東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯展」が本日(22日)で終了してしまうというので、先週金曜日に慌てて見に行ってきました。
金曜日は、閉館時間が午後8時まで延長されるため、幾分ゆっくりと見ることが出来るのではと思っていましたら、あに図らんや、会場に入場するのに30分ほど待たされ、更に中に入るとどの絵の前も黒山の人だかりです。
はて長谷川等伯とはこんなにも人気のある画家なのかと当惑してしまいましたが、先週の水曜日(10日)には、入場者数が10万人を超えたとのこと。開催期間が1ヶ月と比較的短かったにもかかわらず、こんなにたくさんの入場者があったというのは、画家に対する人気に加えて、没後400年ということで、国内に存在する彼の絵のほとんどすべてが今回展示されていることも与っているのではないか、と思いました。
なにしろ、画家が26歳の時の絵から始まって、晩年の70歳頃の絵まで80点近いものが展示されているのです。
といっても、富山の大法寺にある初期の仏画(日蓮宗関係)は、とても20代の若者が描いたとは思えないほどの仕上がりであり、展覧会カタログで松嶋雅人氏(東京国立博物館特別展室長)がいうように、「その完成度は極めて高」いものです。
例えば、下記のものは「日蓮聖人像」で、法衣等の装飾は「きわめて細かく、そして丹念に描写」されています(絵の下の方には、「信春」の名を刻んだ袋形の印が捺されています)。
私が等伯に関心があったのは、今回の展覧会でも中心的な所に置かれている「楓図」とか「松林図」といったところで、こうした仏画は初めて見るものであり、かつ「等伯ほど終生変わらず多くの作品を法華宗寺院のために描いた絵師はいない」との松嶋氏の指摘には目から鱗が落ちるものでした。
さらに松嶋氏によれば、仏画を描くことで培われた「造形的特質」、すなわち、「画面空間のなかに奥行きを強くあらわそうとしない」描き方が、件の「楓図」にも見られるというのです。
たとえば、「楓の木の向かって左側に優美に流れる水流は、画面上部に、水兵に描かれた水流と画面中央にある楕円の水流で表されているが、いったい水は画面奥に流れていくのか、あるいは、奥から手前に流れてくるものかよくわからない」とされます(これは、もう少ししたら、尾形光琳の「紅白梅図屏風などに引き継がれていくのでしょう)。
さらには、晩年の水墨画「竹林七賢図屏風」において、「人物が力強い筆線で大きく強調されてい」て、かつ「場面状況を説明する地面や背景の樹木は人物の周囲に配置されるが、人物と樹木の大きさの関連には気をとめず並列的に描かれている」点にも窺われるとされます。
こうした水墨画もこれまで見たことがなかったので、今回の展覧会では随分と大きな収穫がありました。
ただそれでも、等伯というと、やっぱり「松林図」になるのではないでしょうか?
金曜日は、閉館時間が午後8時まで延長されるため、幾分ゆっくりと見ることが出来るのではと思っていましたら、あに図らんや、会場に入場するのに30分ほど待たされ、更に中に入るとどの絵の前も黒山の人だかりです。
はて長谷川等伯とはこんなにも人気のある画家なのかと当惑してしまいましたが、先週の水曜日(10日)には、入場者数が10万人を超えたとのこと。開催期間が1ヶ月と比較的短かったにもかかわらず、こんなにたくさんの入場者があったというのは、画家に対する人気に加えて、没後400年ということで、国内に存在する彼の絵のほとんどすべてが今回展示されていることも与っているのではないか、と思いました。
なにしろ、画家が26歳の時の絵から始まって、晩年の70歳頃の絵まで80点近いものが展示されているのです。
といっても、富山の大法寺にある初期の仏画(日蓮宗関係)は、とても20代の若者が描いたとは思えないほどの仕上がりであり、展覧会カタログで松嶋雅人氏(東京国立博物館特別展室長)がいうように、「その完成度は極めて高」いものです。
例えば、下記のものは「日蓮聖人像」で、法衣等の装飾は「きわめて細かく、そして丹念に描写」されています(絵の下の方には、「信春」の名を刻んだ袋形の印が捺されています)。
私が等伯に関心があったのは、今回の展覧会でも中心的な所に置かれている「楓図」とか「松林図」といったところで、こうした仏画は初めて見るものであり、かつ「等伯ほど終生変わらず多くの作品を法華宗寺院のために描いた絵師はいない」との松嶋氏の指摘には目から鱗が落ちるものでした。
さらに松嶋氏によれば、仏画を描くことで培われた「造形的特質」、すなわち、「画面空間のなかに奥行きを強くあらわそうとしない」描き方が、件の「楓図」にも見られるというのです。
たとえば、「楓の木の向かって左側に優美に流れる水流は、画面上部に、水兵に描かれた水流と画面中央にある楕円の水流で表されているが、いったい水は画面奥に流れていくのか、あるいは、奥から手前に流れてくるものかよくわからない」とされます(これは、もう少ししたら、尾形光琳の「紅白梅図屏風などに引き継がれていくのでしょう)。
さらには、晩年の水墨画「竹林七賢図屏風」において、「人物が力強い筆線で大きく強調されてい」て、かつ「場面状況を説明する地面や背景の樹木は人物の周囲に配置されるが、人物と樹木の大きさの関連には気をとめず並列的に描かれている」点にも窺われるとされます。
こうした水墨画もこれまで見たことがなかったので、今回の展覧会では随分と大きな収穫がありました。
ただそれでも、等伯というと、やっぱり「松林図」になるのではないでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます