きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

1979年11月22日 の めざめよ の優れた助言

2012-10-04 12:03:49 | 日記
普通のエホバの証人にとって

研究生から集会出席 伝道者の資格 バプテスマ 補助開拓

正規開拓 後は付加的な 特権 兄弟たちだと 奉仕のしもべ

長老 ベテル奉仕者 巡回監督 値域監督 支部委員 統治体の援助者 統治体

と上昇志向になるようにところてん人生が待っています。

何かを成し遂げたら それに満足しないで さあ次は?という

プレッシャーに立たされるのです。

どこまで行っても満足がえられず、それに達しないと祝福されてないんじゃないかと不安になる。

そんな皆さんに

1979年11月22日号の幸福の追求をじっくり黙想するようにお勧めいたします。


この記事は依然ギレレア学校で教官のジャックレッドフォードが扱った事があります。


その文章の概要をもう一度引用してみます。

(私たちの社会は、今を生きる方法教えてくれるものがありません。
この社会のあらゆるものはこの問題を避けてとおろうとする。

学校に入ったときから、親や先生は さあ次は?という

大学に入ったらまた さあ次は?

私たちは幼いころからこの考え方に慣らされいる。

いつも先の事を考えるように慣らされるのだ。

その考え方をどこに行ってもあてはめる。

何か素敵なMAGICが未来にあるかのように考え、それがおわると

そんなに変わらないのでまた次の未来を夢見てしまうのだ。

もっと大きな意識を持って、高められた自覚を持って生き

しれによって一刻一刻を掘り下げ

掘り下げた世界を満足で満たす。

こうした異なった種類の生活を育まなければならない。

普通の人は一刻一刻軽く見て 明日を夢見るけど

自分たちの手中にあり

可能性を秘めて震えているのは この瞬間で

まだ訪れない未来ではない。

一刻を味わい

、一国に注意を払い

その瞬間に生きてはじめて

私たちは本当に生きていると言えるのです。


)))

本当に素晴らしい意見だ。

何度読んでもほれぼれとします。

今のエホバの証人がこのアドバイスに従ったらどんなに素晴らしいだろう。

ギレレアの学生にこの事を教えたレッドフォード兄弟も素晴らしいと思います。


もうひとりの意見も優れている。

(試験の監督官となったその人は45分間人生について黙想した。

すると人生を目的と結果の連続と見ていた事に気がつく。

卒業、学位、結婚、子供の誕生、昇進など 

それで、この人は目的地に到達した事で自分の人生の幸福をはかる事

をやめようとする。

人生全体を目的でなくやむことない行程で、その一刻一刻は自分が楽しむために

存在すると感じるようにするのだ。


何かを成し遂げては次の成し遂げる者を決めその達成で幸福をはかる事をやめようとするのだ。

彼はこのようにいいます。



むしろ、目を覚まし、自分の進む道筋でであうすべての事に感謝する事だ。


あなたの楽しみのためにそこにさいている花をめで

日の出やかわいらしい子ども、笑い声、雨、小鳥などに目をとめる。

いつまでたっても気を緩めてはならない将来を待つのでなく。

すべてをあじわいつく

この考え方をあてはめると

目的と結果が幸福を与えるのでなく

人生の全行程が幸福を与えるものだと気がつく。

幸福に至る道はない、幸福こそ道だから。



素晴らしいコメントだ。

裏付けている聖書の言葉は

伝道の書6勝9節だ。

目で見る事は魂の歩き回る事に勝る。

という言葉だ。

魂の欲求に従って 歩き回る  環境を変えるより

目で見る

目の前のものを見て満足するほうがまさっている

という意見だ。

この記事の趣旨を牧羊訪問で日本で用いられたら

どれだけ多くの人たちが楽な気持ちになるだろうか?

バプテスマをうけて さあ次は?

目標を持って という励ます人に今度であったら

人生のしあわせを決して味わおうとしない

哀れな人間だと感じたらいいと思います。

一刻一刻を震えるように感じて

時間の空間を腕を広げて飛び

向こうからやってくるものを自分の口元の周辺だけでいいから

大きな口をあけてすべて味わいつくしてゆこう。

人生は喜びも悲しみもすばらしい。

なぜなら、それが人生だから。