孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ロシア  プーチン首相の支持率回復 しかし、現状への不満も

2012-02-29 22:43:27 | ロシア

(自身の暗殺計画が発覚したことについて、そのようなことは日常茶飯事だと一蹴した「タフガイ」プーチン首相ですが、選挙直前のタイミングの良さを疑う声もあるようです。 “flickr”より By DTN News  http://www.flickr.com/photos/dtnnews/6791699382/

【「プーチン氏の一発当選が最も現実的なシナリオ」】
プーチン首相が大統領への返り咲きを図るロシアでは、今週末3月4日に投票が行われます。
もとより、プーチン首相の勝利は確実視されてはいたものの、昨年12月の下院選後に不正選挙疑惑で支持率が低迷し、一時は第1回投票での「一発当選」を危ぶむ声も出ていました。
しかし、ここにきて、やはり「安定」を求める固い支持基盤に支えられる形で、支持率も6割をうかがうほどに回復、その強さを見せつけています。

なお、候補者は、与党「統一ロシア」党首のプーチン首相(前大統領)、共産党のジュガーノフ党首、極右・自民党のジリノフスキー党首、左派「公正ロシア」のミロノフ党首、そしてロシア第3の富豪で投資ファンド創業者のプロホロフ氏です。

****露大統領選:プーチン首相一発当選濃厚に 集会に13万人****
3月4日に大統領選を控えたロシアでは、返り咲きを目指すプーチン首相の支持率が伸び、第1回投票で当選する可能性が高まってきた。首相陣営は23日に首都モスクワで約13万人参加(警察発表)の集会を開くなど動員力を見せつけている。集会に出席したプーチン氏は「23日は祖国防衛者の日」と強調し、愛国心の高揚を呼びかけた。

全ロシア世論調査センターは20日、最新調査に基づき、プーチン首相が58.6%を獲得し、2位のジュガーノフ共産党委員長(14.8%)に大きく差をつけるという予想を発表。「世論基金」もプーチン氏が58.7%を獲得するとの予想を出した。カーネギー国際平和財団モスクワセンターのペトロフ研究員は「プーチン氏の一発当選が最も現実的なシナリオ」と指摘する。

プーチン氏の支持率は昨年12月の下院選後に40%台前半まで落ち込み、一時は第1回投票で過半数を得られず、決選投票にもつれ込む事態も想定されていた。

大統領選には野党・独立系の4候補も出馬しているが、いずれも「体制内野党」と見られる向きが強い。そのため抗議運動の中心となる大都市中間層が、支持候補を見つけられず、プーチン氏を利する格好になっている。
また首相陣営は1月中旬から毎週、主要紙にプーチン氏の政策論文を掲載させるなど、主要メディアを利用した選挙戦を展開している。【2月23日 毎日】
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【「中流層の政党を打ち立てるリーダーがいない」】
個人的には、強面のプーチン首相が慌てる場面なども期待したのですが、いまのところは余裕の「一発当選」といった情勢です。
プーチン首相の強さは、90年代の混乱を収めて「安定」に導いた同氏への国民の信頼が強いことの他、成長する都市中間層を中心とした現状批判の受け皿となる候補・政党が育っていないこともあるとされています。
現状批判の内容は、民主化云々より、汚職が蔓延する社会不正への批判が中心と言われています。

****育ちゆく中流層どこへ ロシア大統領選****
「中流層の政党は必要だと思う。でも、その政党を打ち立てるリーダーがいない」
反プーチン集会に毎回参加してきた大学生のニコライさん(21)はそう嘆いた。初めて投票する3月4日の大統領選では、誰に投票するか困っている。

与党「統一ロシア」が薄氷の過半数を維持した昨年12月の下院選。不正があったと街頭に出たのが、社会の安定の中で育ちつつある都市中流層だった。中流層の怒りが爆発したのは、投票の受け皿がなかったのが一因と指摘されている。

政権側は、早くからその必要性を認識していた。昨年春、メドベージェフ大統領は当時のクドリン財務相にリベラル右派政党を率いることを打診した。下院に議席のない小政党「正義の事業」を活性化し、中流層を取り込む構想だった。しかし、クドリン氏は拒否。その後、投資ファンドを率いる大富豪のプロホロフ氏が党首に就いたが、内紛が原因で解任劇が起き、政権側のシナリオはついえた。

プーチン首相とメドベージェフ大統領の「ポスト交換」構想が公表された昨年9月、これに異を唱えたクドリン氏は財務相を解任される。プロホロフ氏は、政党推薦ではない唯一の候補として大統領選に挑んだ。
2人は反プーチン集会にも姿を見せた。中流層の取り込みが狙いなのは明らかだ。クドリン氏は「民主とリベラルを統合して新政党を作る協議が進んでいる」とツイッターで発言。プロホロフ氏は今月21日、新党結成の意向を表明した。
だが、クドリン氏は長年仕えたプーチン氏との関係は固いとされる。プロホロフ氏も含め政権側の意向で動いているのではないか。そんな疑念が、中流層の支持をためらわせている。

反プーチン集会の主催者会議には、未登録のリベラル政党「国民自由党」を率いるネムツォフ元第1副首相のほか、「人民大統領」の異名をとる人気ブロガーのナバリヌイ氏らが顔をそろえる。だが、中流層の受け皿となる政党に結集していく動きは見えない。

その一方でメドベージェフ氏は20日、ネムツォフ氏ら未登録野党の代表らと会い、政党登録要件の緩和など政治改革を約束。プーチン氏も新聞各紙で相次ぎ発表した論文で、「中流層は社会の多数派であるべきだ」など、集会参加者を意識した内容を盛り込んだ。

だが、26日にも「人間の鎖」の反プーチン行動が展開された。育ちゆく中流層をそれで納得させられるかどうか。戦略研究センターのドミトリエフ所長は「次の下院選を前倒しし、中流層を代表する政党の形成を進めなければ、階級闘争という最悪のシナリオになる」と指摘している。【2月28日 朝日】
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【「もはや人々は喜んでいない。だが、彼はその点に注意を払っていない」】
当選は確実とされるプーチン首相ですが、毎度繰り返される「タフガイ」演出には、国民の間でもいささかうんざりした受け止め方が出ています。
そうした空気が読めないあたりに、長く権力の座にある人物が次第に国民から離反していく様が窺われます。

****プーチン首相の「タフガイ」演出、もう古くさい?大統領選前にかすむ効力****
そこには、ウラジーミル・プーチン首相のトレードマークたる「タフガイ」を演出するためのあらゆる要素が備わっていた――スピード、危険、そして興奮。だが、プーチン首相を乗せた2人乗りボブスレーはゴールまで猛スピードで駆け抜ける代わりに、なんとも恥ずかしいことに、そしてある意味危険なことに、傾斜を上り切る速度を得られずスタート地点まで逆走してしまった。

2月16日のこの出来事について、ロシア政府は「1回目、首相を乗せたボブスレーはゴールまで到達しなかった。2回目には成功し、ウラジーミル・プーチンはゴールにたどり着いた」と簡潔な声明を発表しただけだった。けれどそれは、3月4日の大統領選で返り咲きを狙うプーチン氏が12年間にわたるロシア統治で駆使してきた「タフガイ」演出が、かつての魔法めいた効力を既に失ってしまったことを示す象徴的な出来事だった。

■色あせる「タフガイ」
プーチン氏は大統領在任8年間と首相在任4年間で、紛争中のチェチェン共和国に戦闘機で乗り付け、ホッキョクグマを優しくなで、トラに麻酔銃を撃ち込み、F1用レースカーに乗り、小型潜水艇で世界最深の湖底に潜り、上半身裸でシベリア地方を乗馬した。

しかし、プーチン氏に対する抗議運動が国内各地でわき起こり、本人も60歳になろうとする今、同氏の一挙一動にロシアのインターネット・ユーザーは批判的な検証の目を向けており、「タフガイ」パフォーマンスは効力を失いつつある。

露シンクタンクCPIの、オルガ・メフォジェワ氏はこう語る。「プーチン氏は、カリスマ性と支配的な男らしさを全面に押し出してきた。だが、このイメージはだんだん古くさくなり、現実と接点を失って惰性と化した。過去の業績を生かそうにも、新たな創造性がなければ、何もかもが繰り返しと再生産になってしまう」(中略)

■「やらせ演出」「格闘技試合でブーイング」
しかし前年の夏は、パフォーマンスが裏目に出てしまった。ロシア南部の海底遺跡を探査したプーチン氏は、奇跡的に古代ギリシャのつぼを「発見」し、ウェットスーツ姿で岸に戻るなり記者団に「宝だ!」と告げた。ところが後になって、つぼはそこに意図的に置かれたものだったことをプーチン首相の報道官が認め、反プーチン派のブロガーたちは一斉にプーチン氏に嘲笑を浴びせた。言葉あそびを使ったあるスローガンは「われわれは正直なつぼ(選挙)を要求する!」というものだった。

11月20日には、モスクワで行われた総合格闘技の試合で、勝利者を祝福するために登場したプーチン氏が自分の支持層と信じていた満員の格闘技ファンからブーイングを浴びせられた。この突発的な出来事は国営テレビで放映されてしまい、今では12月4日の総選挙後の抗議デモのさきがけとなったと見られている。

■過去のイメージ引きずるプーチン氏
元ロシア政府顧問で、「効果的な政策のための基金」を率いるグレブ・パブロフスキー氏は、プーチン政権初期は前任のボリス・エリツィン元大統領の変人ぶりとの比較から、プーチン氏の行動派のイメージが好意的に受け止められていたと指摘する。「当時は強い権力を求める声、強く活動的な大統領の姿を求める声があった。プーチン氏は慎重に、かつ意図的にこの欲望を満たしたのだ」

「今もプーチン氏がこの手法を続けているのは、過去にそれが成功をもたらし、また自分がそのイメージを気に入っているからだ。もはや人々は喜んでいない。だが、彼はその点に注意を払っていないのだ」と、パブロフスキー氏は分析した。【2月27日 AFP】
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大都市部にくすぶる反政権機運に神経質な反応
一方、昨日ブログで取り上げたイランでも国会議員選挙を前に改革派封じ込めのためネット規制が取られていますが、そのあたりはロシアでも同様です。
勝敗には関係なくても、反政権的な言動には神経質なようです。
自分・政権への批判を封じ込めようとする姿勢・体質には、欧米・日本的な民主主義とは異質な強権的雰囲気を感じてしまいます。

****政権側 言論統制に焦りの色****
報道・ネット、圧力強まる
3月4日に予定されるロシア大統領選を前に、自由な報道や言論を続けてきた数少ないメディアや、大きな影響力を持つ反政権派ブロガーに対する政権側の圧力が強まっている。選挙ではプーチン首相(前大統領)の当選が確実とみられているにもかかわらず、政権側は大都市部にくすぶる反政権機運に神経質な反応を見せている形だ。

国営天然ガス独占企業「ガスプロム」のメディア持ち株会社は今月、傘下の人気ラジオ局「エホ・モスクブイ」のベネディクトフ編集長ら幹部に同局役員を退くよう要求。同局は国営企業の系列ながら独立した報道姿勢で定評がある。

著名リベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」についても今月、露中央銀行が、同紙に出資する事業家のレベジェフ氏傘下の銀行に大規模な調査をかけており、同紙への資金供給に支障が出ていることが明るみに出た。一方、中銀は、絶大な人気を誇る反政権派のブロガーで弁護士のナワリヌイ氏らが口座を持つ銀行の調査にも乗り出している。

プーチン氏は前回の大統領に就任した2000年以降、主要テレビ局を国や国営企業の傘下に入れて言論・報道統制を強めた。だが、ロシアではネット利用者が07年の2280万人から倍以上の5290万人に急増、1300万人がソーシャル・メディアのフェイスブックを利用するなどネット環境が激変している。

モスクワで昨年12月の下院選後、選挙不正疑惑に抗議する10万人規模の反政権デモが行われたのも、こうした変化があってのことだ。ナワリヌイ氏はネット上の汚職追及運動で広範な支持を獲得し、ツイッターの読者は20万人に迫る。
昨年12月の下院選に際しては、治安当局が人気ソーシャル・メディアの運営者に反政権派の排除を要求して拒否されるなど“攻防”があった。

ロシアでは中国式の大規模なネット統制は困難とみられているものの、旧来の言論統制が利かなくなった現実に政権側が焦りを募らせているのは間違いない。【2月29日 産経】
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大統領選を前に暗殺計画が発表 懐疑的な見方も
なお、27日には、チェンチェン武装組織とつながるプーチン首相暗殺計画の容疑者が拘束されたことが国営テレビで報じられましたが、大統領選挙直前というタイミングもあって、自らの強さとチェチェン独立派への勝利を誇示し、ロシア愛国心を鼓舞するプーチン首相の選挙戦略の一環ではないかとの疑念も反プーチン派の間にはあるようです。

****プーチン首相が暗殺計画を一蹴、大統領選前に強さアピール****
ロシアのプーチン首相は28日、自身の暗殺計画が発覚したことについて、そのようなことは日常茶飯事だと一蹴し、大統領選を5日後に控え、男らしいイメージをアピールした。
タス通信によると、プーチン首相は訪問先のアストラハン市で記者団に対し、「四六時中、恐れていたら生活できない」とし、1999年に最初に首相になって以来、このような脅威にずっとさらされてきたと語った。

ロシアの国営テレビは27日、イスラム系武装勢力がプーチン氏を狙った暗殺計画を企て、容疑者2人がウクライナの港湾都市オデッサで拘束されたと報じた。同国のメディアは、容疑者が、昨年1月にモスクワ郊外のドモジェドボ空港で37人が死亡した自爆攻撃事件の首謀者であるドク・ウマロフ容疑者が率いるイスラム系組織「カフカス首長国」と関連があると伝えている。

しかし、ロシアの野党勢力は、3月4日の大統領選を前に暗殺計画が発表されたことを、プーチン氏への同情を集めようと意図的に流されたものとして懐疑的に見ている。
大統領選に関する最新の世論調査2つによると、プーチン氏が58―66%の得票率で勝利する見通し。【2月29日 ロイター】
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プーチン首相の「強い指導者」のイメージは、99年のロシア高層アパート連続爆破事件、それをチェチェン独立派武装勢力のテロと断定してチェチェンへの侵攻を再開した強硬姿勢によって作られましたが、連続爆破事件へのロシア連邦保安庁(FSB)による関与の可能性を指摘する意見も存在します。
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イラン国会議員選挙 改革派はボイコット 保守派内の争いで反大統領派伸長か

2012-02-28 21:27:28 | イラン

(テヘラン中心部 選挙ポスターの前を行きかう人々 “flickr”より By AJstream http://www.flickr.com/photos/61221198@N05/6933532819/

【「都市部を中心に大統領派候補が大敗する」】
イランと言えば、核兵器開発疑惑に関する関係国間の対立、イスラエルの核施設攻撃の可能性といった問題が焦点になる訳ですが、その話はひとまず置いて、3月2日に行われるイランの国会議員選挙の話題です。
この選挙結果は、核兵器開発疑惑による国際緊張の今後の方向性に大きく影響することにもなります。

09年6月の大統領選の不正疑惑では、ムサビ元首相やカルビ元国会議長などの“改革派”による反政府運動が展開されましたが、現在は民主化運動は完全に封じ込められた形で、両指導者とも自宅軟禁下にあります。
(最近、彼らの名前をニュースで見ることも殆んどなくなりました。)
今回の国会議員選挙では、改革派は「自由で公正な選挙が望めない」として正式候補の擁立を見送っており、アフマディネジャド大統領と反大統領勢力という、保守派内の争いとなっています。

****イラン:来月、国会議員選挙 事実上、保守派内の争いに****
核開発問題で欧米などの経済制裁下にあるイランで3月2日、国会(定数290)議員選挙が実施される。国際社会との対話を志向する改革派の大半は政府の弾圧を受けて不参加を決めており、事実上、保守派内の争い。選挙では、イスラム指導体制により忠実な反大統領派が勢力を伸長する可能性が高く、核問題でイランが選挙後、一層、強硬姿勢を取るとの見方も出ている。

