夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

マプアナ

2015年04月11日 | 音楽


学生時代、本場ハワイ産のLPレコードは神田のレコード社くらいでしか入手できなかった。
巷のレコード屋さんには国内発売のものしかなくてもっと違うものを探したい思いが強かった。

しかし当時3千円近いLPレコードは買えないし、中古レコード屋さん巡りで良さそうなレコードを探したものだ。
中古レコードとして出回るものはたくさん売れたもの、「ドン・ホー」とか「Hawaii Calls」など、そして「アパカ」もの。

「アルフレッド・アパカ」は、1919年3月19日生まれ、1960年に40歳で早逝した。
ヒルトン・ハワイアン・ビレッジの創設者が惚れ込んで専用のライブスペース「Tapa Room」を作ったり、レコードレーベルまで立ち上げたようだ。

LPレコードに針を落とすと意外に音質が良い。
もちろん今のような低音をブーストしたものではないが、全体に中高音がきれいにミキシングされていてソフトだ。

何より声がソフトで、歌い方が丁寧だ。
「私、うまいのよ!」「英語の発音いいでしょ!」てな御仁にはぜひ聴いていただきたい。

そして耳の良い方はスティール・ギターのサウンドに注目する。
「Jules K Ah See」という人のセンスの良さを感じ取るはずだ。

スティール・ギターは結構難しい楽器だ。
「バー」と呼ばれる鉄の棒で弦を押さえて音程を決めるわけだが、これがなかなか正確に定まらない。

カントリーで使われる「ペダル・スティール」は調弦をペダルで変えられるためコードチェンジが容易だ。
一方でハワイアン・スティールは固定された調弦でマイナーコードなど出さなくてはならない。

その調弦もマイナー基調にすれば都合が良いのだが、ブライトな響きを求めるとメジャーのチューンがいい。
そこでダブル・ネック、トリプル・ネック、フォー・ネックが生まれることになった。

この時代「ハワイ・コールズ」ショウが流行った頃の「テンポ」は、やろうとすると案外難しい。
せっかちな日常に慣れきった人間には、あまりにもゆっくり過ぎて我慢ができないのだ。

しかしデジタルで便利なこの時代に、アナログでゆっくりしたテンポに親しむのもいい。


「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」

ドイツは戦時中の罪を自らの手で裁判にかける機関を作り贖罪の道を歩いたという。
日本はそれをしていないからアジア諸国の眼が厳しいという意見があった。

政府が自衛権の行使を、沖縄の米軍基地をなんとかしようとしているこの時期に、天皇両陛下がパラオを訪れた。
南方の諸島で日本軍は大変な犠牲者を出してまだ本当に解決していない問題が残っている。

海底に沈められた旧日本軍のタンカーからの油漏れの不安が報道された。
「もう戦後の補償はしたから関係ない」では済まされない。

戦争は時の政治が起こしたこと、今はその後始末を現政権がしている。
でもどちらも我々の税金で賄われていることに矛盾を感じないだろうか。

脱線したが、太平洋諸国は我々日本国の同胞だという意識が必要だと思う。

アパカ氏の声が素敵だというだけでなく、彼が我々と同じルーツであるポリネシアのルックスであることも大きな魅力だと思う。

今宵、マプアナよ、




Alfred Apaka: Mapuana

My Rose Of Waikiki by Jules Ah See

Alfred Apaka Hilton Hawaiian Village

Alfred Apaka, "The Golden Voice of Hawaii," honored at Waikiki tribute