パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

経験を生かさないのはもったいない

2024年04月03日 09時42分13秒 | 新城・地元に関すること

少し前、あることをを思いついた
思いついただけでは役に立たないので、それが少しでも実現するように
とちょいと行動を起こした

思いついたことは英語と主権者教育(あるいはシティズンシップ教育)に関すること
新城市では「新城」と名付けられた世界の都市と交流を行う
ニューキャッスル・アライアンスという事業が行われている
数年おきに各都市持ち回りでニューキャッスル・アライアンス会議が
開催され、昨年はチェコで行われた
そこには高校生、大学生、中学の英語の先生、それに市職員、市長が
参加し、数年前はイギリスのニューキャッスル市に高校生が7人ほど派遣された

前回と今回の派遣の報告を聞いたのだが、その感想はほとんど同じだった
「英語の重要性を実感した」「自分の意見を言えるようにしなければならない」
そして「自分の街のこと、日本のことをもっと知らないといけない」
この3つが版で押したように繰り返された

外国に行けば人は必然的に日本との違いを実感する
最初は驚くだけだが次第に日本のこと、自分の街のことを考えるようになる
この心理的な動きは誰でもそうなるようだ
(自分も若い時ドイツ周辺を彷徨ったときにこれは実感した)

そこで思いついたのが、行った人がみんなこのように感じるのなら
この実感を新城市の教育に生かさないのはもったいない、、ということで
つまりは新城市は「英語教育先進都市」になって
「自分の意見を考えて言えるようなシチズンシップ教育」がなされて
尚且、新城市の歴史なり産業をしっかり教えることを
現実的になされるのが良いだろう、、ということ
それが実現されてこそ人を派遣した効果があったと言えるのではないかと

思い立つと直ぐに市役所の教育委員会に出かけた
そのメンバーに知り合い(サッカーコーチ時代の教え子)がいて
ざっくばらんに話せるので、このことを伝えてみた
すると、英語教育については今の教育長が英語教育出身なので
市はいろいろ工夫とかしている、、とのこと
自分の考えを言えるようにする、、というのは
この方向性で進めるのは良いと思われるが
それは教育委員会では、まだ具体的には進められていない
これは自治推進課の守備範囲でもありそうなので
本当はその部署と連絡を取り合って進めて行ければ良いのだけれど
今のところは縦割りで交流ができていない
だから、教育委員会のメンバー個人個人の判断内で行われることになりそう、、
こんなニュアンスのことが返ってきた

話は変わるが行政の縦割りというのは凄まじいものがあるかもしれない
人口減が深刻な新城市は当然のように小中学校の統合が平成21年頃から
検討されている
そして具体的な方向性も出ているらしい
しかし、ここ2.3年騒ぎになっている小中学校給食をどうするか?
という問題については、この統合の話はほとんど関連付けて
検討はなされていないようだ
(だから直ぐに不必要になりうそうな大きな給食センターが計画された)
つまりは、この2つを俯瞰して見る組織とか判断の基準がない
ということで、少し呆れてしまう

縦割りには弊害が多いようなので、ある人は事業仕分けが必要とも口にしている
ただ現時点では、この教育に関することは、誰かやる気のある人間が
縦割の壁を突破して現実的ないい方法を考えてくれればいいと思う

ということで、自己満足なバタフライエフェクトみたいなことをしてみた!


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海外視察報告会

2024年01月21日 10時07分28秒 | 新城・地元に関すること

昨日、新城市庁舎で行われたイベントを見聞きしにいった
昨年秋ごろにチェコで行われた「ニューキャッスル・アライアンス会議」
に参加したユース2名、一般1名の視察報告がそれだ

ニューキャッスル・アライアンスとは「新城」と名前がつく世界の都市同士が
連携を持って何か行動を起こしたり、共通認識を持とうとするもので
言い出しっぺはなんと地元の新城市
現在参加しているのは20都市くらい(だったかな)

あまり大きな都市は環境が違いすぎるので、比較的似たような規模の都市に
声がけをしているようだ
言い出しっぺは最初「ニューキャッスル・サミット」という名で
政治的にトップ同士の関わり合いを目的としたようだが
現在は名前をサミットからアライアンスと変え
若い人、一般の人同士の交流等がメインとなっている

