若尾裕先生著のこの本の出版社,サボテン書房は『音盤時代』の編集長,浜田淳氏が新しく立ち上げられたとのこと.『音盤時代』は文芸誌のような音楽誌で,「音盤時代の音楽の本の本」では拙著「音律と音階の科学」も取り上げていただいた.願わくば私たちのさっぱり売れない著書「視て聴くドレミ」も,どうぞよろしくお願いします.
カットはサボテン書房さんのホームページから拝借しました.
カバーイラストは齋藤祐平氏.
以下,前回の形式,すなわち - で始まる段落はこの本の引用,= はそこから派生した雑感というかたちでとりとめなく書かせていただく.
- 幼稚園の歌はなぜハ長調ばかりなのか,ハ長調はおとなの都合.- 第一章
= 鍵盤楽器がハ長調 (イ短調) で弾きやすいからだが,最近の電子ピアノはピッチ可変.あるいは幼稚園で可変な楽器を採用すればいいだけのことではないのかな.平均律だからどう転調しても大過なしという前提だけれど.それとも電子音はNG?
= ハ長調から何長調に転調すれば良いか,わからない,考えるのが負担になると,先生方に反撃されたりして...
= 複雑な操作も負担.自分たちの経験だが,つい先日ライブ会場に運んできたキーボードが半音低くトランスポーズされていて,これをリセットする方法がわからず,電話をかけまくった.
- へたくその逆襲.へたくそのまま人前に出る,作品を発表する.- 第五章
= パンク・ロックやオルタナティヴが例に挙げられているが,こうした音楽も繰り返し演奏していれば洗練されてくる.うまい・へたの基準が従来と方向がちがうだけで,へたくそとは違うのではないか.
アンリ・ルソーの絵はへたくそか? というのと同じ問題かも.
- 他人の理解は関係ない,バーチャルな音楽はベートーベンあたりから始まっている.最後の3つのピアノソナタとか,弦楽四重奏曲の最後の 3-4 曲. - 第四章
= 年をとれば他人を気にせず好きなことをやる? だいぶ時代が下るけれど,リストの晩年の作品がよく解らなかった.
- むずかしい音楽 - 第四章 に関連して,
= クラシック音楽は黙ってかしこまって聴く,あるいは聴かれることが前提.でも,サティの「家具の音楽」はいわば BGM で,「聴け!」という感じではない.
Bill Evance の Waltz for Debby の録音の,食器ががちゃがちゃいう音は後からわざと被せたらしい.自分の音楽は聴いてくれなくてもいい,でも LP (CD) を買った人にはしっかり聴いてもらえるだろう...という演奏者の屈折した心情 ?
- おとなは立ち入れない子どもたちの文化 : わらべうたは,子どもたちの間で継承されるが,思春期を超えると忘れられる. - 第六章
= ここでいう「わらべうた」って,現在でも,ずいずいずっころばし・かごめかごめ・はないちもんめ などだろうか.こうした歌なら,思春期を超えて久しいがなぜか覚えている.
子供の音域は年を追うごとに下がってきているという話を聴いたことがあります。「ちょうちょう」を例にとってみると、昭和初期のSPレコードでは”頭のてっぺんから出している悲鳴にも似た”声(KeyでいうとG major)だったのが、現在の幼稚園では低い音域(KeyでいうとA major)で歌われているらしい。もっともSPレコードの時代は電気録音が普及するまでは声を張り上げないとマイクが拾ってくれないという技術的制約も鑑みるひつ世がありますが。
ベートーヴェンが「ハンマー・クラヴィーア」を世に送り出したとき世間の評価は惨憺たるもので、さすがに弟子も師匠ベートーヴェンに詰問したらしい。そのときのベートーヴェンの返答は「50年経てば人も弾く!!」だったとか。弦楽四重奏曲の終結章として書かれた「大フーガ」も評価されるようになったのは20世紀に入ってからだった。ベートーヴェンは未来を見据えた音楽家だった。
服部 公一 「子どもの声が低くなる!―現代ニッポン音楽事情 」ちくま新書(1999/12)
という本がありました.半世紀で3度くらい低くなっているとのこと.
- 昔の家は風通しがよく音が発散したが,今は密閉構造で,声を張り上げる必要がない.
- テレビもかっての絶叫調から話しかけ調へと変わっている.
あたりに原因があるという.
この若尾先生の本には,日本では幼稚園・保育園は,こどもは元気でうるさくなければならないという偏見がある.そのために大声を張り上げて歌わせると書いてありました.
音量も音高も似たようなもの,と言い倒してしまえば,幼稚園・保育園は半世紀遅れていると考えることもできそう.
女性の声も低くなる傾向がある?