とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

5月29日 高校クラス会旅 その3 犬山城ー岐阜城ー長良川の鵜飼い 

2019年06月02日 | 高校クラス会

 私は、クラス会本体の前日に岐阜入りし、クラス会のツアコンのU氏にお願いし、連泊の手配をしていただいた。今回の宿泊はJR,名鉄岐阜駅から等距離のホテルリソル岐阜。初めてのホテルだった。朝カーテンを開けると11階の窓辺から、岐阜の町が一望でき、岐阜城を見ることができたが、地上を見ると、岐阜の主力産業の衣料問屋街の衰退が、虫食い状態のコイン駐車場の数が物語っていた。朝食を取りに食堂に行くと、白人のツアー団体客が過半を占めていた。バイキング料理には、飛騨牛カレー、鮎の塩焼き、etc等ご当地食材が並んでいたのはうれしかった。正直貧乏人根性丸出しで、朝食とは思えぬ量を取り朝からカロリーオーバーになった。

 クラス会本隊とは名鉄犬山駅での待ち合わせの為名鉄岐阜駅に向いエスカレーターで登りホームでたが、そこは名鉄名古屋方面で駅員さんから階段を下りて下さいと言われた。電車の行き先表示版は中京圏に縁のなかったものには方角さえ検討の付かないものだったが、どれもが犬山に行くとのことで予定した時刻の電車で行った。

 名鉄はすぐにJR高山線に並行して走り、各務原(私にはカガミハラとは読めない)に来ると、日本の航空機産業の地であることをジェット機の音で自覚した。 犬山駅に着き本体の到着を待っていると、不意に肩をたたかれた。多治見在住のT君だった。勝手にT君は名古屋で本体と合流してくるものと思っていた。かつてT君宛てに送った宅急便の恥ずかしい記憶がよみがえった。デパートであて先を多治見市から入れたところ店員さんから県名も書いてくださいと急に言われ、愛知県と記入しそのまま処理された。その後T君から、「多治見は岐阜県ですよ。もっとも大学の研究室にも愛知県多治見市で郵送物がきますから」と慰めのメールが届いたのだが、カミサンからは、「「毎年夏になると、暑さ日本一の岐阜県多治見市」と放送されているでしょう、あなた、認知症の検査をうけたら。」とぼろくそに言われてしまったのだそんなこともあり、改めて、多治見から犬山までのルートを聴くと、名古屋に出ずにJR太田線で可児経由で名鉄乗り継ぎで犬山のルートを知った。最近地図を使うのはカーナビとグーグルマップで、県境の意識が薄れていることを思い知らされた。逆に狭い日本、道州制で良いのではとの思いも強くなった。ほどなくして本隊到着。T君の先導で犬山城に、残念ながら如庵は修復工事の為見学できずに、名鉄犬山ホテル昼食を取り、名鉄で岐阜に出た。

第二次大戦での、名古屋の壊滅的な空爆の中、至近に小牧、各務原と軍事拠点がありながら空襲を免れ、修復を重ねたとは言え、濃尾震災、伊勢湾台風と日本史に残る災害にも耐えたのは奇跡に近いことなのだろう。

岐阜ではすぐにホテルリソル岐阜に本体全員がチェックインを済ませ、タクシー分乗で岐阜城に向かった。

鵜飼見物の前に夕食を取るため岐阜の歴史景観を再現した河原町にある文化屋に行った。ここにたまたま現役のT.T君が名古屋で仕事で来ており急遽、飛び入り参加となった。古民家移築の趣のあるレストランで料理も手ごろな値段でなかなかだった。

 酒も入り、料理もおいしく腰の重くなった御仁たちは、鵜飼舟の乗船時間に間に合うか幹事長のS君をやきもきさせながら、出航時間になんとか間に合い、今回旅行のハイライトを楽しんだ。

花火の合図とともに鵜飼は始まったが、シーズン初めとあって、不漁ではあったが、私には初めての経験でもあり、楽しんだ。

 そのあとはT君の教え子の紹介による柳ケ瀬の店に有志達は繰り出したが、?????あとはおぼろ・・・・・

 


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