さてはてメモ帳 Imagine & Think! 

重要情報をゴミに埋もれさせないよう絵本化 避難所

原爆投下は予告されていた by 黒木雄司

2016-06-11 21:03:47 | 原爆・原発・放射能攻撃
「上げて落とす」や「下げて上げる」に引っかかる人は多いようだ。以下を再掲しておく。

原爆投下は予告されていた by 黒木雄司
http://satehate.exblog.jp/9358512/ 


まえがき

毎年八月六日、広島原爆忌の来るたびに、午前八時に下番してすぐ寝ついた私を、午前八時三十二分に田中候補生が起こしに来て、「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたとニューディリー放送が放送しました。八時十五分に投下されたそうです」といったのを、いつも思い出す。(二五三頁)

このニューディリー放送では原爆に関連して、まず昭和二十年六月一日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと(一五八頁)。次に七月十五日、世界で初めての原子爆弾核爆発の実験成功のこと(二一四頁)。

さらに八月三日、原子爆弾第一号として八月六日広島に 投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を三日はもちろん、四日も五日も毎日つづけて朝と昼と晩の三回延べ九回の予告放送をし、長崎原爆投下も二日前から同様に毎日三回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた

この一連のニューディリー放送にもとづいて第五航空情報連隊情報室長芦田大尉は第五航空情報連隊長に六月一日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告が上申されていなかったのではないだろうかどこかのところで握りつぶされたのだろう。 だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ

(中略)

この記録は私が現在の中華人民共和国南部の広東において、昭和二十年三月十一日付で野戦高射砲第五十五大隊第二中隊より転属し、第五航空情報連隊情報室に勤務、情報室解散の昭和二十年八月二十一日までの約五ヵ月間の日々を記録したものである。したがって人物名、場所名などはすべて実名実在のものである。

(中略)

私もようやく今年は数え年でいうと古稀となり、老の仲間に入ってゆくので、惚けないうちにと書くこととした。書いているうちに先ほども書いたように、原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろと考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない。


平成四年七月   黒木雄司


--
六月二日(月)晴後曇午後七時
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、アメリカのスチムソン委員会は、全会一致で日本への原子爆弾投下を大統領に、ワシントン時間の六月一日午前九時、勧告書を提出しました。また別の情報によれば、米艦載機約六十機が南九州地区の航空基地を主体して空襲し、銃爆撃を致しました。繰り返し申し上げます。

六月四日(水)曇午後三時
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、先般、スチムソン委員会においては、原爆投下勧告を米大統領に進言しましたが、軍内部において軍独自に実験してみる必要が急遽発生したため、本日、実験準備命令が出されました。実験部隊、実験場所は公表されておりません。繰り返し申し上げます。

七月十六日(月)雨午後十時
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日(七月十六日)も米軍P51百機は、前日に引きつづき東海地方の各都市を空襲し銃爆撃致しました。また別の情報では昨日(七月十五日)、米国ニューメキシコ州アラモゴードで、世界最初の原子核爆発の実験に成功致しました。繰り返し申し上げます。

七月二十七日(金)晴午前九時
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、先般来、ドイッ国ベルリン市郊外のポツダムで行なわれていた米英支三国合同会議の結果、昨日(七月二十六日)、米国トルーマン、英国チャーチル、支那蒋介石の米英支三国首脳は、日本に対し無条件降伏を要求するポツダム宣言を発表しました。繰り返し申し上げます。

八月三日(金)晴午前八時
こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、米軍は来る八月六日、原子爆弾投下第一号として広島を計画した模様です原子爆弾とは原子核が破裂するものであって、核の破裂にともない高熱を発し、すべてのものは焼き払われることでしょう。繰り返し申し上げます。

--

黒木雄司 原爆投下は予告されていた 第五航空情報連隊情報室勤務者の記録 より



八月六日(月)晴 by 黒木雄司
http://satehate.exblog.jp/9387059/

八月六日(月)晴
(前略)
すると、「班長殿!班長殿!」と、自分を起こす者がいる。先ほど勤務交替した田中ではないか。

「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたと、ニューディリー放送が放送しております。八時十五分に投下されたそうです」

