きょうを生きて living in a moment

毎日 死ぬ直前までひとは生きている。

どうせ死んでおわる人生なら

本当に本気で生きてゆきたい。

中 休み

2012-04-18 08:15:35 | 日記
いろいろと書こうと思いましたが、

また思考が止まりました。

JW時代に、この30年に見聞きしたことは、何万ページ書いても足りないくら

いのトピックがあります。

一般大学に行き、一般企業に進んでいたら

こんなにたくさんの思考的経験や人との経験をしなかっただろう。

100近くの言語を話す何万人もの人に直接会話する経験は

JWにいたからかもしれないし、それはそれで財産なのかもしれない。



読んでるみなさんの多視覚のコメントが読みたくなりました。

みなさんのコメントをまたお願いします。

初コメントの人もいましたらありがたいです。
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今年の記念式で会ったアメリカ人

2012-04-17 07:35:58 | 日記
今年の記念式で、ニューヨークからきたビジネスマンに会いました。

彼は、オープンマインドな兄弟でビジネスとJWをわきまえている感じでした。

彼がニューヨークの会衆で

執筆部門のDAVID SPLANE と親密に交わるロケーションにあります。

DAVID SPLANEについての印象はintelectual と modesty でした。

ほかにジェフリー・ジャクソン アントニー・モリス3世 スチーブン・レット

ゲリト・レッシュ兄弟ともしたしくしているようです。

こうした統治体の成員を個人的に観察して好印象をいだいていました。

彼が観察したいようの観察は謙虚なふるまいをみていまいました。

また、アメリカに行って新しい統治体の兄弟たちと意見を交わしてみたくなり

ました。



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1マイルの奉仕に徴用するならば

2012-04-16 10:41:38 | 日記
昔わからなくて今よく味わう言葉に

マタイ5章41節があります。

また,だれか権威のもとにある者があなたを一マイルの奉仕に徴用するならば,その者と一緒に二マイル行きなさい。


若いころはそんな不合理で無駄なことをなぜしなければならないか

反発していた。

しかし、この年になってみると人生の問題と対処をよくいいあてた言葉だと思い

ます。

よきにつけ、あしきにつけ人生のほとんどは

自分より上の誰かが1マイルの奉仕に徴用する

義務感や使命感で行う仕事がほとんどではないかと思います。

命令を出す人もその義務を果たす事しか期待しない

ゆえに成し遂げても命令を出す人も命令を行う人も何の喜びもない結末が待っ

ている。

そこをイエスはそのものと一緒に2マイル行きなさい。

と教えてる。

1マイルの徴用が終わってさらに歩き始めたら命令を出した人は何を感じるだ

ろうか?

この事態を作るのが人生の醍醐味なのだ。

義務感から始めたものを別の領域にもってゆく。

仕事にこれをあてはめていったら本当に楽しい結果の連続になります。

いかにサプライズで終わるか?

エホバの証人のブログサイトには、こうした不満が多いのは

奉仕に徴用されたことを使命感や義務感で行ってきたからではないだろうか?


