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定年ジジイの夕焼け人生

朝日ほどの力強さはなくてもいいが、人生の黄昏期をせめて夕焼けほどに輝いていたい。

旅日記(2)-圧倒的な入道雲

2008-07-27 08:12:18 | 旅行


こんなに沢山の入道雲を見たのは何時以来のことだろう。

太筆にたっぷり白い絵の具を乗せ,青いカンバスに一気に塗りたくったような積乱雲が、山並みの尾根から湧き上がり、大空を圧している。
その圧倒的なエネルギーは、地上での人間のちまちまとした小さな活動など問題にしないようにも思える。

数年分の入道雲を2日間で見た気がする。



こんな美しい風景を忘れていた自分が恥ずかしい思いだった。

十分にフリーの時間が取れる今こそ、たまにはこんな入道雲や、ずいぶんと長い間忘れていた日本の大自然を見に行くことにしよう。


旅日記(1)-暑い旅だった。

2008-07-26 09:09:45 | 旅行
 只今の気温36度。恵那駅前。

青春18切符を使っての今回の旅行は「暑い旅」だった。
旅を通して何時も暑かった。
定年になって、真夏の猛暑にあえて何かをする必要もなくなった。暑さに逆らってまで長時間の外出などしなくなっていたことを今回はっきり身にしみて自覚した。

 昼下がりの町。

小淵沢という駅で乗り換えたが、あえて連絡便を一本やり過ごし、町を歩いてみた。
まったく見知らぬ田舎の町のつもりであったが、遠い昔中学生だったころ、八ヶ岳の下山口として来た事があったのを思い出す。50数年前のことだった。

真夏の昼下がりの照り返す太陽を避けて、町の通りには全くといって良いほど人影がない。
白く焼けたアスファルトの路面を、真夏の太陽が作る短い影を踏んで無人の街を歩いていると、フッと今がこの世のものとは思えないような錯覚に襲われる。

照りつける真夏の太陽をじりじりと背に受け、アスファルトからの照り返しで足元が焼かれながら歩いていても、それ程暑いと感じないし、汗も出ない。
それがどうだ、木陰や喫茶店などで一休みし、ホッとすると、汗が一度の噴出して来る。拭いても、拭いても止まらない。熱が体内から湧き出してくる。

暑い!と思わず口に出してしまうのは、こんなときだ。
ずいぶん久しぶりにこんな感覚をもった。何か新鮮ささえ感じるほどに遠い感覚に思えた。


リュックを買った。

2008-07-14 08:47:37 | 旅行
リュックサックを買った。

 大型スポーツ店に行き、リュックサックをかった。

もう半世紀以上前、高校の山岳部に所属し、10日間以上かけて南アルプスを北から南端までを縦走するような本格的山行きをしていた。
大型のザック(当時リュックサックと言う呼称はハイキングなどに行く女子供用のものだと馬鹿にしていたものだ)を、厚めの帆布で特別仕様でスポーツ店に作らせ、粋がっていた。
荷物を入れると角ばった、横に大きく張り出すような格好をしていた。
当時の汽車の狭い通路を歩くときには、横向きに歩かなくてはザックの横幅が邪魔なので、蟹のように横歩きしたものだ。

そんなイメージを抱いてスポーツ店に行ったのだが、同じような格好のリュックは、マイナーな存在であった。そのリュックには「林間学校用」に最適とあった。どうも昔我々が山に持っていったザックの形は、今では子供用のリュックの形になってしまったようだ。

結局写真のリュックを買った。

この夏は、このリュックを背負って、「青春18切符」と安宿に泊まりながらの旅をしてみようと思う。




人類の大移動

2007-12-21 08:23:22 | 旅行
先日メキシコ・ユカタン半島のマヤ遺跡で、白砂に打ち寄せるカリブ海の波をじっと眺めながらボーっと考えていた。

ここで千数百年前に文明を開花させていたマヤ人たちは、我々日本人と同じモンゴロイドであり、ずっと昔に、はるかなアジアから渡って来た人たちである。
何時ごろ、どんな目的を持ってこんなところまでやってきたのだろう?