「あ、そうか。やっぱり。うーん。貴様、席をはずしてだれかに言って来たか」と聞くと、

「隊長殿も上山中尉殿もおられます。上山中尉殿が、黒木だけには知らせてやれといわれ、お知らせに参りました」

「有難う。礼をいっておいてくれ」といって、時計を見ると、八時三十二分。広島に落とされて十七分間で、寝ている自分が起こされ知る

おそらく敵機から交信で敵の司令部に、敵の司令部から放送局に、どうしてこんなに早く知らされるのだろう。あるいは放送局側から敵司令部に係員が入り込んで待機していたのだろうか。どうしてまた、すぐ放送ができるのだろうか。まったく感心させられる。成功のときには、時間だけを打電すればすぐ放送できるように打ち合わせずみだったのだろうか。とにかく、三日も前から打ち合わせしておけばできるのだろうか。ふとニューディリー放送は、本当にインドのニューディリーから放送しているのだろうか。案外、米軍の軍司令部内部に放送設備があって放送しているのではないか、と疑いを持った。

(中略)

午後四時、田中が下番して内務班に戻ってきた。報告によれば、
「NHKも大本営も、広島の原爆についてはまったく何にも放送しません。ニューディリー放送はもちろんですが、重慶放送も広島に原爆が投下されたことについて、どちらも二度も三度も放送がありました」と。

ふと祖母や叔母や従妹たち、あの大手町九丁目の家で、家の焼けると共に重なり合って倒れたのではと不吉な気もする。なんとかみんな手に手を取って生き延びて欲しい。

黒木雄司 原爆投下は予告されていた 第五航空情報連隊情報室勤務者の記録 p253より



八月七日(火)晴 長崎原爆投下予告 by 黒木雄司
http://satehate.exblog.jp/9389254/

八月七日(火)晴
(前略)
すでに十六時間もたっているのに、大本営から何も発表がないとはどういうことだろうか。それとも明日、詳細発表が行なわれるということなのだろうか。  もう一つ問題なのは、隊長から連隊長経由の原爆関係の諸報告は、果たして大本営まで確実に行っていたのだろうか。あるいは、どこかでだれかが握り潰したのだろうか。

(中略)

午前六時、突如としてニューディリー放送が流れてくる。

こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、米軍は来る八月九日に、広島につづいて長崎に原子爆弾を投下する予定であることを発表しております繰り返し申しあげます。

またしても左頭をガツンと殴られた気がする。そういえば九州南部にはたびかさなる爆撃、また北九州地区は八幡を中心に工業地帯を、さらに関門の港湾地帯をたびたび爆撃しているのに、長崎の大造船所のあるところだけは、今度のために残しておいたようだ。

午前八時半下番し、田中候補生と勤務を交代する。勤務は下番したものの、昨日、広島に原爆を落とし、今度は長崎にも落とす暴挙を考えると、自分は胸の中が煮えくりかえる。内務班に帰って睡眠を取ろうとしたが、興奮して眠れない。

(中略)

広島での老若男女を問わずの大量虐殺をして今度はまたも、同じように大量虐殺を長崎でするという。ラジオ放送は一方的だ。なぜ?どうして?と疑問を持っても、答えてくれない。とうとう午前中は興奮してねつかれない。

(中略)

夕食の時に四時に下番した田中に聞くと、
「今日、NHKの臨時ニュースで大本営発表が放送されました。それは前日の広島の被害から新型爆弾を使用せるもののごときも、詳細目下調査中というものでありました。これに対し上山中尉殿は、二十四時間以上も経っての発表で、なぜ原子爆弾と発表できぬのか。日本陸軍では昭和十七年ごろから原子核の研究が盛んとなり、かなり開発も進んでいるはずだ、その専門家に調査させれば、すぐわかるはずだ、といわれておりましたという。

