Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●確実に《人柱》計画断念を! 《助けてぃくみそーれー!》 頼みの玉城デニーさんが〝折れて〟しまえば、沖縄県にとって致命的

2021年08月03日 00時00分26秒 | Weblog

[↑ 辺野古破壊反対広告 (2021年06月06日、朝日新聞)]


/ (2021年07月04日[日])
週刊朝日のコラム【室井佑月「『ずっと俺、総理な』っていいそう」】(https://dot.asahi.com/wa/2021062200078.html)。
琉球新報のコラム【<金口木舌>チャモロと沖縄】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1340126.html)。
マガジン9のコラム【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 第104回:嘆きの雨止まず~沖縄戦遺骨問題と慰霊の日~】(https://maga9.jp/210630-7/)。

 《緊急事態条項があったら、国民の権限をもっと制限でき、こんなに感染拡大はしなかった? コロナ禍の中で、どうしてもGo Toキャンペーンをやりたがったのは誰ですか? 海外から渡航してきた人の検査体制も遅かった。てか1年以上経っても、あたしたちの検査体制も万全とはいえない》。

 コロナ禍で違憲な壊憲に手を貸す愚を犯す…。

   『●《国民投票法に条件付き賛成で…支持者が増》≪「支持者減」…
     立憲を掲げて、しかも、このコロナ禍で、あのトンデモ壊憲に手を貸すかね?
   『●立法府の自公お維議員による土地規制法案 ――― 《何のための国会か》
        《内閣委員のお一人お一人が問われている》(馬奈木厳太郎弁護士)

    《さらに、法案を先取りするような事件も沖縄では起こった。
     米軍北部訓練場の返還跡地である「やんばるの森」に米軍の廃棄物が
     残っている
ことを指摘、その廃棄物を米軍基地ゲート前に並べるという
     抗議活動をおこなったチョウ類研究者の宮城秋乃さんに対し、沖縄県警が
     威力業務妨害の疑いで家宅捜索に入ったからだ》

   『●土地規制法案の先取り ―― 宮城秋乃さんの家宅捜索という見せしめ
       …《見せしめの過剰捜査…人権侵害行為》が頻発すること、必至
   『●《神さま》気取りのアベ様にこんなお願いする気? ―――
     「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限…緊急事態条項の創設」
   『●<金口木舌>《土地利用規制法やデジタル関連法などが国会でバタバタ
     と成立…いずれも国民を監視し思想・良心の自由を奪いかねない法律》

 沖縄では、番犬様がやりたい放題。
 【<金口木舌>チャモロと沖縄】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1340126.html)によると、《「裏切りだ」。米領グアムの米軍基地で働くなど、米国民として誇りを抱いていたエンジェル・サントス氏は1990年代、環境影響調査の報告書を読んでがくぜんとした。基地周辺の飲用水、地下水が発がん性物質で汚染されていた》。

   『●PFOSを含む泡消火剤《14万リットル流出 ドラム缶719本分》!!
        沖縄市民に強硬な防衛相は番犬様には何にも吠え付けないとはねぇ…
   『●ポンコツな番犬様…泡消火剤《14万リットル…ドラム缶719本分》
      流出事件の《原因は米兵が格納庫でバーベキューをしたことだった》

 《人柱》…コンナ事さえ止められない《市民の無力》さ。止まらない五輪、止められない独裁政権。
 出来もしない軍事基地のためにドブガネし、普天間も返還されない。辺野古は単なる破壊「損」。そして、ヒトデナシな《人柱》…せめてコレくらいのこと、こんなデタラメでヒトデナシなことは止めてほしいな、玉城デニー沖縄県知事には。県知事の権限に限界があることは理解していますし、前独裁政権や現独裁政権、自公お維が諸悪の根源なんだけれど、玉城デニーさんにはもう少し頑張ってほしい。
 マガジン9のコラム【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 第104回:嘆きの雨止まず~沖縄戦遺骨問題と慰霊の日~】(https://maga9.jp/210630-7/)によると、《辺野古の基地建設計画は今、大きく狂い、様々な工法の変更を余儀なくされている。国は沖縄県に対して変更の手続きを申請しているが、その中に、予定外の大量の土砂を新たに県内から調達する計画があり、それがいまだに多くの戦争犠牲者の骨が未回収である南部から掘削されることが発覚したため、動揺が広がっている…》。

   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力があるの
      かもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
   『●《埋め立てに使う土砂を、沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部から
      採取することが新たに盛り込まれた…「戦没者に対する冒とくです」》
   『●《戦争で亡くなった人の血や肉が染みこんだ土や石を、新たな軍事基地
      建設に使用するのは人間のやることじゃない》…《人柱》でいいのか?
   『●《人柱》…《「助けてぃくみそーれー!」…この言葉が1945年、
     島中の至る所で地中に滲み込むほどに叫ばれていた》(三上智恵さん)
   『●《そんなふうに静かに始める抵抗にこそ、人々を変える力がある
     のかもしれない》(北原みのりさん)――― 辺野古破壊と《人柱》
   『●今月で《25年…国策に翻弄され続けた四半世紀》…米軍普天間
     飛行場は返還されず、一方、辺野古は破壊され続け、単なる破壊「損」
   『●遺骨の混ざった土砂が辺野古破壊の(出来もしない)新基地建設に
     使用か? カースーオジサンらはヒトデナシなことをやろうとしている
   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…
   『●カネカネカネの金(カネ)色の五つの輪で《国威を発揚》…《メディアの
       報道は死の重みに無関心…空襲に遭ったら仕方がないとでも言いたげ》
    《おまけに、「軍隊」に歯向かえば何の支援も受けられない状況が
     生まれた。感染爆発に襲われている沖縄県の玉城デニー知事が
     大規模接種センターの設置を求めた防衛省は拒否。これでは
     香港やミャンマーと変わらないではないか。自衛隊は菅首相や
     岸防衛相の私兵になったのか。》

=====================================================
https://dot.asahi.com/wa/2021062200078.html

室井佑月『ずっと俺、総理な』っていいそう
連載「しがみつく女」
室井佑月 2021.6.24 07:00 週刊朝日 #室井佑月

     (室井佑月・作家)

 作家・室井佑月氏は、加藤官房長官の「改憲の好機」という発言を取り上げる。

【この記事のイラストはこちら】
 イラスト/小田原ドラゴン

*  *  *

 加藤勝信官房長官は6月11日の記者会見で記者団に、

「新型コロナによる未曽有の事態を全国民が経験し、緊急事態の備えに対する関心が高まっている現状において、(改憲し憲法に緊急事態条項を入れる)議論を提起し、進めることは絶好の契機

と述べたらしい。自民党の人たちってなんでも利用しようとするね。

 コロナでは1万4千人の人が亡くなり、治っても後遺症に苦しむ方もいる。商売ができなくなった方、解雇された方、生活苦にあえいでいる人もいる。そういったことさえ、自分らがやりたい改憲の絶好の機会として捉えるとはね

 ま、そのあと、記者がコロナ禍で苦しむ人々のことを指摘すると、加藤氏は、

「皆さんが苦しんでいることを絶好と申し上げているのではない。こういった中で、緊急事態をどう考えるべきなのかについて高い関心を持っておられる、そこを申し上げている」

といい直した。

 苦しんでいる大勢が、緊急事態条項について高い関心を持っている?

 大勢が苦しんでいることは事実だけど、多くの人は、自分のワクチンはまだか、いつからお店を通常営業できるのか、2回目の給付金はまだか、まさか国はあたしたちに布マスク1世帯に2枚と1回こっきりの10万円でなんとかしろっていってるわけじゃないよね?などなどいいたいことはいっぱいあれども、改憲し緊急事態条項を入れて欲しいなんていってない

 加藤氏はうまく言い訳したつもりでも、本音ではコロナ禍のドサクサに紛れて改憲してしまいたいのは見え見えじゃ

 なぜドサクサに紛れてそれをしてしまいたいのか? この国の法に緊急事態条項があってもなくても、今回のコロナ対策は失敗していた。議論となれば、すぐバレる。

 先進国最低のワクチンの接種率、緊急事態条項があったらなんとかなりました?

 日本はただ買い負けただけ。マスクのときと一緒。製薬会社とちゃんと文書で細かく約束してなかったのもまずかった。

 緊急事態条項があったら、国民の権限をもっと制限でき、こんなに感染拡大はしなかった?

 コロナ禍の中で、どうしてもGo Toキャンペーンをやりたがったのは誰ですか?

 海外から渡航してきた人の検査体制も遅かった。てか1年以上経っても、あたしたちの検査体制も万全とはいえない

 改憲し緊急事態条項とやらを入れても、この政府の無能ぶりは変わらない。というか、その無能らに緊急時だけといっても、これ以上、あたしたちの権利や権限を預けるなんて恐ろしい。「ずっと俺、総理な」ってこともいいだしそうで。


室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中

※週刊朝日  2021年7月2日号
=====================================================

=====================================================
https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1340126.html

<金口木舌>チャモロと沖縄
2021年6月18日 05:00
金口木舌 米軍 環境汚染 グアム 汚染水 流出

 「裏切りだ」。米領グアムの米軍基地で働くなど、米国民として誇りを抱いていたエンジェル・サントス氏は1990年代、環境影響調査の報告書を読んでがくぜんとした。基地周辺の飲用水、地下水が発がん性物質で汚染されていた

▼サントス氏は数年前、幼い娘をがんで亡くしていた。市民団体「ナシオン・チャモル」を結成し、米軍による環境汚染を告発。先住民族チャモロの自己決定権回復を求めて運動した。「穴を掘り、猛毒を含む軍需品を埋めるのは一般的だった」と米軍を非難した

▼2003年の死去後もチャモロの人々に語り継がれる存在だ。米国からの独立運動の象徴でもある。基地に振り回されてきたグアムの歴史は沖縄に重なる

▼うるま市の米陸軍貯油施設から有機フッ素化合物に汚染された水が漏れ出した。流出量は最大2・4トン余だという。排水路の先には北谷浄水場が取水する天願川がある

▼昨年、普天間飛行場から同物質を含む泡消火剤が大量に漏れたばかりだ。この物質による水質汚染は16年から問題化している。しかし陸軍貯油施設にも貯蔵されていたことを、県民は今回の事故で知らされた

▼基地内にどんな有害物質があるのか、米軍は全容を明らかにしない。日本側の立ち入り調査要求にも満足に応じない。この島に76年間も米軍を駐留させる日米両政府は今後も県民を欺き続けるのか
=====================================================

=====================================================
https://maga9.jp/210630-7/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第104回:嘆きの雨止まず~沖縄戦遺骨問題と慰霊の日~(三上智恵)
By 三上智恵 2021年6月30日


2021年慰霊の日と南部遺骨問題
 (https://youtu.be/45QJxfxv2Xw

 とにかく尋常ではない雨だった。沖縄に住んで27回目の慰霊の日(6月23日)だが、こんな台風並みの雨に打たれながら摩文仁に立ったことは一度もない。例年、不思議と慰霊の日の直前には梅雨は終わるものだった。今年は梅雨入りも早かったというのに、この雨は何かの恨みのように止むことを知らない。昨日も各地で大雨の被害を出している沖縄。今日30日になっても、まだ梅雨明けの報はない。

 辺野古の基地建設計画は今、大きく狂い、様々な工法の変更を余儀なくされている。国は沖縄県に対して変更の手続きを申請しているが、その中に、予定外の大量の土砂を新たに県内から調達する計画があり、それがいまだに多くの戦争犠牲者の骨が未回収である南部から掘削されることが発覚したため、動揺が広がっていることは過去二回、ここでもお伝えしている通りだ(第101回第102回)。

 前回まで、霊域に最も近く新しい鉱山開発に対し、沖縄県として自然公園法に則って待ったをかけて欲しいと要請する具志堅隆松さんのことを取り上げてきたのだが、「中止命令」には至らず、「措置命令」に留まったため具志堅さんや遺族らは落胆していた。
 しかし実際は「遺骨を除去してから作業をする」など、県が条件に付した内容がネックになって簡単には操業できないことから、具志堅さんは県の判断を再評価している。さらに、玉城デニー知事はもともと公約で辺野古の基地建設に反対国の「変更申請」を突っぱねると見られていることから、「変更申請」が不許可になれば工事は止まる。南部の土砂を集めるために無数のショベルカーが走り回る事態は回避できる。だから具志堅さんは希望を捨てていない。それなのに、慰霊の日に向けて二回目のハンストに入るという。

 「この間、たくさんの遺族の方々から、絶対に止めてください、何かできることはありますかと聞かれた。遺族の皆さんの声を、当事者の声を伝えるというシンプルなことをやってないと気づかされた遺族の思いを伝えて、戦没者の尊厳を守るためにも不承認とすると、はっきり反対する理由に盛り込んでほしい

