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イエメン戦争の背後にある地政学 Mahdi Darius Nazemroaya

2015-04-02 19:34:56 | 「コロナ」詐欺
イエメン戦争の背後にある地政学 (I) Mahdi Darius Nazemroaya 2015年3月29日 Strategic Culture Foundation
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/i-6969.html 2015年4月 1日 (水)

アメリカ合州国と、サウジアラビア王国は、2014年9月、イエメン人というか、イエメン・フーシ運動、あるいはアンサララ(アラビア語で神を支持する人々 を意味する)運動が、イエメンの首都サナアを支配した際、非常に懸念した。アメリカが支援するイエメン大統領アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー[Abd Rabbuh Mansur Al-Hadi]は、不面目にも、フーシと、フーシがサナアに入るのを助けた北イエメン部族同盟との連立をしいられた。ハーディーは、イエメン挙国一致政府の為の交渉が行われると宣言し、彼の同盟者アメリカとサウジアラビアは、新たな全国的対話を利用して、交渉を仲介し、フーシを取り込み、なだめようとした。

イエメンでの戦争について、真実はあべこべにされている。イエメンにおける戦争と、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領打倒は、イエメン での“フーシ・クーデター”の結果ではない。その逆だ。ハーディーが打倒されたのは、サウジとアメリカの支持を得て、彼は自分がまとめた連立協定を撤回しようとし、イエメンを独裁的支配に戻そうとしたためだ。フーシと彼らの政治的盟友によるハーディー大統領打倒は、ハーディーが、ワシントンとサウジ王家と共に計画していた権力奪取に対する、予期しない対応だった。



フーシとその同盟者は、イエメン社会の多様な断面、イエメン人の大多数を代表している。フーシ運動の反ハーディー国内同盟には、シーア派イスラム教 徒もスンナ派イスラム教徒も入っている。アメリカとサウジ王家は、フーシが、ハーディーを権力から排除し、自己主張をするだろうとは思いもしなかったが、 この動きは十年間にわたって形成されていたものだ。サウジ王家と共に、ハーディーも大統領になる前から、フーシ迫害とイエメンでの部族政治の操縦に関与していた。

彼がイエメン大統領になった際、彼はアリー・アブドッラー・サーレハ[Ali Abdullah Saleh]が、2011年に権力を引き渡すことを強いられた後に開催された「イエメン全国和解対話」でまとまった合意と交渉内容実施をしぶり、足を引っ張った。


クーデターか、反クーデター: イエメンで一体何が起きたのか?

まず、2014年末にサナアを掌握した際、フーシは、実際、以前の連立の約束を破っていたハーディーを道徳的に破綻した人物と呼び、彼の提案や、 連立協定に対する彼の正式な新提案を拒否した。その時点で、ハーディー大統領が、ワシントンとサウジ王家に迎合したことで、イエメンで国民の大半から非常に 不人気になっていた。二カ月後の、11月8日、ハーディー大統領の与党、イエメン国民全体会議も、指導者としてのハーディーを排除することになった。

1月20日、最終的にフーシはハーディー大統領を拘束し、大統領官邸や他のイエメン政府庁舎を占拠した。国民の支持を得て、2月6日、二週間をやや過ぎた時点で、フーシは正式にイエメン暫定政府を組織した。ハーディーは辞任を強いられた。2月26日、フーシは、ハーディー、アメリカとサウジアラビア が、イエメン壊滅を計画していると発表した。

ハーディーの辞任は、アメリカ外交政策の敗北だった。アメリカ軍要員や諜報工作員をイエメンから退去させることを強いられ、CIAとペンタゴンが 軍・活動を撤退させることになった。ロサンゼルス・タイムズは、3月25日に、アメリカ当局者の発言を引用して、フーシが、CIAと密接に協力していたイエメン国家安全保障庁を占拠した際、無数の秘密文書を入手し、それがイエメンにおけるワシントンの活動を傷つけたと報じた。

2月21日に、ハーディーは、イエメンの首都サナアからアデンに脱出し、3月7日、アデンを、イエメンの暫定首都と宣言した。アメリカ、フランス、 トルコと、彼らの西欧同盟諸国は大使館を閉鎖した。それから間もなく、恐らくアメリカと強調した動きで、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタールとアラブ首長国連邦は、全てサナアからアデンに大使館を移転した。



