー

単に逆説的に言うのではなく
もしかしたら今のバルサの戦い方が
各チームの標準の戦い方になってしまい、
そうなると今度は屈強な体力のある選手のいる方の
バルサもどきのバルサに有利に働くという事

現時点のバルサの強さがシャビ・イニエスタ・メッシ・セスク・ケイタ・プジョルなどの
個々の力によるものではなくチームの力であると前提とした場合の話で
バルサもどきを一朝一夕にはできるとは思わないが
サッカーの進化はこの方向に進むのかもしれない
と思わないでもない

しかし、単純に選手抜きでチームを考えるのは難しい
まさにあの強い頃のジュビロがそうだった
中山・高原・藤田・名波・服部・西・鈴木・田中
彼らの力ではなく、チーム戦術の力と思っていたが
実は間違いなく彼らの力によるものだった

もっともその戦術を全うできるメンタリティーを
彼らの性格が持っていたのは事実だろうけれど

よくサッカーはチームプレーと言われる
しかし、実際のところ強いチームは良い選手・年俸の高い選手を
揃えている

良い選手を揃えた上でチームプレーを要求
本当はこんなところだろう

話がゴチャゴチャしてしまったが
要はこれからのサッカーの進む方向は
今のバルサのサッカーに似ているのもになり
そこにはより優れた選手層のチームが
バルサを破ることになるだろうということ

もしくはバルサが
あの素晴らしいポゼッションサッカーを
くり広げたのは儚い夢の一時期で
選手が歳とった時、世代交代に失敗したバルサは自滅し
それは夢のまた夢
となってしまうのか

今のうちに見とかなきゃ!
本当にそうかもしれない

ところでメッシもいいけど
イニエスタ、好きだな

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バルサに勝つには

2011年12月18日 22時07分15秒 | サッカー

クラブワールドカップ サントス対バルセロナの一戦は
一方的な試合になってしまった
バルサ4-0サントス

バルサのポゼッションサッカーを初めて体験するサントスには
荷が重かったのか
それとDFからのつなぎ、ルーズボールの取り合いなど
ブラジルらしからぬミスが多く
早いチェックに困惑した様子が数字にも現れる

試合の関心はメッシの素晴らしいプレーを見ることより
どうしたらバルサに勝てるか!
そんなことを思いながら観戦していた

プレスを掛けても交わされるし、走らされるし
かけなければ自由気ままにやられるし
カウンターを狙おうにも失ったボールへのアプローチは早いし
一人ひとりは糞上手いし、、

どうすればいいのだろう
対戦する監督は確かに悩むのだろうな

これはもう慣れるしかないかもしれない
回されるのも、走らされるのも、ミスしたボールへのアプローチが早くて
味方へのつなぎに苦労するのも

今日のサントスに限れば
日本のFWは真面目にチェイシングやプレスをかけてることを再認識した
それがために最後の場面でガス欠状態もありうるが
それでもあんなふうに真ん中を固めただけで
プレスを掛けても交わされるだけと見きって
好きな様にやらせちゃダメじゃないか

ある人が個人技の時代は終わったと言っていたが
必要とされる個人技の種類が変わっただけで
依然として個人技は必要不可欠
パスコースを読まれないキックとか
ノーステップ・ワンステップのキックとか
正確なコース、的確なスピードのパス

バルサは必要以上に疲れていないかもしれない
効率的に試合をしているから
そんなに走る距離が多くなくても
やっていけてるように見えてならない
ボールがないところの無駄走りを声高に叫ぶ人たちに
効率的な走り方のバルサはとても良いお手本

ところで、どうやったら勝てるか?
レアルでも勝てない、ミランでも勝てない
となると、、、
ならは精神力で頑張るしかない?
ひたむきにプレスを掛けて、かわされてもそんなもんだと
最初から想定して体力の続く限り頑張る

結局そんな事しか浮かばない

これからのサッカーはバルサのようなサッカーが標準になるかもしれない
バルサがチームとして強いのは事実だが
多くのチームがあのマネをし始めて
その中で身体能力の高い人達がスーパーなプレーをして

別に自分が困ることはないけれど
ホント、どうやれば勝てるのだろう

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落ち葉掃除をしながら考えた

2011年12月16日 21時18分32秒 | Weblog

これは我慢比べだな
毎朝、街路樹の落ち葉の掃除をしているが
まだまだ銀杏の木には黄色い葉っぱがしっかりついているから
しばらくは続きそうな感じ

そこで仕方ないな!と思いつつ
掃除をしながら思ったのは
確かにこの掃除は面倒臭い
一番手っ取り早いのはこの木がない事
そうすれば掃除は楽になるに違いないけれど、、、