 具志堅さんは二回目のハンストを通してもっと多くの遺族に出会い、力を結集して確実に計画断念を勝ち取る考えだ。県庁前で2日間、そして3日目からは慰霊の日の追悼式典が開かれる平和祈念公園でテントを張って仲間と共に座り込み、23日当日は式典に参加する玉城デニー知事に要請書を手渡す。国と対峙している沖縄県知事を応援するパフォーマンスにもなると思った。ところが、少し雲行きが変わってきた。知事の側近から、テントに行くのは可能だが、要請は別にしてほしいという要望が届いた。間もなく「不承認」というカードを切るつもりの知事にとっては背中を押すような要請になると信じていたのに。具志堅さんの表情は曇った。

 「今の段階ではっきりとさせられない事情もあるのか……。要請を受け取るくらいはいいのではと思うけど。あるいは、遺族の署名を渡すのであれば受け取りやすいのだろうか?」

 相手の立場を慮ってあれこれと思案する具志堅さん。当日まで、要請書も署名も準備しつつ、ここは単に知事の訪問を歓迎するというスタンスで行くべきか、悩み抜いていた。結局、直前になって書類を手渡すなどのパフォーマンスはなしにして、素直に知事を歓迎して激励する。ただしご遺族の一人に直接思いを伝えてもらう、という形に落ち着いた。

 ハンストの期間中、様々な人が訪れていた。国に協力的な沖縄県護国神社の宮司さんらも、同じ戦没者の遺骨を大事にする立場から激励に来た。第32軍のトップだった牛島満司令官のお孫さんにあたる元教員の牛島貞満さんも初日に来ていた。貞満さんは、祖父の南部撤退の決断が招いた住民犠牲について何度も自ら沖縄の子どもたちに特別授業をするなど沖縄戦に向き合い続けていて、今は首里の司令部壕の保存に奔走している。
 そして今回の遺骨の問題は、兵士の遺骨収集をおざなりにしてきた日本の軍隊の体質が影を落としていると指摘した。遺族と繋げる最後の手段である兵隊の「認識票」を、部隊の足跡を消す目的で部下から取り上げ、まとめて埋めたケースなど、「認識票」を二つ持たせて必ず遺体を回収する米軍と違い、死者の尊厳を軽視する体質を問題視した。

 思いがけないところでは、今話題の赤木雅子さんも日帰りで駆け付けていた。森友問題で書類の改ざんを命じられたことから自死に追い込まれた夫のために、真実を追求し続けている雅子さんは、「国の犠牲者」に手を差し伸べて国家と闘っている具志堅さんに会うことが勇気になると思ったのかもしれない。「赤木ファイル」の存在を認めなかったり、黒塗りのまま誤魔化し続けたりする国の態度は「夫を二度殺すようなもの」と話す雅子さんに対し、基地建設の埋め立てに使われる戦没者も二度殺されるようなものだとして、具志堅さんは「国に二度までも尊厳を傷つけられるとは。同じですね」と答えたという。

 ところで、6月23日の慰霊の日とは、ご存知の通り沖縄戦を戦った第32軍の将・牛島満中将ら幹部が、最後の地・摩文仁の丘で自決した日に合わせて制定されている。牛島司令官は自らの死をもって戦いを終わりにしたのかと言うと、そうではない。
 「最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」という最後の命令を出している。つまり自分の死後も、絶対に捕虜になるな最後の一人まで戦えという命令を出して自分だけ楽になってしまった。従って戦闘は終わらず、犠牲者は出続けた
 住民や部下の運命をどん底に陥れたこの命令は、誰に向かって何を守るものだったのか。それを考えれば考えるほど、6月23日を慰霊の日とすることに抵抗がある県民が根強くいることもうなずける。日本の軍人の特質、日本の軍隊の成り立ちやその正体に関わる部分なので、牛島司令官の最後の姿勢を簡単に過去の出来事に収める気は少なくても私にはない。ところが、この十数年、自衛隊が人目を忍ぶように牛島司令官の最後の地に建つ黎明の塔を、制服を着用して恭しく集団で参拝するようになった

 どういうつもりの参拝なのか? 心はざわつくが、それを確認するには朝4時にはあの真っ暗な摩文仁の丘に登らねばならないので、なかなか撮影に行く勇気は持てなかったのだが、最近は待ち受けるメディアも多くなり、また今年は近くで具志堅さんたちが泊まり込んでいるという心強さもあって、2時に起きて深夜に摩文仁を目指した。
 牛島が自決し、介錯人によって首を切り落とされたのは朝4時半だったという。その時間になると、制服・私服の自衛隊員が複数登って来ては手を合わせていた。個人の参拝は自由だが、沖縄の住民を守るどころか大量に死に追いやった第32軍の作戦行為を本当に知った上で、その責任者に敬意を表するのか? と聞いてみたい衝動に駆られる。

 そして4時50分ごろ、沖縄に展開する第15旅団のトップ、佐藤真旅団長が、最先任上級曹長という、女性では初の上級幹部となった蛯原寛子准陸尉らと3人でやってきた、かりゆしウェアを着た広報部数人を入れても少人数だ。例年は30人規模で参拝していたのでちょっと拍子抜けしたが、深々と礼をして1分ほどで踵を返し、次の慰霊碑「しづたまの碑」に向かった。最後は「島守之塔」という三ケ所を回ったので、これは軍人、民間人、官つまり公務員、すべての犠牲者を網羅した形なのだろう。「軍官民共生共死」というスローガンで官民を巻き込んだ沖縄戦の実相を知るものからすれば、自衛隊も今後予想される有事には「軍」だけでなく「官と民」の積極的協力を仰ぐというのが基本的な姿勢なのだろう。こうして過去の協力に感謝し、参拝される栄誉を、今後のさらなる犠牲的協力と忠誠心に繋げるという魂胆があるのではないかと見るのは、うがち過ぎだろうか?

 急患輸送に不発弾処理、災害救助と沖縄に貢献してきた自衛隊の活動には、私を含め感謝していない県民はいないだろう。自衛隊に就職する若者も多く、かつて沖縄にあった自衛隊アレルギーはもはや過去の遺物になりつつある。しかし、沖縄県民を守らなかった旧日本軍と今の自衛隊の連続性について、沖縄のジャーナリストなら疑って当然である。同じ軍事組織として沖縄戦をどう分析して反省し、またどう評価して参考にしようとしているのか、それが徹底して明かされないことには簡単に「信頼」などできるはずがない。

 「私的参拝です」
 「慰霊の日に亡くなられた方々のご冥福を祈るという気持ちで来ています」

という旅団長に対し

 「制服を着て部下を伴って、私的はないんじゃないですか」「批判があることをご存知ですか」「花束はポケットマネーですか?」と食い下がる記者たち。このような厳しい目があるということを毎年示すだけでも、自衛隊が過去の日本軍のような横暴な振る舞いをする日の再来を防ぐ力になるウォッチドッグ権力を監視するというジャーナリストの本分を発揮している記者やカメラマンたちの存在がとても頼もしく思えた。そしてこの日、本土メディアも含めて、具志堅さんのテントに100人を超えるメディアが集結していたことも。

 日が昇るころからまた雨脚が強くなりはじめ、早朝から平和の礎に参拝する家族の姿も例年とは打って変わって少なく、過去最低の数だったと思う。身元不明者の遺骨を3万5千柱も収容した骨塚である魂魄の塔にも行ってみたが、毎年ごった返すあの熱気はどこへやら、コロナ禍らしく間隔を取って参拝できる程度だった。やがて正午の黙祷の頃には、雨は本降りに。荒波寄せる海沿いの丘であることを再認識するほどの横殴りの雨。摩文仁全体が大荒れの空模様になり、玉城デニー知事の挨拶の時に大雨はピークを迎えた。
 たった30人の参列者に絞り、菅総理もビデオでの挨拶となった今年の式典はいつになくあっさりと終ったが、歩いて1分もかからないハンストのテントに、玉城デニー知事はなかなか来ない。取り囲む記者やカメラマンは場所を確保するため、雨ざらしであってもその場を動くことができない。15分も待てば来るだろうという予想は外れ、50分以上待たされることになった。

 私も荷物とカメラで傘をさすこともできず、機材を雨から守るのに必死。滝行でもしたかのようにずぶ濡れになる。毎年暑さでどうにもならない慰霊の日なのだが、長袖でも寒く、腰も冷え、足が攣って撮影態勢の維持も難しくなってきた。具志堅さんは自分だけテントの下にいるのは申し訳ないと大雨の中詫びに来たが、みんな慌てて中に入ってくださいと押し返した。丸4日食事もしていない具志堅さんが、知事を相手に思いを伝えられるか。取材陣は濡れネズミになりながらも固唾を飲んで見守っていた。

 そこに、だいぶ遅れて玉城知事がやって来た。「デニーさん!」と笑顔で迎える具志堅さんに対し、知事の表情は少し硬い。「今日は、不承認の言質を取ろうなんていう考えはないんです」と開口一番相手を安心させる言葉を伝え、まずは84歳になる遺族の女性を紹介。彼女は骨が見つからない父親と繋がる望みを託してDNA鑑定に申し込んだとして、なんとしてでも南部の土砂を埋め立てに使うのはやめてください、県のお金でその土地を買ってでも止めてくださいと懇願した。

 「いろんな人たちの気持ちを受け止めて、私たちにできることを頑張ります」

 デニー知事は答えた。

 具志堅さんは、防衛省に不承認と回答する時に、ぜひ戦没者の尊厳を守るということを理由に入れてくださいと迫るが、これに対しての回答はなかった。そしてこう言った。

 「いろんな方々の声をしっかり受け止めて、しっかり考えたいと思います」

 具志堅さんの顔が曇った。さっきとほぼ同じ言い方だ。いろんな人たちの気持ち、いろんな方々の声。皆さんの声もあるけれども、真逆の声もあります。ほかの人たちの気持ちもあります、と突き放された感があると思ったのは私だけではなかったようだ。緊迫した無言の5秒が流れ、具志堅さんは大きく息を吸って「もう一つ」と決意したようにたたみかけた。

 「多くの人が、デニーさんのことについて、不安に考えている方も……出始めています。その不安を解消するためにも、ぜひ、一歩ステップアップした……。安心させるための表現をよろしくお願いします!」。踏み込んだ言葉を乞う具志堅さん。

 「言葉足らず、力足らずですいません。自分にできることをしっかりやりたいと思いますのでよろしくお願いします」

 それを最後に足早に去っていった知事。「デニーさん、頼むよう!」「お願いしまーす!」という声が黒い公用車を追いかけた。テントに残った具志堅さんは吐き捨てるように言った。

 「私は、まだ甘いです!」

 76年間土の中で待っている兵士の無念さ乳飲み子を置いて行く母の慟哭ガマに火炎放射器を入れられた恐怖、苦しさ。断末魔の叫びにじっと耳を傾けてきた自分が、今日到達すべき地平はこれで良かったのか? 厳しすぎるほどに自問する具志堅さんの姿があった。

 2時を回り、私は護郷隊の慰霊祭に間に合わせたいと車に飛び乗った。ビニールを敷いて座るほど濡れているので、寒くてクーラーもかけられない。ところが5分も走らないうちに太陽の光が差してきた。南風原の道路は驚いたことに、カラカラに乾いている。え? 狐につままれたようだ。摩文仁の暴風雨は、ずっと止まない雨は、あれは何だったのか?