イランでは、保守派のアフマディネジャド大統領が当選した09年6月の大統領選で、開票結果への疑念から、改革派が抗議デモを繰り広げた。政府はデモを徹底的に弾圧し、昨年2月以降、改革派指導者のムサビ元首相とカルビ元国会議長を自宅軟禁下に置いている。
このため、改革派は今回の国会選挙についても「自由で公正な選挙が望めない」として正式候補の擁立を見送り、市民に投票のボイコットを呼びかけている。改革派陣営では一部が「穏健改革派」などを名乗って立候補しているだけで、改革派の現有議席(全体の2割弱)をさらに減らす見通し。

一方、保守派内では最高指導者ハメネイ師とアフマディネジャド大統領の路線対立が熱を帯びている。聖職者でない大統領は宗教者層から「(思想が)イスラム体制を逸脱している」と非難を浴びており、「都市部を中心に大統領派候補が大敗する」(地元テレビ記者)との見方も強まる。ハメネイ師に近いラリジャニ国会議長ら反大統領派が圧勝すれば選挙後の国会で宗教色が強まり、核問題での政策転換はより難しくなるとみられる。

イランが「正統な民主国家」であると国際社会に印象づけたい政府は投票率(前回51%)の低下を警戒、「敵国が選挙を妨害している」と主張する一方、国民に選挙参加を促している。だが、首都テヘラン市民の関心は低く、雑貨店主のイブラヒムさん(57)は「経済制裁で景気は悪くなる一方だ。政府に近い仲間ばかりの選挙などばかばかしくて行けない」と不満を口にした。【2月28日 毎日】
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ボイコット戦術というのは、個人的にはあまり好きではありません。
「自由で公正な選挙が望めない」としても、可能な限り現行制度内での議席獲得に努める方が、発言権をできるだけ維持するうえでも、不正追及を今後の運動の基盤とできることでも、メリットが大きいように思えるのですが。
現実問題として、選挙運動ができない、逮捕拘束の危険が大きすぎる・・・ということでしょうか。

ネットによる反体制派の情報収集や抗議運動を警戒
イランでも近年はネットが情報伝達の中心になっていますが、改革派による投票ボイコットを警戒してか、政府はネット規制を強化しているそうです。

****イラン:ネット規制を強化 国会議員選を前に警戒****
イラン政府が2月初旬以降、インターネットのメール送受信を長時間止めたり、ネットを一時的に遮断するなど規制を強めている。3月2日の国会議員選挙を前に、ネットが反体制派の情報収集や抗議運動の呼びかけに利用されるのを警戒している模様だ。

イラン政府は通常から自国に批判的なニュースサイトやブログ、動画サイトの閲覧を禁止。規制対象に接続しようとすると、政府推薦サイトを列挙したページが現れる。
一部の市民は規制回避のための特殊ソフトを使い、交流サイト「フェイスブック」などに接続しているが、政府は最近、こうした回避手段の多くも使用不能にした。

また、11年1月に発足したサイバー警察も国民のネット利用監視を強化している。昨年の反政府デモに参加して一時逮捕されたテヘランの大学生(22)は先月、サイバー警察から電話を受け「運営している違法なブログを中止しろ」と脅されたという。【2月24日 毎日】
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大統領派敗退の場合、更に硬直化の懸念も
一方、イラン保守派内では、かねてよりアフマディネジャド大統領と、最高指導者ハメネイ師やラリジャニ国会議長らの反大統領派の確執・権力闘争が伝えられています。

****宗教界との摩擦が核を左右する〈リーダーたちの群像****
■アフマディネジャド・イラン大統領
「イランが今の発展の道から後戻りすることは決してない。科学技術は欧米だけが独占できるものではない」。イラン大統領のマフムード・アフマディネジャド(55)は今月15日、濃縮ウランの増産に踏み切ると宣言した。

背広にノーネクタイといういつもの姿ではなく、科学者のように白衣をまとっていた。イスラム革命33周年の11日に「核計画で大きな業績を示す」と自ら予告し、国内外の注目を引きつけた上での演説だった。
核兵器開発を国際社会に疑われ、制裁で国力が疲弊しても核開発中止の考えはみじんも見せない。なぜ、そんなに突っ張るのか。

透けて見えるのは、ローマ帝国と覇を競ったペルシャ帝国をルーツとし、さらにイスラム革命によって欧米とはまったく異なる国家を築き上げた「大国イラン」の自負と野心だ。

イランは、国民の直接選挙で選ばれた大統領よりイスラム法学者が高位に立つ「ベラヤティ・ファキーフ」体制を敷き、その最高指導者として君臨するハメネイ(72)が、国政全般の決定権を握る。「民生用」だとして核開発推進を主張する点で、アフマディネジャドとハメネイの間に大きな違いはない。
だが、この2人にいま、確執がささやかれる。

■覆される 人事も政策も
ハメネイを頂点とする体制下で、「行政府の長」にすぎないアフマディネジャドは、閣僚の人事すら思うようにならない。
アフマディネジャドは昨年4月、情報相を解任したが、ハメネイに覆された。アフマディネジャドは11日間にわたって閣議を欠席し、ハメネイに対する「反逆」と受け止められた。2009年には、12人いる副大統領の一人だった最側近を第1副大統領に登用しようとし、やはりハメネイに阻まれている。

宗教界との摩擦は絶えない。男子サッカーを女性が競技場で観戦できるように提案したが、宗教指導者の反発で撤回。女性に義務づけられたイスラム式の服装規定を軽視するかのような発言をしたこともある。
「(イスラム体制からの)逸脱勢力」。宗教指導者たちは昨夏ごろから、アフマディネジャドを支持するグループをこう呼びはじめた。これに対し、アフマディネジャドは昨年10月、国営テレビで「一部の者が政府を背後から攻撃しようとしている。政府のイメージを損なおうとする動きは激しくなるばかりだ」と漏らしている。

■基盤は革命防衛隊
地方の貧しい鍛冶(かじ)職人の家に生まれたアフマディネジャドは80年に始まったイラン・イラク戦争で、故ホメイニが創設した体制擁護の精鋭部隊・革命防衛隊に志願した。復員後はテヘランの大学で交通運輸計画の博士号を取得。大学教員、テヘラン市長などを歴任、05年の大統領選で初当選し非宗教者として最高ポストに上り詰めた。

アフマディネジャドが師事したとされる宗教指導者がいる。超保守派のメスバフヤズディ(78)だ。革命防衛隊が政治を主導することを望んでいるとされ、ホメイニ死去に伴って89年に最高指導者に就任した穏健派のハメネイとの対立もささやかれる。

メスバフヤズディの意を受けてか、大統領就任後、アフマディネジャドは革命防衛隊出身者を閣僚や政府要職に相次いで登用した。
総兵力12万5千の革命防衛隊は軍事組織にとどまらない。観光や通信などの経済分野にも進出、制裁で外国企業が撤退した石油・天然ガス田のインフラ整備も手がけ、肥大化の一途をたどる。

中東で唯一の核兵器保有国とされるイスラエルと対抗するためにも、革命防衛隊は核武装を望んでいるのではないか。そんな見方は根強い。欧米などが懸念を抱くのは、その革命防衛隊が核やミサイル開発を主導しているからでもある。

政治アナリストの一人は「革命防衛隊とアフマディネジャドは互いを必要としている」と指摘、さらに「アフマディネジャドは大統領こそが実権を握るべきで、最高指導者は『お飾り』でいいと考えている」と付け加える。
ハメネイは「イスラムに反する」として、核兵器開発の意図がないことを再三、強調している。そのハメネイは昨年10月、「行政府の長を国会が選ぶ方がいいのならば、変えても問題はない」と、大統領制廃止の可能性を示唆した。革命防衛隊を基盤とするアフマディネジャドを牽制(けんせい)した言葉とも受け止められた。

アフマディネジャドとハメネイの関係は、将来のイランのあり方とともに、核の行方を左右する可能性をはらんでいる。【2月26日 朝日】
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エキセントリックな反米発言などで知られるアフマディネジャド大統領ですが、その権力は宗教的権威や家柄ではなく、大統領選挙で選ばれたことに依っています。その意味で欧米の政治的指導者と、それほど大きな差異はないとも言えます。

上記記事にある、スポーツ観戦や服装においての女性に対する寛容な対応も、有権者の半数を占める女性票を意識してのことではないでしょうか。
また、経済制裁による生活苦を訴える国民の不満を無視しては、次期選挙での自派の勝利はありませんので、そうした不満に比較的敏感になります。
結果的に、国際社会へも現実的対応で臨む形にもなります。

今回選挙で大統領派が後退し、宗教権威を重視する反大統領派が伸長することになれば、大統領選挙などに反映される民意とか国民の不満に鈍感になり、政策がこれまで以上に硬直化することが懸念されます。



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ミャンマー  「制裁解除後」にらんで、大型開発と海外からの企業進出

2012-02-27 21:19:02 | ミャンマー

(ダウェーの魚市場 こういう光景が開発で消えていくのは旅行者としては寂しいものがありますが・・・ “flickr”より By florian_grupp http://www.flickr.com/photos/12906273@N05/2210544886/

アジアの一大物流拠点に
ミャンマーは民主化の進展で国際的な孤立を脱し、新たな経済進出先として注目を集めるています。
中でも南部ダウェーに計画中の「ダウェー深海港開発計画」は、東南アジア最大規模の工業団地構想であり、問題の多いマラッカ海峡をパスする形で、東南アジアとインド、欧州の間のモノの流れを一変させる可能性を秘めた巨大事業です。
ミャンマー側としては、ここを経済特区として、経済発展の起爆剤としたい考えです。

一方で、環境破壊の懸念や移転を強いられる地元住民の不安も根強く、初めて本格的な経済開発に乗り出すテイン・セイン政権は「調和のとれた開発」という難題にも直面しています。
また、莫大な資金を要するため、請け負っているタイ企業の資金難から計画はまだ進展していません。

ダウェー深海港開発計画
“タイ最大手の建設企業「イタリアン・タイ開発」(ITD)社が旧軍事政権との間で開発契約を締結。日本の鹿島臨海工業地帯のように砂浜を掘り込んで大型船舶が接岸できる港を建設し、その周囲に発電所、石油精製施設、工業団地などを配置する。同社によると総面積は東京・山手線の内側の約4倍、250平方キロに上る。タイ国境から160キロという近さを生かし、山間部に道路を建設してタイ側と直結。タイ、ベトナムなどインドシナ半島からインド洋方面へ向けた輸出拠点や、安い人件費を生かした加工基地としての役割を狙う。” 【2月3日 毎日】

****ダウェイ港開発、前途多難な船出 ミャンマー初の特区****
ミャンマー南部の地方都市ダウェイ周辺を、アジアの一大物流拠点に――。こんな計画が動き出した。東南アジアとインド、欧州の間のモノの流れを一変させる可能性を秘めた巨大事業だ。だが、開発を担うタイ企業の資金難や環境団体の抗議運動などで、事業が進まない可能性もある。

■アジアの拠点狙う
林や荒れ地の間を抜けて赤土の道路を進むと、真っ白な砂浜とアンダマン海が目に飛び込んでくる。
計画では2015年、この砂浜に大型コンテナ船が入れる水深20メートルほどの港ができる。道の両側には石油化学プラントや製鉄所が並ぶ工業団地も整備される。20年までの総投資額は580億ドル(約4兆6千億円)を見込む。

ただ、250平方キロの開発予定地に今あるのは、事業内容をパネル展示や模型で説明する施設や作業員の宿舎くらいだ。
農漁業を営む人が中心のダウェイは乗合馬車や放し飼いのヤギものんびり行き交う田舎町だが、ベトナムからカンボジア、タイを経てインド洋に至る物流ルート「南部回廊」のインド洋への出口にあたる要衝でもある。回廊の整備は東南アジア諸国連合(ASEAN)各国などが計画中のインフラ事業の目玉。野田佳彦首相も昨年11月に協力を表明した。

東南アジアとインドや中東、欧州の間の貨物輸送は現在、マラッカ海峡ルートに頼る。ダウェイ港を整備してタイやベトナムと道路で結べば、例えばバンコク近郊の工業団地から貨物を陸送してダウェイで船積みでき、インドや欧州への輸送時間は3日も短縮できる。マラッカ海峡での混雑や相次ぐ海賊被害も避けられる。
東南アジアでは日本などの自動車、電機メーカーが国境を越えた部品供給網を整え、ものづくりの分業体制を作り上げている。巨大市場のインドを組み込み、中東や欧州への輸送コストも減らせれば利点は大きい。

ミャンマー政府は昨年1月、開発予定地を国内初の経済特区とする法律を制定し、進出企業に税減免といった優遇措置を用意した。昨年の「民政移管」を機に米欧との関係改善が進み、経済制裁解除に向けた動きも出てきた。政府のティンマウンスウェ現地事務所長は「中国は1980年、広東省深セン(センは土へんに川)に経済特区を設けて外国の資金や技術を吸収し、ここまで発展した。ミャンマーにもそうした地域が必要だ」と期待する。

開発事業は安全保障面でも注目を集めている。中国はミャンマーやスリランカ、バングラデシュなどアジア各地で港湾建設を進めており、軍事利用が念頭にあるとの見方も目立つ。米欧の制裁下で中国に頼り切りだったミャンマーは、多方面外交をベースに経済発展を目指す路線に軸足を移しつつあり、ダウェイ港はタイ企業に整備を任せた。米国も戦略上の要地であるダウェイ開発の行方に関心を寄せている。

■民間任せ 資金難も
開発予定地の基盤整備を請け負ったのは、バンコクの新国際空港も手がけたイタリアンタイ・ディベロップメント社。タイの建設業最大手だが、港や発電施設、タイと結ぶ高速道路の建設に必要な80億ドル(約6400億円)に及ぶ資金集めは簡単ではない。出資者を募るため東京で昨年6月に事業説明会を開いたのに続き、今年は中国と韓国でも開く。(中略)

開発事業はミャンマーとタイの両国が08年に交わした合意に基づくが、今のところ両政府の資金支援はない。日本企業は「民間だけでできる規模ではない。公的な資金支援が欠かせない」(大手商社)と、軒並み様子見の構えだ。
日本の経済官庁幹部は「ミャンマー政府はイタリアンタイに任せた以上、今は日本に直接の支援は求めにくい。契約を白紙にするか、タイ政府にテコ入れしてもらうか見極めているところではないか」と見る。

ミャンマーやタイの環境団体による抗議運動も起きている。これを受け、ミャンマー政府は1月上旬、イタリアンタイなどが計画していた石炭火力発電所の建設中止を発表。環境への影響を抑える方策を検討するという。今の政権は、米欧との関係改善のため市民の声を重視する場面が目立つ。

開発予定地に住む1899世帯の移転も課題だ。住民による目立った抗議活動はまだないが、補償条件の交渉は決着していない。カシューナッツ農園を営むカンミンさん(49)は「先祖代々の土地から移りたくはない。でも近くに働き口ができれば、タイの工場へ出稼ぎに行っている2人の息子や村の若者たちも戻ってくるだろう」と複雑な胸の内を明かす。【2月27日 朝日】
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地元住民との立ち退き交渉が始まっていますが、賛否両論あるようです。
“住民は「移転賛成」と「反対」に割れている。開発会社は移転住民に近代的な住宅を提供し、集団移転先にはこれまで現地になかった病院や市場も建設するという。「失うもののない貧しい人々は移転に賛成する一方、土地を所有しゴム園などを営む比較的豊かな農民層は反対だ」。現地の環境保護活動家、ハインさんは指摘する”【2月3日 毎日】

政府側も強引に進めて、国内の反対世論の高まりからテインセイン大統領が昨年建設中断を発表した中国企業による巨大ダム事業の二の舞いとなることは避けたいところで、慎重に対応しています。
“1月下旬にダウェーを訪れたティンアウンミン副大統領は「移転補償は住民の意向に沿うものでなければならない」と住民側に立つ一方で、「開発が実現すれば多くの雇用が生まれ、これまで仕事がなく外国へ働きに出ていた住民が帰ってくることができる」と、開発が住民の利益になることを強調した”【同上】