そんなことを思っていると行き交う人が
「これはたまらんねえ。こんな木切ってしまえばいいのに」
と哀れに思ったのか声を掛けてきた

そうですね!
と同意の言葉を発したが同意したのは「たまらんねえ」
の部分だけ
木を切ってしまえばいいのに!は賛成できない

この木は今は面倒な事になっているけれど
今までなにか人の心に潤いを、夏には木陰を与えてきてくれている
その対価としてこの労働を要求するのは仕方ない
ここで効率的ばかりに考えて木を切ったり
また妙な薬品を使うのは(あればの話だが)
つまり人間様の都合だけで考えるとあまりいい事がない

どうも人間の考えることは、どこか抜けている
こちらを立てればあちらが立たず!
みたいな所があるから敢えて何もせず
自然の営みの流れに従うのも悪くない

それに落ち葉自体がとても不思議な植物の
生命維持のための活動と聞く
落ちるのではなく自ら葉を落とすことによって
効率的に身を守っているとか
落ちた葉は腐葉土にもなるし、、
うーーん、自然は偉大だと感じることができる
そしてこの感覚は人間のチョット万物の霊長と言ったりする
不遜な考えにブレーキをかける効果があるかもしれない

確かに人間は凄い
と思わない事もないが
大したことない!
とも同時に思う
それは日本人だからか、、、

 

ところで例のごとく話は逸れて
利休の落ち葉のエピソード
ある時、弟子の時代の利休は落ち葉の掃除を頼まれた
初め利休はすっかりきれいに掃き清めたのだが
あまりに整然とした様子が気に入らない
しばらく考えて、また木を揺すって葉っぱを落とし
バランスよく落とした所で良として
落ち葉掃除を終えようとした
それを見ていた師匠、この人がまた偉い
利休の感覚を見ぬいて、それを褒めただけでなく
その後彼をいろいろ抜てきしたとか
(話は少し違っているかもしれないがだいたいそんな話)

利休は実力もあったのだろうけれど
運も良かったんだろうな

落ち葉はまだいろんな話が出てきそう
シャンソンの「枯葉」とか落語の「千早ぶる」など

例のごとく毒にも薬にもならない物思い
どうでもいいことかな

 

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レイソル対サントス、脚をつった選手がいたけれど

2011年12月14日 21時54分49秒 | サッカー

レイソル1-3サントス

サントスを本気にさせたかどうかは、かなり怪しい
マンUとレッズの時も
それからACミランとどこかのチームの時もそうだったけれど
まだ本気には遠い
というかチーム力にだいぶ差がある

サントスはバルサとやるときはもう少し慎重に
現実的に闘うだろう
得点と言うよりはどうやって守るかが楽しみ

それにしても橋本は結局攻撃面では仕事をさせてもらえなかった
抜けなかったのも事実だがクロスの精度が悪い
酒井もまだ安定して正確なボールが来るわけじゃない

それに比べここ一番の時のサントスの連中の落ち着き
正確さはどうだ

それと何よりも違うと感じるのはサントスの選手には
フェイントというか駆け引きを行なって
相手の逆をとる動きが当たり前のようにできていること
確かに日本のチームはひたむきに動きまわるけれど
一種パターン化して動きの先が読めてしまう

これはサントスだけじゃなくバルサも
バックスがサイドにパスと見せて
スルスルと上がったり逆を取って縦ににパスすることがある

この時の一筋縄ではいかない感じの疲労感のほうが
走り回されているより大きいような気がするが
日本のチームはボールを回すのはうまくなっているけど
まだ逆を取る感じは少ない

時々出来てる!と思ったりするのは闘莉王くらいなものか

チョット目には北島も澤もあと少し!だったけれど
このあと少しの壁が実は相当高い
ネイマールのシュート、1点差に追いつかれてのFKが入って
惜しいシュートが入らないのは運だけではないなにか
決定的な差が存在する

明日はバルサとアジアチャンピオンの戦い
お金をかけて良い選手を揃えているだけに
アジアはどのくらいできるのか見ものだ

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そろそろ吉良側から見た忠臣蔵を!