ニューキャッスル・アライアンス会議は2年に一度行われ、参加している都市の持ち回りで
数年前は新城市、今年はチェコの都市、次回はラトヴィアの都市となっている

「若いってことは良いなあ!」
視察報告をした高校生、大学生の話を聞いて思ったのはこのことだ
興奮気味に話す彼らは、確かに異文化での暮らしとか同世代の生き方に刺激を受けたようだ
数年前もイギリスのニュー・キャッスル(武藤が所属していたサッカーチームのある都市)に
視察した若い人たちの報告会があったが、その時も高揚感のような気持ちが現れる報告だった

報告された内容は予想されたように
英語の重要性、自分の意見を話す意志の力(英語力が力不足でも)
素早い行動を起こすことの意欲、コミュニケーションを取ろうとする気持ち
自分たちの国とか街とか歴史を知ることの重要性が
本当に身にしみて感じらたことがわかるものだった

参加した3名の渡航費用は市が負担
この人数は割当の数字ではなく、市が財政等を考慮して独自に決めた数で
参加予定者を募たところ、17名の応募があったとのこと

動画とか本とか映画で何となく見聞きして知っている様なヨーロッパの国々とか習慣
だが実際に行って生身で感じることは、その切実感が違う
そしてその強烈な印象は、もしかしたらその後の彼らの生き方すら変えてしまうかもしれない

市の税金を使って単なる会議に旅行に行くことに、抵抗感をおぼえる人がいるのは事実だが
可能性という意味において、自分はこれはもったいなくない出費と考える

海外旅行をしたことのある人は、それが単にお遊びのためだとしても
そこでの時間を過ごすうちに自然発生的に「自分の国、自分の街」との比較をしてしまう
つまり外に出るということは、凝り固まった自分の世界を広げる効果がある
ただこのショックは大きくて、必ずしもヨーロッパ等の先進国優先の価値観とはならないようだ

どこで読んだか忘れてしまったが、明治時代にヨーロッパとかアメリカを訪れた人の中には
その圧倒的な法とか秩序優先、科学優先の生き方についていけない人もいて
帰国したら途端に、日本の文化とか伝統とか生き方こそが唯一無二のものとして
いわゆる保守派(伝統主義者)になってしまった人もいたそうだ
(大半は進んだ欧米の概念とか法を取り入れるよう身にしみて感じたようだが)

自分の疾風怒濤の時代にヨーロッパを放浪した時、知らず知らず自分の国との比較をしてしまった
普段考えることない自分の国のこと、それが誰かに命令されたわけでもないのに国や街のことを考える
これは海外に行くと、きっと誰にでも起こる心理的な作用だと思われる

その変化が彼らにも起きた!と思われるような3名の報告だった
若い人にはこの経験を活かす時間がたっぷりある!
それがとても羨ましく思えるのだった

自分が感じた何か、ついつい頭ごなしにこうだと言いたくなってしまいそうになるが
彼らの感じ方は時代背景も知識も違うから、自分と同じように感じるとは限らない
結果的にいつかは自分と似たような到達点になるかもしれないが
その到達点は彼ら自身が手にするもので、教える必要もない

だが明らかに何かを感じた若い人、活かす時間がたっぷりある人に
何かを感じる機会を与えるということは、実は大人のすべきことではないかと思ったりする

大人は答えを教えるのではなく、若い人が自分で考え、行動する機会を与える
その答えが大人と違っていても無闇に口を挟まない
彼らがリアルタイムで感じていることを大事にし、なにか行動を起こすのを期待する
そうしたことも市のお金の使い方としてありだと思う
(反対する人もいるだろうし、反対の意見があることは正常な社会だとも思う)

ところで、こうした視察に出かけられた人々は、比較的恵まれた家庭の人たちを思われる
応募されていることを知る家庭、海外経験をさせる気持ちになれる家庭
言い方は悪いが、生活に切羽詰まっている家庭はこのようなことはその機会すらない

経験の機会の不公平性、そうしたものが現実には絶対存在すると思われる
「親ガチャ」の勝ち組は、これらの機会を得ることができるが、負け組は全く縁がないだろう
問題は、それで良いのか?という点
視察希望者は恵まれた家庭の人や、やる気のある人だけでなく
少し恵まれない家庭の人、物事に対する意識の低い人にも
抽選で機会を与えることも考える意味はあると思う