 「これは神様の涙だよ。当分止まないはずよ」。神人(神職)のおばさんが言った言葉が頭をぐるぐる回る。戦没者の嘆きの雨を、神さまの涙を全身で浴びた2021年の慰霊の日。私はきっとこの日の雨を、生涯、6月が来るたびに思い出すだろう。


三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》

2020年06月23日 00時00分32秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



三上智恵さんご自身のツイートで知りました。【週刊エコノミスト Online ワイドインタビュー問答有用/沖縄の「秘密戦」を記録=三上智恵 映画監督、ジャーナリスト/797】(https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200623/se1/00m/020/004000c)。COVID19の関係で、本屋にほとんど行けていない……まだ、未購入。

 《第二次世界大戦末期の沖縄戦をテーマにしたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018年)を監督した三上智恵さん。同名の『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)をこのほど出版した》。


 

 《「遊撃隊戦闘教令(案)」はこう書いています。「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」……。住民同士を監視させ、日本軍を批判している人はいないか、外国語が上手な人は誰かなどを探し、スパイとして密告させました》…いま、そうだとまでは言いません。でも、アベ様らが目指しているのは、そんな社会でしょうし、超監視・超管理したくて仕方ない雰囲気はふんぷんとします。

 《三上 私は二度と沖縄を戦場にしないためにという思いでやっているので…》。本当に賛成です。沖縄だけではありませんが、どこの親が子や孫が戦争すること、殺し合うことに、賛意を示すでしょうか。
 映画の共同監督の大矢英代さんは、かつて、「戦争のためにカメラを回しません。戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」と仰っています。「私たちは、過去の歴史からしか学べません…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」とも。アベ様の政で〝唯一上手くいっている〟《メディアコントロール》の下、愚かな社会へと堕ちないように(もう既に堕落しきっていますが…)、いま、やるべきことは明確です。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
         宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》
   『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を
          着て宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》
   『●《戦争が廊下の奥に立つてゐた》…《そんな時代にしては
          ならない》はずが、癒党お維や与党議員ときたら
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』

=====================================================
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200623/se1/00m/020/004000c

週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用
沖縄の「秘密戦」を記録=三上智恵 映画監督、ジャーナリスト/797
2020年6月15日

     (「たくさんの人におじいちゃんたちと会ってほしかったので、
       話し声が聞こえてくるように書きました」 撮影=佐々木龍)

 第二次世界大戦末期の沖縄戦をテーマにしたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018年)を監督した三上智恵さん。同名の『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)をこのほど出版した。

(聞き手=井上志津・ライター)(問答有用)


「つらい記憶のふたを開けた責任がある」

「軍隊が勝つための作戦と住民を守るための作戦は一致しないのが戦争の構図」

── 750ページ余に及ぶ『証言 沖縄スパイ戦史』には映画には盛り込まれなかった新たな証言も数多く収録されています。いつごろから本にまとめようと思いましたか。

三上 映画「沖縄スパイ戦史」の撮影中から本にしたいと思っていました。沖縄戦は沖縄守備軍・牛島満司令官の自決で1945年6月23日に終わり、民間人を含む20万人以上が犠牲になりましたが、映画はその後も北部で続けられた「秘密戦」の実態を描いたものです。映画には時間の制約があり、証言者一人ひとりを追うことはできないため、集団の記録として構成しましたが、皆さんのライフストーリーを聞き取った者の責任として、絶対に本として書き残さなければいけないと思いました。


── 映画に出ていない人の証言もありますね。

三上 本に掲載した証言者31人のうち10人は映画に登場していません。追加取材も重ね、第1章の元「護郷隊(ごきょうたい)」のおじいちゃんたちの証言だけでも300ページ以上になりました。執筆期間も、最初は3カ月の予定が1年半かかりました。


「秘密戦」とはスパイを使って敵の情報を入手したり、身内から情報が漏れる=スパイが出ることを防いだりする、正規軍がやらない「裏の戦争」のことだ。映画は秘密戦や遊撃戦と呼ばれるゲリラ戦の中で、主に日本軍が沖縄の住民に対して行ったスパイ視や虐殺に目を向けた。

「スパイリスト」工作

    (米軍が沖縄北部の山中で押収した日本軍の「秘密戦に関する書類」
    (映画「沖縄スパイ戦史」から)(C)2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)


── 映画「沖縄スパイ戦史」を作ることになったきっかけは?

三上 1作目の「標的の村」(2013年)と、続く「戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み」(15年)は辺野古新基地高江ヘリパッドの建設に抵抗する人々を記録しました。3作目「標的の島 風(かじ)かたか」(17年)では、それに加えて15年から与那国、宮古、石垣島など南西諸島に自衛隊の新しい基地計画が進んでいく状況を描きました。攻撃能力を備えた自衛隊の配備は、今や沖縄だけではなく日本列島全体が対中国戦略の米軍の防波堤にされていることを意味します。なのに、映画を見た人の反応の多くは「沖縄は大変ね」というものだったんです。とかく自衛隊というと合憲だ、違憲だとイデオロギーの話に矮小(わいしょう)化されてしまう面もあり、この「鈍感の壁」をもどかしく感じていました。

 そんな時、自衛隊の情報機関が反対派住民の情報を収集し、リスト化していると聞いたのです。それって沖縄戦の「スパイリスト」の再来じゃないかと愕然(がくぜん)としました。でも、その話を周りにしても反応が薄い。知られていないんですね。それで4作目のテーマは沖縄戦にしよう、戦争の仕組みを知らせようと決め、「風かたか」の公開後、すぐに動き出しました。


 米軍の沖縄上陸が迫っていた44年晩夏、42人の青年将校らが沖縄各地に潜伏した。軍事諜報(ちょうほう)員の養成機関「陸軍中野学校」の出身者たちだった。任務は本土決戦までの時間稼ぎのため、沖縄の守備軍が壊滅してもゲリラ戦を展開すること。14~17歳の少年たち約1000人をゲリラ部隊「護郷隊」に召集し、敵の食糧庫や弾薬庫の夜襲や、特殊兵器を使った爆破などをさせたほか、マラリアで恐れられた西表島への波照間島民の強制移住、地域の有力者による住民監視組織の結成など、さまざまな秘密工作を行った。


── この工作の一つが「スパイリスト」ですね。

三上 44年1月作成の「遊撃隊戦闘教令(案)」や米軍が押収した日本軍の「秘密戦に関する書類」を見ると、秘密工作はみなマニュアル通りに行われていたことが分かります。「遊撃隊戦闘教令(案)」はこう書いています。「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして我が手足の如く之を活用する」……。住民同士を監視させ、日本軍を批判している人はいないか、外国語が上手な人は誰かなどを探し、スパイとして密告させました恐怖と疑心暗鬼の中、スパイと疑われて虐殺された住民は、数百人とも1000人ともいわれています


── スパイリストによる住民虐殺については、番組制作のため09年にすでに取材していたものの、公開を保留にしたそうですね。

三上 当時は関係者が健在だったからです。小さな村ですから、誰の密告で誰が殺されたか、分かっているんですよ。大事なのは関係者の罪を問うことではなく、軍隊が勝つための作戦と、住民を守るための作戦は一致しないという戦争の構図を示すこと。多角的に描かないと、「沖縄の少年兵や住民が虐殺に関わっていた」などとセンセーショナルな部分だけが内地のメディアに取り上げられるのもいけないと思いました。


加害者になる心の動き

── リストには18歳の少女も載っていました。その中本米子さんは映画にも登場しますが、本書では映画で語らなかった告白をしているのが衝撃的です。

三上 映画完成後にお会いした時に、急に語り始めたんですよ。撮影中は隠していたのではなく、つらい記憶だから封印していたのだと思います。私のある質問をきっかけに、記憶のふたが急に開いてしまったようでした。私は残酷なことをしているのではないかと、動揺したのを覚えています。


── 本土決戦に向け、岐阜で少年兵を訓練していた中野学校関係者も初めて登場しています。

三上 現在98歳の野原正孝さんです。公開後、岐阜新聞を通じて連絡が取れました。「住民は兵器の一つで消耗品だった」と言い切り、「ゲリラの教官だったことは誰にも話してこなかったから、話せてよかった」とも言ってくれました。ただ、出版後、野原さんから手紙が来たんです。「あの当時、国のため、天皇陛下のために尽くしたことに後悔はありません。でも、あなたのような広い知見を持って、このような本にまとめられた歴史としてみた時に、一抹のわびしさを感じます」と書いてありました。

 野原さんは今も自分が中野学校の一員だった誇りを持っているんです。今回、米子さんの告白からも分かりましたが、もちろん戦争は悪であっても、自分の青春時代を全部否定的にとらえたくはないですよね。楽しかった時間もたくさんあったはず。でも、「あの時代は大変だった」以外の話は、これまで耳を傾ける人がいなかったし、あまり話さないまま来たのかもしれません。

 野原さんは中野学校の面白い裏話もたくさんしてくれました。だから、できればもう一回、劇映画などにして野原さんが喜ぶものを作りたいなと思っているのですが……。


── 「虐殺者」の面だけではない将校たちの人間性も描いています。

三上 護郷隊の隊長は戦後、戦死した全ての部下の家を回り、仏壇に手を合わせました。慰霊祭にも死ぬまで出席しました。これまで私は住民側の目線でずっと取材をしてきましたが、彼らに課せられた任務を知るにつれて、狂ったシステムの中で加害者になる人の心の動きが理解できるようになりました。初めて兵士の立場で考えられるようになったと思います。


── 証言を世に出すことで取材相手を傷つけてしまうのではないかという葛藤は?

三上 それは常に苦しんでいます。でも、誰も傷つけたくないのなら、ジャーナリストなんかやるべきじゃない。取材相手には「三上さんの作品でひどい目にあったけど、三上さんは憎めなかったな」と思ってもらえるように、その後も通い続けるようにしています。


── 12歳の時に家族旅行で初めて沖縄を訪れたのですね。

三上 強烈なカルチャーショックを受けました。家のような形のお墓も、本土とは異なる言語も不思議でしたし、南部戦跡や平和祈念資料館には沖縄の思いが詰まっているのを感じました。旧満州(現中国東北部)から引き揚げた経験を持つ祖母の話を聞いて育ったからか、もともと戦争には興味のある子どもでしたが、以来、沖縄のことが頭から離れなくなりました。大学では宮古島に通ってシャーマニズムを研究しました。ユタ(巫女)さんから「あんたの背後には草の冠に白装束を着けたおばあがたくさんいる」と言われたことが何度もあるんですよ。


「自分のこと」だから

     (元第二護郷隊員の瑞慶山良光(ずけやまよしみつ)さん、
      宮城清助(きよすけ)さん、仲泊栄吉さん(右から)と
      三上さん(今年2月撮影) 三上智恵さん提供)


── 草の冠?

三上 草冠は祭祀(さいし)をつかさどり、神女と呼ばれる女性たちが身に着けるものです。だから、ひょっとして神に仕えながら島を守る役割の人たちから、島を守るよう使命を与えられているのかなと思っています。

 三上さんは毎日放送(大阪市)でアナウンサーをしていたが、95年に開局した琉球朝日放送(QAB)へ開局と同時に転職。QABではキャスターを務めながら、ディレクターとしても「海にすわる~辺野古600日の闘い」(06年)、「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判」(11年)など多くのドキュメンタリー番組を制作した。


── 当時1歳だった息子さんを連れて沖縄に移住したのですね。

三上 航空会社に勤める父がその前に沖縄に転勤していて、両親が夜も息子を見てくれたので、思う存分仕事ができ、楽しくて仕方がなかったです。夫とはそれ以来、別居婚になりましたが。


── 95年には米兵による少女暴行事件が起きました。

三上 彼女を忘れた日はありません。彼女は二度と同じような犠牲者を出したくないという一心で事件を公にしたのに、普天間飛行場の返還が発表された時、私たちは「県民の怒りが普天間を動かした」と報道してしまいました。辺野古が面する大浦湾に米軍基地を作る計画は60年代からあり、それをこの機を利用して日本に作らせるというカラクリに気づいてなかったのです。

 それが悔しくて、古い基地を返す代わりに新しい基地を日本の税金で作らせるという欺瞞(ぎまん)を伝えなければと、がむしゃらに走ってきました。沖縄の人から今も時々、「内地から来たのに沖縄のことをやってくれてありがとう」と言われますが、私は自分のことだからやっている感じなんですよ。


── QABの番組「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち」が映画化された後、QABを退職したのはなぜですか。

三上 QABでは19年間、ニュース番組でキャスターを務めてきましたが、局からは管理職として裏方に回るよう言われていたんです。私は現場の方が向いていると反論し続けましたが、限界でした。直接言われたことはないですが、キャスターの主張が「反基地」すぎるのも問題だったと思います。何のあてもなく、どうしようと思っていたら、「標的の村」を応援してくれた人たちが「お金を集めるから取材を続けて」と言ってくれ、2作目につながりました。


── 今後も映画監督を?

