孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイ深南部  分離・独立紛争が続くタイ深南部で日本人らしさで信頼を構築し紛争を仲裁する日本人女性

2017-05-19 21:57:46 | 東南アジア

(タイ深南部で2016年5月、政治的解決を促す研修を開いた堀場明子さん。武装勢力が暮らす集落の女性住民からも話を聞いた。(本文参照)【AERA 2017年5月22日号】)

タイ深南部 2004年以降、1万6000件を超えるテロが発生し、6700人以上が死亡
国際的に注目されるタイに関する話題というと、5月3日ブログ“タイ 新国王と軍政の関係、タクシン前首相支持勢力の動向など緊張も孕みつつ進む葬儀準備”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20170503でも取り上げたような、軍事政権の動向、新国王との関係、タクシン元首相を支持する勢力の動き・・・といったあたりが中心になりますが、そうしたタクシン派を軸にした国内対立以外に、もうひとつ深南部におけるイスラム教徒と治安当局・仏教徒の対立という問題を抱えています。

****タイ深南部****
マレーシアと国境を接するタイ深南部(ナラティワート県、ヤラー県、パタニー県の3県とソンクラー県の一部)には、もともとイスラム教徒の小王国があったが、1902年にタイに併合された。

現在も住民の大半はマレー語方言を話すイスラム教徒で、タイ語を話せない人も多い。

タイ語、仏教が中心のタイでは異質な地域で、行政と住民の意思疎通が不足し、インフラ整備、保健衛生などはタイ国内で最低レベルにとどまっている。

深南部のマレー系イスラム教徒住民によるタイからの分離独立運動は断続的に続き、2001年から武装闘争が本格化。

2004年4月には、警察派出所や軍基地を襲撃した武装グループをタイ治安当局が迎え撃ち、1日で武装グループ側108人、治安当局側5人が死亡した。

同年10月にはナラティワート県タークバイ郡で、住民の逮捕などに反発したイスラム教徒住民約3000人が警察署前で抗議デモを起こし、治安当局による発砲などで7人が死亡、約1000人が逮捕され、逮捕者のうち78人が軍用トラックで収容先に移送される途中、窒息死した。両事件でマレー系イスラム教徒住民のタイ政府への反発は強まった。

タイ政府は常時10万人以上の兵士、警官を深南部に送り込み、力で鎮圧を図ってきたが、現在も銃撃、爆破、放火事件が頻繁に起き、事態が改善するめどは立っていない。【2015年9月18日 newsclip】
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タイ深南部では、2004年以降、1万6000件を超えるテロが発生し、6700人以上が死亡したとされており、国際的にみても、犠牲者数、継続期間ともに相当規模の紛争となっています。

こうしたタイ深南部の状況について、2016年1月18日ブログ“ タイ「深南部」の紛争 「戦闘が下火になっている」?”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160118で、「比較的落ち着いてきているのか・・・?」という視点で取り上げましたが、やはりその後も襲撃等は頻発しており、“下火”とはなっていないようです。

最近の事件を並べると、以下のとおり。

4月3日にヤラーの警察検問所が武装グループの襲撃を受け、警官9人が重軽傷を負った。

4月20日にはナラティワート、パタニー、ソンクラーで、警察署、検問所など13カ所が武装グループの襲撃を受け、武装グループ側の2人が誤爆で死亡、自警団員1人が銃で撃たれけがをした。

4月27日には、ナラティワートで、タイ軍兵士6人が乗ったピックアップトラックが武装グループの襲撃を受け、銃で撃たれるなどして6人全員が死亡した。

5月9日には、パタニー市のショッピングセンター、ビッグCパタニー店前に駐車したピックアップトラックが爆発し、61人が負傷、店舗の一部と自動車、バイク約40台が破損した。【5月18日 newsclipより】

