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●三上智恵さん《埋められていくのは、辺野古の海だけではない。この国の未来…助けを求める、あなたの声》

2018年12月25日 00時00分20秒 | Weblog

[※辺野古破壊の愚行を報じる朝日新聞2018年12月15日)↑]



マガジン9のコラム【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌 第86回:埋められたのはこの国の未来~辺野古の海に土砂投入】(https://maga9.jp/181219-2/)。

 《埋められていくのは、辺野古の海だけではないこの国の未来だ。圧殺されたのは沖縄の声だけではないいつか助けを求める、あなたの声だ》。

 これまで何度も示されてきた沖縄の皆さんの《民意》が埋め立てられ、《未来》も埋め立てられ行く。《いつか助けを求める》「本土」の《》だ。
 あの哀しい映像や写真 … 破壊され行く辺野古の美ら海 …。いったん破壊された辺野古の海は、不可逆。復元不可能。一日も早く、この愚行を止めなければならない、
 (金平茂紀さん)《生物多様性の生きた教科書》な「森」を殺し、「美ら海」を殺し、(斎藤貴男さん)《新基地は軍港はじめ、普天間にない巨大で多様な機能を備えた一大戦争拠点…》から出撃した戦艦や戦闘機は「人」を殺す…。

   『●2018年12月14日、「美ら海」に土砂投入…
      辺野古を破壊して巨大な新基地が恒久的に沖縄を占領…
   『●辺野古破壊のために美ら海に土砂投入…
      その翌日も現地で抗議が続く中、アベ様はのんびりとゴルフを満喫
   『●破壊「損」な美ら海への土砂投入…「2019年2月までの
           米軍普天間飛行場の運用停止」をやってみせよ!
   『●【政界地獄耳/問答無用の自治破壊実行する政府の怖さ】 
              《民意も海に埋める》…民主主義国家がやること?
   『●《『日本を取り戻す』の中に沖縄は入っていな》かった、
          そして今《国民のうちに沖縄は入っているのか》?
   『●《ルールを守》っていない代表格は、民主主義を破壊する
                「選挙妨害を暴力団に発注する」人・アベ様
    「そして今、アベ様や最低の官房長官らは、沖縄でもデタラメを
     繰り広げている。一方、故《翁長雄志さん「保守は保守でも自分は
     沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖
     だった。どこぞの《保身》ならぬ「ホシュ」とは大違いだった。
     《まっとうな保守政治家は野党にいた》、そして沖縄にも」

   『●辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、
       普天間にない巨大で多様な機能を備えた一大戦争拠点…》
    「辺野古「移設」に非ず、《新基地は軍港はじめ、普天間にない巨大で
     多様な機能を備えた一大戦争拠点…》が新たに建設される。
     せめてもの普天間の機能停止・返還もあり得ず、しかも、那覇空港を
     ヨコセ!、という。軟弱地盤の泥沼で、ドブガネも嵩み、いつまでたっても
     辺野古破壊は止まず。「いじめ」どころの話ではない」

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https://maga9.jp/181219-2/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第86回:埋められたのはこの国の未来~辺野古の海に土砂投入
By 三上智恵  2018年12月19日



https://youtu.be/cxVu-4O4pks

 ポイント・オブ・ノー・リターン。もう引き返せない地点。政府は辺野古への土砂投入を12月14日だと一方的に通告し、「原状回復が困難な新たな段階に入った」と盛んに喧伝した。

 今日ここに至った事態を、そのストーリーに沿ってシリアスに受け止めようと思えば、それもできる。そりゃあ悔しくて悲しくて、言葉もない。なぜ大差で辺野古移設反対の知事を押し出したのにこうなるのか。この国の民主主義は機能していないのか。国は、県との協議は形だけだという本音を隠しもせず、話し合いの間にも埋め立て作業を全力で進めた。身を焦がさんばかりの怒りモードに入っていくことだってすぐにできる。しかし、辺野古の報道に取り組んで21年、運命のXデーをこう度々設定されては鼻白む感がある。ポイント・オブ・ノー・リターンだって、既視感だらけだ。

 2004年、沖合埋め立て案のやぐらが辺野古の海にどんどん建っていった時も、スパッド台船がたくさんのサンゴを踏みつぶした時も、もう元には戻らないと気持ちが崩れそうになった。沿岸案に代わってV字の滑走路に名護市長が合意した時も、これまでの闘いが無に帰した文子おばあと涙を流した。オスプレイが配備されてしまった日も、2014年夏に辺野古が80隻を超える船に包囲された日も、最初のブロックが海に投入されてしまった日も、護岸工事に着手した日も、日本中から機動隊が来て高江の工事が始まった日も、毎回私は半泣きで取材準備をし、ああもう戻れない、と自分の非力を呪った。

 全部私にとってはポイント・オブ・ノー・リターンだった。だから、今回が最大級で、今度こそもう諦めるポイントだよと言われても、最大級の悲しみ方が、もはやわからない。当初は8月17日の予定だったのが、翁長前知事の急逝で飛んでしまった。8月だったら、もっとどん底に悲しかったかもしれない。でも今回は少し違っているような気がした。泣くような日でもない気がしていたし、これ以上に怒れる自信もなかった。どんなトーンでこの日を迎えたらいいのか。早朝の真っ暗な道を辺野古に向かい、気持ちが定まらないまま現場に着いた。

 投入地点が見える陸上のカメラ位置を確認して、船上撮影するカメラマンを港まで送って段取りをし、ようやくゲートにたどり着いたら朝一番、「遅い!」と文子おばあに怒られた。「もうあたしはそこでさっき一戦交えたんだよ。車いすごと5人に丁寧に運んでもらったさ」。まだ暗いうちに一度排除されたと言って、おばあはどこか自慢げに笑った。なんだか明るい。頑張っても頑張っても、基地建設を止めることができない、と文子おばあが涙をこぼす姿を何度も見ているので、ちょっと拍子抜けした。あえて、もう引き返せないのかな? とシリアスな表情で迫ってみると、「諦めてはだめ。時間はかかってもね」とおばあは冷静に言う。おばあ、時間はかかってもって、もう21年だよ? と切り返すと「まだまだ。あと10年、20年かかっても。粘って勝たないと、どうする」と諭された。思い定めた表情。ここまで来て、諦めてたまるかという気迫がビンビン伝わってきた。

 海上では、国が県の指導を無視して本部半島から積み出した赤土を含む土砂が、台船に載って近づいていた。10時過ぎ、いよいよ護岸に接岸。土砂はショベルカーでトラックへと移されていく。政府が辺野古に基地を造ると言い出してから21年、なんとか今日まで守り抜いた海に、こんなものを入れられたくない。窒息していく海を見たくない。あの世に行っても辺野古の闘いを心配し見守ってくれているであろうおじい、おばあ、懐かしい人たち、翁長前知事にも本当に申しわけがない。カヌーチームも同じ気持ちなのだろう。フロート内に突っ込んでいっても海保だらけの海域でどうなるかは百も承知で、果敢にフロートを越え、全力で漕いでいく。次から次から台船にアプローチするが、海猿に確保される。しかし確保されても高くプラカードを掲げる彼らの姿に泣きそうになった。たとえ土砂を入れられても諦めるつもりは全くないんだ、と全身で表現していた。

 そうだ。今日、政府が「ハイ、沖縄の抵抗はこれまでね」という区切りを演出するなら、こちらは「いえいえ、昨日も今日も明日も粛々と反対しますよ。子や孫のために。私たちの国の民主主義のために。諦められるわけがないでしょう?」と全国に示す日にすればいいのだ。

 「まだまだ今からですよ

 「たとえ完成したって、使わせない闘いをします

 「今日は踊ろうと思ってハーモニカを持ってきたのに」

 「かえって県民の心に火をつけてくれてありがとう。これで県民投票は、みんなで危機感を共有できますよ」

 動画をご覧いただけばわかるように、私が現場で集めたインタビューは、全然下を向いていない。翁長前知事の妻である樹子さんも駆け付けて下さって、ゲート前は故・翁長前知事の魂も供にあると大変湧き上がったが、その樹子さんは本土のメディアに囲まれる中、「こんなに民意がないがしろにされて。これでいいと思ってるの? 皆さんがしっかりして!と逆に記者たちに檄を飛ばす場面も。うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんど沖縄県民をなめたらいけませんよ)を地で行く県民パワーが現場には溢れていた。痛快ですらあった。