三上 私は二度と沖縄を戦場にしないためにという思いでやっているので、映画にはこだわりません。人の人生を活字で再構成する楽しさを知ったので、沖縄戦をテーマに、また本を書きたいかな。

 この本は証言者の話し声が聞こえてくるようでしょう。たくさんの人に証言者のおじいちゃんたちに会ってほしくて、黒砂糖とお茶を出して仏壇の前で話してくれる様子をそのまま表現するよう心がけました。この本は分厚いので、1ページ目から読まなくてもいいですよ(笑)。たまたまその日、開いたページに出てくる人の証言を読んでほしい。その人と出会ってもらえたらうれしいです。



 ●プロフィール●

みかみ・ちえ

 1964年東京都生まれ。87年成城大学文芸学部を卒業し、アナウンサー職で毎日放送入社。95年琉球朝日放送(QAB)開局と同時に入社。2003年沖縄国際大学大学院修士課程修了。キャスターを務めながらドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(13年)でキネマ旬報文化映画部門1位など数々の賞を受賞。14年独立。「戦場ぬ止み」(15年)など次々と手がける。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)など。沖縄県読谷村在住。
=====================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●要《戦争絶滅受合法案》!: 憲法9条第2項抹殺…戦争したくてしょうがないアベ様ら自公与党議員達

2018年03月29日 00時00分36秒 | Weblog


東京新聞の辻渕智之原昌志・松村裕子記者による記事【「9条が壊れる」 自衛隊明記、自民決定「議論尽くしたのか」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018032302000129.html)と、
社説【9条「自衛隊」明記論 軍事力の統制なくす】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018032302000145.html)。

 《戦争放棄や不戦の誓いをうたう日本国憲法に、自衛隊を明記する改憲案を自民党が決めた。安全保障関連法で、海外での武力行使に道が開かれている自衛隊》。
 《自民党が模索する九条に自衛隊を明記する改憲案。実現すれば、軍事力の統制が利かなくなる懸念を持つ。歯止めなき軍拡路線への道かもしれない》。

 《戦力不保持と交戦権の否認を定めた条文》憲法9条第2項を抹殺…アベ様の「我が軍」を持ち、国外に進軍したいらしい。「軍拡」は必然だ。そんなに「人殺し」に、戦場に、子や孫を行かせたいのならば、まずは、アベ様ら自公議員が行けばいい。《戦争絶滅受合法案》をまずは、制定して下さい。平和子さん曰く、《隊員一人でも、何かあってからでは遅い。行かせたいなら、憲法をねじ曲げ、海外の紛争地域に自衛隊を駆り出すことを決めた人が行けばいい》。全く同感だ。

   ●「我が軍」的自衛隊の「違憲」状態を「合憲」へと改めず、
                憲法を「壊憲」して「違憲」を解消する!?
   『●自衛隊員の「息子に迷惑をかけぬよう、
      「縁を切った」上で」、戦争法案に反対する平和子さん
   『●「米国の戦争に巻き込まれ息子が殺したり
      殺されたりするのは嫌だと思い、いても立ってもいられ」なかった
   ●戦場に行かせたいなら「憲法をねじ曲げ、海外の紛争地域に
               自衛隊を駆り出すことを決めた人が行けばいい」

 自公議員達は、立憲主義を誰一人理解していない。
 東京新聞の他の記事【「戦える国」改憲で追認 「9条に自衛隊」自民決定】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018032390070442.html)によると、《自民党憲法改正推進本部は二十二日の全体会合で、九条改憲に関し、戦力不保持を定めた二項を維持して自衛隊を明記する方針…細田博之本部長に委ねることを諮り、一任取り付けを宣言》…したそうです。
 誰一人、文句言わない訳ね?

 また、同記事には、《安倍晋三首相(党総裁)は二十五日の党大会で、改憲発議に向けた考え方を表明する見通しだ…◆戦力不保持骨抜きの恐れ…党執行部は、現行憲法に基づく武力行使の制約は維持されると強調するが、海外での武力行使が拡大し「平和憲法」を土台から揺るがしかねない危うさをはらむ》。

   ●「首相は自衛隊を憲法に書き込んでも『何も変わらない』…
              それなら憲法改正する必要もない…矛盾だらけ」
   ●「子や孫、未来を生きる世代のため」に壊憲?…
       「憲法9条…軍隊は禁止…子どもたちに、うそはいけない」

 同じく東京新聞の記事【首相提案ありきで集約 「森友」で信頼低下 公明、維新は距離】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201803/CK2018032302000127.html)によると、《森友学園問題で安倍内閣の支持率が急落し、信頼が低下している中でも、党執行部は二十五日の党大会前の決着を優先した。だが、国民感覚からかけ離れた姿勢に、改憲に反対する野党だけでなく改憲勢力の他党も態度を硬化させている》。
 公明・お維が今さら「距離」だってさ。

   ●争点は「壊憲」:創価学会婦人部「ごめんよ 憲法ぐらい
           変わっても生活はたいして変わらないと思ってね」』 

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018032302000129.html

「9条が壊れる」 自衛隊明記、自民決定「議論尽くしたのか」
2018年3月23日 朝刊

 戦争放棄不戦の誓いをうたう日本国憲法に、自衛隊を明記する改憲案を自民党が決めた。安全保障関連法で、海外での武力行使に道が開かれている自衛隊。母親や元自衛官、戦争体験者からは不安や懸念が相次いだ。 (辻渕智之原昌志、松村裕子)


◆母親は

     (6歳の息子を抱きしめる木下安子さん=東京都調布市内で)

    「この子が大きくなっても、この手に銃は握らせたくない
     軍隊に頼る平和は本当の平和じゃない
     自民党内でも議論は尽くされたのでしょうか」

 この春小学生になる六歳の息子をもつ東京都調布市の非常勤講師木下安子さん(45)はそう反発する。「集団的自衛権の行使を認めた今では他国の戦争に加担できる自衛隊だから、九条の精神が否定されちゃう」

 自身の妊娠中に東日本大震災が起き、「放射能の情報など命にかかわる問題で、政府の発表や説明は本当なの?」と不安を覚えた。無関心だった政治に目が向き、「安保関連法に反対するママの会@調布」を二年半前に立ち上げた。

 「交戦権を認めない九条二項がなしくずしにされ、明記された自衛隊は海外でいったい何をさせられるのでしょう。もっとじっくり議論するべきだと思う」


◆元自衛官は

     (末延隆成さん)

 北海道の戦車大隊などで勤務し、二〇一五年に退官した元二等陸曹の末延隆成(すえのぶたかなり)さん(56)は「三十年前は『税金泥棒』と言われても、僕らがいるから日本は守られているという誇りがあった。九条明記で誇りを持てとか、権力者に押しつけられたくない」と話す。

 東西冷戦時代、北海道は国防の要とされた。「日本が攻められて、やめてくれと言っても聞かないなら実力行使で敵を殺さなくてはならない。必要悪の存在としてやらなければならない覚悟はあった」という。

 安保法制が成立する前に入隊した現役の陸上自衛官が、集団的自衛権行使の要件となる「存立危機事態」での防衛出動命令には従う義務がない、とする訴訟を起こしている。

 末延さんは「改憲で安保法制が正当化されてしまう。日本を守るためなら『死にがい』もあるが、よその国で訳の分からないことで死んだら犬死にですよ」と嘆く。


◆戦争体験者は

     (前田みつ子さん)

 太平洋戦争末期の一九四五年五月二十五日の山手空襲で焼け出された新宿区の舞踊家前田みつ子さん(87)は「自衛隊を憲法に明記した後、どうなるかが心配。とにかく戦争につながらないようにしてもらいたい」と語る。

 焼夷(しょうい)弾が落ちる中、火の粉をくぐって淀橋浄水場に逃げ込み命拾いした。家族こそ無事だったが、自宅は丸焼け。七十余年を経ても忘れることができない。

 「自衛隊の存在があやふやだと、災害時に働いてくれている隊員もやりがいがないのではないか」と自衛隊明記に反対するつもりはないが、憲法を変えるなら、過去の歴史に向き合う良識ある人が首相でなければ心配という。

   「戦争を経験していない安倍晋三首相は、戦争の悲惨さに真摯(しんし)
    向き合っているとは思えない
    戦争するために憲法を変えるなら、やめてほしい」
==================================================================================

==================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018032302000145.html

【社説】
9条「自衛隊」明記論 軍事力の統制なくす
2018年3月23日

 自民党が模索する九条に自衛隊を明記する改憲案。実現すれば、軍事力の統制が利かなくなる懸念を持つ。歯止めなき軍拡路線への道かもしれない。

 もともと自民党が改憲草案を持っていたとはいえ、その理由が正しく国民に説明されねばならない。党是であるではあまりに説得力が乏しい。とくに戦争放棄を定めた九条に狙いがあるのはよく知られたことである。

 この点について、国会で質疑があったのは二〇一六年二月三日の衆院予算委員会である。質問者は稲田朋美政調会長(当時)。次のように訊(き)いた。


◆学者のための改憲か?

   <九条第二項を文理解釈すれば自衛隊は九条二項に違反する-、
     憲法学者の約七割が自衛隊は違反ないし違反する可能性がある
     と解釈しております。このままにしておくことこそが立憲主義を
     空洞化するものであります>

 九条二項とは、戦力不保持と交戦権の否認を定めた条文である。安倍晋三首相は答えた。

   <七割の憲法学者が、自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況を
     なくすべきではないかという考え方もある>

 この論法はおかしい。憲法があって学者は研究の結果として九条の条文解釈をし、自衛隊との関係を考えている。それが「違憲」と言っているだけだ。政府は自衛隊を「合憲だ」と一貫して認める立場を取ってきた。安倍首相の論法だと、「違憲」という研究結果を持つ学者のために憲法改正をすることになる。学者のために改憲?

 翻って、もしこの安倍論法が正しいとするならば、国民投票で自衛隊を明記する案が否決された場合、自衛隊に国民も学者同様「違憲」という意思表示をした人も多く含まれる。論理的にそう考えることもできる。


◆世論は半数が「反対」

 それでいて、安倍首相は二月五日の国会で「自衛隊が合憲であることは明確な一貫した政府の立場だ。国民投票でたとえ否定されても変わらない」と述べた。

 つまり国民投票にかけても、かけなくても、自衛隊は「合憲」-。それなら違憲という憲法学者を引き合いに出す余地などないではないか。安倍首相のロジックは、まるで破綻している

 いずれにせよ、「何のための九条改憲か」の理由には、もっと背後に強い動機があろう。

 まず推測されるのは、条文に書かれなくとも、既に成立している集団的自衛権の行使容認への国民の承認である。現在は「限定的」とされているが、将来はどうなるかはわからない。

 この自衛隊の任務拡大をあいまいにしたまま国民の同意を暗に求めているのではあるまいか。国民投票で「自衛隊の明記」に対し、安易にゴーサインを出してしまうと、自衛隊の活動範囲は将来、驚くほど広がってしまう事態を招く恐れもあると思う。

 さらに今回は「自衛隊の明記」にとどまっていたとしても、将来、「軍隊」に変えることも予想される。国軍化は自民党の改憲草案でも示されていた。その場合は当然のことであるが、九条二項は削除されるのである。

 要するに自民党の九条改憲案は、段階を踏んで、より軍隊と同質となってくるのではないか。これは日本国憲法の平和主義とは、相いれないと考える。

 共同通信は三月上旬に世論調査を行った。「安倍晋三首相は、九条に自衛隊の存在を明記する憲法改正を行う考えです」としたうえ、この改正に賛成か反対かを問うた。賛成が39・2%、反対が48・5%だった。

 ほぼ半数が「反対」という考えを持っているのは重視すべきである。それだけ改憲を望んでいないのだから。改憲を強く望むのは、自民党なのであり、安倍首相の宿願なのではないだろうか。

 一九四五年の敗戦から、長く平和を保ってきた。この事実は重い。九条が果たしてきた役割は、もっとかみしめるべきなのだ。

 実際に多くの憲法学者が「違憲」と指摘してきたために、自衛隊は正統性に疑いを掛けられてきたともいえる。そのために、かえって慎みのある実力組織となっている。軍人が闊歩(かっぽ)した戦前と比べれば、よほど明るい世の中である。これは軍事の権力統制という言葉で捉え直すこともできよう。


◆歯止めなき軍拡路線に

 だが、憲法に明記されれば、自衛隊が正統性を持つがゆえに、かえって統制が困難になる懸念もある。財政面からの統制も難しい。

 安倍首相の政権復帰後、防衛費は増え続ける米国から高額な兵器を購入し、専守防衛では不可能とされた空母まで持とうとしている歯止めが利かない軍拡路線の再来を恐れる。
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●三上智恵さん「結局は止められなかった」という現実…でも、《人々は分断されている》ことを止めなければ

2017年08月27日 00時00分20秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



マガジン9の記事【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 第71回:高江から宮古島へ~雪音さんと育子さんからのエール~】(http://maga9.jp/mikami170802/)。

 《『標的の村』の主人公、高江の安次嶺雪音さんと伊佐育子さんだ。…そう思って特集を連打し、放送用ドキュメンタリーの限界を超えようと映画にまでして突っ走ってきた私は、「結局は止められなかった」という現実に、正直に言ってまだ向き合えていない。…でも、ひしゃげている私にもわかることがある。これから自衛隊のミサイル基地建設着手、という局面を迎える宮古島石垣島で、何とかそれを止めようともがく人々にとって、高江の人たちは大事な存在になるということだ》。


 沖縄の先島諸島や鹿児島の奄美など、自衛隊基地配備やミサイル基地建設などで、《いずれの島でも人々は分断されている》(半田滋さん)ようです。番犬様や自衛隊基地により人々は分断され、「統合エアシーバトル構想」により「防波堤」にされる島々。