また、4月19日には、タイ深南部で爆発・発砲事件が相次ぎ、計13件発生したとも伝えられています。【4月20日 Yuko氏 アングルより】

地域的にも、いわゆる深南部(ナラティワート県、ヤラー県、パタニー県の3県とソンクラー県の一部)にとどまらず、拡大する傾向にあるとも。

“深南部のテロは他地域にも広がる動きを見せている。昨年8月には、中部フアヒン、南部プーケットといったタイ屈指のリゾート地を含む7県の十数カ所で連続爆破放火事件が発生し、4人が死亡、英国人、オランダ人など外国人を含む37人がけがをした。タイ当局はこの事件で、深南部出身のマレー系イスラム教徒の男7人の逮捕状をとった。”【5月18日 newsclip】

タイ深南部で紛争を仲裁する日本人女性
今日、深南部を取り上げたのは、そうしたテロが頻発する厳しい地域で紛争仲裁の活動をする日本人女性がいると聞いたからです。

****武闘派も静まる“なでしこ”仲裁 タイ紛争地で日本女性が奮闘****
分離・独立紛争が続くタイ深南部で紛争を仲裁する日本人女性がいる。日本人らしさで信頼を構築し、平和へ導こうとしている。

幹線道路はタイの警察車両で封鎖されていた。道路脇には土嚢で固めた大きなテントが設置され、複数の武装警官が待機する。その横をタイ陸軍の装甲車が通過していく。2007年12月、筆者が初めてタイ深南部と呼ばれるマレーシア国境の紛争地帯を取材した時の光景だ。車を降りると、自動小銃を構えた警官に囲まれた。

「どこに行くのか。目的は何だ。危険だから用が済んだらすぐに立ち去れ」

行く先々で検問にあいながら、同じ警告を受ける。理由は集落に入るとすぐに分かった。放火された建物、爆発で大破した車、窓ガラスに残る複数の弾痕。頻発するテロの爪痕が、あちこちに残されていたのだ。

●「宗教的な中立」生かす
バンコクから南に約1千キロ超、タイ深南部とは、パタニ、ヤラー、ナラティワートの3県全県とソンクラー県の一部が入る地域を指す。人口約200万人の約8割が、自身を「パタニ・マレー」と呼び、マレー語を話すイスラム教徒だ。

大きな街は少なく、広大なジャングルの中に点在する集落に、仏教国タイからの分離・独立を掲げる武装勢力が潜伏しているとされるが、拠点基地などはなく、普段は村民として暮らすゲリラなので姿は見えない。

タイ政府も全容の把握に苦しんできた地域だ。その実態が今、次第に明らかになってきた。

一帯の武装組織は大きく分けて4組織あり、それぞれがバラバラ。末端の人たちは、誰が仲間なのか互いに知らない。把握しているのは一部の指導者たちだけ。その多くは亡命先のマレーシアやドイツ、スウェーデンから精神的、金銭的支援などをしている──。

こうした実態が分かり始めたのにはワケがある。一人の日本人女性、笹川平和財団の堀場明子さん(39)の存在だ。前述した内容は、いずれもタイ政府と武装勢力の和平対話を仲裁して双方と人脈を築き、多くの当事者から話を聞いた成果の一部。堀場さんとは一体どんな人物か。

紛争仲裁は、堀場さんの高校時代からの夢だったという。京都の高校に通っていた当時、泥沼化していた旧ユーゴスラビア(現セルビア、モンテネグロなど)紛争の様子を報道で追いながら「ひどい」と心を痛めていた。民族紛争だったが、政治のことはよく分からず、キリスト教とイスラム教の宗教紛争と理解していたため、「宗教的に中立な日本人なら紛争仲裁ができるかもしれない」と感じたという。この思いこそが原点だ。

●住み込んで会話し調査
宗教を熟知するため、上智大学神学部に進学。3年生から2年間、バチカン市国教皇庁立の名門、グレゴリアン大学に留学した。さらに宗教と平和の関係を学ぼうと米ボストンの大学院で実践神学を習得してから上智大学大学院に戻る。この時、キリスト教とイスラム教の住民対立で激しい地域紛争が起きていたインドネシア・マルク諸島に2年間滞在、現地調査をした。

そこで気づいたのは、研究者の宗教の違いで生じたハードルだ。欧米の研究者らも現地にいたが、キリスト教徒だったため、イスラム教徒の地区に近づけない。一方、特定の宗教を持たない堀場さんは、両教徒の地区にそれぞれ住み込んで調査ができた。

多くの当事者と会話して信頼を築きながら、さらに話を聞き出すという調査方法は、この時に身につけた。宗教の呪縛にとらわれない日本人だからこそできることが多くあると確信したという。

大学院卒業後もインドネシアで独自の調査を継続。紛争解決が専門の非政府組織(NGO)が活動しており、民間でも紛争仲裁ができることに自信を持った。

実際、スイスのNGOの現地調査員を買って出て、ノウハウを学習。世界には、民間と協力して紛争解決を目指す外交をする国が複数あることも知り、紛争後の復興支援に偏りがちな日本の支援のあり方に疑問も抱いたという。

そんな矢先、10年に笹川平和財団がタイ深南部での支援事業を立ち上げた。その際に、上智大学のイスラム地域研究の協力者として同地域の調査をしていた経験を持つ堀場さんに声がかかった。

●「関心事が和平対話に」
当時、同じく女性の財団担当者と2人で始めた支援事業は、ジャーナリストの育成や若者の能力向上訓練など。しかし、堀場さんは地元住民との関係を深める中で、紛争解決につながる支援をしたいと思うようになったという。

「私の関心が和平対話にあったので、事業の内容もどんどんそちらへシフトしていった。そこでタイ議会のシンクタンクにあたる団体に和平対話を始められないか相談すると、波長が合った」

タイ政府も交渉相手の実態を知りたがっていた。シンクタンクが武装勢力との接触を模索する中、堀場さんがキーパーソンになっていった。

不信感から積極的に話そうとしない武装勢力が堀場さんとは会話する。これを見たシンクタンク側は、堀場さんに交渉への積極関与を求めた。マレーシアやドイツ、スウェーデンにいる指導者たちにも一緒に会いに行った。

●隣国マレーシアも協力
堀場さんは、マレー語に近いインドネシア語が得意で、武装勢力側の要望を聞きながら、和平対話への参加を促した。一番の武闘派組織の指導者とは会えていないが、それ以外の各組織の指導者とは信頼を深めていった。双方の関係者を別々に集め、過去の和平対話の成功例をレクチャーするなど、独自の取り組みも始めた。

このころ、仲介に関心を示したマレーシア政府の高官とも面会。タイ国家安全保障委員会や軍、法務省などの実務者とも直接やりとりするようになり、和平対話への機運が徐々に高まっていった。堀場さんは言う。

「多くの人と会い、信頼を築くのが重要だった。第三者の民間人で同じアジア人だったことが良かったんだと思う」

もちろん常に危険は伴う。タイ深南部でのテロ行為は今も続いており、「3県のどこかで毎日1人は死んでいる」という。爆弾テロの場所に居合わせれば命がないが、堀場さんは「なるべく安全な場所で活動するようにしているし、どこが危ないかの勘も働く。地元の人が守ってくれる」と話す。

努力も報われ始めている。13年2月、仲介役のマレーシアがタイと水面下で首脳会談を開き、武装勢力との和平交渉の開始で一致。政権交代後もタイ政府は非公式に対話を継続していたが、16年9月に公式に発表した。

堀場さんは現在、正式に笹川財団の主任研究員となり、今は1人で紛争解決事業を担当。日本とタイを行き来する生活を送っている。

「まだ和平は成立していないけど、頑張っていると思いませんか」と笑う堀場さん。日本政府に和平支援への協力を相談したが、民間人の紛争地入りに懸念が示されただけだったとし、こう続ける。「私は1人でやりたいわけではない。官民が協力して紛争解決するのが一番いい。日本人は仲裁に向いている」

自らが実践し、日本でも理解が広がることを期待しながら、またタイに出発する。【AERA 2017年5月22日号】
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なお、堀場明子氏の活動はタイだけでないようで、昨年は、2015年度ノーベル平和賞を受賞した「チュニジア国民対話カルテット」を日本に招いて講演会を行うなどの活動もされているようです。【https://www.spf.org/spf-now/0035.html

それにしても“日本政府に和平支援への協力を相談したが、民間人の紛争地入りに懸念が示されただけだった”というのは、志が低いというか、残念な話です。積極的平和主義というのは、単に周辺国を武力で威嚇するだけのものでしょうか?
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