パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

批判も的を射るようになってきた

2010年01月31日 16時16分43秒 | サッカー
やっと、ほんとうにやっとやる気を出してきた

今までたいして欠席もしてこなかったから
サッカー以外に楽しみがあったかどうかは分からないが
最初は頑固で喧嘩ばかりしてきた子
その割にはゲームになるとボールに触らない子
練習もイマイチ真面目にやらない子
上手くいかないことが恥ずかしくて
真面目に取り組まないのか(彼なりのプライド)
上手くいかないから楽しくないのか

今日は恒例の少年サッカーの練習日(担当は1.2年)
幸い天気の方も雨にふられず寒くもない一日
先週は子供会のサッカー大会で練習が潰れてしまったから
一週間ぶり
そのせいで気持ちが新鮮だったのかもしれない

といってもみんなが真面目になったのはゲームの時間だけ
それでも今日のように皆が一生懸命になったのは珍しい
いつもは何人かはゲームに参加していないのだが
今日はどういうわけか
皆いい意味でバトルを繰り返していた
(自分が見たゲームは2年生同士のもの)

ゲームといっても正式なものではなく
なるべく多くボールタッチできるように
力の同等な子を5人対5人(A)
5人対5人(B)の2つに分けて
2箇所においた三角錐のカラーコーンを(どちらでも選べる)
ボールを当てて倒したら得点という形式

2つ設置したのは片方がダメなら別の方と判断力をつけさせるため
そしてゴールをカラーコーンの間ではなく
カラーコーンを当てて倒すようにしたのは
まずはゴールに近づくことの大切さを感じさせるため
(ゴールが小さいから近くに行かないと当たらない)
そしてもうひとつ、なかなか当たらないからカウンター気味に
抜け出して独走になっても必死に追いかけて何とかすれば
ゴールされずに済む(努力は報われる)経験をつけさせるため
そして何よりも前に進む力を個々につけさせるため

幸い広いグランドで練習できる日なので
コートは制限なし
つまりタッチラインもゴールラインもなし
シュートは前からも後ろからもオーケー

この練習、彼らはもう慣れっこになっている
それにしても走ること走ること!
ゴールから離れても目の前のボールを追いかけて
そしてそれを奪おうと相手方も追いかけていくから
ますますゴールから離れていったりする

しかし、さすが2年生も後半のこの頃になると
そのようにボールばっかり追いかけるのは無駄だと
判断するようになる子が現れる
その子はとんでもなくゴールから離れていった状況を
批判的に眺め、時々「こっち!」と声を出して
チャンスを伺っている

また、そう簡単にシュートが入らないから
皆攻撃的になって前目に重心がかかるが
カウンター気味に独走する機会があっても
シュートする方は慌てて遠いところからキックすると
やっぱり外れる
「もっと近くに行って撃てよ!」

このように
「こっち」とか
「近くで撃てよ!」とか
「邪魔するな!」とか(低学年は味方が進路妨害することが多い)
ついつい出てくる言葉が、
いちいち「ごもっとも!」になってきているのは
頼もしい限り
彼らは教えなくても分かるようになってきている

そして冒頭の(親御さんも皆と仲良く出来るか心配した)頑固な子も
先回の練習から何かつかんだらしく
今までならボールに触らないでゲームにも
流れの中にも参加していなかったのが
今日は積極的にボールを取りに行ったり
相手の邪魔をしようと必死に追いかけている

そして自分でしようとしたことが
ゲームの中で効果的であると自覚すると
(そんな時は声を掛けるようにしている)
ますます自信をもって取り組むようになってくる

嬉しかったのは、どういうわけか今日に限って
彼だけでなく、イマイチだった別の子も
なにかきっかけを掴んだ様子
だから練習終了後の顔は充実感に満ちていた

せっかく伸ばす絶好の機会なのに
また1週間あいてしまうのがもったいない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母の像」の大きな手