遺跡とは、歴史にそれ程造詣の深くない小生のような者にも何かノスタルジックな感情を刺激してくれるようだ。

現代人類、ホモ・サピエンス・サピエンスは20万年前にアフリカで誕生し、そのあと10万年間くらいはアフリカに留まっていたが、何を思ったのかその後ホモ・サピエンス・サピエンスの一部が脱アフリカを試みたようだ。

アフリカを出た彼らは、中近東あたりでさらに5万年くらいエネルギーと貯めていたのだろう、人口も増大しただろう、分かれて西と東に進路を取った。

西に向かった者達はヨーロッパに到達し、そこでクロマニオン人となり、現在のコーカソイドの祖先となった。

東に進路を取った人々は広大なアジア大陸でモンゴロイドの祖先として進化したようだ。
さらに南に向かう者と北に進むグループに分かれた。南に向かった一行は、中国南部、インドシナ半島から、海を経てインドネシア、オーストラリアに進み、さらには舟をよく操り、ミクロネシアの島々にまで移り住み、はてはハワイにまで達したようだ。この人々の一部は海岸、島づたいに日本にも移り住んだようだ。

北に進んだ人々は、中国北部、シベリアに進出して、寒さに強い身体と生活様式を作り上げて行った。その人たちの一部が、やはり北方から日本にも渡ってきた。

2万年ほど前は氷期で、海岸線が現在より相当に後退していたから、寒さに対する抵抗力を付けた人々の一部が当時陸続きであったアラスカに渡った。
1万2千年くらい前になると地球は一気に温暖化し、アメリカ大陸の北部を埋め尽くしていた氷床がとけ、南への通路が出来た。その通路を通って人々は一気にアメリカ大陸を南下し、1,000年というごく短期間に、南米大陸の最南端まで到達した。勿論この間、海岸沿いに舟で南下したグループもいただろう。
アフリカを出て、ホモ・サピエンス・サピエンスは実に50,000キロという長い道のりをアメリカ大陸の南の外れまで旅をしたことになる。

その一部の人々で現在のメキシコ、ガテマラに留まった人たちが、2000年位前にその地で文明を開花させたのがマヤ文明だった。

なんとも長い時間と道のりであったろう。
人間は何を思って、想像を絶するような苦労を乗り越えてまでして、先に進んでいったのだろう。

波を眺めながら、ふっと壮大なロマンに思いをはせた。








トルム遺跡

2007-12-20 08:29:05 | 旅行
Facsination号は、キーウェスト寄港の翌日メキシコ・ユカタン半島の北部に浮かぶCozumel島に入港した。有名な観光地のカンクンから車で1時間ほど南下したところに浮かぶメキシコ最大の島だそうだ。
海の透明度では世界一といわれるほど綺麗な海でダイバーに人気のあるところ。

我々はここからフェリーに乗り40分ほどで対岸の本島のPlaya del Carmenという町に着いた。



そこでバスに乗り換え、ユカタン半島のマヤ遺跡の一つであるトルム遺跡に向かった。
車で一時間程度の行程であるが、その間道路はまったく起伏のない、低木しか生えていない地帯を通過する。ユカタン半島はその大部分が石灰岩地質であり、厚い土壌がなく、木は根を深く張れず、ハリケーンにより簡単に倒されてしまうため大木が育たない。

また半島には地表川がまったくなく、すべて地下水道としてしか水は流れていないそうである。その地下水道の一部の上層部地殻が雨などで浸食されて破壊され、地上に水面が現れているところがあちこちにある。それを「セノーテ」と呼び、太古より人々の生活水として使われてきた。

この地に4世紀頃から文明が出現する。マヤ文明だ。ユカタン半島と現在のガテマラにかけて10世頃まで(最終的には14世紀頃まで)続いた文明だ。ユカタン半島のマヤ文明はこのセノーテを中心にしたもので、幾つかの遺跡が残っている。

トルム遺跡はそれらのうちの一つで、石造遺構を中心にした遺跡だ。



遺跡は三方を石積みの外壁で囲まれ、一方はカリブ海に面している。



波が遺跡の真下まで打ち寄せ、所々白砂の海岸があり、今では観光客の海水浴場となっている。
マヤ人たちは千数百年も昔、どんな思いでここに石を積み上げていったのだろう。
ゆったりと浮かぶ雲と、暖かい微風と、白い砂浜に打ち寄せる波を送り出している青い海をゆったりと眺めていると色々な想像が浮かんでくる。



太陽の光で暖められた太古の石積みの上に、腹を温めているイグアナがあちこちにいた。保護色だから注意してみないと分からない。


キーウェスト

2007-12-19 08:23:51 | 旅行
今回のカリブ海クルーズの寄港地の一つがキーウェストであった。



キーウェストへは通常マイアミから車で5時間ほどのドライブだ。
マイアミから南西にさんご礁の島々を延々と500Kmにわたって橋ででつないでおり、その終点がキーウェストと言うことになる。
冬でも暖かく、アメリカの避寒地として知られているし、ヘミングウェイが二番目の妻と過ごした地としても有名である。