どんな人も、現地に行けば、自分の中のなにかが変わる
その変わることが、いつか地元にもなにかの形で戻ってくるに違いない
それなりの年齢の自分が、今の世の中とか市のことを考えていても
実際にこれから生きるのは若い人たち
その若い人たちが適切な判断をすべく機会を与えることは、無駄ではないと思う

とういことで、自分の経験を踏まえて昨日の報告会で感じたこと
それにしても、時間がたっぷりある若い人は良いなあ、、とつくづく感じる

ただし、新城市で行われている若者政策の「若者会議」については
個人的には安易に肯定できない気持ちでいるが、、

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自分ではない誰かがやってくれるからの脱却

2023年12月22日 13時22分26秒 | 新城・地元に関すること

昨日は新城市議会最終日で議案の議決が行われた
提出された議案に賛成か反対かを多数決で決める重要な日だ
といっても提出された議案は考えるまでもなく認めるしかない
ようなものが多く、手続き上の儀式みたいなものだ

採決を要する議案のなかに市民からの請願がいくつかあって
その請願について議会として採択か不採択か、それとも別の判断かを
決定する採決があり、少し前から一部の仲間内では盛り上がっていたので
傍聴に出かけた

傍聴するには氏名・住所等を記入して許可書をもらうことになっている
一般質問のときは途中から傍聴しても2番目とか3番目(もう少し多いときもある)
予算決算委員会はもっと少なくて1番か2番
ところが昨日の本会議は開始から少し遅れただけだが
手渡された番号札は24番だった

多い!何故なんだろう?
最初に思ったのはこのことだが、すぐにその理由はわかった
大半の傍聴者は作手地区の人で、作手に計画されている風力発電に対して
健康・騒音等の心配があり反対の考えを持っている人々だ
(彼らは反対の署名活動もしている)
再生エネルギーの活用は必要なことだが、人間のすることはどこか抜けている
風力発電に関しては低周波の健康被害、騒音被害も現実に各所で見られ
国会でもその問題について何年か前から問題視されている

請願は作手地区の区長さんが20名連名で、地元出身の議員さん2名が
紹介議員という形で議会に提出され、この案件いついては
本会議に先立つ委員会で全会一致で採択すべきものとして可決された

ただし委員会で議決されたものは議員全員が出席する本会議で議決されることで
その請願は効力を持つ
問題は全員の議員さんが請願の採択に賛成するか?という一点に絞られた

現実世界は人には個人の歴史や生き様や価値観があり
みんなが同じ考えを持つことは難しい
また、そうでなくても理屈をこねればどんな意見も存在する
こうあって欲しいと望んでも、それが全員で合意を得るのは難しい

この重要な請願は趣旨採択4名、採択13名(議長は多数決に参加せず)で
採択されることになった

採択が正しい選択かどうかは別問題として、きのう強く感じたのは
傍聴席が多いと議場の雰囲気は随分変るという事実だ
採決の前には討論というものが行われる
予め発言する手続きをした議員さんが、議案に賛成する理由はこれこれだとか
反対するのはこうした理由があるからだと自説を述べる

この時、傍聴者が少ないときとは全く違う緊張感が会場に満たされた
大半の作手から傍聴に来た方々は、請願の採択を願っているので
それ以外の判断をする討論(趣旨採択)には不満を覚える
この趣旨採択への討論が説得力のあるものであれば
いろんな考え方があるものだ!で落ちつくところだが
請願者側から見れば事実誤認とか議員の勉強不足としか思えないようだ

昨日の議会で一番良かったのは請願が採択されたことではなくて
傍聴に来た人たちが議員さんのキャラクターとか思考傾向、
知力を理解することができたことと自分は思う

風力発電の請願以外にも議案に対する賛成・反対の討論があって
そこでは全く会話が成り立たない(としか思えない)理屈が
数人の議員の口から表にでたが、そのときは傍聴者からは失笑が出た

それらを含めて傍聴者に現在の市議会の実態を自分の目と耳で実感できたこと
これは今後にも生きる経験だと思いたい

政治に無関心な人はいても、無関係な人はいないといわれる
しかし、政治に係るのは面倒で一歩間違うと諍いも生じてしまう
だから本当は関心を持つべきことにも自らはタッチせずに
誰かにお任せするということは多い

実際のところ、自分が現状の問題点を知人にお知らせに行くと
自分らのような活動をしている人がいることはありがたいと思うし
大切なことだと思うが、申し訳ないが自分は同じように行動できない
とこぼす

