玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*宿無し弘文①

2023年02月02日 | 捨て猫の独り言

 ひさしぶりにワクワクしながら読んだ本がある。それは図書館の新刊本コーナーにあった。新潮文庫の「宿無し弘文」で、著者の柳田由紀子が八年の歳月をかけて禅僧・乙川弘文の関係者を追跡取材して生まれたノンフィクションだ。著者は米国人の夫とロサンゼルス郊外に暮らす。

 乙川弘文は1938年に新潟県加茂市にある曹洞宗・定光寺住職の三男として生まれる。13歳で得度して、加茂高校の頃に澤木興道の座禅会に参加、駒澤大学卒業後に京都大学大学院文学研究科に進み仏教学を専攻。毎月洛北の澤木興道の座禅会(安泰寺)に通う。この頃弓道を習い始める。27歳のとき永平寺に上山、修行僧に。

 京都時代は京大の近く、吉田神社のあたりに下宿し、西洋哲学や釈迦や道元との格闘の日々だったという。師と仰ぐ澤木興道は「宿無し興道」とか「移動式叢林」などと自称し、生涯独身で、座禅指導に招かれれば全国どこへでも行くというスタイルを貫いた高僧だった。弘文は禅僧としてエリートコースを順調に歩んだ。

 自分の青年期と比較するのも愚かしいことであるが、弘文のようになにかを成し遂げる人格が作り上げられるには、このように恵まれた境遇が必要なのだろうかと妬ましい気持ちになる。果たして弘文は何を成し遂げたのか。29歳のとき永平寺の弘文に、アメリカ西海岸に禅の種を蒔き育てた禅僧・鈴木俊隆老師から渡米依頼のエアメールが届く。

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