【「彼らはミャンマーに殺到している。われわれは門戸を開放するだけだ」】
海外から投資を呼び込む施策として、ミャンマー政府は、外国資本に対する8年間の免税措置を計画していることを明らかにしています。

****門戸開放」するミャンマー、外資に8年間免税を導入へ*****
かつて国際的に孤立していたミャンマーと関係を築こうと欧米企業が「殺到」する中、ミャンマー政府は28日、外国資本に対する8年間の免税措置を計画していると述べた。

ミャンマーのソー・テイン第2工業相は記者団に、スイス・ダボスの世界経済フォーラムで出会った財界リーダーたちからミャンマーに対する多大な関心を寄せられたことを明かした。
「彼らはミャンマーに殺到している。われわれは門戸を開放するだけだ」とソー・テイン工業相は述べ、ミャンマーの来年度の成長率は6%を見込んでおり、外国資本にとって魅力的な場所になるはずだと語った。

またミャンマーのルイン・タウン鉄道副大臣は、投資家を引きつけるために政府が抜本的な法案を検討していることを明かし、「(法案は)最長8年の免税措置を与えるもので、ミャンマーにとって有益な企業であれば措置の延長も行う。すでに草案はまとめられており、2月末には法が制定されるだろう」と語った。

■国際社会に復帰しつつあるミャンマー
米国はミャンマーが改革を進めればそれに報いる用意があると約束しているが、ベルギー・ブリュッセルの外交官らによると、欧州連合も早ければ2月にもミャンマーに対する制裁措置を解除することを検討しているという。

孤立状態にあったミャンマーだが、名目上の民政に移行し、同国の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんとの対話も始めている。ヒラリー・クリントン米国務長官は昨年12月、画期的なミャンマー訪問を行い、その後米国は外交関係の全面再開に動いた。さらに同国の閣僚が世界経済フォーラムに招待されたことは、ミャンマーが国際社会に受け入れられつつあることを示している。

■観光投資に期待よせる政府
ミャンマー政府が外国投資を最も期待しているのは観光業だ。ソー・テイン工業相は、ホテル業がすでに需要に追いつけなくなっていると述べる。
「観光業が急成長している。ヤンゴンでは部屋がとれない。ヤンゴンだけでなく、マンダレーやインレー湖でもとれない」と、ソー・テイン工業相はミャンマーの2大都市と最大の観光地の名前を挙げた。【2月1日 AFP】
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日本企業から見たミャンマーの魅力と問題点は下記記事にもありますが、上記記事ラストの“観光”については、東南アジア屈指の観光資源を有していることは間違いありません。
特に、バガンの仏教遺跡は、日本での知名度は高くありませんが、アンコールワットに匹敵するようなインパクトがある世界的遺跡です。その他、ヤンゴン、マンダレー、インレー湖周辺にも、面白いところがゴロゴロしている・・・そんな国です。国民性が穏やかで、のんびりできることも魅力のひとつです。

【「アジア最安」とされる人件費 中国の5分の1
****狙えミャンマー進出 日本企業「制裁解除後」にらむ****
日本企業がミャンマーに熱い視線を注ぎ始めた。米欧による経済制裁の解除が現実味を帯びてきたため、多くの企業が進出を検討している。格安の人件費、隣国タイ並みの人口規模、豊富な天然資源など魅力は多い。ただ、深刻な電力不足といった問題もある。

■人件費「アジア最安」
いち早く現地に進出した企業の現場を見た。
ミシンの音だけが響く工場で、若い女性たちが黙々とカジュアルパンツを縫い上げる。最大の都市ヤンゴンの中心部から車で40分。ミャンマーに2002年に進出したマツオカコーポレーション(広島県福山市)が、04年に設けた2番目の工場だ。日本国内の紳士服量販店や百貨店向けの衣料品をつくっている。

1年で最も過ごしやすいこの時期でも最高気温は30度を超えるが、作業場に冷房はなく、換気装置でしのぐ。従業員1千人の工場に常駐するただ一人の日本人、現地子会社の崎谷俊一社長は首にタオルを巻き、「節約のため、私の部屋も冷房なしです」。平均的な工員の月給は5万5千チャット(実勢で約5500円)。中国のグループ工場では5倍の額を払っているという。

マツオカは99年に国内工場を閉じた。活路を求めて進出した中国でも賃金水準がどんどん上昇。このため、10年夏以降、中国でつくっていたカジュアル衣料品の一部をミャンマーでの生産に切り替えつつある。縫製業のような、大量生産に人手がいる企業にとって、「アジア最安」とされる人件費は大きな魅力だ。  日本貿易振興機構の昨年の調査によると、ミャンマーの日系企業の工員の月給は平均68ドル(約5200円)。中国の5分の1、ベトナムの半額だ。

「格安」なのは単純労働者だけではない。システム開発の第一コンピュータリソース(名古屋市)は08年、ヤンゴンに開発拠点を開いた。
ミャンマーは国立大学でIT(情報技術)人材育成に力を入れるが、地元企業の新卒採用はきわめて少ない。現地法人の赤畑俊一社長は「今は非常に優秀な人材がいくらでも採れる」と明かす。入社前から研修を施し、180人のミャンマー人従業員は基本的に本社や顧客との電話やメールのやりとりを日本語でこなす。

消費市場としての潜在力も注目される。1人あたりの名目国内総生産(GDP)ではラオスやカンボジアにも及ばない東南アジアの最貧国。だが6200万の人口を抱え、大都市に限ればショッピングモールや高級スーパーが急増中だ。大手商社のヤンゴン駐在員は「外資の参入で製造業が発展し、人々の所得水準が上がっていけば可能性は大きい」とみる。

インフラビジネスにも期待が集まる。現地には日本企業が70年代ごろまでに建てた水力発電所や製油所、セメント工場が多く残る。日本の経済産業省幹部は「ミャンマーの人は日本のインフラの性能の高さを知っている」。経産省が音頭を取り、古くなったインフラを点検する技術者集団を近く派遣して商機を探る。

ミャンマーはアジア有数の親日国だ。進出が目立つ中国やタイの企業に比べて、高い技術やブランド力を持つ日本企業への期待は大きい。ミャンマー商工会議所連合会は視察や問い合わせの急増にともない、日本企業専用の相談窓口を設ける方針を決めた。フラマウンシュエ副会頭は「多くの日本企業がミャンマーに進出して、国内の雇用を増やしてほしい」と訴える。

■インフラの不備、深刻
ただ、マツオカのように自社工場を建てた日本企業で、今も操業しているのは縫製業を中心にわずか数社にとどまる。直接投資するリスクを避け、ミャンマー企業に技術指導して製品をつくってもらう「委託加工」をしている企業も20社ほどにすぎない。

昨年まで続いた軍事政権に対する米欧の経済制裁が強まるなか、00年代に日本企業の撤退が相次ぎ、新規投資もほぼ途絶えた。だが、日本企業がミャンマー進出に消極的だった理由は経済制裁だけではない。
電力や道路、通信といったインフラの不備は深刻だ。数時間単位の停電は日常茶飯事で、コストがかさむ自家発電設備は不可欠。「運営費の3分の1を電気代が占める工場もある」(現地の日本企業経営者)。複数のレートが併存する複雑な為替制度や、不透明で時間がかかる許認可手続きも不評だ。

ミャンマーには天然ガスやレアアースといった豊富な天然資源が眠るが、「開発には縫製工場などとはケタ違いの投資が必要。民主化が定着するかどうかも含め、まだリスクが大きすぎる」(別の大手商社駐在員)という声が目立つ。

一方、中国やタイは資源開発や港湾建設といった大規模事業に次々と参入。製造業では韓国勢の進出も目立つ。89~10年度のミャンマーへの国別の直接投資額の累計で、日本は中国・香港の1%強に過ぎず、出遅れている。
外資系企業の工場の大半が集まるヤンゴン周辺では、とくに縫製業で働き手の争奪戦が激しく、早くも人集めが難しくなってきているという。【2月6日 朝日】
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凍結していた円借款の再開
アメリカ国務省は6日、ミャンマー政府の改革を評価し、これまで米国内法に基づき反対してきた国際金融機関による対ミャンマー経済支援を部分的に認める制裁緩和措置を決定しています。
欧州連合(EU)欧州委員会のピエバルグス委員(開発担当)は12日からミャンマーのテインセイン大統領らを訪問し、今後2年間で1億5千万ユーロ(約155億円)の経済支援を表明すると報じられていました。
日本も、凍結していた円借款の再開に向けて動いています。

****対ミャンマー円借款再開を表明へ 4月に日本で首脳会談****
野田佳彦首相は4月下旬にミャンマーのテインセイン大統領を日本に招いて会談する。ミャンマー政府が進める民主化と国づくりを支援するため、凍結していた円借款の再開を表明する方向で調整している。

大統領は4月21日に東京で開かれる「日メコン首脳会議」に出席する。昨年3月の民政移行後、ミャンマー元首の来日は初めて。日本政府は経済支援を強め、日系企業の進出などを後押しする考えだ。

日本政府は1988年の民主化運動弾圧以降、途上国援助(ODA)を人道支援に限定し、大型インフラ整備などのための円借款を凍結した。それ以前の供与分の延滞債務が5千億円近くに膨らんでおり、支援再開の前提として対外債務の返済方法を決めるため、両国間で協議している。4月1日の国会補選が適正に行われるかも見極める。【2月23日 朝日】
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アフガニスタン  コーラン焼却事件の混乱拡大 反米感情と相互不信

2012-02-26 21:18:20 | アフガン・パキスタン

(2月21日 バグラム米空軍基地の門前での抗議行動で、群衆に示される一部燃えたコーラン “flickr”より By hooterburg http://www.flickr.com/photos/69071395@N04/6917469583/

【「故意ではなかった」】
アフガニスタンの駐留米兵がイスラム教の聖典コーランを燃やしたことへの住民の抗議と混乱が、なかなか収まりません。

事の発端は、首都カブール北方のバグラム米空軍基地で20日、米兵らがコーランを含むイスラム教関連書籍を焼却しているのを基地で働くアフガン人従業員が目撃、焼却を止めさせ、燃えたコーランを手に基地外に飛び出し、兵士らの行為を非難したというものでした。
燃やされたコーランは、基地内に拘束されたイスラム教徒のためのものだったとみられています。

事件発覚後、国際治安支援部隊(ISAF)のアレン司令官は「アフガン国民に心から謝罪する」との声明を発表、この中で、不適切な方法での廃棄を認めつつ、「故意ではなかった」とし、調査を命じていますが、その後の混乱の拡大は周知のとおりです。

アフガニスタン駐留米軍を巡っては、米海兵隊員4人が1月、タリバン戦闘員の遺体に放尿する場面を撮影した映像がインターネット上に流出する問題が起きたばかりでしたので、“またか・・・”という感がありました。
今回は、「故意ではなかった」とは説明されていますが、度重なる失態に、日頃からの反米感情に火がついた形となっています。
“カブールでは、抗議デモ参加者が「米国に死を」「カルザイ(大統領)に死を」などと連呼。参加者は、外国人が利用している宿泊所に放火し、カブールの米国大使館職員は施設内に閉じこもった状態という”【2月22日 毎日】

【「謝罪外交」】
アメリカ側は現地の治安情勢や、タリバンとの和平交渉、今後の撤退計画への影響を懸念し、「謝罪外交」とも言える政権を挙げた謝罪によって事態の早期収拾を図ろうとしています。

“パネッタ長官は(21日の)声明で「国際治安支援部隊(ISAF)のアレン司令官と私はアフガンの人々に謝罪する」と表明。カーニー米大統領報道官も21日の記者会見で「極めて残念な出来事だ」と述べ、再発防止へ向けた措置を講じる考えを強調した。アレン司令官は指揮下の兵士を対象に、イスラム教に関する新たな教育を2週間以内に実施すると約束した。”【2月22日 毎日】

オバマ大統領もアフガニスタンのカルザイ大統領に書簡を送り謝罪しています。
****米兵の安全に懸念=コーラン焼却でオバマ氏謝罪****
カーニー米大統領報道官は23日の記者会見で、アフガニスタン駐留の国際治安支援部隊(ISAF)の兵士がイスラム教の聖典コーランを焼却し、抗議デモが激化している問題を受け、同国のカルザイ大統領にオバマ大統領が書簡を送り、謝罪したことを確認した。現地に駐留する米兵らの安全が保たれない恐れがあることを懸念し、謝罪したと説明している。
カーニー報道官は、コーランを焼却したのは米兵だったことを認め、「不注意」によるものだったと釈明した。書簡は3ページにわたるという。【2月24日 時事】
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住民側、アメリカ側双方に犠牲者も
抗議のデモは全国各地に拡大、アフガニスタン警察の発砲により住民側に多数の死者を出す状況となっています。

****アフガン暴動、長期化懸念 米兵のコーラン焼却問題****
アフガニスタンの駐留米兵がイスラム教の聖典コーランを燃やしたことに抗議する住民のデモが、アフガン各地に広がっている。24日もイスラム教の金曜礼拝後に抗議デモが起こり、首都カブールと西部ヘラートなどで少なくとも計10人が死亡した。米国はオバマ大統領までが謝罪を表明したものの、沈静化の兆しは見えない。
デモは4日連続。地元報道によると、24日までに住民ら30人近くが死亡した。

23日には、東部ナンガルハル州でデモに加わっていたアフガン兵が、アフガンに展開する国際治安支援部隊(ISAF)の兵士に向けて発砲、米兵2人が死亡した。反政府武装勢力タリバーンはこの日、コーラン焼却への報復として、駐留外国軍を攻撃するようアフガン国民らに呼び掛ける声明を出していた。

オバマ大統領は23日、アフガン国民に「心から謝罪する」と記した3ページの書簡をカルザイ大統領に渡した。焼却は「故意ではなかった」と釈明。ISAFのアレン司令官やパネッタ米国防長官も相次いで謝罪を表明した。

アフガンでは昨年4月、米国のキリスト教会でコーランが焼かれたことに抗議するデモ隊が暴徒化し、国連事務所が襲われる事件も起きていた。今月上旬には米軍の戦闘任務を2013年後半に終結させる方針が示されているが、今回の問題が治安権限移譲の時期などに影響する可能性も指摘されている。【2月25日 朝日】
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ISAF兵士やアメリカ人を標的した襲撃も起き、情勢が悪化しています。
東部ナンガルハル州では23日、デモに加わったアフガン兵がISAF兵士に発砲し、ISAF兵2人が死亡。
更に、25日には内務省で外国人顧問2人が射殺されました。

****アフガン:内務省で米国人顧問2人が射殺される****
アフガニスタンの首都カブールにある内務省で25日、外国人顧問2人が射殺された。民放トロTVによると、いずれも米国人。内務省は警備が厳重で、内部のアフガン人による犯行の可能性が高い。

顧問2人は、内務省に設置された国際治安支援部隊(ISAF)とアフガン側の調整センターにいたという。アフガンでは23日、東部ナンガルハル州で国軍兵がコーラン焼却に抗議するデモに合流して米兵2人を射殺したばかり。今回の事件もコーラン焼却と関連がある可能性がある。【2月25日 毎日】
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この事件を受け、ISAFのアレン司令官は、カブール市内の省庁に派遣されている顧問団をすべて引き揚げる緊急措置を発表しています。
今後米国主導のISAFとアフガニスタン政府間で急速に不信感が高まることも懸念されています。

高まる反米感情 乗じるタリバン
現在のところ、アフガニスタン住民の怒りは収まらず、この混乱に乗じる形でタリバン側の扇動も行われています。

****アフガン米軍基地「コーラン」焼却 抗議デモ激化****
・・・・カブール市内で23日のデモに参加したバシル・ハイダリさん(28)は、「コーラン焼却は米国の意図的な行為だ。その証拠に、謝罪しても同じことが繰り返されてきた。米国はテロに対してではなく、アフガン人とイスラムを相手に戦っている」と、本紙通信員の取材に米国への怒りを爆発させた。

コーランの焼却は、昨年3月にも米フロリダ州のキリスト教会であり、アフガン各地で米国への抗議デモを引き起こした。アフガンでは、信仰心を傷つけられた市民に対し、イスラム教指導者が反米感情をあおる傾向が強く、同様の問題はたびたび大規模な反米デモに発展してきた。

アフガンは今年、15年ぶりとされる厳冬に見舞われ、各地の生活は積雪などでまひ状態に陥っている。物価の上昇など社会への不満も鬱積しており、コーラン焼却問題で市民の怒りが一気に噴き出した形だ。

イスラム原理主義勢力タリバンは早速、「単なる抗議で満足せず、侵入者を殺害せよ」とする声明を出し、混乱に乗じて勢力拡大を狙っている。政治アナリストのモハマド・ハッサン・ハキヤー氏は、「今回の出来事はアフガンでの親米感情を排除したいパキスタンやイランを利するだけだ」と指摘している。【2月25日 産経】
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米軍とアフガン治安部隊の現場レベルで、相互不信拡大も
住民の怒りの矛先はカルザイ政権にも向いており、“デモではタリバンのシンボルの白い旗を持つ参加者もいる。政権の腐敗に不満を抱いてきた国民にとって、聖典焼却は政権による「米国追随」の結果とも受け止められている。カルザイ大統領は「デモは住民の権利だ」と述べ、非暴力の抗議を容認して事態を沈静化したい意向をにじませた。”【2月25日 毎日】と、カルザイ政権も難しい対応を迫られています。

今回の事件では、米軍とアフガン治安部隊の現場レベルで、相互不信がまん延することが懸念されています。
もともと信頼感はなかった関係ではありますが、相互不信が表面化することで、タリバンに対して協調して対応することも、米軍撤退後の青写真を描くことも、いよいよ困難になってきています。

****相互不信まん延阻止に懸命=コーラン焼却、米軍人射殺―アフガン****
アフガニスタンで国際治安支援部隊(ISAF)の米兵によるイスラム教の聖典コーラン焼却に続いて、首都カブールの内務省で米軍人が射殺された事件が起き、米軍とアフガン治安部隊の現場レベルで、相互不信がまん延することが懸念されている。

コーラン焼却ではオバマ大統領が早々に書簡で謝罪を表明。米軍人射殺ではアフガンのワルダク国防相が25日に電話でパネッタ国防長官に謝罪した。2014年の治安権限移譲を控え、米、アフガン両政府ともに早期の事態収拾に懸命だ。

米国防総省のリトル報道官によると、ワルダク国防相はパネッタ長官に緊急対策を講じるためにカルザイ大統領が宗教指導者や国会議員、最高裁判所判事を招集していると説明した。パネッタ長官はISAF兵士を守り、暴力を阻止するために断固たる措置を講じるよう求めた。【2月26日 時事】 
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タリバン掃討作戦、米軍の撤退計画、タリバンとの和平交渉といった超大国の威信をかけた取り組みも、たった一冊のコーランの償却という思いもかけない出来ごとで大きく揺らぎかねない・・・現実と言うのはそういうものです。
もっとも、その危うさの背後には、反米感情とか相互不信という根本的問題が改善されずにきたという、厳然たる事実があってのこととも言えます。

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カンボジア特別法廷  裁かれるポル・ポト政権の狂気

2012-02-25 20:35:34 | 東南アジア

(11年12月5日 カンボジア特別法廷に出廷したヌオン・チア元人民代表会議議長 “flickr”より By Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia http://www.flickr.com/photos/krtribunal/6458550559/

【「長い時間を経て、ようやくここまできた」】
ポル・ポト政権(1975~79年)下のカンボジアでは、飢餓や過酷な労働、処刑などによって人口のほぼ4分の1にあたる約170万人~200万人が死亡したとされています。 

そのポル・ポト政権の犯罪行為を裁くカンボジア特別法廷においては、これまでも何回か取り上げてきたように、元トゥールスレン政治犯収容所長カン・ケ・イウ被告については結審したものの、政権責任者の立場あった幹部4名については公判がまだ開始したばかりです。

なお同法廷に起訴された唯一の女性幹部で、ポル・ポト政権の「ファーストレディー」と呼ばれていたイエン・チリト元社会問題相は、認知症のために公判に耐えられないと判断され、判事らはチリト被告の釈放を命じており、政権ナンバー2だったヌオン・チア元人民代表会議議長、ナンバー3のイエン・サリ元副首相兼外相、キュー・サムファン元幹部会議長の3被告の裁判が先行しています。

カン・ケ・イウ被告は収容所長という目立つポジションにあったとは言え、権力構造的には末端にすぎません。
権力中枢にあった幹部4名の裁判なしには、国民を死に追いやったポル・ポト政権の狂気の真相を明らかにすることはできません。

****カンボジア、ポル・ポト派法廷 「暗黒の歴史」なおベール****
 ■「犠牲者に正義を」見守った遺族
カンボジアのポル・ポト政権が1979年に崩壊してから33年もの歳月を経て、大量虐殺に対するひとつの判決がようやく確定した。カンボジア特別法廷の最高裁が3日、元トゥールスレン政治犯収容所長カン・ケ・イウ被告(69)に下した、最高刑である終身刑の判決に、「粛清」を免れた生存者や犠牲者の遺族は沸いた。だが、大虐殺という「暗黒の歴史」はなお、ベールに包まれている。

現地時間の午前10時(日本時間正午)から開かれた判決公判。日本の野口元郎氏ら7人の判事が入廷し、判決文の朗読が始まった。そして最後にコン・スリム裁判長がカン・ケ・イウ被告に向け、口を開いた。
「被告の犯罪は、人類の歴史において最悪のものであることに疑いはない。よって終身刑を科す」
同被告は身動きもせず、聞き入っていた。

法廷の内外では、わずかな生存者や犠牲者の遺族ら数百人が、判決の行方を固唾をのんで見守った。現地からの報道によると、夫や両親をはじめ家族19人を失ったキム・フイさんは「犠牲者についに正義がもたらされ、心の安らぎを覚える」とコメント。「長い時間を経て、ようやくここまできた」(28歳の男性)という声も聞かれた。

ポル・ポト政権が、ベトナム軍の侵攻により、政権の座から一掃されたのは79年1月のこと。その後、カン・ケ・イウ被告がカンボジア特別法廷に起訴されたのは2008年8月になってからで、判決確定までさらに3年半を要した。

公判では多くの証人が出廷し「つめはぎや電気ショック、水責めなどで自白を迫られ、故意の殺人、拷問、非人間的な拘禁が行われた」という実態を証言している。カン・ケ・イウ被告は「収容所はポル・ポト(元首相、故人)が発案し、ソン・セン(元副首相、1997年に殺害)が実行し、ヌオン・チア(元人民代表議会議長)が管理した。責任は最高幹部にあり私にはない」と抗弁した。

そのヌオン・チア被告(85)ら元最高幹部の4被告は、高齢のうえ、人道に対する罪などの容疑を否認し続けている。
同国のソク・アン副首相は3日、「わが国と全人類にとり歴史的な日だ」と初の判決確定を称賛したが、「革命」と「粛清」の名の下に200万人ともされる住民らが虐殺された真相の解明は、阻まれたままだ。【2月4日 産経】
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カン・ケ・イウ被告の「収容所はポル・ポト(元首相、故人)が発案し、ソン・セン(元副首相、1997年に殺害)が実行し、ヌオン・チア(元人民代表議会議長)が管理した。責任は最高幹部にあり私にはない」という主張は、もっともでもあります。彼が罪を免れる訳ではありませんが。

【「路上にも学校にも子どもの姿はなく、パゴダにも人の姿はない。市場も、笑い声も、何もなかった」】
カンボジア特別法廷に、秘密のベールに包まれていた(クメール・ルージュが世界の注目を浴びるようになっても、その指導者がポル・ポトであることすら海外では知られていませんでした。)最高指導者ポル・ポトとの会見を実現した米国人記者が出廷し、当時の録音記録などを提出するそうです。
ポル・ポトが死亡している現在、彼が何を目指していたかを知る一助になれば幸いです。

****70年代にポル・ポトと会見した米国人記者、カンボジア特別法廷で証言へ****
1970年代後半、カンボジアの実権を掌握していた共産主義勢力ポル・ポト派(クメールルージュ)の招待で同国を訪れた2人の米国人記者が見たものは、人気のない道や子どものいない学校、笑い声がいっさい聞こえない首都プノンペンだった。

その1人、エリザベス・ベッカー氏(64)は当時、指導者ポル・ポトとの貴重な会見を果たした。
滞在中、あらかじめ設定が決められた映画セットのような雰囲気の中でならば、写真を撮る機会は何度もあった。しかし凝縮した2週間の滞在を終えて、ベッカー氏はポル・ポト政権の「狂気」を確信するに至った。2人とともにカンボジアを訪問していた英国人学者のマルコム・コールドウェル氏は、滞在中に殺害された。

米ワシントン・ポストの記者を引退したベッカー氏は今、当時撮影した写真やポル・ポトのインタビューの録音テープを初めて公開するために、30年以上の時を経てカンボジアへ舞い戻った。同時にベッカー氏は、旧ポル・ポト政権による大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷で証言する準備も進めている。(中略)

極端な共産主義革命を推し進めたポル・ポト政権は、「農村ユートピア」を築くというスローガンの下、貨幣や宗教を否定し、都市から人を追い出し、何百万人をも強制労働に従事させた。鎖国状態にあったカンボジアの内部で進行していた事実を、世界は当時、知ることはなかった。

■見せかけで上塗りされた狂気
ベッカー氏がカンボジアを訪れたのは政権末期の1978年12月で、ベトナムのカンボジア侵攻が迫っていた時期だった。ポル・ポト派はベトナムの攻撃をかわそうと、遅ればせながらも国際支援を求めた。そこで始めたのが彼らの「革命」を肯定的に見せる広報戦略だ。

「彼らは、それまで世界から完全に自分たちを隔離していた。だから(ベトナムからの脅威にさらされて)友人なり助けなりが緊急に必要となったのだ」(ベッカー氏)(中略)

見学に訪れた農村共同体のモデル集落では、健康そうな村人たちが農作業をしていたが、それも非現実なものにしか映らなかった。「わたしは自分の目に『入ってこなかったもの』に不安を煽られた。次の角を曲がれば本当の日常が現れるかもしれない、そう思っても、それは決して起こらなかった。路上にも学校にも子どもの姿はなく、パゴダ(仏塔)にも人の姿はない。市場も、笑い声も、何もなかった」

■同行していた英国人学者は・・・
カンボジア滞在の最終日、ベッカー氏とダッドマン氏は欧米人記者として、クメールルージュ時代に最初で最後となるポル・ポトへのインタビューを行った。ポル・ポトの印象について「想像していたよりもずっとカリスマ性があり、端正だった」とベッカー氏は振り返る。ポル・ポトは2人にベトナムとの戦争の脅威について「講義」し、北大西洋条約機構(NATO)にクメールルージュを支援してほしいのだと語った。「NATOが自分の側についてくれると考えるなんて、それだけでポル・ポトがいかに死に物狂いの状況だったかが分かる」(ベッカー氏)

一方、ポル・ポト政権に好意的だったマルクス研究者のコールドウェル氏は、記者たちとは別にポル・ポトと2人きりで会見した。その数時間後、同氏は宿泊していた施設で射殺体で見つかった。この死の真相は謎のままだが、ベッカー氏は当時、宿泊施設の中で銃を持った男を見かけたという。これぞクメールルージュの狂気だと、ベッカー氏は語る。「自国民を見境なく殺りくしていた政権を相手に、なぜコールドウェル氏が殺されたのか合理的な理由を探そうとしても、それが意味をなすのかどうか、わたしには分からない」

コールドウェル氏の遺体とともに、ベッカー氏とダッドマン氏がカンボジアを離れてから2日後の1978年12月25日、ベトナム軍がカンボジアに侵攻した。ベトナム軍は1月7日までにプノンペンを掌握。ポル・ポト政権は追放された。ポル・ポトは逃げ込んだジャングルからゲリラ戦を続けたが、1998年に死去。ポル・ポト政権下での行為について裁きを受けることはないまま、最期を迎えた。

カンボジア特別法廷の裁判で、高齢となった証言者たちはしばしば、遠くなった記憶の問題に悩まされるが、ベッカー氏はまったく心配していない。「わたしは記憶に頼る必要はない。取材のメモがあり、録音がある。これは記者の有利な点だ」【2月24日 AFP】
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【「こうして、愛するカンボジアのみなさんに事実を伝える機会を、ずっと待ち焦がれていた」】
ポル・ポトが死亡している現在、幹部4名のなかでポル・ポトに最も近かったナンバー2のヌオン・チア(元人民代表議会議長)の発言が注目されます。
イエン・サリ被告が、自分は一度恩赦を受けており裁かれる立場にないと主張、キュー・サムファン被告は、自分は意思決定プロセスには入らない「飾り物」の権力者だったとして議論を回避する姿勢を見せているなかで、ヌオン・チア被告は、自らの思想の正当性を訴えています。
(イエン・サリ被告の主張は法律論的には考慮されるべきものですし、キュー・サムファン被告が“対外的な顔”に過ぎなかったというのもある程度事実でしょう。)

彼らの主張については、「カンボジア便り プノンペンに移住した記者の目から見たカンボジア 木村文」(http://www.mekong-publishing.com/canbo/canbo.htm)に詳しく記載されています。

その中から、ヌオン・チア被告に関する部分を抜粋したのが以下の引用です。

****ベトナムはニシキヘビ*****
11月22日午後1時半、検察側の起訴理由の説明に対し、3被告が意見を述べる番になった。前述のように、同じように起訴理由とされた犯罪行為への関与を否定しつつも、その理由は3人それぞれに違う。法廷での闘い方にもそれは反映されていた。

最も積極的に自身の立場やポル・ポト派の思想を擁護したのは、ヌオン・チア被告だった。2時間にわたる陳述で、同派が台頭するに至った歴史をとうとうと語り、「ポル・ポト派による革命の目的は、カンボジアとカンボジア人を、ベトナムによる支配と抑圧から守ることだった」と、述べた。

「この法廷はワニの胴体しか取り上げていない」。ヌオン・チア被告は、自分で用意したのであろう、分厚い原稿を手に、なめらかに話を始めた。「ワニの胴体が動くのは、頭としっぽがあるからだ。頭としっぽを知らないで、胴体の動きが分かるわけがない」。被告が「ワニの頭」と言ったのは、おそらくポル・ポト派政権以前の国際情勢だろう。ヌオン・チア被告は、法廷以外の場所でインタビューを受けたときにも「1975年から79年のポル・ポト時代だけを見ていたのでは、何も分からない。ポル・ポト派は突然湧いて出てきたわけではないのだ」と、繰り返している。

目の病気があるから、といつも着けているサングラスではなく、この日は普通の眼鏡を着けた。「ナンバー2」として、ポル・ポト首相に影のように寄り添ってきたヌオン・チア被告は、「こうして、愛するカンボジアのみなさんに事実を伝える機会を、ずっと待ち焦がれていた」と語った。

同被告は、陳述の間、徹底したベトナム批判を繰り広げた。「1979年1月、ベトナム軍がプノンペンを陥落し、ポル・ポト派政権が崩壊したが、そもそもこれはベトナム軍による侵略であり、国際的な違法行為である。この点が正当化されてしまうのは納得がいかない。ベトナムは、インドシナ3国を支配し、コントロールしたいという野望を今に至るまで持ち続けている。ベトナムは、若い鹿の息の根を止めようとするニシキヘビのようなものだ」

陳述の最後、ヌオン・チア被告は、改めてポル・ポト派の目指したものについて語った。「私が革命に参加したのは、国と人々を守るためだった。そのために自分の家族をかえりみることなく、植民地主義との闘いに身を投じた。私たちはカンボジアを自由にしたかった。虐殺など起きない社会にしたかった。汚れなく、自立した社会を作り上げたかったのだ」。それは約10年前、まだ逮捕される前の同被告をカンボジア西部パイリンにある彼の自宅でインタビューしたとき、私自身が聞いた言葉とまったく同じだった。【カンボジア便り プノンペンに移住した記者の目から見たカンボジア(木村文)】
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ポル・ポト政権がベトナムを強く意識し、その影響を恐れて極端な粛清に走った事情が窺えます。