そう言う彼はやる気のない無責任な人物か?といえばそうではなくて
おそらく大半の人々は同じだと思う
自分の尻に火が点いたときだけ必死になる
残念ながらこれが実態だと思われる
自分の尻に火がついた時に立ち上がるのは遅すぎるので
本当は前もって想像力を働かして動くべきが正論であったとしても
現実は誰か(議員や首長)にお任せし、それ以上の何かをしない
というのが今の世の中のように思える

ただ何事にも「きっかけ」は必要で、今回の傍聴した人々の中に感じられた
違和感とか不信感とか不満は、彼らの今後の市政に関する行動へのきっかけになって
何らかの影響を与えるものと思われる

自分以外の誰かにやってもらうのではなく、自分たちで何かをしようとする
それをするために現行制度を把握する、、、
そんなことができたのではないか!と期待を込めて考えた次第

これが持続するものであってくれれば良いのだが

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続発する裁判

2023年11月19日 10時09分46秒 | 新城・地元に関すること

どうやら新城市では裁判が続発しているようだ
市議会での補正予算に弁護士費用が計上されたことから
それがわかったのだが、内容は市政に関心がある人たちも
思いつかないようだ(自分も知らなかった)

養鶏場の土地の買い取り価格が異様に高額で行われたのは
市に損害を与えているとして、被告はその損害分を市に
支払うように求めた裁判はもうすぐ結審で、これは承知している

もう一つは、裁判をする段取りの1つとして行われた
住民監査請求(市のHPにアップされている)の報告を読んだのだが
正直なところ法に疎いので内容が分からなかった
(赤道がどうのこうので、違法な道を使わないようにすべきなのに
   市はほったらかしにしている?とか、、これは人に伝えられるほどの自信はない)

それから太陽光発電に関することであるような話を何処かで聞いた

いったい他の自治体では行政裁判はどの程度の行われるものだろう
職員の交通事故に関する裁判などは、ある程度の確率であるかもしれないが
深刻な問題提起となる裁判(養鶏場のような裁判)が多くあるのは自慢できるものではない

4年前の4月の新聞にこのような裁判の記事が載った


これは当時、このブログでも扱った案件で
今となってはすごく昔のことのように思えるが
一番の問題は、この案件を市民の中に知る人は少なかったことだ

そして残念なことに養鶏場の裁判もほとんどの人は知らないでいるし
今度の赤道がどうの、、という案件も知らない人が大半

市民は何も知らないでいても市政が上手く回っていれば良いのだが
お金に関することは財政に余裕がないので、無駄な出費はしないでほしい
と思うのが庶民感情だ

昨日のブログテーマ「ミルの忠告」にも通じるが
善人の袖手傍観とか無関心層の存在は
今がどんな現状であったとしても今を追認することになって
ついには自分の首を締めることになりそうと不安を覚える

でも、裁判のことを知らない市民が大半という事実と
頻繁に裁判沙汰が起きているというのは相矛盾する気もするが
どちらもあまり好ましいことではなさそう

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中止・継続の判断基準をあらかじめ決めておくべきだと思う

2023年10月25日 09時37分54秒 | 新城・地元に関すること

アメリカでは結婚する時、将来離婚した場合の対処法を予め決めておくそうだ
将来のことは誰もわからない
だが、ある程度未来を想定して考えておくのは現実的と思われる

国や地方自治体の事業は、走り出したら止まらない傾向が強い
インフラ整備などはある程度仕方ないとしても
果たして続けていく意味があるのかと思われるものの
ダラダラと続けていたりする

本来は最初の事業計画実施について議会でしっかり検討されていれば良いのだが
地方自治体では多くの場合、予算化された事業はすんなり実行に移される

今でも覚えているが、その事業の補正予算が提出された時
自分は直感的に反対だった
それは何よりも現実感がないよう思われたからだ
その事業は新東名高速道路経由の新城・名古屋の直行バス運行だ

ます頭に浮かんだのは使う人がいるのか?
いるとしても、JRと比べて競争力があるのか?だった

新城市のJRの多くの駅からは一日のうちの名古屋往復には
この事業が明らかにされた当時は
平日は1960円、土休日は1640円だった
(現在は2000円と1680円)