   『●『DAYS JAPAN』(2015,APR,Vol.12,No.04)の
                         最新号についてのつぶやき
    「丸井春さん【自衛隊基地配備の与那国島 宙に浮く住民の不安】、
     「日本最西端の「国境の島」は、島の活性化を自衛隊誘致にかける形に
     なった」」

   『●中学生を「青田買い」する自衛隊: 
     「体験入隊や防衛・防災講話」という「総合的な学習の時間」も
   『●自衛隊配備で「住民分断」: 
     「自衛隊の配備計画…いずれの島でも人々は分断されている」
    「東京新聞の半田滋さんによるコラム【【私説・論説室から】
     島を分断する自衛隊配備】…。《「賛成派が新たな職を得て
     優遇される一方、反対した人は干され、島を出ている」という。
     …自衛隊の配備計画は与那国に続き、奄美大島、宮古島、
     石垣島でも急速に進む。いずれの島でも人々は分断されている》」

   『●「しかし、沖縄にはいまだ“戦後”は 
     一度たりとも訪れていない」…安倍昭恵氏には理解できたのだろうか?
   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《しかし、三上監督は最新作『標的の島 風かたか』で、さらに切迫した
     問題を沖縄から日本全国へ提起する。それは現在、安倍政権が
     進めている石垣島、宮古島、奄美大島、与那国島への
     大規模な自衛隊とミサイル基地の配備についてだ。政府は南西諸島の
     防衛強化を謳うが、その実態はアメリカが中国の軍事的脅威に
     対抗すべく打ち出した「統合エアシーバトル構想」にある》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
                …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その2)
    《現在、安倍政権が進めている石垣島、宮古島、奄美大島、
     与那国島への大規模な自衛隊とミサイル基地の配備。政府は
     南西諸島の防衛強化を謳うが、実際は、米中の“新たな戦争”の
     「防波堤」にするのが目的だ──。この衝撃的な事実と、石垣島や
     宮古島、そして辺野古、高江で子どもの未来を守ろうと必死に
     抵抗する市民たちの姿を描いた三上智恵監督の最新作
     『標的の島 風かたか』》

   『●米中戦争の「防波堤」:
     与那国駐屯地による「活性化」? 「島民との融和」か分断か?

    「《安倍政権が進めている石垣島、宮古島、奄美大島、与那国島への
     大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》は「統合エアシーバトル構想
     へとつながる。《政府は南西諸島の防衛強化を謳うが、実際は、
     米中の“新たな戦争”の「防波堤」にするのが目的》。米中戦争の
     「防波堤」であり、そのための「捨て石」…。
     「島おこし」「活性化」とはほど遠い」

   『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
      戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」


==================================================================================
http://maga9.jp/mikami170802/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第71回:高江から宮古島へ~雪音さんと育子さんからのエール~
By 三上智恵 2017年8月2日

 変な言い方かもしれないが、私は自分の映画のファンだと思う。自分で散々編集した映像なのに、ただの観客のように心を躍らせて見入る場面がある。正確には作品のファンと言うより、登場人物のファンなのだ。相手に惚れ込んで惚れ込んで撮影し、大事に大事に編集したのだから、観客より監督がまず一番のファンであるのは、ある意味当たり前でもある。だから一つの作品が完成し、過去のものになっても、登場人物たちのその後がもっと見たいという気持ちは、実は観客以上にあるのかもしれない。

 しかし政治家や芸能人ならいざ知らず、被写体になり日常をカメラで追い回されるのはほとんどの人にとって心地よいはずがない。たとえば高江や辺野古の闘争現場でも、世の中に伝えてほしいと思うからこそ多くの人は私たちがカメラを向けても我慢して下さる。でも主人公格だと私に魅入られくっつかれた人は、たぶんいい迷惑でしかない。また来た、と戸惑う表情を向けられる。

 「三上さんが伝えてくれるのは嬉しいし、協力したい。でも、ここまで映すのは…」。敬遠の眼差しはひしひしと伝わってくる。だからこそ、一つの作品が終わったら解放してあげないといけないと自覚している。魅力的な人々だからとずっと追いかけていったら、それこそストーカーだ。もう負荷をかけてはいけない、と自分にブレーキをかけるのも必要だ。わかっている。でもそう言いつつ、今回また二人の女性のその後を映像でお届けする矛盾を許して欲しい。『標的の村』の主人公、高江の安次嶺雪音さんと伊佐育子さんだ。

 彼女たちに出会ったのは2006年、もう11年も前になる。まだ誰も本格的な取材に乗り出していない頃の高江で、ヘリパッドに反対する住民のゲンさんこと安次嶺現達さんと伊佐真次さんの二人を私は主人公に選んだ。その伴侶としてお会いしたのが雪音さんと育子さん。特に育子さんはカメラが嫌いで、いつもインタビューは嫌がっていた。もし育子さんが月並みな女性であれば、嫌がる中で二度三度とカメラを向けたりしなかっただろう。でも彼女は全く気取らない素朴で控えめな女性で、多弁ではないのだが、いつもハッとすることを言う。戻って映像を見ながら、なんて素敵な女性なんだろう、と毎回ため息をつく。育子さんを知る女性なら、私が言う意味をわかって下さると思う。内面から輝くような美人とは育子さんのことだと私は常々思っている。

 そして6人の子どもを育てている雪音さん。下の二人は髙江の自宅で、自力で出産したという肝っ玉母さんで、独自の歌唱ワールドを持つシンガーでもあり、何よりいつも輝くように笑っている。辛かったことも笑って話す才能がすごい。どんなしんどいことでも雪音さんと一緒なら乗り越えて行けそうだと、周りを明るく照らしてくれる太陽のような女性だ。私は母性本能が乏しいほうで、めったに人の子までかわいいと思うことはないのだが、雪音さんの6人の子どもたちは破格にかわいい。目が輝いていて、ちゃんと話ができて、幼いうちから人間力がハンパない。雪音さんとゲンさんに育てられればこうなるのかと納得の家族である。

 高江に住む人たちのこういう人間力がなければ、この10年、ここまで全国の人たちの連帯の輪を拡げることはできなかっただろう。高江の輝く自然と笑顔溢れる人々。それは最初からそこにあり、描くのにあまり苦労はなかった。国家の暴力と向き合う150人ほどの小さな村が「戦後民主主義を守る最後の砦」と言われるほど重視され、彼らと共にありたいと高江を訪ねる人が増え続けているのは、土地と人と、そこに宿る志がシンプルに人を惹きつけて止まなかったからだ。

 しかし、高江のヘリパッド建設に反対して10年も頑張ってきた結果が、去年後半の工事強行であり、6つのヘリパッドがすべて完成という現実である。国が住民を裁判にかけ地形や集落ごと訓練に取り込んでオスプレイを飛ばそうという人権無視の基地計画は、とてもじゃないが容認できない。絶対に止めなければならない。そう思って特集を連打し、放送用ドキュメンタリーの限界を超えようと映画にまでして突っ走ってきた私は、「結局は止められなかったという現実に、正直に言ってまだ向き合えていない

 「この事実を白日の下にさらすことで、絶対に軍隊の好き勝手にはさせない、だから撮影に協力してくれ」。そう啖呵を切っていろんな人に付きまとってきたのに、結局私たちの報道や映画ではこの基地建設を止められなかった。カメラで追い回して人に迷惑をかけただけだった。影響力も訴求力も足りなかったのだ。ベトナム村の話はしたくないと言う住民たちを一人ひとり探し出してマイクを向けたくせに、その負荷は高江のためにならなかった。「今は迷惑に思うかもしれないけど、必ず全国の人たちの力を揺り起こす作品を作るから、待っていて!」と自分を信じて走っていたのは、思いあがりだった。止められなかった。改めて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。これからどの面下げて高江にいけるのだ? どうやって高江を語るのだ? そこから私はまだ全然立ち直っちゃいない

 でも、ひしゃげている私にもわかることがある。これから自衛隊のミサイル基地建設着手、という局面を迎える宮古島石垣島で、何とかそれを止めようともがく人々にとって、高江の人たちは大事な存在になるということだ。座り込みもしたことがなく、運動などとは程遠い生活者であった高江の住民たちが、どうやって声を上げ、分断されつつも仲間を増やし、権力に立ち向かっていく体制を作り上げていったか。私もゼロからそれを見てきたからこそ、宮古や石垣に必要な知恵は10年前の高江であり、20年前の辺野古であるということがわかる。彼ら経験者と離島の人々を結ぶことくらいは私でもできる。

 そう思って去年の秋、山里節子さんら石垣のおばあたちと、宮古島の石嶺香織さんや楚南有香子さんを辺野古と高江に案内して住民たちと出会うチャンスを作った。高江の人たちは特に、これから防衛局を相手する先島の人たちにどんな場面が待っているのか手に取るようにわかるだけに、彼らの不安を丁寧に受け止めて「一緒に頑張りましょうと先島の女性たちの手を強く握ってくれた

 そして7月15、16日、ついに雪音さんと育子さんが宮古島に行く機会がやってきた。私はとっても嬉しかった。何より、すでに航空自衛隊の基地と共存しながら、さらにミサイル基地ができたら挟み込まれてしまう運命の野原(のばる)集落の人々と直接ひざを交えて話す機会が作れたのが大きい。野原出身で、自衛隊配備に反対する上里樹宮古島市議の妻でもある上里清美さんが受け入れ態勢を作って下さったおかげで、雪音さんたちは不安の渦中にある野原の人々に、高江が通過してきた具体的な体験の数々を直に伝えることができた。

 夕方、野原公民館で始まった交流会。

   「宮古島で今、どれだけの人たちが反対の声を上げているのかは
    わからないけど、その人たちに、一人じゃないんだよ、
    私たちもいるから一緒に頑張ろう、と伝えたかった」

 雪音さんは来島の動機をそう話した。

 そして高江の座り込み当初の映像を少し紹介した後で、育子さんはこう切り出した。

   「これが10年前、私たちが始めて座り込みをしたとき、
    道路に座ったときの様子です。私たちははじめ、
    ガタガタ震えていました。普通にこれができたわけではありません」

   「私たち区民は、高江区として反対決議をしているので
    工事はできないだろうと思っていた。でも村長が容認している
    ということで2007年の7月に着工されてしまいました」

 宮古島では、座り込んで反対する住民運動というのはあまり経験がない。自衛隊基地は反対でもそこまではやれない、という消極的な声も上がっている。そして野原は地区として反対の声を上げている。それも、かつての高江とよく似ているのだ。しかも、集落の規模も同じ。野原は自衛隊基地と、高江は米軍北部訓練場と戦後を生きてきたという歴史も共通している。地域の声を黙殺して市町村長が容認してしまっているという点まで全く同じなのだ。

 去年の夏からオスプレイの訓練が本格化し、ヘリパッドに最も近い雪音さんの家では昼夜を問わずとどろく轟音と低周波で子どもたちが体調を壊し、避難を余儀なくされた。その現状を繰り返し訴えても、容認している東村としては何も手を差し伸べてはくれない現実防音工事も、引越しの費用も、何の補償もなく黙殺されたままの残酷な状況を説明しながら、雪音さんは「とにかく、作られてしまったら終わりです。その前に止めましょう」と呼びかけた。

   「胸が詰まる。高江は、宮古島の縮図なんですね。
    私たちは二の舞をしようとしている」

 話を聞いていた野原の女性は涙声になった。会場からは深いため息が漏れた。

 育子さんは言った。

   「高江のヘリパッドはできてしまいました。でもこの壊された自然を
    元に戻すのが私たちの使命です。沖縄の闘いというのは、
    こんな4つのヘリパッドどころではありませんでした。
    戦後ずっと人権を勝ち取っていく闘いが沖縄にあったということを、
    この10年間で先輩たちに教わりました。どうしておじいおばあたちが、
    あの炎天下座り込むのか。私たちは学びました。そしてそれを
    次に伝えていく役割がある。ヘリパッドが4つできてしまったから
    もうやめよう、というような問題ではないということを沖縄の皆さんから
    習ったわけです。まだ始まったばかりなんです

 なんて強くなったんだろう。育子さんは、私たちは学んだ、だから次の役割が見えているのだとさらりと言った。

 オスプレイが沖縄に飛来した2012年10月1日。普天間基地のゲートで肩を震わせていた育子さん。「日本はもう、平和ではないね。平和が崩れ落ちていく」そういって泣いていた育子さんが、同じ日、夕方になってもオスプレイ反対のプラカードを掲げて県道で手を振り続けていた姿を昨日のことのように思い出す。私は目の前に次々に着陸するオスプレイを見て、心が折れ、尻尾を巻いて帰りたい一心だったあの夕方、育子さんは「私はこれであきらめたりはしない」と自らを叱咤激励するように道に立っていた。ドライバーに向かって頭を下げ、一緒に反対しましょうと手を振ることで自分を保っているように見えた。あの時に、彼女の並外れた精神力を垣間見た気がしたのだが、あれからの5年で、育子さんはさらに揺らがない大きな存在に昇華していた。5年前と同じように現状にへこたれている私と、えらい差がついてしまった。