2011年12月12日 21時15分01秒 | Weblog

そろそろ忠臣蔵の季節
この忠臣蔵には討ち入りの話だけでなく
47士の周辺の様々な物語があって
それが日本人の琴線に触れて
耐えに耐えて本懐を遂げる
まるでベートーヴェンの交響曲のような
予定調和で終わって満足感を得ることができるようだけれど
自分は少しへそ曲がりで
昔から忠臣蔵はそんなに好きではない

それはまず47人もの切腹をするような状況を
作った事自体がそもそもの間違いなのではないか!
ということ
大石内蔵助の判断がというのではなく
浅野さんの忍耐力の欠如に情けない!
と思ってしまうことしきりだ

最初に47士の周辺にいろんなストーリーがあると述べたけれど
実は討ち入りされる方は
そんなストーリーはないのだろうか?
007でも簡単に邪魔のもの扱いされる手下の人々
彼らも家族・恋人があるから
軽い扱いには最近は違和感を感じているけれど
同じ考えで吉良側の護衛の人も
それぞれの家の事情もあっただろうに
そういう人達が名もなく、ただ赤穂浪士の
名声を高めるためにだけ存在するのは少し可哀想な気がしてならない

ということで、それそろ吉良の方の立場から書かれた
忠臣蔵というものもあっていいのでは!
と思うのだが、誰か挑戦しないかな

戊辰戦争も官軍側だけでなく
幕府側からの記述も必要
安政の大獄、桜田門外の変も、大化の改新も
全て裁判ではないが両方の立場を知ってみたいものだ
もっとも知ってどうなるというわけでなないけれど

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道具依存より技術習得で解決

2011年12月12日 20時56分30秒 | Weblog

100円ショップの進化と言うテーマで
家庭用品の新しい便利グッズが紹介されていた時
フト思ったことがある

それはキャベツの千切りを簡単にする道具であったり
にんにくの皮を簡単に剥く道具だったり
他に何があったかな、、
とにかく便利グッズには違いなかったのだけれど
確かに便利だけれどまた道具が増えてしまって
道具だらけになってしまわないか?
心配になった

あまり使わないけれど、便利だから手元に置く
こうして開発された商品は
多少なりとも経済活動の活性化に役立ちそうで
話題にされたわけなのだけど
便利なグッズでなくて自分の方の技術を磨くという選択肢も
あっていいのでは!
つまり千切りも皮むき器も
包丁一本で何とかする技術さえ身につければ
モノはそんなに必要とされない
そして最終的にはゴミの削減にも役立つ

モノへの進化を期待するばかりでなく
自分のできる技術の幅を広げる
そうすることによって地球に優しくなれるかもしれないこと
これはもっと声を大きくして叫ばれてもいいような気がする
(経済活動にプラスに働かないから、やっぱり無理かな!)

 

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フルトヴェングラー、3種類の「運命」

2011年12月10日 22時08分40秒 | Weblog

昨日は1937年の録音のもの
そして今日は1943年の戦時中のものと
1954年の彼の最晩年の演奏である「運命」を
真面目に聴いた
演奏は全てベルリン・フィル

聴く前は、聴こうと思ったものの正直なところ
「運命」は押し付けがましくてゲーテじゃないが
少しシンドいかなと思ったのだが、
昨日の1937年の演奏を聴いて結構楽しめた

それで今日はまとめて2つの演奏を聴いたわけなのだけれど
せっかくなのでサラっと印象などを

まず1937年の演奏
大きな把握で、ルーベンスの絵のような豊満な重量感のある音色
そして流石に若い時らしくリズムが弾んでいる
このころのフルトヴェングラーをもっと聴いてみたいものだ
もっと古いトリスタンの前奏曲と愛の死も
理由がよくわからないが何故か惹きつけられる演奏だった

1943年 この有名な冒頭
その音の暗さは何だろう
同じ楽譜からとは思えない
違った曲を演奏しているみたい
とにかく暗い、そして気合は入っているのだろうけれど
何故か音楽が流れていくだけ
曲が頭に入ってこない
そういえば戦時中のコリオランの演奏も
冒頭の緊張感、緊迫感と言ったらなかったが

そして再晩年の演奏は
戦時中とは全く反対で、この曲は
こんなにニュアンスが豊富だったけ
こんなフレーズあったかな?
みたいな印象が聞いている間ずっとしていた


これはチェリビダッケがゆっくり演奏して
あらゆるパートを聴き取れるようにして
ニュアンスを高めようとしているのとは違う
もっと実演の勢いに任せて
まさ、聴衆と演奏者の一期一会の出来事のように
思われる演奏だ

それにしてもベルリン・フィルの重量感のある音
もうこんな音を出す(出させる)指揮者はいないだろうな
それは指揮者の違いと言うより
時代のせいなのかもしれない

と言いつつベルリン・フィル聴いてみたいな
メジャーなオケでこれだけ聴いていない
余り来ないしチケットは高いし、、、
死ぬ前に一度は聴いてみたいな
佐渡裕みたいにオーケストラの音だけで感動するかな

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