新型爆弾といえば新型爆弾だ。しかし、全身火傷しながら今日生きていた者が明日は死に、今週頭の髪が抜けていた程度の者が来週は死に、今月軽い火傷だいっていた者が来月は死に、単なる爆風だけで助かったと今年いっていた者が来年は死ぬる。上山中尉の解説により知り得た知識だが、この毒瓦斯以上の殺人武器を、単なる新型爆弾だけとだけに止めて欲しくない。


黒木雄司 原爆投下は予告されていた 第五航空情報連隊情報室勤務者の記録 p255-257より



八月八日(水)晴 ソ連参戦 by 黒木雄司
http://satehate.exblog.jp/9397048/

八月八日(水)晴 

午前零時、上番する。下番者田原候補生の報告では、「昨夜午後十時、ニューディリー放送によれば、昨日(八月七日)、米空軍B29百二十機は豊川を空襲し爆撃したと、放送がありました」と。

今日も隊長、上山中尉ともまだおられる。この前隊長は第五航空軍には一機も飛行機はなくなったといわれたが、内地の第一航空軍には遊撃機はあるのだろうか、ないのだろうか心配になる。豊川といえば海軍工廠だが、B29百二十機も来られたんでは、豊川の街全部、蟻の逃げ道もないだろう。ここでも一般弱者への被害が気になる。

隊長は昨日も午前十一時ごろ、連隊長のもとに行かれたそうである。今日も原爆中止の誓願に行くといっておられる。もっとも今日は情報収集の情報室として、一応この戦いの幕引きをすべきだと意見具申をしたいと言われた。

(中略)

「ただ今、北支軍司令部情報室よりの電話によると、これは関東軍よりの電話です が、本日午後零時を期して、ソ連国境より大量のソ連軍が騎馬部隊、戦車部隊、装甲部隊を前面にしてぞくぞくと南下致し、関東軍と各地において交戦状態に入っており、突然の攻撃と火焔放射器を使っての進攻で、防戦大わらわの状態だそうです」

(中略)

ソ連という国のキタナイキタナイやり方はどうだ。

それにしても昨日の朝、明日の八月九日に長崎に原爆を投下するという情報で、左顔面にビンタを食らったようだと書いたが、今度は右顔面を張られたかと思う間もなく、左右入りまじって殴られるようだ。

人の足元を見るソ連の相手が弱いと思ったら、殴りかかるやり方に腹が立って腹が立ってやり切れぬ。自分は共産党がどんなものか知らぬが、人の弱みにつけ込んで弱い者いじめするのが共産党か、こんな共産党が主導するソ連は、だれが何といおうと大嫌いだ。子や孫の代まで、いや後々の代まで、今日のこの日に参戦したソ連という国のことを、絶対に忘れないでくれよ。午前八時下番する。


(中略)

瞼を閉じれば、広島の街が浮かんでくる。(中略) しかも明日また、長崎にふたたび原子爆弾を投下するというではないか。

(中略)

午後四時、田中が下番してきたので目がさめる。田中の報告では、「十二時のNHKのニュースでは、『新型爆弾の防御法を内務省は次のごとく国民に指示しております。かならず壕内に退避して下さい。火傷のおそれがありますので、壕外に出るときは露出部を少なく、暑くても全身をおおうようにしてください』というものであった。 原爆投下二日後の放送であって、二日前にこの放送があったら、被害は少なかったろうにと思いました

その上、明日の長崎の原爆投下に果たして長崎の人は、このNHKの内務省の通達を、自分のこととして聞いているのだろうか疑問に思いました。
午後一時のニューディリー放送は、長崎は三十年間、草木も生えぬ被害を受けるであろうと、広島投下前日と同様に放送していました以上であります」

(以下略)


