当ブログの2011年5月24日の「生命のしくみ」という記事では、ヨガの「プラーナ」が「霊的な生命エネルギー」であると書きましたが、やや説明不足だったと思われるので、少し補足したいと思います。
まず最初に、生命活動を支えている未知のエネルギーが存在することをご紹介しましょう。
その一例は、インドのプララド・ジャニという男性です。彼は、8歳の頃に女神の祝福を受けて以来、70年以上にわたって飲まず食わずで排せつもしていないそうです。これについては、厳密な検証も行なわれています。
2010年5月10日のニュースによると、インド国防研究開発機構(Defence Research and Development Organisation、DRDO)の科学者たちが15日間24時間体制でジャニ氏をチェックして、その期間中一度も飲食せず、トイレにも行かなかったことが証明されたそうです。
さらに、テレビ東京が2010年10月1日に放送した「世界7大ミステリー 人体の奇跡スペシャル2」では、この実験の総責任者である生理学関連研究施設「DIPAS」のソムナース・シンク氏を取材していて、35人の医師や科学者が監視カメラも使って確認した結果、ジャニ氏が15日間飲まず食わずで排せつもしなかったことを認め、科学では説明できないと証言していました。
ジャニ氏が「生命エネルギー」によって生きているのかどうかは不明ですが、彼のエネルギー源が科学で解明できないことだけは明白です。このことから、生命活動を支える未知のエネルギーが存在することはご理解いただけたのではないでしょうか。
さて、本題の「生命エネルギー」ですが、これは霊的なものであり、科学的に検出することはできないのですが、不思議なことに手のひらで感じることはできるのです。よかったら、ホームセンターの園芸コーナーなどに行って、並んでいる鉢植えの上に手をかざした状態で、手を水平に、あるいは上下に動かしてみてください。
右手で感じない場合は、左手で試してみてください。ちなみに、私の場合は左手の方が敏感です。おそらく、下から吹き上げるような「生命エネルギー」の流れを感じることができるはずです。特に、この時期はバナナの鉢植えが売られているので、そこに手をかざすと、ひときわ強力なパワーを感じることができるはずです。
それでも納得がいかないという人には、次の寓話をお読みいただきましょう。
まだ、光を科学的に測定することができなかった昔のことです。ある学者が光について研究していました。そこに目隠しをした男が杖を使いながらやって来たので、学者が男に「目隠しを外せば光を感じることができますよ」と声をかけたところ、男は目隠しを外すことを拒み、「それは主観にしか過ぎないので、証拠として価値を持ちえない」と言って、学者に「光が何であるか科学的に定義してくれ」と迫りました。学者が、「光は科学的に測定できない」と言うと、男は「光を科学のテーブルにのせるのを拒否している」と言って学者を非難しました。
どんな科学的な成果も、最初は五感による認識から出発し、測定方法をあれこれ工夫して、長い時間をかけて得られるものです。光は、人類誕生の瞬間から感じることができたでしょうが、それが何であるか分かるまでには量子論の完成を待たなければなりませんでした。人類の歴史からすればつい最近のことです。
「生命エネルギー」の謎が解明されるのは遠い未来になるかもしれませんが、それは誰でも感じることができます。唯物論に毒されている人でも、毎日練習すれば1年以内には感じることができるようになるでしょう。ぜひ「目隠し」を外して、まずは感じることから始めてみてください。
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