ハーディーは大統領辞任の文書を撤回し、亡命政府を樹立すると宣言した。




フーシと、その政治的同盟者は、アデンでハーディーや益々感情的になるリヤドが発言している、アメリカとサウジアラビアの要求に従うことを拒否した。

その結果、3月23日、ハーディーのリヤド・ヤシン[Riyadh Yaseen]外務大臣が、サウジアラビアや、アラブの産油首長国に、軍事的に介入し、フーシが、イエメン空域を 支配するのを阻止するよう呼びかけた。ヤシン外務大臣は、サウジアラビアの御用報道機関アッシャルクル・アウサト紙に、爆撃作戦が必要で、イエメンに対して、飛行禁止空域を設定すべきだと述べた。



フーシは、軍事紛争が始まろうとしていることを理解した。これが、フーシとイエメン軍内の同盟者が、出来るだけ多くのイエメンの軍飛行場やアルアナド等の空軍基地を、出来るだけ早急に支配しようと急いだ理由だ。彼らは、ハーディーを無力化させようと急ぎ、3月25日にアデンに入った。

フーシと同盟者がアデンに入る前に、ハーディーはイエメンの港町から逃亡した。ハーディーは、3月26日、サウジ王家がイエメン攻撃を開始した際、 サウジアラビアに再登場した



サウジアラビアから、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーは、更に、対イエメン戦争を正当化すべく、アラブ連盟と会談する為、エジプトに飛んだ。


イエメンと、中東の変わりつつある戦略的均衡

フーシによるサナア占拠は、イラン、ヒズボラ、シリアや、彼らや他の現地勢力が集団的に形成しているレジスタンス同盟の一連の作戦成功や、地域での 勝利と同じ時期に起きた。シリアでは、シリア政府が、自らの陣地の強化に成功しており、イラクでは、ISIL/ISIS/ダエシ運動は、イランと、テヘランと同盟している現地イラク人民兵による顕著な助力を受けたイラクによって押し返されつつある。

イランが、中東の安全保障機構と安定性の上で、中心的なものとなったことが明らかになり、中東における戦略的均衡が変わりはじめた。サウジ王家とイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフが、イランは、地域の四首都-ベイルート、ダマスカス、バグダッドと、サナアを支配していると泣き言を言い、文句をいいはじめ - イランの拡張を止める為に、何かをしなければならない。新たな戦略的均衡の結果、イランとその地域的同盟国を無力化するという目的で、イスラエルとサウジ王家は、戦略的に、完全に協力するようになった。3月5日、フォックス・ニューズに、イスラエルと、サウジアラビアの協力について、イスラエル大使ロン・ ダーマーは“イスラエルと、アラブ人が合意をする様な場合には、人々は注意すべきです”と語った。



イスラエルと、サウジによる恐怖利用は機能しなかった。ギャラップ世論調査によれば、アメリカとイラン間協定反対演説をする為、ネタニヤフがワシントンに到着した同じ時期に、わずか9%のアメリカ国民しか、イランをアメリカ最大の敵と考えていなかった。


イエメンでの戦争の背後にあるアメリカとサウジの地政学的-戦略的目標

サウジ王家は長らく、イエメンを、ある種の従属州で、リヤド勢力圏の一部と見なしてきたが、アメリカは、バブ・エル・マンデブ海峡、アデン湾と、ソコトラ島の支配を確実にしたがっている。

バブ・エル・マンデブ海峡は、国際海運とエネルギー輸出で、インド洋経由でペルシャ湾と、紅海経由で地中海と結ぶ 重要な戦略的要衝だ。アフリカ、アジアと、ヨーロッパ間の 海上交通路と貿易としてスエズ運河同様に重要だ。



イエメンによる支配で、イスラエルが紅海経由でインド洋への出入りが閉鎖され、イランを脅す為、イスラエル潜水艦を、ペルシャ湾に容易に配備するのを阻止されかねない為、イスラエルも懸念していた。

これこそが、なぜ、イエメン支配が、3月3日に、彼がアメリカ連邦議会で、イランについて演説した際、 実際に、ネタニヤフの話題の一つで、あらゆる刊行物の中でも、3月4日、ニューヨーク・タイムズが“議会に向けたネタニヤフ氏の説得力のない演説”と題した理由だ。