 しかし、もちろん明るいばかりではない。国会議員の照屋寛徳さんも糸数慶子さんも涙ぐんでいたし、山内末子さんは翁長さんに申し訳ないとマイクを持つ手を震わせていた。政府の思惑通りにへこたれるもんか、という反発は、確かに新たなエネルギーの渦を作り上げていた。しかし一方で、この20年を思うと「この日を迎えないために頑張ってきたのに」とウェットな悲しみに包まれる。いつもスマホを駆使して高江や辺野古の状況を発信してくれる大袈裟太郎さんは、自分はまだ2年余りしかかかわってないけれど、と言いながら、みんなの悔しさを思って泣いていた。それは前日の彼のブログに書かれているので引用したい。

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 明日、14日はいよいよ辺野古の土砂投入予定日だ。
 20年続いてきた運動の岐路に、僕は立ち会わなくてはならない。
 この重みに、僕は耐えられるだろうか。

 20年前、山城博治はまだ40代前半、今の山本太郎ぐらいの歳だったはずだ。
 玉城デニーは30代後半、今の村本大輔ぐらいの年齢だった。
 稲嶺進は50代前半、今の横川圭希ぐらいの歳だった。 
 目取真俊は30代中盤、ちょうど今の僕ぐらいの歳だっただろう。
 石原岳は20代中盤、今のアツシぐらいの歳だった。
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 太郎さんは、自分がいなかった18年間を現場で過ごした人たちの気持ちを丁寧に想像して下さっていて、こんな感性を持った若い世代の人たちが輪に加わっていることに感激した。

 私が辺野古の問題に出会ったのは32歳の時だった。ここまで長く苦しい道のりになるなんて思いもしなかった。でも、あれから21年も辺野古と向き合ってきたおかげで、政府というものがこんなに不誠実だとか、この国がこんなに壊れちゃってることとか、アメリカはやっぱり日本を利用したいだけだし、日本自体、属国であることに疑問すら持っていないことを学んだ。そしてジュゴンや希少生物の宝庫である大浦湾の豊かさや、東海岸に生きる人たちの喜びと悲しみ、基地と共存を強いられた辺野古集落の悲哀、それを越えていく人々の文化や知恵や、何よりも、圧倒的に強いものに対しても、諦めず、折れずに闘っていく尊厳に満ちた人々にたくさん出会うことができた。翻弄されただけではない。私は実に多くのものを「得て」いたのだ。こんな「負けた」格好の日に、私はそう思うことができた。

 それに引き換え、勝ったつもりの政府はこの日、実は大事なものを手放したのではないだろうか

 なかなか振り向いてくれなくても、何度も手を振り払われても、それでも父の手を握ろうとする子どもに下した最後の一撃。どこかで、それでも家族だと思ってくれるだろうと信じて背負ってきた重い重い荷物は、もう持てなくなってしまった。岩屋防衛大臣はいみじくも言った。「辺野古移設は日本国民のため」と。やはり、家族として大事にされる対象ではなかったのだという現実を、一度は里子に出したその子に気づかせてしまった。親を慕う気持ちがあればこそ、重さにも耐えた。そこを利用するだけ利用してきたのではないか。家族だという幻想さえ打ち砕いてしまうなら、冷酷な他人の荷物など、抱えて一歩だって歩けるわけがない。

 さらに、人口のわずか1パーセントに過ぎない一部の国民の苦しみなど興味もない、と見ぬふりを決め込んだ圧倒的多数の国民にとってもそうだ。掴み取っていたつもりの「主権」を等しく失った日なのだが、そのことを自覚している人は少ない。

 沖縄は、日本の戦後民主主義を映す鏡である。果たして今、国民は主権者として扱われているか基本的な人権が保障されているか三権分立は機能しているか地方統治機構は国の下部組織ではないという地方自治の精神は生きているか。沖縄の現状からわかることは、どれをとっても今の日本は、はなはだ不完全だということだ。他府県の皆さんは、それは沖縄だからであって、私たちはまだちゃんと民主主義に守られているはず、とおっしゃるだろうか。残念ながら、それが日本の民主主義の到達度であり、国民の民度のレベルであり、この国の正体だ

 沖縄の現状をまっすぐ見つめてしまうと、この国の正体にがっつり向き合わされることになる。それは面倒だし、正視するには勇気も必要で、簡単ではない。辺野古の問題から目を背けるのは、沖縄に興味がないからではなく、無意識にこの国の現実から目を背けたい、突きつけられても何もできない自分と向き合いたくない、という防衛本能のなせる業なのだ。その「自己防衛由来の無関心の壁」に阻まれて、私がいくら映画や講演で全国にこの問題を伝え、燃えてるのは沖縄だけではない、皆さんの服にも火がついてるんですよと力説しても、「沖縄は大変ね」という言葉が返ってくる。あくまで「私たちはまだ大丈夫だけど」と思おうとしている。自分は加害者でも被害者でもない、と思いたい人たちが辺野古のニュースをスルーする。しかし、誰が加害者であるかを見極める目を磨かない限り、自分が被害者になるのを止めることはできない。だからスルーした人はぜひ、今回の15分の動画を見てほしい。

 ありとあらゆる民主主義の手法に則って辺野古NOを突きつけ、それでも進む工事に体を張って抵抗してきた沖縄県民の21年の蓄積を粉砕し、頭上から投下された政府の土砂

 埋められていくのは、辺野古の海だけではないこの国の未来だ

 圧殺されたのは沖縄の声だけではないいつか助けを求める、あなたの声だ
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●沖縄では、《「飴と鞭」で手なずけられると高をくくったようなその態度こそ県民の気持ちを遠ざけた》

2018年10月13日 00時00分04秒 | Weblog


三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌/第84回: 勝ったのはうちなー(沖縄)の肝美らさ(真心の美しさ)~デニー知事誕生】(https://maga9.jp/181003-8/)。

 《大勝利だ。とはいえ、デニー知事の行く手は険しい。沖縄県は法に則って仲井真元知事の埋め立て承認を撤回したわけだが、政府は県を許さないだろう。また裁判で県の撤回を無効化する手段に出て、工事の再開を目論むだろう。それこそ三権分立をないがしろにして行政と司法が結託し、さらには立法機関までも歩調を合わせかねない危機的な状況が迫っている》。

   『●沖縄県知事選「象とアリの戦い」…
      「象」は最大の争点で旗幟不鮮明、「辺野古が唯一の解決策」を強制
   『●玉城デニーさん勝利…でも、アベ様や最低の官房長官らは
            すぐにでも辺野古破壊を再開しても不思議ではない
   『●沖縄県知事選「象とアリの戦い」…
       「象」は最大の争点で旗幟不鮮明、「辺野古が唯一の解決策」を強制
   『●「将来の子や孫の世代が、あの時、つまり
        今の我々が頑張ったおかげで、平和な島になったんだよ」、と…
   『●「デマ」「ヘイト」の害悪と選挙…
     名護市長選や新潟県知事選の教訓を、沖縄県知事選の次にもつなげたい
   『●民主主義を破壊し、倫理観の欠片もない醜悪な選挙戦術…
                記憶し、教訓を沖縄県知事選の次にもつなげたい

 沖縄県知事選では、アベ様や最低の官房長官らの《飴と鞭」で手なずけられると高をくくったようなその態度こそ県民の気持ちを遠ざけた》。
 玉城デニーさんが大差で当選し、勝利した。でも、アベ様や最低の官房長官らはすぐにでも辺野古破壊を再開しても不思議ではない。高江での《わずか9時間の歓喜が思い出されるし、最「低」裁を頂点とした司法にも何度も失望を味わされてきた。辺野古破壊反対派への暴力的排除や、SNS上などでの職業デマ屋・職業ヘイト屋の悪質な沖縄差別・沖縄イジメも止むことはないでしょう。その酷い現状やそれに抗う人々の声が「本土」の心ある人たちに届くには、アベ様らや自公に忖度しない矜持ある報道やジャーナリストの役割はあまりに大きい。

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https://maga9.jp/181003-8/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第84回:勝ったのはうちなー(沖縄)の肝美らさ(真心の美しさ)~デニー知事誕生(三上智恵)
By 三上智恵  2018年10月3日



https://youtu.be/ihBCW6TMqVc

 それはいつまでも見ていたいカチャーシーだった。

 当選確実の報道が、歓声と拍手を呼び会場を揺るがした。三線をかき鳴らす音が聞こえるや否や、天を仰いでいた玉城デニー候補がおもむろに両手を挙げて前に進み出た。大きく体を反らし、拳をくねらせ、慣れた手つきで右へ、左へ。愛想笑いもなく、調子を合わせているのでもなく、自分の内面に押し込めた感情を見つめ、感激と感謝と大事な人への溢れる想いを徐々に開放していくような、空を見つめる琉舞の所作にも似た、玄人はだしの「舞い」だった。長年人気タレントとしてテレビ・イベント・舞台でも活躍し、沖縄の芸能にも造詣が深いデニーさんの個性が光る瞬間。そしてこの柔らかな物腰で、「辺野古基地建設反対にもう一度県民の想いを結集させ、過去最多の39万という票を集めたその底力に、あらためて目を見張った場面だった