これに対抗するバスの運賃は片道1000円で
利用できる時間は3往復のどれかを使うしか無い

直通で乗換なしに約一時間で名古屋(藤が丘・長久手)
に着くとしても名古屋の中心地に行くには地下鉄が必要で
実質的には運賃も時間ももう少しかかる

本数の多い便利さと料金でJRに勝てるのだろうか?
そのことが頭を離れなかった

この事業は当初営業運行ではなく、実証実験として行われることになっていて
事業費用の半分が国の補助金が使えるとされていた
実証実験は3年半に渡るものとして、初年度に6000万円を国から交付され
一年目の運行費(半分)とバス購入費として使われた

運行費の半分が国から支給され続けると思い込んでいた市が慌てたのは
この補助金が2年目以降補助金の対象外となったからだ
つまり委託事後業者(バス会社)に払うのは
全額市から捻出しなければならなくなった

この計画は、名古屋市と新城市の通勤・通学者を増やすことが目的とされ
目標値(KPI)も威勢のよい数字が掲げられていた
(補助金をもらうために大風呂敷を広げたのだろうか)

ところが半年運行してわかったことは、予想通りの苦戦だった
目標値には遠く及ばない数字(3分の1くらい)で
エクセルでグラフをかいて予想の補助線を引くと
その伸び方は悲しいくらい低迷していた
(それは驚くと言うよりやはりと思ったものだ)

この事業は実証実験を終えた後、営業運行として続けられている
利用者数は一台当たり7〜8人くらいで、
運賃だけの収入ではバス会社がやっていけないので
毎年最初から赤字分を見込んだ予算案が計上され補填されている

運行自体は既に日常化していて、利用者はそれなりの便利さを感じている
と思われるが、この事業について違和感を持つのは
この事業目的がコロコロ変わったことだ
通勤・通学者を増やす、、といったものから、地域間交通の重要性に変わって
目標数値も当初示した(KPI)ではなくて、新たな概念(輸送量?)に変わっている

ただ少し助かるのは、バス会社が地域間交通の補助金を国からもらえるようなので
幾分かは市からのお金が少なくて済むようなこと
(その場その場では努力しているようだ)

そこで本日の本題!
まずは、何年かに渡る事業は最初の選択が肝心で十分に検討されるべき
(議会もしっかりチェックしてほしい)
次は、その計画を継続する中止するの判断基準を
予め設定しておくことが必要なのではないか

冒頭にあげた、結婚時に離婚の際の対処法を決めておくのと同じように
自治体の継続事業は計画時に継続・中止の基準を決めておくべきだと思う

それともう一つ、国からの補助金をあてにして事業計画すると
後々困ることになりそうだから、これには慎重に臨まないと良くない

これはつくづく実感することだ










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開催されない住民説明会

2023年10月16日 09時41分30秒 | 新城・地元に関すること

長篠・設楽原の戦いの馬防柵付近のソーラー発電に関しては
先日事業者からの住民説明会が行われた
再生エネルギーの必要性を説き、住民の了解を得た上で実施したい!
と約2時間に渡って丁寧な対応が見られた

この事業者の姿勢と比べて(悪い方に)際立つのが
新城市の南部工業地帯にある産業廃棄物中間処理施設企業だ
(T興業)

計画発表時からこの企業の進出には反対意見が多かった
この事業者は他の地区の評判も好ましくなく
(悪臭とか不法投棄、一部行政指導などをうけたなど)
その上、製造業と物流業に限定された工業団地に
そのいずれかでもない産業廃棄物中間処理企業が
進出した事自体が違和感を持たれることになった

この県所有の工業団地への進出はとても不自然な流れがあった
この工業団地の土地は元々、一年と少しで倒産した企業のもので
県の競売にかけられたのだった
だが、製造業と物流業に限定された制限は有効なはずと思っていたところ
(条件に合わない場合は、県が購入価格と同じ金額で買い戻す契約が生きている)
この買戻特約は知らないうちに破棄されていた

買戻特約の破棄された経過は腑に落ちないとする人が多いが
話を聞けば確かに不思議だと思う

この中間処理施設は普通なら申請してから1年ほどで県は
操業許可を出すところだったが、地元住民の反対運動の声も大きく
そのせいで(?)長いこと操業の認可は下りなかった

