陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

天城湯ヶ島・小さな旅

2021年09月28日 | 旅の記録

二度のワクチン接種もすんでいるし、コロナもやや沈静してきたし・・・・・。

秋の休日、久しぶりに天城湯ヶ島を訪れた。天城は私の最初の赴任地、懐かしい地である。昔泊ったことのある「白壁荘」に一泊した。

 

温泉に入ってから宿の裏庭を散歩してみた。このあたりは渓谷の合流地らしく、豊かな水が轟音を立てて流れている。眺めていると、何処からか一人の男性が現れて何やら魚を取っているらしい。

「何が捕れましたか?」と聞くと「鮎だよ」とのどかな返事がかえってきた。大きな自然と共存する小さな人間の「これがごく普通の営みなのだよ」と言う感じの応答が、何だかとても爽やかに感じられた。

 

「天城山脈を源とする山ひだから醸しだされる澄み切った湧き水は万緑の樹々を縫って渓谷に流れ込み、猫越川と本谷川になる。この二つの川が合流する地点は湯ヶ島のほぼ中央にあり、湯ヶ島でも最も美しい景観を呈している。」(白ばんばの里・天城湯島 宇田治良)

 

新幹線三島駅からなら車で一時間余りの伊豆半島・天城湯ヶ島。伊東に通じる幹線(踊り子街道)をたった一本奥に入っただけなのに、そこには昔のままの、美しい田畑と美しい自然が残っていた。今風の看板や建物もあまり見当たらない。そこには温泉郷を守ろうとする人々の努力があるのだろうが、何かノスタルジックな感興をそそられる地であった。宿泊した「白壁荘」がよかったからかもしれないが・・・・。

 

「伊豆半島の中央、天城山の麓に位置する天城湯ヶ島は良質の温泉が豊富で、古くから湯治場としてよく知られている。美しい自然の中で山間に佇む温泉郷はまた、文学の発祥地としても独特の雰囲気を持っている。」(白ばんばの里・天城湯島 宇田治良)

 


大谷石資料館

2021年09月17日 | 旅の記録

西インドの階段井戸には驚かされましたが、それに負けない素晴らしい石の文化が日本にもあることを,この夏,見つけました。

栃木県宇都宮市の北西部(旧)城山村荒針一帯に残る「大谷石採掘場跡」がそれです。石切り場の入り口は10メートル四方くらいの広さですが、中は広く、深さも30~80メートル程、(深い所では120メートルもあるそうです)、全体を石で囲った巨大な空間が資料館で,その外からでは判らない地下の採掘跡が、そのまま美術空間です。

 

写真は、中沢正行さんが撮影した「写真集」の中の一枚です。作業用の階段の小ささを見ても、この石のドームの大きさがわかります。迫力ある現代アート作品のようです。

「写真集 その知られざる世界」から転載

「50メートルもあっただろうか、やっと地の底にたどり着いた瞬間、その神殿のような荘厳さ、静けさ、この世のものとも思えない柔らかい光に、しばらくはファインダーをのぞく事さえ忘れ、その神殿に見とれてしまった。]  写真集「その知られざる世界」を撮影された相沢正行さんは、昭和48年に初めて構内に入った時の感動をそう述べています。

私も、この夏、思いがけずこの石の神殿のような空間に行って感動しました。そして、インドの階段井戸のことを思い出しました。用途も構造も違いますが、地下深くに籠めた人々の祈りが、伝わってくるような気がしました。  

静岡から栃木は遠く.東北地方の入り口のような気がしていましたが、焼き物の産地「益子」や「笠間」も近くです。


西インドの階段井戸と夏休み

2021年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム

先回のブログからⅠカ月半が過ぎてしまいました。その間「いったい何をしていたのかしら・・?」 自問しながらのブログです。

私のアトリエは、古い家を改造したもので隙間だらけなので、クーラーが付いていません。酷暑の8月は熱中症になりそうな暑さです。で、陶芸教室も夏休み・・。その夏の、暑いアトリエの、早朝と夕方と夜の涼しい時間帯、それが私の作品づくりの時間でした。暑い日中はTVでオリンピックを観ながらお昼寝、涼しくなってからが,秋の展覧会に向けてのオブジェづくりです。

The Vanishing StepweLLs of India (滅びゆくインドの階段井戸)という美しい写真集を手に入れたのは、ちょうど夏休みの前の7月下旬のことでした。シカゴのジャーナリスト・ビクトリアさんが、5年をかけて西インドの階段井戸を取材したという写真集です。下の写真は The Vanishing Stepwells of  India の中の UJALA BAOLI  という写真です。

                       

Ujala Baoli – Mandu, India - Atlas Obscura

          写真集 The Vanising Stepwells of India  から転載

そこには、見たこともない神秘的で美しいインドの階段状の井戸の姿がありました。長い年月の中で風化し、今まさに滅びようとしている美しい階段井戸。ちょうど、オブジェの構想を練っていたところだったので、この階段井戸を何とか今回の作品の中に生かせないものか、と考えたのです。

階段井戸というのは、パキスタンから西インドにかけて、今でも見かけられる貯水池のことです。雨量の少ないこの地方では水を得るために地下水を汲み上げることが必要でした。人々は、安定した水を得るために地下深くまで井戸を掘りました。乾季には地下30メートルだった井戸の水位が、モンスーンの時期になると上昇して階段が100段以上も水没してしまう、そんな繰り返しの中で、地下7階程の壁面を幾何学模様に埋め尽くす、美しい階段が生まれたのです。

井戸の周囲を囲むように作られた階段、その幾重にも分岐しながら降っていく階段の先に水が見えます。こうした階段井戸は、紀元600年頃から作られ始め、1600年頃まで掘り続けられました。そうした階段井戸が、現在でも西インド地方には60近く残されています。

 

その場所は、井戸であるだけでなく、人々の集いの場所であり、非常時の非難場所であり、神殿であり、僧院でもありました。

最初の写真 UJALA  BAOLI の説明文の中に次のような一節がありました。「15世紀から16世紀にかけては、王朝や王国間に激しい争いがありました、息子が父を殺したり、友人が友人を毒殺したり、最愛の妃が敵の捕虜になったりと。このような争いや対立の中で、住民が何年もの間包囲されたりしたことを考えると、水へのアクセスがどんなに重要だったかがよく判ります」。階段井戸は水資源のためだけでなく、王朝を守る重要な砦でもあったのです。機能的であるだけでなく、何処か重々しく神秘的な美しさを秘めているのは、そういった歴史の積み重ねがあるからなのでしょう。パタンにある「女王の階段井戸」は2014年に世界遺産に登録されました。

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ながながと階段井戸のことを書きましたが、実は、階段井戸が問題なのではなく、「階段井戸に見る滅びの美学」をどのように作品の中に表現するか、それが私の問題でした。井戸も階段も素材としては面白いのですが、それを具体的に作品にするにはどうすればよいのか、それが解らなくて悪戦苦闘を繰り返していたのでした。

結局、何とかオブジェらしいものを完成させたのは8月の中旬です。でも、それとて満足のいくものではなく、もう一回やり直そう・・、と二個目に挑戦したのが8月の中旬のこと。オリンピックにもコロナ緊急事態宣言にもパラリンピックにも惑わされず、ひたすら作陶に励んだわたしの8月でした。