サウジアラビアは、イエメンが正式にイランと同盟し、アラビア半島で、サウジ王家に対する新たな叛乱さえもたらしかねないのを、あからさまに恐れていた。アメリカもこれについて同様に懸念していたが、世界的なライバル関係も考えていた。他の大国がアデン湾を監視し、バブ・エル・マンデブ海峡で地盤を 固めるのを防ぐ手段として、イラン、ロシアや中国がイエメンに戦略的な足場を得るのを防ぐことが、アメリカの主な関心事だ。

戦略的な海上回廊を監視するというイエメンの地政学的重要性に加え、イエメン軍のミサイル備蓄がある。イエメンのミサイルは、アデン湾、バブ・エ ル・マンデブ海峡のいかなる船舶でも攻撃できる。この点、イエメンの戦略的ミサイル補給廠へのサウジ攻撃は、アメリカとイスラエル両国の権益に役立つ。狙いは、サウジ国軍の実力行使への報復に利用されるのを防ぐためのみならず、イラン、ロシアや中国のいずれかと同盟したイエメン政府に使用可能になるのも防ぐことだ。

リヤドのシリア政策とは全く矛盾する立場で、サウジは、もしフーシと彼らの政治的盟友が、ハーディーと交渉しなければ、軍事行動をとると脅した。サウジアラビアによる脅しの結果、3月25日、イエメン中で、反サウジ王家抗議行動が勃発した。そこで、アメリカ、サウジアラビア、バーレーン、UAE、カタールと、クウェートが、ハーディー再就任の準備を始めることで、次の中東戦争の為の行動が開始されたのだ。


イエメンでの戦争と、対イランの新戦線へと進むサウジアラビア

サウジアラビアが、地域大国として語られてはいても、独力でイランと対決するには弱体すぎる。サウジ王家の戦略は、イランやレジスタンス連合との対決の為の地域同盟体制設立や強化だ。それゆえ、サウジアラビアには、自らがイランと、その地域同盟諸国と対決するのを支援させる為、いわゆる“スンナ派” 同盟、あるいは枢軸という間違った名前で呼ばれている、エジプト、トルコとパキスタンが必要なのだ。

3月17日、アブダビ首長国皇太子で、UAE軍の副最高司令官であるムハンマド・ビン・ザーイド・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン[Mohammed bin Zayed Al Nahyan, 1961-]皇太子がモロッコを訪れ、アラブ産油首長諸国と、モロッコ、ヨルダンと、エジプトによる、イエメンに対する集団的軍事対応について話し合った。

3月21日、ムハンマ ド・ビン・ザーイド皇太子は、サウジアラビアのサルマン・サルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル-サウド[Salman Salman bin Abdulaziz Al-Saud]王と会い、イエメンに対する軍事対応について話し合った。これは、丁度、ハーディーが、サウジアラビアと湾岸協力会議(GCC)に、イエメンへ軍事介入して自分を助けて欲しいと要求していた時期だった。会議後、アラブの産油首長国諸国用の新たな地域安全保障条約に関する会談が続いた。

GCCの加盟国5ヶ国のうち、オマーンは参加を避けた。オマーンは、対イエメン戦争への参加を拒否した。マスカットは、テヘランと友好的な関係にある。しかも、オマーンは、宗派心を利用して、イランや、その同盟諸国との対立を焚き付けようとしているサウジと、GCCの計画にうんざりしている。オマーン人の大半は、スンナ派イスラム教徒でも、シーア派イスラム教徒でもない。彼らはイバード派イスラム教徒で、サウジ王家や、他のアラブの産油首長国諸国による宗派煽動の広がりを恐れているのだ。

サウジの伝道者連中は過熱状態になり、戦争はイランによるサウジアラビア国境侵害への反撃だと偽った主張をしている。トルコは、イエメン戦争支持を 発表することになろう。戦争が始まった日、トルコのエルドアン首相は、イランが地域を支配しようとしており、トルコ、サウジアラビアと、GCCは、不愉快に思っていると主張した。