 雪音さんだってそうだ。自分のことのように宮古の人たちの不安を背負う覚悟で乗り込んできた。自然体で。笑顔で。だから、こういう魅力のある人たちだからこそ私は彼女たちのファンがやめられないし、その続きや変化を見たいし、それが私以外の多くの人たちの心を揺さぶる場面になるのだということがわかるから撮りたいのだ。もう撮影はいいでしょ? と苦笑されるのはつらいけど、私以外にも『標的の村』以降の住民たちがどうなっていったのか、自分のことのように気になっているファンがいっぱいいることを私は知っている。それが次の高江を止める力=辺野古や先島の自衛隊配備を止める力に直結すると思うからこそ、結局また同行取材を申し込んでしまうのだ。

 「宮古島では関心は高くはない。みんな犠牲が出てはじめてびっくりするのではないか。そうならないうちに声を上げたいと思います」。参加した女性は最後にそう言って、「反対ののぼりを立てましょう!」と元気よく呼びかけた。

 集落に迫りくる運命がどんなに過酷であるのか、高江の経験を聞くと確かに戦慄する。でも、ヘリパッドがほぼ出来上がった今も、以前より堂々と前を向いて闘い、離島まで応援に駆けつけてくれた彼女たちの笑顔を見て、野原の人たちが受け取ったものは単なる絶望ではなかったはずだ。

 まだ、止められる。敵を知ること。連帯することで、私たちはまだ強くなれるし、頑張れる。これから始まる奮闘は、決して孤独な戦いにはならないことを確認できた夜になった。

………。

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」

2017年08月21日 00時00分56秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



毎日新聞の斎藤良太記者の記事【辺野古 88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え】(https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c)。

 まずは、記事冒頭の映像中の文字お越し部分は以下の通り。5分ほどの映像ですので、是非、見ていただきたい。

==================================================================================
https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c

安倍さん
私があなたに手紙を託した島袋文子でございます
是非会いたいです

あなたはなんで美しい日本をつくるとか
なんとか言っているんですけど
美しい日本どころか戦争のできる国
つくろうとやっているじゃないですか
それほどにあなたが戦争が好きなら
あんたは自分の故郷に全基地を持っていって
置いたらどうなんですか
あんたの心は喜びますか どうですか


=------------------------------------------------------------=
辺野古のおばぁ 東京で訴え
沖縄戦を経験 島袋文子

(参議院議員会館)

米軍普天間飛行場(沖縄宜野湾市)の
移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし
移設への抗議活動を長年続けている
島袋文子さん(88)が都内で講演した
=------------------------------------------------------------=


戦争はだめですよ
自分の身内を犬死させるということは駄目です
基地はどこにも置いてはいけません

私は戦争体験者です
戦争の時に15歳でしたけど
目の見えない母と10歳になる弟と
2人を連れて逃げ回って
生きるためには本当に
食べるものはないし水はない
その水を飲んだのが
人間の浮かんでいる池から水を汲んで飲んだ
だってそれが人が浮いているというのが
分かっていたら飲まなかったと思いますけどね
どんなに喉が渇いていても
夜のことですから
夜飲んで、朝どっかに移動しようと思って
振り向いてみたら、そこには人間が浮いている

いつか日本軍が
私たちを助けに来てくれるだろう
でもその信じていた日本軍は
沖縄の住民を助けはしないで殺したんです
殺したんですけど、人間は
その人を恨むんではなくて
誰がその戦争を起こさせたのか
何のために戦争を起こすのか
戦争をやって何ができたのか
それを私は問いたいです

それをやっているのが今の安倍である
戦争のできる国を作りだそうとしている

何か言うと「国民の命と財産を守る」と
言うんですけど
どういうふうにして国民の命と財産を守るのか
私はそこが知りたいんです
私たちは戦争に追われておって
自分の兄弟、親でも救いきれなかったんです
あの弾の中で火の海の中でどういうふうにして
国民の命を守ることができるのですか
我が国を守るためにといって自衛隊も
軍隊つくっているのですけど
自衛隊の命も安倍晋三の命も
同じなんです
人間誰しも命の予備を持っている人は
いないんですよ

私たちは2度と戦争はやってはいけない
思っているんです
ですから命をかけてゲート前に座っているんであって
面白半分に座っているんじゃないですよ
家庭も何もかも犠牲にして
毎日のあのゲート前に座って
機動隊にごぼう抜きにされて
私の小指も5針縫ったんです
でも私たちは基地をつくらせては
いけないと思っているんです
その基地を止めない限り
私は死んではいけないと
残りはいくらしか残っていないですけど
私は今88歳なんです
だけど生きながらえて
どんなにしてでも基地を止めようと思っています

みんなで止めましょうね
力を借してください沖縄に

お願いします
==================================================================================


 《米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした…「基地を置くから戦争が起こる戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判》。

   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの
       機体にストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
    《辺野古から島袋文子おばあも駆けつけた。辺野古区民である
     おばあにとっては、辺野古に作らせてはいけないというのは、
     決して普天間基地が今のままでいいという意味ではないという
     苦しさがあるのだ。だから炎天下、宜野湾の皆さんと連帯したい、
     共になくしていきましょうというメッセージを送りたかったのだろう。
     車イスで3キロ近い道のりを共に進んでいった。
       おばあの覚悟。参加した県民の堅い決意。空に突き上げた
     その拳をあざ笑うかのようなヘリの低空飛行。デモに絡む
     右翼団体の大音量のアピール…》

   『●異常な日々…「異常な状態が続く」山城博治さん長期「拉致」、
      そして、いま、野蛮な辺野古破壊
   『●沖縄でのプレ「平成の治安維持法」実験…
      《実験の結果、今の国民の無関心は国に自信を与えてしまった》 
    《「こんなの裁判じゃない!」「私たちを犯罪者扱いするのか!」、
     傍聴席にいた文子おばあは閉廷した後も最後まで抗議を続けた
     という。そのあとの傍聴者の怒りは動画を見てほしい。
     なぜ、こんな不当な長期勾留にも抗議の声を上げる沖縄県民
     全体を罪びと扱いされる屈辱にも、耐えなければならないのか。
     この島に生まれたのだから仕方がないと思えというのか》

 「本土」の無関心。そして、「「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」」…島袋文子さんの《基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい》という血を吐くような叫びも、彼らのココロには響きもしないし、伝わりもしないようだ。
 森を殺し、海を殺す大愚、「《安倍政権が進めている石垣島宮古島奄美大島与那国島への大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》は「統合エアシーバトル構想」へとつながる」愚行…島袋文子さんの訴え《本土の皆さん、力を貸してください》《みんなで止めましょうね…力を借してください沖縄に》は「本土」に伝わっているか?。
 
   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「本土という安全地帯から」沖縄イジメに加担する愚…
         誤解というレベルを超えた悪質な沖縄「デマ」に抗う
   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・ 
      普天間は返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
       そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
   『●全国戦没者追悼式を前に…阿部岳さん「県民大会で、
            沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した」
    「全国戦没者追悼式を前に…
     《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み》であり、
     《県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した》そうだ。
     アベ様や自公政権、「本土」により、今も「尊い犠牲」論を強いられる沖縄。
     その典型が、高江であり、辺野古」

==================================================================================
https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。

 市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開いた講演会は、実行委によると約500人が参加した。

 島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。

 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。

 講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。【斎藤良太】
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●全国戦没者追悼式を前に…阿部岳さん「県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した」

2017年08月16日 00時00分20秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



沖縄タイムスの阿部岳さんのコラム【[大弦小弦]「尊い犠牲」論に、いつも違和感を覚えている。昨年8月15日の…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/127137)。

 《▼「尊い犠牲」「名誉の戦死」「英霊」全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組みだと見抜くからこそ、あえて犬死にだと言い切る。戦後も苦労した女性は今、「新しく基地ができて新しく苦労する人が出るのは嫌だから」と、辺野古の抗議行動に参加している》。

 全国戦没者追悼式を前に…《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み》であり、《県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した》そうだ。アベ様や自公政権、「本土」により、今も「尊い犠牲」論を強いられる沖縄。その典型が、高江であり、辺野古。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「本土という安全地帯から」沖縄イジメに加担する愚…
         誤解というレベルを超えた悪質な沖縄「デマ」に抗う
   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・
      普天間は返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
       そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」

==================================================================================
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/127137

[大弦小弦]「尊い犠牲」論に、いつも違和感を覚えている。昨年8月15日の…
2017年8月14日 07:26 安倍晋三 阿部岳 戦争

 「尊い犠牲」論に、いつも違和感を覚えている。昨年8月15日の全国戦没者追悼式で安倍晋三首相の式辞はこうだった。「皆さまの尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄がある」。両者に因果関係はあるか

▼これが例えば19世紀の米国で、一日の労働を8時間に短縮することを訴えて処刑されたデモ指導者なら話は分かる。闘いと犠牲の延長線上に、今の8時間労働があると言えるだろう

▼一方、戦後日本は少なくとも表向きは戦争の愚行を否定して出発した。本来、戦没者と連続していてはいけない死者を敬うきれいな言葉で、けじめがうやむやにされている

▼国による顕彰は、肉親を失い深い悲しみを抱えた遺族には、せめてもの救いという側面がある。だが、それを拒否する人もいる。私が知る女性は沖縄戦で亡くした両親について「犬死にだった」という言葉を絞り出す

▼「尊い犠牲」「名誉の戦死」「英霊」。全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組みだと見抜くからこそ、あえて「犬死に」だと言い切る。戦後も苦労した女性は今、「新しく基地ができて新しく苦労する人が出るのは嫌だから」と、辺野古の抗議行動に参加している

▼12日の県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した。あすの追悼式で安倍首相らが何を語るのか。耳を澄ましてみる。(阿部岳
==================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●辺野古「この風景は戦争」: 誇り高き「海猿」の実像は番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」

2014年08月22日 00時00分45秒 | Weblog


マガジン9』の記事【三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古・高江〉 第3回「もはや戦場だ」~8月14日、ついに辺野古は包囲された~】(http://www.magazine9.jp/article/mikami/14204/)。

 「船長の誇りを散々傷付けた挙句、海難救助ということなら助ける、と念を押してきた。海猿たちはプロだ・・・・・・国に逆らうものはこうなるぞ、と言わんばかりだった。海の安全を守るはずの彼らは、基地を作りたい政府の手先になり、反対運動を恫喝する役割」・・・・・・マンガや映画等で喧伝されている誇り高き「海猿」の実像は、番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」だったわけです。

 そして、今や辺野古の海は「戦争」「戦場」。アーサー・ビナードさんの別の発言(『森住卓のフォトブログ』の【2014年08月15日 海上保安庁法的根拠無く平和丸を拘束する。】、http://mphoto.sblo.jp/article/102426760.html):

   「座り込みテントで詩人のアーサービナードさんの姿を見つけた。
    再会を喜んだのもつかの間、彼の目が辺野古沖に向けられた。
    「8月15日どこでこの日を迎えるか?とても重要なこと。
    なにが終戦記念日だよ。沖の風景を見ろよ。
    沖縄が日本政府の攻撃にさらされている
    もう、この風景は戦争だよ。」
    と怒りをあらわにした」

 辺野古で何が起きようが、京都や広島で何が起きようがお構いなしに夏休みを満喫して遊びほうけるアベ様、「ワシャ知らん」を決め込む仲井真弘多県知事、アベ様同様「差別性の極み」を続ける番犬様・米軍・・・・・・そして、沖縄の海を保安するどころか破壊し、危険に晒す「アベ様のイヌ」・海上保安庁。

   『●国外移設どころか、やはり辺野古埋立承認へ:
       2010年11月の沖縄知事選の予想が現実に
   『●2010年11月の沖縄知事選の選択はやはり誤りだった
                ~そうさせた「本土」の重い責任~
   『●稲嶺進氏が名護市長選圧勝:
        「安倍政権はそれでも埋め立てを強行できるのか?」
   『●「辺野古の海を守ろう」:
         アベ様の「政権が抱える差別性の極み」に屈せずに
   『●丸腰市民へ掃海母艦派遣・・・アベ様豪語「最高の責任者は私だ。
                 ・・私たちは選挙で国民の審判を受ける」

   『●番犬様の(ウラアリな)オモテナシは随分とお高い

   『●「辺野古の海を守ろう」:
            アベ様の「政権が抱える差別性の極み」に屈せずに
   『●辺野古移設推進の仲井真弘多氏や丸腰の市民に
         掃海母艦を派遣するようなアベ様を支持してはいけない
   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
       『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』