ソーラー発電所と同じように事業申請書類が出されると
書類に不備がない限り申請は許可されるのが一般的なようだ

結局、県は操業許可を下し、地元住民が心配した悪臭は
いつもではないが時折実感する羽目になった
悪臭防止法における臭気指数は1号基準、2号基準を超える場合が
数回計測されることとなった
(悪臭の被害については市で対処できる事になっている)
これが確認された時、地元の住民は当該企業に住民説明会を開催するように求め
市も要請しているようだ

ところが、それは今まで一度も開催されていない
開催されない理由は漠然としたものだ

少なくとも企業として誠実なのはソーラー発電の方か
中間処理施設の方かを比べると、圧倒的にソーラー発電の方に軍配が上がる

こんなことは比べても意味はないが
如何に運の悪い成り行きになってしまったのか
と実感せざるをえない






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2つの新聞記事(ソーラー発電所とNGリストに関するもの)

2023年10月07日 09時45分15秒 | 新城・地元に関すること

先日の「八束穂地区における太陽光発電所建設に関する
住民の皆様はじめ関係者の皆さまへの説明会・意見交換会」
の新聞記事が今日の朝刊に掲載されていた

ここで気になるのは、事業者はどのような印象とか感想を持ったのかという点
思いの外、反対の声はなかったと解釈するのか
それとも新城の観光資源としての意味とか存在価値とか
今までそれを保存してきた人々の努力を蔑ろにできないとするのか
いったいどういう結論を出すのだろう

このソーラー発電の計画に関する新聞記事は客観的に報じてきただろうが
それを読んだ人の心をコントロールまではできない
先日の説明会では土地を提供する地権者の人々は
自分たちが「悪者扱い」される羽目になっていると怒りを現していた

ソーラー発電に反対する人や地域の人達は「地権者を悪人扱い」をしないために
先日の会では穏やかに対処していた

でもこの中日新聞の記事を読んだ人は、計画中止の淡い希望を持ちそうな気がするが
そこまでのトーンはないのだろうか

話は変わって、もう一つ、新聞記事で気になったのが「NGリスト」に関するこれ
(これは昨日の新聞記事)


官邸での会見にNGリストは存在しない
と官房長官が答えている旨を伝えている
だがこれは「誰々がこう言った」と言う類の記事で
それは本当のことかどうかはわからない

新聞記事はこの様な「誰々がこう言った」という種類の記事は
極力やめてほしいと思う

実は数年前、新城市では新庁舎建設に関して住民投票が行われ、住民は縮小案を選択し
そのあとで行政と縮小案を訴える住民とで実協議が行われたことがあったが
その協議の結論を報じた新聞は「市長はこう言った」と言う類の記事が掲載された
それは実務協議の両者が同意した結論ではなく、市長の立場の意見だった

また、これとは違う他の件でも「市長はこう言った」類の記事があった
それは赤字を続け続け、いつの間にかその目的すら変わってしまっている
新東名高速道路経由の新城名古屋間の高速バスの存続についてだが
住民有志は高速バス運行の中止を求める署名を集めて市長・議会に提出したが
その翌日新聞には「高速バスは継続と市長が言った」の記事が開催された
この時新聞には中止を求める署名のことは少しも触れられていなかった
(何故なんだろう)

新聞記事は掲載されると、その時点で真実と思い込んでしまう人が多い
「誰々がこう言った」はいつの間にか既定路線になってしまっているのが現実だ
このバスの件では、議会が反対すれば予算が下りず継続はできないことになる
にも関わらず住民はこの記事で決まったものだと勘違いをしてしまう

読む人が少なくなって、紙媒体としての新聞は存在そのものも危うくなっているが
人々に影響を与える力はまだまだ健在だ
(ネットニュースも元をたどれば新聞記事が多い)

いろいろ経験して、少しばかりズルくなると表に出ていることがすべて
とは思えなくなって疑い深くなっているが、世の中にはそういう人も必要!
と思うことにしている

いつもの、まとまらない話!

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馬防柵付近の太陽光発電に関する住民説明会

2023年10月06日 09時54分26秒 | 新城・地元に関すること

夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 

奥の細道の中の芭蕉の有名な句だ
多くの日本人はこの句から漠然とした無常観や
時の移り変わりの寂しさを感じ取ることができる(と思われる)

目に入る風景が青々と伸びた夏草ではなく
ソーラー発電のパネルだとしたら、人はどのように感じるだろう
風情も何もあったもんじゃない
時代の変化がよくわかって時の残酷さが際立つ
何も感じない、、、などなど様々だろう

フトそんなことを考えたのは、昨晩、新城市八束穂の公民館で行われた
「八束穂地区における太陽光発電所建設に関する住民説明会・意見交換会」
にでかけたからだ
この場所は長篠・設楽原の戦いで武田軍が織田・徳川軍の馬防柵からの
火縄銃攻撃で壊滅的な敗戦を被った場所で
地元の有志による「設楽原を守る会」では、毎年、馬防柵の保守点検や
草取りなどを行い、歴史上重要な出来事の起きた場所を保存している

その場所に、ソーラー発電の計画があると新聞紙上に報じられたものだから
関係者は驚き・慌てた
風景を損ねるソーターパネル、なんとしてもそれは阻止したいと願う
「守る会」は直ぐ様行動を起こし、この計画の中止を願う署名活動を行い
その署名簿を事業者に提出した

新城市では新たにソーラー発電事業を行うには
条例で決まった手続きによることになっている
その中には「住民説明会」の開催があり、昨日はその説明会だった

新聞でも数回掲載されたこの案件は市民の関心度も高く
八束穂公民館には八束穂区の住民だけでなく
守る会のメンバーはもちろんの事、議員さん、郷土の歴史家、市職員
報道陣などの多くの人が集まった

事業者は京都に本社をおくエクソルで、18時から用意した資料とか
今どきの文明の利器(ズーム)を使い経営者の挨拶を交えて
手際よく説明会は進められた

もしかしたら荒れた説明会になるかもしれないと危惧したが
今回の事業に土地を提供する人も地元の住人で普段から顔を合わせる人
彼らの土地を提供するに至った気持ちも分からないでもないので
事業中止を願う人も強い態度には出なかった(本当に地権者の人を慮っていた)

驚いたのはここでは事業者に対する意見交換がメインであったのも関わらず
行政への不満(何もしないこと、知識がないこと、色々明らかにしないこと)が
数多く見られたことだ

実際のところ、この様な事業の可否はなかなか難しい
手続きさえちゃんとしていれば禁止できる法はないようだ
だがそれでは今まで古戦場を守ってきた人の気持が晴れない


事業者はソーラー発電事業の意味をいくつかの観点から説明し
それが社会的に必要なものであると訴える
そのように社会正義的な視点から諭されると
事業を中止して欲しい人たちの反論はなかなか難しい
しかも地権者は知り合いの人達で強く言いづらい、、

だがこの問題は、実は情緒的なものをどのくらい重要視するか?
という点でもある気がする
再生エネルギー事業の意味とか耕作放棄地の問題(地権者の抱える問題)
とかは確かに無視することはできないが、少し夢想家の自分は
あるべき風景はどのようなものがふさわしいいか!
といった価値判断をもう少し検討したほうが良いような気がする

言葉や数字で説明できる効果とか利益ばかりではなく
その存在自体の漠然とした価値、、
そうしたものに価値をおくかどうかが、実は問われているような気もする

説明会・意見交換会では非難が多かった行政だが
事業者が市に事前確認に行ったときには、市は
「関係法令上は問題はないが、当該地は市が史跡に指定している地域の一部であるため
 景観上の観点から太陽光発電所の建設を再考してほしい」と答えているようだ

ところでソーラー発電の計画場所は、残念ながら馬防柵からしっかり見える場所
市には今のところ景観条例はないし、仮にあったとしても強制的に
ストップさせることはできないらしい

こういう時、市が良い解決策(聞いてみると多くの人が同じ意見だ)を提出してほしい
と思っているが、さてどうなるのだろう



 

 

 

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信康さんの本陣地

2023年09月12日 09時01分19秒 | 新城・地元に関すること

地元だからそこは何百回も車で通過していたし、ジョギングのコースにもなっていた
しかし、目に入らなかったというか全然気にしなかった
ところが先日は妙に目に入って、写真を撮るまでになった


それは家康の長男信康が、長篠・設楽原の戦いにおいて陣取った場所を示す旗で
有名な馬防柵のある決戦場から西へ数百メートル行ったところだ

それまで気にもしなかった場所が、大河ドラマがきっかけで目に入った訳だが
この場所の他にも武田方の武将が亡くなったことを示す看板も今年になって
やたらと目に入る

歴史が好きなわけでもないし、家康さんや織田信長にひかれるわけでもない
でも、何かに興味を持ったりするのは、ちょっとしたきっかけだと実感する

いつも思うことだが、予習するより復習するほうが頭に入る
京都にでかけても行く前に調べておいたものは頭に入らないが
見学したあと家に帰って説明書等を読むと
それはリアリティをもって頭に入ってくる

