とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

所沢ミューズでバッハのマタイを聴く

2015年04月05日 | 所沢ミューズ

所沢ミューズで、バッハのマタイ受難曲のコンサートがあった。このところ街中に出るのが億劫になり、なにかにかこつけて用をたすことにしている。そんなことで16時からのコンサートだが、昼飯を兼ねて昼前に家を出た。

我が街の桜は曇り空だが満開できれいだった。最初の用は食事をしてデパートで買い物して、そのあとドコモショップで、携帯の解約手続きだか、これは解決した段階でUpしたい。とにかくトラブルだった。そのあとは歩いて航空公園に行くと賑やかだった。看板は「市民文化フェアー」となっていた。何かしらじらしい文字だ。公園法の規定をクリアーするための役人の知恵なのか?素直に「市民お花見大会」とすればよいものをと思った。露店も出て食べて飲んで踊って歌っての大会だ。平和とはこういうことなのだろう。

ミューズに向かう。公園のにぎわいとは裏腹に、出足が鈍いようだ。今日のコンサートは、中学生の時からクラシック音楽を聴き続け、それこそ1度は生で聴きたいと思いながら機会に恵まれず、やっとありつけたコンサートだった。最初の演奏者全員の演奏合唱、そしてミューズ自慢の大オルガンが鳴り響き、これだけでも「今日の元はとれた」と思ったが、このあとは、興奮状態になった。正直これまでに何度コンサートに足を運んだことだろう。しかしこれほどの感動は味わったことは正直なかった。

学生時代から、自分の信条としては「宗教は阿片」の思いは強い。今現在世界で起こっている戦争の火種は根本は「貧困と無知」だがそれを正当化するために「宗教」が使われている。バッハの音楽はドイツプロテスタントための音楽で生涯その人生を教会とともに過ごしてきたにもかかわらず、その音楽は根底にある教会音楽を超えている。私のように宗教心の全くない者にも、このキリストの受難の物語の語りかけるものは、人類が創造した「音楽美」の百科事典に思われる。それを鈴木氏とBCJのメンバーは一つ一つ提示してくれた。それは、少人数でありながら、スケールの大きな、躍動感のある演奏で、全員がソリストであり合奏(合唱)者でもある、個と全体が見事なまでに融合し大宇宙を作り出していた。3時間に及ぶ大曲だが、家でこの曲を聴くときは、途中何度もお茶が入らないと続かないが、今日の演奏は3時間が本当に短かった。

それにしても今日のお客の入りはさびしかった。しかもこれだけの演奏に、チケットの売り出しは最初から3階席をクローズしたため。私のお気に入りの指定席は買えなかった。現所沢市長は「音楽のある街づくり」をキャッチフレーズにしているが、今の市長に責任はないが所沢ミューズはそもそも「所沢市」には不釣り合いな施設なのだろうか?交通不便、周りにコンサートの余韻を楽しむところもなく、夜の帰りは厳しい。プログラムを見ると 主催者の名が以前は(公財)所沢文化振興事業団から所沢ミューズに変わっていた。この名称変更は何を意味するのだろうか。所沢ミューズの名称は、「単なる3つのホールの賃貸業ですよ」ということか。だからお客の入りなどはどうでもよいことで、あいてる時間帯は、宗教団体の集会、各種企業の宣伝販売行為、何でもありですということか。人だかりはその主に多いのも事実だが。

 所沢市の周辺には県立芸術高校、音楽大学がある。すくなくとも、それら学校には特別学割があってもよいだろうし、当日空席があれば、学生証提示でどこでも1000円券等、出来るはずだ。周辺自治体を見ても、土建屋行政残存だらけだ。そうした意味では共催も視野に入れて、演目に合わせた会場選択をし、共催自治体には、電車賃割引制度とか何か行動を起こすべきだろう。

それにしてもこの日の鈴木雅明&JCBは素晴らしかった。そして音楽において世界文化に貢献している、彼らの業績は、小澤征爾、内田光子に匹敵するものであろう。大勲位菊花賞を得た我が国首相の国際貢献に比べその評価の少なさが、日本がまだ文化小国のままであるあらわれか?そして「国際貢献」を叫び、法をまげてまで「わが軍」を海外へ向かわせようとする、シンゾウ君の脳みそは右側に分化してきているのだろう。と航空公園駅までの道のりが、熱い感動を味わった分だけ人の流れの短さに寒さを感じた昨夜だった。

(私の手持ち)

 LP時代

1973年当時はやった「教養」文庫的なLP二枚組の中央公論とフィリップスレコードのコラボによる世界音楽全集の中の1枚で、オイゲン・ヨッフムとアムステルダムコンセルトヘボウのマタイ名曲集的なダイジェスト盤だった。

同年にある意味メンデルスゾーンの蘇演に匹敵すると言われた第二次世界大戦末期のメンゲルベルクの実況録音ダイジェスト版を手にした。上記の淡々と流れる音楽とは別物の、戦時下の緊張感というのか激しい起伏にダイジェストながら驚かされるが、この音を3時間聴く気にはなれず、たまたまヨッフム盤が1979年に廉価盤で発売されるや全曲盤を入手した。

この全曲は、いわば「おばあさんの昔昔の物語的」な、それこそたんたんと音楽が流れしかも歌手、ソロ楽器、コーラス、オケともに美しい。今もって飽きのこない演奏で、24Bit 96kHzにダビングして聴いている。

CD時代

世評の評価はリヒターの59年盤が名盤の誉だが、私は音楽ドラマとしてとらえると、この79年盤は役者がそろっていると思う。宗教観を持たぬ者にはこのドラマチックな演奏が、ヨッフム盤の昔話の語りの対極で面白い。

安売りCDでバッハのオラトリオ全曲集のマタイ、ヨハネ、ルカ(偽作といわれる)マルコを興味半分で購入したが、散財しただけだった。

DVD時代

NHK放映をD-VHSからDVDにダビング

第6回サイトウ・キネン・フェスティバル松本。
録音:1997年9月 長野県松本文化会館
ジョン・マーク・エインズリー(T)
トーマス・クヴァストホフ(Bs.Br)
クリスティアーネ・ウルツェ(S)
ナタリー・シュトゥッツマン(A)
東京オペラシンガーズ 他 

ある種Japan Quality として鈴木&BCJの対極の表現。これもBach 私は受け入れる。

NHK放映をDVDにダビング

 聖トーマス教会800年記念演奏会の実況録画、その前にトーマス教会のドキュメンタリーもあり面白く見たがそれ以上でも以下でもない。記録

今思うに、上記を聴いて思ったことは、今日の演奏はそのどれもより感動を与えてくれた。間違いなく、世界の人々に感動をもたらすであろう素晴らしい演奏を聴けたことは、何はともあれ主催者に感謝すべきであろう。

 

 



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