黒木雄司 原爆投下は予告されていた 第五航空情報連隊情報室勤務者の記録 p257-260より


私は広島出身の黒木雄司氏のこの証言を信頼している。

よって以下の結論に同意するものである。

確実に大本営まで、ニューデイリーのニュースは達している。第二総軍からのニュースを加えられて、参謀第二部のニュースとともに、それに加えて、ヨハンセングループを通してのスティムソンからの通信文も・・・すべて大本営に達している。ヘンリー・スティムソン → ジョセフ・グルー → OSSのジェームズ・ウォーバーグ → 白洲次郎 → 吉田茂 → 牧野伸顕のルートで、天皇はスティムソンからのメッセージを受けている。

原爆ホロコースト:広島
http://satehate.exblog.jp/9381417/

原爆ホロコースト:長崎 再訪
http://satehate.exblog.jp/18317756/

自国の支配層によって三たびも“核の人体実験”に投げ込まれた日本国民 あっしら
http://satehate.exblog.jp/16704685/

第2次世界大戦の真実⑤ 広島、長崎の原爆投下は日米共同作戦、人体核実験だった ijn9266のブログ 2011年8月5日
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/2011-08-05.html

原子爆弾雑話 中谷宇吉郎
http://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53227_49834.html

広島 ネブラスカ、長崎 フロリダ By Henry Makow, Ph.D.
http://satehate.exblog.jp/12080043/

それはまさに銀行家たちの爆弾であった 

広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins 上
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/bbfaa9adacf709b3d7b05acf628815d5



Bernard Baruch, U.S. representative on the United Nations Atomic Energy Commission, addresses the commission as it convened, for the first time, June 14. Named provisional Chairman of the Commission, Baruch presented the U.S. proposal that atomic war be outlawed by placing all dangerous atomic activities under a global agency backed by iron-clad enforcement powers.

広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins 下
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/a5977a541838987dfdce8a3e5f9eaa36

広島はなぜ破壊されたのか 起訴状 by Eustace C. Mullins
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/db81d21d16e81b7e155713629940ab50

日本沈没作戦進行中 「娯楽」と311
http://satehate.exblog.jp/18226916/

なんでも日本が悪い?
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/ecd4886cdbdc0a2ab1ba6bb9d1b34805

666 に 777
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/803c0b2ec5344e90650c5aa6434e6b01


以下も再再掲

中条一雄 『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』 第6章 原爆だと知っていた記者 p184-187より

私の高校の同窓生は、広島在住の有志が中心となって『ヒロシマと広高』という同人誌を不定期に発行している。そこには「被爆前から原子爆弾の存在を知っていた」とする二人の証言がある。

一つは一九九七年八月発行のもので、同級の中野武彦君のものだ。彼は皆実町の高校の寮で朝食をとっている最中に被爆したが、全壊した食堂の残骸を押しのけて、やっとの思いではい出した。顔に深い切り傷を負っていた。その夜は近くの蓮畑で野宿したという。(被爆した夜、野宿していると)高校生の集団ができて、夜空になおも赤い炎をちらちら見せている市の中心部を見つめながら、私たちは時折元気づけに寮歌を歌っていた。ふと私は、京都帝国大学で物理学を専攻し、荒勝教室にいた義兄が、物知り顔に話していたのを思い出した。マッチ箱一個の大きさで、戦艦一隻すっ飛ばす爆弾があるんやデ。原子爆弾言うんや

B29一機か二機の爆撃で、これほど広範囲に被害を与え得る爆弾は、原子爆弾以外にないのではないか。そのことを持ち出したが、居合わせた化学を教えるH先生は、きっぱりと否定した。

「理論的には可能じゃが、いくらアメリカだって、まだそこまではいっとらんじゃろう」

けれどもやはりあれは、世界で最初に人類の上に落された、一発の原子爆弾だったのである。

これまた呉鎮守府の三井大佐の「京大荒勝研究室(海軍)ニテ行ヒアルモ」と符合する。物理学者の間では、弁当箱とかマッチ箱とか、その大きさこそ違え原子爆弾は公然と語られていたようだ。