 大型で非常に強い台風24号は投票前々日から投票日の朝まで沖縄で荒れ狂った。25万戸が停電するという近年なかった被害を出し、とても期日前投票どころではなかった。これはどちらにとって吉と出るか凶と出るか、様々な憶測が飛んだ。読めない選挙になってしまった。辺野古を抱える名護市もほとんど停電から復旧していなかったが、文子おばあの仲間たちは、ある名護市議の事務所に自家発電機を入れ、みんなでテレビを見守るということになり、信号も街灯も消えている道を文子おばあと共に事務所に向けて走った。

 投票箱が閉まると同時に様々な情報が飛び交う。沖縄県内の放送局はどこも当確を出していない段階から、「長野のテレビで当確を打った」だの、「北海道の友人からお祝いのメッセージが来た」だの、情報は錯綜した。なんせ停電でパソコンは不自由だし、またアンテナも倒れているせいか受信状況も悪く、開票の夜はえらく情報過疎だった。おばあはそれらの情報に一喜一憂しない。「ぬか喜びはしたくない」と口を一文字にして、テレビ画面を食い入るように見ていた。

   「相手候補の方は菅とか、小泉の息子さんとか、
    あれだけ政府丸抱えで札束で顔を叩いて。うちなーんちゅは
    こんなのに屈してはいけないんだよ。くれるものは、こっちが
    頼んでもないのにくれるというならもらえばいい。でもね、
    心まで渡すことはないの。そこが心配」

 文子おばあは車の中でずっと「沖縄県民の弱さ」を憂いていた。ここまで来て辺野古を容認するリーダーを選んでしまえば政府の好きなようにされるどんな島を子や孫に手渡していくのか。憤懣やる方ない様子だ。ふるまわれた牛汁にもおにぎりにも手は付けない。食欲はない。あるはずがない。

 文子おばあは4年前からキャンプ・シュワブのゲート前の座り込みに通い、建築資材を積んだトラックの前に立ちはだかって「私を轢いてから通って行け。それができるか?と啖呵を切ってきた。体力の限り、連日座り込みに参加した。4年前に翁長知事が当選した時には「生きてきてよかった」と、初めて自分の人生を肯定する言葉を発した文子さんのことをずっと見つめてきた。あの日の歓喜と、翁長知事を先頭に政府の強硬姿勢に抵抗した日々と、ついに完成してしまった護岸と、知事の死去。激動の4年間を経て、きょう、この期に及んでまた彼女を打ちのめすような結果が出たら、そんなシーンは正視できない。撮影する自信もない。89歳、4年後の知事選など見えない、待てない。私の胸は何度もぎゅっと苦しくなる。

 一分一秒が長く、息が詰まる時間が過ぎていく。そして時計が午後9時半を回るころ、NHKが当確を出した。デニーさんのいる会場は全員が立ち上がり歓喜の声に埋め尽くされた。ほぼ同時に名護市の事務所も大騒ぎ。指笛とカチャーシー。たぶん、ここだけではなく、県内無数の現場で同時にカチャーシーが踊られていたことは疑いがない。しかも大差だ。8万票もの圧倒的な支持の差が歴然となったのだ。

   「うちなーんちゅは、肝心ちむぐくるは売らなかった

   「勝ったのは、うちなーの肝美らさ(ちむじゅらさ)。
    負けたのは沖縄を見くびった政府

 「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー沖縄県民を舐めるな見くびるな子や孫のために命がけでこの島を守りましょう。今も聞こえる翁長知事の声が、沖縄県民の心をちゃんとつかんでいた。徐々に伸びる護岸がぐるりと海を囲み、閉じられた時にはもう、抵抗しても無理なのでは? と心が折れそうになった県民も多かっただろう。それでも、ここで折れたら翁長さんの踏ん張りはどうなる? 子供たちに胸が張れるか? そう自問した大人たちがたくさんいたのだ。これはすごいことだ。

 動画の中で久志に住む女性も言及しているが、今回すさまじかった企業や宗教団体の動員を目の当たりにして、これは勝ち目がないという声があちこちで上がっていた。しかし、この得票は、動員された人々の中に、かなりの数が「誘導されている候補者ではない人物の名前を書いていることを示している。所属している社会のしがらみが手足を絡めとろうとも、心までは渡さなかった。この間の日本政府の手法に対し、明らかに拒否感を持った県民が増殖したということだ。「飴と鞭で手なずけられると高をくくったようなその態度こそ県民の気持ちを遠ざけたのだ。

 大勝利だ。とはいえ、デニー知事の行く手は険しい。沖縄県は法に則って仲井真元知事の埋め立て承認を撤回したわけだが、政府は県を許さないだろう。また裁判で県の撤回を無効化する手段に出て、工事の再開を目論むだろう。それこそ三権分立をないがしろにして行政と司法が結託し、さらには立法機関までも歩調を合わせかねない危機的な状況が迫っている。でも、かつて恩納村の都市型訓練施設の建設を巡って村を挙げて戦った男性はこういった。

   「これから三権が一丸となって沖縄に暴力的に襲い掛かってくるでしょう。
    それは想定している。しかしそれには屈しない。今日のこの結果が、
    自信と勇気をくれた。沖縄の闘いは、県民一人ひとりが主人公なんです。
    今日勝ったのは玉城デニーさん。だけど私たち県民一人ひとりの
    勝利なんです」

 踏みつければ踏みつける程に強くなっていく民草。「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」といった瀬長亀次郎さんの言葉通り、沖縄を丸ごと屈服させることが可能であるかのような幻想を持っている政治家は、いつか必ず自分の見識の浅さを恥じる日が来るだろう

 選挙後、Twitterで「沖縄を在日米軍と自衛隊で総攻撃です。日本中央政府は武力をもって沖縄地方を再占領」「この再占領計画で亡くなった人は玉城デニーとデニーを選んだ人間を恨んでください」などの書き込みがあり、「デニーの暗殺」などの暴力的なものもあったが、Twitter社への通報が殺到。ヘイトを投稿したアカウントは次々に削除されている。Twitter社もデマや暴力的発言の規制を強めており、今回の選挙戦で飛び交った悪質な発言の数々は、選挙後驚くほど速くネット上から消えていった。悪化の一途をたどるかに見えたインターネットの誹謗中傷の流れにも、一定の歯止めがかかった感がある。そのレベルに迎合して人気を得ようとしている節がある安倍政権の戦略にも翳りが見えてきたようだ。

 「自立と共生、そして多様性。それを県政運営の柱としたい」とデニーさんはいう。

 誰一人として置いてけぼりにしない政治。アメリカ人の父の顔も知らず、伊江島出身の母と、育ての母と、二人の母のもとで裕福ではないながらも人に感謝しながら生きることを身に付けたというデニーさんの人柄は、優しく、明るく、誰に対しても丁寧で細やかだ。そして弱い者に対する目線が人並外れて優しいのは、ラジオを聞いていた多くの人がよく知るところだ。沖縄のアイデンティティーの規定の仕方も、ユニーク。誰も排除しない、お互いを尊重して共に生きる沖縄の肝心(ちむぐくる)こそ沖縄のアイデンティティーだという。血筋や生まれた場所や宗教や立場や、そういうものに寄り掛からないのだとする枠組みは、私には新鮮だった。かつての沖縄のリーダーたちとはまた違った、大きな包容力を持った知事が誕生したことの意味は、実は大きいのかもしれない。

 ホッと胸をなでおろした文子おばあは言う。

   「うちなーんちゅは心をひとつにしたんだから、
    もう政府には踏みつけにされないだろうと私は思っている」

 選挙で民意を示したのだから、政府は無下にはしないだろう、なんて。今まで何度民意を示しては踏みにじられたか。それを報道してきた私は人一倍恨みを覚えておく仕事なので、とてもそんなセリフは言えない。この期に及んで政府の良識を信じるなんて。

 しかし、実はこれこそが民主主義の原点でもある。民を信じるということは、民が選んだリーダーも信じるということだ。沖縄の叫びを聞き取った国民の皆さんが、「よし、沖縄が声を合わせてそう言ってるんだから、別の政策を考える人を選ぼう」と思ってくれるだろう。そうなれば政府は変わらざるを得ないだろう。そう動いていく未来を信じるということだ。

 私はすぐ、政府を信じられないと言ってしまうが、おばあは、もう踏みつけにされないと期待している。誰に? その他大勢の、日本国民に対して、だ今度こそ届くと信じているのだ。だから、私は伝える仕事でおばあの想いをお手伝いすることをやめられない。全国の人たちを信じて毎日座り込んでいる人たちのことを伝えないといけない。伝わってないからこの悲劇が続くのだから、知ってもらうために頑張るしかない。

