夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

憧れる頃、邂逅と卒業

2015年04月22日 | 音楽


学生時代、銀座「タクト」での珈琲一杯は貴重な時間を過ごすことができた。
老朽化した建物の入り口を入るとリーゼントの従業員が一人、ミュージックチャージ込みの数百円で一杯の珈琲を注文する。

1階席と2階席があって、中二階にステージがある。
往年のライブスポット最盛時代を過ぎた70年代、使われなくなった3階フロアが、ミュージシャンの楽屋代わりだった。

昔風の木造の階段から2階席を上がる観客と中二階のステージへ向かうミュージシャンがすれ違う。
ハワイアン、カントリー、ブルーグラス、など小編成のバンドが一ヶ月のライブスケジュールを埋めていた。

特別なイベントがない限り、日中のライブは若手ミュージシャンが、夜は名の知れたミュージシャンがライブを務めていた。

60年代この中二階のステージをめがけて階段を駆け上がるミュージシャンを見て、高校生だった尾崎さんは「これだ!」と思ったという。
ライブスポットを掛け持ちする売れっ子ミュージシャンが、ステージ衣装のまま階段を駆け上がり演奏を始める姿が「カッコイイ」と思ったに違いない。

以来尾崎さんはハワイアン、カントリーの道を歩むことになった。

学生時代お金もないのにここへ通ったのは当時のミュージシャンへの憧れからだ。
わずかな入場料で現役のミュージシャンと会えるし、どんな機材を使用してどのような演奏をするかが見られるし、勇気を出せば質問しにいくこともできた。

ポス宮崎さんのバンドにいたベーシストの方がGibsonのチャンネルセレクターのついたベースを使ったり、若手のミュージシャンがムスタング・ベースを使ったりと。
機材の情報入手と奏法の研究、演奏曲目やアレンジの勉強をするのに珈琲一杯付きで数百円は安いものだ。

学生時代の後半、中国地方で一ヶ月の「箱」の仕事を受けた。
駆け出しのフォークグループやらカントリーロックのバンドなど様々なミュージシャンが東京から送り込まれてくる。

故大橋節夫さんとお会いしたのはこのライブ施設だった。
バックミュージシャンにかの有名な中村兄弟がいて素晴らしいバッキングを見ることができた。

お兄さんがギターを弾き、時にキーボードを弾いたりしていたようだ。
弟さんが「ELK」のジャズベースを持っていらして素晴らしいグルーヴを繰り出していた。

さて加山雄三の若大将シリーズの映画を見ていたらまさに若かりし頃の大橋節夫とこの中村兄弟が出てきた。
お兄さんがピックギターを弾いて、弟さんがウッドベースを弾いている。

そして中村お兄様が昨年他界されたことを聞いた。

尾崎さんは中村兄弟との接点があったようでTV報道の際に弟さんが出ていらした。
私の住む沿線にいらっしゃるようで一度お会いしたいと思いつつ時間が過ぎてしまった。

お会いして尾崎さんの思い出とベースのお話を伺いたいものだ。

若い頃憧れてお会いして、やがて音楽は少しばかり異なる方向へと遍歴を続ける。
そうして時間を経て、またなんらかの因縁が出てきたりする。


2008年の大橋さんの映像に尾崎さんが出ている。
そういえば、尾崎さんの命日が近づいてきた。

合掌。









大橋節夫ファイナルコンサート/没後7年追悼

赤いレイ/大橋節夫とハニーアイランダース

タヒチの夕陽 Tahitian Sunset 加山雄三