その拘束前のヌオン・チア被告に10年間にわたって密着、何度もインタビューを重ね、虐殺の真相を執念で追った、あるカンボジア人記者のドキュメンタリーをTVで放映していました。
彼の両親、兄もクメール・ルージュの犠牲者ですが、復讐のため接近しているととられないように、ヌオン・チア被告にはそのことは伏せて取材していました。そして、ヌオン・チア被告の拘束が迫ったとき、その事実を明かします。両者の間に言い様のない時間が流れます。

****<シリーズ カンボジア 虐殺の記憶> “民衆の敵”に迫る~カンボジア人記者の記録~****
プノンペン・ポスト紙の記者、テート・サンバスは仕事のかたわら、ポル・ポト政権時代に起きた大量虐殺の真相を調べ続けてきた。サンバスの父親はクメール・ルージュの運動に加わる中で、上官にささいな反論をしただけで殺害された。その後、母親はクメール・ルージュの兵士と強制結婚させられ、失意のまま亡くなった。

サンバスはプライベートの時間のほとんどを使って、同胞の殺人を命じた上官、実際に手をくだした兵士、そして政権中枢の大物にインタビューを行ってきた。特に当時の政権ナンバー2、ヌオン・チアには、10年に渡って会い続けた。

しかし、サンバス記者の妻は、なぜ夫が家族との時間を犠牲にしてまで取材を続けるのか理解できないと言う。サンバスにとって真相を突き止めることはエネミー・オブ・ピープル、民衆の敵だった虐殺者に迫ることであり、それは両親のためだけではなく、カンボジア人すべてのためだった。【NHKオンライン】
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記者の問いかけに対し、ヌオン・チア被告は「国家も個人も重要だが、国家を守るためには個人を犠牲にすることはやむを得ない」と、確信を持って語っています。
「農村ユートピア」を夢見、ベトナムの影に怯えるポル・ポト政権が、“国家を守るため”に国民の4分の1を犠牲にした狂気がそこにはあります。

****ポル・ポト派No.2はまだ英雄気取り****
1975〜79年にカンボジアのポル・ポト政権下で殺害された犠牲者は、実に200万人近い。大量虐殺を主導したとされる当時の幹部らを裁く特別法廷の本格審理が先日、首都プノンペンで始まった。だが30年以上を経た今も、政権ナンバー2だったヌオン・チア元人民代表議会議長の口から謝罪の言葉が聞かれることはなさそうだ。

「クメール・ルージュ(赤いクメール)」の名で知られた共産党政権によるカンボジア国民の大量虐殺は世界中の知るところだ。しかしチアは85歳になった今も、自分を共産革命の英雄だと考えている。
特別法廷の審理に出廷したチアは、「植民地主義と侵略行為、そして国土を奪ってカンボジアを地球上から抹殺しようとする泥棒どもの圧制から祖国を解放するために、私は家族を置いて戦わなければならなかった」と語った。
さらにチアは、ポル・ポト政権下で行われた拷問と虐殺は必要な行為だったとも主張した。

90分間に及ぶ法廷での証言で、チアは残虐行為の大半をベトナム工作員のせいにした。ベトナム軍は79年にポル・ポト政権を倒し、その後10年間にわたってカンボジアを占領した。
「同志ナンバー2」という呼び名で知られるチアは、虐殺をこんな例えで正当化したという。「人々がワニについて語るときは胴体の話ばかりして、日常生活で大切な頭や尻尾の話はしない。我々は悪い連中しか殺していない。良い奴は殺していない」【11年11月24日 Newsweek】
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ソマリア  強化されるアルシャバブ包囲網 安定化に向けて国際会議

2012-02-24 20:38:07 | ソマリア

(23日、ロンドンで開催されたソマリア支援の国際会議に抗議する女性たち “ソマリアから手を引け!”というのも、国外勢力の支配を拒否するひとつの主張でしょう。 “Kenya stop violating our sea coast”というのも、ケニヤが港湾都市キスマヨを狙っているという意味で、ひとつの主張でしょう。 ただ“Respect the Rights of Women”とはどういう主旨でしょうか?価値観に大きな溝があるようです。 “flickr”より By Dan Finnan  http://www.flickr.com/photos/danielfinnan/6923224995/in/photostream/ )

【「危機は終わっていない」】
事実上の無政府状態で、暫定政府を支援する国際社会と国土の広いエリアを実効支配する急進的イスラム武装組織アルシャバブの抗争が続いている東アフリカのソマリアでは、昨年7月に60年に1度とされる大干ばつに見舞われ、飢饉が発生して大きな犠牲を出しましたが、今月初旬、国連は飢饉の終息を宣言し、危機的状況は脱したようです。
しかし、依然として継続的支援が必要とされる状況が続いています。そうした支援なしでは飢饉が再発するとも警告されています。

****ソマリアに「飢饉終息宣言」=234万人の支援継続必要―国連****
国連食糧農業機関(FAO)は3日、東アフリカのソマリアで昨年7月に発生した飢饉(ききん)が終息したと宣言した。国連機関などによる食料援助活動が奏功し、発生から約6カ月で危機的な事態が改善した。ただ依然234万人に継続的な支援が必要といい、FAOは警戒を続けている。

ダシルバ事務局長は声明で「待ちわびた雨と農機具や肥料の確保、人道支援により飢饉の終息宣言に至った」と強調。一方で「危機は終わっていない」とも述べ、援助を続けなければ再び飢饉に陥る恐れがあると警告した。【2月3日 時事】 
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なお、234万人の支援には15億ドルが必要だとされていますが、うち170万人は欧米を敵視するアルシャバブが支配する南部に住み、支援は届きにくい状況にあります。
食糧の主な運び役だった赤十字国際委員会(ICRC)も1月、シャバブに活動を公式に禁じられ、国連は地元NGOに運搬を頼んではいますが、その支援能力が低くなっています。

少年兵を「捨て駒」に
急進的イスラム武装組織アルシャバブは、“子どもたちを戦闘に送り出し、「捨て駒」にしている”との批判も人権団体から出されています。
痛ましいことではありますが、襲撃して捕獲した子供たちを少年兵として洗脳し、最前線で使うのはアッシャバブだけでなく、アフリカでの多くの紛争・内戦で見られることです。

ウガンダ・コンゴなどで活動する「神の抵抗軍」が有名ですが、シエラレオネ内戦を舞台にした映画「ブラッド・ダイヤモンド」でも、その実態を垣間見ることができます。
また、実際の元少年兵を使って撮影された異色の映画「ジョニー・マッド・ドッグ」では、その狂気が窺えます。

****ソマリア武装勢力、子どもらを「捨て駒」に利用 人権団体****
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は21日、ソマリアのイスラム過激派組織アルシャバブが、子どもたちを戦闘に送り出し、「捨て駒」にしていると発表した。
 
米ニューヨークに本部を置く同団体によると、アルシャバブは、10歳の子どもを戦闘に送り出したり、女児を誘拐して前線で戦う戦闘員の妻にしたり、子どもが紛争に巻き込まれないよう抵抗した親に目をつけて殺害した事例もあったという。過酷な訓練を経て前線に送られた子どもたちの中には、成人の兵士を守るために「捨て駒」として利用されることもあるとした。
 
ヒューマン・ライツ・ウオッチによる現地での聞き取り調査で15歳のある少年は、「100人ほどの級友の中で、自分ともう1人だけが脱走し、残りは全員殺された」と語っている。また同団体は、「子どもの招集や誘拐を阻止しようとする家族、そして脱走を試みる子どもらが厳しい仕打ちを受け、時に殺されることさえある」と説明した。(後略)【2月23日 AFP】
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衰え見せるアルシャバブの勢力
一時は首都モガディシオの多くを支配下に置いていたアルシャバブですが、飢饉にあたって国際的支援を拒否・妨害したことでも批判を浴びました。
そうした住民生活を無視した行為は結果的に民心の離反を招き、また、飢饉によって活動資金が枯渇し、若い失業者をカネで釣って兵士にリクルートすることもできず、その勢力範囲が急速に縮小しつつあります。

現在は首都モガディシオから撤退を余儀なくされており、そうした勢力衰退を好機として、首都を防衛するアフリカ連合(AU)の平和維持部隊に加え、隣国のエチオピア・ケニアが国境を越えて侵攻を開始し、アルシャバブ拠点への攻撃を行っています。

****ソマリア 民主化の波 支配勢力衰退、23日に国際会議****
・・・飢饉はアッシャバーブも直撃。活動資金が枯渇し、若い失業者をカネで釣って兵士にリクルートすることもできず、勢力範囲が急速に縮小した。
さらに「アラブの春」と呼ばれる中東の民主化運動の矛先がアッシャバーブを支援していたサウジアラビアやドバイのイスラム原理主義勢力の富裕層にも向けられ、海外からの送金も先細りしている。

アッシャバーブ内にはアルカーイダの影響を受ける外国人テロリストが流入、自爆テロを実行しているのに対し、軍閥出身の土着グループは伝統的な戦闘を主張するなど、路線対立も顕著になっている。

アッシャバーブはモガディシオの3分の2を支配していたが、昨年8月に全面撤退。他地域でもアフリカ連合(AU)ソマリア平和維持部隊に押されている。
ソマリア沖の海賊については出没地域が広域化し、身代金は高騰したものの、成功例は激減するなど国際社会による海賊対策が功を奏している。(後略)【2月20日 産経】
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AUの平和維持軍も増強されることになり、アルシャバブ包囲網が形成されつつあります。

****ソマリア武装勢力包囲を強化 支援国、国際会議を開催****
ソマリア中南部を支配するイスラム武装勢力「シャバブ」に対し、アフリカ連合の平和維持軍や周辺国の軍隊が攻勢を強め、シャバブは最大拠点都市の一つバイドアから撤退した。ロンドンでは23日、ソマリア支援を協議する国際会議が始まり、ソマリア情勢は大きな転機を迎えている。

バイドアは、首都モガディシオの北西約250キロの地点にあり、交通、軍事上の要所で人口は約80万人。暫定政府の拠点があったが、2009年にシャバブが制圧した。現地からの報道によると、エチオピア軍と暫定政府軍は22日、戦車や歩兵部隊で進軍し、シャバブを掃討。飛行場に防御線を張り、検問所などを設置したという。
エチオピア軍は昨年末以降、ソマリア西部から進攻、南からはケニア軍が昨年10月、シャバブ掃討作戦を開始した。

ケニア政府は、国内で外国人がシャバブに連れ去られる事件が発生したため軍隊の派遣を決定、国境付近に軍事拠点を設置し、シャバブの拠点に対し空爆を続けている。ケニア軍は南部の16の町、計2万5千平方キロメートルの地域でシャバブ掃討に成功したとしている。
ケニア軍のオグナ大佐は「バイドア攻略はいい知らせで、シャバブが弱体化している証しだ。各国からの圧力が功を奏している」と話した。
ケニア軍は、バイドアとともにシャバブの重要拠点の南東の港湾都市キスマヨへの進攻を計画しているという。制圧に成功すれば、シャバブの資金や武器の供給の面で大きな打撃を与えることができる。

シャバブは、昨年8月に暫定政府との激戦の後に首都モガディシオから撤退して以来、弱体化が顕著になっているとされる。モガディシオ周辺で活動するアフリカ連合の平和維持軍の要員もほぼ倍の約1万8千人に増強されることになり、包囲網はさらに強まる見通しだ。

しかし、シャバブの支配地域が狭まっているとはいえ、テロ遂行能力は依然高く、モガディシオなど撤退地域では断続的な爆弾テロが起きている。また、軍事作戦への報復としてケニア国内で手投げ弾を使ったテロを相次いで行うなど、活動範囲を拡大しており、周辺国にとっても脅威となっている。(後略)【2月24日 朝日】
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【「ソマリアは一回の会議では変えられないが、支援は強化できる。我々の義務だ」】
こうしたアルシャバブの勢力衰退を国家再建の大きなチャンスとする国際社会は、ソマリアに関する国際会議を23日にロンドンで開き、民主化プロセスなどを協議しました。
国際会議にはクリントン米国務長官や国連の潘基文事務総長ら50以上の国や国際機関などの代表が出席。テロ・海賊・人道対策に加えて、連邦制を念頭に新憲法を制定、選挙の早期実施などソマリア主導の民主化プロセスが協議されました。

****ソマリア:支援強化で合意…安定化国際会議****
過去20年にわたり内戦が続き、テロ組織や海賊の温床となっている東アフリカ・ソマリアの安定化を協議する国際会議が23日、ロンドンで開かれた。現地の治安情勢に改善の兆候があるとの認識に基づき、統一政府の樹立に向けた政治プロセスへの支援を強化することなどで合意した。

英政府主催の会議にはクリントン米国務長官やソマリア暫定政府のアハメド大統領ら約55カ国の代表が出席。キャメロン英首相は閉会後、「ソマリアでは(情勢の)進展の兆しが見られる。国際社会全体で支援しなければならない」と語り、アフリカ連合(AU)平和維持部隊への財政支援の強化▽人道支援の強化▽テロ・海賊対策での国際連携の強化--などで合意したと発表した。

会議では特に、今年8月で権限が切れる暫定政府を延長せず、全土を代表する統一政府への移行を実現する必要性を確認。ソマリア支援の国際調整を図るため、「連絡グループ」の次回会合を6月にトルコ・イスタンブールで開くことを決めた。

ソマリアでは昨年、AU部隊などがイスラム過激派組織「アルシャバブ」を首都モガディシオからほぼ駆逐。治安情勢に改善の兆しが見える一方、地方が独立や自治を宣言するなど、事態は混とんとしている。【2月24日 毎日】
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会議を主催した英国のヘイグ外相は「ソマリアは一回の会議では変えられないが、支援は強化できる。我々の義務だ」と強調しています。
ソマリアの無政府状態と貧困は、海賊行為やアルカイダなどのテロ活動の温床ともなっています。
“治安情勢に改善の兆しが見える一方、地方が独立や自治を宣言するなど、事態は混とんとしている”というように、ソマリア自立への道のりは長く険しいものがありますが、これまで以上の継続的支援が国際社会に求められています。

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南スーダン 地方からの支援の要請

2012-02-23 21:30:45 | スーダン

(南スーダン 井戸水を飲む子供たち “flickr”より By babasteve http://www.flickr.com/photos/babasteve/5769500460/

【「援助が中央に集中し、地方との格差が生まれている」】
昨日に続き、南スーダンでの日本PKOの話題。
陸自によPKOは、限定的な武器使用を定めた現行基準では、治安が不安定な地域で活動することは不測の事態に対応できなくなる恐れがあるとの判断もあって、治安が比較的良好とされる首都ジュバ周辺とされています。

当然ながら、首都ジュバはインフラについては恵まれた地域で、地方こそ支援が必要とされているとの指摘・要望が以前から、国連や現地からも出されています。

****自衛隊、南スーダンでPKO活動開始 地方にもニーズ****
昨年7月に独立した南スーダンの国造りは始まったばかりだ。インフラが貧弱で、生活を支えるのは家畜だけといった地方も少なくない。国連平和維持活動(PKO)にあたる陸上自衛隊の主力部隊が首都ジュバで活動を開始したが、地方にこそ支援が必要との声も聞こえる。

■「道路つくって」
赤茶けた土煙を上げ、車を蛇行させながら走らせる。凹凸が激しい。至るところに車が乗り捨ててある。途中で車が悲鳴を上げ、動かなくなったのだろう。首都ジュバから200キロの距離を7時間かけ、ジョングレイ州ジャレに入った。
ジャレ周辺は人の気配が消え、ゴーストタウン化した集落が10キロ以上続いていた。破壊され、焼かれた民家も点在する。