==============================================================================
http://www.magazine9.jp/article/mikami/14204/

三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古高江

・・・・・・
沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムがスタートです。毎週連載でお届けします。
・・・・・・


第3回
「もはや戦場だ」~814日、ついに辺野古は包囲された~


 一夜明けると、海を埋め尽くす大船団が大浦湾に展開していた。

 「これじゃあ沖縄戦だ」

 明け方、大川から大浦湾に猛スピードで入っていた私は、フロントガラスから飛び込んで来た海に浮かぶ黒い海保の大船団に胸が潰れそうになった。

 8月14日の光景は一生忘れないだろう。

 私だけではない。 これを、沖縄戦開始を告げる1945年3月の光景とダブらせた人は多い。

 翌15日には、水平線に連なる大型の海保の巡視艇、海保のボート、警戒船、合わせて86隻までは数えた。

 島は、再び力ずくで包囲された。少なくとも辺野古沖は「占領」されたのだ。

 2004年も、海のボーリング調査を巡って、防衛局の監視船が作業員の船を守るといいながら、反対運動の船と激しくやりあった。

 防衛局の船を操船するのは、雇われた辺野古の漁師たちだ。基地を止めたい人々は、海人と闘いたくはなかったが、仕事の邪魔をする市民に対し、海人も容赦なかった。

 しかし、クレーンを積んだ大型の台船がやって来た時、それを止めようと飛び込んだ市民を間一髪、下敷きになる前に救い上げたのも、海人だった

 そこには、対立の中にも、島で生きる人間同士を繋ぐ何かが存在していた

 今回、直接反対する人を押さえつけるのは海上保安庁に代わった。

 もう、海人は前線に立たない。それは、両者を知る私たち地域人としては本当にほっとする。

 海猿たちのほとんどは県外だが、中にもうちなんちゅはいる。

 物々しい海上。

 キャンプシュワブからは、赤い数珠繫ぎのウキがスルスルと引き出されて行き、海を囲い込んだ。 黄色いブイも打たれた。

 様子を見ようとすると、工事区域にも、提供水域にも入っていないのに、海保のボートが過剰に制止する。一時、反対運動の要になる平和丸は14隻に囲まれ身動き出来なかった。

 下の動画で左側の水面に出てくるのが、海を分断する赤いウキである。

 15日には、平和丸が海保に拿捕。

 定員13人が目一杯乗っている上に、海保の職員が次々乗り移ってきて、抵抗もしていない船長を2人掛かりで押さえつけ、確保されてしまった。

 提供水域でもなく、理由の説明を求めても答えず、実力行使あるのみ

 やがて、大雨と雷で、小さい屋根しかない平和丸の船上に危険が迫り、いつもの平島の内側を通って港に帰ろうとしたところ、海保の船が立ちはだかった。

 「今日からここは通れません!」

 沖を回ればリーフから出てしまい、さらに波も風も当たる。

 安全のために通してくれと言っても聞かなかったので、やむなく外を回ると案の定、悪天候で視界はゼロに。

 立ち往生しているところに海保が現れた。

 船長「岸はどちらですか? それだけでいいから教えて下さい」

 海保「船長さんならわかるのでは?」「そんなことで12人の命を預かるとは、無責任だ」

 船長の誇りを散々傷付けた挙句海難救助ということなら助ける、と念を押してきた

 海猿たちはプロだ。訓練も受け、GPSも無線も装備している。島の未来のために止むに止まれず四級船舶の免許を取り、海に出た素人たちに恥をかかせて楽しいのだろうか

 結局、海難救助で曳航され、事情聴取をうけ、乗組員の住所氏名を記録される。国に逆らうものはこうなるぞ、と言わんばかりだった

 海の安全を守るはずの彼らは、基地を作りたい政府の手先になり、反対運動を恫喝する役割を演じている。

 戦場の島に戻りたくない、ここは譲れないんだとメガホンで叫ぶ言葉に対し「工事区域に入ると危険です。それ以上近づくと、処置します」とだけ繰り返す。サングラスをかけたロボットのように。

 そして、2004年、2005年と海の上に座り込んで止めてきたボーリング調査の掘削が17日、ついに開始された。

 私は絶望感に襲われていたが、詩人のアーサー・ビナードさんが私にこう言った。

 「沖縄戦、みたいね。でも、まだ戦争じゃない。まだ埋めたても始まってない。8月6日の原爆で言えば、僕たちは今8月5日にいる。8月5日なら歴史は変えられる」

 笑顔のアーサーさん。その奥の海には黒い船影が連なっている。

 圧力を前にしても、冷静で前向きな思考ができる能力。それこそが、今の私に一番必要だ。


・・・・・・
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる~沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945~島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。これまで300回を超える自主上映活動が続いている。現在、次回作の準備を進めている。
・・・・・・


・・・・・・
三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い

沖縄の基地問題を描く、三上智恵監督新作の製作を来年の2015 年完成を目標に開始します。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。
◎製作協力金10,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
◎製作協力金30,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画エンドロール及び、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
※掲載を希望されない方はお申し込みの際にお知らせ下さい。

■振込先
郵便振替口座 00190-8-513577
名義:三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会
・・・・・・
==============================================================================

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『標的の村』三上智恵さんインタビュー

2013年09月18日 00時00分41秒 | Weblog


magazine9に出ていた長編インタビュー【三上智恵さんに聞いた 日本国憲法に守られてこなかった沖縄】(http://magazine9.jp/interv/mikami/)。

 あの『標的の村』を監督した三上智恵さんのインタビュー。米軍による事件や事故が頻発する沖縄。それに対して、我国は、易々と米軍基地やオスプレイを受け入れ、ましてや、子供にまでスラップSLAPPSLAPP)する始末である。

   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●SLAPPと原発、沖縄

================================================================================
http://magazine9.jp/interv/mikami/

この人に聞きたい
三上智恵さんに聞いた
日本国憲法に守られてこなかった沖縄

今月から全国各地で公開される映画『標的の村』は、沖縄・普天間基地の周辺で、本島北部の高江で、米軍施設の建設やオスプレイ配備に反対する人たちの「闘い」を追ったドキュメンタリー。そこには、人々が警察によって強制排除され、メディアの立ち入りさえも阻止されるなど、県外にはほとんど伝えられない衝撃的な場面がいくつも収められています。人々は、どんな思いで闘いを続けてきたのか。『標的の村』が初監督作品となる、琉球朝日放送キャスターの三上智恵さんに伺いました。


みかみ・ちえ
琉球朝日放送キャスター、ディレクター。東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる~沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945~島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会放送ウーマン賞を受賞した。まもなく公開の初監督映画『標的の村』は、QABで放映された番組をもとにしたドキュメンタリー


普天間基地封鎖の大闘争を
伝えなかった本土メディア


編集部
 映画『標的の村』を観させてもらいました。本当に、胸が詰まって目頭が熱くなるようなシーンがたくさんありました。対象に寄り添い、その人たちの心の中に入り込みながら撮影している…、そういう感じが強くしましたね。

三上
 そうですか、ありがとうございます。
 あの映画は、最初は30分の番組としてQAB(琉球朝日放送)で流したものです。そこで伝え切れなかった部分を補足して倍の時間のものを作りました。
 でも残念ながら、テレビのドキュメンタリー番組を全国で流せる枠って、ものすごく狭いんですよ。これをどうしても全国に伝えたい、広めていきたい。そのためにはどんな方法があるか? そこでたどり着いたのが、映画にして全国で上映してもらう、という方法だったんです。91分に編集しなおして、テレビ番組では泣く泣く削らざるを得なかった部分もとり込んで映画化したんです。
 QABは、ずーっと普天間飛行場の辺野古移設、オスプレイの問題に密着して取材してきました。その中で、沖縄県東村の高江地区というところに建設が進んでいるヘリパッド(ヘリコプターの発着場)が、オスプレイの訓練基地になるということがはっきりしてきたのです。この映画は、辺野古から高江へつながる基地反対運動、そして普天間へのオスプレイ搬入阻止の住民の闘いを追い続けた記録です。

編集部
 映画の中では、普天間飛行場の住民による封鎖のシーンがものすごく印象的でしたね。

三上
 オスプレイ配備に反対する住民たちの普天間基地封鎖闘争は、沖縄県史上でも初めての出来事でした。普天間基地の3ヵ所のゲート(野嵩・大山・佐真下)すべてがオスプレイ配備反対を訴える住民たちによって封鎖されたんです。
 こんなことは、もちろん今までにありませんでした。米兵は、まったく基地の外へ出られなくなったんですよ。ほんとうに前代未聞の大闘争だったんです。それに怒った米兵たちと座り込み住民たちとの小競り合いも起きました。
 次々に警官隊によって引き抜かれ、泣きながら連れ去られる座り込みの住民たち。「同じウチナー同士がなんで争わなくちゃいかんのか! お前らも一緒に座り込めーっ!」と叫びながら引っこ抜かれるおじいやおばあ。それをすべて撮影していたのは、残念ながら沖縄のメディアでもQABだけだったんですね。

編集部
 ほんとうに熾烈な闘いの模様でした。たくさんの涙が流されました。車の中に立てこもり、涙を堪えながら歌う女性の『安里屋ユンタ』は、胸をかきむしられるようでしたね。でもなぜこれが、ほとんど一般には伝えられなかったんでしょう? 他のメディアはあまり現場にはいなかったんですか?

三上
 沖縄の政治家たちも参加した野嵩ゲート前には、他のメディアもいたんですが、彼らが午前中で引き上げると、一緒にメディアも引き上げて行きました。だから、すべての模様を撮影していたのはQABだけだったんです。そんな行事のような抗議行動で何ができるか、と憤る人たちが大山ゲート前に集結していました。でも、そちらにはほとんどメディアは記者を配置しなかったんです。全部のゲートに記者を送ったのはQABだけだったんです。
 しかも、こんな未曾有の大闘争が起きていたにもかかわらず、本土の大きなメディアはまったくといっていいほど伝えなかった。座り込みの模様をほんの少し流したテレビ局はありましたが、それもサラリと「オスプレイ配備に反対する沖縄の住民たちの抗議行動がありました」という程度。テレビ朝日が夕方のニュースで2分ほどの特集を組んでくれましたが、本土での扱いはそれが最大です。
 なぜなんだろう、というのが私たちの本当に大きな疑問でした。それなら、その疑問をすべて画面にぶつけてみようと…。


「沖縄にオスプレイが来る」ことは
15年以上前から分かっていた


編集部
 その想いが結実したのが、この『標的の村』なんですね。

三上
 そうです。高江のヘリパッドが、実はオスプレイの沖縄配備と密接に関連しているという事実は、沖縄の記者たちの間ではもう常識でした。でも、防衛局はずっと「ヘリパッドとオスプレイは関係ない」と言い続けました。
 取材していくと、すぐに分かることなんですが、オスプレイにとって高江のヘリパッドはどうしても必要なものでした。まず辺野古をオスプレイのホームグラウンドにし、高江を訓練地にするという計画。つまり、海からやんばるの森(高江地区を含む)へ向かってきて、高江のヘリパッドを目指す、というルートです。だから新しいヘリパッドが必要なんだ、ということです。
 結局、オスプレイが高江に来ることは、96年のSACO合意のときから分かっていたことなんですね。ただ、ヘリパッドの位置が本当に高江の集落を囲むように6ヵ所も造られると分かったのは、2006年くらいでした。

編集部
 すべては米軍と日本政府の了解の上だったんですね。

三上
 そうです、すべては分かっていたことなんです。そのことを取材していくと、なんと「ベトナム戦争当時、あそこには『ベトナム村』があったんだよ」という話が出てきました。
 最初は「えっ、何それ?」って感じでしたけど、調べてみたら、県の公文書館に「USCAR(ユースカー・琉球列島米国民政府)」が撮った写真が整理されていて、私たちもびっくりしたんです。映画にも出てきますけど、高台から米国高等弁務官が訓練を笑いながら見下ろしている写真があるんですが、ベトナム人の村人の役で配置させられているのが沖縄の住民、それを標的に米兵が訓練をしているわけです。

編集部
 それが『標的の村』というタイトルに結びつくわけですね。

三上
 ええそうです。でもね、それでこの地区の住民たちが怒っていたかというと、それは違うんです。
 その当時、遥か遠い那覇にあった沖縄民政府なんて、山奥の高江に何もしてくれない、何の恩恵も与えてくれなかった。逆に、米軍は近くにいて住民を雇ってくれて、毛布や食べ物もくれたし、学校を作るときにはジャングルジムも寄付してくれた。怖いことなんてなんにもなかった、とおばあたちがみんな言うんです。そんな中で、私たちが取材とはいえ「ベトナム村で、ベトナム人役をさせられていたんですね」なんて訊いて回るのは、とても辛かったですね。


