ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
yukarin_004@yahoo.co.jp

驚きももの木20世紀 4

2014-02-14 21:39:05 | ジュリー
内田裕也さん。
「リードボーカルですから、沢田研二くんが目についたと言えば嘘ではないけど、やはり岸部くんとか、森本くんとか、生意気な加橋かつみとか、やめちゃったけど瞳くんとか、そういうバランスが素晴らしかったですね」

なぜか、トッポだけ呼び捨てなんだわ。

「俺がオーディションやったんだから、いいものはいいだろうと、ファッショロックンロール、有無を言わせなかったところはあるけど。
世の中が大きく変化していくときのタイガースは俺にとっての最高のウェポンだって気がしますけどね、今では」

他にもなんかおっしゃってるんですけど、ちょっとよく聞き取れないので、ごめんなさい

1966年11月9日、渡辺プロのオーディションに合格し、東京へ。

そのころ、テンプターズも人気が出てきていた。


ごめんなさい、ショーケンしかわからないけど。

ファニーズは世田谷にある渡辺プロの下宿で、合宿生活を始める。



作曲家すぎやまこういちさんに師事し、彼のアイディアで、ザ・タイガースに改名。
上京してわずか1か月後、12月にレコーディング。

デビュー曲は僕のマリー
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驚きももの木20世紀 3

2014-02-14 17:59:22 | ジュリー
サリーとプレイボーイズ、その後、ファニーズと改め、1966年1月、新しくジュリーが加わり、大阪のジャズ喫茶、ナンバ一番のオーディションを受けた。


ナンバ一番は、東京のアシベと並ぶミュージシャンの登竜門。
この放送当時は難波の真ん中でまだありました。


今はもう、ないですよね。
この当時は廃墟と化してたとのことですが、まだ建物はあったんですね。

27年前のファニーズにとって、ここのオーディションに合格することは、プロへのチケットを手にすること。
1966年2月1日合格。彼らはナンバ一番の専属となり、人気バンドへの道を歩むことになった。
みるみるうちに、関西の人気バンドになり、ファニーズショーを開催するまでになった。

デビューから半年、彼らに運命の出会いが。
東京に出て勝負しないかと声をかけられた。


このジュリー、かっこいいなぁ。
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磯前順一さんラジオ

2014-02-14 17:35:21 | ジュリー
ツイッターで教えてもらいました。

「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた」の著者、磯前順一さんが、
16日(日)と
3月3日(日)、25時~の、KBS京都のラジオ番組「レコ室からこんばんは」に出演なさるそうです。

16日は「ザ・タイガース 世界はボクらを待っていた、と1696年3月5日」

3月3日は「特集 沢田研二と1970年代の若者」というタイトルのようです。
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2月13日(木)のつぶやき

2014-02-14 07:26:51 | ジュリー

明日はバレンタイン。めっちゃかわいいチョコ、反応楽しみ(^-^)/


きょうは、医龍見ようかな。わたし、医療系の番組苦手なんだけどね。手術のシーンとか怖いんだもん。


明日は歩いていった方がいいかなぁ。車で行って帰れなくなったら嫌だし。


いちばん心配だった子が、合格した(^-^)v


p.twipple.jp/MVkwX
このくまモン、かわいい~。紙飛行機飛ばしてる。


医龍、初めて見た。なるほど、サリー不気味だ~(T0T)


最近、おやじみたいな女子、多いよなぁ(*_*;


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