ジャレ近くのディンカ族の村パペールでは昨年12月、ムルレ族数百人による襲撃を受けた。200人いた住民は再来を恐れてほとんどいなくなった。周辺では100軒以上の家が焼かれ、45人が死亡したという。村民のアトッチさん(37)は、母親が銃殺された。「母は孫6人を逃がした後に捕まった」という。 
村周辺に治安部隊の姿はほとんどない。人々は銃で自衛する。アニャングさん(32)は兄(40)を殺され、40頭の家畜を奪われた。残されたのは子牛1頭だけ。それでも毎日、自動小銃を持って放牧する。「この牛は絶対に守る」

この州の対立の火だねは家畜だ。これまでもたびたび家畜の奪い合いが起き、この地に住むムルレ、ロウ・ヌエル、ディンカの民族が三つどもえの大規模な武力衝突を繰り返してきた。政治的な背景は薄いとされる。南スーダンは北部のスーダンから分離・独立を果たしたが、長く続いた内戦の影響で銃器は容易に入手できる。
紛争は昨年末から激化し、これまでに3千人以上の死者が出たとの情報もある。国連の推計では約14万人が生活の基盤を失った。

ジョングレイ州に舗装道路はない。わずかなデコボコ道も4月から10月まで続く雨期には通行不能になる。マニャング州知事は、「道路が紛争を解決する鍵だ」と強調する。
道路が極めて貧弱なため、住民はほかの地域から隔絶されて暮らす。唯一の生活の糧である家畜をめぐって争いごとが起きても、「治安部隊が到達できない場所が多すぎる」(マニャング州知事)といい、政府や州などが関与することができないのが実情だ。
さらに、道路がないため、電気や医療サービス、清潔な水の確保といった基本的なインフラ整備はままならない。牧畜に代わる産業育成のめども立たない。

日本も参加する国連南スーダン派遣団(UNMISS)も、この州の安定には道路整備が不可欠との認識を示しているが、まだ手つかずの状態だ。
「道路整備が将来の希望につながる。首都よりも地方でのインフラ整備が急務なのを分かって欲しい。日本の自衛隊にはジョングレイにも来てもらいたい。民族は殺し合っているが、外国人が襲われたことはない。安心して欲しい」。マニャング州知事はそう訴える。

■自衛隊は治安優先
日本政府は昨年秋、ジュバ以外に北部のマラカルでも現地調査をした。だが、民族間衝突などの危険があるうえ、雨期には陸路が寸断されて補給が難しいと判断。当面の活動場所を比較的治安が安定しているジュバ周辺に決めた。
派遣隊員は拳銃や自動小銃、機関銃を携行するが、現行の基準では武器の使用は隊員の身を守るためなどに限られる。政府内ではジュバ以外での活動も検討されたが、武器使用基準が緩和されないなか、治安が不安定な地域で活動することは、不測の事態に対応できなくなる恐れがあるとして見送られた経緯がある。

国連は日本政府の方針に理解を示しながらも、ジュバの北方約150キロにあるジョングレイ州のボアでのナイル川の港整備などを要望しているという。
現地の外務省関係者によると、マラカルではインドの施設部隊が空港の整備を担当。韓国軍がボアでの活動の可能性を探っているとの情報もあるという。

国際協力機構(JICA)によると、南スーダンでは計8千キロの幹線道路のうちジュバ中心部などの60キロしか舗装されていない。JICAは2006年からジュバでの支援を始め、ナイル川にかかる新しい橋や環状道路の建設計画などをつくった。だが「援助が中央に集中し、地方との格差が生まれている」(花谷厚南スーダン事務所長)として、今月からマラカルに職員を交代で派遣し、道路整備などを進める計画だ。

南スーダンに詳しい大阪大大学院の栗本英世教授(文化人類学)は「ジュバ周辺は安全で開発も比較的進んでおり、国連のPKOとして道路を造る必要はない。道路が通じていない地域はたくさんあり、自衛隊はそうした困難な場所で活動すべきだ」と指摘する。

派遣部隊の幹部は「ジュバを拠点にどこまで行けるか考えたい」と話し、活動範囲をどこまで広げられるか検討を始めている。具体的には、ジュバとボアを結ぶ道路など複数の幹線道路が候補に挙がっている。
ただ、部族や民族の衝突はいつどこで起きるか予測が困難なうえ、相手が一般人のため、紛争に遭遇した場合の対応も難しい。武器使用が制約される自衛隊としては、危険な場所は避けるしかないのが実情で、防衛省幹部は「活動は治安の安定した地域に限らざるをえない」と話す。【2月23日 朝日】
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現状ではやむを得ない選択であり、先ずは可能なところから・・・とはなりますが、今後については、現地のニーズ、PKOが必要とされている地域は基本的に治安に問題があり、往々にして現地の紛争に巻き込まれる可能性があること、その場合、どのように対応するのか(人道的判断で武器使用を含めて紛争に関与するのか、眼前の殺戮を見捨てでも中立的不介入を貫くのか)・・・そうした面を検討していく必要があります。

【「財布を置き忘れても取られたことがない」】
部族間の衝突が続いているジョングレイ州で活動している日本人や団体についても報じられています。

****ヌエル族語「辞書」手作り=部族衝突研究の日本人―南スーダン****
国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊が活動する南スーダンの首都ジュバから約200キロ離れたジョングレイ州の州都ボルで、同州で歴史的に続く牛の強奪を原因とした部族衝突の研究を1人の日本人女性が続けている。地元部族の家庭に滞在し、ヌエル語習得のため、自分用の「辞書」を作る奮闘ぶりだ。

一橋大学で博士号取得を目指す日本学術振興会特別研究員の橋本栄莉さん(26=新潟県出身)は、ボルのヌエル族の民家に通算17カ月、ホームステイし、少なくとも1920年代から続く部族衝突を研究中だ。家には電気や水道はなく、民族衝突で親戚が逃げてきたため、現在は庭でテント暮らしを続けている。

平和構築について勉強を始めた橋本さんは「実際の人々の姿が見えなかった」と現地入り。「かつては部族の間で衝突を収拾するメカニズムがあったが、今は彼らの中で収拾ができない状態になっている」と話す。
ボル周辺でも部族衝突が起きているが、市内は極めて平穏という。「財布を置き忘れても取られたことがない」といい、現地の人は非常に親切だ。滞在中、腸チフスに何度かかかった以外、40度を超す暑さの中でも健康に問題はないという。【2月23日 時事】
*************************

井戸を掘り治安部隊の活動を定着させる
もうひとつはNGO「ピース・ウィンズ・ジャパン」の活動です。
「ピース・ウィンズ・ジャパン」については、外務省からの補助金不正受給問題、エルセラーン化粧品との繋がりなど、問題が指摘されることもあります。
また、02年には週刊文春が、「彼らは支援に来たのか、それとも遊びに来たのか」と現地で酷評されていると、パキスタンでの「ピース・ウィンズ・ジャパン」の活動を厳しく批判しています。

代表の大西健丞氏は、田中真紀子外相と鈴木宗男議員の“バトル”の引き金にもなったことでも有名です。
“2001年にはアフガニスタンで国内避難民支援に携わり、同年12月のアフガニスタン復興NGO東京会議の開催に奔走。翌2002年1月に、政府が主催したアフガニスタン復興支援国際会議への出席を予定していたが、会議前日に外務省から出席を拒否された。記者会見でその不当性を訴え、背後に鈴木宗男氏の「圧力」があったと指摘したことで政治問題化し、国会での参考人招致も受けた”【ウィキペディア】

NGOとは言っても、志や熱意だけでは活動できません。税金が自動的に流れてくる政府活動ではありませんので、どのように活動資金を調達するかが現実問題となります。
大西氏の場合、積極的に政府、経済界などに協力を求める手法をとっていますが、その方法・関係がときに問題ともなるようです。

大西氏と「ピース・ウィンズ・ジャパン」については、判断出来るほどの情報を持ち合わせていませんが、自衛隊が活動をためらう紛争の現場で、和平構築に向けた活動を行っていることが報じられています。

****牛戦争」最前線で奮闘=井戸掘りで和平寄与―日本のNGOに期待・南スーダン****
南スーダンの東部ジョングレイ州で歴史的に続く牛の強奪を背景とした部族衝突の最前線で、日本のNGOが井戸掘りなどの支援活動に奮闘している。約1世紀に及ぶ争いの中、行き場もなく、平和の到来を願うしかなかった人々の期待を担っていた。

国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊が活動する首都ジュバから四輪駆動車で約4時間のジョングレイ州の州都ボルから北方にさらに約1時間。かやぶき屋根が焼け、土壁だけが残る民家が何軒も無残な姿をさらしていた。南スーダンの最大部族ディンカ族が住むパンヤチ村。数十キロ離れて接するムルレ族の襲撃を毎年のように受けてきた。

地元の人によると、昨年11月の襲撃では、武装したムルレ族の若者ら約350人が夕方に乱入、村人約40人を殺害したほか、生活の糧である約500頭の牛や子供15人を強奪した。多くの住民は避難したが、村に残るマミョク・アクトさん(50)は「部族衝突に終止符を打つ効果的な策を望んでいる」と訴えた。

近くのマジャク村に住むボヨル・クルさんは「(南スーダン政府による)部族の武装解除は過去に失敗しており、国際社会の支援がほしい」と懇願する。「治安部隊が回収に来れば、武器は隠す。自衛のための武器は手放せない」と述べる村人もおり、和平への道は険しい。

こうした厳しい状況を受け、ボルを拠点に日本人職員3人を配置して支援活動を行うピース・ウィンズ・ジャパンは同州内で約150本の井戸を掘削しており、パンヤチ村でも近く井戸の掘削を開始する。南スーダン政府も重い腰を上げ、村に治安部隊の詰め所を建設。井戸はその近くに掘り、治安部隊の活動を定着させることで、和平構築に少しでも寄与することを願っている。【2月23日 時事】
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南スーダン 日本PKO第1次派遣隊の主力到着 スーダンとの関係、内部の部族紛争など難題山積

2012-02-22 20:34:04 | スーダン

(ジュバ市内の空港近くにある、自衛隊宿営地。気温35度を超える猛暑の中、資材運搬車を使い宿営地作りを続ける先遣隊の隊員=2月19日、南スーダン・ジュバ(早坂洋祐撮影)【2月19日 産経】 http://sankei.jp.msn.com/images/news/120219/plc12021920350007-p2.jpg

【「ちゃぶ1号」】
南スーダンにおける日本のPKOが本格化してきているということで、各紙がその様子を伝えています。
40℃に達する酷暑、更にマラリアなどとの戦いになるようです。

****南スーダンPKO:陸自先遣隊、敵は気温40度*****
南スーダンの首都ジュバで、国連平和維持活動(PKO)にあたる陸上自衛隊の先遣隊が宿営地整備を急ピッチで進めている。20日には第1次派遣隊の主力120人が到着する予定で、インフラ整備の計画づくりも始まった。20年以上の内戦を経て独立したアフリカ54番目の新国家を支えようと、隊員たちは乾期真っただ中の炎天下で、汗を流す。

ジュバ空港に隣接する国連南スーダン派遣団(UNMISS)司令部。気温が40度を超えた今月15日、砂ぼこりが舞う敷地内に、PKO用に白く塗装され「UN(国連)」と書かれた重機の音が響いていた。
バングラデシュ軍の横に割り当てられた約4万6000平方メートルの荒れ地が陸自の宿営地。隊員は迷彩服を汗でぬらし、間もなく来る主力が当面生活するテントの設営に追われていた。

1月中旬~下旬に到着した先遣隊のうち54人は整地して10張りのテントを立て、一つのテントで6~7人が共同生活する。砂が入らないよう密閉でき、クーラーも設置されている。
あるテントに入ると、余った木材で作ったというテーブルがあった。脇に「ちゃぶ1号」と書かれている。「ストレスがたまった時にひっくり返すんです。何度も使いました」。隊員の一人が笑った。

食事は「戦闘糧食」と呼ばれるレトルト食品で、メニューは米、ハンバーグ、豚角煮など21種類。仕事の後、周辺を他国軍の隊員たちとランニングする隊員も少なくないという。家族との連絡は衛星携帯電話で週10分以内と決められ、週末に利用する隊員が多い。

アフリカでの活動は隊員の健康管理が大きな課題だ。医官の高橋亮太3佐(33)の指導のもと、全員がマラリア予防薬を週1回服用し、熱中症対策で塩分やミネラルを含んだ錠剤を飲む。これまで軽度の熱中症の隊員が1人出ただけといい、高橋3佐は「感染症対策をマニュアル化して後の部隊に引き継ぎ、重症者を出さないよう努めたい」と話す。

陸自の想定活動期間は約5年。雨期の水はけを考え砂利も入れて地盤を固め、資材が届く3月末から長期使用に耐える仮設の宿舎や事務所を建設する。4月にはジュバ市内の道路整備などに取り掛かり、6月ごろ2次隊の330人と交代する。

人口約40万人の首都ジュバには大量の帰還民が戻り、都市が膨張している。ホテルやマンションなどの建設ラッシュで活気あふれるが、インフラ整備の遅れが目立つ。幹線道路から一歩裏に入ると、落差が1メートルもあるでこぼこ道に出くわすことも多い。

自衛隊への期待は大きいようだ。ケニアの難民キャンプから帰還したたばこ屋のピーターさん(45)は「日本人は勤勉だと聞いている。敗戦後に世界有数の経済大国を築いた力で、私たちを支えてほしい」。隣国ウガンダから仕事を求めて来た運転手のダビッドさん(33)も「道路を造ってアフリカの経済発展を助けてもらいたい」という。
道路の整備計画を担当する松崎信義3佐(44)は意気込む。「長く使える道路を造り、南スーダンの人たちの記憶に残る仕事をしたい」【2月20日 毎日】
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“水は車で約30分のナイル川から運んで浄水して使用。乾電池で動くシャワーの水は1人12リットルまでと制限がある。”【2月20日 朝日】とのことです。

【「日本のPKO史上例のない長距離かつ悪条件の陸上輸送だ」】
活動拠点である首都ジュバの空港の整備状態が悪く大型輸送機の離着陸に耐えられないため、大型車両などは陸上輸送するしかない状態で、約700キロ離れた隣国ウガンダの都市エンテベから陸路で物資を搬送しているとのことで、資材の搬入も大仕事です。
空路ならわずか1時間の距離を炎天下、1週間程度かけて、時に凸凹道を通りながらの輸送です。

****南スーダンへ物資陸送700キロ PKO成否握る大作戦****
 ◆炎天下1週間かけ
赤茶けた土地を切り開いた片側1車線の一直線の道路が延々と続く。道路脇を歩いて通学する子供たちの横を、南スーダンの“建国特需”にあやかろうと、ジュバに出稼ぎに向かうトラックや乗用車が次々と通り過ぎていく。
日本からエンテベまで空輸された陸自の物資は、陸路と空路でジュバまで届けられる。中型輸送機に積載できない大型車両や、飲料水など生活消耗品を陸送している。

国土地理院の「都道府県庁間の距離」によると、東京-広島間が675キロ。日本のように道路の舗装状態がいいわけではない。南スーダンは日本の1・7倍の国土に舗装道路が約60キロしかない。
物資を載せた大型トレーラーは、現地警察官が同乗した警護車に挟まれ、エンテベ空港から約100キロ離れたルウェロという町に到着する。そこで陸自から委託を受けた日本の運送会社の現地駐在員が荷崩れしないよう入念に点検する。

 ◆1時間ごとに点検
ここから先は未舗装の区間が多く路面の凹凸が激しいため、荷物点検は1時間ごとに繰り返さなければならない。トレーラーに積まれた貨物は大きく揺さぶられ、時速10~20キロほどでしか進めない。南スーダンの国境に近くなるほど路面状態はひどくなる。

南スーダンに入ると道は舗装されている。陸自幹部は「南スーダンにとって、物資が運ばれるのはこの道だけだからだ」と説明する。ただ、現時点ではないものの盗賊との遭遇も懸念されている。雨期になれば路面の陥没とぬかるんだ泥にタイヤを取られ、走行できなくなることも予想される。

