陶芸工房 朝

アトリエ便りです。どうぞよろしく。

南仏の蝉

2018年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

日本列島を異常な暑さが襲っていますが、

蝉たちは、今年も快適に夏を迎えているようです。

 

 

 柱の蝉は、去年、娘がニースからお土産に買ってきてくれた陶器の「蝉」です。

 

 

  蝉をデザインした装飾品を、日本ではあまり見かけませんよね。

 

  南仏の観光地ではセミの形をした物やせみの柄を使ったものを沢山見かけます。ランチョンマット、テーブルクロス、マグネット、石鹸、エプロン、一番多いのは陶器ですね。フランス人、特に南仏の人にとってセミはとても親しみのある虫なのです。日本とは違う種類で見た目も鳴き方も違いますが、18世紀の有名なラ・フォンテーヌというフランスの詩人は、「夏はずっと歌って遊んでいたセミは、冬になると食べ物がなくて、働き者のアリのところに餌を分けてくれと頼む」という詩を作っています。20世紀の初め頃から南仏の陶器屋さんではセミの形をした物を作りはじめ、これが、幸せを呼ぶ縁起物 になりました。セミといえば 「夏」「夏休み」「のんき」「安逸」のシンボルなのです。

(ブログより一部借用)

 

それが、日本だと

 

やがて死ぬ景色は見えず蝉の声    芭蕉

空蝉やいのち見事にぬけゐたり   片山由美子 

 

ちょと生真面目で、深刻な感じのする「蝉」の姿がみえてくるのです。


朝の収穫

2018年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

赤いトマト一つ    口にほおばる   朝の庭

 

 

今朝の収穫、トマトにブルーベリーに木苺に、青しその葉です。

色は鮮やかだけど、味は今一つのミニトマトですが、庭の道で最初に出会うので、

思わず一つ採って口に入れてしまいます。

 

 

ブルーベリーの実は、毎朝、一房の中の一ケだけが大きくなって紫色に熟しています。

手の届く範囲の実は摘み取るのですが、上の方のは小鳥がきて食べます。

 

*

 

 

収穫した木の実は、冷蔵庫に保存しておいて、ジャムにします。

 

山の実を食めば野山の味がして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


弟切草(おとぎり草)

2018年07月19日 | 野草

 

 

この草を鷹の傷を治す秘薬としていた鷹飼いが、その秘密を漏らした弟を斬ったという伝説から

「弟切草」の名がついたといわれる   おとぎり草  です。

飛び散った血が葉や花の黒点になったというのですが、よくみても黒い斑点は見つかりませんでした。

 

写真は我が家のオトギリ草

 

葉を油に浸した物を、切り傷、神経痛、関節炎、などの治療に使用するのだそう・・・。

日当たりのよい山野にはえる高さ30~60センチの多年草ですが、いつの間にか、家の庭に定住しました。

 

*

風に揺れる,この可憐な花が、弟殺しの要因などとは、とうてい考えられないのですが、

秘薬には、それなりの薬効と、それを秘密裏に守る掟があったのでしょうか?

あるいはもっと他に、弟に対する深い妬みや恨みが、弟を切るという行為の裏にあったのでしょうか?

 

憎しみの  闇の深さや  弟切草

 

 


ヘッセと庭仕事

2018年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 庭に百合の花が咲いた。白くて美しい白百合だ!

姿が美しいだけでなく、馥郁とした香りがあたりを包んでいる。

谷間に咲く白い百合の花を手折って恋する女性におくる・・・、あれは、誰の小説だったっけ?

 

 

 

 

まだ少女だった頃、夢中で読んだヘルマン・ヘッセの青春小説を思い出した。

「青春彷徨」や「車輪の下」や「デミアン」や「ペーター・カーメンツィント」

そんな本のどこかに、白い百合の花も出てきたような気がしたのだけれど・・。

自然の現象は、同時に、多感でナイーブな少年の内面と重なっていた・・ような気がする。

 

 

 

 

そんなことを思っていた時、ヘッセの晩年の暮らしを綴った「庭仕事の愉しみ」という本と出会った。

 

・・・   水   火   煙   雲   目を閉じたときに見える色彩の斑点・・・

このような形象を見つめ   不合理で   複雑で  奇妙な  自然の形に熱中していると

私たちの心とそういう形象を成立させた意志とが一致するものであるという感じを持つようになる。

私たちはこれらの形象を、私たち自身の気分であり、自分たちの創造の産物である  と考えたい誘惑を感じるようになる。

そして、私たちは自分たちと自然との間の境界が揺らぎ、溶けてしまうのを見

私たちの網膜に映る様々な形象が  外部からの印象であるのか それとも私たちの内部から生じたものか  わからない気分になる。 

(「外界の内界」の一節より) 

 

ヘッセは人生の後半生、執筆以外の時間をほとんど自分の庭で過ごしたという。

庭仕事の中に尽きせぬ愉しみを見出し、自然の中に彼の文学へと結実する秘密を発見した。

水彩画を描き、庭から学んだ自然と人生の叡智を、詩やエッセイに綴った。

人との付き合いは少なく、花や虫や蝶や木や草が友人であり、大木とは古くからの親友のように付き合った。

 

*

 

わたしも、いつの間にか庭の花や木と自分との距離が近くなって、

自然が、自分の家族のような存在になっていることを感じる。

 


七月七日

2018年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 

展覧会が終わって,ここ数か月の気持ちの緊張が解けたら、何もする気になれなくなってしまいました。

ぼんやりとサッカー観戦などしながら、気持が充実するのを待っています。

そろそろ、次の作品の制作に取り掛からなくては・・・、と思いながら。

 

 

何が良かったのか、今年はブルーベリーがいっぱい実をつけています。

青い実は、生け花にしても素敵ですが、実が紫色に熟すのを待っています。

小鳥たちに食べられる前に採ろう・・と思っているのですが、まだ青いままです。

 

グリーンは    若さのシンボル   ブルーベリ

 

 

 

いつもの白色の桔梗が、今年も正直に咲き始めました。

水瓶の水藻も白い花を咲かせています。水瓶の中では日目だかが元気に泳いでいます。

 

 水がめに   花影おとす   白桔梗  

 

 今、また集中豪雨が日本列島を襲っています。

凶暴になった水が、たくさんの家や車や人を飲み込んで・・、各地に大きな被害が出ています。

7月の7日は「七夕」だというのに、空には星一つ見えません。