2010年01月30日 15時42分50秒 | Weblog
何年ぶりに日展に出かけた(名古屋)

この展覧会を見るにはコツがいる
まずは最初からハイテンションで見ないこと
見るだけでも結構体力を使うので
(立ちっぱなし、歩きっぱなしだけの理由ではない)
気になる作品を目ざとく見つけてそれに集中すること
そこで2.3点あれば儲け物と考える事

日本画、洋画、彫刻、書道、工芸の順番だけれど
いつものことながら後半の方はどうしてもいい加減な見方になってしまう
文字は何が書いてあるかわからないし
工芸の辺になると集中力が切れて、、

それにしても、人の表現意欲というものに驚いてしまう
日本画、洋画も畳何畳を要する大きさ
おそらく完成までに相当な時間がかかる
そして細部に個人個人の感覚のうちにこだわって、、、

正直なところ、自分には絶対こんなに時間のかかることには
取り組んでいられないからそれだけで感心してしまう
たいしたもんだ!
と同時に、自分も何かこだわって
しつこく何かしなくては等と瞬間的には浮かんだが、、、

気になった作品
どうしても最初の方が多いけれど、、、

「道」
砂漠の中の一本道
画面下から上に向かって伸びている
太陽は左側から照らして歩く人の影は左に
画面の大部分を占める道の中央部は
風に運ばれた砂で半分位覆われている
確かに明るい日差しの中なのだが
ここで感じられる静寂感、孤独感はまだ深刻なものに至らず
ある面若々しい

「巣立ち」
文字通り小鳥が飛び立つ様を描いているけれど
鳥よりも眼に入るのは川の中の石
それかが圧倒的なリズム感で迫ってくる
タイトルが鳥がらみなことを忘れそう

タイトルは忘れてしまったが
家族3人が川に字になって昼寝している絵も良かった
たくさんの色を使いすぎるとまとまりが無くなりそうだけれど
(素人が言うのも変だけれど)
この絵ではそのカラフルさがこの家族のあったかさを
感じさせて効果的(たしか何か商を貰っていた)

それから
「母の像」
暗い色調の中に着物を着た、背の曲がった
小さな老婆が正座している
見えるのは横顔、しかしその表情は
何年間も確かに生き抜いてきた(それも多分真面目に真剣に)
意志の強さ、奥深さが感じられる
視線をずらしてみると体の割に大きな手が見える
この手は様々な事を子供達のためにしてきた手だ
そう、この時代の人達は本当に良く働いてきた
作者のやがていなくなる母堂への記憶の証
自分の為に描いた気持ちがよくわかる

そんなことを思うと
不意に祖母のこと、母のことを思い出し
胸が熱くなり目頭からじんわりと何かが

全体の中で、この絵は良い方かどうかは分からない
しかし自分にとっては一番印象に残った作品
体に似合わない大きな手
優しい作者の想い

今日は、もうこれだけで充分

自分の気力、体力の低下を嘆きつつ
後はサラッと流して帰路についた



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

距離とリアリティー

2010年01月29日 21時30分01秒 | Weblog
たとえば市川海老蔵と小林麻央との婚約発表会
あるいは朝青龍の暴力沙汰事件や理事長選挙
こうしたニュースを東京で見聞きしていたら
田舎でテレビを見ているのとはまったく違った印象を持つ

年に1度GWに東京に行って、ホテルでニュースを見ると
普段とは全くリアリティーが違う
すぐそこで起こっている事件
等身大の人間が行っている事件
政治家も実際に存在する人間としてとらえられる

距離
それが違うだけでこれほど印象が違うとは
やはり物事は目前で実際に見ること
感じることが大事!ってこと?

