陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

コロナ見舞い

2020年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

不要不急の外出禁止はさぞ厳しいだろうと、東京で暮らす娘たちに「コロナ見舞い」をおくった。

すると、早速「コロナ見舞いお返し」が、宅急便で送られてきた。抹茶と黒豆と栗の入ったパウンドケーキ!

 

          

 

 

 

 

 

 

 

 

包装のこだわりと言い、ケーキの出来栄えといい、プロ顔負けだ。ちなみに商標の「かえで」は作り手の名前。

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子どもたちが、秤で分量を量って、粉をふるい卵を泡立て砂糖やエッセンスを加えて、小半日をかけてて焼いてる様が目に浮かんでくる。出来上がったケーキを冷まして、さて今度は、どんな風に演出しようか、りぼんは?包装紙は?箱は?メッセージは?

そうだ、贈り物って元来そういうものだったね!。人の喜ぶ顔を思いながら時間をかけて作ること。 物の溢れる時代の中でついつい忘れてしまっている「自分で物(料理も)を作ること」や「人を思いやること」や「優しさの表現」などなど・・・・、いろいろなことを思い起こさせてくれたよ。

アリガトウ! トッテモオイシカッタ! 

ペストに襲われたアルジェリアのオランを舞台に展開するカミユの「ペスト」を読みながら、頂きました。不条理の前では100年前も今も、人間はあまり変わっていないようです。

お返しの写真、赤い花は今朝お隣のおばさんに「山椒の葉」をあげたらお返しに頂いたもです。

 

 

 


自然賛歌

2020年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

世界中の死者が20万人を超えたとか、これはもうコロナ戦争です。

コロナ自粛が続いている中、山の散歩が日課になりました。この季節、道端のいろんな草花が精いっぱい自己主張しているので、なかなかきれいです。でも知らない花も多くて、名前が判らないとひっくるめて「雑草」になってしまいます。

 

         ハハコグサ                                    オオジシバリ

      オニタビラコ                                     ヒカゲスミレ

この写真はタンポポの綿毛ですが、何だかコロナウイルスに似ていませんか。

 

以前犬がいた頃、毎日散歩していた山道ですが、久しぶりに歩いてみると、竹で鬱蒼としてしまったり、普通だった木が思わぬ大木になって倒れそうになっていたり、雑草が密林の下草のようになっていたり、人が手を入れていないのが判ります。人の手を離れると自然も暴走し始めます。全国にはそんな地が沢山あるといいます。

今、都会のマンションの中でじっとしている人たちに自然をあげたいナと思います。ウイルスのお蔭で始まったテレワークが当たり前になれば、都会にいなくても仕事ができるのでは? ここ静岡は田舎といっても新幹線で一時間です。それなのに人口は減少しています。若者の都会流失と人口減がその要因。人口が減れば国民一人当たりの土地面積は増えるはず、みんながもっと広々と暮らせる施策はないものか? 自然賛歌の私はそう考えてしまいます。 

とは言うものの、このあたりに建つ新築の売家も「35坪」とか「37坪」、建築やさんに聞いたら「土地の値段が高すぎるから広い家は売れない」とのこと。なんとかならないのでしょうかね・・・。


日日是好日?

2020年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

緊急事態宣言から1週間、始まるはずの学校もヤスミ、陶芸教室もヤスミ、何だか曜日の感覚が失せてしまったような暮らしです。山の散歩が日課になりました。

 

このひと月、山はあっという間に変身して、晴れやかだったピンク色が爽やかな緑色になりました。

世界中がウイルスに恐々としているというのに、そんなことなどお構いない時の仕業です。

時は、正確に、確実に、動いている、と実感します。

その変わり身の早さ正確さは、何十万人もの人を死に追いやったウイルスの無常と似ています。

卯の花です。

裸の枝が芽を吹き出し芽が葉になり、葉が新緑になり白い粒粒が白い花になるまでに一ケ月あまり。

「卯の花のにおう垣根に、不如帰はやもきなきて・・・」とうたわれているように、5月頃に咲く花だったと記憶していますが、今日、もう咲いていました。鶯はひと月ほど前から鳴いています、ホトトギスももう間近でしょう。

目くるめく春の共演! 絶好調の 日々是好日 です。

人の想いをよそに、自然もまた無常なのです。

 

 起き抜けに卯の花を剪り瓶に挿す  青山大

 


ついに緊急事態宣言?

