パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

Band on the Run

2010年10月31日 09時45分10秒 | 音楽
久しぶりにポール・マッカートニーの代表作を
レコードで聴いた

やっぱり名盤かも!

自分は「Ram」が一番好きなのだけれど
(Tug of War ・Pipe of Peaceも好き)
改めて聴き直すとポール・マッカートニーの才人ぶりが分かる

最初の2曲
Band on the Run・Jetはラジオ等で聴く事があるので
ちゃんとしたオーディオで聴くとやっぱり違うな
程度の印象

ところがMrs Vandebilt とか Mamuniaみたいな曲に
面白い発見がある
というよりベースの活躍ぶりが心地よい

ポールのベースはビートルズ時代の
Something ・ Don't let me Down・Come Together・While my guitar gently wheeps
それからWith a little help from my friendが気に入っていたけれど
そこまではいかなくても結構いける

「心のラブソング」はベースが活躍するけどそれほど好きじゃない

メドレーになっているPicasso's Last Words(Drink to Me)は
昔ウイングスのライブで聴いた時
この酔っぱらいの歌がとてもあったかくて
幸せな気分にさせてもらったけれど
こうして聴くとアビーロードのメドレーを彷彿とさせるものがある
Ho Hey Ho・ Jetの部分的な回帰などは
効果的で作品としてもまとまり感をもたらしている

ポールはジョンよりも軽くて過小評価され気味だけれど
音楽だけに限れば、将来皆に歌われるのは
彼の曲の方が多いのではないかと思う

しかし、長生きし過ぎている(?)彼は
自分の創作力の低下とも直面しなければならず
それはそれでアーティストとしては辛いかもしれない
などと勝手な想像をしてしまう

ポールの隠れた名曲
ベストに入らなくても好きなのは
Wanderlust ・What's That You're Doing?・ The Man
Junk・Ram On ・Dear Boy・Uncle Albert/Admiral Halsey
Monkberry Moon Delight  ・The Back Seat Of My Car
Another Day・Waterfalls・You Gave Me the Answer
Call Me Back Again・Morse Moose and the Grey Goose 等

新しい曲がなくて、昔の曲が良い様に感じるのは
自分のキャパシティーが低下している事もあるかも

でも間違いなくある時期
ポールは天才そのものだった



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スマートフォン雑感

2010年10月30日 10時16分39秒 | Weblog
ドコモのアンドロイド携帯 「ギャラクシーS」を購入した
今年 4月にiPad購入したものだから
「新しい物好き」と評価されている様だけけれど
別にそんなに新しいものが好きな訳でもない

ただNECの携帯は2年以上使っているし
スマートフォンは何かと便利そうだし
電波の安定しているドコモだし
ドコモは結局iPhoneを出せそうもないし
サムスン製だけどデザインもまあまあだし
てな理由で今回の購入に踏み切った

さて使い始めてどうか?

まずパッケット定額がフルブラウザ対応のため
1000円以上高くなった
しかし、ケチな自分はインターネットは3Gでは見ずに
WIFI環境のあるところでしか見ないつもり
というか我慢する

そして困った時だけ3Gの力を借りよう
と思う

このインターネットの使い心地は
スピード的にはイライラするほどの事はない
しかし、フルブラウザといっても所詮携帯電話のサイズ
字が小さくて読むにはシンドイ(拡大できると言っても面倒)

メールはiモードメーールのアドレスをそのまま使えるspモードメールを契約
メールアドレスを替える不便さはこれでクリア
と、ここまでは良かったけれど
このspモードメールはWIFI環境では使えないらしい
パケットを節約して自宅の無線LANで使おうとしたもくろみが外れた

発売日初日の28日 iモードメールをspモードメールの交換する手続きが
一気に日本中の新しい物好きがアクセスした為に
ドコモのサーバーがパンク気味 なかなか変更できなかった

アンドロイドは戸惑う事はあまりなかった
基本的にはiPadでやっている事とそんなに違いはないはず
と見当をつけてあれこれやっていれば何とかなる

だが全体的な使用感、感触はアップルの製品、OSの方が
気分的に心地よい
この差はいったい何か?
と思うのだがなかなか分からない 
アンドロイドの方が真面目な人がシステム的に便利そうに作った感じで
アップルのOSの方が使ってみて便利で心地よい、使いやすいを
前提に作った感じで自分は気分的にはアップルが良いかな

