「加害者がもし、罪を償えると思っているのなら、それは傲慢だとおもうし、言い逃れでしかない」
「法律は正義ではない。」
偶然、テレビ欄で見つけてビデオに撮っておいた番組。第13回FNSドキュメンタリー大賞の大賞作品に選ばれた関西テレビの作品「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」を、少し前に見ました。
あの、神戸で起きたとても悲しくて辛い事件から、もう7年も経っていたのですね。
この作品は、被害者の男の子のお兄ちゃん(当時中学生)にもインタビューをしたという、とても驚きの作品でした。
加害者は医療少年院で精神科医の先生や様々な専門家に囲まれて、社会復帰できるように「更生」という名の教育と保護を受けているのに、かたや、被害者家族はほぼなんの保証もされない。ある日突然、家族が奪われてしまった状況を納得できるはずのないときに、特殊な事件だ!といってマスコミはまるで犯人を追いかけるように家に押しかける。
加害者と同じ中学校に通っていたお兄さんは、あの事件のあと学校の門をくぐることができなくなったのだそうです。今も、毎週ご両親が通う、弟さんのお墓参りに彼は同伴しません。
「あの石の塊がなんなのかわからない。怒りで気分が悪くなる」と。
ディレクターの「罪を償うとはどういうことだと思う?」の問いかけに、彼は
「自分はあの時何もできなくて、これまで何もしてこなかったので、正直なところ一生償えないと思います。けれど、罪の意識があった方が弟の思い出は消えないので・・・」
と、答えます。問いかけは、「加害者の償いをどう思うか」であったのに、彼は自分の罪と一瞬でとらえている。これが、ほんとうの被害者の家族の苦しみなんでしょう。
「自分でも罪は償えないと思う。あの時、一緒に出かけていれば、自分がちゃんとしていれば。自分が守ってやることができなかったので・・・そこが自分の罪だと思っています。」
少年法。加害者が子どもだからというだけで、まったく被害者家族にも事件の「事実」が伝えられない。裁判にも立ち会えない。公開されない。お父さんは「犯罪被害者の会」で活動をしています。法律を変えないと何も始まらない、と。
息子として、兄として、彼は一時はそんな父親の姿に反発もしたそうです。「法を変えてもなにも変わらない」と。
けれど、その時期を過ぎ今、彼は父の活動を共にしていこうとしている。
辛さ、苦しさ。その中で戦っていくこと。強いです。とてもなんというか、心の強さを感じます。
でも、そうしなければならなかった現実を、ほんとうにくやしく思いました。
「壊れやすい温室の花」と表現された加害者。今はもう、「自由」の身です。
「自由」ってなんだろう?
・・・ラストのナレーションにそう問いかけてしまいました。
悲しい事件が相次いでいます。この前の小学校の先生が殺された事件も背筋が寒くなりました。いつからこんな世の中になってしまったんだろう・・と思います。
今、学校に警察官を、とか警備会社と契約をする、とかそんな話題が沢山でていますが・・・確かに子どもを持つ親として、それもとてもありがたいし、少しは安心かなとは思うのですが・・
なにか「違う」と感じてしまうのも事実です。「起こったこと」への対処だけではなにも意味がない。「起こらないこと」が大切なのでは・・・と。そのために、大人として、親として、人間として、一体何をしなくてはいけないのか・・何ができるのか・・・そんなことを考えてしまいます。
「法律は正義ではない。」
偶然、テレビ欄で見つけてビデオに撮っておいた番組。第13回FNSドキュメンタリー大賞の大賞作品に選ばれた関西テレビの作品「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」を、少し前に見ました。
あの、神戸で起きたとても悲しくて辛い事件から、もう7年も経っていたのですね。
この作品は、被害者の男の子のお兄ちゃん(当時中学生)にもインタビューをしたという、とても驚きの作品でした。
加害者は医療少年院で精神科医の先生や様々な専門家に囲まれて、社会復帰できるように「更生」という名の教育と保護を受けているのに、かたや、被害者家族はほぼなんの保証もされない。ある日突然、家族が奪われてしまった状況を納得できるはずのないときに、特殊な事件だ!といってマスコミはまるで犯人を追いかけるように家に押しかける。
加害者と同じ中学校に通っていたお兄さんは、あの事件のあと学校の門をくぐることができなくなったのだそうです。今も、毎週ご両親が通う、弟さんのお墓参りに彼は同伴しません。
「あの石の塊がなんなのかわからない。怒りで気分が悪くなる」と。
ディレクターの「罪を償うとはどういうことだと思う?」の問いかけに、彼は
「自分はあの時何もできなくて、これまで何もしてこなかったので、正直なところ一生償えないと思います。けれど、罪の意識があった方が弟の思い出は消えないので・・・」
と、答えます。問いかけは、「加害者の償いをどう思うか」であったのに、彼は自分の罪と一瞬でとらえている。これが、ほんとうの被害者の家族の苦しみなんでしょう。
「自分でも罪は償えないと思う。あの時、一緒に出かけていれば、自分がちゃんとしていれば。自分が守ってやることができなかったので・・・そこが自分の罪だと思っています。」
少年法。加害者が子どもだからというだけで、まったく被害者家族にも事件の「事実」が伝えられない。裁判にも立ち会えない。公開されない。お父さんは「犯罪被害者の会」で活動をしています。法律を変えないと何も始まらない、と。
息子として、兄として、彼は一時はそんな父親の姿に反発もしたそうです。「法を変えてもなにも変わらない」と。
けれど、その時期を過ぎ今、彼は父の活動を共にしていこうとしている。
辛さ、苦しさ。その中で戦っていくこと。強いです。とてもなんというか、心の強さを感じます。
でも、そうしなければならなかった現実を、ほんとうにくやしく思いました。
「壊れやすい温室の花」と表現された加害者。今はもう、「自由」の身です。
「自由」ってなんだろう?
・・・ラストのナレーションにそう問いかけてしまいました。
悲しい事件が相次いでいます。この前の小学校の先生が殺された事件も背筋が寒くなりました。いつからこんな世の中になってしまったんだろう・・と思います。
今、学校に警察官を、とか警備会社と契約をする、とかそんな話題が沢山でていますが・・・確かに子どもを持つ親として、それもとてもありがたいし、少しは安心かなとは思うのですが・・
なにか「違う」と感じてしまうのも事実です。「起こったこと」への対処だけではなにも意味がない。「起こらないこと」が大切なのでは・・・と。そのために、大人として、親として、人間として、一体何をしなくてはいけないのか・・何ができるのか・・・そんなことを考えてしまいます。
一方少年Aは、名前を変えて自由に生きていく…。
せめてAが、一生自分のしたことの意味を考え続けてくれることを願います。
Aという人はどうなるのか。この番組見てるのか。。そう。一生自分に科すことができるでしょうか。このお兄ちゃんのように「罪」を自分に。
よくコメンテーターの人たちが使う言葉。
判り易いようで 判らない言葉。
心の闇ってなんでしょう・・・・・
私の心にもきっとあるはずの闇の部分が人に対して向けられた時、その闇は輪郭を顕にするのでしょうか?!
思うことの深さに言葉がついてきません。もどかしいです。
今はまた、寝屋川の事件がありますし・・
これについても、いろいろ考えるけれど、言葉になりません。
難しくて、うまく書けない文章力のなさに情けなくもなります。
闇があるから光もある。光があるから闇もある。どちらも自分。それを、いつから人は気づかなくなってしまったのでしょうか。。
言葉は、枠だから。
そこに収まってしまうような「心」はどこにもないと思う。それだけは、思うのですが、だから?と問われると・・・