oji弁理士の日常

おじさんで中堅どころをとっくに越えてしまった弁理士の日常と非日常生活

ようやくお盆休みも終わり

2006年08月17日 | Weblog
と思って、そろそろ仕事するかー、なんて思ってたら庁から電話が来ること、来ること。今月初めに提出した中間書類の事件の表示がみんなミスしてる。幸い軽微なミスとのとことで、職権訂正してくれることで話がついた。

それにしても、いったいどうしちゃったんだろう。

クライアントに、立て続けにミスの報告したくないなー。

さて帰るか。脱力感で一杯の弁理士でした。

蓋し

2006年08月11日 | Weblog
今朝、通勤電車の中で某弁護士が書いた審決取り消し訴訟に関する本を読み出したら、「蓋し・・・・である。」のオンパレード。

ふーむ、昔弁理士試験の受験生だったころから不思議だったのだけれど・・・
大辞林によれば、『多く漢文訓読に用いられた語。かなりの確信をもって推量する意を表す。思うに。確かに。おそらく。たぶん。
・ ―名言というべきだろう』
とある。古文風に書けば、「蓋し名言ならんか」かな?

ともかく、この大辞林の定義からすると、「蓋し・・・・である。」という表現は間違いということになるが、法律関係の文章では結構多そうだ。最高裁の判決にもあったりする。

言葉は時代によって変わる。「全然」も今では「全然・・・無い」、「全然だめ」と使うのが正しいとされているが、娘たちに聞いてみると「全然良い」というほうが当然だ、という。漱石あたりだったかにも、「全然良い」というような表現があるという。明治と平成の途中で変わったのだろう。

「蓋し」も同じなのだろうか。若者に聞いてみようと思っても、蓋し、なんて使わないというか、聞いたこともないだろうから、僕にとってたぶん永遠の謎、なのだろう。

吉村昭先輩さようなら

2006年08月05日 | Weblog
中高の大先輩で作家の吉村昭さんが亡くなられた。

思えば、先輩が「戦艦武蔵」で世に出られてしばらくした頃の昭和43年、母校の文化祭で講演していただいたことがありましたね。その時、校門から講演会場までご案内したのが私です。だから、どうだって・・・

先年、母校でやはり講演会があり、演題が生麦事件についてでしたが、「生麦事件」だけでなく、「長英逃亡」にまで無理にサインしていただきました。あれも僕です。ありがとうございました。だからどうだって・・・

でもこれで、本格的な歴史小説を書ける人がいなくなっちゃったのかなー、寂しい限りです。
合掌

そういえば最近、やはり卒業生の某Y新聞と某G軍関係の某W氏が、「もうニナガワもイノマタコウショウ」も、こんな学校からでねーよ、とのたもうたらしいですが、蜷川先輩も公章先輩も、そして当然吉村先輩も、また出てきますよ。そういう伝統は脈々と受け継がれていると確信しています。

勝ち組特許事務所の作り方  だーっ(^o^)

2006年08月02日 | Weblog
昨日、F井総研から、某A大学出身のI先生のセミナー情報として、「勝ち組特許事務所の作り方」なるパンフが来ました。だいぶお年を召されたI先生のお写真が、でかでかと載っております。

へー、と思って庁のDBで調べたところでは、平成5年以降で8千数百件の特許出願公開件数。ってことは、年に600件前後ですか。まあまあですね。何人でおやりになっているのかはわかりませんが、現在弁理士14名ということですから、おそらく平均では10名前後で推移されてこられたのでしょうか?ということは、60件/1人/、5件/月。 ちょっと、少ないかな。単価が良ければ十分でしょうけど、大企業(総じて単価が安い)が多そうなので、ちょっと苦しいかな、というところでしょうか。でも、特許事務所は出願(特に国内出願)だけで食べてるわけではないので、まあまあというところなのでしょう。

パンフの内容はまあ、新しきこともあり、古きこともあり、で、「経営」に必要なことというのは、どんな事業でも変わらないんだなー、と感じました。
自分でも弁理士業とは別に事業をしていたことがあるので、同感できる部分、うーんそうかな、と思う部分、さまざまでしたが、基本は組織と、それをマネージできる人、という点で特許事務所だろうと、何だろうと、変わらないなーと思った次第です。

僕は「人」(社長をやらせた人)で失敗しましたけどね。経営とは能力、とつくづく思いました。そのお陰?もあって、職人として細々とでもないか、中々くらいかな、で食べております。職人も良いものですよ、しんどいなーとおもうときもありますけど。