 そして、また強い味方が現れた。翁長さん亡き後、今度は10年も国会議員として政治家の手腕を磨いてきた玉城デニー知事が、政府に強力に沖縄の声を届けてくれるだろう。おじい、おばあたちの苦労も、ヘリや部品が落ちてくる空におびえる子どもたちの不安も、それを守れない大人たちの悔しさも

 沖縄本島中部で育った「母子家庭でハーフ」の心優しい少年が、ロックを愛し、ラジオの顔になり、市場のおばちゃんたちのアイドルになって、沖縄の伝統芸能に親しみ、国会議員になっても「デニー!」と下の名前で呼ばれ、街頭演説でも街宣車の上に登らなかった。全国の知事の平均像からすればかなり毛色の変わった知事が誕生した。しかし、たぶん政府はまだその意味を過小評価しているだろう。翁長さんの後継者ならだれでも当選できたという選挙ではなかったこれだけ踏みつけられた人々だからこそ推す人間、沖縄からしか出てこない逸材。それが玉城デニーという知事なのだと思う。


三上智恵大矢英代 共同監督
ドキュメント『沖縄スパイ戦史

製作協力金カンパのお願い
今まで沖縄戦の報道に取り組んできた三上智恵・大矢英代の2人の女性監督が、封印されてきた沖縄戦の「裏」に迫り、戦後72年経って初めて語られ始めた事実を描き出すドキュメント『沖縄スパイ戦史』。2018年夏から全国で公開中です。本作製作費および次作以降の製作費確保のため、引き続き皆さまのお力を貸してください。
詳しくはこちらをご確認下さい。

………。
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●「平和に関してどうにも鈍いアンテナしか持ち合わせない大半の日本人に、沖縄の苦しみが響かない…」

2017年09月17日 00時00分47秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



マガジン9の記事【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌/第72回:「日本一の反戦おばあ」の涙~島袋文子さん国会前へ~】(http://maga9.jp/mikami170823/)。

 《おばあのやりたかったこと。「国会の前に行って総理大臣に直接訴えたい」…戦中戦後の哀れを耐え、復帰の希望は打ち砕かれて戦争の島を返上できず、さらにまた防波堤になれと言われる今の状況を命がけで変えようとするおばあは、「命は惜しくない」「総理大臣と刺し違えても」という覚悟で、日々憤まんやるかたない思いを抱えてゲートに通っているのだ》。

   『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
      戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」

    《誰がその戦争を起こさせたのか
     何のために戦争を起こすのか
     戦争をやって何ができたのか
     それを私は問いたいです
     それをやっているのが今の安倍である
     戦争のできる国を作りだそうとしている
     ……
     私たちは2度と戦争はやってはいけない
     思っているんです
     ……
     私は今88歳なんです
     だけど生きながらえて
     どんなにしてでも基地を止めようと思っています
     みんなで止めましょうね
     力を借してください沖縄に

     お願いします》

 先日の島袋文子さんの講演会と国会前抗議に関する三上智恵さんのルポ。《生物多様性の生きた教科書》な沖縄の「森」や「海」を何の躊躇もなく殺し、さらには、沖縄に番犬様を押し付け、基地の恒久化を「謀る」。「統合エアシーバトル構想」のために戦争の「防波堤」を押し付ける…。《それをやっているのが今の安倍である/戦争のできる国を作りだそうとしている》。司法の正義は機能せず、「本土」は無関心…。
 島袋文子さん、《基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい》という血を吐くような叫びも、彼らのココロには響きもしないし、伝わりもしないようだ。三上智恵さん、《平和に関してどうにも鈍いアンテナしか持ち合わせない大半の日本人に沖縄の苦しみが響かない》。
 三上智恵さんによる映像資料【文子おばあ国会前へ】(https://youtu.be/KeiWCcvzLvM)を是非見て下さい。

   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「本土という安全地帯から」沖縄イジメに加担する愚…
         誤解というレベルを超えた悪質な沖縄「デマ」に抗う
   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・ 
      普天間は返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
       そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
    《安倍晋三首相が遺影に向かって追悼の辞を読み上げ、
     席に戻ろうとした時、会場から訴えるような女性の声が響いた
     「基地を造ったら沖縄が戦場になる」 大田さんが生前、
     いつも気にしていたことだった》

   『●全国戦没者追悼式を前に…阿部岳さん「県民大会で、
            沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した」
    「全国戦没者追悼式を前に…《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み
     であり、《県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した》そうだ。
     アベ様や自公政権、「本土」により、今も「尊い犠牲」論を強いられる沖縄。
     その典型が、高江であり、辺野古」

   『●「敗戦後」も戦争は続き、
     「唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった」

   『●沖縄破壊: 「生物多様性の生きた教科書」な
      「海」や「森」を殺す…「つくづく人間は愚か」(金平茂紀さん)
   『●「米統治時代に戸籍で差別的に扱われた
      沖縄の人々にとっても、決してひとごとではない」風潮が、いま…
   『●「敗戦後」も戦争は続き、
      「唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった」
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                      「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●三上智恵さん「結局は止められなかった」という現実…
           でも、《人々は分断されている》ことを止めなければ

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http://maga9.jp/mikami170823/

三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
72回:「日本一の反戦おばあ」の涙~島袋文子さん国会前へ~
By 三上智恵 2017年8月23日

   (※ブログ主注: 国会前での演説などが挿入。
        『文子おばあ国会前へ』【https://youtu.be/KeiWCcvzLvM】)

 先週末、長野県佐久市で『標的の島 風かたか』の上映会とトークがあった。私が出版でお世話になっている大月書店の岩下結さんのご両親が主催者の一人なのだが、岩下さん一家は、以前から基地反対を訴え続けてきた「反戦おばあ」島袋文子さんとは家族ぐるみのお付き合いをしてきた。だから、おばあは私が名古屋に行くと聞きつけすぐ電話をしてきた。

 「あんたが長野に行くなら、私も行こうかねえ」。こうしてパタパタと文子さん4度目の長野訪問が決まった。

 おばあは88歳、血圧も高いし足が悪くて旅行は車椅子になる。それでも辺野古の窮状を訴えるためと、空の旅で内地に行くことは年に2、3度ある。しかし心配は尽きない。直前に取りやめになることも当然あるし、おばあは沖縄の宝なのに何かあったら…と考えると、私は自分から彼女を内地に誘うことはしなかった。しかし今回は、自ら長野に行きたいと言うことだ。せっかく羽田を経由するなら、おばあの夢をひとつ叶えられないかと、私は考え始めた。

 おばあのやりたかったこと。「国会の前に行って総理大臣に直接訴えたい」。彼女は10年以上前から、そう私に言っていた。辺野古に暮らす彼女が基地反対を表明して20年、ころころと総理大臣の顔は変わった。鳩山総理の時のことは前にもここに書いた。県外移設を掲げながら辺野古案に回帰したことを撤回して欲しいと、文子さんは来沖中の総理一行の黒塗りの車列を命がけで止めて直訴しようとした。その後、辺野古に数度通い、謝罪をしてくれた鳩山さんとおばあは、今では並んでテントに座る仲になっている。

 そんな風に、彼女にとって総理大臣というのは常に、真っ向から勝負する相手だ。戦中戦後の哀れを耐え、復帰の希望は打ち砕かれて戦争の島を返上できず、さらにまた防波堤になれと言われる今の状況を命がけで変えようとするおばあは、「命は惜しくない」「総理大臣と刺し違えても」という覚悟で、日々憤まんやるかたない思いを抱えてゲートに通っているのだ。

 「刺し違えても」。今の世の中では、共謀罪でお縄になりそうな表現だ。でもおばあが主人公の前作『戦場ぬ止み』でも、文子さんの台詞にこういうくだりがあった。

   「ダイナマイト持ってこい、と私はいつも言うのよ。
    そんなものどうするの? って、もう、座り込んでも
    止められないなら、ダイナマイト抱いて国会前に行った方が
    早いんじゃないか」

 この台詞を入れることで彼女の身に何か降りかかるかも知れないことについて、議論になった。90歳近い老女をも過激派に仕立て上げかねない国のなりふり構わぬやり方は、警戒しなければならない。しかし、壮絶な戦争体験から基地闘争真っ只中の現在の生活まで、一直線に戦場を生き続ける文子おばあの半生をたどるドキュメンタリーで、命がけのその覚悟を表現しておかなければ、平和に関してどうにも鈍いアンテナしか持ち合わせない大半の日本人に沖縄の苦しみが響かないのではないか

 そして、この台詞を残した理由はもう一つある。辺野古の基地建設に反対する東海岸の老女たちの声を報道してきた20年の間に、わたしは同じ趣旨の言葉を何度も聞いているのだ