いま一人は私の中学、高校で二年先輩の水田泰次さんだ。二〇〇〇年八月発行の同人誌の中で、やはり「広島に原爆が落とされることがわかっていた」と次のように書いている。

当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。原爆が投下される三カ月前の一九四五年五月のある日、冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第一回現地テストを広島で行なう予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした。水田さんは西村教授の忠告にしたがって、両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ。この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる秘密情報だが、水田さんはこう言う。

西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた。それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ

独自ルートで考えられるのは『もはや高地なし』の一節だ。原爆投下の約半年前の一九四五年初めごろから、一部の米学者の間から「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。アーサー・コンプトン所長を中心に政治家や軍関係者に対し、さまざまな反対運動を繰り広げたようだ。その様子は「届かなかった原爆使用反対の声」という項目で詳しく紹介されている(同書一一一ぺージから一一九ぺージまで)。六月四日には「同研究所で対日原爆使用を阻止しようとして七人の科学者が会合を開いていた」とあるが、結局反対の声は通らなかった。

シカゴ大と京大、そして同じ冶金研究所と冶金教室。冶金つながりに不思議な符号がある。学者の間では、あの戦時中でもスイスあたりを経由して、日米間でひそかに情報を交換していたという話もある。終戦後、西村教授が亡くなったのち、水田さんは同教授のご子息に「生前、こんな話を聞いていましたか」と尋ねたところ、「そんな話は一切聞かなかった」という返事だったという。だが、水田さんは、今でも日米間の「冶金つながり」を信じている。


蛇足

「上げて落とす」例:成甲書房に真実を集めた本をどんどん出版させる。→ 北朝鮮工作なので全部嘘と言わせ真実をまとめて貶め葬り去る。 → (実はグルの)日本会議上昇。人権否定・羊民化。殺戮と家畜奴隷化。

「下げて上げる」例:黒酒鬼薔薇軍に荒唐無稽話で天皇をどんどん攻撃させる。→ 私どもに反論させどっちらけさせる。→ (実はグルの)日本会議上昇。人権否定・羊民化。殺戮と家畜奴隷化。

→ 戦争をさせ、「借金」をさせ、国を潰し、殺戮と家畜奴隷化を進める銀行ギャング団の勝利。

シンプルですね。






というわけで、この記事を掲載する。


おまけ
















日本が世界の放射性廃棄物のゴミ捨て場になりかねない事態 ― 2016/06/12 21:44
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2016/06/12/8110027



「生活の党」応援サイトが、「広島・長崎原爆の真犯人は天皇」という特集記事を掲載。クレームが出ている
http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/745.html
投稿者 飯岡助五郎 日時 2016 年 6 月 14 日 18:32:35

http://trjp.net16.net/

1. 2016年6月14日 20:43:22 : 694ENOyseM : Q4rH_gqACJI[82]
<
▲△▽▼
ひょっとして、あのいきなり喧伝がはじまった陰謀論はこうして野党攻撃に利用するために用意したものか?左翼ホイホイかもしれない。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
集めて散らす? (Unknown)
2016-06-12 20:56:46
アメリカが警告なしに無差別大量虐殺をしたという批判を封じ込めるには都合がいい話。憎悪の対象をアメリカから分散させ、責任転嫁させる心理操作では?

ニューディリー放送の怪
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120804/1344007837
返信する
「わかって」いたかどうかという文脈の中では サイパン放送 の話の方が重要ですね (beingtt)
2016-06-12 22:54:41
・・ 似たような放送にサイパン放送というのがあり、この放送では8月1日に「8月5日、特殊爆弾で広島を攻撃する。非戦闘員は広島から逃げろ」という内容が放送されていました。広島逓信局に勤務していた宮本広三技師がこれを聞いています。それまでの放送には空襲に関する予告があり、どれもピタリとあたっていたといいます。日付が8月5日となっているのはアメリカ時間だからです。ニューディリー放送のほうは日本時間になっています。