こうした出来事の間、エジプトのシーシー大統領は、カイロの安全保障と、サウジアラビアや、アラブの産油首長国諸国の安全保障は一体だと述べていた。実際、エジプトは、3月25日、イエメンでの戦争には関与するつもりはないと述べたが、翌日、カイロはサウジアラビアのリヤドのイエメン攻撃に加わり、ジェット機と艦船をイエメンに送った。

同じ感じで、3月26日、パキスタン首相ナワズ・シャリフ[Nawaz Sharif]は、サウジアラビアに対するいかなる脅威も、パキスタンの“強烈な反撃を引き起こす”ことになるという声明を発表した。この発言は、暗にイランに向けられたものだ。


イエメンでの戦争におけるアメリカとイスラエルの役割

3月27日、イエメンで、イスラエルが、サウジアラビアがアラブの国を攻撃するのを支援していると発表された。“これはシオニスト[イスラエル]が アラブ人と協力して行う、初めての共同作戦だ”。イエメンのアル-ハク党党首、ハッサン・ザイドは、インターネットに、サウジアラビアとイスラエルの利益 収斂を指摘する記事を書いた。

しかしながら、イエメンを巡るイスラエル-サウジ同盟は、新しいものではない。イスラエルは、 1962年に始まった北イエメン内戦時、サウジアラビアに兵器を供与して、サウジ王家が、北イエメンの共和主義者に対する、王政主義者を支援するのを支援した。

アメリカも関与して、背後あるいは遠距離から、糸を引いている。イランとの協定をまとめようと動いているが、アメリカは、サウジアラビアを利用して、対テヘラン同盟を維持したいとも考えている。ペンタゴンは、“諜報と兵站支援”なるものを、サウジ王家に提供することになる。間違えてはならない。対イエメン戦争はワシントンの戦争でもあるのだ。アメリカによって、GCC諸国が対イエメン戦争に解き放たれたのだ。

長いこと、汎アラブ軍隊の設立が語られてきたが、3月9日、アラブ連盟が安易に賛成して、軍隊創設の提案がよみがえった。汎アラブ軍という提案は、 アメリカ、イスラエルと、サウジの利益に役立つ。汎アラブ軍隊に関する話は、ハーディーを再度就任させる為、そして、地域で、イラン、シリア、ヒズボラや レジスタンス同盟と対決する為のイエメン攻撃準備が動機になっているのだ。

(続く)

Strategic Culture Foundation


記事原文

The Geopolitics behind the War in Yemen (I) Mahdi Darius NAZEMROAYA | 30.03.2015 | 00:00
http://www.strategic-culture.org/news/2015/03/30/the-geopolitics-behind-the-war-in-yemen-i.html


イエメン戦争の背後にある地政学 (II) Mahdi Darius NAZEMROAYA 2015年3月31日 | 00:00 Strategic Culture Foundation
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/i-6969.html 2015年4月 2日 (木)


“アラブ世界の最貧国で、中東では最新の破綻国家候補イエメンに戦線ができつつある。益々ありそうに見えるが、もし戦闘状態が間もなく勃発すれば、 サウジアラビアとイラン間の地域覇権競争により、それは悪化するばかりだろう。既にシリアとイラクにもたらした、この破壊的なライバル関係の伝統にもかかわらず,両大国とも、自分達が支配できると考える集団を武装させるのに熱心なことは証明済みだ”とForeign Policy誌は3月6日に主張している。


フーシのイランとの同盟: 実利主義か、それとも宗派主義か?

フーシはいかなる意味でもイランの手先ではない。フーシ運動は抑圧の結果として出現した独立政治党派だ。フーシをイランの手先と呼ぶのは実証的でな く、イエメンの歴史と政治を無視するものだ。“もしも宗派間の境界線沿いで戦争が起きたとしたら、イエメンに残された歴史的な分断のせいではない。それ は、戦争外国の資金提供者が、それまでは重要ではなかった分裂を刺激しているゆえだ”とForeign Policy誌さえもが認めている。

フーシ指導部は、テヘランから命令を受けているという主張を明らかに否定した。とはいえ、サウジや、ハリジ(湾岸)幹部やマスコミが、イラン当局者 の発言を利用し操作して、フーシを、イランの工作員や属国のごとく描く為、フーシをイランのバシジになぞらえるのを止めるにはいたっていない。