 嘉陽のSさん「海を埋めるなら、私を埋めて下さい。そうなったら、海に入りますよ!」

 辺野古のTさん「いざとなったら、おばあたちと一緒に海に入っていきます、人柱になって。怖くはないですよ」

 瀬嵩のFさん「クリントン大統領に会わせてくれないかね? 身体にダイナマイトを巻いて抱きついたら、この基地の話は終わりにならないかね」

 嘉陽のMさん「絶対に許さない。そうなったら私を殺してからやりなさいと出ていくよ」

 書ききれない。まだまだあるのだが、今、思い出すために昔のノートをめくっていて、涙腺が決壊し進めなくなった。彼女たちの半数はもう後生(グソー=あの世)に行ってしまった。「基地建設白紙になったね!」という瞬間を見せてあげられなかった。安心して旅立ってもらえなかった。そのことを考えたとき、自分の無力さが呪わしいし、のたうち回るほど苦しい。

 名護市東海岸の女性は、言葉は荒いが、情熱的で、まっすぐだ。底抜けに優しく堂々と正しいことを主張してきたキラキラしたおばあたちに会うことが、軟弱だった私の芯を強くしてくれた。最近、辺野古の問題を聞きかじったような人たちが、「地元は賛成しているのに一部の過激派が…」などと問題の本質をねじ曲げようとしてもそんなフェイク木っ端みじんになるほどの地域の声を私は聞いてきたから、揺らぐことはない。戦争を原点に、そして「普天間移設」の欺瞞と辺野古の苦悩を私が伝えなければならないと思うだけだ。

 子や孫のために身体を張ってきた多くの先輩たちの溢れる思いを、まさに今、体中で体現していらっしゃるのが島袋文子さんだと私は思う。だから東海岸のおばあたちの声を、文子さんの台詞で代弁してもらいたかった。彼女にばかり負荷がかかるのは申し訳ない。が、彼女にはそれをはねのけて余りある力がある。

 「ダイナマイトを持って国会へ」は物騒だが「言葉の爆弾を抱いて国会の前へ」行けたら、おばあの積年の思いは少しでも晴れるだろうか。政治家も国民も、彼女の声を直に聞いたらもっと変わるかも知れない。辺野古の埋め立てが進み、日々逮捕者が出ていても全く全国ニュースにならない現状に、一石を投じられるのでは。そんなことを悶々と考えていた私は、大月書店の岩下結さんに相談した。岩下さんも、文子おばあの思いは痛いほどよく知っていらっしゃるので、何か形にしたいと早速仲間たちに呼びかけて、文子おばあを迎える有志の会を結成してくれた。そして短期間のうちに、参議院議員会館でのおばあの講演と、官邸前でのアピールが実現した。議員会館の講堂はみるみる溢れ、念のためにモニターを置いた別室もあっという間に埋まり、控え室まで開放して、500人を超える人々が文子おばあと同じ空間で彼女の話を聞こうと集まってくれた。企画は大成功だった。

 そこで彼女が何を話したか、20分弱にまとめたのでこれは是非、冒頭の動画を見て欲しい。前半は笑顔を交えて、努めて冷静に戦争や基地のことを話し、さらなる支援を呼びかけて聴衆に手を振った文子さん。私はマイクの音が聞きづらい彼女のお手伝いと聞き役として隣に座ったが、戦争体験の話になると心が不安定になってしまう場面を何度も見て来たので、今日は頑張って落ち着きを保っているのだなあと半ば安心していた。様子が変わったのは、後半の高校生との対話の場面だった。

 壇上に上がってくれたのは、これまでも沖縄に足を運び、沖縄戦や基地のことを熱心に学習していた自由の森学園の生徒二人。自分の学習体験を話し、率直な質問をぶつけた。

   「戦争体験の話の中で、アメリカが命の恩人とおっしゃってましたが、
    心からそう思うのですか?」

 それに応えようとする文子さんは、やがて目が左右に揺れ、時空が歪んで魂があの阿鼻叫喚の地獄に吸い寄せられたのか、堰を切ったように言葉を吐き出し始めた。ああ、始まってしまった、と私は覚悟をした。どこで止めよう? いや、一度ここに辿り着いてしまったら、あとの苦しさは一緒なんだから、最後まで話して聴衆に伝えた方がいいのか? 私だけは冷静にコントロールしないと会場も高校生も不安になってしまう。経験値があるお前が考えろ! と自分に何度も言い聞かせるのだが、おばあの悔しさや深い悲しみが隣からびんびん伝わってくるので、やはり私も泣いてしまう。司会者失格だ。

 その内容。ここは活字にしたくないので、どうか20分、時間を作って見て欲しい。こういう場をわざわざ永田町でつくり、高齢の女性をはるか南の島から招いて辛い話をしてもらい、そして撮影して、大事なところを時間をかけて編集して、こうしてパソコンや携帯で無料で見られる形にまで私たちがしているのはなぜなのか。少しでも思いを致して下さるなら、20分くらい作って欲しい。

 今の日本で一番、身体を張って安倍政権と対峙しているのは88歳の島袋文子さんだろう。政府が今さらに沖縄に押しつけようとしている軍事的な負担は、72年前から戦争と共に生きる苦しみを強いられてきた県民にとってどれほど残酷なことなのか。それを文子さんは直接政府に訴えたいと思い続けてきた。国会の中で10分でいい、彼女こそ全国民の中で誰よりも意見を言う機会を与えられるべき人だと思う。しかしそれが叶わない。ならば官邸前で、議員会館で、我々が聞こうじゃないか、発言してもらってみんなの力で政府に届けようじゃないかという、このうねりの一部にみなさんにも参画して欲しいのだ。映像を見ることでその場にいなかったみなさんにも共有してもらい、共謀し共犯者になってもらいたいのだ。それは大それた望みだろうか?

 夕方、首相官邸前に移動してからも、大勢の支援者が文子さんを迎え、思いの丈を聞かせて下さい、とマイクを渡した。

   「沖縄から参りました、島袋文子です。
    きょうは、文句を言いにきました!」

 やんやの大拍手。

   「私があなたに手紙を託した島袋文子でございます。
    その手紙を読んでどう思いましたか?」

     (※ブログ主注: アベ様と山本太郎議員の国会での「やり取り」が挿入。
        日米地位協定についても「議論」もどきあり。
        『文子おばあの手紙@国会』【https://youtu.be/jX68hntPmt4】)

   「あんたの思うとおりに沖縄を潰そうとしてもそうはいきません
    絶対に負けませんからね、見て下さい、こっちに来て!」

 そう言っておばあは「勝つまであきらめない」と書かれたTシャツを示して胸を張った。途中胸が詰まって話せなくなるも、また勇気を振り絞るように顔を上げて文子さんは叫ぶ。

   「本当に憎ったらしいったら、あんたたちは! 
    安倍さん、菅さん、麻生さん、三名! 三羽ガラス! 
    撃ち落とさないと私は気が済まないからね!」

 沖縄のおばあらしいユーモアで笑いを誘い、真正面から切なる思いを永田町の空に響かせた。かっこよかったよ、おばあ。いつもまっすぐで正義感の強い少女のようなその感性が大好きです。あなたのそんな姿に、目の見えない母と10歳の弟の手を引いて砲弾をかいくぐって進む責任感の強い15歳の少女の影が重なって、わたしはあなたを抱きしめたいほど愛おしいと思うのです。

 ………。
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●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」

2017年08月21日 00時00分56秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



毎日新聞の斎藤良太記者の記事【辺野古 88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え】(https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c)。

 まずは、記事冒頭の映像中の文字お越し部分は以下の通り。5分ほどの映像ですので、是非、見ていただきたい。

==================================================================================
https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c

安倍さん
私があなたに手紙を託した島袋文子でございます
是非会いたいです

あなたはなんで美しい日本をつくるとか
なんとか言っているんですけど
美しい日本どころか戦争のできる国
つくろうとやっているじゃないですか
それほどにあなたが戦争が好きなら
あんたは自分の故郷に全基地を持っていって
置いたらどうなんですか
あんたの心は喜びますか どうですか


=------------------------------------------------------------=
辺野古のおばぁ 東京で訴え
沖縄戦を経験 島袋文子

(参議院議員会館)

米軍普天間飛行場(沖縄宜野湾市)の
移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし
移設への抗議活動を長年続けている
島袋文子さん(88)が都内で講演した
=------------------------------------------------------------=