ところで、人間なんてどこに行っても大差はないだろうに
田舎の人間はどうしても都会の人間に引け目を感じてしまう

もっとも、いい歳になってきたから
今更人間性を変えることもできず
田舎人間でいい!と開き直っているが

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民は債権者 (義務教育の義務は親の方)

2010年01月28日 20時20分00秒 | Weblog
「マスコミ崩壊」
三橋貴明 扶桑社刊

この本の冒頭に
日本のマスメディアは政府の負債残高を批判する際に、未だに
「国民一人当たり〇〇〇万円の借金」という知的水準の低い
 フレーズを使っている
途中の説明は省くが、国民は債務者ではなく債権者
つまりお金を借りているのではなく、貸している立場
と扱われるべきと説いている

この本、まだまだ刺激的なことがふんだんで
確かにマスコミも自浄努力をしないと
今の大きな渦の中でとんでもないことになると
予想している

ところで今日はその話ではなく
このように間違えて使われている言葉の続き

「義務教育」もそのひとつで
子供は小学校、中学校へ行く義務がある
と思わされているが(実は自分もそう思っていたが)
「親は子供を小中学校に行かせる義務がある」
というのが本当
子供の立場からは「小中学校に行く権利がある」

他には最近はみんなよくわかってきたのが
「情けは人のためならず」の意味

以前は、
「情けをかけて甘やかすとその人の為にならない」
との解釈が多かったようだが
最近はクイズにも度々取り扱われるので
「情けは人の為ではない」(回りまわって自分のため)
との理解が進んでいる

それにしても、最初の債権者と債務者の間違い
これだけのことだけれど気分がおおいに違うのは不思議なこと
国民は債権者と自覚することで
もしかしたら自信喪失気味の日本人も元気になれるかも
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はモーツァルトの誕生日

2010年01月27日 20時42分58秒 | 音楽
1756年 1月27日 ザルツブルグにて
このとびっきりの天才は生を受けた

モーツァルト
生命力に溢れ、たのしく、心地よく、そして効果的な
気分の変化を表現する音楽
フト出てくる言葉は「完璧」
(何をもって完璧かは分からないが)
それしか思い浮かばない

ホント好きだな、モーツァルト

ということでモーツァルトに関することをちょっと
といっても自分のことだけれど

モーツァルトのオペラ
どうも自分はイタリア語よりもドイツ語のオペラの方が好きみたいだ
つまりフィガロやドン・ジョヴァンニよりも
魔笛や後宮からの誘拐の方がなんだか素直に楽しめる

もっともモーツァルトに限らず
ヴェルディーよりはヴァーグナーが好きなので
単にドイツ語が好きなだけかもしれない
そういえばメサイアも英語版よりはドイツ語版の方がいいような
ゴツゴツしていても陰影に富んでいるようで

(しかし、ロックみたいなものは英語がいいみたい
 ビートルズのシー・ラブズ・ユーのドイツ語版はゴツすぎる?)

もっとも、実演になってしまえばドイツ語もイタリア語も
関係なしに結構楽しめてドン・ジョヴァンニを見たときには
後半の部分、ドン・ジョヴァンニに肩入れしてしまって
悪いのはこいつなのに正義ぶった連中に
なにか文句言いたい気分になったことを覚えている
(まるで異邦人のムルソーの最後の独白みたいに)

モーツァルトに関することもうひとつは
あるオーディオショップに飾られていた40番のシンフォニーの
冒頭の手描きの楽譜のコピーのこと

全部で何枚か複写したうちの一つが額装されて(1/200だったかな)
たしか30万円位だったと記憶しているが
初めてそれを見た時、急に頭の中で音がした
あの有名な旋律だけでなく伴奏となる音型もくっきりと

しれし改めて見直すと楽譜はよどみなく
多分相当なスピードで書かれている様に見える
まさに音楽が生まれた瞬間がそこにある
その思いに圧倒されてしまった

欲しいなあ!
しかし、高すぎる!
いつか機会があれば、、、

その後、しばらくはその店にあったが
流石に安くはない商品そうは簡単に捌けなかったようだが
いつの間にか見かけなくなった

残念!
しかし、昨年のピアノ・ノートにも書いてあったが
原典(自筆譜)を見ることはたしかにインスピレーションを
与えられるのは事実だ
(素人の自分でも感じるのだからプロはもっとだろう)

