デジタルサイネージ(デジタル広告盤・表示板・電子ポスター)が地下鉄やJRの構内などに置かれ始めている。
導入に際しての技術的問題や、広告主、設置場所の所有者などから見た、使い方についての意見や
その利便性については多分十分に議論がなされていると思うが、
一方、これを見る側の立場での議論はどうなのでしょうか。 推進する側の動きに対してあまり聞こえてこない
ような気がする。
私が、東京駅や品川駅港南口にずらっとならんだ広告盤を見ながら感じたことは。
1。輝度が高く、目にきつ過ぎること。
前に立つと、強烈な光に思わず目をそむけたくなる。 それと、派手な色遣いでどぎつい。 ブリンキングなどされると
さらに辛い。
2。頻繁に内容が変わるために、見過ごした内容をもう一度見るには、一周待たなければならない。
3。特に品川では、ずらっと並んだサイネージが、一斉に、同じ内容を見せるために、歩いていると
拷問に近い苦痛を感じる。 歩いても歩いても同じ内容が出てくるのでは、これまでのように
様々なポスターを見て歩く楽しみが奪われてしまう。 これは、トレインジャック式の広告も同じであるが、
あれは、見る側にとっては、この上なく辛く、つまらない。 混んだ電車の数少ない楽しみの一つは、さまざまな
広告をみること。 それを、どこを向いても一社の一つの商品の広告しかない電車は、苦痛以外の何物でもない。
4。いつも歩いているところの決まった場所を通れば、いつものポスターが見られるといういわば、街の慣れ親しんだ
ユーザーエクスペリエんスが損なわれる。 ポスターと場所の感覚とは一体になっているのだ。
せめて、場所ごとに、いつも時刻表が出ているとか、同系統の表示を心がけてほしい。
5。カメラで男女、年齢を判別して、該当しそうなものを広告表示するなど、まったく余計なこと。 こちらは、敢えて
はずすことに喜びを感じているのだから。
6。歩きながら物を考えることは、ありませんか。 そんなときに、本当におしつけがましく、邪魔になります。
決めてもらいたいものだ。
まだまだ、ありそうだけど。 ちゃんと考えてくれているのかしらん。