アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

ブダペスト3、4日目、夜景クルーズにうっとり、王宮の丘、NYカフェでゆったり。

2018-08-14 23:33:58 | 日記

国会議事堂。

ブダペストの夜景クルーズ、とっても素晴らしかったです!



日本語も含む各国語で話されるイヤフォン解説を聴きながら眺める、ゆったりとドナウ川の辺りの黄金にライトアップされた建物の
数々は、まさに「ドナウの真珠」でした!


私の写真ではうまく伝わらないので、ネットから写真借用。


これもネットから借用。

夜の帳を背に、壮大な歴史的建築物が真珠の粒を繋ぐようにライトアップされており、イヤフォンから流れる歴史のお話を聞いていると、
御伽話の中に入り込んでしまったかのようにうっとりします。
絶対にオススメです!!


漁夫の砦から街をみる。

この日の昼間、ブダペスト3日目にして、前夜の雨のおかげか、やっと爽やかなヨーロッパの夏の気候に戻りました。
前日丸1日温泉で日焼けしたせいか、昼近くまで親子3人ぐっすり寝込んでしまいましたが(笑)、
昼過ぎから王宮の丘を見に行くことにしました。


マーチャーシュー教会は閉鎖中でした。







眼下に広がるドナウ川の昼間の風景も、ゆったりと広々として気持ちがいい。
プラハの絵本のようにまとまった綺麗さとは違い、新しい建物と古い建物が混ざりながら、緑も目に美しく、大らかです。



観光客もたくさんいましたが、王宮の丘はプラハ城より広いので、ごちゃごちゃ感があまりない。



ブダペストは最初にケルト人が集まるローマ帝国の古代都市として始まり、9世紀にマジャール人がやってきて、13世紀半ばにモンゴル人の襲来を受け、
再建した街はルネッサンス期に人文主義文化の中心地として栄え、16世紀にはオスマン帝国に支配され、19世紀はオーストリア・ハンガリー帝国の
ウィーンに次ぐ第2の都市として栄え、そのあとも様々な歴史の動乱の舞台となって・・・と、ざっとウィキペディアを見るだけでもクラクラする
歴史をもつ都市です。



今は国立美術館や博物館としても使われている王宮は、何世紀にも渡って様々な支配者に使われ、その度に様式が変わっていったそうです。



暑さが緩むと少しだけ、歴史にも想いを馳せる気分になります(笑)。


NYカフェ、内装豪華です!

王宮の丘を見たあとで、ブダペストに車で入った時にその豪華さに気づいて、興味を持ったニューヨーク・パラス・ホテルの中にある
ニューヨーク・カフェに行って見ました。


ネットより借用。ライトアップされた建物は目を引きます。


https://www.dahotels.com/new-york-palace-budapest/?gclid=EAIaIQobChMI0sOQ0abu3AIVC6qaCh0K3wBkEAAYASAAEgKk1vD_BwE




このカフェにも一応予約しておいたのですが、よかったです!
入り口でたくさんの人たち、全て私たちのような観光客が列をなしていました。


公式HPの写真より。



娘は「お城見たい!」とお姫様気分になったらしく、あちこちでポーズをとって「写真撮って!」(笑)。



ブダペストの街中には、手入れをすればこのニューヨーク・パレス・ホテルのようになるであろう建物がたくさんあります。





何世紀にも渡り、東西から様々な襲来、侵略、支配を受け、その度に形を変えながら再建してきたブダペストの街。
壁崩壊後、どんどん発展しているようなので、そのうち様々な様式の歴史的な建物が美しく蘇り、目をみはる街並みを
楽しめる日はそう遠くないのかも、なんて思いながら、この街を後にしました。


ブダとペストをつなぐ橋の一つ。

ポーランド人の夫に言わせると「チェコ人はすぐに諦めて、降伏する人たちっていうイメージ。ハンガリー人は、ポーランド人と
似てい兄弟みたいなイメージ」だそうです。


チェコ内の道路には国旗があちこちにあります。スロバキアとかポーランド、ハンガリーでは見なかったけれど。

たまたまプラハでみたものが、感覚博物館やブラック・ライト・シアターという、錯覚を利用したものでした。
今回は見ませんでしたが、人形劇も有名で、これは人形というメタファーを使って、密かにメッセージを伝えるアートでもあります。
プラハ出身の作家といえばカフカがいますが、「変身」という奇妙な小説が有名。

そしてプラハは、この辺りの都市としては珍しく戦禍を逃れ、街並みが保存されています。


今は誰もいない国境のブース。

もしかしたら、プラハの人たちは、簡単に諦めているように見せて、それはあくまでトリック、錯覚を利用した、あくまで表面的な
ものであり、実は本質は自分たちをしっかり保ってきたのではないか?あるいは、逆に、いろんな支配に甘んじてきたからこそ、
メタファー、トリック、錯覚を利用するすべを身につけてきたんだろうか・・・?

常に周囲の国から攻撃され、一時は3分割され国がなくなってしまったポーランドと、東西からさまざに侵略、支配を受け、1920年代には国が
3分の1になってしまったハンガリー。そんな歴史を持つ両国人が兄弟のような気持ちを抱くのはなんとなく理解できます。

「ポーランドとハンガリーは、辛い経験に実直に耐えてきた、粘り強い性格の兄弟たちで、同じような状況でもうまく立ち回る奴、チェコ人を半分羨ましく、半分妬ましく思う、そんな感じなんじゃないの?」数日街を垣間見ただけの、勝手な印象を夫に述べると「うん、それもあるかも」と結構あっさり認めました(笑)。

さあ、今度はポーランドに戻ります!

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