おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

桜本駅前。(京急大師線・産業道路~JR、京急・八丁畷。その2。)

2014-05-14 22:28:25 | 鉄道遺跡
 《「桜本駅」の歴史》(「Wikipedia」参照)

1945年(昭和20年)1月7日 - 東京急行電鉄(大東急)大師線・入江崎駅 - 当駅間延伸開業に伴い駅開業。
1945年(昭和20年)12月6日 - 川崎市電・浜町三丁目停留所 - 当停留所間延伸開業、大師線と接続。
1948年(昭和23年)6月1日 - 大東急解体に伴い、京浜急行電鉄の駅となる。
1951年(昭和26年)3月16日 - 川崎市電、京急大師線の一部区間に乗り入れ開始。
1952年(昭和27年)1月1日 - 川崎市電、京急大師線の当駅 - 塩浜駅間を買収、川崎市電単独の停留所となる。
1969年(昭和44年)4月1日 - 川崎市電廃線に伴い廃駅。
1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。赤い線が路線。カーブしたあたりに駅(舎)があった。その南側には、「野球場」がある。
 その後、JR貨物の高架線が野球場の南側に建設されている。
 現在、旧駅一帯は、「池上新田公園」として、「池上新田野球場」とともに存在している。

「池上新田野球場」。草野球場として整備された球場。
野球場脇から産業道路方向を望む。
産業道路に面してガソリンスタンドがある。その裏手の微妙なカーブが線路跡か?

GSの裏手に広がる公園。この辺りは、木々が植えられている。右手が野球場。
広場。この辺りも線路跡か?
ささやかな遊具。
「池上新田公園」南西側入口。そのまま「産業道路」に沿って旧線路は続いていたらしい。
歩道と左側の緑地帯。まっすぐ続いていく。
 しばらく進むと「桜本駅前」「桜本」のバス停。

 「市バス」「京急」は「桜本」、「臨港」は、「桜本駅前」。ここに三者のこだわりが・・・。

川崎鶴見臨港バス
 現在のJR鶴見線の前身にあたる鶴見臨港鉄道のバス事業を起源とするバス事業者である。1954年から京浜急行電鉄の子会社となり、京浜急行線・JR線・東急線の駅を発着する路線を中心に、川崎市東部や横浜市北東部を基盤として路線を展開している。

沿革

1931年 鶴見臨港鉄道(鶴見線の前身)、バス事業を開始(鶴見駅西口~東寺尾~綱島間、鶴見駅西口~東寺尾~寺谷角~鶴見駅西口間)
1937年11月 鶴見臨港鉄道が全額出資の鶴見川崎臨港バスを設立
1937年12月 鶴見臨港鉄道が海岸軌道線を廃止し、バスに転換(鶴見駅西口~本山前~潮田~寛政~田辺新田~池上新田~大師河原~大師間)
1938年5月 鶴見臨港鉄道より路線譲受 営業開始
1938年12月 鶴見臨港鉄道と京浜電気鉄道の系列会社、川崎乗合自動車(通称・銀バス)と合併し、社名の鶴見と川崎を入れ替えて川崎鶴見臨港バスとする
・・・(以上、「Wikipedia」参照)

バス停を南から望む。

1970年頃のようす(「同」より)。産業道路(上部は「首都高・横羽線」)と貨物線との間に市電の線路があった。

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