2020年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

4月6日晴 よく晴れて気持ちの良い朝です。

「今日は眼科の検診の日だったな・・・・」と気が付いたのですが、眼科病院の尋常でない混み具合と、「もし感染したら、あなたの命にかかわるのだからね」という友だちの強制とも思える声が頭をかすめて、病院に行くをやめることにしました。病院に電話し予約を取り消し・・・、さて、何をしようか?

「できるだけ外出をさけて、外出したら手をよく洗い,うがいをする」そんな言葉がすっかり身についた昨今です。そうだ、こんな晴天の日には掃除と洗濯に限ると、シーツをはずし枕カバーをはずし、ついでにとお客用のシーツもカバーも合わせて洗濯をしました。そして、これもついでにと洗面所から風呂場のタイルまで徹底的なウイルス予防対策です。それが午前中の仕事。

そして午後、久しぶりに山(と言っても100メートル)を散歩してみました。

谷津山は、桜は散り始めましたが木々が芽ぶき始め、緑色の若葉とピンク色の花の共演が始まっています。「人混みはなるべく避けましょう」という事情もあってか、山を散歩するする人の姿が増えています。山は適当に伐採されていて、林の中に明るい光が差し込んで気持ちの良い空間を作りだしています。その木々の下に不思議な草花が咲いています。よく見ないと気が付かないような地味な花です。

 

花の名前はウラシマソウ。咲いている場所もじめじめした木陰で気味が悪いし花もちょっと不気味なので、あまり人には好かれない花です。花の先が浦島太郎の釣り竿の糸のようなものが長ーくくっついているから「浦島草」の名が付いたとか。これが、どういう事情があってかわか家の近くの山の斜面に大量に咲いています。数年前にはなかったのに・・・。

 

糸の長さは50センチ以上、それを生きもののように上にもたげ、葉っぱの上まで伸ばしています。試しにと思い、家に持ち帰って花器に活けてみましたが、何ともしっくりいきません。正岡子規は、この花を俳句に読んでいます。気に入っていたのでしょうか。。。。

       枕もと浦島草を活けてけり   子規

コロナウイルスはますますパンデミックになり、ついに明日は緊急事態宣言だそうです。

             

 

 


ロックダウン・都市閉鎖?

2020年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

桜が咲き始めた3月22日から2週間、今、窓の外ではひらひらと桜の花びらが舞っています。

桜の花びらの落ちる速度は雪の降るのと同じとかで、くるくると回転しながら落ちてゆく花びらは、

さながら春の雪のようです。

         

 青い葉っぱが出てきて花びらの中心が赤くなると花は散り始めます。

まだ桜の蕾が固い木の一部のようだった三連休の初め、「さくらだより」を書き始めた頃は、静岡県のコロナ感染者は1人でした。しかもそれはダイヤモンドプリンセスの乗船者だったので、春はいつものようにのどかに始まろうとしていました。それが、蕾が開いて、満開になって、散っていくこの2週間の間に、静岡の感染者数も二桁にまで増え、緊急事態宣言とかが出されるようになりました。市民は不要不急の外出を避け、学校もお休みになりました。こちらもこの春の上野の展覧会の搬入が延期になり、急に気がぬけた感じです。

テレビでは、「あきらかにパンデミックは加速しています。ロックダウンをかろうじてもちこたえている状態です」と報じています。久しぶりにパソコンを開いて調べてみました。

パンデミックとは「感染が世界中に広がること」のようです。この用語が、生きた単語であることは、すでに人類が経験しているということ。紀元前のギリシャやローマに始まり、14世紀のペスト、16世紀の天然痘、19世紀のコレラ 20世紀のスペイン風邪 そしてエーズ、サーズ。

カミユの「ペスト」やトーマスマンの「ベニスに死す」を思い出します。そして今、世界がまさにそのパンデミックな状態にあるということの実感がつかめず、不思議な物語の世界のようにも思えています。長い歴史の中、人は人同士の戦いだけでなく、大自然の驚異・ウイルスとも戦い続けてきたのですねー。

 

 谷津山への登り口は、ここしばらくの間、さくらの絨緞になします。

「生きる」とはどういうことなのか!「戦い」とはどういうことなのか! 

そんなことを考えつつも、単純な私は、花が開花するまでの時間と、ウイルス感染までの時間の合致も、同じ天地創造の論理の上にあって、ウイルスの存在そのものも人類の傲慢を懲らしめる創造主の意思かもしれない、等と思ったりするのです。が、そのロックダウン(都市封鎖)がいざ現実のものとなると、ただじっと身を縮めているほか術がないのです。