家康さんがらみもその例で、ドラマを見終わると信康さんの一生も可哀想なもので
彼はこの長篠・設楽原の戦いの数年後に悲惨な運命を迎えることになるのだが
それを思うと晴れ舞台だったこの場所が一層特別な場所に思えてくる

偶然、運命のように何かが目に入るということは
多くの人にはきっと珍しいことではないだろう
ただそれをそう思うか、気にしないかで済ませてしまうかで
大きな違いが生じてしまう

運命論者ではないが、(出会うのは)必然であった
と思うほうが何かと面白いので、最近は成り行きに任せていることが多い

ということで、長年経ってやっと歴史上の場所の写真を撮った
それだけのこと、、、




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馬防柵付近にソーラー発電騒動

2023年09月02日 08時57分28秒 | 新城・地元に関すること

今日は良く眠れたお陰で体調不良はなんとか持ち越さず
ホッとしたところだ

ところで一月ばかり話題になった新城の出来事を

流石に今は出てこないが、30年ほど前は田んぼを掘ると
火縄銃の鉄砲玉が出てきた長篠の戦いで有名な決戦場の設楽原
(映画影武者の最後のシーンもここだ)
地元の有志による「設楽原を守る会」は戦い当時を想像させる
馬防柵を組んで、毎年メンテナンスを行い
また「決戦場祭り」と題して戦場でなくなった人々の慰霊祭を行っている

近くを通る新東名高速道路は、一部防音壁を透明なものにして
馬防柵が見えるようになっている
「どうする家康」で長篠の戦い・設楽原の戦いが放映された直後は
この馬防柵を見るために、遠くは関東のナンバーの車が何台か確認できた
つまりは、馬防柵は新城市の観光の目玉でもある

この馬防柵のある設楽原古戦場の辺りにソーラー発電の計画がある
と新聞に報じられたものだから地元はちょいと騒動になった
というより慌てた、、といったほうが正確かもしれない
新聞では事業者がソーラー発電の申請をすれば市には法的に
ストップさせる権限はないらしいと報じていた
また事業者は「相談に応じる」ニュアンスのコメントが載っていた

慌てたのは「設楽原を守る会」の人たち(数人は知っている人たちだ)
行動は素早く、計画の中止を願う嘆願書を市長に届けた
彼らにすればいきなりの不意打ちで、なんとか阻止したい気持ちは理解できる

ところが新城市は例に漏れず老齢化が進み、農業する人も体力的にしんどくなっている
設楽原で農業をしている人も、自分の代で農業はお終いにしよう
と考える人が出てくるのは想像できる
農業はできないのでその代わりの金銭を得る方法として、土地を貸す
あるいは売るといった方法を思いつくのはごく自然な成り行きだ
だがその場所がちょっと問題だった

ここからの市の進め方は、慌てぶりが表に出てしまった
土地地権者の気持ちを慮ることなく
馬防柵付近の景観を守るためだけの思考に進んでしまった
それは「守る会」の人々の意向でもあったが

慌てた行政は地権者には市が土地を買い取ったり借地料を払うといった
代案を考える前に、事業者に計画中止のお願いに出かけようとした
すると腹を立てたのは地権者の方々
こうなると何が最善か?ではなく、感情の行き違いになってしまう

その後どうなったのかはどうなったのかは分からないが
(今までの経緯も想像の範囲なので間違っているかもしれない)
とにかく事は一方向からの見方だけで進めると良くないことの典型だ

この事業者は京都に本社をおく企業らしい
この歴史上有名な場所に、法的に問題ないと言って計画を進めることは
この企業にとって社会的なメリットはないと思われる
「強引に計画を進める歴史の財産に無神経な企業」
そんなものが定着するのは、企業価値を下げるものになる
と思ったりするが、どうなんだろう

それにしても、たったこれだけの計画に新城の今の問題
(高齢化、農業従事者の減少)が見えてしまうのは、残念だ

この話はどう決着するのだろう
ある人は「いろんな意味の熱量が左右する」と言っていたが、、、

馬防柵の写真(決戦場祭りから)


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