きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

お礼

2012-12-15 08:22:51 | 日記
エホバの証人の集会に行かなくなって5年くらいかな?

いつから行かなくなったのかも覚えていない。

教理や組織の在り方や実際の長老や巡回監督をせめても

否定できないものがあった

それは、あの空間と時間を愛し合った人たちだ。

愛していたという自分の感情だけは否定できず

苦しんだ。

一切かかわらずに何度も生きてゆこうとした。

そのたびに年末の一番最後の電話が

別れて10年もたつ子供が電話してきたり

夜中の11時に眠りに就いたかと思ったら

一緒に遊んだ5歳の女の子が家の近くまで来たからと急に懐かしくなってやってきたり 

なかなか断ち切れなかった。

自分がその人たちを愛したという事実を否定しなければ

生きてゆけないことに全人格を否定する悲しみにあった

それで、このブログのタイトルを選んだ。

愛したという現在と関係のなくなった過去形でなく、

愛してきたという現在完了形で現在とのつながりをわずかに残したいと思った。

当初、ネットでかかわってゆくのはやめて行った人たちかなと想像していた。

ところが、自分が想像していた事をはるかに裏切る幅のある現役の信者たちに

たくさん出会うことになりました。

そして、孤独な時間を

ここいる現役の信者の皆さんとやり取りで

また愛情が芽生えてきて。



昔のクリスチャン会衆を思い出し、

また同じ事を繰り返している自分に気が付きました。

自分はもこさん以上に罪な事をしているように感じ始めました。

自分自身は全く離れているのに、

一生懸命生きている現役の信者のみなさんにかかわってゆくのは

みなさんにとって、悪い事のように思い始めました。

そして、一人一人の問題に自分がいかに助けにならないかという事も

改めて痛切に感じました。


それでも



わずかな10カ月

本当のクリスチャン会衆に交われたようで幸せでした。




ここで出会った人たちの事は忘れないで、自分の人生の素晴らしい宝石として

またしばらく生きてゆこうと思います。


様々なトピックがあるのでそれで皆さん自身極めてみてくだい。

エホバの証人の問題は深いです。

一つの事を批判して解決できる問題ではありません。

なぜなら、根っこに愛があるから。


I have loved them.




一晩川の流れだけを聴き続けて

2012-12-14 06:12:24 | 日記
一晩きれいな川の絶え間ない水を聴きながら、
いつ寝たのやら、
いつ目が覚めたやら

まんじりともしない夜を、

一人で過ごし

まるで、寝床がかわに浮いて流されてるみたいな感覚になりました。


そして、人生は、川の流れのようと

よくいわれますが、


生まれて川のながれのような時間を過ごし

どの人とも永遠の関わりはむすべず

川のように、流れの節々に関わり


それでいいのじゃないかと


おもいはじめました。

そして、自分も永遠に関われず

川下に流されてゆく。


ひとは、それが怖く

永遠者の神を立て、自分の存在も

永遠の存在と憧れるのかもしれない。



でも、自分はこの清い水の上に、浮かびながされてゆくだけで
いいやと思います。

流されてゆく他の人と

わずかながら手を合わせたり

触れ合えるだけでしあわせだ。

流される途中、時々眠ろう。


目が覚めたら覚めよう。


満員の書籍研究での悪夢

2012-12-13 22:58:49 | 日記
その満員の書籍研究で五才になる
天真爛漫な少年が

退屈な書籍研究の最中、

眠気まなこに、そっ~とトイレにでかけた。

こんなに小さな家だったのに

トイレだけは、昔ながら大と小があた。

何気なく用を足そうとした瞬間

その少年の人生最悪な悪夢な瞬間が

おとずれた。

なんと古いその家で


ズリッと


小便器がその少年に向かって倒れかけて来たのだ。

なすすべもない哀れな五歳児は、


とっさに、両手で小便器をかかえたまま

熱気ある書籍研究を尻目に

小便器をかかえて立っていた。

いまでは、この子は、長老となり、

会衆を移動した。


川の流れをききながら、


その兒のかかえた気持ちを思い出して

川の流れに心を洗い

2012-12-13 19:54:10 | 日記
四畳半二間 家賃13000円の借り家は、

いろんな意味で恵まれていた。

横に車が10台近く停められる駐車場があり、その家で書籍研究を開いた。

当時まだ、奉仕の僕だったけど、

書籍研究の司会をした。

沢山の姉妹たちが自分の子供たちを連れて出席した。

毎回聖書のイザヤ書を暗記してくるよう励ました。

社長の1人の兄弟は、書籍研究の司会者の机にと電線を巻くドラムの木でタールを塗って机を作ってくれた。

四畳半二間に毎回40人がビッシリ座っていた。

最高には、69人が座っていた。

その中には、ギレアデを卒業して今

外国で働いている兄弟もいた。

あの頃、お金はなかったけど、

食べ物と笑い声が毎日あり、

お昼は、みんなで集まってラーメンやうどんやそばを作って
お昼ご飯をみんなで食べるのが

楽しみだった。

お互いを、心底信じあっていた。

かけがえのない時間だった。


その時間は、決してもう流れてこない。


静かに川の流れる音をきいている。