戦争はだめですよ
自分の身内を犬死させるということは駄目です
基地はどこにも置いてはいけません

私は戦争体験者です
戦争の時に15歳でしたけど
目の見えない母と10歳になる弟と
2人を連れて逃げ回って
生きるためには本当に
食べるものはないし水はない
その水を飲んだのが
人間の浮かんでいる池から水を汲んで飲んだ
だってそれが人が浮いているというのが
分かっていたら飲まなかったと思いますけどね
どんなに喉が渇いていても
夜のことですから
夜飲んで、朝どっかに移動しようと思って
振り向いてみたら、そこには人間が浮いている

いつか日本軍が
私たちを助けに来てくれるだろう
でもその信じていた日本軍は
沖縄の住民を助けはしないで殺したんです
殺したんですけど、人間は
その人を恨むんではなくて
誰がその戦争を起こさせたのか
何のために戦争を起こすのか
戦争をやって何ができたのか
それを私は問いたいです

それをやっているのが今の安倍である
戦争のできる国を作りだそうとしている

何か言うと「国民の命と財産を守る」と
言うんですけど
どういうふうにして国民の命と財産を守るのか
私はそこが知りたいんです
私たちは戦争に追われておって
自分の兄弟、親でも救いきれなかったんです
あの弾の中で火の海の中でどういうふうにして
国民の命を守ることができるのですか
我が国を守るためにといって自衛隊も
軍隊つくっているのですけど
自衛隊の命も安倍晋三の命も
同じなんです
人間誰しも命の予備を持っている人は
いないんですよ

私たちは2度と戦争はやってはいけない
思っているんです
ですから命をかけてゲート前に座っているんであって
面白半分に座っているんじゃないですよ
家庭も何もかも犠牲にして
毎日のあのゲート前に座って
機動隊にごぼう抜きにされて
私の小指も5針縫ったんです
でも私たちは基地をつくらせては
いけないと思っているんです
その基地を止めない限り
私は死んではいけないと
残りはいくらしか残っていないですけど
私は今88歳なんです
だけど生きながらえて
どんなにしてでも基地を止めようと思っています

みんなで止めましょうね
力を借してください沖縄に

お願いします
==================================================================================


 《米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした…「基地を置くから戦争が起こる戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判》。

   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの
       機体にストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
    《辺野古から島袋文子おばあも駆けつけた。辺野古区民である
     おばあにとっては、辺野古に作らせてはいけないというのは、
     決して普天間基地が今のままでいいという意味ではないという
     苦しさがあるのだ。だから炎天下、宜野湾の皆さんと連帯したい、
     共になくしていきましょうというメッセージを送りたかったのだろう。
     車イスで3キロ近い道のりを共に進んでいった。
       おばあの覚悟。参加した県民の堅い決意。空に突き上げた
     その拳をあざ笑うかのようなヘリの低空飛行。デモに絡む
     右翼団体の大音量のアピール…》

   『●異常な日々…「異常な状態が続く」山城博治さん長期「拉致」、
      そして、いま、野蛮な辺野古破壊
   『●沖縄でのプレ「平成の治安維持法」実験…
      《実験の結果、今の国民の無関心は国に自信を与えてしまった》 
    《「こんなの裁判じゃない!」「私たちを犯罪者扱いするのか!」、
     傍聴席にいた文子おばあは閉廷した後も最後まで抗議を続けた
     という。そのあとの傍聴者の怒りは動画を見てほしい。
     なぜ、こんな不当な長期勾留にも抗議の声を上げる沖縄県民
     全体を罪びと扱いされる屈辱にも、耐えなければならないのか。
     この島に生まれたのだから仕方がないと思えというのか》

 「本土」の無関心。そして、「「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」」…島袋文子さんの《基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい》という血を吐くような叫びも、彼らのココロには響きもしないし、伝わりもしないようだ。
 森を殺し、海を殺す大愚、「《安倍政権が進めている石垣島宮古島奄美大島与那国島への大規模な自衛隊とミサイル基地の配備》は「統合エアシーバトル構想」へとつながる」愚行…島袋文子さんの訴え《本土の皆さん、力を貸してください》《みんなで止めましょうね…力を借してください沖縄に》は「本土」に伝わっているか?。
 
   『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
      従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」
   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●「本土という安全地帯から」沖縄イジメに加担する愚…
         誤解というレベルを超えた悪質な沖縄「デマ」に抗う
   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・ 
      普天間は返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??
   『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
       9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
       そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
       響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」
   『●全国戦没者追悼式を前に…阿部岳さん「県民大会で、
            沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した」
    「全国戦没者追悼式を前に…
     《全ては次の犠牲を強要し再生産する仕組み》であり、
     《県民大会で、沖縄は再び「尊い犠牲」となることを拒否した》そうだ。
     アベ様や自公政権、「本土」により、今も「尊い犠牲」論を強いられる沖縄。
     その典型が、高江であり、辺野古」

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https://mainichi.jp/articles/20170818/k00/00m/040/096000c

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。

 市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開いた講演会は、実行委によると約500人が参加した。

 島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。

 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。

 講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。【斎藤良太】
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●沖縄でのプレ「平成の治安維持法」実験…《実験の結果、今の国民の無関心は国に自信を与えてしまった》

2017年04月26日 00時00分25秒 | Weblog

三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]



マガジン9の記事【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記/第69回 罪を犯しているのは国ではないのか~博治さん法廷へ】(http://www.magazine9.jp/article/mikami/33083/)。

 《「「この裁判は、これ以上基地を負担したくないと声を上げた、沖縄県民全体に対する裁判です」「その代表として囚われ、罪に問われているのは博治さんたちですが、その他大勢の氏名不詳者たちという言葉で、私たち反対運動全体を罪に問おうというのが国の今回の姿勢なんです」》。

   『●「沖縄の大衆運動そのものを取り締まっていく
       国策捜査だと思う」…山城博治さん「予防拘禁、プレ共謀罪」


 沖縄では共謀罪の先取りが行われていた。《沖縄ではプレ「共謀罪」捜査が先取りされている》。

   『●金平茂紀さん「僕らの国の司法には
      かつて「予防拘禁」という仕組みが合法的制度として存在していた」
   『●森達也さん「人は誘惑に負けることもあるが反省もする。
                …それをも許さない」「平成の治安維持法」
    「◆金平茂紀さん(テレビキャスター) まだやっていないことが
     取り締まりの対象になる共謀罪は特別に危ない法律だ。
     沖縄で基地反対運動のリーダーが逮捕されたが、
     これは共謀罪を先取りした予行演習


 どうやら、アベ様らに楯突くやつは全てひっ捕まえろ=「平成の治安維持法」の本質はそういうもの。悍ましき超監視社会、密告社会。
 リテラの記事【テレ朝・玉川徹のツッコミに自民党が共謀罪の正体をポロリ「目的はテロ対策じゃない」「市民の座り込み抗議にも適用」】(http://lite-ra.com/2017/04/post-3094.html)に驚くべきことが。《…などと“テロ対策”であることを強調したが、もはやこんな詭弁が通用するわけがない。というのも、今回の共謀罪の取りまとめ役となっている自民党法務部会長である古川俊治参院議員が、「テロだけじゃない」とテレビで断言したからだ…そこで玉川氏は、沖縄のように基地建設を阻止するために市民たちがトラック車両を現場に通さないよう座り込みで抗議する、そのことのために銀行でお金を下ろすなどしたときにも共謀罪は適用されるのか?ということを古川議員に質問。すると、古川議員はこう述べたのだ。「仮に完全にトラックを防止するっていう目的だけにみんなが集まると、仮にですよ、仮にね。極めて具体的な計画でやる。具体的な計画といったら危険性が出てくるということですから、まさにやろうとしているということなんですね。そして、そのための実行準備行為をやったという段階じゃないと、これ適用になりませんから」…ここですかさず玉川氏は「逆にいえば、そこまでやれば適用できるということですよね」と言うと、古川議員はそうなれば、組織的犯罪集団として認定される可能性はありますねと明言したのである》。

 琉球新報の記事【<社説>米軍通告なく訓練 県民の安全軽視許さない】(http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-482373.html)によると、「民間地域を巻き込む軍事訓練は大きな危険を常に伴う。訓練場所と実施日時を関係機関に連絡し、県民に知らせるのは当然だ。その常識が働かないのは、組織が劣化しているためと断じるしかない》…そうだ。《組織が劣化》しているのは番犬様だけではなく、ニッポン「本土」そのもの。

 所詮、番犬様も、(ダグラス・ラミスさん)《米軍基地は植民地です アメリカの占領する縄張り》としか思っていない。デンデン王国「裸の王様」にとって沖縄は、米政権への「供物」程度と思っていないでしょう。