国に訴えられた
高江の住民たち


編集部
 なるほど、そういう歴史がこの高江という集落にも隠されていたんですね。そして、この映画のもうひとつの側面は「スラップSLAPP)訴訟」です。

三上
 それがこの高江では、本当に大きな問題なんです。あまり聞きなれない言葉ですけど、スラップ訴訟というのは、大きな権力を持った側、例えば政府や行政、大企業などが恫喝的に住民や個人を訴えるというもので、アメリカなどでは禁止している州(カリフォルニア州など)もあるという、問題のある訴訟です。
 今回、高江では通行妨害という名目で、たくさんの住民が防衛局から訴えられました。なんとその中には、当時たった7歳の女の子まで入っていた。しかも調べてみると、訴えられた日の現場に、その女の子はいなかったということも分かった。つまり、何でもいいから反対するヤツは裁判にするぞ、という脅しなんです。
 普通の人が裁判に訴えられる。こんな怖いことがありますか。裁判に呼び出されて時間もとられる。生活の破壊にもつながります。結局、ほとんどの訴えは取り下げられて、仮処分から本裁判にされたのはおふたりだけですが、それでも「恫喝」という防衛局(日本政府)側の目論みは成功したわけです。もっとも、住民側はまったくへこたれてはいないので、完全な成功というわけでもないですけど。

編集部
 その訴えられた海月ちゃんという女の子は、この映画の中でも印象的でしたね。

三上
 海月ちゃんは映画の最後では、小学6年生になっています。彼女は6歳のとき「オスプレイが来たら逃げる」って言っていたんですね。でも今は、「お父さんやお母さんがやってきたことを、今度は私が引き受けるんだ」と言っています。
 小学6年生の女の子にそう言わせてしまったことに対し、沖縄のメディア関係者は総懺悔しなければいけない。だからこの映画は、海月ちゃんに象徴される次の世代に対する懺悔で作ったような気もするんですよ。私たちメディアは、結局世の中を変えられなかった、という…。

編集部
 映画では最後に「(沖縄に)刃をふるっているのはいったい誰なのか…」というナレーションが入ります。沖縄の問題というのは、誰が敵なのか、分かりづらい面もありますね。

三上
 大きな何かじゃないと思うんです。小さな無関心、小さな責任転嫁というか、小さな狡さの集積でこんな国になっちゃったんですよね。
 米軍を歓迎したことはない。無理やり共存させられた基地と折り合って生きてきたところに、外から「それは問題でしょう」と言われても、「ほっといてほしい」という感覚は、確かに沖縄の中にもあります。自分たちなりに納得して乗り越えようとしてきたものを、内地から波風立てて、実は不幸なんでしょ? って言われても、大きなお世話だって。
 ほんとうは現実にちゃんと向き合って、何かをやらなければいけないんですが、やっていない自分を弁護する論理として「傷つく人がいるから」とか「家族が基地で働いているから」ということで終わらせようとしてきたから、それじゃ沖縄は変われない。
 そこへ投げ込まれた石として、オスプレイの普天間配備、辺野古移設、そして高江ヘリパッドの問題があったんだと思うんです。だから、沖縄へ捧げる私たちの想いがこの映画には詰まっている…。


憲法はまだ、沖縄では
きちんと適用さえされていない


編集部
 その沖縄からは「日本国憲法なんて、これまで我々には関係なかったし、これからだって米軍基地が押し付けられている限り関係ないだろう」という声が挙がっています。やっぱり、沖縄から見える日本国憲法の姿って、我々本土の人間が認識するものとは違って見えますか?

三上
 そりゃあねえ…(苦笑)。27年間のアメリカ統治時代の苦しみは、日本国憲法さえあれば全部終わるんだ、というイメージで、沖縄の人たちはずっと片思いしてきたわけですからね。
 「憲法手帳」というのがあって、保革を問わず、沖縄の議員さんたちはいつも胸ポケットにその手帳を入れている、という話がありました。それほど、沖縄の人たちは焼け付くように日本国憲法の下への復帰を望んでいたということなんです。
 でも、片思いのままにもう40年も過ぎてしまいました憲法で保障されていることが、日本国内でさえきちんと行われていないという実態はあったかもしれませんが、でも沖縄では、教育の自由さえなかったわけですからね。日本の歴史を教えていいのかどうかさえ、アメリカの顔色を伺ってでなければ判断できなかった。教育基本法さえなかったんです。
 思想信条の自由表現の自由教育の自由何もなかったんですよ。日本に復帰した今、その自由を手に入れたかと言われれば、やっぱり実感はない。
 日本人は憲法の下で、基本的人権は国家によって保障されるし、武器は持たないと言っている。しかし、沖縄は武器だらけです。戦争に巻き込まれた状態のままで、教育も平和的生存権も人格権も、そして何より財産権も保障なんかされていない。沖縄県民の財産権は、今も米軍基地というもので蹂躙されている
 『標的の村』も、最初の30分番組のときには、これが大きなテーマでした。もともとの自分たちの土地に入ったら、米兵に銃で追いかけ回されて日本へ復帰したら「日本国の法律によって罰せられる」という看板で土地から追い出されたという状態は、今も続いています。
 しかも、少女暴行事件のあとの97年には、軍用地特措法が改定されて、どんなに首長が反対したって「あんたの土地が必要だよ」と日本政府に言われたら取り上げられてしまう。だから、財産権なんて、いまだかつて沖縄では保障されたことなんかないんですからね

編集部
 それは、日本政府に対してだけではなく、「内地」で普通に暮らす一般の日本人に対しても鋭い批判になっています。

三上
 何も日本人総体を批判するつもりはないんです。
 でもね、日本国憲法で権利が保障されていない復帰前の沖縄から見ると、保障されている日本国の人はほんとうに羨ましかっただろうし、憧れという簡単な言葉ではなく、のどから手が出るほど日本国憲法がほしかったんです。ところが、日本国憲法がある日本国へ復帰すれば、その憲法によって沖縄県民の生活も一変するだろうと思っていたにもかかわらず、まったく何も変わらなかった。そのことへの恨み、というより哀しみは強いですね。
 しかも、今度の参院選で、憲法を変えようという勢力が大勝してしまった。沖縄では今も、憲法を沖縄できちんと機能させよう、という運動を頑張ってやっているというのに、その憲法が沖縄できちんと適用される前に、「もう憲法が変えられちゃうんだってよ」と、沖縄の人たちは自嘲気味に、でも普通に言っていますよ。

編集部
 適用されなかったからこそ、その意味がよく分かる。もらえなかったからこそ、その価値が見える。日本国憲法とは、沖縄にとってそんなものだったのかもしれませんね。日本国民に、憲法はきちんと機能しているかといえば、最近はことに怪しくなってきてもいますが。

三上
 そういう意味では「日本国憲法を変えてしまうというのなら、まずその前に一度、沖縄でその憲法をきちんと施行してみてからにしてください」と、私は言いたいですね。

編集部
 この映画もつきつめれば、「日本国憲法の保障がない沖縄」という現実を照射した作品といえるかもしれませんね。
 ただ、そんな言葉の軽さではとうてい表現できない現実です。東村の明るい陽光と木々の葉のそよぎ、住民たちの普通の生活などが極めて美しく描かれているだけに、それらを踏みにじる理不尽さに体が震えました
 今日は、ありがとうございました。映画の成功を期待します。

三上
 こちらこそありがとうございました。
 映画は8月10日(土)から、東京・東中野の「ポレポレ東中野」を皮切りに、順次全国でロードショーです。沖縄の現実を、少しでもお伝えできればと思っています。
 ぜひ、よろしくお願いいたします。

(構成/鈴木耕 写真/吉崎貴幸)
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●いま、「憲法改正」「自主憲法制定」が争点なのか?

2012年12月07日 00時00分25秒 | Weblog


東京新聞のコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012120502000121.html)。

 なんで今頃「憲法改正」「自主憲法制定」が正面に出てきて、選挙を戦うのか? 意味不明だ。まずは、原発問題じゃないのか? 今更、原発推進や原発再稼働などを「正面から」、「側面から」、あるいは、「暗に」訴えるような候補者や政党に未来を託すなんてあってはダメだ。

   『●田中優子さん「誰の名前を書くのか、その人の品格が問われている」

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012120502000121.html

【コラム】
筆洗
2012年12月5日

 <犬死(いぬじに)でなかった証拠にや 新憲法のどこかにあの子の血がかよう>。敗戦後、憲法制定の過程で憲法普及会が東京新聞と共催で募集した都々逸の入選作だ。子どもを戦争で失った庶民の思いが、ひしひしと伝わってくる▼アジアを巻き込んだ戦争は、日本だけで三百万人を超える死者を出した。都市は焼け野原になり、広島と長崎には世界初の原爆が投下され、おびただしい命が瞬時に奪われた。すべてを失った民衆にとって、不戦を誓う憲法は焦土から昇る希望だったに違いない▼「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦で、ひめゆり学徒たちを戦場に引率し、戦後は琉球大教授になった仲宗根政善さんは一九七〇年の日記にこんな一文を残していた。「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」▼戦争の記憶が国民の大半に刻印されていた四十年以上も前の日記だ。実際に戦闘を経験した人や空襲の下を逃げ惑った人がとても少なくなってきた今、この言葉は予言のように重く響く▼衆院選がきのう公示された。原発政策や消費税、TPP…。重要な争点が並ぶ中、憲法を論戦の後景に退けてはならないと強く思う▼政権奪還を狙う自民党と第三極の要として勢いのある日本維新の会は、それぞれ憲法改正、自主憲法制定を正面に掲げる。平和主義という国のかたちを変えるのか。重い一票が託されている。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●異例中の異例、一人の判事の反対意見

2012年02月27日 00時00分15秒 | Weblog


東京新聞の社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012022102000053.html)。

 光市母子殺害事件の被告に死刑判決が下された。
 死刑にすることの意味が、私には分からない。死刑にすることで何か問題が解決するのか。本村氏にとって、それは問題解決なのか。それぞれの裁判の過程、周辺で起こった様々なこと、それらを振り返ったとき、事件で何が起ったのかを明らかにしようという試みは本当になされたのか。安田好弘弁護士らの主張に真摯に耳を傾けたのか?
 死刑判決で反対意見が付くのは異例中の異例だそうだ。

================================================================================
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012022102000053.html

光市事件死刑 深い遺族の問い掛け
2012221

 山口県光市で母子を殺害した元少年に対する最高裁の判断は極刑だった。遺族は死刑制度に深い問い掛けをしていた。厳粛なるテーマにどう向き合うか、裁判員時代こそ、洞察を深めねばならない。
 「どうすれば死刑という残虐で残酷な刑が下されない社会にできるか。それを考える契機にならなければ、私の妻と娘、そして被告人も犬死にです」
 家族の命を奪われた本村洋さんが差し戻し控訴審で、元少年が死刑の判決を受けたとき、話した言葉である。「この事件で三人の命が奪われる結果になった。明らかに社会にとって不利益なことです」とも語った。二人は家族、もう一人は元少年のことである。
 極めて深遠、かつ根源的な問い掛けである。二人の殺害で被告を処刑すればいいという、単純な報復感情とは明らかに一線を画する。死刑制度はどうあるべきか。社会の安全をどうつくるかを国民全員に問うているのである。
 元少年は犯行時、十八歳という年齢を三十日だけ上回っていた。少年法では十八歳未満への死刑を禁じ、無期懲役とするよう定めている。少年法は罪を犯した者でも、若いがゆえに柔軟性に富み、まっとうに立ち直る力があると信じて制定されている法律だ。
 更生可能性という。一審はそれに期待し、無期懲役。二審も無期懲役。最高裁は二審判決を破棄し、裁判のやり直しを命じた。この控訴審で死刑、そして最高裁で死刑確定へと至ったのだ。
 ただし、今回の判決でも一人の判事は「精神的成熟度が十八歳を下回っている場合は、死刑回避するに足る」と反対意見を述べた。極刑を下した最高裁で、反対意見が出るのは異例中の異例の出来事だ。いかに悩み深い判断だったかがうかがわれよう。
 元少年はいずれ死刑執行を迎える。その日が来れば、母子殺害事件は結末を迎えるのだろうか。むろん「否」である
 最高裁の判決後に本村さんは「判決に満足しているが、喜びは一切ない」と語った。むしろ事件からの十三年間、「元少年にやり直させるのが正義なのか、死で償いをさせるのが正義なのか、悩んできた」と述べた。悩んでも「答えがない」とも吐露した。
 死刑は裁判員が直面する問題だ。「答え」の用意はどこにもない。この制度をどう考えたらいいか。遺族の問いに国民全員で論議を尽くすべきである。
================================================================================

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする