コチドリの子チドリが気になり多摩湖に行った。
コチドリのヒナが元気に湖岸を走り回っていた。しかし今日は堤防上に元気な人間のヒナたちは見当たらなかった。
抱卵中のコチドリが選手交代をしていた。どちらが雌雄かの判別はつかないが?子育ては雌雄平等で関わっていることは間違いない。
コチドリは卵からかえると数時間で歩くそうだ。言われてみるとヒナの足は親鳥の足とそう変わらない大きさだ。
ヒナが水際に近寄ると鯉が寄ってくる。するとすかさず親鳥が来て鯉を追い払う。鯉はヒナを襲うのだろうか?
狭山湖に行くと、なぜかヒナのいない狭山湖のコチドリは寂しそうだったスズメのお宿(四阿)柳瀬川の丸ガモ
ホオジロ、ヒバリもいたが、子育て中なのかすぐに草むらに入り込んでしまった。
午前中で引き上げ、、午後は録画した映画「オデッサファイル」を見た。F.フォーサイスはサラリーマンになってみた映画「ジャッカルの日」ではまってしまい、その後の作品は、文庫本化されたのを通勤電車、出張中の空き時間に読み続けた。しかし映画化されたものは「ジャッカルの日」以外は見ていない。彼の小説の面白さは、虚実皮膜ではないが、事実としての資料を丹念につなぎ合わせてのストーリーの展開が、「ジャッカルの日」では映像がより一層それこそ「手に汗握る展開」をしめし、素晴らしかったが、それで終わってしまい、原作を読んだときに映画では描き切れない資料と資料の間の自分なりの推理の楽しみが飛んでしまったことを知り、その後の映画は見なかった。たまたまNHK-BSの音楽番組を録画予約しようとしたとき偶然「オデッサファイル」を知り、予約した。そして今日見たわけだが、感想としては、この作者の一番の魅力は「事実としてのデータ」の重みがすっ飛んでしまい、2時間サスペンス=映画としてのまとめからやむを得ないことだが=あまりにも、親の仇うちに終わらせてしまった印象が強く残る結末はいただけなかった。
作者が一番言いたかった、国際政治のパワーバランスのとらえ方が消えてしまい、冒頭のケネディー暗殺が意味したことが最後と結びついていないのが残念だった。
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