   『●日本国憲法第九条「国権の発動たる戦争と、
      武力による威嚇又は武力の行使は、永久にこれを放棄する」
    「「戦後70年、日本は国家として他国民を誰一人殺さず、
     また殺されもしなかった。非戦を貫けたのは、戦争の放棄を定めた
     憲法9条があったからにほかならない」。一方、壊憲はどんどんと進み、
     沖縄の高江辺野古では沖縄差別、沖縄イジメ、沖縄破壊が進む。
     番組中でダグラス・ラミスさんは述べています、
     「(沖縄)…米軍基地はアメリカという帝国の単なる手段ではなく 
     米軍基地は植民地です アメリカの占領する縄張りなのです」。
      アベ様と菅官房長官らが辺野古でやっていること…
     「人権や言論の自由も軽視され、植民地支配と同じ」。アベ様、
     自公議員や翼賛野党議員が好き放題に壊憲させていていいのか?
     そんな議員に投票する人たちは、そんなに「人殺し」に行きたい
     のだろうか?、そんなに「大量殺人」に行きたいのだろうか?」

 《罪を犯しているのは国ではないのか?》…全沖縄《県民を獄につなぎたいという国家の意思の表れ》。
 《沖縄の平和運動のリーダーたちの逮捕・勾留は共謀罪の先取りで、国はどこまで国民が騒ぐかを注視しているのだと早くから指摘されてきたが、その実験の結果今の国民の無関心は国に自信を与えてしまっただろう》…デンデン王国ニッポン、本当にオメデタイ国。

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http://www.magazine9.jp/article/mikami/33083/

2017年4月19日up
三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記
69回 罪を犯しているのは国ではないのか~博治さん法廷へ 

 「この裁判は、これ以上基地を負担したくないと声を上げた、沖縄県民全体に対する裁判です」

 「その代表として囚われ、罪に問われているのは博治さんたちですが、その他大勢の氏名不詳者たちという言葉で、私たち反対運動全体を罪に問おうというのが国の今回の姿勢なんです」

 裁判所前の集会で、マイクをとる人たちがこの裁判の重みを次々に訴えた。およそ250人が集まって被告として法廷に入る仲間を激励した。

 5ヶ月余りの勾留を解かれた山城博治平和運動センター議長はじめ、公務執行妨害などの罪に問われた基地反対運動参加者を巡る裁判の3回目の公判が、17日那覇地裁で開かれた。保釈中の博治さんには様々な条件が付けられ、裁判が終わるまでは事実上反対運動に参加できない形になっている。ところが2回目の公判では、国側が証拠として提出したビデオがコピーの手違いなどで審理が進まず無駄に終わった。そしてそのビデオを整理するのに5月まで時間がほしいと言い出す始末だ。博治さんが長期勾留されていた5ヶ月もの間、いったい何をしていたのか。証拠・書類の作成がいい加減で、求められると「準備ができていない」と時間を稼ぎ結局秋までリーダーを現場から引き離そうということなのか。その間に埋め立てをどんどん進めてしまおうという国の魂胆があるとすればなおさら、裁判所は公正に迅速な訴訟指揮を執るべきだ不誠実な時間稼ぎを許してはならない。しかし、それだけではない。この裁判は船出からおかしかった。

 3回目の公判では、去年1月に辺野古のゲート前にブロックを積み上げて抵抗したことについて、防衛局員が目撃証言に立つことになっていた。毎日毎日、座り込んではごぼう抜き、座っては引きずられを繰り返していた現場で、同じ運ぶならブロックを運んだらどうだ? と誰からともなくブロック作戦という奇策がでてきた。数日で終わった作戦だったが、目撃者は警察官、アルソック、軍警、防衛局員、そして座り込み参加者もメディアも大勢いるだろう。今回証言に立つ防衛局員が何も特別な存在ではないはずだが、彼の側から「傍聴人から威圧される、危害を加えられる恐れがある」と申し立てがあったとして、裁判所が傍聴席と証言者の間を完全に遮蔽するという決定をした。

 これはおかしな話だ。たくさんの目撃者がいる中で、この防衛局員の証言が特段に恨みを買う性質のものとは思えない。なのに彼が「博治さんにも、傍聴席にも顔を見られたくない、報復が怖い」と大げさに申し立てをすることで、あたかも被告と傍聴席にいる人々が後で危害を加えにやってくるタチの悪い人々だと裁判官に訴えているも同然である。それは印象操作に当たる。加えて、この日那覇地裁は正面玄関を一切封鎖しピケを張って暴徒の侵入を防ぐような形をとった。わざわざ福岡から裁判所職員を呼び寄せて大げさな体制で警備に当たった。こんな那覇地裁は初めて見た。このピケを突破してどんな過激派が押し寄せるというのだろう? 通行人はただならぬ裁判所の警戒ぶりに恐怖を感じるだろう。これも一般市民に対する印象操作である。

 そして結局、証人と被告との間の遮蔽はしなかったものの、傍聴席との間は完全に目隠しされてしまった。裁判は公開が大原則である。公正な抽選で傍聴券を手にした一般市民は、個々の思想信条がどうあれ、公平に裁判が行われているのか見届ける責任がある。性犯罪や暴力団の被害者など、弱者である被害者が守られるべき事例で遮蔽がおこなわれることはある。しかし、傍聴に来た誰かが恨みを持つかもしれないという程度でその都度遮蔽していたら、公開の原則は崩れ、その結果、顔を隠してぺらぺら無責任な証言をするのも容易になるだろう。

 まだ罪が確定していないのに、山城博治被告は顔も名前もさらされて、しかも今回は5ヶ月という長きにわたって自由を奪われ、有罪になる前に事実上の制裁を受けている。勤め人なら仕事も奪われただろう。彼の家族がこの5ヶ月に味わった苦しみは計り知れない。そうやってようやくたどり着いた裁判で、博治さんたちは顔をさらして被告席に立つ。博治さんたちを恨む人もたくさんいる。ネット上には悪質な書き込みが満載である。

 逮捕勾留されただけで罪人のように扱う人もいる世間に、実名と肖像をさらされて、片や裁判に臨んでいるのに、「この人がやりました」と証言する人間は姿を隠せるというのはあまりに不公平だ。基地を提供する仕事を担う公務員として、堂々と証言したらいいのではないか。「彼が指示していました。こういうことをされると困るんです」というなら、それは彼の仕事なのだからその通り法廷で裁判官に訴えればいいだけの話ではないのか。普段は、国のやることに抵抗するなとゲートの奥からで偉そうに警告をし、ビデオを撮りまくっている彼らは弱者なのか。なぜ裁判所に守ってくださいと訴え、震える子羊のように自ら演出するのか。「こいつがやりました」と言われた側はすでに多くのものを奪われているしかし言う側は何も失いたくないという。その国側の姑息な姿勢に加担した裁判所の決定に対して、法廷は騒然となった。

 被告の弁護団は開廷後すぐに裁判官の忌避を申し立てた。遮蔽は公開の原則に反し、公正公平な判断が期待できないためだ。しかし直ちに却下され、今度は即時抗告をした。それでも議事は進められる。まもなくついたてが登場した。検察側のいいなりの裁判運営に傍聴席からも抗議の声が上がった。

 「こんなの裁判じゃない!」「私たちを犯罪者扱いするのか!」、傍聴席にいた文子おばあは閉廷した後も最後まで抗議を続けたという。そのあとの傍聴者の怒りは動画を見てほしい。なぜ、こんな不当な長期勾留にも抗議の声を上げる沖縄県民全体を罪びと扱いされる屈辱にも、耐えなければならないのか。この島に生まれたのだから仕方がないと思えというのか。


 (山城博治さん)
 「少し、熱くなってしまったなと反省しています。ただですね、皆さん。この裁判は私やIさんが代理人になっていますけれども、全県民が対象になっていますね。辺野古・高江新基地に反対する県民のリーダーだということで私たちを獄につなぐということは、可能なら全県民を獄につなぎたいという国家の意思の表れでしょう。私たちを5ヶ月も6ヶ月も、一人の仲間はまだ拘置所の中にいるというのに、自分はこそこそと隠れて『こいつがやった』という話をする。政府として国家として、国防のために安全のために基地は造らなきゃならないというなら堂々と出てきてそれを言えばいいじゃないですか! 県民の皆さんにお願いしたいと。この基地がなければ日本は守れない。日本の将来はないんだ。まげて県民の皆さんにお願いする。という話なら堂々とやればいいです。県民は今、血の出るような、県知事を先頭に屈辱と、そして忍従を強いられている中で、基地を造ろうという。強引に権力の力を借りて、機動隊の力を借りて推し進める側がこそこそと隠れて『こいつが犯罪者だ』と。こういう言われ方はないんじゃないですか? おかしい!」

 「国が150万県民を抑えてでも基地を造るというなら、その仕事を防衛局が担うというなら、堂々と言えばいいじゃないですか。私たちはどんなに捕らわれても、手錠でつながれても、腰縄されても堂々と自らの主張をしてまいりました。私たちをさらしものにして、まるで動物園の犬みたいにさらし者にして、罪を問う、告発するというなら、なぜ告発する側が堂々としていられないんだ。本当に激しい怒りで今日は身が震えそうでした」