モーツァルト、お気に入りの曲は気分次第で変わるので
何とも言えないが、
今は若い番号の生命力に溢れたのが好きかな
(K136 とか K219とか)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答えと解決法

2010年01月26日 20時13分52秒 | サッカー
先日の子供会サッカー大会
負けて、悔しくて(?)涙を流している子が数人いた

いいことだと思う
羨ましいとも思う
感情がストレートに表すことは、大人になれば
次第次第に出来なくなっていく
すぐに忘れてしまうような瞬間的なことであれ
その時期にしか味わえない感情を
味わう、経験することは大事なことだと思う

ところで、こんな時こそ教える方のチャスでもある
何故負けたか?
足りなかったことは何か?
こうしたことが割と素直に聴いてもらえるからだ

普段は、いくらこうした方がためになるとか
必要な技術だと諭してもどこか上の空
リアリティーをもって聴いてもらえない

しかし負けた後直ぐは聞く耳を持っている
そしてアドバイスも身に染み込んでいくようにみえる

ところが、ここで問題はアドバイスの内容
それと次に対応すべき練習方法

どうもここのところが疑問を持ってしまうことが多い
エース格の子が上手くゲームに参加出来なかったり
相手に十分にプレーさせてもらえなかったとき
(普段はできるドリブル突破をさせてもらえなかったという例が多い)
普通、サッカーはチームプレーのゲームだから
詰まった時は仲間を使うようにしなければ、、、
と答えを告げる人が多い

しかし、一見当然の事のように思えるこれが本当の答えなのだろうか?

つまったら数的優位を作る
守りも常に数的優位を確保すべき、、、

でもそれが答えの全てじゃない
他の解決方法として、もっと上手くなって
詰まった状態を打開する方法やテクニックを身につける
こんなのも答えの一つのはず

答えは実は個人個人によって異なるはずではないのか
特に小・中学校のサッカーでは
大人は答えを知っている
しかし、本当は答えを教えるのではなくて
答えを見つけ出すヒントとか方法論を教えるべきなのでは

もしかしたら最上の答えは
大人たちが思っていることではないかもしれない

ジュニアの頃は世界的にも強くても
肝心なときの伸びしろが日本人に少ないのは
こうしたところに原因がありはしないか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女の子はiPod、男の子は任天堂DS

2010年01月25日 19時55分09秒 | Weblog
昨日の子供会サッカーの祝勝会が
地元の公民会で行われた時のこと
サッカーの監督などをしないと滅多に
この地区の子供達と接する機会もない
(スクールの子達は別)

おもむろに会場に出かけてると
すでに子供達は大半が揃っていた
4年から6年まで25人
6年の女の子が4人、4年の女の子が1人
あとは男の子

そこで見かけたものは、、、
女の子、6年の子は固まって話に夢中になっている
ところが耳には白いイヤホン
そして手にはピンクのiPod nanoが
それもみんな揃って持っている

なにーっ!もうこの歳でiPod nano!

それでちょっと話しかけてみた
「実は僕も持っているよ!」
「えーっ、何色?」
(彼女たちの関心はまずは色なのか!)
「シルバー」
「ふうん」

「ところで音楽は自分で入れるの?」
「私はお父さんに!」
「私は自分で!」
「iTunes storeで?CD借りてきたりして?」
「それもあるけどサイトからダウンロードして」
「えっ、それを自分で?」

「そのiTunesはアップルのやつ?それともウインドウズ版?」
「???」
どうやらコンピュータ本体には関心はなさそう

「ところでコンピュータの文字入力は
 ローマ字?それともカナ入力?」
「ローマ字だよ」
「3.4年にローマ字習うからみんなローマ字入力
 カナなんて場所が覚えられない」
なるほど、そうなのか

