陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

かんなみ仏の里美術館

2019年05月29日 | 美術館めぐり

いつか行ってみたい、と思っていた「かんなみ仏の里美術館」に行ってきました。

「函南(かんなみ)」というのは、熱海市と三島市の真ん中にある小さな町、

「かんなみ仏の里美術館」は、JR函南駅から車で北に5分、箱根山への登り口にありました。

 

 

 箱根といったら都から関東に抜ける交通の要所だったし、関所もあったし、

鎌倉幕府にとっては要塞の地だったはずだから、

鎌倉時代の仏像たちがたくさんいるののだろう・・と想像していたのですが、 

薄暗い美術館の真ん中にデンと座していたのは、十二神将を従えたふっくらとした平安中期の薬師如来でした。

 

 

解説によると、この仏像は、ここ函南の桑原山新光寺というお寺に収められていたものです。

新光寺は、 弘仁7年(816年)に、桑原の地に建立されました。

史書(吾妻鏡)によると、新光寺はその後たびたび火災などに見舞われます。

それを、鎌倉時代になって、源頼朝や北条時政らが再興させます。

その時に、新たに鎌倉時代の仏像たちが奉納されました。それが国宝の阿弥陀如来像です。

*

それから、室町、戦国,江戸、明治、大正、昭和、平成、と千年の時が流れました。

仏像たちは、どうやって守られてきたのでしょうか?

平安の時代も、鎌倉の時代も、江戸時代だって、歴史に出てくる一部の貴族や武士をのぞいたら

大多数が貧しい農民です。箱根に近いこの地の農民たちの暮らしが豊かだったとは考えられません。

そんな中、桑原山地区の村人たちは仏像を大切に守り続けてきました。

そして24体の国宝級の仏像が現代に残されたのです。

 

そのことが、この地元美術館の意味であり、これらの仏像の重みなのだと思ったのでした。

 

 

 みほとけは 孤独に座して 永遠に微笑む

 

 

「かんなみ仏の里美術館」は、この地域に残された24体の国宝級の仏像を展示しています。

丁寧な展示と地元のボランティアさんの親しみやすい解説に、ローカル美術館の味わいを感じます。 

 


星が最も輝いて見える場所・ヘブンスそのはら

2019年05月13日 | 旅の記録

 5月11日・ヘブンスそのはらで2640人が天体観測・ギネス認定 

そんな記事が新聞に出ていました。 2640人も! すごいですね! 

山頂までのロープウェイは12人しか乗れないから、ヘブンス界隈はきっ大変な混雑だったでしょう !

星の美しさもさることながら、思い思いの天体観察の道具を据えた2640人の姿は、さぞ壮観だったことでしょう。

 

 

 

私たちは、連休の最初の頃にここに居たのですが、山頂はあいにくの雨でした。

山頂の売店でビニールカッパを買って、雨の中を歩きました。

 

 雨の中に咲くカタクリの花です。

 

カタクリは、群落をつくって、一面にさいていました。

 

 こちらはイワウチワの群落です。

 

 イワウチワの花

 

「ヘブンスそのはら」は長野県下伊那郡阿智村にあるスキー場です。スキー場としては信州の最南端だとか。

「花桃街道」に行く道を途中でちょっと右折すると、スキー場に行くケーブルの乗り場があります。

ケーブルで10分?くらい行くと、遥かに伊那谷の展望がひらけます。

この季節は山野草も美しいのですが、これからは、何といっても星空が素晴らしいとのこと。

環境省による全国星空継続観察で「星が最も輝いて見える場所」第1位に選ばれています。

カタログから借用

 

星空が美しいということは、逆に言えば、手つかずの自然がそのまま残されているということ、

帰途、お土産に買った「切り干し大根」にしみ込んだ「自然」の味と香りに感激しながら

厳しい自然環境の中で生きてきた昔の人々の厳しい暮らしと、大空にかけるロマンを思ったのでした。 

 


南信州・花桃街道

2019年05月03日 | 旅の記録

 

信州に行ってきました。

 といっても南信州・飯田から山沿いの道を30分ほど行ったところにある昼神温泉です。

昔一度行ったことがある温泉なのですが、当時と比べると見違えるほど立派な温泉街になっていました。

その温泉場のすぐ近くにある「花桃街道」は、赤白ピンクの桃の花が川の両岸をうめつくし、

まるで振り袖の裾模様のような豪華な美しさでした。

 

  

一時代前、伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は侘しい山村地帯でした。

何もない過疎の村を「自慢できるにしたい」と始まったのが花桃の植栽だったそうです。

それは平成の初めの頃でしたが、30年の時を経た平成最後のこの年には10000本にまでなり、

街道を埋め尽くす見事な「花街道」として、全国から人の集まる観光名所になっています。

 

 

木曽川の上流に日本初の発電所を作ったのは福沢諭吉の娘婿福沢桃介です。

桃吉は訪れたドイツのミュンヘンで三色に咲くこの花を見て驚き、3本の苗を持ち帰りました。

1992年(大正11年)のことです。それが「花桃街道」の桃の基になりました。

一昨年、その福沢桃介の業績を訪ねる旅で木曽川を訪ねました。

その時、その桃の苗木をお土産に戴きました。それが、我が家の「はなもも」の木です。

今年二年目で、まだ1メートルほどですが三色の花をさかせました。

 

 

桃介と貞奴と愛でし花の桃

 白とピンクと濃い赤桃色と、一本の木に三色の花をつける「花桃」です。

津カンナ著・水燃えて火(山師と女優の電力革命)に、その当時の木曽の事情が詳しく記されています。

ちなみに、貞奴は一世を風靡した明治時代の女優、発電所開発の時期、桃介とこの地に暮らしたのでした。