とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

グリークのピアノ協奏曲あれこれ

2015年08月31日 | LPレコード

今朝PCに電源を入れると立ち上がらない。焦った。safeモードで立ち上げ出てきたコメントを検証していたら突然ダウンして自動的に立ち上がり、出てきた画面はWindows7の当初の画面になった。MSからのリーモートコントロールが解け、当初の7の画面に戻ったのだ。それこそ7月31日にWindows10の申し込みをして以来1ヶ月間、このPCに費やした時間はいかほどだったのだろう。現役時代の給与換算すればとっくに新品のPCが変えた金額だろう。幸い暇をもてあそぶ年金暮らしゆえ頭の体操時間で済んだのだが、1歩作業を間違えたならこれまでのデータ蓄積は消えていたことを思うと、このMS商法は許せない。

とりあえずはデータ蓄積の多いアプリから試してみた。どうも無事のようだ。Window2000時代のofficeも動くようだ。やれやれの気持ちになった。

グリークのピアノ協奏曲に戻ると、この曲はどうしても北欧=寒い=涼しいを連想して、夏場や、厳寒期にイメージングされて聴く曲になるが、今回1933年録音のバックハウスから今年録音のランランを聴くと、国民楽派といわれるがむしろシューマン、ブラームスを引き継いだ曲の思いが強くなった。

ワルトビューレでのランランは、ハリウッドの映画音楽に挟まれての演奏だけに、彼一流のショーマンシップを発揮した演奏で終始したが、この曲の抒情性を最大限引き出したソレコソ、ハリウッドのラブロマンスの挿入曲だった。一方シェーンブルグの演奏でのブッフビンダーの演奏は、今年のタイトルが北欧の音楽ということで、ニールセン、シベリウスに挟まれた演奏ゆえに、主催者の思いは国民楽派のイメージであったはずだが、彼の演奏はブラームスの感性に近い表現に思えた。私にはこちらのほうが好ましいと思った。

(私の手持ち)

(最初に買った25cmのLP:Pf:レオン・フィッシャー Con:ジョージセルOrch:クリーブランド管弦楽団)

 高校生の時に廃番セールのバーゲンで求めたもの。そのためジャケットにパンチの穴があいている。当時はそのあとにおふくろが買ったチャイコフスキーの協奏曲を聴いてこの曲がかすみ、引っ越しの時にセルの他のLPボックスにしまいこみほとんど聴くことのなかったLP。だいぶ前にセルのMozartのLPを聴くとき見つけ出したもので、今回24Bit 98MHzにデジタル変換した。

 今回デジタル化のために聴くと、これぞブラームスを引き継いだ曲であることが明確に思えた。フィッシャーのピアノもセルのオーケストラも構成が優れ、それでいながらブラームスのようなロマン性あふれ素敵な演奏に思えた。むしろこの曲にふさわしい抒情あふれる演奏だ。今回聴いた中では最良に思えたのだが、某雑誌の名盤には載らない。

(その他の手持ち)

正直グリークを目当てに購入したCDはこれだけだ。広上淳一とノールショッピング交響楽団とデーウィンガーのピアノだ。たまたま日本人の指揮者とグリークの初稿版にひかれ購入したのだが、ピアノはランランとは比較にならないほど地味な演奏だが、広上のバックもすぐれている。他国の演奏には厳しい英国のペンギンガイドでは現代感覚に満ちた知的な演奏と評して3星マークだが、かつては自国演奏者に厳しい某レコード芸術なる雑誌では無視された。

ルービンシュタインのブラームス2番との抱き合わせで購入。2番はモノ録音ながら聴きやすい音で文句なく名演奏といえる。好きなミンシュが好サポートだがグリークは音がいまいち

バックハウスの1933年の演奏は音は貧弱だがブラームスの延長戦の音楽であることをしめしているが、音が悪い。これはバルビローリの演奏を集めた組もので抱き合わせのシベリウスの2番が聴きもの。

シューマン。フランクとの抱き合わせだが、その中では音がまともで聴ける演奏で、音楽が明るく感じるのは「イタリア人」だからか?

 

 

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