ところで男の連中はと言えば
こちらもやっぱり固まって何かしている
そこで覗いてみると、こちらはなにやら小型のゲーム機
そうかこれが任天堂DSというものか
それにしてもこちらも大半の子が持っているようだ
しかしなあ、、、

こんな風に比較すると
どうも男の子のほうが幼稚に見える
女の子のほうがませている様な、大人びているような
(果たしてどんな曲を聞いているやら、恋愛がらみ?)
男はまだまだガキを卒業できないでいるみたい

それにしても
小6でiPod nanoを使いこなして楽しんでいるとは!
時代はここまで来ているのか!
と軽い驚きを感じた
と同時に男と女の違い、
この時期からしっかりあるものだと妙に納得した次第

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供会サッカー大会

2010年01月24日 16時05分31秒 | サッカー
やはり1日で3試合をするのは問題がある
それが今日一日で一番気になったこと

恒例の子供会サッカー大会が晴天の下行われた
サッカー大会というものの副題に
「サッカーを楽しむ会」とあるように
本来は外に出て走りまわることのない子どもたちに
おおいに走ってもらうのが狙いのはずだけれど

参加チームは11チーム
A.Bと2チーム出した子供会が2つ(我々もそのひとつ)
3つのゾーンに分けてトーナメントとリーグ戦を行い
各ゾーンの1位を決め、得失点差で上回った2チームが
総合優勝をかけて戦うシステム

ここでの最後の試合が問題だ
明らかにパフォーマンス、集中力が下がっている
20分ハーフを2回、合計80分戦った後の
更に40分
そこまでして総合1位を決める必要があるのかが
大きな疑問
以前までは「楽しむ会」の文字通り
どのチームも2試合できて、各ゾーンの優勝だけを決めていた

見ていて疲れているのが分かるだけでなく
ケガをしないかが心配

さて我がチームの結果は?

元気のよい、走力のある子を集めたAチームは優勝
そのせいでおとなしい子ばかりになったBチームは2連敗

同じくらいのチーム力にする選択肢もあったけれど
今回は敢えて力量で分けて、それぞれのチーム内で
個人個人がどれだけ頑張れるか
それを見る事にした
(Aチームに選ばれた子は練習にも真面目に来ていた)

試合は子供の少数化が歴然
6年で1チーム揃えられるところはほとんどなし
中には現在自分がコーチしている
2年生が出ているチームのあった

残念な2連敗のBチームは確かに問題が多い
正直なところサッカー以前の問題がある
走れない、戦えない、判断が遅い
しかし、これは全然可能性がないというより
なぜだか分からないが、この子たちは引っ込み思案で
自分で何かするという気持ちに欠けている

失敗を恐れて取り組めないのか
それとも頑張る方法がわからないのか?

一番心配なのはこの点
サッカーが下手だけなら大して気にはならないが
何事にも指示待ちのような、前に前にの判断をしない子どもたち
自分の能力の何たるかを知らないどころか
火事場のくそ力さえも出さない(出せない)子

本当はもう少し練習時間があれば
そんな子どもたちにも彼らの潜在能力を
気づかせる機会があっただろうけれど

自分の方法は、教えるのではない
単に一人ひとりの能力を(特徴を)気づかせ
それを自ら活かすようにさせるだけ

女の子も二人いたけれど難しい話はなし
彼女らには前に行くスピードがあるのでそれだけを期待

ボールをキープできる子にはできるだけ確率高く
ボールを前に運ぶことを要求(彼らは疲れただろう)

そして前で起こっていることを冷静に見られる子には
ボールをサイドにまわして危険を避けるように要求した

本当はゾーン優勝をかけたゲームが一番きつかった
どっちに転んでもおかしくないような展開で
相手側にもこちらのエースと同じくらいの力量の子がいて
観客席からも11番と7番の戦いだね(エース同士)
との感想が聞かれた