 これらはOSS(戦略情報局)というCIAの前身にあたる組織によるプロパガンダ放送と思われますが、プロパガンダにはブラックプロパガンダとホワイトプロパガンダがあり、前者は身元を明かさず謀略を持って敵を屈させるためのもので、後者のホワイトプロパガンダは事実を流して敵に心理的動揺を与えるというものです。ニューディリー放送の真偽はわかりませんが、サイパンの放送はホワイトプロパガンダに該当するものでしょう。・・

西村英雄教授の忠告に関する話や、捕虜米兵の話などもあり、結局「ホワイト&ブラック」警告はされていたということでしょう。
返信する
活かされなかった極秘情報 (ネメシス)
2016-06-13 01:13:14
素晴らしい記事のアップ、ありがとうございます。

「新型爆弾」 に関する情報は、いち早く軍上層部まで伝わっていました。

それが、あるレヴェルでもって無視された(握り潰された)のか、
あるいは最上級の陸軍参謀会議で話し合われていたのかは分かりませんが。
(もちろんその際には、当然、天皇も知っていたことになります。
その上で広島・長崎を犠牲にした・・・)

最近になってようやく、こういった証言も世に出てくるようになってきましたね。

活かされなかった極秘情報
http://ur0.work/urA8


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これまで原爆投下は、
日本にとって全く想定外の奇襲攻撃とされてきました。
しかし実際は、日本の諜報部隊が原爆投下をめぐる動きを、
事前に察知していたことが明らかになってきました。

今回、私達は、僅かに残されていた機密文書や軍幹部の日記、
さらに、その肉声が録音されたテープを入手しました。

浮かび上がってきたのは、軍が危険が迫っているのを知りながら、
何も手が打たれなかったという事実でした。

「広島の方へ入ってきた飛行機があるんですよ。B29なんです。
これは特殊任務機が近づいてきたと。これはただごとじゃないと。
(大本営情報参謀 堀栄三少佐)」

諜報部隊は、原爆投下の2ヶ月前から
テニアン島で活動を始めた特殊任務機の追跡を開始。
8月6日も広島に向かうその動きを掴んでいました。

さらに長崎では、原爆機が迫っていることを、軍の幹部が5時間も前に知っていたのです。

「何か打つ手はなかったのか・・・?」

これまで硬く口を閉ざしてきた当事者達が、語り始めました。

「悔しいったらありゃしないじゃない。分かってたんだから。
(諜報部隊元中尉、太田新生さん)」

「出撃命令さえ出していれば、絶対、長崎は爆撃されてないんですよ。
僕はもう、確信しています。それだけは。
(元戦闘機パイロット本田稔さん)」

空襲警報さえ出されずに、無防備のまま原爆の熱線と放射線に襲われた人々。
広島と長崎。亡くなった人は、その年だけで20万人を超えました。

原爆投下をめぐる情報が有りながら、何故それが活かされなかったのか、
被爆から66年、初めて明かされる真実です。

返信する
気をつけよう (Unknown)
2016-06-13 23:44:02
悪質ですね。ネメシスさんのコメントのURLを踏んだらウィルスソフトが反応しました。『活かされなかった極秘情報』で検索したら、犬HK制作の番組でしたね。これは意図的な編集してありますね。「被爆から66年」というイルミナティ的な節目に出来上がった番組です。
阿修羅にも関連情報がありました。
一番目のj8DlsR41DQさんのコメントが参考になりました。

自国の支配層によって三たびも“核の人体実験”に投げ込まれた日本国民:NHK「原爆投下 活かされなかった情報
http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/396.html
返信する
え、ウイルスだって? (ネメシス)
2016-06-14 18:07:43
>気をつけよう (Unknown)
>2016-06-13 23:44:02
>悪質ですね。ネメシスさんのコメントのURLを踏んだらウィルスソフトが反応しました。

変な言い掛かり付けるの止して下さいな。
複数の外部診断テストで、別に何も検出されてませんけどね。

ちなみに元動画はデイリーモーションの
x2id4qc です。
返信する

コメントを投稿