輸送計画立案にあたった陸自幹部らは「日本のPKO史上例のない長距離かつ悪条件の陸上輸送だ」と言う。そして、この輸送が順調に続けられるかが「南スーダンでのPKOの成否のカギを握っている」と言い切るのだった。【2月16日 産経】
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存在感を高めるチャイナマネー
地道な住民生活の基盤づくりへの貢献が期待される日本PKOですが、例によって資源外交を推し進めている中国は、南スーダンの石油を狙ってジュバでも存在感を増しているようです。

****地下資源眠る南スーダン 石油争奪 中国マネー圧倒****
資源が眠る南スーダンでは、各国による石油争奪戦が展開されている。中でも中国は経済成長と人口増加で増大する石油需要をまかなうため、資源獲得外交で他国を圧倒している。進出した中国系企業は現地に雇用をもたらし、中国の存在感を高めている。国連平和維持活動(PKO)に参加した日本だが、中国に押され、存在感は薄い。

アフリカ東北部を流れるナイル川に架かるジュバ橋。南スーダンの“建国特需”にあやかろうとするウガンダ人やケニア人が長距離バスに乗り、この橋を渡って首都ジュバに入る。
「中国系企業が進出しジュバには働き口があふれている。それを目当てにみんな出稼ぎに来ているのさ」。現地の男性ドライバーはこう話す。

中国は南スーダンにとって最大の貿易相手国だ。ジュバ市内を見渡すと、中国系の石油関連企業や中華料理店が目立つ。地元のスーパーは中国製の日用品であふれ、ジュバ空港に降り立つ東洋人は中国人が多い。
「ジュバにある政府庁舎の建設費をすべて中国政府が肩代わりした」(日本政府関係者)ともいわれる。

国庫収入の98%を石油に依存するといわれる南スーダンは、これまで全量をスーダン経由のパイプラインで輸出してきた。だが使用料をめぐりスーダンと対立。スーダンが石油を抜き取っていることも発覚した。対抗措置として南スーダンは、スーダンを経由せずケニアとジブチに抜けるパイプラインの建設計画を発表した。
日本政府も参画に向け研究を進めるが、中国系企業が資金難の南スーダン政府に協力することで受注を狙っているとみられている。

ただ、中国もここにきて南北スーダンの対立のあおりを受けている。1月下旬にはスーダン側で南スーダン与党、スーダン人民解放運動(SPLM)と関係があるとみられる武装勢力によって29人が拉致される事件が起きた。解放されたものの「南北スーダンの間で中国も対応に苦慮している」(先の日本政府関係者)という。【2月20日 産経】
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【「互いの主権を尊重して領土を侵害せず、爆撃を含む一切の攻撃を加えない」】
南北スーダンの関係は相変わらず険悪ですが、上記記事にあるスーダンを経由せずケニアとジブチに抜けるパイプライン建設は、まだこれからの話です。

****パイプライン計画相次ぎ浮上=スーダンとの対立深刻化―南スーダン****
昨年7月に独立してアフリカ54番目の国となった南スーダンは最近相次いで、ケニアとジブチに抜ける原油パイプライン建設計画を発表した。内陸国の南スーダンにとって、対立するスーダンを経由しない原油輸出経路の確保は悲願だが、巨額の資金調達や政情不安の克服という難題が待ち受けている。

スーダンから独立した南スーダンでは、日量約35万バレルの原油を産出し、原油輸出による収入が国庫収入の98%を占める。だが、スーダン経由のパイプラインで全量を輸出しており、使用料などの対立からスーダン側が原油を抜き取っていることが発覚。先月に原油生産を停止した。
南スーダン政府は「国際基準に照らして過大な使用料を要求している」と反発。スーダンも南の独立で産油量の4分の3を失い、産油地帯アビエイの帰属争いもあり、譲歩は難しい。【2月15日 時事】
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その険悪な両国が「不可侵条約」を締結したとのことですが、その実効性についてはよくわかりません。
少なくとも、悪い話ではないとは思いますが。

****スーダンと南スーダンが不可侵条約締結****
スーダンと南スーダンは、エチオピアの首都アディスアベバで10日、両国の国境画定問題をめぐるアフリカ連合主導の交渉で「不可侵条約」を締結した。

仲介の中心役となった南アフリカのターボ・ムベキ元大統領は、記者団に対し「両国は不可侵と相互協力に合意した」と述べた。
条約の調印は、南スーダンの情報局のトップ、トーマス・ドース氏と、スーダンのムハンマド・アタ国家情報治安局長が行った。
 
条約によると、両国は「互いの主権を尊重して領土を侵害せず、爆撃を含む一切の攻撃を加えない」ことに合意した。
協議は11日もアディスアベバで引き続き行われ、石油収入とパイプラインの使用料について主に話し合われる。

南スーダンは前年7月にスーダンから分離独立を果たした際、独立以前のスーダンの油田の4分の3を獲得した。しかし、すべてのパイプラインと輸出関連設備の権利はスーダンが握ったままになっている。
南スーダンは前月、スーダンが8億1500万ドル(約635億円)相当の原油を盗んだと非難し、原油生産を停止している。【2月11日  AFP】
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【「部族対立は歴史的に続いている。どこに行っても殺される」】
南スーダン内部における部族間の争いも相変わらずのようです。
ジョングレイ州ピボル周辺では今年1月6日、地元当局者が、昨年末以降3141人の遺体が確認されたと発言して驚かされました。誤報だったとも言われていますが、実態がよく把握されていないのが実情のようです。
“3141人”はともかく、報復の連鎖が続いているのは間違いないようです。

****銃あれば報復する」=根深い部族対立―陸自PKOには影響軽微か・南スーダン****
「銃があれば報復する」―。南スーダン東部のジョングレイ州で昨年末から今年1月にかけ、牛強奪を背景とした歴史的な部族衝突が激化、数千人が死亡した。同州南西部のチェイニョク村では、4人の子供を奪われた男性が怒り、報復のすべのない村人たちは「武器もなく逃げ場もない」と打ちひしがれていた。

州都ボルから約150キロのピボル周辺では今年1月6日、地元当局者が、昨年末以降3141人の遺体が確認されたと発言。世界に報じられた。
ピボルは、首都ジュバから直線距離で約300キロ。国連平和維持活動(PKO)に加わる陸上自衛隊の活動には影響はないとみられている。

ジュバからボルまでは四輪駆動車で悪路を約4時間かけてたどり着く。ボル郊外のチェイニョク村では住民の大半が逃げ、行き場のない数十人が恐怖におびえていた。村には南スーダン最大部族のディンカ族が住んでいるが、ムルレ族が年末から襲撃し始めた。自動小銃を乱射し多数を殺害した上、子供を奪った。

6~12歳の子供4人を強奪されたデン・ユニさん(40)は「部族対立は歴史的に続いている。どこに行っても殺される」と天を仰いだ。2人の子を持つヨムさん(23)も「どこにも行けない」と途方に暮れた。
同州では、ロウ・ヌエル族の武装集団が、対立するムルレ族を襲撃したり、ムルレ族がロウ・ヌエル族やディンカ族を襲ったりと、復讐(ふくしゅう)が復讐を呼ぶ複雑な衝突が続く。公教育の普及が遅れ、公用語の英語は通じない。部族独自の言語が意思疎通を妨げる。牛を奪われ、子供を誘拐され「憎悪の悪循環」となる。【2月22日 時事】
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道路などは日本陸自のPKOでなんとかすることはできますが、国民統合は南スーダン政府が最優先で取り組むべき課題です。
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ギリシャ  3月デフォルトは回避 EU側・ギリシャ国民の相互不信で問題再燃も

2012-02-21 22:13:07 | 欧州情勢

(2月12日 アテネ 追加緊縮策の議会承認への抗議行動のなかで、一部は放火なども “flickr”より By comzeradd  http://www.flickr.com/photos/comzeradd/6869602423/

【「これ以上の時間の浪費は許されない」】
延び延びになっていたギリシャ第2次支援がようやく正式決定しました。
この支援によって、ギリシャは3月下旬に控えていた大量の国債償還の資金手当てが可能となり、当面の債務不履行(デフォルト)は回避されました。

****ギリシャ支援:ユーロ圏が正式決定 債務不履行を回避*****
欧州連合(EU)でユーロを採用するユーロ圏諸国(17カ国)は20日夕、ブリュッセルで財務相会合を開き、総額1300億ユーロ(約13兆6000億円)のギリシャ第2次支援を正式決定した。国際通貨基金(IMF)も参加する。ロイター通信が報じた。これによりギリシャは、3月下旬に控えていた国債償還(借金返済)の資金手当てが可能となり、債務不履行(デフォルト)回避が決まった。

EUは昨年10月、第2次支援を決定したが、相次ぐ歳出削減により、ギリシャの実質経済成長率が、当時の予想以上に落ち込んだため、20日の会合でも支援策の取りまとめに手間取り、会合は21日未明まで続いた。
ユーロ圏議長のユンケル・ルクセンブルク首相は、会合前に「今日の会合で決めなければならない。これ以上の時間の浪費は許されない」と述べるなど、市場の混乱を避けるため、早急な決着を目指す構えを示していた。

支援は、まず10年5月に第1次支援に参加したEUとIMFが総額1300億ユーロを支援する。さらに、ギリシャ国債を保有する民間金融機関が、将来受け取る利子を含めて約7割の債務削減に応じ1000億ユーロを支援する枠組みだ。

ギリシャは支援で得た資金を、国債償還などのほか、金融機関の資本増強などにあてる。実施を約束した財政再建策と、支援による効果で、累積財政赤字を国内総生産(GDP)比で、現在の160%から2020年には管理可能な水準である120%に下げることを目指していた。

EUは支援実施の条件として(1)追加緊縮策をとりまとめる(2)ギリシャ国債を保有する金融機関が、債務削減に応じる--ことなどを求め、交渉を続けてきた。【2月21日 毎日】
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【「支援を引き出すためのポーズ」との疑心暗鬼
ギリシャをデフォルトから救うためにはどうしても必要な支援であるにもかかわらず、支援の決定がここまで持ちこされてきたのは、EU側のギリシャに対する不信感が根底にあります。

追加緊縮策が今月12日にギリシャ議会で承認されたあとも、EU側は(1)年金改革の見送りにより生じた3億2500万ユーロの穴埋め策(2)追加緊縮策実行を約束する文書に、与党各党の党首が署名する--ことを、ギリシャ側に求めていました。

もはや“口約束”では信用できない、文書で確約しろ・・・という訳です。
これまでギリシャが約束してきた公務員削減などが反故にされてきたことによる不信感です。
ギリシャ危機も、ギリシャによる財政赤字隠し、数字の糊塗が発端でした。

与党党首が追加緊縮策の実施を約束する文書に署名してもなお不信感はぬぐえておらず、20日の会議でも、オランダの財務相は、EUとIMFがギリシャの歳入と歳出を「永続的に」管理することを求めています。

****対ギリシャ EU消えぬ疑心暗鬼 2次支援また延期 20日に財務相会合****
・・・・ギリシャの与党党首らは15日、支援の条件となっている緊縮策の実行を確約する書面をEUや国際通貨基金(IMF)に送付した。
EUは4月に予定されている総選挙後に発足する新政権が緊縮策をほごにすることを懸念し、書面での確約を求めていた。世論調査で優勢な与党第2党の新民主主義党(ND)のサマラス党首は書面で「総選挙で勝利しても約束は守る」と強調した。

支援決定の先送りが続いている背景には、EU各国のギリシャへの根強い不信がある。緊縮策は国会で承認されたが、「支援を引き出すためのポーズ」との疑心暗鬼は消えない。

逆にギリシャではEUへの反発が強まる一方だ。賃下げや増税などの緊縮策に反発する抗議デモが拡大しており、「政治家も選挙を意識しEUに反発してみせざるを得ない」(SMBC日興証券の嶋津洋樹シニアマーケットエコノミスト)のが実情だ。

ベニゼロス財務相は15日、「もはやギリシャは(ユーロ圏に)いらないという国もいくつかあるが、われわれはとどまる」と述べ、ユーロ圏残留の決意を強調した。これに対し、ドイツのショイブレ財務相は同日、独ラジオで「ギリシャを助けるためあらゆることをしたいが、底なしの穴に金を注ぐつもりはない」と突き放した。
交渉は度胸試しの“チキンレース”の様相を呈し、デフォルトの崖っぷちが迫っている。【2月16日 産経】
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高まる国民の反発 「緊縮策よりデフォルトやユーロ圏離脱が望ましい」】
ギリシャでは4月末に総選挙が予定されており、与党第2党の新民主主義党(ND)が政権の座につく公算が大きいとされています。
“NDのサマラス党首は、追加緊縮策の実施を約束する文書に署名したものの、選挙戦を意識して、緊縮策に反発する姿勢を見せている。また、NDが政権を取っても単独過半数を持たない不安定な国会運営が続くため、EU諸国からは新政権が緊縮策を本当に実行するか不安視する声もある。反発する国民による大規模なストライキ、デモの頻発も予想され、市場にはびこる不安感は消えそうにない”【2月17日 毎日】ということで、先行きは不透明です。

“不透明”と言うよりは、ギリシャ危機再浮上は時間の問題でしょう。
ギリシャの一般国民はギリシャ危機ですでに苦境に立たされていますが、今回の緊縮策は、最低賃金の22%カット(25歳未満は32%カット)や、解雇を行いやすくする労働市場の規制緩和、税制・年金改革が定められており、国民生活は一層の痛みを負担せねばなりません。

大きな痛みを強いられるギリシャ国民には、EU、特にドイツ・フランスによって無理やり緊縮策をのまされたという被害者意識が強く、そうした“民意”を背景に、総選挙後、ギリシャで緊縮策がスムーズに実施されるとは思えません。
ギリシャ議会が緊縮財政案を盛り込んだ法案を可決した際、街頭ではデモ隊と機動隊が激しく衝突し、首都アテネでは建物が放火され炎上しました。

****債務不履行の方がまし」ギリシャ国民に強まる****
ギリシャは13日、ユーロ圏などから第2次支援を受ける前提条件だった財政緊縮策を議会承認し、「突然の債務不履行(デフォルト)」回避へ前進した。

だが、国民には政府・与党不信が強まり、「緊縮策よりデフォルトやユーロ圏離脱が望ましい」との主張が勢いを増している。抗議活動の激化にもつながりそうだ。
「月給は2年前の約1200ユーロ(約12万円)から約700ユーロに減り、今回の緊縮策で22%減る。増税で物価は上がった。こんな政策なら、デフォルトやユーロ圏離脱の方がましよ」。12日の国会議事堂前の抗議デモ。女性会社員グバル・ミルトさん(32)の訴えに、周囲の参加者が賛同した。
デモに加わったヨット製造会社社長コスタス・ゴルフィノプロスさん(45)も「デフォルトは不可避だ。ユーロ圏を離れ、独自通貨に戻って物価などを調整した方が、長期的にはプラスになる」と主張した。【2月13日 読売】
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ギリシャがここに至った経緯は、ギリシャの社会・経済のルーズさにあり、これまで不当に利益を享受してきたとも言えますが、明日の生活もままならない者にそれを言っても仕方がないところもあります。
これまでユーロ圏の信用で低利の借入れを行い、公務員・年金などの国民生活にばら撒いてきたギリシャがユーロ圏を離脱すれば、国民生活への短期的な衝撃は今回以上のものになるように思えます。
昨年10月、ギリシャのシミティス元首相は「ユーロ圏から追い出されたら通貨の価値は半分ほどになり、かつて無い貧困と失業に見舞われる」と警告しています。

【“120%”は「神聖にして犯すことのできないEUの幻想だ」】
国民に大きな痛みを強いる施策を、民意を基盤とする民主主義で実現できるか?という問題にもなります。
仮に国民の反発をしのいで、総選挙後新体制で緊縮策を実施したとしても、ギリシャ財政が立ち直る保証はありません。

“ギリシャは支援で得た資金を、国債償還などのほか、金融機関の資本増強などにあてる。実施を約束した財政再建策と、支援による効果で、累積財政赤字を国内総生産(GDP)比で、現在の160%から2020年には管理可能な水準である120%に下げることを目指していた”【前出 毎日】とのことですが、相次ぐ緊縮財政のあおりで11年10~12月期のGDP(国内総生産)は前年比7%減に落ち込んでおり、13年まで5年連続のマイナス成長に陥るとのギリシャ政府の予測もある状況で、“管理可能な水準”を達成できるか危ぶまれます。