結果的には2-0で終わったが
内容の濃いゲームだった

決勝戦は相手側も疲労困憊の感じ
どこか緊迫感に欠けた内容に終始
最後の数分間だけ勝負にこだわったところが見られただけ

それにしても優勝の瞬間は親御さんも大喜び
少しは責任を果たしかなと思いつつも
Bチームの子達のことも気になって仕方ない

とにかく元気な、
少しくらいはこちらの言う事を聞かなくてもいいから
個性の見える子になって欲しい
もう少し時間があれば、なんとか出来るかもしれないけど
今年の子供会サッカー大会はお仕舞い
来年に期待するだけかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間をかけたものは存在感がある

2010年01月23日 21時38分21秒 | Weblog
古いものに関心がいっている
レコード、カメラ、家具、食器、家までも

ところがこれらは単に懐かしい
という理由だけではない
むしろその物自体の性能や機能、美しさにおいて
今のものよりむしろ優れているのでは?
とも感じさせるからだ

今のものは安く、短い時間で、均質にお手軽にできてしまう
一方昔のものは、少なくとも時間はしっかりかかった

だがこの時間の中に秘密がありそうだ
無闇矢鱈と時間ばかりかければいいわけではないが
時間をかけて作ったものは作り手の執念、こだわりが
どこかに感じられて存在そのものに重みがある

話は変わるけれどブラームスが20数年かけて書き上げた
交響曲第1番 これはオーケストレーションが重厚なせいだけでなく
他の2~4番までの交響曲と比べて重みがある
それだけ聞き手の精神力も要求される
(それが重みにつながるのだけれど)

またブルックナーの8番(この曲も作曲に時間がかかっている)
この曲も圧倒的な重さ、内容の濃さを感じてしまう
それらの好みはさておいて、当たらずとも遠からず的には
時間をかけたものは、そのエネルギーは作品(作られたもの)に宿る
と言えないだろうか?

古いものを見る時
人の手のぬくもりや温かさを感じるのは
そうしたことと無関係ではなさそうな気がするが
はたして、、、

それにしてもCDの音 便利なだけではなく
音自体もなんとかならないかな!

音を良くするために規格を変えるなんてこと

しないだろうな、、、、きっと
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困ること、心配なこと

2010年01月22日 21時19分30秒 | 音楽
レコードを買った
もちろん新しいものではなくて中古レコード

ヘレン・メリルのものを1枚
(ヘレン・メリル・ウイズ・クリフォード・ブラウン)
オイゲン・キケロのものを1枚
(バルカン・ラプソディー)
そしてもう1枚はビートルズの楽曲をバロックに
池辺晋一郎が編曲したもの
(ザ・ビートルズ・オン・バロック)

どちらかと言えば今日は軽い感じのものばかり
ヘレン・メリルは1枚も持っていなかったので(CDも)
なんとなく買ってしまった

オイゲン・キケロはクラシック音楽をジャズにアレンジして
単なるイージーリスニング以上で結構楽しいから
このシリーズの3枚目

ビートルズは池辺晋一郎の編曲に興味があったから
以前CDで求めた武満徹の編曲のビートルズの
ギター音楽はイマイチ楽しめなかったが
池辺晋一郎さんのはいい意味で聞き手のことも
考えてくれていそうで(単純に楽しめそうで)
ついてが出たというわけだ

それにしても、レコードの音
やっぱりCDとは違う
ノスタルジックに浸っているわけではない
明らかにレコードの音のほうが音楽を楽しめる

少し音量が大きい時でも
CDの音はデジタルズームのような音
レコードの音は演奏者の近くで聞いているな音

一番困るのはレコードで新譜が出ないこと
そして心配なのは
CDの音でなんの違和感もなく音楽を聴いて
音楽をこんなものだ!
と思ってしまうこと

音楽の感動は残念ながらCDでは得られない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする