きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

Frederick・W・Franz (フレデディック・W・フランズ)兄弟最後の日本訪問

2012-10-23 18:25:22 | 日記
当時の統治体の中でフランズ兄弟はひときわ注目していた。

聖書学者という触れ込みもありましたが、小さい体で聴衆全体を鼓舞する仕方

ヘブライ語の伸びやかさを連想させるシンプルな英語に

非常に引き寄せられた。

若かった自分はいつしかフランズ兄弟に会いたい

恋人に熱烈に会いたくなるような抑えがたい感情が湧き出ていた。

一つはフランズ兄弟の祈りをじかに聞いて神を近くに感じてみたい気持ち

があった。

そして聖書の言葉をどのように黙想するのかも知りたかった。

そして、この信仰を持ち続けてなれの果てにどんな人格になるのだろうと

その事も知りたかった。

だから、東京の大井競馬場にフランズ兄弟が出現すると聞いた時

いてもたっても居られなくなり

また、普通電車に何十時間ゆられて大井競馬場に来た。

もちろん会衆のお兄さんのようなお姉さんのような兄弟姉妹に

総反対を受けた。

阿部孝 兄弟の親戚が競馬関係をしているかねあいで当時競馬場が

よく特別講演の会場に選ばれていた。

いなかから、はじめて浜松町のモノレールにのり

会場について驚いた。

忽然と一世紀のクリスチャンが20世紀に出現した感があった。

その光景に心底感動した。

統治体の秘書をしていたロバート・ウォーレン兄弟が

ペテロ第一に基づく知的な話をし

バリー兄弟が印象の少ない話をした後

フランズ兄弟が老人性盲目で目がほとんだ見えない状態で

イザヤ66章201節、1節 聖書も読めないのに正確に

聖書を暗記して話した。

フランズ兄弟が

(アライジャ、アライシャー、じょーんざバプテスト)

とエリヤやエリシャ バプテストのヨハネを名指しで呼んだ時

本当にそうした預言者が生きていたのを実感した。

神の言葉におののく

trembling ということばが心底響き

創世記3章の女 の 胤  と  蛇の 胤 の長い歴史が

20世紀まで続いているんだと実感した。

話が終わるとバリー兄弟の周りにはほとんど人が集まらなかったが


フランズ兄弟の周りにはマイケルジャクソンを囲むように

ものすごい人だかりができた。

(だめだ。こんな状況ではフランズ兄弟に近づくことすら無理だ。)

フランズ兄弟に近づく群衆をベテルの兄弟たちが追い払い道を作ろう

としていた。

そのとき背の低いザアカイがイエスに近づこうとした時、群衆で

近づけないでイエスの通り道を計算して木に登った聖書の記述を思い出した。


大井競馬場のフランズ兄弟のゆく方向を計算しそこで待っていると

驚いた事にフランズ兄弟が目の前にやってきた。

知ってるだけんぽ英語でフランズ兄弟に近づくと

フランズ兄弟が自分の方に来て自分の話す怪しい英語に

じっと右耳を傾けて聞いてくれた。

そして、大いに喜び

( I SHALL COME BACK TO JAPAN!!!)

といって自分に約束してくれた

手がほっそり長ほそく、握手すると品のよい冷たさが感覚に残っている。

近くで見るフランズ兄弟は威張るところが一つもなく

まるで子供のように純粋だった。

幼子のように純粋でなければ天の国には入れないという言葉を思い出した。