そもそも、目標値としての“120%”にどういう根拠があるのかも疑問ですし、ギリシャ債務に関するこれまでのIMF予測ははずれてきた実績もあります。

****むなしく響くギリシャの債務削減目標*****
2020年までに120%。国際通貨基金(IMF)、欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)が受け入れ可能としている対国内総生産(GDP)比でのギリシャの債務削減目標だ。
ギリシャと3機関は2020年の段階で債務がこの水準を超えれば、ギリシャは債務の返済を続けることができないとの見方で一致している。

しかし、多くのエコノミストは、120%という水準は何か特定の経済原理に基づいたものではないと指摘している。どこからこの数字が出たのかもはっきりしているわけではない。

確かに、120%という水準は達成可能な目標であり、債務問題を抱える他の欧州諸国に債務圧縮による問題が生じないことを示唆する数字でもある。しかし、過度に楽観的だったことがのちに判明した短期の見通しとは異なり、2020年までの見通しが正確だったとしても、ギリシャがこれほど高い水準でさえ維持できないと理由は十分にある。

例えば、緊縮財政措置で成長率が抑えられる可能性があるし、債務削減措置そのものに関わる問題、さらには計画に含まれていないことが問題であるものもある。
トリニティ・カレッジ(ダブリン)の経済学者Constantin Gurdgiev氏は120%という目標について、「神聖にして犯すことのできない欧州連合(EU)の幻想だ」と述べ、「経済学的な根拠がわからない」と指摘した。

支援する側も、目標の達成に疑念を抱いていることを明らかにした。ユーロ圏財務相会合(ユーログループ)のユンケル議長(ルクセンブルク首相)は今週、ギリシャが目標を達成するにはなすべきことが多いと述べ、17日にも同様の発言を繰り返した。(中略)

ギリシャのパパデモス首相は目標を達成して支援を確保しようと、予算の削減を推し進めている。
関係者全てが救済策に合意すれば、あとは2020年までの見通しを信頼するしかないが、これまでの経験でギリシャの債務は予測が難しいことが分かっている。最新の年間のデータが入手可能な2010年の段階で、ギリシャの債務は対GDP比で145%だった。2009年にIMFが示した見通しは116%だった。IMFは2005年の年間報告で、2010年のギリシャの債務は対GDP比で100%を下回るとしていた。

米シンクタンクのピーターソン国際経済研究所(ワシントン)の研究員ジェイコブ・カークガード氏はこれまでの予測について、「予測は将来について数えきれないほどの前提に極端に依存しており、その精度は幻想と呼べる程度のものだ」と述べた。(中略)

ギリシャの目標である120%という数字がどのようにはじき出されたかは正確にはわからない。IMFは昨年12月、民間の債権者がギリシャの債務について50%の元本削減を受け入れれば、120%の目標をクリアすることができると報告している。(中略)
 
しかも、徴税の範囲や有効性、金融政策に対する国家の支配力、債務の変化率といった要因次第で、こうした予測は国によって大きく異なる可能性がある。
これらの要素のどれを見ても、ギリシャの未来は明るいとは言えない。コロンビア大学の経済学者、マイケル・ウッドフォード氏は債務の対GDP比率は「かなり不完全な基準」だと言う。ウッドフォード氏はギリシャの問題は比率で議論できる範囲を超えており、税制の非効率性や政治の意思に対する疑念に目を向ける段階にまで達していると述べた。

国際決済銀行(BIS)の3人のエコノミストが昨年作成した報告書は、1980年から2010年まで18カ国を研究した結果に基づいて、持続可能な債務の水準は対GDP比で平均約85%とした。
米国など他の先進国と同様、ギリシャは人口の高齢化によって、財源が確保されていない債務を抱えている。経済学者によると、人口の高齢化が進み、退職者に対する労働者の比率が下がれば、過去の実績に基づく債務の水準は将来の経済状況には当てはまらないかもしれないという。(中略)

トリニティ・カレッジのGurdgiev氏はギリシャの実際の債務の最大値は他国より低いかもしれないと言う。ユーロ圏に属している小国として、域内の金融政策をコントロールすることはほとんどできないからだ。しかし、Gurdgiev氏は、目標を84%とするのはギリシャにとって政治的に実行可能ではないと指摘、イタリアやアイルランドなど債務危機の不安が和らいだ欧州の他の国の債務水準も持続不可能な方向に進んでいるとの印象を与えることになると述べた。 【2月21日 ウォール・ストリート・ジャーナル】
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単なる財政・経済的な問題であれば、いくらでも支援・救済の方策はありますが、EU側とギリシャ国民の間に根付いた相互不信は解消することは困難です。
今回支援策で3月デフォルトを回避できても、遅かれ早かれ、ギリシャ危機は再燃すると見ていた方がよさそうです。
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ウガンダの「うなずき病」、ナイジェリアの鉛中毒、「顧みられない熱帯病」、ベトナム枯葉剤被害

2012-02-20 22:06:03 | 疾病・保健衛生

(1966年 カンボジアで枯葉剤を散布する米軍 “flickr”より By 2612design  http://www.flickr.com/photos/33346218@N02/4661785890/

ウガンダ「うなずき病」 原因・治療法も未だ不明
アフリカ中部ウガンダで、小児児童のみに発症し、食事をすると激しくうなずくような動作を行い、時に死に至るという、通称「うなずき病」という奇病が広まっているそうです。

****ウガンダの子供たちを襲う謎の奇病「うなずき病」、原因も治療法も不明****
アフリカ中部ウガンダの小村トゥマングでパトリックくん(14)は、真昼のうだるような暑さのなか裸の体を丸めて横たわり、自宅前で遊ぶ弟や妹たちを見上げようとして、できずにいた。1分ほどかけてようやく顔を上げた、そのとたん、パトリックくんの頭は前方へと崩れ落ちるように倒れ、やせ細った体はひきつけを起こした。

ウガンダ北部で今、3000人以上の子供たちが謎の奇病、通称「うなずき病」に苦しんでいる。トゥマングでは、ほぼ全家庭にうなずき病の患者がいる。

■衰弱していく子供たち、なすすべなく諦める人々
地元の人々によればこの数年で数百人の子供がうなずき病で死んだ。だが、病気の原因も、治療法もまだ見つかっていない。分かっているのは、発症するのは子供のみで、繰り返す発作、発育不良、手足の衰え、精神障害、飢えなどによってひどく衰弱していく病気だということだけだ。

パトリックくんも2年前に兄弟の1人をうなずき病で失っている。母親のルジーナさんは、もう1人のわが子の命が失われていくのを見守ることしかできない。「看病のため、必ず誰かが家にいなければなりません。あの子は病気のせいで、1人では食べることも水を飲むこともできないのです。恐ろしい病気です」

首都カンパラから450キロ北にあるトゥマングで医療活動に取り組むボランティアのジョー・オットーさん(54)によると、人口約780人のこの村で現在、うなずき病を患っているのは97人。数キロ離れた保健センターに医薬品が届いたと聞けば、オットーさんは自転車をこいで受け取りにいく。だが、そうして入手した薬も効果は一時的でしかない。「カルバマゼピンなどの抗てんかん薬を処方していますが、この病気はてんかんではありません」

村人たちはもはや恐れを通り越し、諦めの境地に至っているという。「今では、亡くなった人は治ったのと同じだ、ついに病の苦痛から解放され安らかな眠りについたのだから、と話しています」とオットーさんは教えてくれた。

■全力の原因究明、いまだ効果なく
伝染病学者や環境問題の専門家、神経学者、毒物学者、精神科医――幅広い分野の専門家たちが2010年以降、うなずき病の治療法を求めてさまざまな試験に取り組んでいる。原因についても、河川盲目症を引き起こす寄生虫や栄養不良から、数十年に及んだ内戦の後遺症まで、関連し得るあらゆる可能性が調査されている。

しかし「残念ながら、これという寄与因子もリスク要因も、まだ特定できていません」と、カンパラで疾病予防対策に取り組む世界保健機関(WHO)のMiriam Nanyunjaさんは話す。研究を進めれば進めるほど、答えに近づくどころか、むしろ謎が深まるばかりだという。

隣接する南スーダンやタンザニアでも類似の病気が流行しているが、ウガンダのうなずき病と関連があるのかは分からない。うなずき病がまだ拡大していくのか、それとも既にピークを迎えたのか、また、なぜ特定のコミュニティー内だけで発生するのか、いずれも定かではない。

地元議員らの要請を受けて、ウガンダ政府も動き出した。保健省は前月、うなずき病の原因特定と拡大阻止に向けた緊急時対応計画を策定した。

だが、原因や治療法が見つかるまでは、医師にできることは症状を緩和することだけだ。そしてパトリックくんには、どのような対策も手遅れかもしれない。それでも母親のルジーナさんは言う。「お医者さんたちが、治療法を見つけてくれると願っています。病気にかかってしまった子供たちの多くに、もう未来はありません。それでも、より幼い子供たちを救ってほしいです」【2月20日 AFP】
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“特定のコミュニティー内だけで発生する”ということですから、細菌・ウイルス・寄生虫などによる弱い伝染性の疾患か、あるいは環境汚染などの環境因子からくる疾患が想像されます。
水俣病やイタイイタイ病など、日本の公害も当初は原因不明とされていました。
“幅広い分野の専門家たちが2010年以降、うなずき病の治療法を求めてさまざまな試験に取り組んでいる”とのことですが、発生地域が欧米や日本だったら、もっと違う展開になったのでは。
WHO指導のもとでの更に調査研究を加速させてもらいたいものです。

ナイジェリア 近現代史において最悪の鉛中毒拡散
同じアフリカでの子供の病気としては、ナイジェリアで、金鉱の違法採掘の影響を受けて、子供の鉛中毒死亡が多発しているとの報道がありました。

****ナイジェリア北部の鉛汚染は近現代で最悪、死者400人 人権団体****
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは7日、ナイジェリア北部ザンファラ州の金鉱の違法採掘により、これまでに子供400人が鉛中毒で死亡、数千人の子供が緊急治療を必要としていると報告した。鉛中毒の拡散の度合いは、近現代史において最悪だという。

汚染された多くの地域では、除染さえ始まっていない。HRWのリサーチャー、ジェイン・コーヘン氏は、「緊急に必要とされているのは村の除染だ。除染には400万ドル(約3億円)ほど必要になるだろう」と述べ、ナイジェリア政府、ザンファラ州政府、海外の援助国が一致団結して鉛汚染の問題に取り組まなければならないと強調した。

■鉛汚染の経路
HRWが2011年後半に行った現地調査では、鉱山で鉱石を扱う時、炭鉱労働者の家族が鉛ダストにまみれて帰宅した時、あるいは鉱石が自宅で砕石される時に、子供たちが鉛ダストを吸いこんでいることが分かった。また、汚染された水や食べ物を通じて有毒な鉛を摂取している可能性も明らかになった。

ナイジェリア北部における鉛中毒の拡散は、2年前に明るみになった。国境なき医師団によると、地元の集落は当初、当局が採掘を禁止することを恐れて集落ぐるみで鉛中毒の実態を隠し、死者が出たことなども否定していたという。
貧しい農村では、農業よりも違法な金採掘の方が、もうかる職業となっている。【2月8日 AFP】
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【「顧みられない熱帯病」に製薬大手もようやく動く
アフリカなど熱帯地域の途上国の貧困層が多く罹患する疾病と言えばマラリアがその代表ですが、マラリア以外にもそうした熱帯病は多数存在しますが、薬剤の購買力がない貧困層が対象ということで、製薬会社の対応も不十分で、治療体制が整っていないのが実情です。

そのような「顧みられない熱帯病」に対する大手製薬会社などの取組がスタートしたそうです。
遅きに失した感はありますが、今後の活動を期待します。

****顧みられない熱帯病」根絶へ官民連携 エーザイが参加****
途上国の貧困層を中心に感染が広がりながら、治療薬が足りず「顧みられない熱帯病」と呼ばれる感染症の根絶に向け、世界の製薬大手13社と米英政府、世界保健機関(WHO)などが30日、治療薬の提供や新薬開発で協力し合うことで合意した。日本からはエーザイが参加した。

「顧みられない熱帯病」はトラコーマ、リンパ系フィラリア症(象皮病)、住血吸虫症など寄生虫や細菌による感染症。アフリカや南米、アジアなどで14億人が感染しているとみられるが、マラリア、エイズ、結核より知名度が低く、国際的な治療体制が十分に整備されていなかった。

同日、ロンドンで開かれた会議では、2020年までに10の疾病の根絶を目指すことで合意。マイクロソフト創業者ビル・ゲイツ氏夫妻の財団や米英政府などが資金を出す。エーザイは足などが象のように膨れあがるリンパ系フィラリア症の治療薬22億錠を生産、WHOに無償提供する。同社の内藤晴夫社長は「途上国が疾病を克服して経済力をつけ中間層が増えれば、私たちの市場にもなる。社会貢献だけでなく、ビジネス面での意義も大きい」と話した。【1月31日 朝日】
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枯葉剤は「アメリカと同盟国の兵士の命を守る」ために作られた“愛国的な化学薬品”】
冒頭の「うなずき病」に関する記事のなかで、原因のひとつの可能性として“数十年に及んだ内戦の後遺症”ということも挙げられていますが、内戦後遺症ということで思い出すのはベトナム戦争で使用された枯葉剤による奇形児や障害児の発生です。
当然、枯葉剤を製造した企業の社会的責任が問われるべきでしょう。

ところが、“ベトナムでは枯葉剤によって40万人が死亡し、50万人の奇形児や障害児が生まれ、200万人にさまざまな後遺症を残した”とのことですが、その枯葉剤を製造したモンサント社がベトナムに「帰還」する準備を進めているそうです。

****枯葉剤のモンサントがベトナムに進出****
遺伝子組み替え作物の種子の世界シェア90%を誇るアメリカの総合化学メーカー、モンサント社がベトナムに「帰還」する準備を着々と進めている。

ベトナムでモンサントの名はそれほど知られていない。しかし同社がかつて開発し、ベトナム戦争で米軍の枯葉作戦で使用された、悪名高き「エージェントオレンジ(枯葉剤)」の名は誰もが知っている。
ベトナムのタインニエン紙によれば、国内の活動家たちはモンサントにベトナムで事業を行う資格はないと反対の声を上げている。ベトナムでは枯葉剤によって40万人が死亡し、50万人の奇形児や障害児が生まれ、200万人にさまざまな後遺症を残した。

モンサントが現在ベトナムで関心を抱いているのは農業分野だ。遺伝子組み換え技術で農作物の収量を上げる技術を持つモンサントを、ベトナム政府が誘致しようとしていると、タインニエン系列の週刊誌が報じた。

ベトナムとアメリカ両国の枯葉剤犠牲者から訴えられているモンサントは、もちろん過去を忘れたわけではない。米軍からの発注で製造した枯葉剤は、植物を枯らしてジャングルに潜む共産ゲリラをあぶり出して掃討するために散布された。
モンサント社の冊子は、枯葉剤は愛国的な化学薬品だったと紹介しいる。「アメリカと同盟国の兵士の命を守る」ために作られたものであり、係争中の裁判については「当事者だった政府によって解決されるべきだ」と主張している。

モンサントのベトナム進出を阻止しようとする活動家たちの戦いは、すでに苦戦を強いられているようだ。タインニエン紙によれば、ベトナムの元副国防相が国会でこの問題を取り上げようとしたが、政権側に発言を妨げられたという。【2月8日 Newsweek】
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“枯葉剤は愛国的な化学薬品”とは、なんともあきれた言い様です。
しかし、“遺伝子組み替え作物の種子の世界シェア90%”ということになれば、モンサント社抜きに今後の農業は語れないのも現実でしょう。そういう点ではベトナム共産党政権は非常に現実的です。
ただ、そうは言っても・・・という感が、やはり残ります。
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