陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

スズメウリ

2022年09月27日 | 野草

裏木戸を開けると、いろんな雑草に交じって、1センチほどの小さな緑色の玉が吊る下がっているのが目に入った。

普通の目でみても、きっと見落としてしまうに違いない程の小さな小さな緑色のボールだ。

 

 

「あれ、スズメウリ!」と近くにいた友人。カラスウリならよく知っているけれど「スズメウリ」なんて聞いたこともない、初めて聞く名前だ。確かに実の大きさでいえばカラスとスズメほどの違いがあるが、蔓の具合はどことなくカラスウリに似ていなくもない。「カラスウリ」と「スズメウリ」とはよく名付けたものだと、思わず笑ってしまった。

 

 

蔓を手繰ってみると小さな小さな白い5mmにも満たない花は、細やかな細工物のイヤリングのように愛らしい。

「カラスウリ」は人間の寝静まった真夜中に、えも知れぬレース状の美しい花を咲かせる、もしかしたら「スズメウリ」も負けずに真夜中華麗な演出を見せるかもしれない、などと名前からくる連想を楽しんでしまった。

 

全開した雌花 

          写真はウイキペディアより借用・夜のカラスウリ

 


彼岸花ー2

2022年09月19日 | 野草

亡くなっ友だちから頂いた白色の彼岸花が、今年は妙に元気がよくて、ひと固まりになって咲いている。赤色が突然異変を起こして白色に変身する、そういうことはいろいろな生きものの中によくあることで、突然変異も驚くことではないと知ってはいるが、白色の彼岸花はなぜか「白花曼殊沙華」という別の植物のような感じがする。

 

子供のころ、川の土手いっぱいに咲いている赤い彼岸花を見て、怖いと思った記憶がある。毒があるから触ってはいけないとか、死人花とか誰かに言われたような気もするが、子供心にも美しいとは思わなかった。彼岸に咲くことから 死者・墓・地獄 などと言う言葉とつながっていて、それが一層この花を不気味なものにしていたように思う。

 

 

大人になって、寺山修司の短歌などを知ってから燃えるように咲いている赤い彼岸花を眺める目が変わったが、何よりここ(山の裾の家)に住むようになってからは、彼岸になると自然に生えてくるこの花の、その時と所のあまりの正確さに感動し、愛おしむようになった。

彼岸花の花言葉は「また逢う日を楽しみに」というらしいが、今年も、たくさんの人々のたくさんの想いを一身に背負って、今、満開である。

 


さあ、9月です。

2022年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

随分長くブログをお休みしてしまいました。

ブログは、他者へのメーッセージばかりでなく、自分自身の記録、自身への励ましでもあるというのに・・・。

コロナばかりでなく、異常な戦争、異常な気象・異常な暑さ「異常」が世界中を巻き込んだような夏でした。

 

9月です、久しぶりの谷津山

見知っているはずの巨木が、熱帯雨林のそれのようにさらに巨木化した感じ!

大雨が続いたせい? そんなことってあるだろうか?

 

近くの木で蝉が鳴いている、季節に乗り遅れた蝉の声が何となくもの悲し気で哀れ・・・。

それに、自分を重ねて見てる・・・わたし。

 

鳴く蝉の背を押していく秋の風

 

あらゆる営みを丸ごと運んでいく巨大な「時間」、時間を実感するのは季節の移ろうこの時期、 

乗り遅れたらたいへんだ、そこには死が待っているのかもしれない・・・。

何億年も前から続いている巨大な仕組みが、今日も秋の風を送り込んでくる。