フーシが、イランの手先ではないのと同様、テヘランと、イエメン国内のシーア派同盟も存在しない。この単純な宗派説に注力して語るのは、イエメンに おける紛争の政治的な本質や動機を隠し、弾圧に対するフーシの戦いを侮辱的に曖昧化するものだ。1970年代まで、サウド王室は実際、圧倒的にシーア派イスラム教徒が多いイエメン王政主義派の主要支持者だった。

しかも、イエメンのシーア派イスラム教徒は、イラン、アゼルバイジャン共和国、レバノン、イラク、アフガニスタン、パキスタンや、ペルシャ湾地域の 大多数のシーア派イスラム教徒の様なジャファーリ派(12イマーム派)ではない。サアダ、ハッジャ、アムラン、アルマフィト、サアナ、イッブや、アル-ジャウフ県等の僻地の、ほぼ間違いなく、7イマーム諸派と呼べるイスマーイール派シーア派は別として、イエメンの大半のシーア派イスラム教徒はザイド派 だ。イエメンのイスマーイール派は、大半が、多数派のニザール派イスマーイール派から分離したムスターリ派イスマーイール派のダウーディ(ダビデ)派や スライマニ(ソロモン)派信者だ。

アメリカとサウジのフーシ運動に対する敵意こそが、うかつにも、フーシを、拮抗勢力を求めて、実利的にイランに向かわせたのだ。

ウオール・ストリー ト・ジャーナルの記事によれば、“イエメンの首都を支配しているフーシ過激派は、追放されたイエメン大統領に対する欧米やサウジの支援を相殺する為、イラン、ロシアや中国とのつながりを築こうとしている。二人のフーシ幹部によれば、“フーシ’暫定政府は、燃料供給を求めてイランに、エネルギー・プロジェク トへの投資を求めてロシアに代表団を派遣した。他の代表団が、近いうちに、中国訪問の予定であると彼らは語った”とウオール・ストリート・ジャーナルも3月6日に報じた。

フーシ運動が接触をはかった結果、3月2日、テヘラン・サアナ間便が毎日就航するとイランとイエメンが発表した。フーシ運動支援として、これは重要な命綱だ。


宗派理由説と宗派カード

イエメンの不安定は、イランやフーシが引き起こされしているものではなく、 サウジアラビアの2009年の侵略から、アメリカの無人機攻撃にいたる、イエメンにおけるアメリカとサウジの介入、そして、イエメンの独裁的で不人気な支配に対するサウジアラビアの何十年もの支援によるものだ。

イエメンは、もともと分裂していた国ではないのだ。サウジアラビアとアメリカがアルカイダを育成したことを除けば、シーア派-スンナ派の本当の分断や緊張は存在しない。イエメンが独立するのを阻止すべく、サウジとアメリカは、イエメンにおいて、シーア派-スンナ派対立を生み出そうと願って、宗派主義 を支援してきた。

偽りの説明と違って、中東におけるイランの同盟関係は、実際、宗派的なものではない。テヘランのパレスチナのあらゆる同盟相手は、政府は別にして、 主として、イラクとシリアのスンナ派イスラム教徒で、イランは、非アラブ人やキリスト教徒を含む、様々な人種、宗教集団を支持している。これには、ほとん どがスンナ派イスラム教徒のシリアやイラクのクルド人や、シリアSyriac Union Party (SUP)のアッシリア・ストロ派も含まれる。レバノンでは、ヒズボラの他に、イランは、スンナ派イスラム教徒、ドゥルーズ派や、レバノンにおける最大キ リスト教政党、ミシェル・アウンの自由愛国運動を含むキリスト教政党とも同盟している。

政策として、宗派主義に専念している連中がいるとすれば、それはアメリカと、アラブの産油首長国同盟国だ。アメリカもサウジアラビアも、以前は、 フーシに関与し、彼らをイエメンのムスリム同胞団に対して利用した。しかも冷戦中、ワシントンもサウド王室も、イエメン・シーア派を、北イエメンの共和主義者や、南のイエメン人民民主主義共和国に対して利用しようとした。フーシ運動が、決してワシントンやリヤドの従者になるくもりがないことを明らかにした 時点で、アメリカとサウジアラビアは、フーシに敵対的になった。


イエメン侵略の準備



3月20日、アスル・サラト(午後の祈り)のさなか、自爆犯がアル-バドル・モスクと、アル-ハシューシ・モスクを攻撃した[2015 Sana'a mosque bombings]。三百人以上が死亡し た。




アブドゥル・マリク・アル-フーシ[Abdul Malik al-Houth, 1982-]は、アメリカとイスラエル、イエメンのISIL/ISIS/ダエシもアルカイダもテロ攻撃支援のかどで非難した。サウジアラビアも非難された。


モロッコ、ヨルダンと、アラブ産油首長国諸国は沈黙しているが、イラン外務省報道官マルジエ・アフハム[Marziyeh Afkham]は、イエメンでのテロ攻撃を非難した。何らか の形で、シリア、イラク、ロシアや中国も、悉くイエメンでのテロ攻撃を非難している。テヘランがイエメンを支援していることを示す為、人道支援物資を積んだ二機のイラン貨物機がイエメンに送られ、イラン赤新月協会は、治療の為、50人のイエメン人テロ攻撃犠牲者をイラン国内の病院に空輸した。


イエメンにおける、サウド王室の失敗

フーシ運動は、サウジアラビアのイエメン政策と、独裁支配支援の結果だ。この点で、フーシは、サウジの残虐さと、サウド王室のイエメン独裁体制への 支援に対する反動なのだ。この運動は、フセイン・バドレディン・アル-フーシ[Hussein Badreddin Al-Houthi, 1956-]が2004年、イエメン政府に反対して率いた叛乱の一環として始まった。



イエメン政権とサウジ政権は、運動を悪魔化する手段として、フーシは、アラビアで、ザイド派イマーム体制を確立しようとしていると偽って主張した。 ところがこれは、彼らが益々強くなるのを止められなかった。イエメン軍は、2009年に、言いなりになろうとしなかったので2009年8月11日「焦土作戦[Operation Scorched Earth]」と言うサウジ介入が開始される結果となった。

サウジアラビアは、2009年と2010年、イエメン国内に、彼らと戦うべく軍を送った際、フーシを敗北させそこねた。サウジは、イエメンとフーシ運動に屈伏を強いるのに失敗している。フーシとイエメン暫定政府に、サウジの言う通りにし、リヤドに交渉に来るよう要求した際、交渉や、サウジが支持するあらゆる連立政権案は、実際は、イエメンで、フーシや他の政治勢力を脇に追いやるものなので、フーシとイエメンの革命委員会にきっぱり拒否された。これが、民衆勢力同盟、ハーディー自身の国民全体会議と、イエメン・バース党の全てが、反サウジアラビアというフーシの姿勢を支持した理由だ。


イエメン分割?

イエメンでは、無数の反乱や、アメリカとサウジアラビアによる軍事介入や、イエメン南部の県における分離主義者運動の激化がある。イエメン軍は分裂し、部族間緊張が存在している。イエメンがアラブ破綻国家になるという話題が益々語られる様になっている。

2013年、ニューヨーク・タイムズは、リビア、シリア、イラク、イエメンの分割を提案した。イエメンの場合、提案は、再度二つに分けるというのものだった。ニューヨーク・タイムズは、南部諸県で、ありうる住民投票の後におこりうると述べている。ニューヨーク・タイムズは、“全部、あるいは南イエメ ン部分は、サウジアラビアの一部になることも可能だとも提案している。サウジアラビアの通商のほとんど全てが海経由であり、アラビア海に直接出入りできるようになれば、ペルシャ湾への依存も、ホルムズ海峡を遮断するイランの能力に対する恐怖も無くなるのだ

サウジアラビアと、ハーディは、現在、国民の約十分の一から支持されているイエメン南部の分離主義者に言い寄っている。アメリカとサウジアラビアに とっての次の選択肢は、フーシ勝利を緩和する戦略的転換の手段としてのイエメン分割かも知れない。これにより、サウジアラビアとGCCは、インド洋への南 部の中継基地が確保でき、アメリカはアデン湾に足掛かりを維持できることになろう。






記事原文

The Geopolitics behind the War in Yemen (II)  Mahdi Darius NAZEMROAYA | 31.03.2015 | 00:00
http://www.strategic-culture.org/news/2015/03/31/the-geopolitics-behind-the-war-in-yemen-ii.html


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