陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

土にありがとう

2022年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

これ、今朝の収穫。

笑っちゃいけません・・・・、たったこれっぽっち? なんて・・・。

●暮れに、芽が出てしまったジャガイモ、半分に切って灰を付けて、土に埋めておいただけなのに、芽が出て葉が出て花が咲いて、掘ってみたら

イモゴロゴロ?・・・・、ちょっとした朝のサラダには十分です。新鮮でとっても美味しいジャガイモでした。

●蕗は庭に自然に生えてきたもの。蕗の薹を天ぷらにした後、可愛がって土など掛けておいたら、次々と太った茎が出てきました。何回も収穫、キンピラ風にゴマ油で炒めて酒とみりんと醤油で味付け、とても美味しいイッピンです。

土と 水と 植物と、その命の饗宴に カンパイ !!

 

 


カンパネルラ

2022年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

カンパネルラがたくさんの花を咲かせました。山野草でなくて園芸種のイタリア原産の花を育てたのは、私としては珍しいことです。「カンパネルラ」という名に惹かれて小さな苗を2本買ったのが去年の秋だったでしょうか。ほっておいたのが雨続きの中で急生長し1メートルもになって薄紫の美しい花を咲かせたのでした。

 

   

 

「カンパネルラ」という名でとっさに思い出したのが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の、あの星空を走る列車でした。

 

 ジョパンニとカンパネルラは,その日の理科の授業で先生から天の川の話を聞きます。                               

もしもこの天の川がほんとうの川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。 またこれを大きな乳の流れと考えるならもっと天の川とにています。 つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かに浮かんでいる油脂の粒にもあたるのです。 そんなら何がその川の水に当たるかといいますと、それは真空と言う光をあるはやさで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりその中に浮かんでいるのです。 つまりは私どもも天の川の水の中に棲んでいるわけです。 ・・・・」‎

その夜、孤独で哀しかった少年ジョバンニは、銀河鉄道に乗って星の世界の旅に出たのでした。すると偶然そこに友だちのカンパニュラが乗っていて、二人はいろいろな人やことに出会い、とても楽しい旅をすることになるのです。それは不思議な宇宙の旅のようでもあり、また賢治の世界への旅のようでもあり、不思議な優しさへの旅のようでもありました。

ジョパンニが夢から覚めると、夢とも現実ともつかない哀しい出来事がまっていました。川で「星祭り」の支度をしていた友人が流され、それを救おうとしたカンパニュラが命を落とした、というのです・・・・。ほんの先刻まで一緒だったカンパニュラが・・・。

 

   

 

イタリア語では Canpanella は鐘の意味、花言葉は 感謝・誠実・想いを告げる。

ギリシャ神話では、美しい妖精カンパニュラが、オリンパスの果樹園で黄金のリンゴを守っている時にリンゴを盗もうとした兵士に撃たれて命を落とした。それでカンパニュラを「鐘」のカタチに変えて、花言葉を「守れなかった命」とした。

どうして賢治が二人の少年の名をジョバンニとカンパニュラとしたのか、特別な想いがあったのかどうか私にはわかりません。でも「銀河鉄道の夜」が特別な世界であるように「ジョバンニとカンパニュラ」も国籍不明の特別な名前でなくてはならない、そんな気がするのです。

 


富士山だよりー2

2022年05月07日 | 旅の記録

朝起きて窓を開けると、太陽を背にした黒い富士山のシルエットがくっきりと映し出されていました。ちょうどその時、その黒い富士山の背後から白い一筋の線が現れ始めました。それは見ている間にするすると伸び上がり、軽く富士山を越えると天高く昇って行きます。「羽田から飛び立った飛行機かしら? もう富士山の3倍ぐらいまで行ったネ・・・」と話している間に、一筋の白い線は五月の青い空の中に消えていきました

そして、いつもの美しい朝霧の富士山が現れました。

前半は雨も多く温度も低かった天候が、後半になって快晴が続き、文字通りのゴールデンウイークです。快適な五月晴れの中を爽やかな緑の風が通り過ぎて行きます。申し分のない散歩日和です。

このあたりは、別荘地と言っても家は点在しているぐらいで、木も草もみんなが自然体な感じです。・・・時折小鳥の声が聞こえてきます、さっき「ケーン」という声がしたと思ったら、雉が草叢の中をお散歩です。

空地いっぱいに二輪草(ニリンソウ)が咲いています。街場よりひと月おくれで今が満開です。品の良い白い花が風に揺れています。

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コロナで二年間も遠出ができなかったこともあって、ここに来たのも久しぶり、そう三年ぶり?でしょうか。自然は変わらないいなーと思いながら歩いていくと、突き当りの森が大掛かりに伐採されているのに出会いました。聞けばここの別荘地のすぐ近くにキャンプ場ができるとか・・。

広場の中央には伐採された大きな木々が積み上げられ、周辺のニリンソウの上にも小枝が無造作に積み重ねられています。

開発の、その無造作さに、何か漠然とした不安を感じ、心が痛みます。

昨今は、何やらキャンプばやりとかで休みになると富士五湖周辺のキャンプ場は大都会並みの混雑です。この連休の期間中も西富士道は大渋滞で昼間は外出もままなりませんでした。都会に住む沢山の人たちにも豊かな自然を楽しんで頂きたい、とは思います。でも、今のような感じで都会が移住してきたようなキャンプ場を増やすことがいいことなのかしら? ふとそんな気がしました。