ヘミングウェイの住んでいた木造2階建ての白亜の家は現在博物館として一般に開放されている。



彼はこの家で、キューバに移り住むまでの8年間を過ごし、トローリングなどを楽しみながら多くの小説を書いた。
彼は漁船の船長から貰い受けた猫を可愛がり、その子孫の猫たちが数を増やし今もこの屋敷に住み着いている。最初の猫は6本指の足を持っていたそうだ。現在いる猫の中にも6本指の猫が相当数おり、現に確かに指の多い猫を何匹か見ることが出来た。



ここから徒歩で20分くらい行くと、海に突き当たり、そこは米国の最南端として知られている。
Southernmost Pointといい、名所になっている。



ここからキューバまでわずか150Km。
まちにはキューバ系をはじめラテン系の人たちが多く住み、スペイン語が飛び交っている。これはマイアミでも同じだった。




Fascination号

2007-12-17 22:52:35 | 旅行


ごく短期間のカリブ海クルーズを楽しんできた。

半世紀に近い昔船乗りだった頃、いずれ乗客としてのんびりした船旅をしてみたいと考えていたが、その思いをほぼ忘れてしまった今になって、期間的には十分とはいえないが、何とか本格的クルーズの一端を経験できた。

カーニバル社のファッシネーション号と言う名の70,000トン強の本格的客船だった。
船室は奮発してバルコニーがついたペントハウススイートを取った。37㎡の部屋にキングサイズベッドとソファが付き、風呂にはジャグジーまで付いていた。



ドアを開けて船室つきのバルコニーで、ソファに横になった、暖かい風に当たりながら、流れる雲と水平線まで何もなく続く海をのんびり眺めていれば、別世界となる。




乗客数は2,000人。それを1,000人のクルーが面倒を見ている。
夕食はダイニングルームでコース料理が出る。朝と昼はビュッフェ形式で、好きなものを好きなときに食べる。それ以外にも何時でもルームサービスを無料で取ることも出来るし、軽食やバーは24時間開いている。
残念なことに、この歳になるとこれらのサービスを十分に満喫できない。




先客を飽きさせないように、船には十分なエンターメントが用意されている。プールもスライダーつきであるし、種々のイベントが開催されるシアターもずいぶんと大きい。
乗客を単調な航海で飽きさせないのが、これらのイベントだろうが、今度に様に短いクルーズでは、船の内部がどうなっているを理解した頃は下船となってしまう。

船旅も一度は経験してみることは悪くないと思う。


そうだ 京都、行こう。

2007-07-04 09:16:01 | 旅行
ほぼ5年ぶりに京都に行ってきた。

       

京都は、どの季節でも、どこに行っても楽しめるが、
降りみ、降らずみのこの季節は、観光客の一番少ないない季節だ。
しかし今京都はしっとりとして、一年で一番落ち着いた、ゆったりと出来る時ではなかろうか。

まだ新緑とも言っていいほど初々しいカエデの葉が雨に濡れ、浅緑を浮き立たせているし、しっとりと水を含んだコケは時折さし掛ける日の光に輝きを増す。

まる2日間をかけて、気の向くまま、ゆっくりと歩いた。
幸い歩いている間は、傘を差すこともなく、足元に気をつけることもなかった。

嵯峨野を足の向くままゆっくり歩き、大原まで脚を伸ばし、三千院と、抹茶を頂きながら窓越しにゆっくりと庭を眺めた宝泉院も良かった。
普段なら観光客でごった返している祇園、二年坂、三年坂経ての清水寺もゆっくりと歩くことが出来た。

桜、紅葉、雪の京都は確かに美しい。しかし人出の少ないのんびり、しっとりした今の京都もお勧めだ。

 

  


Shiraito Watefalls, Fuji 5 Lakes and Osino 8 Ponds

2007-01-22 19:29:15 | 旅行
I accompanied with Mr.Kimata taking Natalie of Eigo-mura drove to the Fuji 5 Lakes district today.
As I had heard Natalie's wish of having a look of Mt.Fuji during her stay in Japan, we went to the district, though the weather was not perfect.
Actually the mountain was hiden by clouds almost all the time today but appeared partly sometimes and showed its whole shape a few times.

I think she could takes some photos of Fuji-san to complete her visit the district.

The last part of our today's visit was "Oshino-Hakkai" or the 8 ponds in Osino, which is the place famous for the wonderful view of Mr.Fuji especially in the winter season.
This picture was taken there.