へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

自分に合った水の中で生きる...

2019-12-10 05:24:02 | 本・映画・音楽

(写真はナイルパーチではありません)


【コトのほか悪い?読後感...】

 先週水曜日に借りてきたこの本...
柚木麻子の長編小説を昨日、読みきった。

 レビューにあったとおり...
最初は共感出来た部分もあったけど、なんだか最後は「いったい、この人はナニが言いたかったんだろう?」とワケがわからなくなってしまった。

 直木賞候補に上がっていながら、受賞を逃した理由は、「表現には節度が必要」、要するに書き過ぎたから?

 過剰な表現で、名誉ある直木賞を逃したこの作品は、しかしながら山本周五郎賞を受賞している。


 表現が過剰、書き過ぎ...
というのは、登場人物たちが、自分でも知らず知らずのうちに相手(家族や友人、恋人)を傷つけていき、気がついた時には、取り返しのない状況に陥っていく...

 その状況が、あまりに異常で確かに"オカルト"とか"ホラー"といった読者のコメントが出てくるのも納得...


 そこまでして伝えたかったコトは何だったのか?
読後、考えてわからなくなってしまったので(^_^)、本人のインタビューを拝見🎵



【合わなければ無理して合わせなくてイイ💖】


 その前に、上記の"アッコちゃんシリーズ"(まだ読んでいない「幹事のアッコちゃん」もある🎵)は、胸のすく痛快ストーリーで非常に分かりやすかっただけに、いったい同じ作者が書いたのだろうか?と思ってしまうほど(^_^)


 しかし、本人のコメントは...
言っているコトは、アッコちゃんシリーズと変わらない。


 そう、世の中には、無理して周りに合わせようとしてもがいている人がいる。
"空気の読めない人"や、日本的な"社交辞令の通じない人"にとって、現代の日本社会は生きづらい(^_^)


 かくいう私自身も、空気が読めない人?
確かに社交辞令の通じない人である、と自分で認める(^_^)
「今度、家にご飯食べに来なさい」って言われたら、本当に茶碗と箸を両手に嬉々としてピンポーン押す人です(笑)


 そんな"生きるのに不器用な人"は、現代の日本社会で生きる資格は無いのか?
不器用なりに、周りに合わせて生きていくしかないのか?

 コレは私がずーっと思っていた疑問である。

 その疑問に明確に答えてくれるのが柚木麻子という人なのだ🎵
というコトがわかった🎵(^ー^)💖



【水槽は自分で選ぶコトが出来る🎵】
 あらためてタイトルにもなっている"ナイルパーチ"について考えてみよう。
ナイルパーチは、ビクトリア湖に生息する巨大魚だが、元々は人間の都合で連れてこられた外来種である。

 ナイルパーチとしては、本来、自分が生きるべき水から勝手に生息場所を移された。
不本意ながらも、そこで生きていくには、他の魚と争って食い潰していくしかない。
結局、最後は自分以外の全てを食い尽くして生き残っていく...

 そんなナイルパーチが悪いのか?
というと、そうではない。生きる為にはそうするしかなかった。むしろ、ナイルパーチこそ、加害者ではなくて被害者、というコトになる。


 自分に合った水槽は?自分に合った水は何か?
幸い、人はナイルパーチとは違って、自ら自分の生息する水槽を、水を選ぶコトが出来る🎵


 そうとわかっていて行動せずにもがいている人は多いけど...(^_^)


 あらためて私より一回り以上も年下なのに、間口と奥行きの深い人である🎵
と感服した。

 2020年の目標の一つは、柚木麻子作品を全て読むコト🎵
そうすれば、あらためてこの長編小説の位置付けが明確になるに違いない(^ー^)💖

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北海道弁の不思議🎵 | トップ | 「間合い」は適切に »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。