 「根本にあるのは、基地を造ろうとする政府と、基地ができたら戦争に巻き込まれるそういう無謀な戦争、防波堤となるような戦争はもう二度とごめんだという県民の思いがまず、あるんじゃないですか。そのことを堂々と論じてそのうえで具体的な罪に触れるべきではないんですか」


 そうだ。国家の暴力こそ問われるべきだ抵抗しなかったら、また沖縄が真っ先に戦場にされるのだ。沖縄の犠牲を当然のこととする政府。民主主義を曲げて沖縄には適用せず、民意を押しつぶし、非暴力の抵抗に1000人の機動隊を差し向けた政府その暴力は問われず、有刺鉄線を切った罪で逮捕される。警察や海保が首を絞めたりひき逃げしようとしたりしてもお咎めなしで、防衛局員を揺さぶったくらいで、威力業務妨害で再逮捕。今行われていることは異常であり、国家権力の暴走を司法もメディアも止められていない

 本人がやっていないと一貫して言っているにもかかわらず、6ヶ月を超えて現在も勾留されている人がいることにほぼすべての国民が無関心だこれではテロ等準備罪の成立を止められるわけがない。テロやスパイの嫌疑をかけられて、自分は違うと立証するのは非常に難しい。目をつけられたら罪人に仕立て上げられるそういう社会なら声を上げる人は極端に減るだろう。もし博治さんのような人がテロリストの親玉に仕立て上げられたら、次は演説に拍手していた人々まで引っ張られる。そんな監視社会が訪れる。沖縄の平和運動のリーダーたちの逮捕・勾留は共謀罪の先取りで、国はどこまで国民が騒ぐかを注視しているのだと早くから指摘されてきたが、その実験の結果今の国民の無関心は国に自信を与えてしまっただろう

 沖縄への弾圧に興味がない大勢の国民をバックに、いよいよ明日20日にも辺野古の埋め立て作業に着手すると伝えられている。カリスマ的なリーダーである博治さんを現場から奪われたまま、辺野古はまもなく大きな山場を迎えようとしている。

いかなる弾圧が 度重なるとも
  われらの友情は 永遠に変わらず
  海や森  空も澄めば
  わが心は  やんばるの地に

………。
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●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの機体にストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散

2015年08月24日 00時00分22秒 | Weblog


マガジン9』の三上智恵さんの記事『三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古・高江〉 第28回 墜落事故から11年、ヘリが落ちた日の空は…』(http://www.magazine9.jp/article/mikami/21772/)。

 「沖縄国際大学にヘリが墜落……翌日、防護服を着けた兵士が現場に現れ、はっとした。数名でガイガーカウンターを持って事故現場の数値を計っていた。放射性物質が飛散していたのだ。毎日頭上を飛ぶヘリの機体にストロンチウムが使われていることなど初めて知った」。

 消された放射能汚染、米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件。沖縄タイムス小出裕章さんに関する記事から知りました……私は「単なる〝番犬様〟米軍の傲慢さや沖縄差別の表れだとばかり思っていました。その裏に、ストロンチウム汚染の問題があったなど、全く想像していませんでした。初めて知りました」。

   『●消された放射能汚染: 米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件

 番犬様は「結局のところ、ここは戦争に勝ったアメリカが戦利品として勝ち取った島なのだから、軍事拠点としてどう使おうがこっちの勝手だというのが彼らの本音。占領意識そのままに、今日に至っているのだ」。一方、ニッポン「政府は「普天間を返して欲しいなら辺野古を完成させなさい」と他国が奪った土地を人質に、涼しい場所から沖縄を脅し続けている」。番犬様およびニッポン政府による「差別性の極み」「沖縄だからいいや」が続く沖縄。

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http://www.magazine9.jp/article/mikami/21772/

三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古・高江〉 
28回 墜落事故から11年、ヘリが落ちた日の空は…
2015年8月19日up

 「この基地が危ないままなのは、反対してるお前らのせいだ。またヘリ落としてやろうか?」

 そう言いながらわざと低空で飛んでるのかと思うほど、この日普天間基地の上空では過密な訓練が展開されていた。沖縄国際大学にヘリが墜落して11年になる8月13日。夕方5時半に集会が始まって日が傾いてからも、オスプレイを含む大型ヘリがまるでマイクの音を掻き消すかのように何度も頭上をかすめて離着陸を繰り返した。動画でご覧戴きたい。

 私は37歳で沖縄国際大学の大学院の門を叩いた。民俗学者になる夢は叶わなくても、遅まきながら沖縄の民俗学をきちんと修めたいと、夕方のニュースを終えてから毎日バスに飛び乗って宜野湾市の大学に通った。すぐ隣にある普天間基地のヘリが大学の校舎をバリバリと破壊しながら墜落したのは、卒業してまもなくの夏だった。8月13日。忘れもしない、私の誕生日でもあるこの日、友人と海に行く車中で速報が入り、リゾート服のまま踵を返して自分の大学に駆けつけた。いや、正確に言えば駆けつけられなかった。あちこちにテープが張られ、米兵が「OUT! OUT!」と繰り返し怒鳴るのでなかなか近寄れない。車を捨てて「報道だ!私の大学だ!」と抗議を続けなんとか近づいた現場は、まだもうもうと煙に包まれていてガソリンやゴムが燃えたような異臭が漂っていた。私は近くでその煙にさらされていたが、翌日、防護服を着けた兵士が現場に現れ、はっとした。数名でガイガーカウンターを持って事故現場の数値を計っていた放射性物質が飛散していたのだ。毎日頭上を飛ぶヘリの機体にストロンチウムが使われていることなど初めて知った。知っていれば無防備なリゾート服で胸一杯に煙を吸い込みはしなかった。

 「こんな風に、住民はあっけなく危険にさらされるのか」今まで伝えてきたニュースが脳裏に甦る。いつも米軍だけが知っていて、沖縄県民は知らぬままに被害に遭ってきた江のベトナム村では枯葉剤の後始末を江区民にさせた劣化ウラン弾を撃ち込んだ鳥島の射爆場では、漁師達が知らずに漁をしていた処分に困って土に埋めたダイオキシン、毒ガスや化学兵器の貯蔵も漏れ出して事件になって初めて知る。いずれも、米軍は当然知っているが住民に報告の義務はないのだ

 結局のところ、ここは戦争に勝ったアメリカが戦利品として勝ち取った島なのだから、軍事拠点としてどう使おうがこっちの勝手だというのが彼らの本音。占領意識そのままに、今日に至っているのだ。沖縄戦を生き延びた島民を追い出しはしないが、彼らのルールや人権のために軍の行動が制限されるなんてとんでもないと。そして安保条約と地位協定が、日本国民の基本的人権を保障する憲法の上位に位置してそれを可能にしているのだから、日本政府も見て見ぬふりを決め込むだけ。今の日本で米軍基地と共に生きるというのは、これ程に危険で惨めなことなのだ。いくらパートナーシップとか隣人、オトモダチ作戦とか呼んでみても、不平等な土台の上に対等な関係性が存在するはずがない。米軍が東日本大震災で力になってくれた事実を否定はしない。しかし米軍内部では、あれが放射能汚染された敵国から仲間を救い出すための実地訓練と位置づけられていたと聞いて、原爆の後にすかさず現地に入ってきたアメリカの調査団とダブってしまったそもそも軍隊という組織が友情や愛情をもつなんてあり得ない事だった。

 毎年、ヘリが落ちた8月13日は各地で集会やシンポジウムが開かれる。今年は緊迫する辺野古情勢を睨みつつ、あれから11年、当時は姿もなかったオスプレイ24機が加わって益々危険になるばかりの普天間基地の即時無条件撤去を訴えてデモ行進をした。

 辺野古から島袋文子おばあも駆けつけた。辺野古区民であるおばあにとっては、辺野古に作らせてはいけないというのは、決して普天間基地が今のままでいいという意味ではないという苦しさがあるのだ。だから炎天下、宜野湾の皆さんと連帯したい、共になくしていきましょうというメッセージを送りたかったのだろう。車イスで3キロ近い道のりを共に進んでいった。

 おばあの覚悟。参加した県民の堅い決意。空に突き上げたその拳をあざ笑うかのようなヘリの低空飛行。デモに絡む右翼団体の大音量のアピール…。

 声を枯らし、汗を流して沖縄の必死の抵抗は続く。政府は「普天間を返して欲しいなら辺野古を完成させなさい」と他国が奪った土地を人質に、涼しい場所から沖縄を脅し続けている
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