さてスマートフォン使ってみて
スマートフォンという名前がつくが結局携帯電話なんだ
と再確認
勿論便利な事も多い
しかし画面サイズは長時間見るには小さすぎる

機能としては電話、メールがキチンとできればそれでよく
インターネットは困ったとき、ちょっとした調べものに使える
安心感があるだけ心強い

アプリはまだそんなに見ていないが
案外これがいけるかもしれない
最初はインターネットのフルブラウザが魅力的と思ったが
実際にはこちらの方が使うかも

そこで全体的な使用方法として
ギャラクシーSはモバイル(当たり前)
リビング、寝室ではiPad
そして仕事とか真面目に取り組む時はデスクトップパソコン
そんな感じ

確かにこうして見るとノートパソコンの立場がない感じ

話は変わってギャラクシーS この製品
ドコモから出たので興味を持つ人が多いのだけれど
韓国製という事実に割合多くの人が心理的な抵抗感があるようだ
妙なところで愛国心とか、ちょうど浅田麻央 対 キム・ヨナ
サッカー日韓戦で日本側を応援するみたいな感情で
素直に良い製品でコストパフォーマンスの問題だけでは
片付けられないみたいだ

翻って残念なのは、最近の日本はこうした製品も今イチな事
エクスペリアはソニー製だけど自分的にはデザインが気に入らないし
なにか、これっ!て感じがしない

たしかに韓国の勢いにいろんな事で劣っているのは事実でしょう

さてと、今後は早くギャラクシーのカバーを買わなくては!
すべすべして落としそうだし傷つけそう
まだ電気屋さんにはカバーはなかったけど
これだけは早めにしなくては!
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ポール・マッカートニー派のつぶやき

2010年10月27日 20時43分52秒 | ポール・マッカートニー
ジョン・レノンがいなかったら、ビートルズは
ラブソングを歌う単なるPOPグループに過ぎなかったかもしれない

ポール・マッカートニーがいなかったらビートルズは
あの豊かな音楽性は望む事はできず
メッセージ性の強いバンドで終わったかもしれない

全ては奇跡のような偶然の産物
同じ地域に天才が二人
しかも同時期に生まれ、協力し合って作品を作り上げる

しかし、それは長く続かないのは
ある意味必然であったかもしれない

二人の合作 A hard days night
              途中別のメロディーから始めのメロディーに戻る時の効果、美しさはどうだ
               We can work it out
ライフ イズ ベリー ショート この鋭い言葉のインパクトはどうだ

ところで音楽(歌)に於いて、重要なのは歌詞か音楽か? 

自分の答えはハッキリしている、
それは音楽。

しょうもない詩であっても、音楽の表現するところを充分楽しむ事ができる
もちろん詩が良いにこした事はないが

モーツァルト 夜の女王のアリア パパゲーノのアリアなどは
馬鹿馬鹿しい内容のメッセージ
でも、心底それを楽しむ事はできる

音楽は音楽自体で人の心を惑わしてしまう
プラトンが音楽を危険視したのも
東方の教会で賛美歌を単旋律にして和音を禁止したのも
教義そっちのけで音楽に関心がいってしまうのを恐れたため

しかし、あの奇跡的な4人グループの中では
たれ目の左利きベーシストが大好きな自分は
不幸な最後を迎えたリーダーと比較して
彼が過小評価されているのではないか?
そんな風に思えてならない

もっとずっと後の時代音楽が残るのは
刹那的であっても
音楽が肉体的な快感を催させるポールの方ではないのか?

ベートーヴェン バッハは偉大だ
しかしモーツァルトのいない世界は耐えられない

同様に ジョン・レノン ボブ・ディランは人として素晴らしい
でもポールのいない世界はつまらない

ビートルズの話題が何かと多い最近
のんきな欠点の多いポールが、人間らしくていい!
と評価される様になる日は来るのだろうか

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ミロが好き

2010年10月26日 22時07分09秒 | Weblog
ピカソではなく
パウル・クレーでもなく
モンドリアンでもなく
ミロが好き

同じ抽象画でも随分受け取る印象は違う

やさしく、あたたかく、無邪気な遊び心が
画面から滲み出るミロ

どんな風に解釈しても良いらしい
もっとも自分は解釈しようなんて思っていないが

ただ無条件に受け入れて味わうだけ

しかし、なんでこんなに魅かれるのか?

欲しいもののアイテム
ミロの版画の本物、小さいもの(お金が許さないから)を加えて

いつか、、、

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本を読む人。

2010年10月25日 20時35分26秒 | Weblog
無責任な考察を一つ

本を読む事の効能は何か?
それは本をあまり読まない人との比較によって
明らかにされる

独断と偏見で言いきってしまえば
本を読む人は、人の話の行間を読もうとする傾向がある
何を言おうとしているか、共感力と想像力を働かせて

本を読まない人は
人の言った通りの解釈をする
それは間違いではないが、どこか物足りない感情を
話し手に与える

だが実生活の上で現代の日本で必要とされるものは
空気を読む事で、残念ながら本を読む事ではなさそう

「大不況には本を読む」
こんなタイトルの本があったが
この本は大不況の抜け出し方のノウハウ本ではなく
結局は個々の想像力、行間を読む力こそが
何らかの解決の糸口を見つけ出すものであるから
その訓練として本を読もうと言うもの

それにしても、正確にひとつひとつ話したり
書面に残さなければ会話が成立しないとすれば
それはそれで面倒な事だ

何となく分かる!
その共通項を皆が増やしていって
符牒で会話できる様になるのは楽しそうな事に思えるし
そうした楽しみの洗練された形として
様々な芸術作品が存在するのではないだろうか
(ここのところは論理に飛躍がある?
というかいつもの事だけれど)

本を読んだら語り合う相手もいなければ
読書は完結しないかもしれない
しかし、その相手を捜す事の難しいことよ
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バーンスタインのブルックナー

2010年10月21日 20時15分34秒 | 音楽
突然、「あったはず!」
と古いCDを引っ張りだして
朝の通勤の車の中で聴く事にしたのが
バーンスタイン指揮 ウィーンフィル演奏の 
ブルックナー 交響曲第9番ニ短調

バーンスタインと言えばマーラーの大家で
ブルックナーは9番しか録音していない(ニューヨークフィルでも録音したのが9番だけ)
バーンスタインは9番だけは共感できる何かがあったのだろうか

車の中での聞き流しなので、雑な聴き方になるけれど
おおよその印象は語る事ができる

第一楽章 第2主題の歌謡的なメロディー部分
随分粘っこくて、まとわりつく感じが
バーンスタインのカラーなのだろうか

第2楽章 冒頭の激しいリズムは
普段連想させる宇宙の振動のイメージより
春の祭典みたいな感じ
黒い熱い感情を感じる

この演奏で一番良いのは次の第3楽章
ここではライブのよさがふんだんに感じられる
ピアニシモになった時の静寂の深さ
休止の緊迫感 それらはライブならでは

それとこの楽章は前の楽章と違って
バーンスタインの体臭をあまり感じない
始まってしまった音楽を流れに任せて
気持ちよくコントロールしているような感じだ
あるいはウィーンフィルに任せて
時々忘我の状態から抜け出て演奏という行為に立ち戻るような感じ

結局、このCDは所有するに値する演奏のものと言えそう
すくなくともブーレーズのブルックナーや
アバドのブルックナーよりはいい(9番ではないが)

9番はどの演奏が好きか選ぶとなると
クレンペラーの寒々とした(ひょうひょうとした)演奏も捨てがたい
カラヤンの音響芸術としての演奏も悪くない
ドホナーニ第3楽章がいい印象があったし
ショルティも真面目な男が達した境地を表現しているようで嫌いじゃない
シューリヒトは? そんなに自分にとっては印象がない
朝比奈は? 真面目に聴いていないからコメントしようがない
ヴァントは? 8番が良過ぎて、つい、もっとできるはず!と思ってしまう

ところで話は飛んで(ホントに飛ぶなあ)
ブルックナー派の指揮者 フルトヴェングラーのマーラーは
フィッシャー・ディスカウとの「さすらう若人の歌」が圧倒的に良い

ほんとこれは奇跡に近いくらいの演奏
ある意味あのバイロイトの第9に匹敵しそうなくらい

(結局最後はまたフルトヴェングラー礼賛で終わる事になってしまった!
好きなものはしょうがない)



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本棚

2010年10月20日 21時48分47秒 | Weblog
秋はブラームス、、、じゃなくて
今日は本の話
つまり読書の秋の方面

確かに本を読むのに良い季節になってきた
何となく集中できるし、、、

ところで最近話題の電子書籍
さて自分はどうか?と言えば
基本的には紙の本の方が良い

紙の手触り、本の装丁がいいというのではなく
所有の喜びがあるからだ

と言ってもビューンで見られるような週刊誌の類いは
電子書籍で充分だし
価格も安いし場所を取らないから消耗品としての本には便利だ

ところがハードカバーの趣味性の高いジャンルの本は
それを読んで理解できたかとか
そもそも読み終えたか?などとは関係なく
手元に置いておきたいものだ

これは「街場のメディア論」にもあったけれど
いつか読みたい本とは(読み終わった本)
いつかなりたい自分を表現しているのであって
本棚にそれらが並ぶ事によって
自分を鼓舞するところがあるようだ

残念ながら自分も今ある本棚の
読み終わった本の内容を
他人に上手く説明できるほど理解していたり
記憶している訳ではない

ただ覚えているのは面白かったか
もう一度読むに値するか
この事だけ

そしてその本を面白いと感じた自分を
「エラいっ!」と
自分で褒めているような
そんな気がしている

本棚を見ればその人の性格が分かる
だから本当は本棚を人に見せる時は気をつけなくてはいけない
ある意味裸の自分を見られる事になるから

ところが政治家の皆さんは案外無頓着に
自分の本棚をテレビに映してしまう事がある
その本の背表紙を見て
「大丈夫かな、この人」
と思ってしまうのは心配し過ぎ?



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秋はブラームス。その他は

2010年10月18日 20時33分32秒 | Weblog
月曜日、通勤時間のお楽しみはNHKFM「気ままにクラシック」
香田浩子と笑福亭笑瓶の楽しいおしゃべりと
ちょこっとクラシック音楽

今日はその中でブラームスの4番の交響曲 第一楽章がオンエアされた
演奏者はバーンスタイン指揮のウィーンフィル
車の中なので音質はイマイチ 際立った感動は無しで
特に言う事も当然なし

昼、別の番組で、今度はラトル指揮 ベルリンフィルの演奏で同じ曲が
どうやら知らず知らず秋はブラームスを選んでしまうようだ

演奏は バーンスタインと比べてきめが細かい感じ
ラトルはヨーロッパ人 バーンスタインはアメリカ人
そのカラーが出ているような、、、
やっぱり車内の音でよくないから、あまり自信を持って言えないが

ところで秋はどんな曲がフィットするか
ブラームスはこの曲以外にもクラリネット4重奏曲 弦楽6重奏曲
クラリネットソナタ バラード ヴァイオリンソナタ等が
気分にしっくり来そう

ブラームスの他には?

秋は寂しいからどうしても短調の曲を選んでしまうが
モーツァルトはヴァイオリンソナタK304(特に第2楽章)
クラリネット5重奏曲 ロンドイ短調 ピアノ協奏曲23番K488のあの第2楽章

他にはフォーレのピアノ4重奏曲第1番の第3楽章
ピアノ5重奏曲の第2楽章 エレジーなんかもよさそう

バッハは、音楽の捧げものからトリオソナタ
無伴奏ヴァイオリンソナタなんかが聴きたい気分

シューベルトは死と乙女の変奏曲の楽章
ドボルザークは弦楽4重奏曲アメリカの第2楽章

大御所ベートーヴェンは何かあるかな?
14番の弦楽四重奏曲 31番のピアノソナタがいいかもしれない

最近は残念ながら全曲を聴き通す根気と体力がない
だから美味しいとこ取りで聴いてしまう

さて今日のこれからは何にしようか?
案外ジャズもよかったりして、、、

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今欲しいもの(欲しいものないと思っていたが)

2010年10月17日 18時59分31秒 | Weblog
数ヶ月前、カメラが趣味の叔父からカメラを譲ってもらった
ライカM6 勿論中古品 レンズはズミクロン F2 50mm
 
このライカという製品 名前だけはよく知っていたけれど
どんなものかは知らなかったのだが、祖母のお年忌の際
叔父さんのを見せてもらってからと言うもの
いつか手にしたい!と思う様になっていた

それは何故か?

ファインダーをのぞいた時の明るさ
ずっしりと重い鉄の工業製品としての美しさ、質感
シャターを押した時の音
そしてレンズを覗いた時の丁寧に作ってある様
なるほどそれらは男が欲しがる様々な要素が含まれている

しかし、カメラは映してなんぼ
いったいどんな風に撮れるんだろう?
が素朴な疑問
それで、トライしてみたくて
たくさんある叔父のコレクションのなかから分けてもらったという訳だ

久しぶりのフィルムカメラ
しかもオートフォーカスじゃないどころではない
絞り、シャッタースピードもマニュアル(一応露出計はついているが)

さて使ってみてこれが大変
なかなかピントの感じが分からないし
絞りとシャッタースピードの関係も勉強不足であやふや

つまり本当はこのカメラを持つ資格はないのかもしれない
でもインテリアアイテムとしても美しい

昔の記憶を辿りながら露出とシャッタースピードを合わせて
あれこれ撮った
それこそあれもこれも
ボケが美しいと言うからそうなる様に撮ったつもり
しかし、、、、、

できは現像してからでないと分からない
不安を覚えながらプリントされたものを見ると
案の定冴えない出来
人に言わせると「何が撮りたいのかわからない」
でもそれは確かな事 第一に何かを撮りたいのじゃなくて
どんな風に撮れるかが知りたかっただけだから

よく本等で見る写真に似せて撮ったつもり
だがレンズが1本で何もかもしようとしたのは間違いかもしれない
と気づいたのはやっと最近の事

レンズにはレンズにふさわしい対象がある
そんな当たり前の事実に至る事ができた
(50mmはどんな対象がよいのかな)

そうすると今度欲しくなるのがいろんなレンズ
しかし困った事にこのレンズの価格が半端じゃない

自分はもう欲しいモノはそんなに無くなってきたと思ったが
いやいや、まだまだ欲しいものがこうして出てきた
(28mmの広角レンズが欲しい)

ところで昨日、やっと開き直ってレンズにふさわしい対象を
撮影したつもり
(デジカメを持参して、露出・シャッタースピードを参考にした)
24枚のうち まあまあかなと思えるのが2.3点
ホント難しい お金もかかるし、、

こうして比べると技術とは随分進歩しているものだ
現在のデジカメの使いやすい事
そしてお金もかからない事

でも楽しさ、ワクワク感は
不便な一発勝負のアナログカメラの方があるかも

それにしても28mm エルマリット
あるいは35mm ズミクロンあたりが欲しいなあ
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「同情」、「共感」も世界の共通語

2010年10月14日 21時07分03秒 | Weblog
チリ落盤事故、そして救助
世界中の人たちが(時間のある人は)固唾をのんでテレビに見入った事だろう

チリ国内はかつてないほどの一体感を感じたらしい
その気持ちはよくわかる

みんな助かった!
本当によかった!
家族の人たちはどんなに心配した事だろう!
そんな感情が世界中に溢れたに違いない
そして助かった人たちを見て自然と涙を流した人も少なくないだろう

世界の共通語は残念ながら「お金」と「暴力」
この事実は否定しがたいが
ここに「共感」とか「同情」という言葉が入る
そんなことを考えさせるのが今回の出来事

そして、このあまり実用的でない(?)感情こそが
人を人として他の動物と区別する最上のもののような気がする

知恵と記憶力を用いて効率的な弱肉強食をするだけだったら
人は単に動物に過ぎない
そこに同情とか共感の感情を身につける様にしてもらったのは
想像主からの(?)プレゼント

自分以外の人の幸せを単純に願う
しかも多くの人が!
これは本当に良い事だ

たとえ今回の事が、見せ物的な要素があったとしても
素直に湧き出た感情のいくつかは良きもの

本当はこの感情に素直にしたがっていける世の中が一番良いのだろうが
なかなかそう言うわけにはいかない

感情に素直に生きていけない世界は
暮らしにくいし、幸せな世界ではないのではないか

いったい何が阻害しているのだろうか?



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