明治維新の立役者 高杉新作の辞世の句に

おもしろきこともなきよを

おもしろく

とイエスの言葉に通じる心境があります。

私の司会者は巡回監督でしたが

彼が目標にしていたことの一つは

会衆の取りきめ表にのっていない良いことを一つ

会衆の長老に知られないようにすることで小さな幸せを見つけていました。

開拓者も補助開拓者も要求時間をこなしてたら何の喜びもないでしょう。

要求時間を越したあたりから事件は起きるのです。


イエスはいマイル徴用された時、一人で2マイル歩けとは言わなかった。

その不快な命令を出したその人と一緒に2マイ

ル行きなさいと言われた。

私は何度も何度も1マイルでその人の役目は過ぎたと思った瞬間

さらに一歩踏み出したときの命令を出した人の仰天した顔を想像し

一人でニヤニヤしてします。

これが人生の醍醐味だ。

しなければならない世界を
したい
世界に変えてゆけるのは

自分だけだから。。。。。。




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一日大会の結びの話 2

2012-04-15 08:15:17 | 日記
この話で話された経験は良い内容だったと思います。

太平洋の宣教者の姉妹の経験です。

一人の不活発の姉妹と研究するように割り当てられた姉妹です。

その宣教者の姉妹がこの現地の不活発の姉妹と研究したけどお持った進展が

なかったそうです。

その後、宣教者の姉妹が任命地を変え、研究していた姉妹と別れるとき

何も役に立てなかったような内容を述べたそうです。

すると、その現地の姉妹は、


ぽそっと、涙を浮かべ

(私はこれまで 会衆の誰も自分のことをを愛してこなかった。・・・。)

と述べたそうな。

宣教者の姉妹はその現地の姉妹をまっすぐにみすえ

( わたしはあなたを あいしてる。)

と述べてギュッとその現地の姉妹を抱きしめたそうです。


この話には聞いててじわっと涙がにじんで、ほほをとめどもなく伝わりまし

た。



この一日大会で扱われた聖書の言葉は深く考えるに値する言葉です。


わたしなら、このように扱って考えさせたい。

(テサロニケ第一5章14節には、エホバの証人ならだれでも知っていること

弱ってるものを支え、憂いに沈んだものに慰めの言葉をかけることが

勧められ会衆の中の弱っている人の支えになるように促されていると思いま

す。弱ったものを支え、憂いに沈んだ魂に慰めの言葉をける前に何をするよう

いっていたか思い出されるだろ?


無秩序なものに訓戒し

と奨めています。

この無秩序とは、秩序を乱すという意味より勤めを怠るという意味があります。

エホバの証人的に当てはめてみると奉仕や集会などの勤めをしなくなった

不活発な人たちにあてはめて考えて行けるかもしれません。

訓戒しとは、コリント第一に書いてありように厳しくしかるというより

優しく思い起こさすというニュアンスがあります。

事実訓戒するというギリシャ語 ノウテテイテにはあなたがた思いにとめてお

くという意味があります。

どのように思いを留めますか?

テサロニケ5章14節に出てくる3種類の人

無秩序な人、憂いに沈んだ魂、弱った人

含めたすべての人に辛抱強くあるようにと結ばれています。

どのように辛抱強くしますか?

ここで、先ほどの太平洋の宣教者の経験を考えます。

弱ったる人に一番必要な事が何かこの経験は教えています。

その人個人を別の個人が本当に愛する

ただ、それだけです。

会衆の取り決めという名目も、宣教者だという立場もまたギレアデ上がりの

見事な教えのすべも何も自体を変えられなかったのです。

この姉妹の心に到達したのはたった一言

私はあなたを愛している

だったのです。

このことはわたしたちに鋭く何かを問いかけていないでしょうか?

不活発になって行く人たちは一つの原因でなく

人に言うにいえない複雑な様々な重荷をまとっていてそれがわたしたちが

推し量れない辛い状況になっている場合があります。

それで、この有名な聖書の言葉の続く聖書の言葉は非常に考えさせる言葉です。

全ての人に辛抱強くありなさい。

と奨めた後で

だれも、また誰にたいしても、危害に危害を返す事のないようにしなさい。

と奨めているのです。

たすける側がよかれとおもってしたことがきつい言葉になって帰ってくる

ことがあるかもしれません。

どのように洞察しますか?

ヨブが苦しかった時にその理由が説明されいます。

今や逆境が海の砂より重いいからである。

だから、わたしは乱暴な言葉になったのだ。

砂だけでも重いのにその砂に海水が含まれたらどれほど重くなってることか

あの優しい族長のヨブが乱暴なことになっていたのをそうできるだろうか?

たとえば、抱えきれない30kの丸いしをかかえてるところにスーツを着た

男が手をその石の上に持たれかけて優しい言葉をかけようとするなら

(その手をどけろ!!!)と乱暴に話してしまうのではないだろうか?

こういうことを想定して、よわったひとと接して何を言われても驚かない

必要です。長老たちは特にたすけている人たちの乱暴な言葉を聴いて

個人にむかって暴言を吐いて攻撃されたと勘違いして

危害に危害を返す より厳しい措置を講じることがないよう自分に注意をしな

ければなりません。)

こんなふうにもってゆきたいな。




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1日大会で結びに話された不活発な証人へのメッセージ

2012-04-13 08:25:42 | 日記
期せずして一日大会に行きました。

驚いたことに、ベテル講演者からの結びの話には不活発な人に対するメッセージ

が含まれていました。

ただ、残念なことに出席してる現役な信者たちは、その意味に深く考えず

ひいては、新米のベテル講演者にはその意味が無頓着な様子だったそうなので

もう一度その素晴らしい洞察を紹介したいと思います。

( )は私の所見です。

テサロニケ第一5章14節

無秩序なものに訓戒し、

という聖書の言葉だ。

無秩序というのは、怠ったという意味があるので

エホバの証人的には集会や奉仕に出なくなった人

不活発な人に相当するというのだ。

訓戒するという言葉は厳しいいい方ではない。

参考として、コリント第一4章14節です。

そこには、愛する子供として訓戒するという風に

訓戒が非常に愛情深い優しさを連想させるという事が比較されてます。

それで、不活発な人に愛情深く優しく接する

(まぁ。無理でしょうけど。。。。。)

時には不活発な人が精神的な苦痛などから、乱暴な言い方をされるかもしれない。

テサロニケ第一5章14節に続く15節にはさらにこのように展開しています。

また、だれにたいしても危害に危害をかえすことのないようにしなさい。

とパウロの言葉が続きます。

時には、不活発な人が乱暴と燃える言葉を出す事があるかもしれません。

それでも、長老はそれを自分に対する攻撃とみなし、危害に危害を返してはな

らないのです。

参考としてヨブ6章2節があります。

そこには、

今やそれは海の砂のように重いからである。

だから、わたしの言葉は乱暴な話だったのだ。

とヨブが乱暴な話し方をしたことが告白されています。

その原因は身体的、精神的な苦痛がヨブにとって砂のように重たかった

事が原因でした。

長老たちもの不活発になった人に個の洞察をはたかせるなら

個人攻撃と思える言葉聞き流す事ができるというのです。

(しかし、エホバの証人の会衆で残念がらこのことが実行に移されることは稀です。乱暴な話を受けた長老、(特に二世の長老が)個人攻撃を受けたと思い乱暴な話をしている人をさらなるすく週を込めた気概を働かせてしまうのです。パレスチナのアラブとユダヤの闘いみたいにやったらやり替えづという原則が会衆の成員と未熟な長老との間に繰り広げられてゆくのです。)

聖書は14節でさらにこのように続いています。

むしろ、たがいに対し、また他の全ての人にたいして、常に良いことを追い求めなさい。

常に喜びなさい。

絶えず祈りなさい。

すべてのことに感謝しなさい。

(たしかにこのような精神態度でいた時、人生で経験するどんな事態に陥っても

常によろこべる

喜びも悲しみも含めて

全てのことに感謝できる)


聖書は何と完璧な助言を与えているのでしょう!!!!

それに対してエホバの証人は何と鋭い対照をなして聖書を適用してこなかったのでしょう。


残念なことにこの話に心を留めた現役のエホバの証人は少なかったようだ。

あるおもだった監督だった人はこの話の最中は寝ていました。

これが現状です。

日本の現役のエホバの証人たちにが不活発な人を本気で愛しているはずがない

のです。

なぜなら、現役の人たちにはその痛み、悲しみの深さがわからないからです。

また、現役の証人たちは不活発な人がどれほど愛してきたかということも。











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